憲法9条解釈と集団的自衛権の行使

<目次>

1  はじめに


個人の尊厳が保障されるためには何よりも平和が保障されていなければならない。
平和のうちに生存する権利は、すべての自由権や社会権の基礎にあって、その享有を可能にする基底的権利である。

2  憲法における平和主義


(1) 平和主義と憲法


これまで人類は、戦争廃絶に向けて様々な努力を重ねてきた。
その主要なものとして、国際法上は、1919年の構成連盟規約、1928年の戦争抛棄ニ関スル条約(不戦条約)、1945年の国際連合憲章などが存在し、また各国憲法では、古くは1791年のフランス憲法に始まり、第二次世界大戦後の多くの憲法、たとえば1946年のフランス第四共和制憲法前文、48年のイタリア共和国憲法11条、49年のドイツ連邦共和国基本法26条、72年の大韓民国憲法5条などで戦争放棄の規定が設けられた。
今日においては、戦争の放棄、武力行使の禁止など平和主義条項を掲げた憲法は、日本を含め数十ヵ国にわたっている。

(2) 憲法9条成立の沿革


平和主義、とりわけ憲法9条が日本国憲法に採用された背景は、1941年8月の大西洋憲章、45年7月のポツダム宣言にあるが、直接的な契機は46年2月のマッカーサー・ノートの第二原則である。

3  日本国憲法前文の平和主義


(1) 平和国家


日本国憲法前文は、日本は世界平和を理念とする平和国家であることを表明している。

前文 第1段 日本国民は、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、・・・・・・自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
第2段 第1文 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
第2文 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
第3文 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
第3段 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
第4段 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

(2) 平和的生存権


日本国憲法は前文第2段第3文において、「平和のうちに生存する権利」を規定している。
この平和的生存権が日本国民にとって「権利」としての実体を有するか、すなわち、個々の国民が自らの権利として、平和的生存権の侵害を理由に、裁判所にその救済を求め得るかについて争いがある。
これは、憲法前文の裁判規範性の問題と関連する。
⇒ 第1編4-2二

(*) なお、前文から「平和的生存権」を直接に導き出すことが出来ないとしても、包括的な人権が保障されている13条を手掛かりとして、国民個人の平和的生存権を根拠づけることが可能であることや、9条の戦争放棄規定は、個々の国民の権利としての平和的生存権を客観的な制度として保障する意味をもつことなどを根拠としてその裁判規範性を肯定する見解もある。

《判例》 長沼事件一審判決(札幌地判昭48.9.7/百選Ⅱ〔181〕) ⇒ 第1編4-2二
《判例》 長沼事件ニ審判決(札幌高判昭51.8.5/百選Ⅱ〔182〕) ⇒ 第1編4-2二
《判例》 百里基地訴訟(最判平元.6.20/百選Ⅱ〔183〕) ⇒ 第2編第1章3-2五

4  日本国憲法9条の規範構造


(1) 9条の法規範性


日本国憲法9条は、
1項で 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」 と定め、
2項で 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 と定めている。
同条が、法規範として、公権力と国民に対して拘束力を保持するものか争いがある。

9条の法規範性の整理
学説 内容 理由 批判
政治的マニフェスト説 憲法規範を公権力を直接拘束する「現実的規範」と国家の理想を示す「理想的規範」とに二分したうえで、9条は「理想的規範」であるとする。 9条は「理想的規範」として国家の理想を示した国際政治のマニフェストである。 戦争放棄の規定が前文ではなく、9条として憲法本文に置かれている以上、9条を単なる政治的宣言と解すべきでない。
政治規範説 9条が為政者を拘束する法規範性を有することを認めたうえで、その裁判規範性はきわめて希薄であり、国会等の政治的な場でその合憲性が判断される政治規範としての性格を有するとする。 9条には高度の政治的判断を伴う理想が込められており、裁判所による規範的意味の確定が困難であり、また、仮にそれを確定し得たとしても裁判所が政治的紛争に巻き込まれ、裁判所本来の機能を果たし得なくなる。 憲法の規定は多かれ少なかれ政治的性格を有するものであり、憲法事件に関する判断のもつ政治性を理由に9条を単なる政治規範と解すべきでない。
9条変遷説 9条の裁判規範性を認めたうえで、憲法制定後の事情の変化により、その規範的意味が制定当時と全く変わってしまい、9条の規範内容についていわゆる「変遷」が生じたとする。 ①憲法制定後の国際情勢及び我が国の国際的地位の著しい変化により、今日では制定当初の9条解釈の変更を必要とするに至った。
②国民の規範意識も変化し、現在では自衛のための戦力の保持を容認している。
9条「変遷」要件とされる国際情勢の変化及び国民の意識の変化に関する認識は一面的である。
法規範性肯定説
(通説)
9条は、法規範として公権力と国民に対して拘束力を保持するとする。 本条に反する国家行為は、単に政治的不当の問題を生ずるだけでなく、違法・違憲とされなければならない。 9条は「前文」的性格を有している。

