中国はなぜ反日か?

当ページでは、「中国はなぜ反日か」「日本に自虐史観を植えつけるのは誰か」「日中歴史の真相とは」という観点から説明します。
少し長いが丁寧に読めば、自虐贖罪史観の嘘に気づき、正しい歴史認識を持てるはずです。

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◆目次

最初に、『週刊新潮'06年4月20日号』櫻井よしこ氏のコラムからお読み下さい。

『マオ』が伝える中国の巨悪 ・・・ユン・チアンによって指摘された「張作霖爆殺」「盧溝橋事件」の真相。以下、1.2.に分けて詳解し、3.で結論を纏め、4.で補足します。

次に、航空幕僚長でありました田母神俊雄氏の論文をお読み下さい。

日本は侵略国家であったのか cache )(「田母神閣下の正論」参照) ・・・当時現職航空自衛官トップであった田母神俊雄氏の論文です。かくしてこの論文の発表後、浜田靖一防衛大臣によって更迭されました。自らの職を犠牲にしてまで史実を伝える論文を書き上げました。まるで当ページを読んでいるようです。ぜひ一読あれ。

■1.張作霖爆殺はソ連の謀略、満州事変は防共戦

戦後流布した自虐贖罪史観では、張作霖爆殺事件は、日本の中国"侵略"の起点と位置づけられている。
この事件が、従来説通り ①関東軍の謀略 なのか、それとも新資料の示す様に、②ソ連特務機関の謀略 なのか、きちんと吟味し判断する事は、正しい歴史認識を得るうえで非常に重要である。

張作霖爆殺事件(1928.6.4) (橘正史氏ブログより)
新資料公開までの経緯
戦前"満州某重大事件"と呼ばれ真相不明とされたが、発生当初から関東軍の謀略説が流布、その一方でソ連陰謀説も囁かれた。
リットン調査団は事件の真相を不明とした。
戦後河本元大佐の"証言"(実際は河本氏の義弟が本人を騙って執筆)が発表され、以降、関東軍謀略説問答無用の"歴史的事実"として固定化されてしまった。
河本大作は、戦後は太原(たいげん)戦犯管理所という所に入れられまして、中共の戦犯管理の中で三年間過ごし、そこで亡くなっています。手記も何も書いていません。
じゃあ『文藝春秋』昭和二十九年十二月号に載った「私が張作霖を爆殺した」という、あの河本告白記というのは誰が書いたかというと、これは河本の義弟で作家の平野零児が書いている彼は戦前は治安維持法で何度か警察に捕まっている人なんです。その人が河本の一人称を使って書いたわけです。その内容も当時、ほとんど誰も確認せずにそのまま活字になっている。
※ところが冷戦終結後に旧ソ連の機密公開が行われソ連特務機関の工作を示唆する文書が出てきた。 (草莽崛起Pride of Japanブログより)

事件前後の情勢の考察~新資料から導かれる結論
日本は日露戦争勝利以来、満州権益の保全に腐心し、満州軍閥の張作霖と協力関係を築いてきた
蒋介石の北伐を、山東出兵して妨害するほど張作霖に肩入れしていた日本には、北京から満州に退却直後の盟友を爆殺する動機が見当たらない。
それどころか爆殺の結果日本には、①長年の盟友喪失と②国際的信用失墜という実害だけが残ってしまった
一方、1924年外モンゴルの共産化に成功していたソ連は、コミンテルンを通じて中国共産党を指導し、また中国国民党に浸透して中国全土を共産化する計画を推し進めていた。(これは後に実現)・・・ソ連には動機があり且つ事件から実益も得ている
⇒以上から、機密資料の示す通り、ソ連が日本と満州軍閥の関係を裂く目的で、張作霖爆殺を仕掛けたと考える方が辻褄が合う

