『“未来”への反逆者たち ―闇と光(2)―』


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「れいな……」

薄暗い光の下、愛は静寂に満ちた無機質な廊下に立ち尽くし、小さくその名を呟いた。
しかし、それに応える声は返ってこない。
ほんの今まで隣に在ったはずのれいなの姿は、どこに視線をめぐらせても存在しなかった。

 ―独りだ
 ―また……独り

そんな孤独と寂寥に満ちた言葉が、愛に絶望を与えようとするかのように覆いかぶさってくる。
"お前は最初からずっと独りだったのだ"と言わんばかりの静けさが、ひしひしと押し寄せてくる。


「独り……?…違う。そうやない」

だが、しばらくして再び呟いた愛の口元には、絶望とは程遠い感情に満ちた微笑みが浮かんでいた。
小さな明かり取りの窓から仄かに射し込む月光が、その横顔を照らしている。

いつだったか、れいなと2人で絵里の見舞いに行った日のことが…そのとき噛み締めた思いが、愛の脳裏に甦る。

闇の中に独りきりだと思い込み、見上げることすらしなかった自分の頭上には、月が明るく輝き、静かにずっと見守ってくれていた。
それと同じように、どんなに淋しさに押し潰されそうになっているときでも、人はきっと本当は独りきりではない。
そう思い込むことこそが、本当の孤独なのだ―――

 ―どんな闇にも、光は射している
 ―どんな絶望の中にも、希望は輝いている

それを愛に教えてくれたのは、かけがえのない仲間たちだ。
たとえ離れ離れになったとしても、心が繋がっている限り、二度と独りきりになることはないのだと教えてくれたのは。

薄暗い廊下に一人佇む愛の胸の中に、仲間たちの温かい笑顔が溢れる。

 ―れいなも、里沙ちゃんも…きっと後から来てくれる。自分はそれを信じて先へ進もう。

柔らかい微笑を浮かべる愛の瞳からは、完全に迷いの色は消えていた。

それでいて―――そこには、同時に覚悟の色が浮かんでいた。
必ず後から来てくれるという2人の仲間への信頼と共に……もう二度と会えないかもしれないという、覚悟の色が。


―――!?


瞬間、その相反する思いを内包した愛の瞳が僅かに見開かれた。
その視線の先で、景色の一部に裂け目が入っている。

「……久しぶりやな、愛ちゃん」
「あんたは…」

切り裂かれた空間の隙間から現れたのは、いつかの廃倉庫…れいなとの出逢いのきっかけとなった場所にいた女―中澤だった。
忘れようもない威圧感が、シンプルにまとめた衣装に身を包んだ全身から発散されている。
だが、あのときよりもおとなしめの髪色とカラーコンタクトを外した目は、どこか淋しさめいたものも感じさせた。

「あんたがれいなをどっかに連れてったんか?」
「そうや。聞くまでもないやろ」
「…なんのために?」
「この次会うときは命のやりとりになるかもしれん……あのときウチはそう言うたはずやで?」

だが、愛の問い掛けに対して静かに返される中澤の言葉には、ただ鋭さと冷たさだけが湛えられている。

「里沙ちゃんを襲わせたんも…あんたの指図か?」

真っ直ぐに視線を返しながら、愛は問いを重ねた。
即座に同じ言葉が返ってくるかと思いきや、中澤の視線が僅かに揺れる。
そのことは、あの件がおそらく辻の勝手な単独行動だったのであろうことを窺わせた。

「…あいつも…辻もかわいそうなやつなんや」

直接愛の問いに答えることはせず、その代わり中澤は心なしか言い訳の色を含んだ言葉を返した。

「人とは違うチカラを持って生まれたせいで、人のことを信じれんようになった人間はいっぱいおる。理不尽に疎外されてな」

中澤のその言葉に、仲間たちと初めて出逢ったときのことが再び愛の脳裏を過ぎった。
“普通”ではないというだけで孤独の闇に押しやられ、助けを叫んでいた仲間たちの悲痛な声が…表情がフラッシュバックする。

その愛から僅かに視線を逸らすようにしながら、中澤は淡々と続けた。

「そやけどな。あいつは…辻はもっと悲惨や。『自分しか信じられへん』のやない。自分さえ信じられへんのや」
「……え?」
「あいつの能力は知ってるな?“擬態能力―ミミックリィ”…他人に自在に変身できる能力のせいで、あいつは自分で自分自身の本当の姿が分からへんようになっとる」
「本当の姿が?」
「もちろん能力を解除すれば元の姿に戻る。そのとき鏡に映っとるんがほんまの自分や。そやけど……あいつは自信を持ってそれが自分やと言い切れへんのや」

その言葉の意味が、愛の胸に重く圧し掛かってくる。
辻希美の抱いているであろう孤独が、そして恐怖が、背筋を寒くさせた。

鏡に映る自分、今ここにいる自分の存在さえも信じることができなければ、一体どこに足をつけて立てばいいのだろう。
何を拠り所にして生きていけばいいのだろう。

「そやから…あいつにとっては“組織”だけが、自分とこの世界を繋ぎとめておけるものなんや。それを守ることだけがあいつにとっての…“正義”なんや」

内心の愛の問いに答えるように、中澤がそう言葉を継ぐ。
愛の中には、つい先ほどの生々しい一瞬の映像が甦っていた。


 「死ね、裏切り者――」


辻のあの言葉は、そして行動は、彼女自身にとっては確かに紛れもなく“正義”だったのだろう。
自分にとって全てである“組織”――それを裏切った里沙は、辻にとって“悪”でしかないのだから。


