中川八洋『国民の憲法改正』抜粋

<目次>


■1.中川八洋『国民の憲法改正』


中川八洋氏の政治思想については 理論派保守を目指そう! で大きく取り扱っているので、参照して欲しい。
このページでは、同氏の日本国憲法憲法改正の提案についてより詳細に紹介する。

国民の憲法改正―祖先の叡智日本の魂
第1部 正統の日本国憲法 中川草案
第2部 「国民の憲法」の絶対三条件―皇室、国防軍、家族 「世襲の共同体」日本の皇統―天皇への崇敬は悠久の日本の礎
美徳ある国民
名誉ある国家―道徳の主体としての国防軍 ほか
第3部 国家簒奪・大量殺戮の思想を排除する―根絶すべきフランス革命の教理 「国民主権」は暴政・革命に至る―「デモクラシーの制限と抑制」こそ憲法原理
「人権」という、テロルの教理―文明と人間を破壊した「フランス人権宣言」 ほか
第4部 亡国に至る三つの憲法改悪―一院制、首相公選、地方分権 参議院の再生―「法の支配」の番人
国の伝統と慣習の守護
中曽根「首相公選」論の正体―スターリン型独裁への中間段階 ほか


■2.日本国憲法(全文)と要改正箇所

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽

昭和二十一年十一月三日

内閣総理大臣兼
外務大臣 吉田茂
国務大臣 男爵 幣原喜重郎
司法大臣 木村篤太郎
内務大臣 大村清一
文部大臣 田中耕太郎
農林大臣 和田博雄
国務大臣 斎藤隆夫
逓信大臣 一松定吉
商工大臣 星島二郎
厚生大臣 河合良成
国務大臣 植原悦二郎
運輸大臣 平塚常次郎
大蔵大臣 石橋湛山
国務大臣 金森徳次郎
国務大臣 膳桂之助