張作霖爆殺事件はソ連特務機関の謀略であった 田母神論文が問うた「コミンテルンの謀略」

満州事変(1931.9.18-1933.5.31)
満州軍閥を継いだ張学良は、蒋介石側に寝返り、軍閥内の親日派を粛清して、露骨に日本の満州権益侵害を始めた
張作霖爆殺の汚名を着せられ、各地で日本人殺害事件を起こされる等、再度の謀略を恐れた関東軍は、先手を打って張学良や共産勢力を満州から追放する軍事行動を起こした(柳条湖事件~満州占領)
一方、清朝滅亡後外モンゴル・チベットが早々と分離独立する中、清朝の支配階級であった満州族にも溥儀を中心に中華民国からの分離独立を求める機運があった
⇒満州の分離を狙う関東軍と利害一致。満州国建国

付け加えるなら中国には古来から決まった国境や土地を持たない国であり、その時の支配者の侵略(征伐・遠征)により領土を拡大する歴史がある。満州は清朝により「化外・荒蕪の地」として中国人(漢族)は立入り禁止となっていた。辛亥革命は清朝の満洲族から独立し漢族の国を作るという名目なので満州は中国共産党・中国国民党のものではない。関東軍ら日本人と大日本帝国は溥儀を擁立し独立のサポートをして満州国を独立させたのに対し、中華人民共和国(中国共産党)はチベット・東トルキスタン(ウイグル)・南モンゴル同様、無理矢理支配し東北と詐称し侵略・虐殺・弾圧などを行なっている。

満州事変前後の年表つき解説(デリシャス冷珈琲氏)

韓国老教授が語る日韓・日中関係の真実
韓国はなぜ反日か? 崔基鎬氏(伽耶大学客員教授)講演記録を参照
日本の軍隊がいたからこそアジアは、日本が敗れるまで共産化されなかった。日本が敗れたために中国も満州も朝鮮も共産化されてしまった(崔基鎬氏)
これが歴史の真相

満州事変の実際

■2.支那事変(日中戦争)も中共の陰謀工作で勃発(侵略戦争ではない)

支那事変に至る過程を丹念に調べると、共産党の延安移転後連続して不可解な事件が起きている事が分かる。
共産党討伐を優先し満州国を半ば容認していた蒋介石の国民政府と、②事変不拡大方針のはずの日本が、何者かによって無理やり戦争に引きずり込まれていった様子が下の年表から伺える。
1 昭和11年(1936) 10月 共産党延安に移転 蒋介石の討伐を避けるため、江西省瑞金から陝西省延安に移転
2 12月12日 西安事件 共産党討伐軍督励のため西安に入った蒋介石が、旧満州軍閥の張学良に拘禁さ
れ助命と交換に共産党への攻撃停止を呑まされた事件
3 昭和12年(1937) 7月7日 盧溝橋事件 北支事変勃発(※但し日本は戦線不拡大方針)
4 7月29日 通州事件 北京近郊の通州で日本人居留民260数名が中国兵に虐殺され、国内世論沸騰("暴支鷹懲"当時の日本は米国の9.11状態に)
5 8月13日 第二次上海事変 上海租界が中国軍に攻撃される。日本の意に反して華中に戦線拡大
6 9月 第二次国共合作 12月7日には、国民政府(蒋介石)重慶に移転
7 12月13日 日本軍南京攻略 直後から「南京虐殺」のプロパガンダ始まる (欧米、特に米国に対して日本に制裁
を加えるよう政治工作)
911テロに襲われて世論激昂した米国がアフガニスタンに軍事侵攻した状況を覚えている人は、北京近郊の通州で居留民を大虐殺され、さらに上海租界まで攻撃を受けた日本が、①居留民保護と、②中国懲罰のため、やむを得ず漢土(長城以南の漢族の本来の居住地)に軍事侵攻した経緯を理解できるはずです。

