政治の基礎知識


■はじめに


当サイトでは、政治についての話を扱っている。政治に興味を持ってこなかった人のために、政治について基本的な知識を学べるよう、このページを設けた。
難しい言葉は避け、なるべく易しい言葉に直しながら書くよう、努める。
但し、最初の部分(政治思想の対立軸(1)・(2) 及び政治的立ち位置 )はやや難解である。
しかし、この対立軸をきちんと押さえておくことは、日本の政治現象を読み解く上で必須なので、我慢して欲しい。
初心者は、この部分を飛ばして政治とは何か 以降をまず読み、外交の基礎知識を読んだあと、この部分の理解に挑戦してみて欲しい。

<目次>


■1.政治思想の対立軸(1)~「保守」か「リベラル」か


  • 1955年以降(55年体制)の日本では、政治的思想及びそれに立脚した政治的立ち位置を「保守(conservative)」(自民党)と「革新(reformist)」(社会党と共産党)に二分していました。
  • のちに社会党から分かれた民社党、及び創価学会を母体として発足した公明党を「保守と革新の中間」という意味で「中道(middle-roader)」と呼び、三分することになりました。
  • ところが、1989年に中国で天安門事件がおき、ソ連・東欧諸国で共産主義体制が次々と崩壊して、「革新」という言葉にマイナス・イメージが定着してしまったため、それまで「革新(reformist)」を自称していた政党・政治家や学者などの支持者は、自らを「進歩派(progressive)」あるいは「リベラル(liberal)」と呼び換え始めました。
  • その甚だしきは、「革新」の社会党が社会民主党と改名して「護憲リベラル」と名乗りはじめたことです。(なお共産党は今も「革新」を自称しています)
  • そのため、もともと自民党(Liberal Democratic Party)内の非保守派を意味した「リベラル(自由主義)」という語の使用範囲が非常に広くなり、かつ曖昧な意味になってしまいました。
  • 以下の表は、そうした混乱した現代の政治思想・政治的立ち位置を表す用語を、その本来の言葉の意味に従って5つ及び8つに分類し明確化したものです。


■2.政治的スタンス(立ち位置)


◆政治的スタンス5分類(内枠)
進歩重視 伝統重視
親・全体主義
(閉ざされた社会)
I 左翼
(共産主義、社会主義、リベラル左派)
⇔親和性高い⇔
(左/右しばしば転向)
V 右翼
(国民社会主義※1、ナショナリズム)
反・白人/反・英米的
親アジア傾向、独裁制
‡非常に対立的 II 中間(便宜主義) ‡反・左翼で一致だが潜在的には対立 モボクラシー(衆愚制)
親・自由主義
(開かれた社会)
III 真正リベラル
本来のリベラル=リベラル右派)
⇔親和性高い⇔
(伝統に根ざした自由)
IV 真正保守
伝統保守
親・文明/親・英米的
デモクラシー(民主制)