(2) 戦争放棄


戦争放棄の学説の整理
《9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言は何にかかるか?》 (1) 「武力による威嚇」と「武力の行使」のみにかかる(※注釈:総司令部案に忠実な解釈をとる説(日本語正文の文理解釈としてはやや無理がある))
〔結論〕 「国権の発動たる戦争」については無条件に放棄されているが、武力の行使・威嚇については「国際紛争を解決する手段として」放棄されているに過ぎず、自衛権の範囲内での武力の行使は禁止されていない、とする。
(2) 「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」の全てにかかる。
    ↓次へ
《9条1項の「国際紛争を解決する手段として」の「戦争」の意義》 (1) 一切の戦争・武力行使・威嚇が放棄されている(全面放棄説・峻別不能説)
〔結論〕 2項の規定を待つまでもなく、1項により自衛戦争等を含む一切の戦争・武力行使・威嚇が放棄されている、とする。
(2) 国家の政策の手段としての戦争、すなわち、侵略的な行為のみを放棄する
    ↓次へ
《9条2項の「前項の目的を達成するため」の意義》 (1) 「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを指し、その目的を達成するために、2項で戦力の保持を無条件で禁じ、また、交戦権まで否認している(全面放棄説・遂行不能説)
〔結論〕 1項で留保された自衛戦争等も、2項により事実上不可能となり、9条全体で全てが放棄される結果となる、とする。
(2) 1項の侵略的な行為の放棄という目的を指し、その目的を達成するために、戦力の不保持と交戦権の否認を定める(限定放棄説)
〔結論〕 自衛戦争や国際秩序の破壊に対する武力による制裁措置への参加は何ら否認されず、行動をとるに際しては、交戦権も否認されず、そのための「戦力」ないし「自衛力」を保持することも認められる、とする。

(3) 戦力の不保持


(a) 自衛権と日本国憲法の立場


「自衛権」とは、国際法上、一般に、急迫または現実の不正な侵害に対して、国家が自国を防衛するためにやむを得ず行う一定の実力行使の権利をいう。

自衛権行使の三要件
急迫または現実の不正な侵害があること (違法性)
侵害を排除するためには一定の実力行使以外に他に選択する手段がないこと (手段の必要性)
自衛のためにとられた実力行使が、急迫な侵害を防ぐ上で、または、加えられた侵害を排除するために必要な限度で行使され、侵害行為と釣り合っていること (法益の均衡)

このような、国際法上一般に認められた「自衛権」を、日本国憲法は放棄しているのかについては争いがある。

自衛権の学説の整理
自衛権放棄説 (実質放棄説) 9条は、形式的には自衛権を放棄していない。
しかし、自衛権を認めることは戦争の誘発に連なる「有害な考え」であるとし、9条は自衛権を実質的に放棄しているとする。
(形式放棄説) 自衛権が不可避的に「戦力」の発動を伴うものである以上、「戦力」の保持を禁じた日本国憲法の下では、自衛権は形式上も放棄されている。
自衛権留保説 (非武装自衛権説) 国家がその固有の権利である「自衛権」自体を放棄することはあり得ず、9条2項は警察力を超える実力である「戦力」や「武力」を用いて「自衛権」を行使することを禁じている。  ⇒ 全面放棄説と結び付く
(自衛力肯定説) 国家「固有」の「自衛権」が憲法上放棄されることはあり得ない以上、急迫・不正の侵害に対して自衛行動をとることは当然認められ、自衛のために必要な「戦力」に至らない実力を保持することは9条2項の禁ずるところではない。  ⇒ 限定放棄説と結び付く
(自衛戦力肯定説) 9条は、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、そのための戦力を保持することを禁ずるが、しかし、「自衛権」に基づいて自衛戦争を行い、そのための戦力を保持することは否定されていない。  ⇒ 限定放棄説と結び付く