にもかかわらず、日本のマスコミは嘘の南京大虐殺は繰り返し特集するくせに、実際にあった大虐殺事件"通州事件"は
完全に無視しています。 
また歴史教科書にも"通州事件"は全く記述がありません。支那事変の導火線となった重要な歴史的事実が、戦後ずっと
意図的に隠蔽されています。 

"通州事件"以外にも済南事件、上海事件、4度に渡る国民党・共産党による南京事件、黄河決壊、長沙焚城などが隠蔽されている。

米政権内では共産スパイが暗躍
F.ルーズベルト政権ではソ連指導下の共産スパイが多数暗躍しており、国民政府(蒋介石)の日本制裁の訴え最終的に「ハル・ノート」に具体化する決定に重要な影響を及ぼした。
米国での共産スパイ暗躍は1949年:中国の共産化という米外交の大失策が契機となりマッカーシーの"赤狩り"が実施さ
れるまで続いたが、このこともまた日本では殆ど教えられない。

中国は謀略を第一に用いる
孫子以来、中国政府の要諦とは謀略が第一であり、中央集権の統一メカニズムを維持するために盛んに情報操作・政治宣伝・悪質な謀略を用いる。本気で武器を用いた殺し合いをするのは愚か、と孫子は説いた
日本や欧米と違って中国はガチの戦は苦手で北方の騎馬民族や英国や日本に実戦ではいつも完敗。
その代わり中国の政治家は謀略を常に張り巡らす。自分は力を温存し相手を分断し内部に手を突っ込んで混乱させてから、おもむろに平らげることを上策とする
唐が高句麗や突厥を滅ぼした時もそうだったし毛沢東が現体制を築いたときも同じ事をしている。孫子呉子の兵法書にも戦は下の下策とある。
今、中国は盛んにダライ・ラマを陥れる謀略戦を国際社会に対して仕掛けている戦前の日本に対しても同じことをしていた筈である。(当然今の日本に対しても、である
昭和初期の日本の対中外交方針が迷走を重ねたのは、当時の日本人にも今とそれほど変わらない中国に対する(中国の現実とは遊離した)甘い手心があったためである。(そういう意味では、日本も中国も全然昔と変わっていないといえる。)
甘い手心や根拠のない和平への期待と、現実の中国の無法さの合間で日本は翻弄され、その間に中国側には米国への謀略工作を着々と進められて、日本はあの無謀な戦争に追い込まれていった・・・私達はそういう風には学ばない(それどころか日本が一方的に悪かったとばかり教え込まれる)が、調べればそれを示唆する資料は沢山ある。