日本国憲法
前 文 説明 中川八洋・改憲案
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
削除 大東亜戦争に関する戦勝国への謝罪文。1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効をもって死文。自由社会の憲法にあってはならない「国民主権」などの不適切な用語がある。
書換案 日本国民は、祖先より相続した美徳ある自由の満ちる祖国が、未来悠久に存続するために、世襲の義務を果すことを決意して、主権を喪失した占領下に制定された「日本国憲法」を改正し、ここに新しく憲法を制定する。
第1章 天 皇 説明 中川八洋・改憲案
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 天皇の地位、国民主権 大幅修正 元首である天皇を元首と明記する。「国民主権」は存在させてはならない。本書第一章参照のこと。
第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。 皇位継承 新条項 皇室典範の非法律化。「改正は皇室の発議による」は、昭和天皇のご遺志。
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。 天皇の国事行為と内閣の責任 大幅修正 「内閣の助言と承認」は不敬用語で不適切。「奏請」が正しい言葉。
新条項 君が代と日の丸の定め。
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
天皇の権能の限界、天皇の国事行為の委任
第5条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。 摂政(皇室典範)
第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
天皇の任命権
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
△1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
△2.国会を召集すること。
△3.衆議院を解散すること。
△4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
△5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
△6.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
△7.栄典を授与すること。
△8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
△9.外国の大使及び公使を接受すること。
△10.儀式を行ふこと。
天皇の国事行為
第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。 皇室の財産授受⇒皇室経済法へ 大幅修正 皇室財産については、旧制に戻す。第88条と統合する。
新条項 皇室財産の皇室への帰属。
第2章 戦争の放棄 説明 中川八洋・改憲案
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
戦争の放棄、戦力・交戦権の否認 大幅修正 敗戦国の占領者への武装解除誓約の定めをいつまで残すのか。国防軍の創設を定める。本書第ニ章参照のこと。
新条項 「国防」のなかに「固有の領土防衛」を含む旨の定め。
第3章 国民の権利及び義務 説明 中川八洋・改憲案
第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。 日本国民の要件⇒国籍法へ
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 基本的人権の享有 削除 「人権」は反憲法の概念。本書第五章参照のこと。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 自由・権利の保持義務、濫用禁止、利用責任
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重 (1項)削除 「個人の尊重」とは「人間の個(アトム)化」を前提としており、アナーキズム若しくは全体主義に至る危険思想。「個人の尊厳」は伝統と慣習の宿る「中間組織」の存在と他者の支えが不可欠。「中間組織」の擁護が憲法原理であって、「個人の尊厳」は憲法としては排除すべきもの。
(2項)削除 生命・自由・幸福追求という「国民の権利」の一つは、中川草案第16条に統合。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界 (1項後段)削除 「法の前の平等」の重複説明部分は不要。
(2項)削除 華族は一部復活する。
新条項 華族制度の部分的復活。
第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
公務員の選定罷免権、公務員の性質、普通選挙・秘密投票の保障
第16条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。 請願権
第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。 国および公共団体の賠償責任 削除 国家賠償法に規定されている。
第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 奴隷的拘束および苦役からの自由 削除 アメリカ黒人解法の定めは日本に不要。
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 思想および良心の自由
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
信教の自由、国の宗教活動の禁止 大幅修正 日本に特有な宗教絶滅運動である「政教分離」は“正しい憲法”の拒絶するもの。本書第七章を参照のこと。第89条はここに統合。
新条項 英霊を祀る靖国神社を守る国民の義務の規定。
新条項 無神論者の反宗教活動の禁止。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密
第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由
第23条 学問の自由は、これを保障する。 学問の自由
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
家族生活における個人の尊厳と両性の平等 大幅修正 「家族重視」は憲法の根本的規定の一つ。本書第三章を参照のこと。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
生存権、国の生存権保障義務 削除 不要。
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
勤労の権利・義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止 削除 「労働」の聖化は社会主義イデオロギーだから、自由社会の憲法に不適。「勤労の義務」化は、強制重労働収容所に直結する。その他は、法律で充分に定められている
第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。 勤労者の団結権・団体交渉権その他の団体行動権 削除 27条と同様の理由
第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
財産権
第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。 納税の義務
第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 法定の手続の保障 大幅修正 中川草案第29条の一つにまとめる。
第32条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。 裁判を受ける権利 大幅修正 中川草案第29条の一つにまとめる。
第33条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。 逮捕の要件 大幅修正 中川草案第29条の一つにまとめる。
第34条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。 抑留・拘禁の禁止
第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
住居侵入。捜索・押収に対する保障 削除 刑事訴訟法など法律で規定されている。
第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。 拷問・残虐な刑罰の禁止 削除 35条と同様の理由
第37条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
刑事被告人の権利 削除 35条と同様の理由
第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
自己に不利な供述の強要禁止、自白の証拠能力 削除 35条と同様の理由
第39条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。 刑罰法規の不遡及、一事不再理 削除 35条と同様の理由
第40条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。 刑事補償 削除 35条と同様の理由
第4章 国 会 説明 中川八洋・改憲案
第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。 国会の地位、立法権 ※三権の順序※ 現在の「国会→内閣→裁判所」の順序を、「裁判所→内閣→国会」とする。デモクラシーの政治機関たる国会はそのデモクラシー性の故に制限されるべきものということと、司法は自由社会にとって最も重視されるべきものであることの二点を、国民が日々、拳拳服膺するため。
新条項 立法における伝統と慣習の重視。
第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。 両院制
第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。
両議院の組織
第44条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。 議員および選挙人の資格
第45条 衆議院議員の任期は、4年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。 衆議院議員の任期
第46条 参議院議員の任期は、6年とし、3年ごとに議員の半数を改選する。 参議院議員の任期
第47条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。 選挙に関する事項の要立法
第48条 何人も、同時に両議院の議員たることはできない。 両議院議員の兼職禁止
第49条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。 議員の歳費
第50条 両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。 議員の会期中不逮捕特権
第51条 両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。 議員の発言・表決の無責任
第52条 国会の常会は、毎年一回これを召集する。 常会
第53条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。 臨時会
第54条 衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない。
2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後10日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。
衆議院の解散、特別会、参議員の緊急集会
第55条 両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。 議員の資格争訟の裁判
第56条 両議院は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き、議決することができない。
2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
定数足、表決
第57条 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
2 両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
3 出席議員の5分の1以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。
会議の公開、秘密会
第58条 両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。
2 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。
役員の選任、議院規則、懲罰
第59条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて60日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。
法律案の議決、衆議院の優越 新条項 民法と刑法の改正等にかかわる審議における、参議院先議権の定め。
第60条 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて30日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
衆議院の予算先議と衆議院の優越
第61条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第2項の規定を準用する。 条約の国会承認と衆議院の優越
第62条 両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。 議院の国政調査権
第63条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。 国務大臣の議院出席の権利と義務
第64条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。
弾劾裁判所
第5章 内 閣 説明 中川八洋・改憲案
第65条 行政権は、内閣に属する。 行政権と内閣
第66条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
内閣の組織
第67条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて10日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
内閣総理大臣の指名、衆議院の優越
第68条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
国務大臣の任免
第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。 衆議院の内閣不信任決議
第70条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。 内閣総理大臣の欠けつ、総選挙後の総辞職
第71条 前2条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。 総辞職後の内閣の職務
第72条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。 内閣総理大臣の職務
第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
△1.法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
△2.外交関係を処理すること。
△3.条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
△4.法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
△5.予算を作成して国会に提出すること。
△6.この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
△7.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
内閣の事務
第74条 法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。 法律・政令の署名
第75条 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。 国務大臣の訴追
第6章 司 法 説明 中川八洋・改憲案
第76条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立
第77条 最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
2 検察官は、最高裁判所の定める規則に従わなければならない。
3 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。
裁判所の規則制定権
第78条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。 裁判官の身分保障
第79条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後10年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
4 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
5 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。
6 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。
最高裁判所の構成、国民審査
第80条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を10年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。
2 下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。
下級裁判所の裁判官、任期、定年、報酬
第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。 法令審査権
第82条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第3章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。
裁判の公開
第7章 財 政 説明 中川八洋・改憲案
第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。 財政処理の基本方針
第84条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。 課税の要件
第85条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。 国費支出と国の債務負担
第86条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。 予算の作成と国会の議決
第87条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。
予備費
第88条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。 皇室財産・皇室費用 大幅修正 皇室財産は皇室に属する。第8条とともに、中川草案第10条にまとめる。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。 公の財産の支出利用の制限 削除 正しい憲法に違反する宗教絶滅運動「政教分離」に悪用されるので、削除。
第90条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
2 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
決算、会計検査院
第91条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。 財政状況の報告
第8章 地方自治 説明 中川八洋・改憲案
第92条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。 地方自治の基本原則
第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
地方公共団体の機関、直接選挙
第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。 地方公共団体の権能
第95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。 特別法の住民投票
第9章 改 正 説明 中川八洋・改憲案
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
憲法改正の手続
第10章 最高法規 説明 中川八洋・改憲案
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 基本的人権の本質 削除 自由社会の憲法にあってはならない「人権」の定め。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
憲法の最高法規性と条約・国際法規の遵守 (1項)削除 自明にて不要。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 憲法尊重擁護の義務 削除 不要。
新条項 全体主義や無国家主義を指向する政党の禁止。
第11章 補 則 説明 中川八洋・改憲案
第100条 この憲法は、公布の日から起算して6箇月を経過した日から、これを施行する。
2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。
施行期日
第101条 この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまての間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。 国会に関する経過規定 削除 経過措置の定めであり、現在では不要。
第102条 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを3年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。 第一期参議院議員の任期 削除 101条と同様の理由
第103条 この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。 公務員に関する経過規定 削除 101条と同様の理由

