佐藤幸治『憲法 第三版』抜粋

<目次>


■1.佐藤幸治『憲法 第三版』の紹介

『憲法 第三版』 (佐藤幸治:著 (1995年))
佐藤幸治 は、佐々木惣一~大石義雄と続く京都学派憲法学の代表学者であり、J.ロックの「信託」説をベースとしたその憲法論は宮沢俊義~芦部信喜の東大憲法学(戦後左翼の通説的憲法論)に次いで大きな影響力を持っている。政治的スタンス5分類/8分類では 折衷的な中間派 に分類するとわかり易い(※参考ページ:政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価)。


■2.第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開 第一章 憲法の基本観念


佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) 第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開


第一章 憲法の基本観念


<目次>


■1.第一節 憲法の生成と展開


◆Ⅰ 「憲法」の語


「憲法」という語は、
おきて、のり、というように法一般の意味と、
国家の基本にかかわる根本法という意味
との二つを含む。
①は古い用法で、「十七条憲法」がその典型例であるが、明治に入ってもかかる用例が認められる(例、木村正辞編・憲法志料)。
②は、明治維新後、英語の constitution (仏語も同じ)の訳語として新しく登場したものである(例、林正明訳・合衆国憲法)。
徳川末期に constitution に接して以来、それにあたる言葉として「国憲」、「政規」、「国制」、「政体」など様々のものが案出されたが(明治維新直後に公布された「政体書」は constitution に相当するもの)、明治15年の頃より公定用語として「憲法」の語が使用されるようになり(伊藤博文を「憲法取調」べのため欧州に派遣するにあたっての勅語の中に、「欧洲各立憲君治国ノ憲法ニ就キ其淵源ヲ兼ネ其沿革ヲ考ヘ其現行ヲ視利害得失ノ在ル所ヲ研究スヘキ事」とある)、明治22年に「大日本帝国憲法」が公布されるに及んで、constitution に相当するものとしての「憲法」の用法が決定的なものとなった。

ところで、constitution はラテン語の constitutio に由来するが(constitutio は皇帝の制定法とか、後には教会の規則などを意味した)、当初は国家の法一般の意味で用いられたようである。
しかし、国家の全法秩序の中には、より基礎的な根本法(fundamental law)があるという観念がイギリスにおいて成立し、それとロックに代表される自由主義的な近代自然法思想における社会契約の観念とが結合して、ここに国家の根本法としての近代的な憲法観念が成立し、そのような姿において constitution が徳川末期に我が国に入ってきたのである。

◆Ⅱ 立憲主義の成立と展開


◇(1) 近代以前と立憲主義


憲法は、最広義においては、およそ国家の組織・構造の基本に関する法を意味する。
かかる意味での憲法なき国家はあり得ず、それはあらゆる時代のあらゆる国家について妥当する。
ところで、およそ国家統治の本質は権力であり、その権力の背後には顕在的もしくは潜在的に強制力が控えている(レーヴェンシュタイン)。
原初的段階にある国家にあっては、この権力を扱う権力保持者による権力服従者に対する権力行使のあり方に関し、何らかの拘束力ある明確な規則というようなものはなく、宗教的信条とか伝統的な慣習あるいはときには単なる便宜ないし恣意に委ねられていた。
しかし、人間の本性の省察に基づき、権力保持者による権力の濫用を抑制するための装置を積極的に創出し、それを政治過程に嵌め込むことによって、あるべき国家体制の保全を図り、権力名宛人の利益を守ろうとする努力がみられるようになってくる。
我々は、それを既に古典古代ギリシャ、ローマにおいてみることができる(ギリシャ人は、自由社会を自分たちの言葉として語り、意識し、それを築こうとした最初の人間であるということは広く承認されている)。
そこでは、政治権力を幾つかに分割し、それらの相互的な牽制によって権力の濫用を防止しようとする様々な試みがなされている。
このように権力保持者による権力濫用を意識的に阻止し、権力名宛人の利益保護を憲法の終局の目的と捉えた場合、この段階に至ってはじめて人類は憲法をもったと称することができる。
ここにおいてはじめて憲法に基づいて政治を行なうということの意義が認められるもので、これを立憲主義と呼ぶならば、立憲主義は近代固有のものではなく、既に古典古代において成立していたということができる。
これを立憲主義の第一段階ないし古典的立憲主義と呼ぶことにする。
この立憲主義は中世およびルネサンス期のイタリアの都市国家などでもみられるもので、とりわけヴェネツィア共和国は、権力濫用を抑制し独裁的な絶対主義を阻止するための極めて複雑かつ多元的な抑制・均衡のシステムを案出し保持したことで知られている。

◇(2) 近代立憲主義の登場


古典的立憲主義は、中世の封建体制下において、また近代絶対主義国家における君主の圧倒的な支配の前に、背後に退くことを余儀なくされたが、近代市民革命を契機に、新たな理念と構想の下に再生した。
近代市民革命は、市民階級の経済活動面における絶対君主制に対する不満を梃子に、かつ、ルネッサンス運動期に醸成された個としての自覚を媒介とする個人の自由という基本観念の下に、生起したといわれる。
つまり、近代市民革命は、国家(公)に対して個人の自由の領域(私的領域)の存在を設定し、かつそれを積極的に評価し、国家(公)はかかる私的領域の確保のためにこそ存在理由があり、従って国家の活動もそのような目的のためのものに限定されると捉えるところに本質をもち、そのための具体的方策として憲法の意義が明確に自覚され、そのあり方をめぐる認識が深められるところとなったのである。
かくして国民の自由・権利と、そのための権力の構成と行使のあり方を、正式な文章において確認するという考え方が生まれた。
議会制が発達し、マグナ・カルタやコモン・ローの発展などによって国王の権力濫用に対する抑制装置が既に十分に確立されたイギリスでは成文憲法の制定をみるところとはならなかったが(もっとも、クロムウェルの統治典範(インストルメント・オブ・ガヴァメント)(1653年)のような例がみられた)、アメリカやフランスにおいて相次いで成文憲法の制定をみるに至った。
1776年のヴァージニア権利章典はロック流の天賦人権・国民主権・革命権などを規定し、次いで採択された「政府の組織(Frame of Government)」において権力分立機構を定め、ここに近代的成文憲法の範型が成立した。
1789年のフランスの「人および市民の権利宣言」は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」(16条)と宣明しているが、我々はここに近代立憲主義の心髄の簡潔な要約をみることができる。
立憲主義といっても、上述の古典的立憲主義は、国家(公)に対する「私」の積極的評価の観念の下に成立したものではなく、むしろ個人の幸福は国家の幸福(公的幸福)の中にこそ存するとの考え方を基盤とするものであった点が注意されなければならない。

このように近代立憲主義は、成文憲法を制定して個人の人権を保障し、権力分立を定め、その一環として国民の国政参加への途を開いたが(従って、近代立憲主義は同時に立憲民主主義であった)、しかし、近代立憲主義は国民大衆の積極的な政治参加に必ずしも好意的ではなかったという側面をもっていたことに注目する必要がある。
元来革命というものは国民に直結する議会に権力を集中しようとする傾向(いわゆる会議制的統治形態)をもつが、アメリカの諸邦でも当初議会全能の傾向を現出せしめた。
そのことは革命保守派の警戒心を強めるところとなり、ここに主権者たる国民を憲法制定権力として把握し、国民の直接の関与の下に成立した憲法をもって議会の活動を抑制しようとする構想が登場することになる。
1780年のマサチューセッツ憲法がそれで、憲法制定に憲法制定会議と人民投票を採用した最初の憲法であるが、それは国民主権を建前としてたてつつ議会の権力を抑え込もうとする巧妙な考案であった。
1788年発効の合衆国憲法は、このマサチューセッツ憲法の延長線上にあるといえる。
違憲立法審査制もかかる背景において生まれてくる。
フランスでは、中道左派を多数とする国民議会が、1789年の人権宣言を前文とする憲法を1791年に成立せしめたが、この憲法では、人民大衆に対する警戒から、意識的にルソー流の「人民主権」を避けて「国民主権」とされ、主権者たる国民はただ「委任」によってのみその主権を行使できるものとされた(この点については、第四節Ⅱ(57頁)で論及する)。
この「委任」は包括的・集団的な代表委任であって、代表者を拘束するような国民の意思の存在は忌避され、代表者は国民の選挙によって選ばれることを不可欠の要素としなかった(議会とともに国王も代表者とされた)。
英米でもフランスでも制限選挙制であった。

◇(3) 成文憲法の普遍化


18世紀末のアメリカおよびフランスにおける成文憲法の制定は他の諸国にも強い刺激となり、19世紀に入ると国家という国家のほとんどが成文憲法を制定するようになった。
君主国とて例外ではなかった。
かかる現象を捉えて19世紀は「憲法の世紀」とも呼ばれることがあるが、成文憲法の普遍化時代であり、立憲主義の第三段階と称することもできよう。
ただ、それとともに、超越的ないし道徳的な自然権思想が後退して実証主義的な権利観念が強まり、憲法概念も、価値的ないし目的的要素を希薄化ないし消失せしめて、形式化していった。
そうした傾向の中で、立憲主義の外見によって旧体制の温存を図ろうとするようなものもみられるようになる。
いわゆる外見的立憲主義である。
大日本帝国憲法もかかる系譜に連なるものである。
このような限界はあったが、成文憲法の普遍化という現象は、後の世代がより徹底した自由・権利の保障と民主主義を要求する基盤を提供するという機能を果たした点は看過してはならないであろう。

◆Ⅲ 現代立憲主義


◇(1) 近代立憲主義の変容


既に示唆したように、近代立憲主義は、各個人の自由かつ自律的な活動の中にこそ人間の幸福の鍵があり、各個人の競合のうちに見えざる手の働きにより社会的調和が形成維持されると措定し、国家は個人のかかる自由な活動と社会の自律的運行の外的条件の必要最小限の整備にその役割を限定されるべきで、極端に表現すれば国家権力の活動の場が少なければ少ない程よいとの考え方に立脚していた(消極国家ないし最小限国家)。
かかる考え方と制度を背景に、経済面についていえば、資本主義が進展するところとなったが、しかし、それとともに国民の間に貧富の差が拡大し、各種の矛盾と社会的緊張を惹起するところとなった。
人間の自由・権利の享受の実質的平等を要求し、政治の民主化を通じてその達成を図ろうとする動きが顕著となり、それとの対応において近代立憲主義も変容を迫られるところとなった。

◇(2) 積極国家(社会国家)化


右の動きに対して政府は当初強圧策をとったが、やがて国民の社会・経済生活に積極的に介入し、経済危機の回避と社会的緊張の緩和に努めるようになった(積極国家化)。
政府自らによる積極的な産業基盤の整備、厖大な国家財政資金の投融資などの推進、最低賃金・労働時間規制法などの制定、各種社会保障政策の積極的展開がそれである。
かかる傾向を、憲法レヴェルではじめて体系的に表現したのがドイツの1919年のワイマール憲法であった。
同憲法は、「所有権は義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきである」(153条)と規定し(こうした規定の仕方は、「権利の倫理化」傾向を示すものといえる)、社会権的基本権と呼ばれる労働基本権などの保障や包括的保険制度の設立などについて規定するに至った。
その後生まれた憲法は、多かれ少なかれこの種の規定を採り入れた。
その傾向はとりわけ第二次大戦後顕著であって、1946年のフランス第四共和制憲法は自らを「社会的共和国」と宣言し、1947年のイタリアの憲法は「労働に基礎をおく民主共和国」と謳い、1949年のドイツの憲法はその性格規定として社会的法治国家たる旨宣言した。
なお、二世紀程前の憲法がなお妥当しているアメリカ合衆国の場合は、社会権的基本権が憲法上明記されるには至っていないが、憲法判例の変更の結果労働条件などの改善に関する法制化が進み、また既存の平等条項やデュー・プロセス条項などの解釈操作を通じて社会権的なものを憲法的に保障しようとするようになっている。

もっとも、この社会権的基本権が現代国家の憲法の人権保障体系の一大支柱をなすに至ったとしても、そのことは、自由主義的な近代国家を基礎づけた自由権的基本権体系と権力分立ないし抑制・均衡の体系を放擲し、あるいはそれを単に克服さるべき対象として捉えるに至ったことを意味しない。
むしろ、両者の調和ある共存を企図しているところに現代立憲主義の特徴がある。
そのことは、ドイツの憲法が社会的《法治国家》性を謳っていることの中にも示されている。
ただ、社会国家の追求は、国家の巨大化・硬直化を内包する“管理化国家”ともいうべき事態を惹起する危険を随伴していることは否定できない。

◇(3) 議会制の変貌 - 政党国家


一般に(アメリカの場合はやや事情を異にするが)近代議会制は、国民代表観念により選挙民の指図から解放された議員よりなる議会に、国民の自由の守護と統合の機能を発揮せしめようとした。
が、資本主義の進展に伴う社会的矛盾と緊張を背景とする政治の民主化の要求の高揚は、選挙権の拡大(終局的には普通選挙の確立)を帰結するところとなり、それと共にかってのように議会の超然さを許さなくなり、むしろ議会は実在する民意を忠実に反映・代弁すべきであると考えられるようになる。
このような事態は、フランスでは、古典的な「純粋代表」に対比して「半代表」という言葉で表現されることがある。
イギリスにおいて、「法的主権は議会にあるが、政治的主権は選挙民にある」といわれるような事態も、かかる文脈において理解できるものである。

この過程で重要な役割を果たしたのは政党である。
そして政党は、組織化を強め、国政レヴェルにおけるその重要性を高めて行く(政党国家の現象)。
その結果、議員は議会における自由な討論に基づいて意思を形成し表決するというよりも、政党の党議に従って行動する存在と化し、議会における意思形成は政党間の確執と妥協の下に行なわれるようになる。
そして、社会の階級対立の激しさに比例して政党間の妥協が困難となり、議会の意思形成・統合能力を失わせることになり、ドイツのように「左」「右」の挟撃にあって議会制が沈没してしまうところも出てきた。

第二次大戦は、議会制を潰した後には結局最悪の圧制しかあり得ぬことを実感せしめるところとなって、大戦後種々の方策を講じて議会制の修復・維持が図られることになる。
この点については後に詳述するが、一つは、政党を憲法体系上明確に位置づけようとする試みであり、第二は、直接民主制の部分的導入と地方自治の拡充によって議会制を補完せしめようとする試みである。

◇(4) 行政権の役割増大 - 行政国家


積極国家化は、政府による社会・経済過程へのきめ細かな対応・介入を随伴し、しかもこの対応・介入は立案された計画の下に進められることが要請される(計画行政)。
この計画化は、一方では資本主義体制下では果たして真に可能かという疑念(真の計画化は社会主義国家においてのみ可能であるという主張)、他方では“隷従への道”であるとの批判(ハイエク)に曝されながら、客観的事実としては国民の各生活領域におし拡げられ、それに随伴して行政権とりわけ官僚の役割増大を帰結している(行政国家)。
かってのような権威と統合機能を喪失した議会が、専門的知識と技術を要求される現代的行政需要に迅速かつ的確に対応することはあまり期待できない。
法律は行政をしばるというよりも、自由なる行政の根拠を一般的に提供するという役割を果たすことになりかねない。

かかる状況で編み出された一つの方途は、行政の長を国民の直接の選出にかからしめてその基盤を強化し、行政権に民意を反映させつつ官僚に対する指導力・統制力を発揮せしめようとすることである。
フランス第五共和制憲法下の大統領制は、その典型例である。
が、それは独裁制への危険を内包するとともに、そのような方途によって多面的な民意の各種行政への反映や行政の公正さを直ちに達成できるかの疑問は残る。
各種行政委員会や審議会の設置、オンブズマン構想、国民の権利に影響する計画策定や行政決定過程に利害関係者を参加せしめて適正さを確保しようとする試み(行政手続法制の整備)、情報公開制度の確立、行政の司法的統制強化への志向などは、リヴァイアサン化した行政国家に対する対応方法の模索を表わすものである。

◇(5) 憲法の規範力強化への試み - 司法国家


議会の相対的地位の低下と関連して、憲法の規範力を裁判所を通じて確保・強化しようとする傾向が顕著となってきている点も、現代立憲主義の特徴である。
近代国家と比較して、現代国家における憲法の規範力の低下を指摘する声も強い。
が、アシカにそういえる余地のあることは否定できないとしても、少なくとも憲法制度的にみるならば、憲法の規範力強化への志向が顕著であることも事実である。
かつて議会は自ら憲法の擁護者をもって任じ、法律が人間理性の発露たる一般的・抽象的規範と観念されていた段階では、議会による憲法侵害という問題は顕在化せず、憲法と法律との質的区別さえそれ程明確ではなかった。
この点、革命初期の立法権全能思想の下での経験に照らして形成された憲法下において、いち早く違憲立法審査制を確立せしめたアメリカ合衆国の例はきわめてユニークなものであった。
それが、上述の議会制の凋落-立法権不信を背景に、かつ基本的人権保障の緊要性の自覚の下に、立憲民主制下の諸国の憲法体系に採り入れられるところとなったのである。
この推移は、「自然的正義」→「実定的正義」ないし「法的正義」→「憲法的正義」として表現されることがある(カペレッティ)。

もっとも、「憲法的正義」実現の方法は、各国の歴史的事情を反映して一様ではない。
裁判所に対する信頼感の強い英米法系の国では、通常の司法裁判所が「憲法的正義」の実現の主たる担い手となったのに対し、大陸法系の国では、憲法裁判所という特別の裁判所がその任にあたる傾向がある。
旧体制(アンシャン・レジーム)下における経験から伝統的に裁判所不信が強いフランスでは、裁判所以外の機関(第四共和制憲法下の憲法委員会、第五共和制憲法下の憲法院)に憲法審査を行なわせる傾向がある(憲法院の審査は予防的にすぎず、アメリカ型の付随的審査ともオーストリア=ドイツ型の抽象的審査とも異なるが、理由を付した形で審査結果が示され、1789年の人権宣言が審査基準とされるなど司法的審査への接近を思わせる。こうした憲法院の活動に伴って、憲法学の法律学化の傾向がみられるという)。

