よくわかる左翼憲法論2.2日本国憲法の制定

<目次>


2.2  日本国憲法の制定


2.2.1  憲法制定の過程


ポツダム宣言受諾と憲法改正


1945年8月14日に日本政府が受諾したポツダム宣言は、その10項後段で、「日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙(しょうがい)を除去すべし。原論、宗教および思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるべし」とし、さらに12項では、「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ、平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せらるる」ことを連合国占領軍の撤収の条件としていた。

このポツダム宣言の内容を実現するために、大日本帝国憲法の改正が必要か否かについては、少なくとも、敗戦直後に成立した東久邇宮内閣では、否定的見解が強かった。
「国体護持」を謳って、辛うじて終戦に踏み切った直後であるだけに、憲法の改正を言い出しにくい情勢であったことにもよると思われる。

これに対して、連合国最高司令官のマッカーサーは、1945年10月4日、東久邇宮内閣の国務大臣であった近衛文麿に対し、さらに、10月9日に成立した幣原内閣の首相、幣原喜重郎に対して、ポツダム宣言実施のためには憲法改正が必要であることを示唆した。

幣原内閣は、マッカーサーの示唆を受けて、1945年10月25日、松本蒸治国務大臣を長とする憲法問題調査委員会(通称、松本委員会)を発足させた。
松本委員会は、憲法改正について消極的であり、委員会発足に際しての松本委員長の談話でも、同委員会は「必ずしも憲法改正を目的とするものではなく、調査の目的は、改正の要否および改正の必要があるとすればその諸点を明らかにすることにある」とされていた。
委員会が最終的にまとめた「松本案」といわれる改正草案も、天皇主権を維持し、国会に対して責任を負わない枢密院を残し、国民に対する権利の保障についても広範な法律の留保を設けるなど、保守的なものであった。

総司令部による草案の起草


総司令部は、憲法改正は必要としながらも、改正は日本政府のイニシァティヴで進められるべきものとの立場をとっていたが、1946年2月3日になって、マッカーサーは、総司令部が独自に改正草案を作成し、これを日本側に提示すべきだとの立場をとるに至る。
この方針転換の背景には、以下のような2つの考慮が働いていたと考えられる。

第一に、極東委員会の発足前に、憲法の改正を進めるべきだとの考慮である。
日本占領軍は、少数のイギリス軍の他は、アメリカ合衆国軍によって構成されていた。
ソ連をはじめとする他の連合国は、そこで極東委員会という機関を設け、日本の占領統治をコントロールすることを要求し、アメリカ政府もこれを受け入れた。
マッカーサーとしては、この委員会に手を縛られる前に、本国政府および総司令部の考える方向での改正を進めておくべきだとの意向であったと考えられる(佐藤達夫 [1994] (3) 210-25頁)。

いま一つの考慮は、毎日新聞による松本案のスクープという全くの偶然事に由来する。
松本委員会の審議内容は秘密とされ、総司令部もその内容については知らされていなかったが、1946年2月1日、毎日新聞が、「松本案」のスクープ記事を掲載した。
実際には、毎日新聞がスクープしたのは、委員会の最終案ではなく、それよりは進歩的な「宮沢甲案」であったが、それでも総司令部の予想よりはるかに保守的なものであった(高柳他 [1972] 41-75頁)。
そこで、マッカーサーは、総司令部独自でポツダム宣言の内容に合致する草案を作成し、日本政府に提示して、政府がこの案に沿った形で憲法改正案をまとめることが望ましいと考えた。

マッカーサーは、2月3日、総司令部民政局(Government Section)のメンバーに憲法草案の起草を命じ、その際、草案に必ず盛り込むべき原則として、①天皇制の存続、②戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認、③封建制度の廃止と貴族制の改革、の3点を示した。
いわゆるマッカーサー・ノートである(高柳他 [1972] 99-107頁)。
総司令部は、2月13日、吉田茂外相官邸での会談において、総司令部案を日本政府側に手渡した。

日本国憲法の誕生


日本政府は、結局この総司令部案を基礎として改正を行うことを受け入れ、松本国務大臣の下で、総司令部案に相当の修正を加えた「3月2日案」を作成する。
さらに、総司令部との折衝の結果、3月6日に「憲法改正草案要綱」を閣議決定した。

ついで、4月10日に衆議院議員の総選挙が行われ、最後の帝国議会の衆議院議員が選出される。
政府の憲法草案は、枢密院での審議を経た後、6月25日に衆議院本会議に上程され、衆議院で約2ヶ月、貴族院で約1か月半に亘る審議を経た後、10月7日に確定され、枢密院での審議、天皇の裁可を経て、同年11月3日に公布された。
施行は、憲法100条の定めるとおり、公布後6か月を経た1947年5月3日である。