■3.「歴史が隠蔽されたまま」では「過ち」は繰り返される

満州の失敗はむしろ平和主義 (原投稿:ノイズマン氏)
満州に限らず「現在においても失敗を繰り返す」可能性が高いのは、
日本人は「共存共栄」志向で行動するのが当たり前だと思っている一方、
チャイニーズには「共存共栄」などという言葉は無く、「弱肉強食」志向で行動することです。
日本「共存共栄のサイン」として譲歩を繰り返しても、弱肉強食のチャイニーズにとっては、それは「弱者が自らの肉を強者に差し出した」としか見ないのです。
満州政策において日本政府の幣原喜重郎は、いわゆる幣原外交と呼ばれる平和外交路線チャイナに譲歩し、満州についても「侵略の意思を持たない証」として「満州において日本軍がほとんど軍事行動できない」ようにしてそれを国際社会に約束しました。
それは「共存共栄思想をもつ人々」の間でならまさに平和外交となったかもしれませんが、弱肉強食思想のチャイナ政府にとっては、「満州で何をやっても日本軍は動けないし、もし動いたら国際社会に訴えればよい」という「侵略の絶好の機会」を提示してしまったにすぎませんでした。
(人民解放軍が侵略するまで独立国であったチベット同様、満州もチャイニーズの国ではなく、清朝時代は満州にチャイニーズが立ち入ることすら禁じられていました)※注1
そしてチャイナが何をやったかといえば「数千万人の棄民を満州に送り込んだ」のです。もちろんチャイナ政府は棄民たちに「資金」や「土地」を渡したりはしません。
要するに「生き延びたければ騙し暴行し殺して満州人や特に日本人居留民から資産も土地も奪い取れ」ということです。
かくして満州各地で詐欺や暴行殺人レイプ放火が相次ぎましたが、日本人の生命財産や通商路を守るべき日本軍は日本政府の政策によって手足を縛られたまま有効な対策を取ることはできませんでした。リットン調査団が満州を視察したときには「満州の人口過半数をチャイニーズが占める」だけでなく、調査団に対して満州人が口々に「日本人の悪辣さを訴えさせる」ようにしました。
かくして日清戦争・日露戦争を戦い抜き、膨大な犠牲と莫大な戦費を支払って満州に生き延びる道を得ようとした日本は、「チャイナの謀略によって大陸から追い落とされる寸前」にまで追い込まれました。そして結局、現地の日本軍が泥を被る形で「満州事変が起きた」ことで、かろうじて「日本はその命脈を保つことになった」のです。
しかし日本政府は日本軍に手を合わせるどころか「平和外交をぶち壊した」と非難し、目の前で多くの日本人居留民が殺され暴行され日本の生命線である通商路まで奪われかけたのを見てきた日本軍は、「もはや政治家に日本の命運を任せて置けない」と思いつめ始めたわけです。(その結果はよく知られる通りです)
結局何が悪かったのかといえば、
「チャイナとはそういうもの」だと理解して取り扱わなかった日本の「政治家」の責任であり、
当時もマスコミに踊らされてそのような政策を歓迎していた「国民」の責任でもあります。
(ちなみに「国家権力者」はあくまで「幕府」や「政府」であり、天皇はそれを担保する権威者です)
そして、このチャイナのメカニズムは現在もまるで変わっておらず、日本のお花畑の政治家やそれを応援する市民も、その危険性にまるで気づいていないようで、「歴史が隠蔽されたまま」では「過ちは繰り返される」でしょう。

※注1:「長城以南が漢族の土地」今の中国の領土は中共が満州・南モンゴル・東トルキスタン・チベットを侵略して成立したもので、本来の漢族の領土ではない。

昔も今も謀略に潰される日本   ・・・ 今の日本も危ない
 (1)日韓併合は韓国側の要請によるもので、日本が侵略したのではない。
 (2)大東亜戦争(太平洋戦争)の目的は、①国家の自存と②東亜の安定(解放)であり、東南アジアを侵略したのではない。
 以上は、教科書やマスコミ報道はともかく、ネット上ではもはや多数意見と言っていいでしょう。しかし、ここまでは理解できている方でも、現状では未だ多数が
 (3)しかし、中国に対しては日本は侵略を行った。
 という固定観念から抜け出せていないように見えます。
(実際には、清朝の下で自治を許されており、清朝崩壊後には日本と結ぶ等の手段で各々独立を志向した諸民族を、日本敗戦後に中共が侵略・併合した 、というべき⇒下図参照)

■セットで読む中国の民族問題解説ページ■
東トルキスタン侵略の正体
チベット侵略の正体
南モンゴル侵略の正体
台湾の真実
中国の歴史・中国文明
辛亥革命~中国近代化運動の実際

"日韓歴史問題"の真相がネットの発達でかなり普及したことに較べて、より複雑な"日中歴史問題"の真相は、まだまだ一般に知られていません。
(これには、通州事件のような確定している歴史的事実や、旧ソ連機密文書のような重要な新資料を、意図的に隠蔽するマスコミ・教育界の反日姿勢が大きく関わっています)