◇(6) 平和国家への志向


元来戦争は立憲主義にとって最大の敵であるはずである。
とりわけ現代戦争は総力戦であって、人権(私的領域)の徹底的な制限・破壊を伴い、立憲主義体系に壊滅的な打撃となる。
第一次大戦、とくに第二次大戦はこのことを痛感せしめるところとなり、平和主義・国際協和主義への志向を憲法体系の中に取り込み、憲法自体において明記するものがみられるようになった。
<1> 1946年のフランス第四共和制憲法は、フランスが国際公法の規則に従うこと、制服を目的とする如何なる戦争も企てないことなどを宣言し(前文)、
<2> 1947年のイタリアの憲法も、イタリアは他国民の自由を侵害する手段として、および国際紛争を解決する方法として、戦争を否認し、他国と互いに等しい条件の下に、諸国家の間に平和と正義とを確保する秩序にとって必要な主権の制限に同意し、この目的を有する国際組織を推進し、助成すると規定している(11条)。
<3> さらに、1949年のドイツの憲法も、ドイツは法律により主権作用を国際機関に移譲できるとし(24条1項)、また、平和維持のため相互集団安全保障制度に加入できるが、その際ヨーロッパおよび世界諸国民の平和的共同生活を妨害する恐れがありかつそのような意図で為された行為、とりわけ侵略戦争の遂行を準備する行為は違憲であり、かかる行為は処罰されるべきものと規定している(26条1項)。
<4> 日本国憲法の定める戦争放棄・国際協和主義もかかる文脈において理解され得るが、その中でも特筆すべき内容をもっている。

◇(7) 憲法とその措定する人間像の変容


近代立憲主義には、いわば抽象的な「完全な個人」を措定し、そうした人間像を前提に人権や統治のあり方が考えられたようなところがある。
そして、「身分」からの自我の解放を目指した近代人にとって、集団ないし結社は自我の確立を妨げ、個人の自由な活動の前に立ち塞がり、あるいは公共性をかき乱し、安定した外的な統治機構を瓦解に至らしめるものと映じたようである。

しかし、現実の人間は、自己を取り巻く様々な社会経済的諸条件に縛られ、その関係する様々な人間集団の規律や方針などとの絡み合いの中で行為するところが少なくないはずである。
上述のように、資本主義の進展は、近代立憲主義がその出発点とした建前と現実との乖離を次第に露わなものとした。
ここに、社会の中における具体的人間に即して、権利の保障や統治のあり方が考えられるようになった。
社会権的基本権の保障に象徴される、上述の積極国家観の登場である。
人間にとっての集団の意義も自覚され、実際、各種組織が発生した。

しかし、そうした積極国家は、具体的人間像を出発点としながら、ともすると人間を抽象化し、管理化された機構の中に人間を封じ込めてしまう契機をもっているかにみえる。
全体主義はそうした危険の極大化現象ともいえるが、例えばドイツの憲法にみられるように、第二次大戦後生まれた憲法が「人間の尊厳」を謳っているのは、そうした経験の反省に基づくものである。
近代立憲主義が「完全な個人」を措定した点は問題だとしても、各個人が普遍的な「自然権」をもつとする道徳原理を基礎に据えながら、現実の国家状況の中で、そのような権利の具体化のあり方を探り続けることがますます重要な課題となっているといえよう。
現代人権論において、人格権とか人格的自律権の意義が説かれるのも、この課題と関係している。

◆Ⅳ 社会主義国家の憲法


◇(1) 社会主義国家の出現と展開


先に近代立憲主義とその変容としての現代立憲主義の展開をみてきたが、現代国家のもう一つのあり方を示すものとして社会主義国家の憲法体系が注目されてきた。
1917年の10月革命によって成立したソヴィエト政権は、翌年1月「勤労し搾取されている人民の権利の宣言」を発したが、それは「人間による人間のあらゆる搾取の廃止、階級への社会の分裂の完全な廃絶、搾取者に対する容赦ない抑圧、社会主義的な社会組織の確立、およびあらゆる国における社会主義の勝利」を謳うもので、その後の社会主義的人権保障体系の発展の基本的性格を規定するとともに、社会主義国家における統治構造のあり方をも規定する重要な意義をもつものであった。
同年、この権利宣言を第一編に収めてロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国憲法が成立し、その後24年のソヴィエト社会主義共和国憲法を経て、36年にいわゆるスターリ憲法が制定され、ソ連邦は「労働者と農民の社会主義国家」であることを謳う(1条)とともに、「ソ連邦の政治的基礎は・・・・・・プロレタリアート独裁の獲得の結果として成長し堅固になった勤労者代議員ソヴィエトである」と規定した(2条)。
そして1977年の憲法は、ソ連邦を「成熟した社会主義的社会関係の存する社会」(前文)と規定し、18年、24年、36年の憲法の「思想と諸原則を継承し」た上で成立するところの、「労働者階級、農民、インテリゲンチア・・・・・・の意思と利益を表現する社会主義的全人民国家である」と定めた(1条)。

ソ連邦の影響の下に、第二次大戦後の社会政治的革命を通じて、東欧諸国などにおいて人民民主主義憲法が誕生した。
中国では、建国当初に臨時憲法の役割を果たした「中国人民政治協商会議共同綱領」(1949年)の後に、新民主主義から社会主義への過渡期型の1954年憲法、プロレタリア階級独裁下の継続革命思想を謳った「文革」型の1975年憲法、政策転換期型の1978年憲法、現代化推進に踏み切った 1982年憲法というように、四つの憲法の制定をみている。

◇(2) 社会主義憲法の特徴


上述の現代立憲主義が近代立憲主義を修復補正しつつその延長線上に立とうとするのに対し、社会主義諸国の憲法はむしろ近代立憲主義の原理を否定し、全く新しい社会主義革命の原理を具現しようとする点で大きな特徴をもつ。
かかる目的のために社会主義諸国の憲法は、権力分立制を否定し、中央集権的な会議制的統治形態を採用した。
例えば、
<1> 77年のソヴィエト憲法は、ソヴィエト国家の組織と活動は「民主主義的中央集権制の原則」によるものとし(3条)、「ソ連邦の最高国家機関は、ソ連邦最高会議であ」って、「憲法によってソ連邦の権限に属するすべての問題を決定する権能をもつ」と規定した(108条1項・2項)。
<2> また、82年の中華人民共和国憲法は、自らを「労働者階級の指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の社会主義国家である」と規定する(1条1項)(78年憲法では「プロレタリア階級独裁の社会主義国家」となっていた)とともに、「全国人民代表大会は、最高の国家権力機関である」と規定し(57条)、「中華人民共和国の国家機構は、民主集中制の原則を実行する」と定めている(3条1項)。

◇(3) 社会主義国家の激変


社会主義国家は、右のような特徴をもつ憲法の下で、社会主義の理想を追求したが、いわゆる民主集中制は巨大化・硬直化する官僚制的支配を帰結し、その徹底した情報管理・情報統制と相俟って、社会のダイナミズムの欠如をもたらした。
世界的規模で進行する情報社会化の波に抗しきれず、また、社会経済的諸困難に直面して、社会主義国家は、あるいは瓦解しあるいは大きな変貌を余儀なくされた。
例えば、ソ連邦は解体し、1993年12月に公布、即日施行さえた「ロシア連邦憲法」は、「ロシアは、共和制統治形態の民主的な連邦法治国家である」(1条)と謳い、条文上は明確に立憲主義憲法の系譜に属するものとなっている。
これに対し、中華人民共和国は、1982年憲法の政治体制を維持しつつ、社会主義市場経済の発展を図ろうとしている(1993年の憲法改正により、「改革開放を堅持」することを序言の中に明文化している)。


■2.第ニ節 憲法の意義・種別・特性・効力


◆Ⅰ 憲法の意義


◇(1) 実質憲法と形式憲法


既に述べたように、憲法は国家の根本法の意であるが、委細にいえば、憲法は様々な意味に用いられる。
まず、憲法の存在様式に関連して、形式的意味における憲法ないし形式憲法と実質的意味における憲法ないし実質憲法との別が生ずる。
前者の形式憲法とは、 軟性・硬性を問わず憲法典という特別の形式で存在する憲法 - その表題が、「ドイツ連邦共和国《基本法》」のように、「憲法」となっていなくとも、その内容が国家の主要な組織・作用規範を包括するものを含む - または通常の法律よりも高い形式的効力をもつ法規を指す。
これに対して実質憲法とは、 そのような成文形式で存在するか否かを問わず、およそ国家の構造・組織および作用の基本に関する規範一般を指す。
実質憲法は、およそ国家あるところすべてに存在する。
形式憲法の内容のすべてが必ずしも実質憲法とは限らず(その例として、1874年のスイス憲法典中のユダヤ的屠殺方法の禁止規定などが挙げられるが、その国の歴史的状況との関係で国家的ないし国民的重要性をもつものであるためかも知れない)、また、実質憲法がすべて形式憲法に取り込まれるとは限らない(明治憲法下の皇室典範がその例)。

◇(2) 固有の意味の憲法と立憲的・近代的意味の憲法


上述のように、およそ国家は、その組織や構造の基本に関する法の存在を前提とするが、これを固有の意味での憲法ないし本来の意味での憲法という。
この固有の意味での憲法と先の実質憲法とは、結局同一の事柄を指しているのであるが、固有の意味での憲法は事柄の性質に着眼してのものであり、実質憲法は事柄の存在形式に着眼してのものであって、着眼点の違いによるものである。

この固有の意味での憲法に対して、とくに権力保持者による権力濫用を意識的に阻止し、権力名宛人の利益保護を終局の目的とする憲法を立憲的意味における憲法といい、この種の憲法の体系的展開が近代国家に至ってみられるようになったことから近代的意味における憲法と呼ばれることが多い(1789年のフランス人権宣言が「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」と規定する例に象徴される憲法観である)。
上述のように、近代的意味における憲法は一般に形式憲法として登場し存在しているが、イギリスのような例外(そこでは、実質憲法は、慣習法や法律などの形で存在する)もある。
なお、実質憲法について、広狭二義を区別し、広義においては「国家の根本法」を、狭義においては「立憲政の国家に於ける国家の根本法のみ」を意味すると解する立場もある(美濃部達吉)。

◇(3) 法規範としての憲法と事実状態としての憲法


憲法に相当する外国語の constitution, Verfassung には、構造とか組織とかあるいは体質とかいった意味が含まれており、実際、国家という政治的統一体の存在のあり様それ自体を指して使用される場合がある。
「事実上の権力関係」をもって「憲法」の本質とみるラッサールの所説、あるいは、「政治的統一と社会秩序の全体状態」の意味において「憲法」を捉え(「絶対的意味での憲法」)、また「憲法」(Verfassung)と「憲法律」(Verfassungsgesetz)とを区別し、前者の「憲法」をもって憲法制定権力による政治的統一体の形式と態様に関する根本的決断とし(「積極的意味での憲法」)、「憲法律」はかかる「憲法」を前提にして初めて妥当し規範性を発揮し得るとするシュミットの所説、などにその用例をみることが出来る。
これらの所説は、政治的激動期において主張されたものであり、憲法が「政治」と深い関わり合いをもつことを鋭く指摘したものといえる。
しかしながら、憲法の本質をそのようなものとしてのみ捉えることは、憲法が「政治」に呑み尽くされ、憲法学を「政治」の侍女たらしめる危険を内包している点は看過できない。
日本語としての「憲法」は、法規範《のみ》を示唆し、constitution を必ずしも正確に表現しているとは言い難いが(なおⅣ(1)(23頁)参照)、安易に事実と混同することがあってはならない(因みに、シュミットの「憲法」〔Verfassung〕は単純に事実状態の意ではない)。

◇(4) 実定法的意味の憲法と法論理的意味の憲法


実定法的意味における憲法とは、およそ国家においてその組織・構造および作用の基本に関する規範であって、国法秩序の基礎をなすものを指すのに対し(これは上述の固有の意味における憲法に相当する)、そのような実定法的意味における憲法の効力根拠として想定される規範として法論理的意味における憲法がいわれることがある。
これは、純粋法学的思惟において、実定法的意味における憲法を効力あるものとして認識するために前提とされる始源的仮設規範である。

◆Ⅱ 憲法の種別


◇(1) 存在形式による種別


憲法は種々の視点から分類できるが、従来しばしば行われる分類方法の一つに、存在形式に着眼してのものがあり、かかる視点から成文憲法と不文憲法、成典憲法と不成典憲法とが種別される。
成文憲法とは 実質憲法が成文の形式をとって存在するものをいい、
不文憲法とは 実質憲法が慣習とか判例の形式で存在するものをいう。
イギリスでは、実質憲法は、上述のように一部は成文の議会制定法(権利章典、人身保護法、王位継承法、国会法など)の形式で存在している。
にも拘らずイギリスがしばしば不文憲法国と呼ばれるのは、イギリスの憲法がとくに憲法典という形式をとって存在していない点に着眼してのことで、その場合の不文憲法は不成典憲法の意味で用いられている。
このように、成文憲法といっても必ずしも一義的ではなく、狭義においては成典憲法を指すが、広義においては憲法典を含めてさらにそれより広く根本法の趣旨で特別に定立された制定法一般を指し(例えば、フランス第三共和制では三つの憲法的法律が存在した)、最広義においてはおよそ成文化された実質憲法を指す(イギリスでは、狭義および広義の成文憲法は存しないが、最広義の成文憲法は存在しているということになる)。

◇(2) 改正手続による種別


制定された憲法典に他の成文法に優る権威を認め、通常の立法とは異なる特別の手続によるのでなければ変更できないとされるものを硬性憲法といい、
然らざる憲法は軟性憲法と呼ばれる(軟性憲法は、元来不文憲法も含めて観念される)。
軟性憲法は事態に柔軟に対応できる長所をもつ反面、憲法の「最高法規」性という観念は厳密な意味では生ずる余地はなく、通常の立法に対して規範性を発揮しにくい。
今日成典憲法主義が一般的になり、ほとんどが硬性憲法であるから、硬性か軟性かの区別は実はあまり意味はなく、むしろ「硬さ」が具体的にどのようなものであるか或いはどのようにすべきかに真の問題がるといえよう。
硬性憲法は憲法の安定性・永続性を企図してのものであるが、硬ければそれだけ憲法の安定性・永続性が保障されるというものでもない。

◇(3) 制定権威の所在による種別


制定権威の所在如何により、欽定憲法、民定憲法、協約憲法の種別が生ずる。
欽定憲法とは、 君主主権原理に基づき、君主の権威を憲法制定の終局の根拠とする憲法のことで、1814年のフランス憲法(シャルト)や我が国の明治憲法などがその例である。
民定憲法とは、 国民主権原理に基づき、国民の権威を憲法制定の終局の根拠とする憲法のことで、1791年のフランス憲法や日本国憲法などがその例である。
協約憲法は、 君主主権と国民主権との妥協に基づき、君主と国民とが憲法制定の根拠となる権威を分有し、君主と国民の代表組織との合意を基礎に成立する憲法で、1830年のフランス憲法(シャルト)がその例とされる。
なお、以上のほか、二つ以上の国家の合意を基礎に成立する憲法のことを、条約憲法とか国約憲法と呼ぶことがあり、アメリカ合衆国憲法がその例とされる。

欽定憲法か民定憲法かという種別は、このように誰の権威を憲法制定の根拠とするかにある。
フランスの91年憲法は立憲君主制をとるものではあるが、国民主権に立脚して国民を制定権威としている点で民定憲法である。
また、日本億憲法は後述のように明治憲法所定の改正手続により成立したものではあるが、同じく国民主権原理に立って国民を制定権威としている点で民定憲法とみられる。

欽定憲法か民定憲法かという種別は、憲法成立の由来の区別に過ぎず、法的には特別の意味はないとの見方もあり得る。
しかし、欽定憲法の場合は、その制定権威者はそれ自体活動能力を有する存在である点で、民定憲法の場合とは違った法的帰結を導き得る点は看過されてはならない。

◇(4) 規定内容による種別


憲法の規定内容は各種の観点から分類でき、例えば国家体制如何により単一国憲法と連邦憲法、君主制憲法と共和制憲法といった種別が可能であるし、歴史的観点から近代憲法と現代憲法、あるいは、その措定する社会・経済的構造の観点から資本主義憲法と社会主義憲法、といった種別を行なうことができる。
あるいはさらに、規定内容の全体がイデオロギー的・綱領的性格を強くもっている憲法(イデオロギー的・綱領的憲法)と実利主義的志向を強くもつ憲法(実利的憲法)とに種別することもできる。

◇(5) 一種の存在論的な種別


これはレーヴェンシュタインの提唱にかかるもので、憲法規範に実際上の妥当性に着眼して、規範的憲法、名目的憲法および意味論的憲法が区別される。
規範的憲法とは、現に統治の規律として規範性を発揮している憲法をいい、名目的憲法とは、法的妥当性を欠いてはいないが、全体としてまたは少なくとも重要な部分について実際に規範性を発揮するに至っていない憲法をいい、意味論的憲法とは、政治権力保持者のためにその時点の権力状況を憲法的用語を用いて外観的に定式化したに過ぎないような憲法をいう。
この分類は、主観的価値判断の介入を避けられない点で問題を残すが、新しい分類の試みとして注目すべきものをもっている。