※サイズが合わない場合はこちら をクリック


◆政治的スタンス8分類 (外枠)        極右と極左は隣接 “ナチス(国民社会主義(いわゆる国家社会主義(*下記注釈参照))とコチス(共産主義)は双子の兄弟”
Political Stance Ultra-Left Left-Winger Liberal Centrist Neo-Liberal Conservative Right-Winger Ultra-Right
政治的
立ち位置
極左
(急進・過激派)
左翼
(革新)
リベラル左派
(中道左派・進歩派)
中間
(オポチュニズム)
リベラル右派
(新自由主義)
保守
(伝統保守)
右翼
(ナショナリズム)
極右
(急進・過激派)
政治制度 一党独裁
(全体主義)
指導政党制
(準全体主義)
選択的多党制・政権交代を前提とした政治制度
(純度の高い議会制デモクラシー = 自由民主制 liberal democracy)※2
指導政党制
(準全体主義・権威主義)
一党独裁
(全体主義)
革命(Revolution)を是認 革命・クーデターによる政変・政体変更を否認 維新(Restoration)断行 クーデター是認
経済制度 共産主義 社会主義 資本主義 国民社会主義※1
経済政策 国家管理 高負担・高福祉 やや高負担・高福祉 功利主義・無定見 最小限の介入 中負担・中福祉 高負担・高福祉 国家管理
外交政策 親大陸(反英米) 親英米(反大陸) 反英米・反大陸
日本の事例 社民党(旧社会党) 自民党
日本共産党 民進党 維新政党新風
生活の党 公明党 おおさか維新の会 日本のこころを大切にする党
海外の事例 米・露 ソ連共産党(現:ロシア共産党) 民主党(米) 共和党(米) 統一ロシア(プーチンの与党) 自由民主党(露)
英国   労働党(英) 自由民主党(英) 保守党(英)
ドイツ 左翼党(旧東独社会主義統一党) 社会民主党(独) 自由民主党(独) キリスト教民主同盟・社会同盟(独) ドイツのための選択肢 ナチス党(消滅)
中・台 中国共産党(支) 民主進歩党(台) 中国国民党(華・台)  
国内メディアの
立ち位置
赤旗
(共産党支持)
朝日・毎日・中日・NHK
(民主・社民支持)
読売・日経
(大連立・中道志向)
産経
(自民支持)
チャンネル桜
(保守派支持)
読売は「保守」ではなく「便宜主義」
産経も「保守」ではなく「中道右派」
※政治現象を読み解くために…上の図は頭に入れて置こう⇒上図の詳しい説明は 政治の基礎知識 参照                           ※意見はこちらへ⇒ 政治的スタンス分析
※1国民社会主義 … 「国民」を神聖視した戦後はナチスと結びついた national socialism を「国家社会主義」とワザと誤訳してきたが、戦前の刊行物は「国民社会主義」と正しく訳しており最近の高校教科書の記述も語義どおり正しく翻訳するようになってきた(例:2006年検定合格の山川世界史教科書:「国民(国家)社会主義」と表記)。
※2自由民主制 … 「国民」を神聖視したのと同様に「デモクラシー」を「民主主義」とワザと誤訳して神聖視した戦後は liberal democracy をも「自由民主主義」とワザと誤訳してきた。⇒詳しくは デモクラシーの真実 参照。しかし厳密に学問的な政治学の著作は democracy を「民主主義」ではなく、ちゃんと「民主制」「民主政体」「民主政治」「衆民制」などと表記している。



■3.政治思想の対立軸(2)~「全体主義」か「自由(民主)主義」か


日本の思想対立の構造 参考サイト

 山本氏は、『日本人とは何か。』のプロローグで、「当然のことだが、日本の歴史は日本の基準で記さざるを得ず、中国の基準をもってきても、西欧の基準をもってきても、おかしなことになってしまいます」と述べています。このことは、おそらく日本の思想的な対立構造を考える場合も同様で、日本独自の視点が必要になるはずですが、残念ながら、この点に直接踏み込んだ論説を私は知りません。
ただ、この点に関して、3~4年程前に2chなどでしばしばコピペされていたコメントがあり、核心を突いていると感心し保存してあったものがあるので、少々長くなりますが全文を引用します。
<引用始め>
『朝日が日露戦争をマンセーした事をもって保守化したとか言ってる奴がいるが、日本の思想対立の構造が分かってないな。日本の対立構造は

1.親大陸派 (共同体主義、ランドパワー)=親アジア主義、親儒教、親社会主義、親官僚制(=中央集権)、
親全体主義、親人治主義、親合理(観念)論、親水戸学、親平田派国学、親朱子学

2.親英米派 (自由主義、シーパワー)=親国際主義、親資本主義、親封建制(=地方分権)、
親自由主義、親立憲主義、親法治主義、親経験論、親仏教、親国学(本居宣長)、親徂徠学

なんだよ。
1.親大陸派 は皇室を認めるかどうかで国家社会主義 (親ドイツ)か共産主義 (親ソ連)に分かれ、
2.親英米派 は伝統の重視の度合いで保守主義 自由主義 に分かれる。

今風の言葉で言えば、反米保守は親大陸派で、親米保守は昔ながらの親英米派なんだよ。
両者は戦後、反共産主義という一点で手を組んだ訳だが、元々は水と油。
共産主義が崩壊した90年代以降、元の親大陸派VS親英米派の構図に戻っただけの話。
戦前の革新官僚や軍部の中の国家社会主義者に儀装した共産主義者が沢山いたってのは有名な話で、この両者は天皇の扱いを除いては対立点はないから、転向は簡単。
西部邁、小林よしのりも何度も転向してるでしょ。
でも、親大陸派は絶対に親英米派にはなれない。逆もしかり。根本の思想が違う。

