“未来”への反逆者たち ―闇と光(1)―


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天井のダウンライトが微かな音を立てて瞬いている。
不規則に明滅するその光は、静まりかえった廊下を進む2人を、どこか不吉に照らし出していた。

「“未来”を変えるなんてこと…ほんとにできるのかな…」

一瞬、わけもなく不安を喚起され、愛は半ば無意識にそう呟いた。

「できるかなやなくて、やらんと、愛ちゃん」

傍らのれいなから間を置かず返ってきた短い言葉に、意識が現実に戻る。

里沙が側にいないことが、自分で想像していた以上に心を揺るがせていたらしい――
いつの間にか、置いてきた里沙のことを思い浮かべ、弱音を吐いてしまっていた自分を叱咤する。

今は振り返っているときではない。
里沙のことはあさ美に任せてきたのだし、必ず後から行くというその言葉を今は信じるしかない。
今、自分たちのすべきことは―――前に進むこと。

何度も繰り返してきた言葉を再び噛み締めながら、愛は恥じるように微苦笑を浮かべる。
何より、こんなに頼れるパートナーが隣にいながら不安を口にするなどあまりにも失礼だ。

「……だね。ごめん、れい―――!?」

だが、謝罪の言葉とともに向けたその苦笑の先に、今しがたまで傍らにいたはずのれいなの姿はなかった。

「れいな!?どこに……!?れいなっ!!」

慌てて周囲を見回した愛の視界の範囲内にも、その姿は存在しなかった。

      *      *      *

「愛ちゃん…?」

直前まで隣にあった愛の姿が突然消え、れいなは全身を緊張させた。
そしてほぼ同時に状況を悟る。

一瞬不自然に捩れた視界。
先ほどまでの薄暗い廊下の代わりに視界を覆う、得体の知れない――しかし覚えのある空間。
そう、あれは里沙と初めて出逢った日―――

「久しぶりじゃん、田中れいな」

空間の壁から滲み出すようにして姿を現したのは、あの日と同じように黒の上下に身を包んだ女だった。

「なんだよ、忘れたとか言われたらさすがに傷つくぜ?」

黙っているれいなに対し、女は肩をすくめながら整った眉根を寄せてみせる。

「覚えとーよ。名前は忘れたとやけど」

その女に、れいなは特に感情のこもらない無愛想な言葉を返した。

「おいおい、マジかよ…。吉澤ひとみだよ、吉澤。つれねーやつだなあ。ま、しゃーねーか」

微かに本当に傷付いたような表情を見せた後、あの頃より少し長めの金髪を無造作にかき上げながら、吉澤は気を取り直したように口元を吊り上げる。

「とにかくだ。あんときは本気で闘り合えなかっただろ?だから今度はガチンコで闘ろうぜ」
「…何でそんなことせんといけんと?」

顔の横に拳を並べながら不敵に笑う吉澤に、れいなは首を傾げて問い返した。
意外な返事を聞いた…というような表情を浮かべた後、やや引き攣った笑みになった吉澤は拳を揺らしながら僅かに声を荒らげる。

「何で?自分が今ここにいるってことを確かめんじゃねーかよ。自分の存在を」
「闘り合うことで?…れいなには意味があるとは思えんっちゃけど。時間がないけん黙って通してくれん?」

少し焦れたような口調でそう言うれいなを挑発するように、吉澤は口元を歪ませる。

「オレから言わせてもらえばさ、お前らのやってることこそ意味ねーよ」
「なん言うと?」
「“未来”を変える……とか言ってたよな?そんなもん、何の意味もねーっつってんだよ」
「はぁ?何で意味ないと?」

睨みつけるようなれいなの視線を真っ直ぐ見つめ返しながら、吉澤は吐き捨てるように言葉を継ぐ。

「“未来”をいい方に変えるってのか?変えたとして、それが本当にいい“未来”だって何で分かんだよ。どうやって判断するんだよ」
「…言っとー意味が分からん」
「例えばお前が“未来”を変えたことで命が助かった人間がいたとする。それはいいことだと思うか?」
「当たり前やん」
「浅はかだっつてんだよそれが。もしかしたらそいつの子孫が世界を滅ぼすかもしれねーだろうが。そこまで考えてんのか?お前がそこまで責任持てんのかよ!?」

徐々に募ってきたらしい苛立ちをぶつけるようにそう言う吉澤の顔にはもう笑顔はない。
だが、れいなは変わらない口調で淡々と返した。

「そんな責任なんか持てん」
「……ッざけんな!!」

再び呆気に取られたような顔をした吉澤のこめかみに、次の瞬間血管が浮いた。

「だったら最初からおとなしくしてろ!先のことなんかに手を出さずに今を生きてりゃいいんだよ!結果なんて誰にも分かりゃしねーんだからよ!」
「あんたの言う通りやん」
「……は?」