【押しつけ憲法論】
本文で述べたような日本国憲法制定の経緯から、現憲法は総司令部によって押しつけられたものであるから無効である、あるいは新たに「自主憲法」を制定する必要があると主張されることがある。

憲法改正草案要綱に示された後の選挙で選出された衆議院議員を含む帝国議会で十分な審議を経て制定された憲法を、押しつけられたと言い得るか否か疑わしいが(芦部・憲法27-29頁参照)、たとえそれが押しつけであるとしても、国民に押し付けられたという意味では、大日本帝国憲法も天皇(あるいはその名において行動した政府)によって押し付けられた欽定憲法であることに注意する必要がある。
現在は国民主権であるから天皇主権下の時代とは異なるという反論は意味をなさない。
国民主権原理自体も、連合国によって押し付けられたものだからである。
押し付けられたもののうち、国民主権原理のみは所与の前提として受け入れ、それに基づいて憲法を排撃しようとする議論は、あまりにも都合の良過ぎる議論であろう。
首尾一貫させるために国民主権をも押しつけられたものとして排撃するならば、天皇主権へ回帰することとなり、結局天皇による憲法の押しつけを免れ得ないことになる。
押しつけ憲法論は、そもそも内在的に一貫した議論として成り立ち得ない。

2.2.2  日本国憲法制定の法理① - 八月革命説


日本国憲法は、形式的には明治憲法の改正として、明治憲法73条の定める改正手続に則って成立した。
しかし、その内容をみると、明治憲法とは全く面目を一新しており、新しい憲法の制定と考える方が相応しい。
とくに、明治憲法で統治権の総攬者とされた天皇が、単なる象徴とされ、新たに国民が主権者として位置付けられている点は、憲法改正の限界を超えるものと見ることができる。
このような国民主権原理の確立と日本国憲法の制定とが如何にして正当化し得るかについては、宮沢俊義教授のいわゆる八月革命説が一般に受け入れられてきた。
その概要は以下のとおりである(宮沢 [1967])。

法的意味における革命


国政の最終的な決定権という意味での主権は、明治憲法下では本来、天皇にあった。
ところが、敗戦時に日本政府が受諾したポツダム宣言の12項は「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ・・・・・・政府が樹立せらるる」ことを要求している。
これは国民主権の確立を要求するものであり、ポツダム宣言の受諾により、日本の主権は天皇から国民へ移ったことになる。
このような主権の転換は、法的意味における革命と考えることが出来る。
現行憲法は、国民主権原理を採用しているが、これはポツダム宣言の受諾に伴う主権の転換の帰結を宣言しているに過ぎず、創設的な意味を持つものではない。

主権原理の転換と改正の限界


現行憲法は明治憲法の改正手続に則って制定されたが、本来、明治憲法の改正手続を通じて憲法の根本原理である天皇主権の国民主権への転換を行うことは、憲法改正の限界を超えており、法的に不可能のはずである。
これが可能であるとすれば、それはポツダム宣言の受諾によってすでに主権原理が転換し、国民主権原理と抵触する限りにおいて、明治憲法の意味内容に根底的な変更が加えられていたからである。

さらに、ポツダム宣言の受諾によって主権原理が転換し、明治憲法の意味内容が根底的に変化している以上、改正手続のうち、貴族院、枢密院の審議裁決、および天皇の裁可は、法的には不必要であった。

2.2.3  日本国憲法制定の法理② - ノモス主権論


八月革命説に対しては、ポツダム宣言の受諾は、日本に国民主権の確立を義務付ける債権的効果を持つにとどまり、ただちに国民主権への移行をもたらす物権的効果は有しないのではないかとの批判や、日本が占領下に置かれ、国家としての主権を喪失しているにも拘わらず国政の最高の決定権の国民への移行を論ずる意味はあるのか等の批判がある。
中でも、明治憲法と日本国憲法との根本的な連続性を主張し、宮沢教授との論争に発展した尾高朝雄教授のノモス主権論が注目に値する。
その概要は、以下のとおりである(尾高 [1954])。

主権はノモスにある

国政のあり方を最終的に決定する者が天皇であれ、国民であれ、その決定は、法の根本原理たるノモス(nomos)に従っていなければならない。
ノモスとは、所与の具体的条件の下で、できるだけ多くの人々の福祉をできるだけ公平に実現していかなければならないという規範である。
国政が、常にこのノモスに従っていなければならない以上、主権はノモスにあるというべきである。