で、日露戦争の評価について言えば、「白人に対する被支配者有色人種の勝利」と言う点を重視するのが親大陸派の特徴で、英米日の文明国が専制的(=アジア的)なツァーリのロシアに勝利したと言う点を重視するのが親英米派の特徴。
当時の人々はどう思っていたかと言うと、圧倒的に後者が多いだろね。当時の一般の日本人は文明の度合いを肌の色よりも重視した。

このように考えると、朝日が日露戦争を賛美したのは何の不思議も無い。国家社会主義と共産
主義の間は容易に転向できる。そのうち、大東亜戦争の「白人支配からの解放」という面について賞賛する日も近いだろうね。
そして孫文のアジア主義の訴えだが、中国は伝統的に日本と英米との離間を企てるのに熱心で、孫文は日英同盟にも強硬に反対していた。
今の中国の日米同盟反対と同じだな。これに東洋の王道だなんて感動してる奴は馬鹿としか言いようが無い。』
<引用終わり>
 厳密に言えば、用語や分類についてかなり問題がある部分もありますが、着眼点がすばらしく、うまく戦前・戦後の思想状況を捉えているのではないか思います。この発想は、おそらく欧米の思考法に関する大陸=演繹法英米=帰納法という分類(これは思考法の一般的な傾向を指摘したものにすぎませんが)と地政学的な発想組み合わせて応用したものだと思いますが、一定の条件をつければ日本にも当てはめることができることを教えられた気がしました。

親大陸派については、日本にどの程度欧米的な観念論(演繹的思考)が定着しているのかは疑問ですが、朱子学的発想を含むという形でその幅を広げると、的確にその特徴を捉えられる気がします。岸田氏が(戦前の右翼と戦後の左翼について)「この両者は、方向は逆ですが、同種の現象である」と指摘している点も、それがいわば思考の型が同一である大陸派内部での対立だからと考えると、うまく説明できるのではないでしょうか。
なお、朱子学の政治理論は、混乱した宋代の時代状況を反映したものか(水滸伝で有名ですねw)、極端な形式的観念論に基づく正当論に特色があり、そうした理論を支えているのが肥大化した自尊心と排外的な攘夷感情、そして現実から目を背けた自己欺瞞にあると言われている点も特徴的です。この朱子学が中国・朝鮮だけでなく、日本においても古くから少なからぬ影響を与えてきたことには注意が必要です(そもそも「尊王攘夷」という言葉自体が朱子学由来のものですし)。

これに対して親英米派とは、実際の英米に親しみを感じるかどうかではなく地政学的発想によるものでしょうが、一般に歴史的な事実を重視し、経験的・実証的論理に基づいて判断することを好む現実主義者であるとともに、ある意味で絶対的な価値判断を嫌う相対主義者といったタイプの人が当てはまるのではないかと思っています(本来は別の名称の方が良いと思うのですが適切なものが思い浮かびません)。また、私自身は一貫してこの立場だったと思っています。

これは個人的感想ですが、親大陸派というのは実は日本人の中では少数派で、実際には1~2割程度しかいないのではないでしょうか。ただ、マスコミはもとより知識人や評論家、(分野にもよるでしょうが)アカデミズムの世界では、その比率が飛躍的に高まるような気はします。

他方、親英米派の立場を明確にした知識人や評論家数は決して多くはありませんが、このタイプの人は戦前・戦後を通じて一貫した立場をとった人が多く(メジャーなところでは小林秀雄くらいしか思い浮かびませんが)、90年代までは保守論壇で発言していた人のほとんどが(山本氏を含め)このタイプであったと思っています(9.11事件直後の小林よしのり氏の発言以降、反米保守と親米保守の対立が表面化します。私には小林氏が大陸派かどうかは判断しかねますが、小林氏の発言を読んだときの率直な感想は、長く封印されてきた保守系の攘夷派(要するに右翼)が表明化してきたのかもしれないないなぁ、と感じたことを覚えています)。