気勢を削がれた形になって中途半端な怪訝顔をする吉澤に、れいなは笑みを返した。

「やけんれいなは今を生きる。今やるべきことを全力でやる。未来のことは未来の人に任せればいいっちゃけ」
「な……?」
「もし世界を滅ぼそういうヤツがおるんやったら、そいつをやっつけるんはそんとき生きとーもんの責任やけん。れいなが考えることやないとよ」
「テメ……そういうのを無責任っつーんだよ!勝手なことばっか言ってんじゃねー!!」

半ば逆上した表情の中で燃える吉澤の瞳を正面に捉えながら、れいなはキッパリと返した。

「あんたみたいな未来を諦めたモンに言われたくないとよ」
「―――――ッ!!」

一転、凍りついたような表情になった吉澤の両手の周囲が一瞬奇妙に歪む。
歪みは次の瞬間、二挺のサブマシンガンの形を取ってその両手に収まった。

「そろそろお喋りは終わりにしようぜ、田中れいな」

激情を凄味に変え、吉澤は低い声とともに2つの銃口をれいなに向けた。

「…それ、ホンモノやないとやろ?ガキさんが言っとったけん。あんたの能力は催眠とかいう幻を見せる能力やって」
「確かにこれは本物のマシンガンじゃない。この空間もな。お前の言う通りオレの能力“催眠―ヒュプノシス―”で見せてる幻覚だ。だが―――」

平然と銃口に身を晒すれいなに、吉澤は静かな声で続ける。

「だから撃たれても平気――なんて考えは捨てた方がいい。精神を削られることは命を削られることだ。……幻の中でも人間は死ぬんだぜ?」

その言葉が単なる脅しでないことは、本能が告げていた。
だが、それでもれいなは身構えるでもなく、静かにその場に立ち尽くしている。

「……なあ、あんたはれいなの能力を知っとーと?」
「………?」

その思いもよらない問い掛けに、吉澤は眉を動かした。

「“増幅能力―アンプリファイア―”…だろ?今この場で役に立つ能力じゃねーのは確かだな」

まったく戦闘体勢をとろうとしないれいなに焦れた素振りを見せながらも、相手の唐突な問いの意図を推し量るように鋭い視線を注ぐ。

「違うとよ。…やっぱりあんたらみんなが知っとーいうわけでもないんやね」
「……は?」

しかしその視線は、直後の淡々としたれいなの否定によって鋭さを奪われ、僅かに好奇の色を帯びた。

「れいなもあさ美ちゃんに聞くまで知らんやったと。大体、自分にヘンな能力があるいうこともちょっと前まで知らんやったっちゃけど」
「…あさ美?Dr.マルシェ……紺野が何か言ってたのか?」

思わず訊き返した吉澤に小さく頷いて見せると、れいなは吉澤の瞳を再び真っ直ぐに見つめ、口を開いた。

「れいなの能力は“共鳴―リゾナント―”――あさ美ちゃんは、そう言うとった」
「共鳴(リゾナント)……?…何だよそれ」

怪訝さと好奇心、そして苛立ちが混ざり合ったような表情を浮かべる吉澤に対し、れいなは今度は首を横に振る。

「れいなにもよう分からん。ただ、この能力は生まれつきれいなが持っとったもんやないらしい」
「それは知ってる。中澤さんから聞いた。“組織”ん中じゃある程度知られた話みたいだしな」

愛から、そしてあさ美から聞かされた自分の過去――れいなには今でもある意味人ごとのように思える。

「人為的な“能力者の製造”……お前や…高橋愛はその実験(プロジェクト)の産物なんだろ?」
「ま、要するにそういうことらしいっちゃん」

特段の蔑みも、そして憐れみも込められていない――敢えて込めないようにしたのであろう吉澤の無機質な言葉に、れいなもあっさりとした返事を返す。

それなりの数の“被験者”を対象に行なわれたと思われるその実験はしかし、“組織”にとってそれほど思わしい結果をもたらさなかったらしい。
高橋愛、田中れいな、そしてもう一人……そのたった3人だけが一応の“成功”を見たに過ぎなかったのだから。

――いや、その言い方は正確ではないのかもしれない。

「“組織”にとって、あのプロジェクトは完全な“失敗”だった…って認識らしいぜ」
「らしいね」

人ごとのようにそう返すれいなの脳裏を、写真でしか知らない両親の顔が過ぎる。

言わば“人間兵器の製造”とも呼べるその研究に、れいなの両親が大きく携わっていたのだと、あさ美に告げられたあの日。
そのときの衝撃は、決して小さくはなかった。
自分達の研究の目的を知っていて関与していたのか、それとも詳しくは知らないままに利用されていただけなのかは、今となっては分からない。