だけど―――


「正義とか悪とか、元々あんなもん人間が神さんに無断で勝手に決めたもんや」

口を開きかけた愛の機先を制するように、中澤は言葉を重ねた。

「…ちゃうな。神なんておらへんからこそ誰かが決めなあかんのや。そやったら…それを決めるんはウチらでもええはずや。そやろ?」

そう問いかけておきながら、中澤は愛の答えを待つことなく話し続ける。
だがそれは、自信に溢れた主張故というよりもむしろ、中澤の不安や迷いの表れであるように愛には感じられた。

「そうせん限り、ウチらはいつまで経っても暗いところに押し込められたままや。そやから…それを変えるんがウチにとっての“正義”や。…どんな犠牲を払ってもな」

その言葉と共に向けられた中澤の鋭い視線にも、恐らくは意図的な敵意にも、愛はただ悲しげな…しかし強い決意を秘めた色を湛えた瞳で応える。

「どんな犠牲を払っても……あんたのところのあの予知能力者さんも…何かを“視”たんか?」

そして、数瞬の沈黙の後、唐突な問いを投げかけた。

それに対し、中澤は再び視線を僅かに揺らす。
愛の問いが意表を突いていたからというだけではなさそうだった。

「……カオリは……死んだ」

少し間を置いて、中澤が短く答えた。

「死んだ……?どうして……?」

そう問い返しながらも、愛はどこかそれを予感していた自分を感じていた。
おそらくは……れいなが休みを取って出かけたあの雨の日、愛佳を訪ねて「リゾナント」にやってきた予知能力者を見送ったあのときから――

「どうして…か。ほんまの意味で何でかはウチにも分からん。誰にも分からんやろな。ただ……もし分かるとしたら、ウチらやなくてあんたらの方なんかもしれんな」

中澤の声に、僅かな苛立ちとも焦燥ともつかない感情が混じる。

「いつやったか、カオリは愛ちゃんとれいなのことを『変数』や言うてたよ。あんたらに関する“未来”は無限に拡散するって」
「あーしらが『変数』…?“未来”が拡散?」
「カオリの予知では、れいなもあのときウチらのとこにくるはずやった。それから…久住小春も。そやけど……その“未来”は来んかった」
「やけど、“未来”は……」
「そう、予知能力者の“視”る“未来”は絶対やない。そやけど、カオリの予知があそこまで大きく狂ったことはなかった。あんたらに関してのこと以外は」
「だから、あーしやれいなが“未来”にとっての『変数』……だと?」
「“神”が言うんやから…間違いないやろ」

そう言いながら口元に皮肉な笑みを浮かべる中澤の声は、それとは裏腹に飯田圭織のその言葉を胸に刻みこんでいるようにも聞こえた。

「……中澤さん、あーしは思うんよ」

しばらく視線を合わせて沈黙した後、愛は言葉を選ぶようにしながら口を開いた。

「あーしらが『変数』って言うなら、きっと誰だってそうなんだと思う。“未来”は誰にだって変えられる。特別な何かを持っていなくても」
「誰にでも?ウチにでもか?その辺で遊んどる子どもにでもか?そら多少は変わるかもしれん。そやけど――」
「できるよ。変えられる。“未来”を絶対に諦めず、真っ直ぐ立ち向かう勇気さえあれば……きっと誰にでも」
「………」

愛の脳裏に、駅のホームにたたずむ一人の少女の姿が映し出される。
あのとき……“未来”に押しつぶされそうになって俯き、助けを叫んでいたその少女――愛佳は、今では愛の中で堂々と胸を張り、笑顔を湛えていた。

 ―“未来”は変えられる……でも未来は一つやと思うんです。

愛佳はそう言っていた。
一人ひとりの人間が、今の自分にできるだけのことをして……そして確定するものが未来なのだと。

“未来”が“視”える愛佳の思うところとは、もしかしたら違っているかもしれない。
でも、愛もきっとそうなんだろうと思う。
現在(いま)を生きている世界中の誰もが、“未来”を変え得る『変数』なのだと。

「カオリさんも、きっとそれに気付いたんやない?だから……」
「すまんけど、話はそこまでや愛ちゃん」

訴えかけるような…そして自分自身にも言い聞かせるような愛の言葉を、中澤は感情のない声で遮った。

「待って…!お願い!」

話を打ち切り、立ち去ろうとする気配の中澤を、愛は懸命に呼び止めようとする。
だが、中澤は静かに首を横に振った。

「もう、こうするしかないんや。今さら道を踏み変えたら……」


――今まで犠牲にしてきたものはどうなるんや?


思わずこぼれ出たらしきその“声”を最後に、中澤は再び空間の裂け目の中にその姿を消した。

無機質な廊下に立ちつくす愛を一人残して―――