(b) 「戦力」の意味


9条2項において「保持しない」と宣言した「陸海空軍その他の戦力」をどのように理解するか、「自衛権」をめぐる論議と関連して問題となる。

「戦力」の意義についての学説の整理
学説 内容 自衛隊は「戦力」か
転用可能な潜在能力説 「戦力」とは、陸海空軍のように武力として組織されたもののほかに、戦争に役立つ可能性を持った一切の潜在能力を含む。 「戦力」にあたる
警察力を超える実力説 「戦力」とは、通常、軍隊もしくは軍備と呼称されている目的及び実体の両面からみて、対外的軍事行動のために設けられている人的組織力と物的装備力と有事の際これを転用し得る実力部隊をいう。 「戦力」にあたる
近代戦争遂行能力説 「戦力」とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を備えるものをいう。 この見解が主張された当時(※注釈:1950年代前半)の保安隊・警備隊は「戦力」にあたらないとはいえるが、現在の自衛隊が「戦力」にあたるか否かは明確には判断できないことになる
自衛に必要な最小限度を超える実力説
⇒日本政府の公式見解
「戦力」とは、自衛に必要な最小限度の実力を超えるものをいう。 「戦力」にあたらない

(c) 自衛力の限界


政府は、第一次鳩山内閣(※注釈:鳩山一郎、1954~56年首相)の統一見解以来、今日に至るまでほぼ一貫して「戦力」の意味について「自衛に必要な最小限度を超える実力」説に立ち、自衛権に基づく自衛のために必要な最小限度の実力は9条2項の「戦力」に当たらないとする。
このように考えると、「戦力」と「自衛力」の区別が相対的なものとなり、「戦力」に至らない自衛力とはどの程度の実力なのかという困難な問題を生ずる。

政府は、保持できるのは近代戦争遂行能力をもたない防衛用の兵器のみで、他国に対して侵略的脅威を与えるようなものであるとか、性能上相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられるものは保持できないとしているが、兵器の目的や性能によって、攻撃的兵器と防衛的兵器を区別することは非常に難しい。

結局、政府の見解によれば、日本を取り巻く国家ないし国家群がどの程度の実力を保持し、また日本に対して直接または間接に侵略を企てるおそれがどれくらいあるか等、その時々の状況によって「自衛力の限界」が定まることになる。

(d) 自衛行動の範囲


「自衛のため必要な最小限度の実力」は、自衛権を行使することができる地域的範囲をどのように解するかによっても、異なる。
政府は、自衛行動の範囲は日本の領域に限定されるものではなく、自衛権行使に必要な限度において公海・公空にも及ぶと解釈している。
さらに政府は、外国からの急迫不正の侵略により日本が滅亡の危機にある場合において、ほかに自衛の方法がないときには敵基地を攻撃することも許されるとする。

(4) 交戦権の否認


9条2項で否認された「交戦権」の意味について、争いがある。

「交戦権」の意味
A説 国際法上、武力行使に訴える権利とされてきた「国家として戦争を行う権利」と解する説
B説(通説) 武力行使に訴える際、交戦法規により「国家が交戦者として有する権利と解する説

(*) 戦争放棄についての全面放棄説(遂行不能説、峻別不能説)の場合には、ABいずれの説をとることも可能であるが、限定放棄説の立場からはB説と結び付かざるを得ない。

5  日米安保体制と9条


(1) 日米安全保障条約


日米安全保障条約は、1952年、連合国の占領を終結させるサンフランシスコ平和条約が締結された時、それと同時にアメリカとの間で締結された。
その後、防衛力増強の義務を定めた54年のMSA協定を経て、60年に新安保条約が締結された。
その主要な内容は、
第一に、日米の相互防衛の体制を確立し、一方の当事国への武力攻撃に共同して対処することを約している。
但し、そこでの相互防衛は、日本国の施政下にある領域における武力行使に対するものに限られている。
第二に、アメリカ軍を日本国内に配備する権利をアメリカに認めている。

また、1997年9月に、新しい「日米防衛協力のための指針」(新指針)が策定された。
これは、冷戦の終結により国際情勢が大きく変化する中で1978年に策定された「日米防衛協力のための指針」(旧指針)を見直し、「アジア・太平洋」という広大で曖昧な地域に在日米軍を展開させ、物品役務相互協定(ACSA)を日本周辺有事の際にも適用して、日本が水や食糧の補給を行うとともに、物資や人の輸送、侵攻時の機雷掃海、船舶の臨検、情報の提供など後方から全面支援するというものであり、安保条約の実質的な意味転換を図るものであるといえよう。