◆Ⅲ 憲法の特性


◇(1) 総説


既述のように憲法は国家の根本法であるが、ここに根本法とは、より詳しくいえば、憲法が国家のあり方を国家全体との関係において規律するところの究極的法規範であるという意味においてである。
国家のあり方について規律する法は憲法以外にも存在するが、憲法が根本法たるゆえんは、憲法が国家全体という根本的立場において規律している点にある。
そして、およそ法規範が妥当するためにはその法規範の定立をサンクション(※注釈:sanction には、 ①(権威筋からの正式な)許可・認可・是認・裁可・批准、②(法的な)制裁・処罰・賞罰、の二義があるが、ここでは①の意味)する法規範が先行することを前提とするが、憲法が根本法たるゆえんは、憲法が国法秩序の成立・展開をサンクションする究極の実定法規範であるという点にある。

◇(2) 憲法の授権規範性


右のサンクションをより具体的にいえば、法規範Aが妥当するためには最小限それを定立する機関・権能および手続を定めた法規範Bの存在を前提とし、AはBのいわば授権に基づいて初めて妥当するということであって、憲法は国法秩序の中にあって最終的な授権規範としての性格をもつ(憲法の手続法的性格)。
その際授権が全く白紙委任的であれば、受権者はいかなる内容の法規範も定立できることになるが、一般に授権はある種の枠づけ(制限)を伴うから、授権規範は同時に制限規範としての性格をもつのが通例である。
換言すれば、制限規範性は、授権関係の内容面に関する関係ということができる。
近代的意味における憲法は、特に国民の権利・自由の保障ということを重要な構成要素とするから、その種の憲法は制限規範性を顕著にもつ授権規範ということができる(憲法の実体法的性格)。

なお、法的思惟を純粋に授権関係に局限する立場に立てば、憲法典も何らかの上位の法規範によって授権されたものと考えるべきではないかという帰結があり得る。
ケルゼンの「根本規範」はその種の発想にかかわる。
それは、既に触れたように(Ⅰ(4)(17頁)参照)、「実定法的意味における憲法」を効力あるものとして認識するために前提とされる始源的仮設規範であり、「法論理的意味における憲法」などと呼ばれるものである(もっとも、我が国では、実質的・価値的な内実を込めて、実定法レヴェルでの「根本規範」がいわれることがある)。

◇(3) 憲法の最高法規性


手続と実体両面にわたる最終的授権規範としての憲法は、国法秩序の中で最も強い形式的効力をもつとき、それに相応しいより十全な姿を獲得する。
理論上も実際上も、憲法が、立法機関に対して通常の立法手続をもって憲法規範を改廃する権限を明示的に授権することがあり得るが(軟性憲法)、授権規範としての法規範性は希薄となる。
それに対して、憲法がそれ以外の国法形式による改廃の対象とはなり得ず、その改正には通常の立法手続と異なるとくに厳重な手続が要求され、憲法規範と矛盾する一切の国法の効力を認めないという強い形式的効力をもつとき、憲法は名実共に最終的授権規範に相応しい地位を獲得する。
憲法がかかる強い形式的効力をもつとき、その憲法は「最高法規」であるといわれる。
換言すれば、厳密には憲法の「最高法規」性は硬性の成文憲法の場合にのみ妥当し、逆に硬性の成文憲法であれば当然に「最高法規」である。
日本国憲法はとくに「最高法規」の章を設け、98条1項は「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と規定しているが(*1)、特別の厳重な改正手続に関する96条が存する以上、98条1項は当然の帰結である。

なお、憲法の形式的効力とは別に憲法の根本法性(法のもつ根本的なる性質・内容)に着目して「最高法規」がいわれることがある。
ただ、憲法に最も強い形式的効力を認めるのは、国家の根本法性に鑑みてのことで、形式的効力面にかかわる「最高法規」性と性質・内容面にかかわる「最高法規」性との間には密接な関連がある。
日本国憲法の「最高法規」の章の冒頭に、基本的人権の本質に関する97条が置かれていることにつき、その位置を誤ったものと解する見解があるが、そのように解すべきではなく、むしろ、それは、日本国憲法の「最高法規」性の実質的根拠が何よりも人権の実現にあることを明確にしようとする趣旨であろうと解される。

もっとも、憲法が「最高法規」であるといっても、他の国法形式の憲法適合性を誰が認定するかの問題がある。
立法機関が立法を為すにあたって憲法適合性について判断する権能と義務を有すると解されるが、かつてはその判断をもって最終的とするのが一般的であった。
従って、憲法が「最高法規」であるといっても、他律的強制規範性の乏しいものであったといえる。
しかし、既にみたように、現代立憲主義は、立法権不信と人権保障の緊要性の自覚の下に、立法機関以外の第三者機関に最終的認定権を付与し、「最高法規」としての憲法の実効性を確保しようとするに至っている。
この第三者機関としては各種のものが想定され得るが、日本国憲法は裁判所をもってその機関としており(81条)、従って「最高法規」としての憲法典は原則として裁判規範であることになった。

なお、日本国憲法は、憲法の「最高法規」性に関連して、公務員に対して憲法尊重擁護義務を課しているが(99条)、この点については後述する(第三節Ⅳ(2)(45頁)参照)。

(*1)百里基地訴訟に関する東京高判昭和56年7月7日(判時1004号3頁)は、本条にいう「国務に関するその他の行為」には国が私人と対等の立場に立って行なった土地取得行為のごときを含まないとしつつ、行政庁が「専ら裁判を免れるため、・・・・・・私法行為の形式に逃避して、公権力を行使したのと同じ結果を実現したような場合」には公法行為とみなす可能性を認めている(なお、第三編第二章第二節Ⅱ(4)〔352頁〕参照)。

◇(4) 憲法と国際法


以上は憲法の特性を専ら国法秩序内部の問題としてみた場合のもであって、国際法秩序を視野に入れるとまた違った様相を呈する可能性があるが、この点については後述する(Ⅳ(5)(29頁)参照)。

◆Ⅳ 憲法の法源と効力


◇(1) 憲法の法源


「法源」という語は種々の意味で用いられる。
法規範の妥当根拠の意味でいわれる場合(例えば、法の妥当根拠として神の意思だとか、国民の意思だとか、あるいは理性だとかいわれる場合)もあるが、通常は法規範の存在する形式の意味において用いられる。
後者の意味において「法源」をいう場合、憲法(実質憲法)は、成文憲法(成典憲法)国にあっては、主として制定法たる憲法典として存在する。

もっとも、憲法典は「法典」である以上、民法典や商法典などの場合と同様、網羅的体系性を備えるはずであるが、憲法典の場合には、一般にある差し迫った政治状況において、政治的妥協ないし決断の所産として各種の政治的配慮の下に成立することが関係して、網羅的で完璧な体系性・精密性を備えることは困難である。
当然に憲法事項と考えられるものが故意に規制対象から外されたり、意識的に含みの多い伸縮可能な形で規定されたりすることがしばしばあり、また、憲法改正に特別の手続が必要となることなどを考慮して、憲法に明記せずに後の解釈と運用に委ねるというようなこともよくみられるところである。
例えば、明治憲法では、君主国において元来重要な憲法事項たるはずの皇位継承などの問題は、その独特の「国体」観念に基づき、議会が関与すること(憲法典に規定されれば、その改正に議会の議決が必要)を嫌って、憲法典ではなく皇室典範で定められていたし、また、選挙に関する事項は選挙法に一任された。
ここに「法典」としての憲法典の特殊性が認められ、従って、成文憲法国にあっても、憲法(実質憲法)が憲法典以外の形式において存在することは否定され得ない。
例えば、憲法(実質憲法)が法律その他の制定法の形式において存在し、あるいは条約が国内法化されて憲法の法源となることもあり得る。
このような成文法源のほか、不文法源として、慣習法、判例、条理(あるいは学説)、習律というような形をとって存在することもあり得る。
一定の行為が長期にわたって反復持続され、そこに明確な規範意識が発生し、国家がその規範を強要するものと考えられるとき、そこに慣習法が成立し、それは「憲法的慣習法」とか「慣習憲法」とか呼ばれる。
しかし、実際上は法的規律とほとんど同じように遵守され、国家としても遵守することを待望するけれども、国家としてそれを強要するという程には至らず、それに違反することがあっても不法とはいわれないような類のものもあり、それは「憲法的習俗律」とか「憲法的習律」とか呼ばれる(第三節Ⅲ(41頁)参照)。
条理(あるいは学説)に法源性を認め得るかについては議論の存するところであるが、法典としての憲法典の特殊性からその意義は否定し難いと思われ、従来から憲法の法源として、「憲法的理性」を含めて「不文憲法」の意義が強調されてきたところである(例えば、美濃部達吉)。
判例についても法源性を認め得るかについて様々な議論が存するが、積極に解すべきものと思われる((4)(27頁)参照)。

このように憲法法源には各種のものがあるあ、硬性の憲法典の存する場合にはそれに抵触しない限りにおいてその存在が認められる。
かつて成文憲法よりも「不文憲法」とりわけ「憲法的理性」の優位性を正面から認める見解もあったが(少なくとも戦前の美濃部は、人間の習慣性の力ないし理性の力を徹底的に重視し、端的にそれに制定法改廃力を認めたし、あるいはフランスなどの学説の一部には、国民の絶えざる憲法制定権力の行使という考えの下に、慣習法に憲法典の改廃力を認めたものがある)、立憲主義の本来の趣旨からするならば、あくまでも憲法典を土台として、それを補充・発展させるものとしての「不文憲法」が考えられなければならない。
もっとも、憲法典の文言に真向から反するわけではないがその趣旨と異なる慣習について、「憲法的習律」としてならば認め得る余地がある(第三節Ⅲ(41頁)参照)。
なお、憲法判例は憲法典そのものではなく、制定法たる憲法典に準ずる効力しかもたないと解されるから、判例変更の可能性のある点は注意を要する(なお(4)(27頁)および第三編第二章第三節Ⅳ(378頁)参照)。

◇(2) 憲法典の地位と機能


右において憲法典が必ずしも憲法(実質憲法)のすべてを網羅するものではなく、憲法の法源として限界を有することをみたが、本質面からみても、憲法典は実質憲法と完全な一体性を達成することが不可能であることが知られなければならない。
そのことは、一国において憲法典の消滅・交替にもかかわらず、その国家が国家としての同一性を失うことはなかったという例が少なくないという歴史的事実に徴し明らかであろう。
つまり、国家の滅失は直ちに憲法典の滅失を意味するが、憲法典の運命とは別に国家の運命があり得るのである。
そして、国家の統治活動の合法性を支える究極の正当性の根拠となる主権は、理論上憲法典によって定まるのではなく、むしろ憲法典を成立せしめ、それを支えるものである。
もっとも、近代立憲主義に立脚する成文憲法は、国家権力の行使を憲法典の規定するところに限定し、実質憲法を形式憲法に封じ込めようとするところに基本的狙いをもつ。
しかし立憲主義的方法では、憲法体制、ひいては国家の存立そのものを危くする文字通りの非常の事態においては、憲法典に規定がなくとも、何らかの非常措置がとられることが容認されざるを得ないのであって(この点については、第三節Ⅳ(3)(48頁)参照)、実質憲法と形式憲法の裂け目が顕現する。


既に示唆したように、憲法の特性は、憲法より下位の法規範の定立の権限と手順を定め、それを権威づけるところにある。
従って憲法典成立後は、その所定の手続による以外に法規範の成立する余地はない。
が、そのことは、ある憲法典の下で妥当する法規範のすべてがその憲法典所定の立法手続によって成立するものでなければならないということを直ちには意味しない。
実際に、明治憲法下で制定された民法典などは日本国憲法下でも妥当している。
もちろん、日本国憲法の実体規定に抵触するものは効力を有し得ず、民法典なども日本国憲法の施行に伴って手直しをうけ、また刑法典の尊属殺重罰規定のように後になって最高裁判所によって違憲無効とされるという例もあるが、これらの法典が日本国憲法所定の立法手続によって成立したものではないという事実は残る。
最高裁判所は、明治憲法下の法律は、その内容が日本国憲法の条規に反しない限り、なお法律としての効力を有するとし、そのことは日本国憲法98条の規定によってうかがわれるとする(最(大)判昭和23年6月23日刑集2巻7号722頁)。
が、憲法の特性を授権規範性に求めるとすれば、同条にそのような意味を読み込むことは、同条に加重負担を強いるものではなかろうか。
後にみるごとく、明治憲法と日本国憲法との間には主権の変動があり、その意味では「革命」があったとみなければならないが、その「革命」は国家の同一性にかかわるようなものではなく、しかも、そのことに加えて、国民の生活のあり方を大きく左右する私法秩序の独自性を基本的に認めている点で明治憲法と日本国憲法とで共通するものがあるのであって、民法典などの引き続いての妥当性の根拠はむしろそうした点に求められるべきであろう。

◇(3) 憲法の前文の効力


憲法典には「前文」が付されているのが通例である。
「前文」の様式や内容には各種のものがあり(単に憲法制定の由来を説くにとどまるものもあれば、フランス第四共和制憲法のように権利章典に該当するものを規定しているものもある)、従ってその法的性質も一律に論じきれないところがあるが、大別して、法的規範性承認説と法的規範性否認説(前文は単に歴史的事実を陳述したにとどまるとか政治的・道徳的理想を表示したにとどまるとされる)とに分かれる。
日本国憲法の「前文」は「日本国憲法」という題名の後におかれ、憲法制定の由来・目的および憲法の基本原理・理想に関して述べるかなり詳細なものであるが、そのことから、「前文」は憲法典の一部を構成し(従って法規範性を有する)、その改変は憲法改正手続によらなければならないとする点では学説は概ね一致している(さらに、憲法典内部に形式的効力の違いを認める立場からは、憲法制定権力の所在を示し、基本的人権尊重主義など憲法の基本原理・理想を謳う「前文」は一般に憲法改正の限界をなすとされる)。
「前文」が法規範性を有する以上、それに抵触する下位規範の効力は理論上排除されることになるが(98条1項参照)、「前文」がさらに直接の裁判規範性をもつか否かについては肯定説と否定説とに分かれる。
否定説は、法規範の中には裁判規範性をもたないものがあるとの基本的前提に立って、「前文」の内容の抽象性・非具体性などを根拠とするが、肯定説もかなり有力で、下級審の判決例の中には肯定説によっているものがみられる(例、長沼訴訟第一審判決たる札幌地判昭和48年9月7日判時712号24頁)。
もっとも、否定説も、「前文」が憲法本文の各条項の解釈の基準となることを承認しており、判例もその趣旨のものと解され得る点は注意を要する(例、最(大)判昭和34年12月16日刑集13巻13号3225頁)。

◇(4) 憲法判例


そもそも判例が法源性を有するか否かについては議論の存するところであるが、既に示唆したように、憲法判例を含めて積極に解さるべきであり(我が国の現行法上、憲法判例は、民事・刑事・行政の各具体的事件の解決に必要な限りにおいて為される、憲法典に関する解釈にかかわる判例として成立する)、最高裁判所の憲法判決は先例拘束性をもつと解される。
それは、日本国憲法の定める司法権がアメリカ流のものと解されるということの他に、基本的には同種の事件は同じように扱わなければならないという公正の観念によるものであり、日本国憲法の解釈論的にいえば、憲法14条の法の下の平等原則、32条の裁判をうける権利(ここでの裁判は当然に公正な裁判の意でなければならない)、および憲法31条の定める罪刑法定主義に根拠する。
但し、その場合、先例として拘束力をもつのは、憲法判決中の ratio decidendi の部分であって、法律などの合憲・違憲の結論それ自体ではなく、その結論に至る上で《直接》必要とされる憲法規範的理由づけである点が留意されるべきである。
憲法判例については、通常の判例と違った特殊性が考慮されなければならないが、その点については後述する(第三編第二章第三節Ⅵ(378頁)参照)。
この先例拘束性の原則の下に、最高裁判所は自らの憲法判例に拘束されるとともに、下級審は最高裁判所の憲法判例に拘束される(但し、最高裁判所の判例に下級審が従わないからといって、現行法上破棄される可能性があるにとどまる)。
もっとも、その場合、拘束力をもつのは判決中の抽象理論ではなくて ratio decidendi であること、そのことに関連して下級審は英米法にみられる“区別(distinction)”を通じて相当の創造性を発揮し得る余地をもつこと、最高裁判所の考え方に変化ないしその兆しがみられるときはその新傾向を先取りすることが正当化されることがあること、などの点が留意さるべきである。

なお、右のような理解に対しては、憲法の解釈論として、憲法76条3項に「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあることに注目し、さらに裁判所法4条に「上級審の裁判所の裁判における判断は、《その事件について》下級審の裁判所を拘束する」(傍点(※注釈:《》内)著者)とあること(その反対解釈として、上級裁判所の判例は下級裁判所に対して法的拘束力をもたないとみる)にも言及しながら、判例の法源性に否定的な見解が存する。
が、憲法76条3項にいう「憲法及び法律」には命令・規則・条例などの他慣習法など不文の法規範も含まれると解するのが一般的であり、またそう解すべきである。
裁判所法4条については、先例拘束性の問題と全く無関係とみることもできるし、あるいは、先例拘束性のあることを前提に、ただその事件との関係では下級裁判所を絶対的に拘束する趣旨を明らかにしたものと解することも出来ないではない。
このように、先例拘束性の原則を認めるには、憲法上および法律上の障害はないと解すべきであるが、我が国では、判例法主義の英米法系とは違って制定法主義の国であって、判決も《事実上の》拘束力をもつにとどまると解するのがむしろ一般的である。
けれども、判例法主義と制定法主義といった二分法がそもそも妥当なものか否か、制定法主義であるから先例拘束性は認められないとするのはあまりに図式的な結論ではないか、《事実上の》拘束力という観念は明確性を欠くところがないか、むしろ《事実上の》拘束力という観念の下に最高裁判所の示す抽象的な法理論が下級裁判所に対してかえって強い影響力を与えてきたという面はなかったか、といった疑問がある。