中川草案の主な新条項とその趣旨

中川草案 第2条第2項 皇室典範の非法律化。「改正は皇室の発議による」は、昭和天皇のご遺志。
第10条 皇室財産の皇室への帰属。
第11条第2項 「国防」のなかに「固有の領土防衛」を含む旨の定め。
第13条 君が代と日の丸の定め。
第17条第3項 英霊を祀る靖国神社を守る国民の義務の規定。
第22条第3項 無神論者の反宗教活動の禁止。
第48条第2項 立法における伝統と慣習の重視。
第50条第2項 華族制度の部分的復活。
第66条第6項 民法と刑法の改正等にかかわる審議における、参議院先議権の定め。
第72条第2項 全体主義や無国家主義を指向する政党の禁止。


■3.憲法草案-解説

<目次>


中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.11以下



第一部 正統の日本国憲法(中川草案)



自由を、世襲の権利として正しく永続させ、また聖なるものとして保持するための道や方法として、世襲の王制以外のなにものも存在しないことは、これまでの経験が教えています。(E. バーク)


◆日本国憲法(中川草案)



日本国民は、祖先より相続した美徳ある自由の満ちる祖国が、未来悠久に存続するために、世襲の義務を果すことを決意して、主権を喪失した占領下に制定された「日本国憲法」を改正し、ここに新しく憲法を制定する。
第一章 天皇    (個々の条文案は省略)
第ニ章 国防軍と国際法規    (個々の条文案は省略)
第三章 国旗および国歌    (個々の条文案は省略)
第四章 日本国民の義務および権利    (個々の条文案は省略)
第五章 司法    (個々の条文案は省略)
第六章 内閣    (個々の条文案は省略)
第七章 国会    (個々の条文案は省略)
第八章 政党    (個々の条文案は省略)
第九章 財政    (個々の条文案は省略)
第十章 地方自治    (個々の条文案は省略)
第十一章 改正    (個々の条文案は省略)
第十ニ章 補則    (個々の条文案は省略)