(2) 駐留米軍の合憲性


米国が日本領土に駐留することは、9条の戦力不保持規定に反しないかについて争いがある。

学説 理由
合憲説 非戦力説 9条2項の「戦力」とは、日本が指揮・管理権を行使し得る戦力、すなわち、「日本の軍隊」を指すものであり、外国の軍隊は、それが日本に駐留するとしても、「戦力」にはあたらない。
暫定措置説 9条の平和主義が国連による集団的安全保障の方式を展望し、その完成に至るまでの過渡的な暫定措置として、外国軍隊の駐留による安全保障の可能性を否認しているとは解されない。
準国連軍説 戦力不保持の規定は、日本の権力の及ぶ範囲内に戦力を置かない趣旨であり、従って、外国軍隊が日本国内に駐留することは違憲であるが、しかし、それを国連軍に準ずるものとみなし得るならば、憲法に違反しない。
違憲説 ①日本政府が締結した旧条約は、駐留米軍が日本区域外に自由に出動できるため、日本が直接関係のない武力紛争に巻き込まれる恐れがあり、憲法の平和主義に反する疑いがある。
②日本が自国防衛の目的で米軍の駐留を認めていることは、指揮権の有無、米軍の出動義務の有無にかかわらず、9条2項の「戦力」にあたる。
憲法欠缺説 憲法制定当時において、米軍の駐留は全く予想されなかったところであり「憲法欠缺」にあたる憲法解釈の限界を超えた問題なので、憲法制定権者たる国民にその判断を委ねるべきである。

《問題点》
アメリカの軍隊の駐留を認める日米安保条約は9条に反しないか。
《要約》
戦力とは我が国が主体となって指揮権・管理権を行使し得る戦力をいい、外国の軍隊は含まれない。
    ↓ また
安保条約は高度の政治性を有するため、一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査は及ばない。
    ↓
アメリカの軍隊の駐留は、違憲無効であることが一見きわめて明白であるとは、到底認められない。

《判例》 砂川事件(最大判昭34.12.16/百選Ⅱ〔179〕)
(事案) デモ隊員がアメリカ空軍基地内へ侵入した行為が、日米安保条約に基づく刑事特別法違反に問われ、日米安保条約の合憲性が争われた事件。
(判旨) 戦力とは「わが国がその主体となってこれを指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり」、結局わが国自体の戦力を指し、「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない」とし、また、安保条約は高度の政治性を有するものであって、一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限り、司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものである、と判示した。

(*) これに対し、一審判決は、日米安保条約によって、「わが国が自国と直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及び虞(おそれ)は必ずしも絶無ではな」いとして、駐留軍が9条2項の戦力に該当して違憲である、と判示した。

(3) 米軍基地等の共同防衛行為


日米安保条約に基づく共同防衛行動は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対処してとられる。
これに関連して、在日米軍基地が攻撃を受けた場合や日本の領海内にある米軍艦船が他国から攻撃を受けた場合、日本の共同行動をどのように説明するかが問題となる。

この点について、米国は集団的自衛権の行使と解する。
しかし、日本政府は、集団的自衛権を行使することは憲法上許されないと考え、在日米軍基地に対する攻撃は日本領域の侵犯行為であり、日本に対する攻撃であるから、それに対処する行動は日本の個別的自衛権の行使であると説く。

(補足事項)


《一歩前進》 集団的自衛権


1 集団的自衛権行使の合憲性


個別的自衛権とは、直接攻撃を受けた国が自らそれを排撃する権利をいいます。
他方集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも拘わらず、実力をもって阻止する権利をいいます。

政府の公式見解は、「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは主権国家である以上、当然であるが、憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであって、憲法上許されない」(1956年5月29日)としています。

他方、国連憲章51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と定めています。
つまり、国連加盟国(日本は1956年12月19日に加盟)は、個別的自衛権は当然のこと、集団的自衛権も行使できます。
日米安保条約5条は、日本とアメリカのいずれか一方が武力攻撃を受けた場合、日米両国とも反撃することができると定めています。
集団的自衛権は、国際慣習法上の権利であり「確立された国際法規」(98Ⅱ)にあたります。
これらを根拠にすれば、日本国憲法上合憲であると解することができます。

2 イラク特措法と集団的自衛権の行使


周知のように、2001年9月11日に、ニューヨークで起こったテロ事件を契機に、アメリカはイラクとアフガニスタンで戦争を始めました。
日本政府は、それに対する「後方支援」のため、「テロ対策特別措置法」と「イラク支援特別措置法」を制定しました。

しかし、これらの特措法は、日本政府が憲法上禁じられていると説明してきた集団的自衛権の行使にあたるのではないかと大きな議論となりました。

また、裁判上も、「イラク支援特別措置法」に基づく自衛隊派遣の合憲性を争う訴訟が、全国で多数提訴されました(芦部・66頁)。
そのうち、名古屋高判平20.4.17(H20重判・9頁)は、原告の請求自体は棄却したものの、傍論ながら以下のような注目すべき判断を示しました(なお、岡山地判平21.2.24/H21重判・3頁、永田=松井・164頁も参照)。