ところで、政治部門は、その権能行使にあたってその憲法適合性について判断する権限と義務をもつが、その際憲法判例にどのような態度をとるべきか。
結論的にいえば、国会は、その権能行使にあたってその憲法適合性について判断する際に、憲法判例を考慮すべきではあるが、それに法的に拘束されると考えるのは妥当ではなく、判例の示す憲法解釈は正確であろうとの推定を覆すに足る確信をもつ場合には、“訴訟において違憲とされるかも知れないが、自己の責任で”という立場で行動できると解される。
このように国会に対して法的拘束力はないと解される理由は、国権の最高機関にして国の唯一の立法機関である国会(41条)を核とする代表民主制とそこにおける最高裁判所が占めるべき地位・性格に求められる。
なお、特定の事件判決で違憲とされた法律自体にまつわる問題については後述する(第三編第二章第三節Ⅴ(373頁)参照)。
内閣は、「法律を誠実に執行」すべき立場にあるが(73条1号)、最高裁判所によって違憲とされた法律は一般的に執行できない状態に置かれると解される。
もっとも、国会が違憲とされた法律を何らかの理由で廃止するときは、そのことを期待して、テスト・ケースを提供すべく、当該法律を敢えて執行することは憲法上禁止されていると解することはおそらく妥当ではないであろう。
また、ある訴訟で違憲とされた法律とは別に国会が同種の法律を独自の判断と責任で新たに敢えて制定したような場合には、内閣は、その法律を執行すべき義務を負うことになると解すべきであろう。

◇(5) 憲法と国際法


(イ) 国際法と国内法との関係

既にみたように、硬性憲法にあっては、「国の最高法規」として、「その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為」の効力を排除する(98条1項)という帰結が導かれる。
しかし、これは国内法秩序との関係において考察してのことであって、国際法秩序との関係を視野に入れた場合はどうなるか。

国際法と憲法以下の国内法との関係について、理論上、両者はその妥当根拠において全く次元を異にするところの別個の法秩序であるとみるか(二元論)(この関係は、ごく簡単には、「国際法は国内法を破らないし国内法も国際法を破らない」と表現される)、両者は一個の統一的法秩序を構成しているとみるか(一元論)、のいずれかが可能である。
そして後者の一元論の場合には、さらに、国際法をもって国内法を委任する上位秩序とみるか(国際法優位説)(この関係は、「国際法は国内法を破る」と表現される)、または逆に、国際法の妥当根拠を、国家がそれぞれの憲法に基づいてそれを承認するところに求め、l国際法をもっていわば国内法により委任された法秩序とみるか(国内法優位説)、のいずれかが可能である。

右の諸説のうち、国内法優位説は結局国際法を否定するに等しく(国際法は対外的国内法と化す)、そのことの故に今日ほとんど支持を失っているが、国際法優位説と二元論との争いは必ずしも決着がついていない。
国際法優位説によれば、国内法は国際法によって委任された秩序ということになり、純粋法学的思惟にあっては、憲法の効力根拠は始源的仮設規範ではなく、実定国際法の規範ということになり、さらにその実定国際法の妥当根拠としての始源的仮設規範が想定されなければならないということにある。
もっとも、国際法優位説は現実の国際法秩序の実証的分析抜きの規範論理的帰結であって、純理論的にはそれを是としつつも、現実の国際法秩序を前提に二元論に与する論者も少なくないようである。
二元論に徹すれば、国際法と国内法とは全く無関係の法秩序であって、国際法が国内法的効力を有するためには必ず国内法への「変形」が要求されるということになる。
しかし、実際のところ、両者の違いを過度に強調するのは問題があるようである。
国際法優位説の論者も、多くは、国際法は《究極的には》国内法を破るものと捉え、他方二元論者といえども、多くは、国家として“国際法違反”の国内法を放置しておくことは許されないと考えているからである。

(ロ) 憲法と国際法の国内法的効力

国際法がその実をあげるには、関係国内において実施に必要な措置が講じられなければならないが、その国際法がいかにして国内で妥当するかの問題は、各国の憲法体系に委ねられているのが現状である。
この点、国によっては国際法の国内実施のためいちいち立法措置(いわゆる「変型」)を必要とするところもあるが、憲法の明文または慣行により国際法をそのままの形で包括的に国内法化する国際法の一般的受容形式をとる傾向 - 一元論《的》傾向 - が顕著である。
日本国憲法の解釈論としては、立法措置を要しないとする明治憲法下の慣行を考慮し、かつ現憲法に至って国会による民主的コントロールが可能となったこと(73条3号参照)および国際法の誠実遵守の趣旨(98条2項)からみて、ことさらに立法措置が必要であるとみるべき根拠に乏しいと解される。
実際、自動執行的条約(self-executing treaty)は、特別の立法措置を講ずることなしにそのまま国内法的効力をもつものとして扱われてきている。
もっとも、自動執行的条約でない条約については、それを実施するために必要な国内法的措置は講じられなければならない。

このように国際的にみて一元論《的》傾向が顕著だとしても、何が自動執行的条約かについてそれぞれの国の独自の判断が働いたり、この種の条約以外の条約について立法措置を講ずることを怠ったり、条約の執行に必要な予算措置を講じなかったり、等々というようなこともなくはないようで、一元論《的》な考え方が純粋な形で実現されているわけでは必ずしもない。

(ハ) 国際法の国内法秩序における効力順位

国際法と国内法との効力の上下関係についても、各国の憲法体系に委ねられている。
合衆国では条約と法律とは同位とされ、ドイツでは「国際法の一般原則」については法律に優位するものとされているが、総じて法律より上位におく傾向があるようである。
この点、我が国では、条約の締結につき国会の承認を要するとされていることや98条2項ないしその精神を根拠に、国際法が法律に優位するということについてはほぼ異論はない。
しかし、憲法と国際法との効力関係については説が分かれ、98条2項の精神やさらに前文・9条などを根拠とする国際法優位説も有力である。
が、条約締結権は憲法に根拠を有し、締結および国会による承認は憲法の枠内においてのみ許容されること、憲法改正については厳重な手続が定められているにも拘わらず、国際法優位説によればその手続によらないで憲法改正が為されてしまう結果になってしまうこと、などを考慮すると、国際法優位説は多分に疑問である。
従って、憲法優位説が妥当と解され、判例も条約が違憲たり得ることを否定しない(最(大)判昭和34年12月16日刑集13巻13号3225頁)。

ただ、憲法優位説に立つ場合でも、国際法が《一般的に》違憲審査の対象となり、現実に無効とされ得るかは一応別個の問題である。
また、憲法優位があらゆる国際法について妥当するかも問題で、「確立された国際法規」(国際社会で一般に承認・実行されている慣習国際法)を成文化した条約や、あるいは領土や降伏などに関する条約は憲法に優位するとみるべきであろう(ポツダム宣言受諾・降伏文書調印は、明治憲法典の予定する主権国家体制さえ否認するものだから違憲であると主張されたことがあるが、明治憲法は戦争の可能性を否認せず、戦争には勝敗がつきものであって、国家として生き延びるために降伏し、ために憲法典の定める通りには行かなくなる可能性は否定され得ない)。

なお、憲法優位説によるとき、憲法違反とされた条約は国内的に執行不能となるが、国際法としては依然として妥当する。
従って、その場合には、憲法に適合するよう条約の改正に向けて努力するか、条約に適合するような憲法改正を試みるかする必要が生ずる。
それでは条約締結手続が憲法に違反する場合はどうか。
この点については、従来、国際法上不成立(無効)とみる説と成立する(有効)とみる説とに分かれていたが、「条約法に関するウィーン条約」によれば、条約締結権限に関する国内法違反が明白かつ基本的に重要な規定にかかわるものでない限り、条約無効を申し立てることは出来ないとされている。


■3.第三節 憲法の変動と保障



◆Ⅰ 憲法の変動


◇(1) 憲法の性質


憲法は国家のあり方・運営の基本に関する規範であるが、同時にそれはその社会の政治的・社会経済的および文化的諸関係によって規定され、それら諸関係の反映でもある。
憲法は、その規範性を確保するため各種の方法を講ずるのが例である(憲法の保障)。
しかし、政治社会はそれ自体生物であって生物と同様不断の変化を免れず、憲法も一種の生きた有機的組織体ともいうべき性質をもつことは避けられない(広義の憲法変遷)。
このことは、憲法典についても基本的に妥当する。
憲法典は、一定時の政治的・社会経済的および文化的諸勢力間の妥協・調整による決断を基盤に、国政のあり方を、一定の理想・価値観の下に、将来に向かって枠づけ・固定しようとして制定される。
けれども、そのような諸勢力間の関係は時の経過とともに変化し、理想や価値観も変容して行くのが常である。
かかる変化・変容は、憲法典のあり方に不可避的に投射される。

◇(2) 憲法変動の諸態様


右の変化・変容は、通常は憲法解釈の変化を通じて顕現するが、それが不可能な場合には憲法典の正文の形式的変更(憲法改正と呼ばれるもの)の必要が生ずる。
憲法は、その安定性・固定性を希求しつつも、このような場合を予想して、憲法改正の手続について規定しているのが通例である。
憲法改正はこのように憲法正文の意識的・形式的な変更であるが、そのほかに、憲法典の意識的・形式的変更を伴わない無意識的ないし発生的(オーガニック)な憲法変動たる憲法変遷(狭義の憲法変遷)が語られることがある。
なお、憲法によっては、憲法典を廃して新しい憲法典にとってかえることを認めたり(全部改正)、憲法典の特定条項の効力を一定期間排除することを認めることがある(憲法停止)。

右の憲法変動は、憲法自体が予定し、憲法所定の手続に従って行なわれるという意味で立憲的憲法変動と称し得るが、その他にも革命やクー・デターなどによって憲法変動が生ずることがある(シュミットは、憲法制定権力の所在の変更を伴う既存の憲法の排除を「憲法廃棄」と呼び、憲法制定権力を維持しつつ既存の憲法を排除することを「憲法排除」と呼んで両者を区別する)。
この種の変動は憲法がもとより予定し容認するところではないという意味で、非立憲的憲法変動と称することができる。

◆Ⅱ 憲法の改正


◇(1) 総説


憲法改正とは、憲法所定の手続に従い、憲法典中の個別条項につき、削除・修正・追加を行なうことにより、または、新たなる条項を加えて憲法典を増補することにより、意識的・形式的に憲法の変改を為すことをいう。
このように憲法改正は、憲法典の存続を前提としてその個々の条項に変改を加えることを意味し(部分改正)、もとの憲法典を廃して新しい憲法典にとってかえる行為を含まないのを原則とする。
後者の場合は新憲法の《制定》であって、通常法的連続性の断絶を意味する。
ただ、憲法の中には新しい憲法典にとってかえる行為をも改正として捉え、これを明記するものがある(1874年のスイスの憲法がその例で、「全部改正」と「部分改正」とが共に可能な旨明記し、その手続を別々に規定している。アメリカ合衆国憲法は、改正の一方法として憲法会議のことについて定めているが、レーヴェンシュタインによれば、間接的に「全部改正」の可能性について規定したものとされる)。

◇(2) 改正の手続


(イ) 手続の諸類型

硬性憲法の改正手続としては、次のような諸類型が認められる。
<a> 議会のみで改正できるが、その特別多数決を要するとするもの(例、ドイツの憲法)、
<b> 憲法改正案成立後議会は解散され、新たに選挙された議会の特別多数決を要するとするもの(例、ベルギーの憲法)、
<c> 議会の決定と国民投票とを連結するもの(例、フランス第五共和制憲法)、
<d> 国民発案と国民投票だけによるもの(例、若干のアメリカ合衆国の州憲法)。
なお、連邦国家では、州の一定数の同意を要件とするのが例である(例、アメリカ合衆国憲法では、四分の三以上の州議会かまたは州憲法会議の承認を要件とする)。

(ロ) 日本国憲法の改正手続

(a) 総説

日本国憲法は、憲法改正につき、①「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」による国会の「発議・提案」と、②「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」における国民の過半数の賛成による「承認」とを要求して、先の〈c〉型によることを明らかにし、最後に③天皇によって「国民の名で、この憲法と一体を成すものとして」直ちに「公布」されるものとしている(96条)。

(b) 国会の「発議・提案」

発議とは、国民に提案すべき改正案を決定することをいう。
つまり、ここにいう発議には、通常の意味における発議(例えば、国会法56条1項には「議員が議案を発議するには、・・・・・・」などとある)とは異なって、議決が含まれており、発議されるものの原案、すなわち憲法改正案を国会に提示することではなく、国民に提案すべき改正案を国会が決定することをいう。

この発議は、「各議院」の「総議員の三分の二以上の賛成」で為される。
ここに「各議院」とはもとより衆議院および参議院のことで、衆議院の優越は認められていない。
ここにいう「総議員」の意味については、各議院の議員の法定数とするもの(A説)、現在議員の総数とするもの(B説)、院内事項であって合理性を失わぬ限り各議院で定め得るとするもの(C説)、に分かれるが、おそらくB説をもって妥当としよう(もっとも、B説によらなければ違憲であると断じ去らなければならないというような厳格な趣旨においてではない)。
なお、憲法を改正するには、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」において国民の過半数の賛成による「承認」を要求しているのに、その「発議・提案」について「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」という要件を課すのは憲法改正手続として過重に過ぎないかの批判はあり得よう。

憲法には、発案県や審議の方法あるいは国民に対する提案の方法について明記するところがない。
まず、発案権については、各議院の議員が有することは明らかというべきであるが、内閣が有するか否かについては肯定説(Y説)と否定説(Z説)とに分かれる。
Z説には、内閣は法律および憲法の両者について発案権を有しないとするもの(Z1説)と、法律の発案権は認めつつも、憲法については、憲法改正は遥かに強度に国民の意思の発現であるべきで(国民投票が要求されているのはその現われ)、その発案権も国民に直結する国会議員に留保されていると解すべきであるとするもの(Z2説)、の二種がある。
憲法改正の場合と法律の場合とを単純に同一視するのは疑問で、Z2説は説得力をもつが、発議それ自体は両議院の議決による国会の意思の決定ということであって、発案権は国会議員に限るということを当然に意味するとは解されず、また、内閣に発案権を認めても国会の自主的審議権が必然的に害されるとはいえないと思われるので、国会の審議の素材を提供するというような意味合いで、法律によって内閣にも発案権を認めることは憲法上許されないわけではないと解される(内閣法5条は「内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し・・・・・・」と定め、特に憲法改正案を掲げていない。「議案」に含まれると解する余地もないではないが、憲法改正の特殊性を考慮する必要があろう。そうだとすれば、現行法上内閣に憲法改正の発案権を認める規定は存しないということになるが、国民投票など憲法改正手続の詳細について法律で定める際に内閣の発案権についても規定すべきものということになろう)。
なお、各議院の議員が憲法改正案の原案を提出する場合の要件については法律で具体的に定め得るという趣旨であろう(現行国会法によれば、通常の議案の場合と同じく、衆議院では20人、参議院では10人の賛成があれば足りるということになるのであろうが〔国会法56条1項参照〕、憲法改正の特殊性に鑑み、その要件を加重するということは考えられ得る)。

審議の方法については、憲法に特別の規定がない以上法律案の場合に準ずる趣旨と解されるが、定足数に関しては若干問題がある。
総議員の三分の二以上の出席がなければそもそも議決不能であることに鑑み、その定足数を三分の二と解するのが通説であるが、単なる審議段階の定足数については、一般の議事の場合と同様三分の一で足りるとする説(56条1項参照)と、議事の重大性を考慮して三分の二以上の出席が必要または望ましいとする説とに分かれている。
この点、憲法上一義的には決め難い。
明治憲法の例(73条2項参照)からいっても、三分の二以上という要件は不当に重きに失するとはいえないと思われ、三分の一以上とするか或いはそれより加重にするかは法律で具体的に定め得ると解すべきであろう。
最後に、国民に対する提案の方法についても、技術上の問題があるが、憲法は国会の議決するところに委ねる趣旨と解される。

(c) 国民の「承認」

憲法改正行為はこの承認によってはじめて成立するもので、国民主権の純粋な発現形態とみることができる。
国民投票は、「特別の国民投票」または「国会の定める選挙の際行はれる投票」のいずれかによって行なわれる。
今日に至るまでまだ国民投票の方法などについて定める法律は制定されていない(※注釈:佐藤幸治『憲法 第三版』は1995年刊であり、その後第一次安倍政権で2007年に国民投票法が成立済み)。
「特別の国民投票」があるのは、事柄の重大性に鑑みてのことで、最高裁判所裁判官の国民審査の場合と異なるところである。
承認の要件に関して述べられる「過半数」の意味について、有権者総数の過半数(A説)、投票者総数の過半数(B説)、有効投票総数の過半数(C説)の三説が理論上可能であるが、C説が有力である。
A説によれば、棄権するのも投票に行って否を投ずるのも全く一緒になって不合理であるが、投票者総数の過半数とするか有効投票総数の過半数とするかは国会が決定することができると解される。

(d) 天皇の「公布」

天皇が「国民の名で」公布するとは、憲法改正が主権の存する国民の意思によることを明らかにする趣旨である。
「この憲法と一体をなすものとして」とは、憲法改正が日本国憲法と同じ形式的効力を有する国法形式であるとして、という程の意味で、憲法改正の体裁の如何 - 全面改正、一部改正または増補 - はこの点に関係がない、と説かれることが多い。
が、改正規定は日本国憲法という一体としての憲法典の中に組み入れられ、変更関係を明らかにする趣旨に解せられ、そのことと関係して「全部改正」は日本国憲法として予想していないとみられる。