明治憲法では天皇にあった主権が、新憲法の下では国民にあるといわれることがあるが、いずれの憲法の下でも主権はノモスにあり、従って新憲法制定による変革は、日本の国家組織を根本的に変えるものとは言えず、日本の「国体」は変化していない。

【正義と理性の主権】
ノモス主権という考え方は、尾高教授に固有のものではなく、類似する思想は多い。
たとえば、ギゾー(Guizot, F. P. G.)、ロワイエ=コラール(Royer-Collard, P.-P.)などフランスの王政復古期に活躍した正理論派(doctrinaire)の論者は、ルソーの説く人民主権論は、無知な大衆による衆愚政治を招くとして批判し、社会を支配する唯一の主権は、正義と理性の主権(souverainete de la justidee rt de la raison)でなければならないと説いた。
つまり、主権は人民の多数派の意思の実現を目的とすべきではなく、人民の福祉にとって公正であり、合理的であるところを実現すべきであるとした。

2.2.4  両説の検討 - 憲法の科学


「主権」をどう捉えるか


八月革命説とノモス主権論との対立の中心には、「主権」という概念の捉え方がある。

宮沢教授のように、国政のあり方を最終的に決める力として主権を捉えるならば、この力を有するのは具体的な人間でなければならず、天皇か、国民か、それとも他の誰かかという形で答えられねばならない。
たとえ、国政がノモスに従っていなければならないとしても、ノモスの内容を判定する者は誰かという問いに答えない限り、主権の問題は解決しないことになる。

もちろん、尾高教授のように、国政に関する決定が常に従わなければならない規範を主権の在りかとする主権の捉え方もあり得、その限りでは、両説の対立は概念の組み立て方の問題となり、簡単には決着がつかないことになる。
しかし、尾高教授のように、国政の最終的決定権者が変わっても国家組織の根本的変動はないとの立場をとると、フランス革命もロシア革命も、革命とはいえないことになり、常識と大きく異なる言葉の用法だといえよう。

「憲法の科学」と八月革命


八月革命説とノモス主権論との対立は、いずれが「憲法の科学」として妥当であるかについての対立であるとされることがあるが、そこで言われている「科学」の意義については慎重な検討が必要である。
八月革命説を取ろうと、ノモス主権論を取ろうと、我々は実際に起こった歴史的事実を残らず知ることが出来る。
「八月革命」は、これらの具体的事実と並ぶもう一つの事実ではなく、これらの事実に関する一つの描写の仕方、一つの解釈である。
八月革命説も、ノモス主権論も、具体的な事実の摘示によって「反証」されることはなく、従って反証可能な仮説としての「科学」ではあり得ない。

もっとも、これは八月革命説がいかなる意味でも「憲法の科学」ではあり得ないことを意味しない。
法の「科学」は、事実によって反証可能な仮説の構築と、そのテストに限られるわけではない。
法的関係を認識し、記述する学問は、単に、外的に観察し得るデータを記述するだけではなく、その法的関係にコミットする参加者の視点から見て、それらの観察し得るデータが如何なる「意味」を持っているかを理解し、認識する必要がある。
たとえば、交通ルールの研究者は、赤いランプが点灯した際、何パーセントの車が停止するかを記録するだけではなく、運転者がそれを「停止せよ!」という意味を持つ「信号」として理解し、それを自己および他者の行動の評価基準として受け入れていることをも記述する必要がある。

八月革命説が「憲法の科学」であるとすれば、それが、戦後の憲法体制を戦前の国家体制と正統性根拠の点で切断された体制として受け入れ、コミットする人々から見て、明治憲法から現行憲法への移行が、如何に首尾一貫して説明され得るかを明らかにしているからである。
従って、八月革命説は、その本来の姿においては、つまりそれにコミットする人々から見れば、一つの実践的立場の表明である。
それが「科学」であり得るとすれば、宮沢教授がそのような立場にコミットせず、そのような立場を「記述」することに終始している限りにおいてである。
同様のことが、対立する実践的立場についてであるが、ノモス主権論に関してもいえる。

【内的な視点】
法の認識に、外的に観察し得るデータの記述のみではなく、制度参加者の視点からの、つまり「内的な視点」からの記述も含まれることは、ハート(Hart, H. L. A.)など、多くの論者によって指摘されている(ハート・法の概念 91-100頁)。
この問題については、長谷部 [1991] 第7章参照。

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