すなわち、
イラクにおける自衛隊の活動は、他国の武力行使と一体化した行動であって、自らも武力行使を行っており、憲法9条1項に違反する。
平和的生存権は、すべての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であり、具体的権利性が認められるというべきである。
平和的生存権の内容が抽象的であることを理由に、その具体的権利性を否定する見解もあるが、内容が抽象的なのは、何も平和的生存権に限らない、
との判断をしています。

《一歩前進》 憲法9条に関する法律について


9条を取り巻く環境の大きな転換点としては、1992年にPKO協力法が成立したこと、1994年に日本社会党(現:社会民主党)の委員長でもあった村山元首相が自衛隊を合憲とする立場への転換を表明したこと、1999年にガイドライン関連法が成立したことなどが挙げられます。

1996年橋本・クリントン会談での「ガイドライン見直し」合意を経て1997年に日米間で合意された「新ガイドライン」は、冷戦後の日米防衛協力のあり方を見直し、現実的視点にたってその具体的方向性を明らかにしたことで重要な意義を有しています。
とりわけ重要なのは、日米両国政府が旧ガイドライン(1978年策定)で合意していた日本周辺の有事に際しての日米防衛協力が具体的に明記されたことです。
この実効性を確保するため、日本の国内的手続法として制定されたのが周辺事態措置法です。
同法は、新ガイドライン関連法の中核的法律として制定されました。

また、2001年の米国同時多発テロを受けて、テロ対策3法(テロ特措法、改正自衛隊法、改正海上保安庁法)が成立しました。

さらに、2006年には、海外での活動が自衛隊の「本来任務」に格上げされ、防衛庁も防衛省に昇格されました。

《一歩前進》 有事法制


ここでいう「有事」とは、武力侵攻や国内の武力蜂起のような場合を指し、従って、軍隊の出動が要請されるような緊急事態をいいます。

有事法制は、たとえどのような憲法を持つ国であれ、必要とされるもののはずですが、「有事」を想定すること自体に反対論があり、長年、未整備の状態が続いていました。

しかし、2001年に起きた同時多発テロ事件、九州南西沖海域で起きた不審船事件、2002年の北朝鮮拉致事件、2003年のイラク戦争などを契機に、2003年に「武力攻撃事態法」等が制定されました。
「武力攻撃事態法」では、外国から武力攻撃を受けた場合等に内閣が対処方針を定めて国会の承認を得るための手続と組織が定められています(芦部・70頁)。

さらに、2004年には、武力攻撃事態に際して住民を避難させる仕組みを定めた「国民保護法」、武力攻撃事態における捕虜等の取扱いについて定めた「捕虜取扱法」、外国の軍用品等を海上輸送する船舶を臨検するための「外国軍用品等海上輸送規正法」、アメリカ軍が日本を守るための行動をスムーズに行えるようにするための「米軍行動円滑化法」などが制定されました。
また、これに関連する条約の批准なども為されました。
このうち、とりわけ「国民保護法」に対しては、むしろ国民の生命、身体及び財産への大きな負担・制約を課すものとの批判が為されています(渋谷・75頁)。

《一歩前進》 戦後補償


戦後補償に関しては様々な訴訟が提起されています。
著名なものとしては、戦時、日本占領下で軍人・軍属や軍隊慰安婦だった韓国人が、その損失の補償や損害の賠償を求めた訴訟があります。
この点、最高裁は、損失の補償については戦争被害であり憲法の予想外の事態であることや、そもそも現行憲法施行前の行為によって生じたものであるから損失補償規定(憲29Ⅲ)の適用がないなどとして請求を認めませんでした(最判平16.11.29/百選Ⅰ〔9〕)。

また、台湾人の元日本兵が恩給法の国籍条項により給付請求権が認められないのは、平等原則(憲14条1項)に反し違憲であるとして国に対し補償を求めた訴訟があります。
これに対して、最高裁は、国籍条項を設けること自体は合理的差別の範囲内であるなどとして請求を認めませんでした(最判平4.4.28/百選Ⅰ〔8〕)。

さらに最近では、戦時、日本軍人から危害を加えられた中国人が、その損害の賠償を請求した訴訟がありましたが、やはり最高裁は、日中共同声明5項に基づいて請求権が失われたとして請求を認めませんでした(最判平19.4.27)。

以上のように、司法府の判断としては、戦後補償については認めない傾向にあるようです。

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