◇(3) 憲法改正行為の性質と限界


(イ) 改正権の本質

憲法改正権の本質については、
理論上、通常の立法権と同質とみるか(A説)、
憲法制定権力と同質とみるか(B説)、
通常の立法権とも憲法制定権力とも異なる第三の範疇のものとみるか(C説)、
のいずれかが可能である。
硬性憲法の特性を上述のように理解した場合、A説は妥当でないと解される。
C説は、
憲法制定権力論に立って、憲法改正権は、全能である憲法制定権力による根本的決断たる「憲法」(「積極的意味での憲法」)を前提にそれによって組織化された法的権限に過ぎないとし(C1説)、或いは、
憲法制定権力論を一種の神学として斥けつつ、通常の立法権と異なる、新憲法条項の創設を授権された特殊な権能であるとする(C2説)。
君主主権か国民主権かという意味において主権の「主体」性を問題とせざるを得ない限り、C2説は妥当でないと解される。
しかし他方、C1説については、次のような疑問があり得る。
<1> 日本国憲法のように憲法改正手続に国民が参加する場合、憲法制定権力の担い手である国民と憲法改正権者である国民とはそれ程異質な存在なのか。
<2> 憲法制定権力は一度行使されると以後合法的行使の可能性がないことになり、結局国民主権性を否認することにならないか。
<3> あるいは、憲法制定権力と改正権との間には確かに時間的に前後、論理的に上下の関係があるといえるかも知れないが、憲法規範の創設という点では両者は共通するのではないか。
その意味ではB説に落ち着かざるを得ないことになるが、しかしその場合、
改正権をもって制定権力と全く同一とみる(B1説)べきではなく(この見解は結局憲法改正規定の法としての性格を否定することになる)、
改正規定は制定権力の以後の行為方法を定める法規範であり、改正権はいわば制度化された憲法制定権力と解すべきである(B2説)。

(ロ) 改正の限界

(a)

従来憲法改正における限界の有無をめぐって、肯定説(Y説)と否定説(Z説)との対立があり、種々議論されてきた。
肯定説の主張内容および根拠は多様であるが、大別して、
憲法制定権力と改正権とを峻別し、改正権は自己の根拠となるところの、憲法制定権力の根本的決断としての「憲法」を変改する法的能力を持ち得ぬとするもの(Y1説)と、
一種の自然法の存在を是認してそれにかかわる規定の改正は不可とするもの(Y2説)と
に分かれる。
否定説も、大別して、
改正権と憲法制定権力とを同一視しかつ制定権力の全能性を根拠とするもの(Z1説)、
憲法典中の規定はすべて同一の形式的効力を有しており、憲法が改正を認める以上、改正可能なものと不可能なものとの区別はあり得ないとするもの(Z2説)、
法は元来人間の社会生活に奉仕する手段であり、かつ社会は変転してやまないものであるから、法もそれにつれて変わるべきものであって、憲法改正に限界ありとするのは法の本質に反するとするもの(Z3説)、
に分かれる。

(b)

右の諸説については、改正権の本質を上述のようにB2説的に解した場合、まずY1説とZ1説は妥当でないということになる。
Y2説については、かかる自然法規範にかかわる規定と然らざる規定とを区別することは容易であるか否か、仮にかかる自然法規範にかかわるか否かによって憲法の各条章につきその価値・重要度において段階づけが可能だとしても、そのことから直ちに憲法の各条章の形式的効力面における違いを帰結できるのか否か、の疑問があり得る。
Y2説の徹底した考え方は、憲法制定権力をも拘束する自然法規範の存在を主張するが(この立場に立てば、憲法制定権力と改正権とを区別することは殆ど意味をなさないことになろう)、一体そのような自然法規範の内容を誰がどのような方法と手続で認識するのか、その認識の正しさは如何にして確定可能なのか、の問題を残している。
それではZ2説ないしZ3説が妥当かということになるかも知れないが、むしろ次のように考えるべきである。

(c)

まず、理論上、改正手続を根拠に、憲法典を支える最終的権威である憲法制定権力の担い手の変更はあり得ないと解される。
その変更は、憲法の法的連続性の切断を意味する。
明治憲法から日本国憲法への変動は、まさにそのようなものであったといえる。

第二に、憲法の改正は、もとの憲法典の存続を前提としてのことであって、従って憲法典自体にとくに全部改正を認める規定がない限り(但し、その場合でも憲法制定権力の所在の変動などは不可能と解される)、新しい憲法典にとってかえるとか、もとの憲法典との同一性を失わせるようなものは、法的な改正行為としては不可能と解される。
改正禁止規定については、
改正禁止の対象たる特定の条項はもとより改正禁止規定自体も改正できない(A説)、
改正禁止規定を改正して後その特定の条項を改正することは可能である(B説)、
改正禁止規定は法的に無意味である(C説)、
の各説があり得るが、改正禁止規定は改正の実体面に関する制限規範であって、改正手続規定の場合と同様その憲法の立場からは改正対象となり得ないと考えるべきで、A説をもって妥当としよう。

(d)

右の「限界」を越えた行為は改正ではなく、もとの憲法典の立場からは無効ということになるが、新憲法の制定として完全な効力をもって実施されるということは十分あり得る。
そして、改正の「限界」内にとどまるものか否かの判定権が改正権者自身の手にあるとされる限り、理論上新憲法の制定とみざるを得ないものが改正の名において行なわれることはあり得る。

◆Ⅲ 憲法の変遷


◇(1) 憲法変遷の意味


イエリネックは、「事実は法を破壊し、法を創造する」点に注目し、「事実の規範力」論を説き、その延長線上に憲法変遷論を展開した。
我が国でも、この所説の影響の下に、憲法の変遷がいわれるようになった。
もっとも、憲法の変遷(狭義のそれ)の概念規定は論者によって必ずしも一定しない。
憲法の条文はそのままにその意味内容が改正されたと同じ程実質的に変化することであるとか、
憲法の文言はそのままにその客観的意味が変化することであるとか、あるいは、
憲法条項に違反・矛盾する憲法実例が長期にわたり繰り返され、国民一般の意識によって支えられるなどして憲法規範性を獲得し、当該憲法条項が改廃された結果になることである、
とかいわれる。

そして、憲法変遷を法理論的にどう受けとめるかについて、
これを慣習法として憲法法源性を承認しようとするもの(A説)、
かかる現象は事実上のものに過ぎず法的には無意味であるとするもの(B説)、あるいは
端的に憲法規範性を認めるわけには行かないが、だからといって単なる事実上のものとするのも問題で、法の前段階たる習律とみるべきであるとするもの(C説)、
などに分かれる。
C説は折衷説的であるが、厳密にはB説の系譜に属するものといえよう。

◇(2) 評価


(イ)

まず、成文憲法規範と実際の憲法状態との間に各種各様のずれが生ずる可能性は、一般に否定されない。
問題は、かかるずれを憲法解釈論上どう受けとめるかにある(これはしばしば「法解釈学的意義の変遷」と呼ばれ、前者の客観的事実認識のレヴェルでの「法社会学的意義の変遷」と区別される)。
先の憲法変遷肯定論(A説)と否定論(B、C説)の対立は、このレヴェルでのものである。

(ロ)

その場合、憲法変遷の概念規定を明確にしておくことが重要である。
憲法変遷の概念規定として、上述のようにしばしば「憲法条項に違反・矛盾する」憲法実例とか「憲法条項の改廃」という用語が使用されるが、字義通り憲法条項に違反・矛盾する行為(例えば、憲法明文上間接選挙制になっているのに直接選挙制を採用したり、或いはその逆のこと)ないし憲法条項の改廃は、硬性憲法下の立憲的憲法変動としてはあくまで憲法所定の改正手続を通じて達成さるべきで、憲法条項に違反・矛盾する実例が当該憲法条項に代わって憲法規範性を獲得することを認め得る余地はないことが確認されなければならない。
右のような意味での憲法変遷を、国民の絶えざる憲法制定権力の行使という観点から肯定する論もあるが、上述のように(先のⅡ(3)(38頁)参照)、憲法制定権力は憲法典定立後は(ごく例外的な場合を除いて)いわば法制度化された制定権力たる改正権としてのみ活動するとみる立場からは、憲法制定権力の絶えざる行使という考え方をとる余地はない(仮に憲法制定権力の絶えざる行使という観念をとるとしても、それは政治部門による憲法実例には妥当し得ても、裁判所によるそれには妥当しにくいことになろう)。
従って、憲法変遷を語ることが許されるとすれば、それは、あくまでも「憲法に違反するものではない」との前提の下での、憲法条項の客観的意味変化の意でなければならない。

憲法に対するアプローチとして、
一定時(とくに憲法制定時)における成文憲法規定の意味理解を基軸にかつ固定的に捉えるもの(Y説)と、
憲法解釈学上そのように固定的に捉えることに反対し、憲法規定の意味的変化の可能性を容認するもの(Z説)と
に大別できる。
Y説によった場合、その一定時の意味理解からの離脱に対して法上否定的評価になるのが自然で、憲法変遷否定論には結局この種の主張と解されるものも見受けられる。
確かに憲法解釈にあたって憲法起草者の意図(制憲意思)は重要視さるべきであるが、その確認は必ずしも容易ではなく、また歴史学の進展に伴って変わり得るものである点は注意さるべきであるし、制憲意思の確認が絶対的であるとすれば、憲法解釈学は歴史学と化そう。
憲法規定の明文に反せず、憲法全体の理念・論理構造を破棄しない範囲内において、時代の知識・必要物・経験などを加味しつつ憲法規定を解釈する必要のあることは否定し得ず、かかる解釈が国民の一般的な憲法規範意識によって裏打ちされて、憲法規定の客観的意味内容が変化することのあることは承認されなければならない。
アメリカ合衆国憲法の州際通商条項やデュー・プロセス条項などの軌跡に、その典型例をみることができる。
ただ、それはなお憲法解釈の変化という形をとっているのであり、端的に憲法の正文に反するが憲法規範としての地位を獲得するに至ったという性質のものではない。
或いはまた、アメリカの大統領選挙制のように、起草者の特別の意図の下に採用された間接選挙制が、意識的な解釈行為によってというよりは、生きた政治の過程で自ずと形骸化し、その実質において国民の直接選挙制に変化してしまったものもある(しかし、間接選挙制の形式はあくまでも維持されていることに注意)。
ある機関が《法的には》ある行為を為すことが可能でありながら、実際には行使しないという習律が成立して、実際に行使すれば constitution 違反と非難されるというようなこともあり得る。
つまり、憲法の正文(憲法規範)はそのままに、それとは異なるプラクティスがいわば発生的に生じ、一国の constitution の重要な構成要素となる場合があるということである。
ただ、この場合も、いわゆる「憲法的習律」としての地位をもつにとどまり、法規範としての憲法正文にとって代わったというような性質のものではない。
一時的な単なる解釈の変化とは異なるところの、かかる憲法規定の客観的・実質的な意味変化、あるいは発生的な妥当性の変化を、立憲的憲法変動の一局面を解明する概念として、憲法変遷と呼ぶことが許されよう。

(ハ)

右のアメリカの大統領選挙制のように特別の国家機関の行為なしに憲法変遷の生ずる場合もあるが、一般には憲法の有権的解釈権者の行為が大きな契機となる。
立法者が憲法適合性についての最終的認定権をもつ場合には立法行為が決定的意味をもつが、例えば裁判所に違憲審査権が認められている場合には当該機関の認定行為が重要な意味をもつ(もちろん全ての立法が審査にかけられるとは限らないし、また統治行為などの問題のあることに注意)。
もちろんかかる国家機関の憲法解釈が不当な場合が想定され得るが、最終的認定権者の行為である以上単なる事実とはいえず、憲法はそのことを予定していると考えられるべきであり(この関係は、規範学的に、「裏からの授権」とか「規範簒奪」などの用語で表現されることがある)、それだけに、かかる認定行為を契機に不当な憲法変遷の招来されることを阻止しまたは既に憲法変遷g生じてしまった場合には正しい姿に回復せしめるために、国民の間における国政批判の自由が大事である。
そして、憲法の保障する自由も、かかる文脈において把握される必要がある。

◆Ⅳ 憲法の保障(合憲性の統制)


◇(1) 憲法の保障の意義と諸方法


(イ) 意義

ここに憲法の保障ないし合憲性の統制とは、最高法規である憲法の規範内容が、下位の法形式や措置を通じて端的に踏みにじられまたは不当に変質せしめられないように統制しようとする国法上の諸々の工夫を指す。
立憲主義憲法は元来かかる憲法の保障の意義の自覚の下に形成されているもので、実際、1788年のアメリカ合衆国憲法のように明文で大統領などに憲法擁護の宣誓義務を課す例や、1818年のバイエルン憲法のように「憲法の保障」の下に国王・摂政などの憲法忠誠の宣誓や高級官吏の弾劾訴訟あるいは憲法改正手続などを定める例もみられたが(憲法典も制定法の一つとして改正が不可避であるとすれば、それに要求される特別の手続は「憲法の保障」の意義をもち得る)、憲法の保障の問題が複雑化しかつ緊要の課題となったのは現代国家においてであることは既に垣間見たところである(第一節Ⅲ(7頁))。

(ロ) 諸方法

憲法の保障の方法は多様であり、各様の観点から分類できる。
まず、平常時におけるものか否かにより、正規的憲法保障と非常手段的憲法保障の別が生ずる。
非常手段的憲法保障としては、抵抗権と国家緊急権が問題となるが、この点については後述する。
非常手段的憲法保障が問題となるのは、憲法の危機状況においてであって、憲法保障の本来の意味はむしろ如何にしてかかる状況に陥るのを回避するかにある。
この正規的憲法保障については、
制度上憲法保障を直接の狙いとしているか否かにより、直接的保障と間接的保障の別が、
憲法侵犯を事前に防止することを狙いとするか否かにより、予防的保障と事後的(匡正的)保障の別が、
保障形式が拘束力をもつものか否かにより、拘束的保障と諮問的保障の別が、あるいは、
保障機能の担い手が誰かにより、政治部門による保障、裁判所による保障、国民による保障の別が、
それぞれ可能である。

権力分立や抑制・均衡のシステムは、間接的保障にして予防的保障ということができる。
予防的保障のその他の例としては、公務員の憲法尊重擁護義務の宣言とか厳格な憲法改正規定をあげることができる。
諮問的保障の例としては、カナダなどでみられるところの、裁判所の行なう勧告的意見の制度がある。
違憲立法審査制は、もとより直接的保障にして拘束的保障、また一般に事後的保障である。
違憲立法審査制は一般に裁判所型であるが(これはさらに司法裁判所型と憲法裁判所型とに分かれる)、フランスの憲法院のように政治機関型もみられた(憲法院が裁判所型に変容しつつあることについては、第一節Ⅲ(5)〔10頁〕参照)。

日本国憲法は、権力分立制下の国政運営を前提に、憲法の最高法規性(98条)を確保するため裁判所型の違憲立法審査制を採用した(81条)。
その委細についてはそれぞれ関係の個所で論及することになるので、ここでは日本国憲法尊重擁護の責任と義務について一般的に触れるにとどめる。

◇(2) 憲法尊重擁護の責任と義務


(イ) 公務員の憲法尊重擁護義務

日本国憲法は、「最高法規」の章で、天皇、摂政、国務大臣(ここにいう「国務大臣」には、解釈上内閣総理大臣も含まれる)、国会議員、裁判官その他の公務員の憲法尊重擁護義務を明記している(99条)。
本条は、これら公務員が国政の運営にあたり、憲法の運用に直接または間接に関与する立場にあることに鑑み、その憲法尊重擁護義務をとくに明記したもので、かかる例は、上述のアメリカ合衆国憲法など多くの憲法でみられるところである。
本条の定める憲法尊重擁護義務は、一般に、「法律的義務というよりはむしろ道徳的要請を規定したもの」(東京地判昭和33年7月31日行集9巻7号1515頁。また、百里基地訴訟に関する東京高判昭和56年7月7日判時1004号3頁)と解されている(*1)。
ただ、憲法を尊重・擁護するという積極的作為義務違反は場合によっては政治的責任追及の対象となり得るにとどまるが、憲法の侵犯・破壊を行なわないという消極的不作為義務違反については法律による制裁の対象となることがあり得る点は注意を要する。
例えば、公務員の懲戒事由や裁判官の弾劾事由とされる「職務上の義務違反」(国家公務員法82条、裁判官弾劾法2条)の中には、憲法の侵犯・破壊行為も含まれ得る。
なお、国家公務員法97条およびそれに基づく政令は、憲法99条を受けて、憲法遵守の宣誓を要求しており(「職員の服務の宣誓に関する政令」によれば、その「宣誓書」の様式は、「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」とされている)、公務員が宣誓を拒否すれば、職務上の義務違反として懲戒事由となり得る(国家公務員法82条2号参照)。
また、国家公務員法38条は、職員の欠格事由として、「日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」(同条5号)をあげている。
公務員の具体的な表現活動に関し、憲法99条と表現の自由の保障に関する憲法21条とを如何に調和させるかという難しい問題がある(公務員の職種、職務権限、表現の内容・態様等々を総合しながら、個別具体的に検討する必要がある)。