◆解説



◇一. 憲法の二大目的


自由社会である国家の憲法は、次の二つの目的に奉仕するものでなくてはならない。
また、そうあるものをもって憲法という。

一、  過ぎし幾多の時代、幾多の世代を経て祖先より相続した、歴史と伝統と慣習の宿る誇りある国家を、未だ生まれていない未来の子々孫々に引き継ぐべく、国家に潜む永遠に“永続させ得る生命源”を守り弛むことなく再活性化を図るものであること。
二、  国民一人ひとりの“美徳ある自由”を擁護する、または国民一人ひとりを“美徳ある自由”に教導する、そのような働きを為すものであること。

憲法の最高目的が、この“国家永続の生命源”と“美徳ある自由”の擁護にあるとすれば、正統な憲法は、この二大目的に反する、もしくはこの二大目的を害する概念や思想から中立でなくてはならない。
それらを排撃するものでなくてはならない。

◇二. 憲法が排撃すべき四つの革命の教理


国民をギロチンその他で無制限に殺戮した、血塗られたフランス革命の、この大量殺戮(テロル)を推進し正当化したドグマが、「 人間の権利(人権) 」であり、「 国民主権 」であった。
「人権」と「国民主権」こそは、生命という自由の根幹すら尊重しない、憲法そのものに背反する「反・憲法」を極める狂気のドグマであった。
悪魔の思想であった。

また、フランス革命とは、唯物論と合体した無神論・理神論を背景にしたカルト宗教の権力争奪の内戦であった。
そのキリスト教撲滅のための野蛮かつ残虐なドグマが、言うまでもなく「 政教分離 」であった。
「政教分離」こそは、教会を破壊しその財産を没収し、国民の信教の自由を否認し弾圧した、反宗教の教理ではなかったか。
このキリスト教という既成宗教撲滅を推進した「政教分離」は、ロシア革命でもレーニンに継承され、あの残忍で陰惨な教会破壊と数十万人という大規模な殺人へと発展した。

現在もなお日本で、「政教分離」を旗印に、靖国神社に対する国民の信教の自由を奪うという暴挙が為されている。
「政教分離」は、自由社会にとって赦し難いもっとも野蛮な「反・憲法」の暴力破壊主義の教理である。
一方、宗教絶滅の、いかなるイデオロギーをも、憲法は排除しなければならない。
よって、「政教分離」は、現憲法から削除される。

宗教に関しては、それぞれの民族なり国家なりが数百年あるいは一千年以上の歳月をかけて試行錯誤した叡智において、国家との関係が定まっているのであって、この関係に、ある世代の浅薄な知力による人為的な手術(改革)を決して加えてはならない。
宗教は全て、脱会の自由と私有財産の尊重の二つの条件を満たしている限り、その活動に国家権力(政治)は介入してはならない。

平等 」についてもそうであって、英国においてはマグナ・カルタを始めとする中世ゲルマンの法思想から発展した憲法原理、「法の支配」から誕生した「法の前の平等」を例外として、憲法的基本文書のどこにも「平等」は存在しない。
米国憲法にもそのようなものは全く存在しない。
米国憲法に「平等」の二文字が例外的に挿入されたのは、憲法制定から約90年を経た修正第14条で1868年であった。
解放された黒人にもそれが米国籍であることにおいて法的保護の「平等」な適用を定めた「平等」であった。
黒人も白人と平等であるという平等主義の「平等」ではなかった。

「平等」のドグマは、ルソーの『人間不平等起源論』(1755年)において初めて提唱されたもので、それがフランス革命の教理となり、ついには階級間不平等、生まれによる不平等、財産の不平等、物質的生活の不平等、・・・・・・などの除去を国家権力の行使でもって実行することを正当化するドグマとなった。
かくして、その後の人類史はこの「平等」によって阿鼻叫喚の「世紀の蛮行」が歴史を汚すことになった。
例えば、このフランス革命をもう一度繰り返したロシア共産革命のレーニンは、「平等」をロシア国民に強制し、スターリンとともに、6,600万人を殺害した。
「平等」の強制は、ホロコーストに至る。
正統な憲法は、この故に「平等」を断固として排斥するのである。
米国の憲法にも、英国の憲法にも、「法の前の平等」はあっても、未だ平等主義の「平等」は皆無である。

要するに、次の四つの革命の教理は、とてつもない反憲法のイデオロギーである。
正統かつ正常であるべき、我が日本国憲法から完全に排除されねばならない。

A、  「人間の権利(人権)」
B、  「国民主権」
C、  「政教分離」
D、  「平等」(ただし、「法の前の平等」を除く)