だけど―――れいなの中で確実なことが一つだけある。

れいなの両親は、その研究に携わったことを激しく後悔していた。
まだこの世に生を受ける前の、多くの罪なき魂たちを弄んだことを。
その結果、下手をすれば世界を滅ぼしかねない“チカラ”を生み出してしまったことを。
同時に、無垢な2つの命に、生まれながらにしてあまりにも苛酷な運命を背負わせてしまったことを。
だから―――

「そら失敗やろね。数年間の研究で“能力”が発現したのはたった2人、愛ちゃんと……後藤真希。その2人だけやったんやけん」
「…2人?お前も入れて3人だろ?」

不審げに片眉を上げる吉澤に、れいなは首を横に振る。

「“組織”主導の実験としての成果は2人。れいなは……れいなのパパとママの意思で、能力を持たされた」
「お前のオヤジとオフクロの意思……?」

だから―――れいなの両親は、プロジェクト終了の間際にそれまでの研究の成果を注ぎ込んだ。
後藤真希と高橋愛を止めるために必要な“チカラ”を密かに生み出すべく。

「そして、れいなは生まれた。“共鳴―リゾナント―”いうチカラを……持たされて―――」

その言葉と同時に起こった現象に、吉澤は驚愕の表情を浮かべた。

「な―――!?」

呆然とする吉澤の両手に握られたサブマシンガンが、あっという間にその形を無くしていく。
周囲を覆っていた薄灰色の空間も、剥がれ落ちるようにして霧散した。
あとには、ガランとした部屋の景色と、その中に佇む2人だけが残される。

「お前……一体……?」
「なるほど、こういうことなんっちゃね……」

自分の能力が完全に無効化されたことを知り、吉澤は愕然とした顔をれいなに向けた。
そこには、何かを悟ったような静かな表情で立ち尽くすれいなの姿があった。

「何をした?」
「あんたの能力を打ち消した」

短く問い掛ける吉澤に対し、れいなもまたそう短く返す。

「打ち消したってお前……」
「…れいなもよう分からん。あさ美ちゃんの話難しかったけん。確か波長がどうたらこうたら言いよったけど」
「…波長?」
「意味は分からんけど…やり方は今分かった。あんたの能力は前にも一回経験しとったけんね」
「要するに……これが“共鳴―リゾナント―”……っつーお前の能力ってわけか。増幅するだけじゃなく……打ち消すこともできるのが」
「そういうこと…らしいっちゃん」

曖昧にうなずくれいなを見遣る吉澤もまた、能力の詳細を深く理解できたわけではなかった。
だが、田中れいながそれを持って……いや、持たされて生まれてきたことの意味は理解できた。

「じゃあ、お前の親は……テメエで生み出した“兵器”を封じるために、テメエの娘にそんなチカラを植えつけた……つーことか?」
「うん、あさ美ちゃんはそう言いよった」

 ―わたしが調べて分かったことを総合して、そこから類推すると……まず間違いないと思う。

あさ美はあのときそう言っていた。
もう本人たちの言葉を聞くことはできないのだから、100%の真実かどうかは分からない。
でも、そう考える他はない―――と。

「『そう言いよった』じゃねーよ!腑抜けかよお前!」

再び突き上げてきたらしい激情を何とか抑えた上ずり気味の声で、吉澤はまくし立てる。

「なんで平気な顔してられんだよ!そんな手前勝手な親の話聞いて!腹立たねーのかよ!ふざけんなと思わねーのかよ!」

行き場のない怒りを持て余したような吉澤に、れいなは変わらない静かな口調を返す。

「平気やないとよ。ショックやったし……腹も立った。ひどいとも思ったと」
「ひどいで済む話かよ!お前は親の尻拭いのためだけに生まれたんだぞ?後始末を押し付けられるためだけに!」

顔を紅潮させる吉澤に、れいなはまた小さく首を振った。

「違うっちゃん。きっとそうやないと」
「何が違うっつーんだよ!何も違わねーよ!人間っつーのはそういう生き物なんだよ!」

苛立ちを込めた拳を何度も自分の掌にぶつけながら、吉澤はれいなを睨みつける。
対照的に、れいなの表情はどこまでも穏やかだった。

「押し付けたんやなくて、きっと……パパとママはれいなに未来を託したと」
「………は?」
「言うたっちゃろ?未来のことは未来に生きとーもんの責任やって。パパとママは、そんとき自分がやれることを精一杯……やったとよ」
「お前……正気か…!?どんだけめでてーんだよ!!」
「れいなは信じとー。自分を生んでくれたパパとママのことを」
「………話にもなんねーよ」