なお、天皇、摂政、国務大臣、国会議員などについては、弾劾制度が存しない以上、本条を根拠に政治的責任追及を為し得るにとどまる(なお、天皇・摂政については、天皇無答責の原則から、内閣がその責任を負う)。
これまで、例えば、鈴木内閣当時の奥野法務大臣の「自主憲法論」のように、国務大臣の憲法に関する発言が本条との関係で時折問題となった。
憲法が改正手続について定めている以上、閣僚が政治家として改正に関する主張を為し得るのは当然であるが、改正されるまで憲法に誠実に従って行動する義務があり、さらに、憲法およびその下における法令に従って行なわれるべきその職務の公正性に対する信頼性を損なうような言動がるとすれば、本条の義務に反する可能性があろう。
その意味で、閣僚の憲法改正に関する発言には、国会議員の場合と違った慎重さが求められるということになろう。

(ロ) 国民の憲法尊重擁護の責任

日本国憲法は、憲法の保障する国民の自由および権利につき、国民が「不断の努力によつて」保持すべきことを呼びかけている(12条)。
憲法の保障の各種制度はそれぞれ固有の問題と限界を有しているのであって、国民主権下において、憲法制定権力の担い手である国民こそが憲法の保障の最終的責任の担い手である。
憲法12条はこの事理を表現するものといえる。
ただ、上述の憲法99条中には国民が含まれていないことには注意を要する。
あるいはこの点むしろ、憲法制定権力の担い手である国民が憲法を尊重擁護すべき立場にあるのは当然のことで、99条はその当然の前提に立つと解するのが一般的であるといえよう。
実際、外国の憲法の中には、国民の憲法遵守義務を明示するものも少なくない(例、イタリアの憲法54条、旧ソ連憲法59条)。
が、日本国憲法12条が「国民の不断の努力」による自由・権利の保持を強く呼びかけながら、憲法全般の尊重擁護に関する99条において国民を含めなかったことにはそれなりの理由があると解すべきである(*2)。
つまり、日本国憲法は、国民が憲法の最終的擁護者であることを自覚しつつも、徹底した自由主義・相対主義の立場に立ち(もっとも、憲法の定立自体は単なる相対主義ではない)、憲法に対する忠誠の要求の名の下に国民の自由が侵害されることを恐れた結果であると解されるのである。
従って、憲法的秩序に反するというだけで団体および政党を禁止するドイツの憲法のような行き方は、日本国憲法に馴染むものではないと解される。

(*1)(*2) 右に触れた百里基地訴訟控訴審判決は、国が土地を取得するにお際しその衝にあたった防衛庁東京建設部長Aは国家公務員として、また、国に土地を売渡したBは主権者たる国民の一人として、いずれも憲法を尊重擁護すべき義務を負うものであるのに、敢えて憲法9条に違反する基地設置を目的とする行為に及んだもので、かかる行為は憲法99条に違反してその効力を生ずるに由ないものであるという主張につき、憲法99条の憲法尊重義務の規定は、「憲法の運用に極めて密接な関係にある者に対し、憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎないものであって、〔B〕のごとく国政を担当する公務員以外の一般国民に対し、かかる義務を課したものではな」く、また、「本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のものであって、この義務に違反したからといって、直ちに本条により法的制裁が加えられたり、当該公務員のした個々の行為が無効になるわけのものではな」い、と判示している。

◇(3) 非常手段的憲法保障


(イ) 総説

上述のように、憲法の保障の各種方法・手段は、一般に、ノーマルな平和状態において作動すべく設計されているものであるから、外国からの侵入や内乱、大規模な自然災害などによって、あるいは政府の著しい権力濫用によって、国家および憲法秩序が重大な危機に曝されるとき、憲法秩序を回復するために、正規的憲法保障方法とは異なる非常手段的憲法保障方法に訴えざるを得なくなるのではないかの問題が生ずる。
国家緊急権と抵抗権がこの問題にかかわる。

(ロ) 国家緊急権をめぐる問題

(a) 意義

ここに国家緊急権とは、戦争、内乱その他の原因により、平常時の統治機構と作用をもっては対応し得ない緊急事態において、国家の存立と憲法秩序の回復を図るためにとられる非常措置権のことをいう。
立憲主義国家にあっては、立憲主義体制を一時停止して多かれ少なかれ権力集中を伴うのを通例とする。
緊急権は、前提となる事態の緊急性の程度やそれに応じてとられる措置の種類に従って類型化することができる。
よく行われるのは、
憲法上一定条件の下で立憲主義を一時的に停止して独裁的な権力の行使が認められる「憲法制度上の国家緊急権」と、
憲法の授権や枠を越えて独裁的な権力が行使される「憲法を踏み越える国家緊急権」
の区別である。
①の例としては、ワイマール憲法下の大統領の独裁権や英米のコモン・ロー上または議会制定法上のマーシャル・ルール(*3)などがあげられる。
②は「必要は法を知らず」を地で行くもので、もはや法の世界に属する事柄ではないといえるが、ここにこそ国家緊急権の本質があるともいえる。
そして①と②との区別は相対的であることが注意されなければならない。
つまり、非常措置権を憲法的に厳格に枠づけようとすれば、②の可能性が大きくなり、②の可能性を嫌って非常措置権を包括的・抽象的に定めれば、非常措置権に対する憲法的統制の実が失われ、緊急権の濫用の危険が増大する。
国家緊急権のパラドックスは、立憲主義を守るために立憲主義を破るということであり、その実定法化には右のようなディレンマがつきまとう。

従来緊急状態に直面しつつも曲りなりに立憲主義体制を維持し得てきた国においては、国家緊急権はあうまでも立憲主義体制を維持し、国民の自由と権利を守るためのものであるという目的の明確性、従ってとられる非常措置の種類と程度は当該緊急事態に対処するための一時的かつ必要最小限のものでなければならないという自覚、従ってまた緊急権濫用を阻止するため可及的対策を講じ、事後において議会や裁判所などの立憲制度上の正規の機関を通じて緊急権行使の適正さを厳しく審査し、責任を追及する途を開いておくことの不可欠性についての認識が、国民の間に相当程度浸透している結果であったといえる。

(*3) こうしたコモン・ロー上または制定法上のマーシャル・ルールはマーシャル・ロー(martial law or law martial)と呼ばれ、外国による侵入や内乱などに際し、通常政府とくに裁判所が機能し得なくなった場合において、通常法を停止して、統治作用は軍の下に置かれることになる。合衆国憲法2条2節1項は「大統領は、合衆国の陸海軍および現に召集され合衆国の軍務に服している各州の民兵の総指揮官(Commander in Chief)である」と定めているが、大統領は軍の総指揮官として統治することになる。

(b) 国家緊急権と日本国憲法

日本国憲法は、戒厳大権や非常大権などを定める明治憲法(14条・31条など)と違って、緊急権について定めるところがない(憲法54条は参議院の緊急集会について定めているが、固有の意味の緊急権規定といえるかどうかは疑わしい)。
その背景には、総司令部のアメリカ的発想、明治憲法やワイマール憲法下での緊急権の濫用に対する反省、あるいは憲法前文・9条にみられる徹底した平和主義・国際協調主義の姿勢等々が作用していたのかも知れない。
日本国憲法の緊急権についてのこの沈黙の法的意味について、
不文の国家緊急権を排するものではないとする説(A説)と
排するとする説(B説)
とがあり、さらにB説は、
<1> そのことを積極的に評価する説(B1説)と、
<2> そのことを消極に解し、憲法上緊急権の存在・行使の条件などを明記する必要があるとする説(B2説)
とに分かれている。

憲法典上の規定の有無おみで緊急権の問題を割り切れるかどうかは問題であろう。
憲法典中に規定をおくと濫用される危険があることは否めず、それを規定しないことは一つの見識であるが、放置すれば憲法典の実効性ないしその生命そのものが失われる緊急事態に不幸にして陥った場合、その救済を図るため非常措置を講ずることは不文の法理として肯定せざるを得ないのではないか。
そしてその場合、かかる非常措置は、日本国憲法の立場にあっては、単に「国家の存立」のためということではなく、個人の自由と権利の保障を核とする憲法秩序の維持ないし回復を図るためのものでなければならない(目的の明確性の原則)。
そのことに関連して、右に触れたように、非常措置の一時的かつ必要最小限度性の原則、濫用阻止のための責任性の原則が貫徹されなければならない。
現在、内閣総理大臣に緊急事態の布告を発する権限を認める警察法(*4)(71条)、内閣総理大臣に防衛出動・治安出動命令を発する権限を認める自衛隊法(76条・78条・81条)が存するが、国家緊急権との関連でどう解するかの問題をはらんでいる(*5)。

(*4) かかる非常措置のほか、災害対策基本法8章は、「非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合において、当該災害に係る災害応急対策を推進するための特別の必要があると認めるとき」は、内閣総理大臣は閣議にかけて災害緊急事態の布告を発することが出来、臨時に総理府に緊急対策本部を設置することができるものとしている。
(*5) 緊急事態の布告を発した場合、布告を発した日から20日以内に国会に付議してその承認を求めるべきこと要求し(警察法74条、災害対策基本法106条)、また、防衛出動に際して国会の承認を要求し(自衛隊法76条)、命令による治安出動に関して、出動を命じた日から20日以内に国会に付議してその承認を求めなければならないとしている(同法78条)。
ここに見られる国会の承認権は絶対不可欠のものというべきであり、国会が「国権の最高機関」たるゆえんのものである。

(ハ) 抵抗権

(a) 意義

立憲主義憲法の保障の一局面として抵抗権をいう場合、それは、政府が権力を濫用し、立憲主義憲法を破壊した場合に、国民自ら実力をもってこれに抵抗し、立憲主義憲法秩序の回復をはかる権利をいう。

<1> この権利は、憲法上明文で保障されている場合にはもとよりのこと、そうでない場合でも「自然権」を基盤とする立憲民主主義憲法に内在するところの、実定法上の権利であると解される(A説。もっとも、実定法上の権利だといっても、以下のようにかなり特殊なものではあるが)。
日本国憲法は抵抗権を明示的には保障していないが、12条において憲法の保障する国民の権利・自由は「国民の不断の努力によつて」保持すべきことを定め、97条において「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」たる「基本的人権」の保全に努めるべき国民の責務を規定しているのは、右の趣旨を明らかにしているものと解される。
かかる意味での抵抗権は、立憲主義的な憲法を擁護するという保守的な性格をもつもので、異常な事態における憲法保障機能を有するものであって、その限りにおいていわゆる革命権と区別される。
<2> もっとも、抵抗権論の中には、自然法にその根拠を求め(B説)、
実定憲法上の規定の有無にかかわりなく保障される権利であるとする説(B1説。実定憲法上規定されれば実定法上の権利となるが、そのことによって抵抗権が自然法的性格を失うわけではない、などと説かれる)、あるいは、
同じく自然法にその根拠を求めつつ、それは要するに実定法上の義務を《それ以外の何らかの義務》を根拠にして否認することが正当とされる権利(つまり実定法を破る権利)であって、故に抵抗権を実定法上の権利とすることは論理矛盾であるとする説(B2説)
などがあり、さらには、
<3> 「歴史の発展法則」に抵抗権の存在根拠T発動基準を求める史的唯物論の立場からの説(C説)もある。

C説については、「歴史の発展法則」とは具体的に何であり、それは如何にして認識し得るかの課題がある。
B1説とB2説とは、抵抗権の根拠とされる自然法の性格・内容についての理解を異にしている。
B2説のように、抵抗権をもって実定法上の義務を《それ以外の何らかの義務》を根拠にして否認するものであると理解する限り、抵抗権が実定法上の権利たり得ないのは当然の帰結となる。
が、抵抗権はそのように広く漠然と捉えるべきではなく、近代立憲主義の背景にある「自然権」思想を基盤に構成さるべきであろう(もっとも、ここにいう「自然権」は、B1説の想定するように、必ずしも自然法の存在を前提とするものではない。第四編第一章第三節Ⅰ〔392頁〕参照)。
従って、「自然権」を基盤とする立憲主義憲法の下では抵抗権は実定法上の権利たり得るが、「自然権」を基盤としない反立憲主義憲法体制下にあっては非実定法的な革命権として存在するにとどまることになる。

(b) 抵抗権行使の条件

立憲主義憲法秩序が維持されている限り、個々の不正・不法の国家行為に対しては、言論・出版・集会・請願などの憲法上の自由・権利の行使により、あるいは訴訟を通じてその違法性・違憲性を争うことにより、それを匡す途が開かれており、人権を侵害する個別的公務執行行為に対する実力による抵抗も違法性阻却の法理による適正な処理の途がある。
このような状況の場合に敢えて抵抗権を問題にする必要はないし、抵抗権は《実力による闘争》であるから(このように抵抗権は実力の行使を伴う点で、法違反行為でありながら非実力的・非暴力的ないわゆる市民的不服従と区別される)、その濫用は立憲主義体制を不当に混乱せしめる危険を内包していることも注意する必要がある。
従って抵抗権の行使は、政府権力の濫用などによって立憲主義憲法秩序が重大な危機に曝され、人権の行使が一般的に妨げられるようになった状況において、はじめて問題となるものと解される。
この点について、
「憲法の各条規の単なる違反ではなく民主主義の基本秩序に対する重大な侵害が行われ憲法の存在自体が否認されようとする場合」であり、
「不法であることが客観的に明白でなければなら」ず、
「憲法法律等により定められた一切の法的救済手段がもはや有効に目的を達する見込がなく、法秩序の再建のための最後の手段として抵抗のみが残されていることが必要である」、
とする下級審の判決例がある(札幌地判昭和37年1月18日下刑集4巻1・2合併号69頁)。
ただ、憲法の一条規違反であっても、立憲主義憲法体制の重大な変質をきたすような場合が考えられ得るのであって、①の要件をあまり厳格に解するのは疑問とすべきであろう。

この抵抗権に比べて、より現実的・具体的意義をもつものとして、先にも触れた市民T系不服従がある。
市民的不服従は、立憲主義憲法秩序を一般的に受容した上で、異議申立の表現手段として法違反行為を伴うが、それは「悪法」を是正しようとする良心的な非暴力的行為によるものであるところに特徴があり、そのような真摯な行為の結果、「悪法」が国会によって廃止されたり、裁判所によって違憲とされて決着をみることがあり得、そのことを通じてかえって立憲主義憲法秩序を堅固なものとする役割を果たし得る。
かかり市民的不服従を一個の権利と称するかどうかはともかく、それは、究極的には抵抗権と相通ずる性質をもちつつ、正常な憲法秩序下にあって個別的な違憲の国家行為を是正し、抵抗権を行使しなければならない状況に立ち至ることを阻止する役割を果たすものとして注目される。


■4.第四節 憲法と国家と主権


◆Ⅰ 国家


◇(1) 国家の概念


上述のように、憲法は国家生活のあり方にかかわる法であることから、そのことの関係で国家とはそもそも何かについて若干論及しておく必要がある。

国家と呼ばれる社会団体の存在性格・様式は、時代によりまた所により一定しないが、近代国家は、一定の地域を基盤として、その所属員の包括的な共同目的の達成を目的に、固有の支配権によって統一された非限時的の団体であるという点で概ね共通している。
このように、国家の本質を、地域、所属員、固有の支配権の3要素に集約せしめて理解しようとする見解は、一般に国家3要素説と呼ばれる。

右のように、まず国家は一定の地域をその存立の基盤としており、国家がその支配権を原則として排他的に及ぼし得るこの区域は「領土」と呼ばれ、領陸、領海および領空よりなる。
換言すれば、領土はその国家法秩序の空間的妥当範囲であって、その範囲は国家の領有意思を基礎に国際法によって規定される。
憲法中に領土に関する規定が置かれることもあるが、日本国憲法にはその種の規定はない。
現在の我が国の領土は、基本的にはポツダム宣言および平和条約の定めるところによっている。

国家の人的要素たる所属員は「国民」と呼ばれ、この国民たる身分(国籍)を如何なる範囲において認めるかはそれぞれの国家の定めるところによる。
日本国憲法は国籍の取得・喪失について法律の定めるところに譲っているが(10条)、この点については後述する(第二編第一章第一節(87頁))。

第三の要素である固有の支配権は、「国権」とか「統治権」とかあるいは「主権」とか呼ばれる。
「国権」は、伝統的な見解にあっては、国家の法上の人格すなわち国家の意思力を指す観念とされ(ここから国権の唯一不可分性が帰結される)、それに対して「統治権」は国家が国際法および国内法上有する権利の総体である(従って統治権は可分となる)として国権と区別されることもあるが、今日では、国権と統治権は同義に使用されることが多い。
「統治権」の内容は国によって一様ではありえないことになるが、国家である以上次の3種の基本的能力、すなわち、①領土内にある人および物を支配する権利たる領土高権、②国家の所属員を支配する権利たる対人高権、③国家の組織・権限の有り様を自らの意思により定めることのできる権利たる自主組織権(権限高権)、を備えているものでなければならない、とされる。
なお、また、「国権」または「統治権」は「国家において統治活動をなす権力」の意味で用いられることもある(日本国憲法41条にいう「国権」はその例であるとされる)。
「主権」の語も多義的で、国権あるいは統治権と同義に用いられることのほか、国権の属性としての最高独立性の意味で用いられたり、また国家の統治活動の有り方を最終的に決定する力ないし権威の意味で用いられたりすることがるが、この点については後述する。
国家の第三の要素としての支配権は、国際組織が発達し相互依存的な今日の国際社会にあっては、かつてと違って様々な制約を受けることが多くなる傾向にある。

◇(2)国家の法人格性


(イ)国家の法人格性

法的認識の問題としてみた場合、国家は一個の統一的法秩序を形成しているといえようが、この法秩序の統一性をもって擬人的に法人格と称されることがあり、この意味で国家は法人格を有する、つまり国家は法人であるとみることができる。
さらに、国家は、実定法の内容に照らして、人格を有するとみなされる、というように言われる。
我が国の現行法上、国家は、財産権の主体としての関係において「国庫」と呼ばれ(民法239条・959条)、「国債」を負担したり、「国有財産」を有することが認められ、また、対外的な国際法上の関係において法主体として登場する。
この意味における国家の法人格性の範囲は、専らそれぞれの国家の実定法の定めるところによって決まることになる。