なお、戦前・戦後を通じて、親大陸派は常にノイジー・マイノリティーであり、一方親英米派はサイレント・マジョリティーにすぎず、その結果、日本の言論空間を歪め、政治的判断をも狂わせてきたことは記憶しておくべきことです。
最近の保守化というのも、結局はサイレント・マジョリティーにすぎなかった親英米派がネットを通じて発言するようになっただけかもしれません。
原文は、「一知半解なれども一筆言上」様ブログ内の1読者様コメント。内容が非常に的確なので紹介しました。

(要約)共産主義と国民社会主義(所謂「国家社会主義」※1)は双子の兄弟。どちらも危険な全体主義。


          || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||     右翼左翼という切り方は間違い。自由主義(※2)と全体主義の違いです。
          ||  洗脳されたら  Λ_Λ      全体主義シンパのサイドは、自由主義者のことを右翼と呼びます。
          ||   危険です  \(゚ー゚*)  <  自由主義者のことを右翼、軍国主義者と呼んで貶めようとしている
          ||________⊂⊂ |      のです。これに引っかからないようにしましょう。
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧    | ̄ ̄ ̄ ̄|   全体主義側が日本の自由主義を潰そうとするのはヒトラーやスターリン
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |    |   がやっていることと同じなんです。
~(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
  ~(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧       は~い、先生。
    ~(_(   ,,)~(_(   ,,)~(_(   ,,)  日本が、第二・第三のチベットにならないように頑張ります!
      ~(___ノ  ~(___ノ   ~(___ノ

※1国民社会主義 … 「国民」を神聖視した戦後はナチスと結びついた national socialism を「国家社会主義」とワザと誤訳してきたが、戦前の刊行物は「国民社会主義」と正しく訳しており最近の高校教科書の記述も語義どおり正しく翻訳するようになってきた(例:2006年検定合格の山川世界史教科書:「国民(国家)社会主義」と表記)。
※2自由民主制 … 「国民」を神聖視したのと同様に「デモクラシー」を「民主主義」とワザと誤訳して神聖視した戦後は liberal democracy をも「自由民主主義」とワザと誤訳してきた。⇒詳しくは デモクラシーの真実 参照。しかし厳密に学問的な政治学の著作は democracy を「民主主義」ではなく、ちゃんと「民主制」「民主政治」「衆民制」などと表記している。
※なお「全体主義」の反対概念は「自由主義」であるが、現代の英米圏では liberal は「自由主義」ではなく「マイルドな社会主義」を意味する言葉に変質してしまった(詳しい事情は リベラリズムの真実 参照)ため、「totalitarianism(全体主義)」の反意語として単に liberalism ではなく liberal democracy(自由民主制)という語が使われる場合が多い。





■4.政治とは何か


 まず、政治とは何か、政治の本質は何かを知っておきたい。

争いを円く治めること
 人が集まって住んでいると、お互いの望みや欲などがぶつかり合い、争いが起こる。それを円く治めることこそが、政治なのである。ロンドン大学のバーナード=クリック名誉教授は、著書でこう書いている。
 「政治学とは、社会全体に影響を与えるような利害と価値をめぐって生じる紛争についての研究であり、また、どうすればこの紛争を調停することができるかについての研究である。」
講談社学術文庫『現代政治学入門』(講談社 刊)より引用
物事を決めること
 こういった、争いを円く治めるためには、一つの組織の中で、何らかの掟(おきて)あるいは取り決めなど作り、それを基にその組織が物事を取り締まる必要がある。この掟あるいは取り決めのことを、「法」という。この法そのものや、法に基づく行いなどを決めることも、政治なのである。社会学者の橋爪大三郎博士は、著書でこう書いている。
 「政治とは、ものごとを決めることである。決断によって、ある選択肢を現実化することである。とりあえず、そう考えてよい。」
PHP新書『政治の教室』(PHP研究所 刊)より引用