◇三. 憲法が危険視すべき、もう二つのイデオロギー


「民主主義」「平和」 という、二つの言葉は、日本ではイデオロギー化しており、憲法の用語としては、明らかに適さない。
そもそもデモクラシーとはデモス(民衆)のクラシー(制度)であるから、「民衆の政治参加制度」と正しく訳すべきものを、「民」が「主体」「主人」の意になる「民主」という字をつくり、あげくに「主義」をくっつけたからイデオロギー化してしまったのである。

また、ソ連も北朝鮮も人民抑圧というより“人民殺し”の体制であったが、それらの政治体制を「人民民主主義」と呼んでいたように、民主主義は単なる暴政以上に悪逆残忍な暴政の政治になり得る政治制度である。
米国憲法は、デモクラシーをいかに制限(抑制)するかに苦心して起草され制定された。
英国憲法もデモクラシーを政体の一部にとどめて、それを手放しで称賛するようなことは決してしなかった。

日本では、国会というものが国民一般の投票による代表(国会議員)によって構成される以上、デモクラシーは憲法上に認められた制度となっている。
だが、それは、政治の理念としてではない。
憲法の原理でもない。
デモクラシーに関わる憲法原理はあくまでも、自由や専制や全体主義に至らしめる危険なデモクラシーの暴走を如何に阻止するかである。
デモクラシーによって発生する国民の堕落と腐敗を如何に防止するかである。
憲法において、デモクラシーと関係する国会(立法府)が、中川草案では、司法と内閣(行政府)の三権のなかで最も低い地位に置かれている理由はこれである。

「平和」という概念には古来より、かつ世界広く普遍的に二つの対極的意味があるので、軽々に用いることが出来ない。
「奴隷の平和(自由と独立のない平和)」と「自由(独立)ある平和」である。
このため、「平和」がどちらを指しているかは「平和」だけでは分からない。
また「平和(peace)」は、「戦争(war)でない」という意味しかない。
例えば、かつてのバルト三国の如くソ連の支配と収奪を忍耐している状況をも「平和」と言うのである。
つまり、日本国が「自由ある平和」を望んで、一方周辺の侵略国が日本の「奴隷の平和」を望んだ場合に、仮に「平和」の言葉だけであれば、後者は前者が同意したとして侵略を正当化するものとなる。
自由と独立にとって、このように「平和」は危険な言葉である。
このために、通常、「平和」を用いず、「自由と独立」などという言葉を用いるのである。

さらに、レーニンが「平和(ミール)」に「世界共産化(ミール)」というイデオロギーの意味を持たせたために、日本でも共産党は共産化運動のことを「平和運動」と称している。
よって、ロシアが北方領土を全面返還し、中共が対日核兵器戦力を全て撤去し、共産党の平和運動やナガサキ・ヒロシマの核廃絶という狂気が完全に消滅するまで、日本の憲法と全ての法律は、「平和」という二文字を使うことは出来ない。

◇四. “美徳ある自由”と国家永続の生命源 - 憲法上に聖別さるべき「五つの制度」


自由は「法の支配」のほか、階級などの「中間組織」の存在に最も擁護されるが、君主制の働きも極めて大きい。
天皇を戴くことによって、日本国民の享受する自由が“高雅なる自由”となるばかりではない。
自由がナショナルな「相続(世襲)」によって、ある特定な国民に享受されるものとなるのは、君主制における「世襲」の法理が援用されているからである。
自由と君主制の不可分性は、近代的自由が英国という君主制国に発生した世界史の常識においても明らかだろう。
「皇室(天皇)は、日本国民の自由の淵源である」といってよいのである。

美徳は、伝統と慣習の土壌に咲いた美しき人間の感性に基づく行為であるが、それが「自然成長的な制度(spontaneous order)」に高度に発達したのは、日本であれば武士階級という担い手によってであり、ヨーロッパでは貴族によってである。
そして、封建体制の終焉に伴う近代以降にあっては、軍隊が武士階級を、軍人がサムライを代替して倫理・道徳を顕現する新しい担い手となった。
すなわち、名誉や大義のために個人の生命を犠牲にするという美徳を担う国家的組織と職業が国防軍と軍人である。
国防軍と軍人なくして、一国における美徳は確実にに萎えて涸れていく。

美徳はまた、社会全体に伝統と慣習が共有されていなくては棲息していけないから、具体的には家族にその自覚がありそれを子弟に教育することがない限り、美徳もその感性が磨かれず開花することはない。
一般的にも、最も発展した伝統と慣習が世代を超えて民族全体に共有されるには、家族という世代間を繋ぐ臍帯(せいたい、パイプライン)が不可欠である。
要は、家族とは、国家全体の倫理・道徳にとって基盤的な土壌である。
いかなる国家も、憲法において、“家族”が重視され特段の保護を受けるものと定める理由の一つはこれである。