(ロ)国家法人説

19世紀ドイツにおいて登場し、我が国に多大の影響を及ぼした国家法人説は、右に述べたような意味での国家の法人格性を超えて、独特の意義と背景をもつものであったことが注目される。
つまり、国家法人説は、国家をもって社会学的には社団であり、法学的には法人であるとするとともに、従来の主権観念をもって専らかかる国家自体の特性を示すものとして把握し、それ以外の主権の意味を回避しようとしたところに特徴をもつものであった。
国家自体が意思力をもち、本来の主権はその意思力の最高性を示す観念として把握される。
このように国家の統治の有り方を最終的に決めるのは人格としての国家であるとする(国家主権説。ここでの国家主権は、国家が対外的に独立しているという意味での国家主権と異なることに注意)背景には、一方では絶対主義的君主主義論を克服し、他方では国民自身による積極的・具体的な統治を追求する国民主権論を抑止しようとする政治的低意が働いていたことが指摘される。
アメリカ合衆国などのように国民主権の確立した国において、とりたてて国家法人説が主張され発展せしめられることのなかったのは、まさにこの説のもつかかるイデオロギー性を示しているといえる。
他方、神権的国体観念を払拭しきれなかった明治憲法下において、国家は法人にして天皇はその機関とする天皇機関説は、結局において、「民主共和の説」として排撃されるところとなる。

国家法人説は、このように法人たる国家に主権があるとしたが、いわゆる国家の自己制限ないし自己義務づけの理論によって、主権の最高独立性と国家の被法的拘束性とを両立せしめ、そのことによってまた個人の自由の観念とも調和せしめようとした。
しかし、個人の「自然権」を基礎とする徹底した立憲民主主義の観点からすれば、いわゆる国家法人説は、国家の統治の正当性の契機を回避するとともに(従来の君主主権か国民主権かの問題は、国家意思を供給する国家機関の組織のあり方の問題と化す)、結局において国家の絶対性を措定し、個人の自由の観念と調和困難な説(国家固有の統治権はしばしば無条件に団体員を支配しその意思を規律しうる力であると説かれる)として受け入れ難いものとみなされざるをえないことになる。

もっとも、政治社会には唯一の究極的で絶対的な権威ないし権力が存しなければならないという観念たる「主権」は、結局のところ抽象的人格性を備える国家に帰属すると考えるとしても(その意味では国家主権説)、そのような属性をもつ国家を誰の権威でどのように運営するかの問題は残り、その主体的・具体的意思・権威はどこにあるかの問題こそ君主主権か国民主権かの問題である、というように考えることはできる。

国家と人権との関係をめぐる問題は後述するので(とくに第四編)、次に国家と主権と憲法との関係をめぐる問題をもう少し立ち入って考察することにしたい。

◆Ⅱ. 主権


◇(1)主権観念の展開


(イ)主権観念の登場

主権観念は、まず、フランス王権について、対外的にはローマ皇帝およびカトリック法王の権威・権力からの独立性を、体内的には封建諸侯に対しての優越性を、示すものとして登場した。
この主権観念の確立に理論的指導性を発揮したのはバーダンで、彼は、主権は国家の絶対的かつ恒久的権力であって、最高、唯一、不可分のものであり、すべての国家にとって不可欠の要素であると説いた。
そしてかかる主権観念は、近代国家への移行過程において他のヨーロッパ諸国でも広く用いられるようになる。
この段階では、国家は君主と一体的に観念されていたから(「朕は国家なり」)、国家自体の主権とその国家内において最高意思はどこにあるかということ(国家内における最高権の問題)とは次元を異にする別個の問題であることは十分意識されていなかった。
しかるに、君権に対する市民層の不満を背景に、国民主権ないし人民主権が登場するに及んで、主権論の力点は国家内の最高権の所在の問題に向けられることになる(もっとも、この段階でも君主を人民に取って換えただけで、人民即国家と考える傾向がみられる)。

(ロ)国民主権・人民主権

(a) 国民主権論は、近代自然法論に依拠する社会契約説を根拠に登場した。
社会契約説は、その理論構成如何によっては、なお君主主権を根拠づけるところともなるが(ホッブズ)、一般に、あくまでも各人の自然権の保全を基軸に考え、その保全に必要な限度での統治の権力の信託という構成をとることによって国民主権を帰結した(ロック)。
つまり、国家権力を支えるのは国民であり、国民の支持がある限りにおいてのみその行使が正当化される。
しかしこの見解は、国民主権の名にふさわしい実をあげる具体的方法・プロセスを明確にしていないきらいがあった。
(b) 同じく社会契約説に立脚しつつ、それを単に国家統治の正当性の根拠とするにとどまらず、国民による直接統治を帰結する説(ルソー)は、右の国民主権論に対する批判にして一つの解答であったとみることができる。
そこでは、主権は子かを構成する全人民の、常に共同の利益を欲して誤ることのない一般意思として把握され、具体的には一般意思は立法意思と同一視され、それは全市民の参加によって行使されるものとみなされた。
主権は絶対的なもので、不可分・不可譲・不可代表の性質をもつ。
それは議会制を否定する徹底した直接民主主義的人民主権論であるが、従来の絶対主義的君主主権を端的に人民に取って換えたきらいがあり、現実の国家の実態に即した理論としては無理な性格のものであった。
一般意思は常に共同の利益を欲する意思だとされるが、具体的な立法意思がそうであるという保障はなく、絶対的な一般意思の名における個人や少数者の抑圧という可能性は常に存する(ルソーの人民主権論が後世において人民独裁の国家論と評されることのある理由はここにある)。
また、主権は不可分だとされるが、主権の主体としては具体的な個々人ないしその総体が想定されていて、理論的整合性の点でも問題を孕んでいた。
(c) このような国民主権論、人民主権論の問題性の文脈においてみると、国民主権を基本的に憲法制定権力として把握しようとする説(シェイエス)は注目すべき見解であったといわなければならない。
そこでは、「憲法を制定する権力(pouvoir constituant)」と「憲法によってつくられた権力(pouvoirs constitues)」とが区別される。
そして、前者は、自然法の下に、国民がこれを有し、単一不可分であり、それ自体いかなる形式にも服することのない、「意欲しさえすれば十分である」万能の存在であるとされ、他方後者は、憲法制定権力の制定した憲法によって組織されるところの立法権・執行権といった権力で、憲法による規制下に立つ存在であるとされた。
ここではルソーの一般意思と同様主権の絶対性が措定されつつも、他方憲法制定権力と立法権との本質的区別がなされることによって、代議制や権力分立制と結合する途が開かれたのである。

この憲法制定権力の観念は、右のシェイエスにみられるように徹底して理論化されるということはなかったが、アメリカにおいていち早く現実のものとなった。
権力の根源である国民が人為的に制定した成文の憲法によって国家の統治構造と国民の権利を定め、国政の運営およびそれにまつわる問題の解決は全てこの成文の憲法に立ち返って行なうという行き方が定着した。
アメリカの憲法制定権力は、ヨーロッパのそれのように激しく対立すべき“敵”(アンシャン・レジーム)をもたず、当初から民主的基盤の上に成立したことが関係してか、本質的に非実体的・非権力的で、憲法制定会議とその成案の承認を通じて、法律よりも高次の妥当性を根拠づけるという機能に基本的に集約される。
それには、アメリカの立憲主義がイギリスの古典的立憲主義と必ずしも切断されず、むしろある面ではそれを引き継ぐ形で成立したものであること、第二に、アメリカの憲法制定権力は、革命初期の諸邦における立法権優位の経験に基づく反動として、個人の諸権利を確実なものとするという保守的な土台の上に構想されたものであること、などが関係していたと思われる。
(d) フランス革命期は、君主主権、国民主権、ルソー流人民主権、シェイエス流憲法制定権力など様々な観念が競い合った時代であった。
1789年の「人および市民の権利宣言」にはルソー的思想の影響が指摘されているが、1791年の憲法は、君主主権を否定すると同時に、ルソー流人民主権をも斥けて、国民主権に与する姿勢を明確にした。
そこでは、「主権は、単一、不可分、不可譲で時効にかかることがない。主権は国民に属する」とされるが、「権力の唯一の淵源である国民は、委任によってのみその権力を行使しうる。フランスの国家体制は代表制である」と明言されている。
つまり、主権者たる「国民(nation)」は抽象的な観念的統一体としての国民であって、それ自体として具体的な意思・活動能力を備えた存在ではありえず、委任(包括的・集団的な代表委任)が不可避的に帰結されたのである。
代表と被代表との間の選任関係を不可欠の要素とせず、制限選挙制が採用され、訓令委任が禁止されたことなどは、いずれも国民(nation)主権の帰結であった。
他方、シェイエス流憲法制定権力は、憲法を制定し変更する権力として一括して把握されてものであったが、91年憲法においては、制定権力と改正権とに分離され、改正権は法的統制下におかれるとされる一方、制定権力は依然として法的統制を受けない存在であるものの、観念化され、憲法の妥当性を根拠づけるという機能に封じ込ようとする姿勢が示された。

ところが、93年憲法は、国民主権を斥けて、むしろ人民主権の考え方に依拠することを明らかにする。
ここでの「人民(peuple)」は、もはや抽象的な観念的統一体としての存在ではなく、それ自体活動能力を備えた具体的に把握できる存在である。
かくして、憲法改正のイニシアティヴは第一次集会に組織された人民に帰属せしめられ、また「人民が法律につき表決する」ものとされた。
そして、男子普通選挙制の下で直接選挙によって選出された立法府が統治機構の中で極めて高い地位を占めていることも見逃せない点である。
(e) 右にみたように、フランスにおいては国民主権と人民主権とは別個のものとして区別され、両者間の葛藤が歴史を彩ることとなるが、選挙権の拡大につれ次第に議会は実在する民意を忠実に反映すべきであると考えられるようになり(第一節Ⅲ(7頁)参照)、第三共和制憲法下においてそうした考え方が定着するに至る。
理論上の曖昧さを残しながらも、実質的意味において人民主権への傾斜である。
他方、憲法制定権力論は、この第三共和制憲法の下で立憲主義が定着するにつれて後退し、むしろ制定権力をもって法の世界の外の問題と解し、法的には改正権のみが問題とされるようになる。
そして、さらには改正権と立法権との区別さえ曖昧化してしまう。
この点は法実証主義の強い影響下にあった19世紀後半のドイツ憲法学において一層顕著で、憲法改正権は立法権と同一視されている。

(ハ)国家主権権

国家主権論については、既に触れた。
繰り返せば、右の君主主権と国民主権・人民主権を忌避して、法人たる国家に主権が帰属するとしたもので、当時のドイツの法実証主義憲法学にいかにも相応しい考え方であったということができよう。
ここでは、主権の主体は法人たる国家に属するということで主権の人格性は残存しているが、本来の主権論からすれば主権観念の非人格化である。
主権観念は歴史的にみて公法学の領域から追放することはできないが、それを限定的に用いようとする態度であって、主権とは、国家権力が法的な自己決定および自己拘束をなす排他的能力をそれによってもつことになる、国家権力の特性である、などと説かれた。
この点さらに押し進めて、主権の主体の問題を認めず、むしろ法秩序の効力の属性の意味、つまり法秩序の至高性・非伝来性の意味において主権観念を捉えようとする見解も登場してくる。

(ニ)実力としての憲法制定権力

シェイエスによって主張された憲法制定権力は、右に見たように、ヨーロッパにあっては、立憲主義の確立過程において、法実証主義的思考傾向の下に、法の世界の外に放擲されたが、ワイマール憲法下において、シュミットによって新たな装いの下に再び重要な観念として導入されることになった。
彼は、ワイマール憲法前文の「ドイツ国民は、・・・・・・この憲法を制定する」の文言および1条の「国権は、国民より発する」という規定に着目し、それは憲法制定権力が国民にあること、つまり同憲法が国民主権主義に立脚するものであることを明確にしたものであると捉えたのである。
それでは、彼のいう憲法制定権力とは何か。
彼によれば、それは「自己の政治的実存の態様と形式に関する具体的な全体決定を下すことのできる、すなわち、政治的統一体の実存を全体として規定することができる実力または権威をもった政治的意思」であるとされた(この「憲法」を前提にしてはじめて妥当する憲法規定の集合は「憲法律」と呼ばれる)。
この憲法制定権力は、シェイエスの場合と違って自然法の観念を払拭した、すべての規範の上に立つ実力であり、そのこととも関連して制定権力の担い手は国民であることを要しないとされている(君主や少数者の組織も担い手でありうる)点に特色がある。
制定権力は、「移付され、譲渡され、吸収され、使い果たされることはありえ」ない、「可能態として常に存続」するものであるが、シェイエスの場合とは違って、憲法改正権とは峻別されている。(第三節Ⅱ(34頁)参照)。

シュミットの制定権力論は、主権の権力的契機を純粋に追求した結果得られた観念であったと解することができよう。
しかし、その実態は何かという段になると、喝采であり、現代国家では世論であることが示唆されるのみで、著しく神秘的色彩を帯びるものとなっている。

◇(2)実定法上の主権観念


以上主権観念の史的展開を瞥見したのみで、その他にも種々の主権観念がある。
そして第二次大戦後、シュミット流の活性的な決断主義的憲法制定権力論を否認ないし克服しようとする傾向が顕著である点は指摘しておく必要があろう。
ここではその委細について論及する余裕はないので、以下実定法とりわけ日本国憲法との関係で重要と思われる主権観念を整理し、その意義を再確認するにとどめておく。

明治憲法は、「統治権」という語を用いつつも「主権」という語は使用しなかったが、日本国憲法は、「主権」という語を何箇所かで使用し、むしろ「統治権」という語を用いてはいない。
「主権」についての明治憲法以来の有力な伝統的説明によれば、
最高権(自己の意思に反して他より制限を受けざる力)、
統治権(人に命令し強制する権利)、
国家内における最高機関の地位、さらには、
国家の意思力そのもの、
を指すといわれた(美濃部達吉)。

<1> これらの意味の中、まず、①は、国家の意思力の最高性、独立性ないし自主性に着眼しているもので、国家の意思力の属性を示すものである。
日本国憲法前文に「この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、・・・・・・」とあり、あるいは平和条約前文に「連合国及び日本国は、・・・・・・主権を有する対等のものとして・・・・・・」とあるのが、その例である。
<2> それに対して、④は、国家の意思力そのものを指してのもので、「国権」とか「統治権」とか呼ばれるものである。
「主権」が唯一不可分であるという場合の主権はこの意味であると説かれる。
もっとも、既に見たように、「国権」あるいは「統治権」という語自体がまた一義的でなく、「国権」は国家の意思力そのものを指すのに対し、「統治権」は国家が有する権利の総体であるとして区別され、国家である以上3種の基本的権利、すなわち地域的統治権または領土高権、対人的統治権または対人高権、自主組織権(権限高権)を有するものでなければならない、などと説かれる。
<3> ②は、このような「統治権」に対応するものということになる。
ポツダム宣言の8項に「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあるのがその例であるとされ、あるいは、領土主権といい、領土の割譲を主権の割譲というがごときもその例であるとされる。
<4> 問題は、③の「主権」観念である。
明治憲法時代、「唯一最高無限ニシテ独立」という「主権」概念により、その「主権」の所在如何によって君主国体と民主国体に分かつ説もあったが(穂積八束)、右の説(美濃部説)はそうした「主権」観念を排して最高の機関の地位について語ろうとするものである。
すなわち、美濃部は、明治憲法の「最も重要な根本主義」として「君主主権主義」に言及したが、それは、「統治を行ふ力が君主にその最高の源を発すること」、つまり君主が国家の「最高の機関」として「統治の最高の源泉たる地位に存ますこと」と解し、そして、「憲法制定権力」と「被制定権力」とを区別し、前者はその性質上何らの拘束も受けないというシェイエスの所説に触れて明確にそれを排撃した。
「国民が憲法以上に在って憲法の拘束を受けないものとすることは国民に不断の革命の権利を認むることであって、恰も専制主義の君主主権説に於て君主の権力が憲法以上に超越し、何時でも憲法を廃止変更することが出来るとする説と同様の誤に陥いって居る」というのがその理由である。
美濃部は、第二次大戦後も、国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であると捉え、日本国憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」と明言し、本文1条に天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」とあることをもって、「国家の統治権を行使する権能即ち国家の原始的直接機関として統治権を発動する力」が天皇から国民に移ったことを示すものと解した。
が、同時に、美濃部は、日本国憲法の成立に関し、いわゆる「八月革命」説に投じ、「憲法制定権」という言葉も使用したりして、「憲法制定権力」への傾斜を思わせる態度を示した。
この点、「国民主権」にいう「主権」とは、「国家の政治のあり方を最終的にきめる権力あるいは権威」であるとし、「シェイエス流に、『憲法制定権力』といってもいいかも知れない」と明言したのが宮沢俊義である。
そして、憲法にいう「国民主権」をそのような意味において理解する立場が支配的となったが、なおその具体的意味について解釈論上各種の考え方がありうるところで、その点については後に詳述する(第二編第一章第二節(92頁)参照)。


■3.第二編 国民主権と政治制度 第一章 国民 第ニ節 主権者としての国民


佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) 第二編 国民主権と政治制度  p.92以下


第一章 国民


<目次>


■1.第ニ節 主権者としての国民


◆Ⅰ. 日本国憲法下の国民主権論


◇(1)総説


日本国憲法は天皇主権を排して国民主権に立脚するが、その国民主権の意味ないし内容については必ずしも一義的に捉えきれないところがあり、実際様々な見解が存する。
以下主な諸見解に触れ、あわせてその問題点について述べる。