■5.国家について


 今のところ、政治を行う枠組みとして、国家は、最も重んじられている枠組みといえる。

成り立ち

 国家の成り立ちについて知っておきたい。これについては、いくつか説があるが、ここでは二つ挙げる

国家有機体説
 一つ目は国家有機体説。この説は、「国家は一つの有機体であり、民衆は国家を形作る細胞である」という説だ。これを唱えたのは、ヨハン=カスパル・ブルンチュリやアルバート=エベラール・シェフレやハーバート=スペンサーらである。
社会契約説
 そして、二つ目は社会契約説。この説は、「民衆が社会契約を交し合い、国家が生まれた」という説だ。この「社会契約」というのは、何だろう。この説では、「民衆には個々に生まれながらにして権利が与えられている」という前提に立つ。この権利を「自然権」あるいは「人権」という。この自然権を、民衆が個々に持っていると、お互いの自然権がぶつかり合って、争いが起こる。前項で書いた「争い」と同じだ。この争いを起こさないために、民衆は、各々の自らの自然権を一つの機構へ委ねるよう、契約を交わし合った。この契約を「社会契約」といい、機構を「国家」という。これが社会契約説だ。これを唱えたのは、ジョン=ロックやジャン=ジャック・ルソーやトマス=ホッブズらである。
違い
 では、この二つの説の違いは何だろう。それは、「鶏(にわとり)が先か、卵が先か」のごとく、「国家が先か、個人が先か」の違いである。「国家が先で、個人が後」なのが国家有機体説であり、「個人が先で、国家が後」なのが社会契約説である。つまり、国家有機体説では、国家を自然的なものと捉え、社会契約説では、国家を人工的なものと捉えてるところが、違いなのだ。

治め方


何で治めるか

 国家は何で治められるべきだろうか。これは二つに分けられる

法の支配
 法によって治められること、また、そうあるべきとする立場のことを、「法の支配」という。これを唱えたのは、イギリスの法律家であるヘンリー=ブラクトンは、著書の中でこう書いている。
「王もまた神と法の下にある」『イギリス法律慣習法(原題:De Legibus et Consuetudinibus Angliae)』より引用
 法は、自然にある「自然法」と人が定めた「実定法」に分けられる。この場合の法とは、自然法であり、祖先が残した仕来り(しきたり)や慣わしのことをいう。日本語で言うと「国柄(くにがら)」、英語で言うと「コモン・ロー(common law)」ともいう。つまり、たとえ王であっても、国柄の下にあって、国柄に基づいて法を定めないといけない。国柄に背く実定法は認められない。
人の支配
 人によって治められること、また、そうあるべきとする立場のことは、「法の支配」に対して、「人の支配」といわれる。つまり、実定法のみが法なのであるということだ。「法実証主義」ともいう。

誰が治めるか

 国を治めるには、治める権利を「取る」人、もしくは、「持つ」人が要る。この「治める権利」のことを「統治権」という。「取る」も「持つ」も同じ意味ように見えるが、似て非なる意味として捉えてほしい。統治権を人が「持つ」ということは、その権利をその人が「好き勝手に使える」ことを意味する。ということは、国柄に背くこともできるのだから、これは「人の支配」である。だから、「法の支配」の立場からかんがみた場合は、「好き勝手には使わない」すなわち「国柄に背かない」という意味をこめて、「取る」と呼ぶべきである。要するに、「法の支配」に基づくならば「取る」、「人の支配」に基づくならば「持つ」というように、言葉を使い分けるべきということだ。この場合の「取る」は、「攬(らん)」という字に「手に取る」という意味があることから、「総攬(そうらん)」ともいわれる。

 国の治め方は、統治権を誰が「取る」もしくは「持つ」かによって分けると、以下のようになる。
君主制(monarchy) 君主が治める権利を「取る」もしくは「持つ」制度
貴族制(aristocracy) 貴族が治める権利を「取る」もしくは「持つ」制度
民主制(democracy) 民衆が治める権利を「取る」もしくは「持つ」制度

注意
 ある国が「君主制」を採っているからといって、その国が「貴族制または民主制でない」とはいえない。なぜなら、この三つの制度は共存し得るものだからだ。国を治める権利として、実定法の制定と公布と施行があるが、我が国では、制定と施行を民衆が、公布を天皇がやっている。つまり、我が国では君主制と民主制が共存しているのだ。

要素

 国家が国家であるための要素は、三つある。「民衆」「権力」「領域」だ。国際法でそう決められている。ある枠組みが、この三要素を満たしているとき、その枠組みは国際法によって国家と認定されるのだ。