また未来の子々孫々にわたる国家の連綿たる連続は、祖先から子孫に至る家族の血統の連続においてしか維持できないから、墓石と仏壇に象徴される家族による祖先の祭祀こそは国家永続の最重要な生命源の一つである。

国家は、内的には精神や徳性の衰退を招かないようにすべきだが、外的にも国家を物理的危害から守り続けない限りその生存は危殆に瀕する。
国家防衛への自己犠牲の魂が民族全体に漲って初めて国家は最小限の安泰の状況を獲得する。
日本国を守らんとした勇者の祖霊が眠る神域である靖国神社の杜こそは、日本国民の最も高貴な精神と魂が凝集しているのであり、それこそ国家永続の生命源の一つでなくて何であろう。

すなわち、日本国として聖別すべき「制度」は五つ有る。
天皇、国防軍、家族、墓石、靖国神社 である。
これらは憲法において、その旨と精神とが、条文にて闡明されていなくてはならない。


◆現憲法の削除条項と大幅修正条項、および中川草案の新条項



◇一. 削除条項とその理由


前文 大東亜戦争に関する戦勝国への謝罪文。1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効をもって死文。自由社会の憲法にあってはならない「国民主権」などの不適切な用語がある。
第11条 「人権」は反憲法の概念。本書第五章参照のこと。
第13条第1項 「個人の尊重」とは「人間の個(アトム)化」を前提としており、アナーキズム若しくは全体主義に至る危険思想。「個人の尊厳」は伝統と慣習の宿る「中間組織」の存在と他者の支えが不可欠。「中間組織」の擁護が憲法原理であって、「個人の尊厳」は憲法としては排除すべきもの。
第13条第2項 生命・自由・幸福追求という「国民の権利」の一つは、中川草案第16条に統合。
第14条第1項後段 「法の前の平等」の重複説明部分は不要。
第14条第2項 華族は一部復活する。
第17条 国家賠償法に規定されている。
第18条 アメリカ黒人解法の定めは日本に不要。
第25条 不要。
第27/28条 「労働」の聖化は社会主義イデオロギーだから、自由社会の憲法に不適。「勤労の義務」化は、強制重労働収容所に直結する。その他は、法律で充分に定められている。
第35/36/37/38/39/40条 刑事訴訟法など法律で規定されている。
第89条 正しい憲法に違反する宗教絶滅運動「政教分離」に悪用されるので、削除。
第97条 自由社会の憲法にあってはならない「人権」の定め。
第98条第1項 自明にて不要。
第99条 不要。
第101/102/103条 経過措置の定めであり、現在では不要。

◇ニ. 大幅修正条項とその理由


第1条 元首である天皇を元首と明記する。「国民主権」は存在させてはならない。本書第一章参照のこと。
第3条 「内閣の助言と承認」は不敬用語で不適切。「奏請」が正しい言葉。
第8条 皇室財産については、旧制に戻す。第88条と統合する。
第9条 敗戦国の占領者への武装解除誓約の定めをいつまで残すのか。国防軍の創設を定める。本書第ニ章参照のこと。
第20条 日本に特有な宗教絶滅運動である「政教分離」は“正しい憲法”の拒絶するもの。本書第七章を参照のこと。第89条はここに統合。
第24条 「家族重視」は憲法の根本的規定の一つ。本書第三章を参照のこと。
第31/32/33条 中川草案第29条の一つにまとめる。
第88条 皇室財産は皇室に属する。第8条とともに、中川草案第10条にまとめる。
※三権の順序 現在の「国会→内閣→裁判所」の順序を、「裁判所→内閣→国会」とする。デモクラシーの政治機関たる国会はそのデモクラシー性の故に制限されるべきものということと、司法は自由社会にとって最も重視されるべきものであることの二点を、国民が日々、拳拳服膺するため。

◇三. 中川草案の主な新条項とその趣旨


中川草案 第2条第2項 皇室典範の非法律化。「改正は皇室の発議による」は、昭和天皇のご遺志。
中川草案 第10条 皇室財産の皇室への帰属。
中川草案 第11条第2項 「国防」のなかに「固有の領土防衛」を含む旨の定め。
中川草案 第13条 君が代と日の丸の定め。
中川草案 第17条第3項 英霊を祀る靖国神社を守る国民の義務の規定。
中川草案 第22条第3項 無神論者の反宗教活動の禁止。
中川草案 第48条第2項 立法における伝統と慣習の重視。
中川草案 第50条第2項 華族制度の部分的復活。
中川草案 第66条第6項 民法と刑法の改正等にかかわる審議における、参議院先議権の定め。
中川草案 第72条第2項 全体主義や無国家主義を指向する政党の禁止。