◇(2)最高機関意思説


いわゆる国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であるとの前提の下に、国民主権をもって、国家の意思力を構成する最高の機関意思、国家の原始的直接機関(ここに「直接機関」とは他の機関から委任されたのではなく、直接に国家の組織法によって国家機関たるものをいい、その中でも、他の直接機関を代表するものではなく、憲法上自己に固有のものとして認められる権能を有するものを「原始的直接機関」という)として統治権を発動する力が国民に属するとする主義であると解し、その国民とは参政権を与えられているものの全体であるとする見解がある。
この説によれば、理論上、主権の所在は憲法によって定まることになり、主権は憲法によって創設された最高権という意味合いをもつことになる(美濃部達吉は、国民主権は憲法の民定性を要求すると解しているようであるが、主権者をもって憲法・法律によって組織された国民と解する限り、憲法以前にそのような国民が存しうるのか疑問である。この点、佐々木惣一は、日本国憲法は欽定憲法であるとなし、ただ、日本国憲法の規定によれば、天皇の制定による欽定憲法というものは将来は存在しえないと説く)。
主権者たる国民からは一般に天皇は除かれる。
ただ、この国民は、雑然とした多数者であって常に直接国家意思を決定することはできないので、主権者たる国民の意思を現実に表示することを職分とする代表者が必要であり、日本国憲法上は国民の選挙によって選ばれる国会がそれにあたるとされる。

この見解は憲法発足当初有力に主張されたものであるが、次のような問題性が指摘されうる。
まず、 主権をもって機関意思と把握する以上行為能力が問題となり、そこでこの説は主権者を有権者とするのであるが、国民の中には主権者たるものと主権者でないものとがあることになって、国民主権の根本理念に反することにならないか。
第二に、 主権者たる国民は具体的には有権者とされるが、誰が有権者かは日本国憲法上基本的には法律で決まることになっていること(44条参照)、また、日本国憲法が国会をもって「国権の最高機関」としていること(41条)、との関係をどう考えるか。
第三に、 主権は憲法を生み出す力(憲法制定権力)と解すべきであって、憲法によって主権の所在が決まるというのは主権の本質を見誤るものではないか。
第四に、 論者によっては、国民主権をもって、国民が国権の源泉者または国権の「総攬者」であることの意味に解するが(佐々木惣一)、天皇が「総攬者」であると同じような意味において国民の「総攬者」を語りうるか否か。
第五に、 この説は、国民の選挙によって組織される国会が立法権を中心に国政を統括する地位に立つとすれば、国民主権の趣旨は満たされるとする傾きをもつが、国会の権能ももとより憲法による拘束下にあることをどう理解するか、また、選挙にそのような本質的契機を認めることは果たして妥当であろうか。

◇(3)憲法制定権力説


(イ)総説

最高機関意思説の右のような問題性を踏まえて、国民主権をもって憲法制定権力が国民にあるという趣旨に解そうとする見解が主張される。
もっとも、この点において基本的発想を共通にしつつも、仔細をみれば、さらに次のような諸説の分岐がみられる。

(ロ) 実力説 まず、憲法制定権力の本質を最高の実力に求める見解がある。
これは、上述の(第一編第一章第四節Ⅱ(57頁))シュミットの憲法制定権力論に通ずる見解である。
しかし、この見解に対しては、憲法制定権力が実力であるとして、その実態は何かという段になると一向に明らかにされないという批判、あるいは、最高の実力としての憲法制定権力にとって、憲法典の制定とはそもそも如何なる意味をもちうるのかという批判、が妥当する。
制定権力の実態は明らかにされず、しかも制定権力はそれを制約づけるもののない全能の存在ということになると、誰もが制定権力の行使の名において憲法を変更することを正当化する途が開かれていることにならないか。
そうなると、憲法はもはや法の世界ではなく、全く政治の世界そのものと化してしまわないか。
(ハ) 権限説 実力説の右の問題性を忌避して、実定的な「根本規範」の存在を想定し、憲法制定をもってかかる「根本規範」の授権に基づき(内容的制限を含めて)行われるところの機関としての行為として捉えようとする見解が登場する。
つまり、憲法制定権力は、厳密には憲法制定権限となる。
そしてここにいう「根本規範」とは、純粋法学流の仮設規範ないし法理論的意味における憲法ではなく、すべての成文憲法の前に妥当する、人間人格不可侵の原則を核とする価値体系にかかわる規範であるとされる。
かかる考え方に依拠して、一般に、権限主体は、シェイエスの場合と同様国民でなければならないとされ、そして君主主権に対峙する意味で国民からは天皇は除かれ、かつ機関としての行為が問題となることから具体的には有権者が想定される。

この見解に対しては、次のような問題性が指摘される。
まず、憲法制定の権限主体、制定の手続、制定さるべき憲法の内容を定める実定的な「根本規範」といったものはそもそも存在するのか。
第二に、人間人格不可侵の原則の実定性が承認されるとしても、その具体的内容および実現の方法は決して一様ではありえず、その違いが如何にして確定されるかはなお重大な問題として残るというべきではないか。
第三に、国民の中に主権の担い手たるものとそうでないものとの区別が生じ、国民主権の根本理念に反することにならないか(未成年者などの非有権者は、何故に憲法に従わなければならないのであろうか)。
第四に、有権者は日本国憲法上基本的には法律によって定められるが、憲法制定の権限主体が結局国会によって定められることになって不当ではないか。
(ニ) 監督権力説 主権者としての意思活動を憲法制定権力の発動と把握する立場に立ちつつ、国民主権の本質をもって、国民の代表の行なう統治に対して、同意を与えまたは与えない監督の権力たるところに求める見解が存する。
つまり、国民主権は、具体的な積極的行動を行なう組織化された主体にかかわるのではなく、国家の統治作用に同意を与えまたは与えないという受動的な作用を本質とするところの、現に生活しているすべての国民全体の「一般意思」の力であるところにその眼目があると解するのである。
国民主権国家にあっては、国権が国民の代表によって行われるにせよ、結局国民の同意が国政における決め手となることが力説される。

この見解は、実力説および権限説のそれぞれ有する問題性を免れ、と同時に国民主権における討論の自由(表現の自由の保障)と自由なる選挙の不可欠性を提示している点で優れた説というべきである。
が、そこでいう「一般意思」とは具体的に何であり、それは如何にして認定されるか、一時点における支配的意思が「一般意思」として絶対視される危険はないか、あるいは、国政は結局「一般意思」によって行われるということになって悪戯に現状肯定的な保守的説明手段に堕しないか、といった疑問がありえよう。
また、国民の同意が国政における決め手であるということであるとすれば、およそ国民が政治的意思を持つ限り、憲法の定め如何に関わりなく国民が主権者ということになりはしまいか、という疑問が生ずる。
それは、結局、いわゆる「事実の確認としての国民主権」論や後述のノモスの主権論に接近する。
(ホ) 最終的権威説 国民主権をもって、憲法制定権力が国民によって担われるという意味において把握するが、制定権力をもって実力とみたり権限とみたりせずに、統治を正当化すべき権威が国民に存するという意味において理解する見解が存する。
ここにおける国民とは抽象的な観念的統一体としての国民であって、およそ日本国民であれば誰でも包含され、天皇も私人としてみる限りこの国民に含まれると解することが可能となる。
この見解は、主権 = 憲法制定権力から権力的契機を徹底的に排除し、あくまでも権力の正当性の所在の問題として把握し、主権 = 憲法制定権力という実定法上の概念の名の下に憲法破壊ないし人権侵害が正当化されることを回避しようとする立場であると解することができる。
そして、主権者たる国民は権威の源泉としての国民であって、国家機関としての国民とは異なり行為能力を問題とする必要はなく、最高機関意思説や権限説のように国民の範囲をめぐる問題にかかわる必要はないという長所をもつ。
しかし他面、この説による国民主権はあまりにも無内容ではないか、国民主権はそこから一定の政治組織上の原則が帰納さるべき性質のものと捉えるべきではないか、の批判が加えられることになる。

◇(4)ノモスの主権説


主権をもって事実の世界から完全に切断し、純然たる法理念の問題として把握しようとする見解が存在する。
それによれば、いかなる権力も超えてはならない「正しい筋途」すなわちノモスがあるのであって、国の政治を最終的に決めるものが主権であるとすれば、主権はノモスにあるとみるべきであるとされる(因みに、ノモスは、古典古代のギリシャにおいて自然[ピュシス]の対立概念として考えられ、絶対的なものではなく破られやすいものではあるが、それに従うべきであるとされたものであるという)。
あるいは、この説は、法の効力根拠をノモスという道理・規範に求める説だとみる余地もある(*1)(そうだとすると、この説は、「根本規範」の存在を前提とする先の権限説に接近する)。

この説によれば、国民主権か君主主権かという問題は全く第二義的な問題と化してしまう。
事実、この説は、国民主権も君主(天皇)主権もすべてノモスという理念の支配であるから、明治憲法から日本国憲法に変っても「国体」は不変であると主張した。
しかし、仮にそのようなノモスが存在するとしても、具体的にどのような内容のノモスが、どのような方途を通じて支配するのか、という問題意識がこのノモスの主権説に欠落しており、天皇制の弁明としての性格をもつものであった。
ただ、国民主権の場合であっても、あるべき政治とは何かの課題は残るのであって、その限りでは、ノモスの主権説も考えるべき課題を提起しているといえよう。

(*1) 尾高朝雄はこのノモスの主権説の論者として知られるが、そのノモスの主権は結局のところ為政者への「心構え」の問題にとどまって、それに反する立法の無効の主張にまでは及ばなかった。
そこには、法の効力をもって「法的規範意味が事実の世界に実現され得るという『可能性』である」と捉える考え方が作用していたようである。
つまり、法の効力は当為のレヴェルではなく、事実のレヴェルにつなぎとめられていたからである。

◇(5)人民主権説


国民主権の主権をもって憲法制定権力と解することに反対し、主権を実定憲法秩序における国家権力の帰属の問題として捉えるべきであるとし、従って主権が国民にあるとされる場合の主権は、憲法秩序に取り込まれた構成的な規範原理として、国民をして実際の国政の上で最高権の存在に相応しい場を確保せしめるという民主化の作用を果たすべきものとみるみるべきであるとする見解が存する。
そして、国民主権をルソー流の人民主権の方向で把握するのがあるべき歴史的解釈であるとし、日本国憲法に即していえば、15条1項、79条2項・3項、96条1項などは人民主権に馴染む規定であると捉え、43条1項や51条の規定にかかわらず、命令的委任の採用は可能であると説く(命令的委任の意味は必ずしも明確ではないが、一般に、選挙で選ばれた代表者は選挙区の訓令によって行動する義務を負い、それに違反した場合には有権者によって罷免されうるという要求を内容とするようである)。

この見解は、まず、主権は法的権力であるが、憲法制定権力は法の外の世界に属する事象と捉えるところに特徴をもつ(この説によれば、主権 = 憲法制定権力という定式では、国民主権は建前と化し、結局現実の国政の場で国民を主権者たる地位から追放することになるという。)
しかし、主権観念が国家統治のあり方に最も根源的にかかわり合う憲法の制定に無関係とすることは問題で、ドイツのように、「ドイツ国民は・・・・・・その憲法制定権力に基づき、この基本法を決定した」(前文)とうたって、憲法制定権力を実定化している例のあることが留意さるべきである。
そして、主権 = 憲法制定権力と基本的に把握することが、直ちに主権観念をして無内容のものとすると解するべきではなく、後述のように一定の構成的作用を果たすものであるとみるべきであろう。
なお、フランス的文脈でいえば、いわゆる「国民主権」から「人民主権」へという定式が成り立つとしても(1946年憲法も58年憲法も、国の主権は人民(peuple)に属するとしている)、そのことから、一般的に、あるいは日本国憲法上、命令的委任が当然に帰結されるといえるかは問題で、この点については後述する(第二章(13頁)参照)。
国民代表の観念が、現実でないものを現実であるかのごとく装うという「イデオロギー」的性格をもつとすれば、命令的委任も、そのような「イデオロギー」的性格を免れえているわけではない。

◆Ⅱ. 国民主権の意義


◇(1)総説


以上みてきたように、日本国憲法下の国民主権の意味について諸種の見解が存するところであるが、今日国民主権は単一の次元においてのみ捉えるべきではなく、複数の次元を包摂する全体像において把握されるべきものと思われる。
すなわち、国民主権には、大別して、憲法を定立し統治の正当性を根拠づけるという側面と、実定憲法の存在を前提としてその憲法上の構成的原理としての側面とがあり、後者はさらに、国家の統治制度の民主化に関する側面と公開討論の場(forum)の確保に関する側面とを包含するものと解すべきである。

◇(2)憲法制定権力者としての国民主権


国民主権は、まず、主権という属性をもった国家の統治のあり方の根源にかかわる憲法を制定しかつ支える権力ないし権威が国民にあることを意味する。
この場合の国民は、憲法を制定した世代の国民、現在の国民、さらには将来の国民をも包摂した統一体としての国民である。
従って、この場合の国民は、基本的には、それ自体として国家の具体的な意思決定を行ないうる存在ではない。
換言すれば、雑然とした国民の全体を一つの観念で把握し、そこに一つの意思があると想定し(あるいはこれを一般意思と呼んでもよい)、その意思に国家の合法性の体系を成立せしめる究極の正当性の根拠をみるのである。

もとより、国民主権を標榜する場合であっても、現実には、憲法は、ある歴史的時点において、その世代の人々により、ある方法をとって(憲法会議と国民投票という方法をとることもあれば、そうでない場合もある)制定される。
その意味では、国家の合法性の体系は具体的な意思ないし実力(権力)から生まれるものといわなければならない。
つまり、権限説やある種のノモスの主権説のように「根本規範」ないし自然法といったものを想定し、国家の実定法体系をその具体化・実現として捉える(法の根拠についての道理説)のではなく、法の根拠について意思ないし実力に求める立場である。(*1)

しかし、その場合に問題となるのは、何のために、如何なる原理に基づく憲法を制定するかである。
主権者(憲法制定権者)たる国民が立憲主義憲法を制定する場合、そのときの国民は、個人の人格的自律が尊重される“良き社会”の形成発展という長期的視野に立って自己拘束をなし、また、後の世代の国民がそれぞれの時代の状況に柔軟に対応しつつ“良き社会”の形成発展に向けて自己統治を行なうことを容易にする政治システムを構築しようとするのである。
過去の国民(“死者”)は現在の国民(“生者”)を拘束することはできない。
立憲主義を支える道徳理論によるならば、過去の国民(“死者”)が現在の国民(“生者”)を拘束することが許されるのは、現在の国民(“生者”)が自由を保持しつつ自己統治をなすことを容易にする制度枠組を構築する、換言すれば、現在の国民(“生者”)が自由な主体として自己統治をなすことができる開かれた公正な統治過程を保障するという場合のみである。
国民をもって、憲法を実際に制定した世代の国民、現在の国民、さらに将来の国民を包摂した観念的統一体として把握し、そのような国民の意思に国家の合法性の体系の成立・存続の正当性の根拠を求めることが道徳理論上認容されうるのは、そのような条件が満たされる場合においてのみであろう。

このような意味において、国民がその担い手である憲法制定権力は基本的には端的な実力ではなく、一般的な意思ないし権威となる。
ただ、上述のように憲法改正権は制度化された憲法制定権力と解されるから(第一編第一章第三節(34頁)参照)、改正の場に登場する国民は具体的には一定の資格をもったもの(有権者)のみではあるが、主権者たる国民そのものに擬すべき存在と解するべきであろう。
これによって、主権者たる国民は、制度枠組自体をそれぞれの時代に制度的に適応せしめる途が開かれている。

(*1) 宮沢俊義は、尾高のノモスの主権説を批判するにあたって、意思ないし実力説的見地に立つことを示唆したが、他方では、「憲法の正邪曲直を判定する基準になる『名』」の存在、さらには憲法の効力さえ左右する自然法論のごとき立場に与することを示唆した。

◇(3)実定憲法上の構成的原理としての国民主権


(イ)統治制度の民主化の要請

国民主権は、憲法を成立せしめ支える意思ないし権威としてのみならず、その憲法を前提に、国家の統治制度が右の意思ないし権威を活かすよう組織されなければならないという要請を帰結するものと解される。
次節にみるように国民は有権者団という機関を構成するが、それは民意を忠実に反映するよう組織されなければならないとともに、統治制度全般、とりわけ国民を代表する機関の組織と活動のあり方が、憲法の定める基本的枠組の中で、民意を反映し活かすという角度から不断に問われなければならないというべきである。
国民主権のこの要請から例えば命令的委任が帰結されるかどうかは、日本国憲法の定める基本的枠組の解釈の問題であって、その点については後述する(本編第二章(136頁)参照)。
また、有権者団としての国民の意思、その意思に基づいて組織される国家機関の意思は、(2)の憲法制定権力者としての国民の意思そのものではないのであって、絶対性を主張することはできないことが留意さるべきである。

(ロ)公開討論の場の確保の要請

構成原理としての国民主権は、統治制度の民主化を要請するのみならず、かかる統治制度とその活動のあり方を不断に監視し問うことを可能ならしめる公開討論の場が国民の間に確保されることを要請する。
集会・結社の自由、いわゆる「知る権利」を包摂する表現の自由は、国家からの個人の自由ということをその本質としつつも、同時に、公開討論の場を維持発展させ、国民による政治の運営を実現する手段であるという意味において国民主権と直結する側面を有している。
しばしば国民主権は“世論による政治”であるといわれるのは、国民主権の右の面にかかわるが、ただ、ここでいわれる世論は憲法制定権力者としての国民の意思そのものと目さるべきでないこと勿論である。


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