民衆

 人がいなければ、国家が成り立たない。だから、「民衆(people)」が国家の三要素の一つなのだ。この民衆のうち、その国の国籍を持つ人を「国民(national)」という。さらに、その国民のうち、政治へ参加する権利を持つ人を「市民(citizen)」という。ちなみに、政治に参加する権利を「参政権」という。これらを整理すると以下の通りだ。
民衆(people) 国家の統治の下にある全ての人。「人民」ともいう。
国民(national) 民衆のうち、国籍を持つ全ての人。日本国の統治の下にあるが、日本国籍を持っていない人は、「在日外国人」と呼ばれる。
市民(citizen) 国民のうち、参政権を持つ全ての人。日本では、今のところ20歳未満の国民と在日外国人に参政権は認められていない。したがって、彼らは市民ではない。

権力

 統治権を使って、他人を無理やり従わせる力を、「権力」という。この権力は、三つに分けられる。「司法権」「行政権」「立法権」だ。整理すると以下の通りである。
司法権 物事を裁く権力
行政権 国家としての志(こころざし)を示し、それを行う権力
立法権 法律を定める権力

領域

 統治権が効くところを線で囲ったとき、その囲った中を「領域」といい、線を「国境」という。領域は以下の三つに分けられる。
領土 領域のなかでも、陸の上にあたるところのこと。
領海 領域のなかでも、海の上または中にあたるところのこと。岸から12海里(およそ22km.)までが領海である。
領空 領域のなかでも、空にあたるところのこと。

役目

 国家はどんな役目を担うべきかによって、以下の二つの立場に分かれる。
自由主義国家論 「国家が担う役目は、なるべく、国内外の治安維持だけにとどめ、それ以外は民間に任せるべし」という立場。税金がちょっぴりで済むという長所がある反面、所得の格差が大きくなるという短所がある。「小さな政府」ともいう。「夜警国家」ともいわれることがあるが、この呼称は、自由主義国家論を揶揄する文脈で使われるものである。
福祉国家論 「国家が担う役目は、治安維持はもちろんのこと、福祉も国家が積極的に担うべし」という立場。所得の格差が小さくなるという長所がある反面、税金がたくさん掛かるという短所がある。「大きな政府」ともいう。

政治体制

 国家の政治秩序を支えるルールないしは制度のこと。
自由民主制(liberal democracy) 法の支配(立憲主義)と権力分立が確立され、複数政党制と政権交代を前提とした純度の高い議会制民主主義が機能しており、個人の自由権・社会権・参政権が保証されている制度。なお邦訳は一般的には、自由民主主義体制、または単に民主主義体制となっている場合が多い。
全体主義体制(totalitarian regime) 一党または一個人の独裁による支配、単一イデオロギー、権力によるマスコミ支配・暴力の独占、秘密警察、統制経済により特徴づけられる体制。旧ソ連や東欧諸国、現在の中国・北朝鮮、全権委任法成立後のドイツ(ナチス支配期)。
権威主義体制(authoritarian regime) 民主制の外観は整えているが、実質的には指導政党が一定の権威に基づいて他を圧倒する支配体制を敷いている制度。第三世界の国々で見られる開発独裁(朴正熙時代の韓国など)や、ロシアのプーチン政権が典型。ヒンデンブルグ大統領期のドイツや近衛政権期から敗戦までの日本もこれに該当。


■6.法について


 暮らしの中で守らねばならないとされている、掟あるいは取り決めを、「社会規範」といい、このうち、権力によって守ることが強いられている社会規範を、「法」といい、そうでないものを「道徳」または「倫理」という。法には次のような種類がある。

国柄(コモン・ロー)
 仕来りまたは慣わしが法となったもののこと。
憲法
 国の治め方の基礎を定めた法のこと。憲法の役目は権力を抑えることにある。西洋においては、「悪い王様の独裁に困り果てた民衆が、革命を起こした」という歴史的経緯があり、このとき、「権力は放っておくと、のさばりかえる」という教訓が生まれ、憲法というものが生まれた。ただし、国柄に背く憲法は、あってはならないとされている。
法律
 権力が民衆に対して強いることができる法のこと。ただし、憲法に背く法律は、あってはならないとされている。