持って行き場所を見失っているような吉澤の怒りは、もしかすると自らに重ね合わせてのものなのかもしれない――

れいなはふとそう思った。

吉澤の両親は、きっと吉澤に対し“無責任”で“手前勝手”な仕打ちをしたのだろう。
吉澤に、人を信じることの愚かさを心の底から“理解”させるほどの仕打ちを。
未来への微かな希望を裏切られることすら怖くて、達観した振りで逃避するその姿がその断片を物語っている。

本当は、自分だって同じだった。

出口の見えない暗いトンネルを歩き続けているかのような毎日。
あの頃の自分は、間違いなく今の吉澤と同じだった。
誰も信じず、信じられず、孤独だった日々。
もしもあの頃に自分の出生の秘密を知っていたら、今と同じことが言えただろうか?

…分かりきっている―――そう、言えたはずがない。
きっと、忌むべき過去と光の射すことのない未来から顔をそむけ、それまで以上の闇の中を彷徨うことになっていただろう。
そうならずに済んだのは……かけがえのない仲間との出逢いがあったからこそだ。

愛が言ってくれた―――れいなが自分の側にいてくれて本当によかったと。
里沙が示してくれた―――強い意志を持てば進むべき道は踏み変えられるのだということを。
絵里が教えてくれた―――隣り合わせの死をただ怖れるだけでは何もできないのだということを。
さゆみが微笑んでくれた―――れいなのお父さんとお母さん、すごく優しそうだねと。
小春が受け取ってくれた―――自分たちが託した未来への希望と“責任”を。
愛佳が見せてくれた―――未来と真正面から向き合い、進んでいくことの大切さを。
ジュンジュンが分からせてくれた―――本当の平和というもののあるべき姿を。
リンリンが照らしてくれた―――今このとき……自分たちが進むべき未来への道を。

だから――今なら分かる。
れいなの両親は、後藤真希と高橋愛を“封じる”ためにれいなを未来へ送り出したのではない。
きっと2人を救うために、命を懸けてれいなにそれを託したのだと―――

「悪いっちゃけど、これ以上ゆっくりもしとれん」

軽く息を吐いた後、れいなはそう言うと、体の横に持ち上げた手に力を込めた。
形作られたその拳を見て、吉澤が舌打ち混じりに口を開く。

「なんだよ、今さらやる気に――――ッ!?」

だが、その顔は次の瞬間驚きに変わっていた。
紡ぎかけた言葉が、ただの空気が漏れる音となって口から吐き出される。
力を失った体には、一瞬前まで目に映っていたれいなの拳がめり込んでいた。

「………あんたもいつか未来に意味が見つかったらええね」

声もなく自分の足元に崩れ落ちた吉澤にそう声を掛けると、れいなは周囲を見回した。

先ほどまで愛と一緒に進んでいたはずの廊下はどこにもなく、取り立ててどうということはない壁に囲まれた一室がれいなの目に映る。
施設内のどこかであることは間違いなさそうだったが、ここに来るまでに通ってきた覚えのある場所ではなかった。
どうやら、吉澤に幻覚を見せられると同時に、どこか違う場所に移動させられたらしい。
今自分がいるのがどこかは分からないが、とりあえず外に出て早く愛ちゃんに合流しないと………

そこまで考え、部屋の出口を目指して数歩足を踏み出したとき、れいなはようやく気付いた。
吉澤の能力では、自分の体を実際に違う場所に運ぶことはできないはずだということに。
それはすなわち、吉澤の他にも誰かいたことを表しているということに。

「ぐっ…………!?」

だが――それは少し遅きに失した。
致命的な隙を作るには十分なほどに―――

鋭い衝撃と痛みを覚え、振り返った先には見覚えのある姿があった。
あのとき、れいなに闇という救いを与えようとした一人の女性の姿が―――

      *      *      *

「酒、やっぱり一緒に飲めへんかったな………。それどころかハタチのあんたにすら会えへんかったわ、れいな」

自分でも悲痛に聞こえる低い声で、中澤裕子はれいなに向かって呟いた。
“裂開”した空間で貫いたその体は、静かに床に崩れ落ちている。

あのとき道が分かたれた時点で、いつかこうなることは分かっていた。
それでもなお……心残りだった。

「吉澤……悪いけどしばらくここにおってくれ」

気を失った吉澤に視線をやってそう言うと、中澤はそれらの光景に背を向け、目の前の空間の切れ目へと足を踏み出した。
その姿を、殺風景な部屋の景色が飲み込んでいく。

「…すまんな、れいな。ウチにはもうこの道しか残ってへんかったんや」

空間が閉じる間際、言い訳するようにそう呟いたその声はあまりにも弱々しく……れいなの耳に届くことはなかった―――