当サイト内の自虐史観の正体 大東亜戦争への経緯 などのページと併せて、当ページの内容の理解・普及にご協力をお願い致します。

■4.補足説明:チベット問題から学ぶ歴史の教訓

「日本は中国を侵略した」という刷り込みは、実は私にも馴染みの深いものである。現在の日本の歴史教育の下では、この刷り込みから逃れるのは容易ではないだろう。
しかし、ここに中共や左派勢力の"組織的な歴史捏造・歴史認識の刷り込み"を証拠立てる有力な事例がある。今春になってようやく日本でも知られるようになったチベット問題をヒントに、感覚的にも日中歴史問題の真相を理解して戴きたい。

悲劇のチベット・・・英語のみ55分43秒と長いが、チベット問題の経緯・本質が分かる貴重な内容。特に43分過ぎの文化大革命時の寺院の荒廃映像から先は是非見るべし。
 1989年のラサの騒乱時の映像・ダライラマのノーベル平和賞受賞時の映像もある。
Tibet: The Story Of A Tragedy

以前ネパール側からチベットに入ったことがある。この旅が私に中国の歴史捏造に気づかせる大きなヒントとなったことは確かである。私の場合は、(1)中共によるパンチェン・ラマの誘拐と捏造(偽ラマを立てチベット人に崇敬を強いている事)を地元チベット人に教わった事、(2)寺院や市街地での僧侶達の言葉にならぬ必死の訴えを実際に聞き取り得た事、がキッカケである。 
※参考リンク:世界最年少の政治囚、誘拐されたパンチェン・ラマ
今春のチベット問題抗議デモには左派からも多くの者が参加したようだが、その大部分はチベット問題「人権問題」としか捉えておらず、より深刻で本質的な「歴史捏造問題」「民族浄化問題」と捉えるに至らなかったように思う。この様な中途半端な理解では、中共批判・チベット支援の叫びも割り引かれた内容になってしまうであろう。
下記動画の大高美貴氏も9年前にチベットに実際に行った経験がある。大高氏や高森氏の言説には、間違った歴史認識(日本が中国を侵略した、という刷り込み)から脱却し、日中歴史の真相を正当に認識した人の持つ曇りのない明瞭さがある。

チベット蜂起と日本人の宗教心問題(チャンネル桜討論)
チベット蜂起と日本人の宗教心問題① チベット蜂起と日本人の宗教心問題②
チベット蜂起と日本人の宗教心問題③

(動画まとめ)
  • (ツァラトゥストゥラのような超人にでもならない限り、)一定の宗教心の裏づけがないと正義感を持ち得ない(中共がかくも残虐なのはここに一因)
  • 日本の平和団体/人権団体/女性団体は、中国に対して殆ど全く抗議の声を出さない。要するに偽者の団体である事が今回ハッキリ示された。
  • 善光寺など抗議の声を挙げた一部の寺院を除いて、日本の仏教界も中国に深く侵されている。
  • 間違った歴史観に捕らわれて、勝手に中国に行って謝罪したり、靖国神社に対する訴訟に加わったりする僧侶が多数いる。
  • 国内のプロテスタント系のキリスト教会も、最悪の自虐的行動を行っているものが目立つ。
  • こうした不健全で異常な状態から逃れるためには、何よりも先ず自虐教育の刷り込みから離れて、謙虚に史実を検討し、母国への誇りを取り戻すことである。



■5.さらに理解を深めたい方へ(孫文の失敗:辛亥革命~中国近代化の実際)

対支21ヵ条要求(1915年) ・五四運動(1919年)の実際、コミンテルンに取り込まれ近代化への道を誤った孫文
チャンネル桜 H21/2/26【討論!討論!討論!】(今の歴史認識は完全に誤り) チャンネル桜 H21/2/26【討論!討論!討論!】(満州・南モンゴル・ウイグル・チベットを侵略した中共)

詳しくは 辛亥革命~中国近代化運動の実際をご参照下さい。

⇒ 中国の歴史・中国文明 南京大虐殺の正体 も是非ご参照下さい。




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【関連】 中国の問題点 田母神閣下の正論 村山談話の正体


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最終更新:2019年12月29日 03:54