■7.政治哲学


 政治哲学とは、政治のあり方を問う学問のことだ。世の中のいろいろな政治思想は、ぜひ知っておきたい。

理性のあり方

 理性とは、物事を理詰めで考える力のことをいう。この理性をどう政治に用いるかによって、いくつか立場に分けられる。
保守主義(conservativism) 人の理性は、過ちを犯しやすい。だから、政治をするときは、理性をことさらに信じ込むのではなく、昔からある仕来りや慣わしも重んずるべき。
進歩主義(progressivism) 人の理性を正しく使えば、どこまでも人は賢くなれる。だから、政治をするときは、古い仕来りや慣わしにとらわれず、どんどん理性を働かせるべき。

価値観のあり方

 価値観とは、物事の善し悪しを見極めるための基準のことだ。政治の善し悪しとは何で決まるのかによって、いくつかの立場に分けられる。
保守主義(conservativism) 政治の善し悪しは、昔からある仕来りや慣わしによって決まる。
共同体主義(communitaianism) 政治の善し悪しは、属している共同体ごとに異なる。
自由主義(liberalism) 善い政治とは、民衆の自由を守ることだ。

自由のあり方

 自由(liberty)とは、嫌なことをしなくても良い状態のことをいう。個人の自由を保障するためには、どうすればいいかによって、いくつかの立場に分けられる。
自由至上主義(libertarianism) 個人の自由を守るために、政府は個人になるべく介入しないべき。リバタリアニズム。自由尊重主義ともいう
自由主義(liberalism) 個人の不自由を取り除くために、政府は個人に介入すべき。

平等のあり方

 平等とは、偏りや差別が無い状態のことをいう。望ましい平等にあり方によって、いくつかの立場に分けられる。
機会の平等 貧しくても努力すれば豊かになれるよう、その機会は誰でも平等に開かれているべき。
結果の平等 豊かな人から貧しい人へ金をまわすことで、結果として平等になるべき。

経済のあり方

 経済とは、物を作ったり配ったり使ったりする活動のことをいう。このうち、物の作り方によって、いくつかの立場に分けられる。
資本主義(capitalism) 物作りは、資本家が労働者から労働力を買い取ることで、行われるべき。
社会主義(socialism) 物作りは、みんなでみんなの労働力の使い方を決めながら、やるべき。

枠組みのあり方

 どの枠組みを重んじるかによって、いくつかの立場に分けられる。
国家主義(nationalism) 国家という枠組みを重んじるべき
世界主義(cosmopolitanism) 世界中が一つの枠組みとしてくっつくべき
民族主義(ethnicism) 一つの民族ごとに一つの枠組みがあるべき。
個人主義(individualism) 個人はどこまでも個人であって、枠組みなどいらない。


■8.補足


多義的な言葉

 一つのものがいろんな意味に捉えられることを、「多義的」という。日本の政治学界が、西洋の政治学用語を訳す過程で、多義的な言葉がいっぱい生まれてしまったので、ここで整理しておこう。

自由

freedom 嫌なことをしない自由。消極的自由と訳し分ける。
liberty 好きなことをする自由。積極的自由(解放)と訳し分ける。

愛国心

patriotism 生まれ育った故郷を愛する主義。愛郷主義と訳し分ける。この場合の「故郷」は、いろんな枠組みとして捉えられるので、必ずしも「愛国」だけをさすものではない。
statism 統治機構としての「国家」に尽くす主義。政府主義と訳し分ける。
nationalism 枠組みとしての「国家」を重んずる主義。国家主義と訳し分ける。
ethnicism 枠組みとして、「民族」を重んずる主義。民族主義と訳し分ける。日本は、ほぼ単一民族国家であるため、民族主義と国家主義が同じ意味として捉えられがち。
jingoism 好戦的愛国主義(偏狭的優越主義、ジンゴ的民族主義)。愛国主義や民族主義が昂じて他国を不当に貶め軽蔑的になり、好戦的になってしまった状態。支那や韓国などに顕著。chauvinismとも言う


■9.ご意見、情報提供


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最終更新:2020年03月21日 22:14