■4.皇位世襲と国民の自由の関係

<目次>


中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.51以下



第ニ部 「国民の憲法」の絶対三条件 - 皇室、国防軍、家族



第一章 「世襲の共同体」日本の皇統 - 天皇への敬愛は悠久の日本の礎


◆第一節 「女系の天皇」か、旧11宮家の皇族復帰か


(省略)

◆第ニ節 「開かれた皇室」論 - 生きているコミンテルン「32年テーゼ」


(省略)

◆第三節 皇位の世襲こそ、「国民の自由」の淵源


真に自由な社会とは、「君主制下のデモクラシーはどうあるべきか」を論じても、必ず「デモクラシー下の君主制はどうあるべきか」という転倒の思想を排除する。
なぜなら、君主制は保守し擁護すべき高級な憲法制度であるが、一方のデモクラシーは制限し抑制されるべき低級な政治制度の一つに過ぎない。
君主制は国民が生命にかけても積極的に守るべき「制度」だが、デモクラシーは消極的に容認されて存在が許される現実の政治に過ぎない。

この理由は明白であろう。
君主制は政治理念たる“美徳ある自由”の淵源の一つであるのに、デモクラシーは民衆(デモス)の要求する「平等」という、徳性を喪失した非道徳で反・自由な制度(クラシー)だからである。
こうも言ってよいだろう。
我々が空高く掲げるべき“自由”は価値であり、君主制こそはこの“自由”の芽を大樹に育てあげてくれる。
が、デモクラシーは、「平等」という土足で、この“自由”の畑を踏み荒らす。

現実にも、英国であれ日本であれ、君主のもつ尊厳と尊貴とが、国中に君主の威徳を満たして英国民や日本国民の“自由”に徳性を附与してきた。
“美徳ある自由”が、君主制と封建制度のある国に限定されて発展した理由の一つである。
が、一方のデモクラシーは(橋・道路を造ってくれ!、年金をもっと増やせ!・・・・・・の)下劣な欲望を背景とした投票に、政治家が議員になりたいばかりに屈服する政治制度である。
つまり、デモクラシーは民衆のそのような非道徳若しくは反道徳的な政治参加によって国中から美徳を破壊して、野卑を蔓延させる制度である。
この故に、君主制は憲法原理であるが、一方のデモクラシーは、「デモクラシーの暴走を抑制する(たがを嵌める)」ことのみが憲法原理となっても、デモクラシーそのものは反憲法となる。
米国は、君主制ではないが、その憲法を起草するとき、デモクラシーについてはこの通りに考え、「デモクラシーの制限」を憲法の柱の一つとした。

以上の事柄は、“自由”は憲法原理であるが、「平等」は「法の前の平等」を除いて反・憲法であるという、“自由”と「平等」の関係と酷似している。
つまり、君主制は憲法上の至高の制度であるが、デモクラシーは憲法とは無関係か、仮に憲法的に考慮するとすれば「デモクラシーを否定的に制限すること」のみが憲法原理となる。

このようなことは、「米国憲法の父」で米国を建国したアレグザンダ・ハミルトンや、ハミルトンと共にジョージ・ワシントンに仕えた初代副大統領(第二代大統領)ジョン・アダムズらにとっては常識であった。
米国憲法(起草1787年、施行1788年)が、「平等」を完全に拒絶し、デモクラシーを可能な限り抑制することを根本思想として制定された理由は、これで分かってもらえるだろう。
とくに、「建国の父たち」の絶対多数意見は、新生アメリカがアナーキーな政治状態に転落することを防ぐことと、古代ギリシャに始まりそれ以降の全てのデモクラシー国が政治を腐敗させ自壊的に亡国した歴史を繰り返してはいけないという反デモクラシーの思想に立脚すること、の二つで一致していた。
米国憲法が起草・制定されていくその間、当時のアメリカにも存在していたデモクラシー支持の少数派は、その巨頭トマス・ジェファーソンが、在仏公使としてパリに「追放」されていた。
アメリカにいなかったのである。
ジェファーソンは「アメリカ13邦の独立の父」の一人であるが、1789年3月に誕生した「米国の建国の父」ではない。

◇一 イギリスの「権利章典」 - 憲法原理の神髄

国民の“自由”は、デモクラシー(民衆政治参加制度)とは何の関係もない。
むしろ、デモクラシーは“自由”を侵害する危険をはらむ。
また“国民の自由”と表現しても、決して「人間の自由」と表現され得ないのは、“自由”はそれぞれの国家・民族に固有な“ナショナル(national)”なものだからである。
現実にも世界190ヶ国の各国でその“自由”は千差万別で、“自由”は人類に普遍的なものではない。
“自由”はあくまでもオリンピックの出場権と同じく、国家単位である。
今日のアフリカには、全体主義ではないのに、10歳ほどでゲリラに拉致されそのまま殺戮専門のゲリラになるのを強要される、人間として陰惨をきわめて全く自由がない国がかなりある。
“自由”は“自由”の伝統がない国では棲息できない。
“自由”とは、人間の知力や制度の移植で簡単に創造することの出来ないものである。
なぜなら“自由”とは、祖先から“相続”したものだからである。
そして、それをたまたま享受できた、ある特定の国の国民だけが、この“相続した自由”を育んでいる伝統的な諸「制度」を一生懸命に保守する義務を果したときだけ、この自由が満天の星空の如く光を放つ。

“自由”を擁護する伝統的な諸「制度」には主要なものが三つある。
「世襲(相続)の原理」が機能していること、
「法の支配」が守られていること、
「中間組織」が繁茂していること、
である。
世界の近代史を見ても、“自由”と不可分の関係にある、生命と財産が擁護されているのがヨーロッパ諸国と日本だけに限られていたのは、その双方のみが君主制と封建体制(貴族/武士階級)の二つの政治制度を共通に持っていたからであった。
君主制が主として①の「世襲の原理」を、封建体制が③の階級や家族という「中間組織」を、発達させたからであった。

②の「法の支配」は、“古き良き法”と考え、“法”を神よりも王よりも上位にあるとし、いわんや議会での立法による「法律(legislation)」は、この“法という支配者に従う下僕の身分を弁(わきま)えよ”と考える中世ゲルマンの法思想が、近代ヨーロッパの中で一ヶ国だけ残っていた英国において発展した。
この「法の支配」は、17世紀のアメリカの英国人植民地人によって米国にも継承されていき、「法の支配」が米国の憲法原理として不動のものになった。

日本にも、この英国に発祥した「法の支配」に類似な思想が、英国の法思想的な表現ではないが、存在していた。
皇室(天皇)が連綿として守り続ける「祖宗の遺訓」がそれである。
明治憲法の告文は、「皇祖皇宗の遺訓を明徴にし・・・・・・」「皇祖皇宗の後裔に胎したまへる統治の洪範を紹述する・・・・・・」としているから、記録や記憶を超えての「皇祖皇宗の遺訓」こそが“法”で、憲法とはこの“法”を文字で以って条文とした最高の法律だと考えていることになる。
このためであろう、明治憲法には、英米的な「法の支配」が香水の香りのように爽やかに漂っている。

立法に当たって、この立法を道徳その他の上位の規範に従って拘束し無制限な立法を禁じる思想が存在しなければ、立法権力は必ず暴走する。
革命フランス、レーニンのソ連、ヒットラーのドイツでは立法に制限がないから、恣意的に大量殺人の法律が平然と立法され、この法律に従い行政と司法はあらん限りの悪を実行したのである。
ナチスの法治主義は、その法律の内容の是非を問わなかった。
レーニン、スターリンは自分たちを「人民の代表」という“無謬の神”と信じていたし、その個人的な単なる恣意は「神の法」だと狂信していた。
オウム真理教の教祖・麻原彰晃をスケール的に大きくしたものがレーニンやヒットラーであった。

日本は、偶然にも英国と似て、自由の三つの淵源 - ①「世襲の原理」、②「法の支配」、③「(階級などの)中間組織」 - を、成長させていたことになる。
日英の相違は、英国では主としてコークが②「法の支配」と“自由”の関係を、主としてバークが①「世襲の原理」③「中間組織」と“自由”の関係を明らかにしたのに、日本にはそのような理論的作業が全くなかったという点であろう。
ただ、明治憲法の起草者である井上毅の法思想には「旧慣」という概念(※注1:「旧慣の尊重」、坂井雄吉『井上毅と明治国家』、東京大学出版会、1983年、111~22頁)など、エドワード・コークやエドマンド・バークを思い起こさせるものがあるが、井上は例外的であった。
この①「世襲の原理」や②「法の支配」については、拙著『保守主義の哲学』のそれぞれ第三章/第二章において詳述している。
以下①「世襲の原理」について、少しばかり説明しておこう。

1688年の名誉革命によって英国はオランダよりウィリアム国王・メアリ女王を奉戴したとき、翌年サマーズ卿が起草した「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」(「権利章典(Bill of Rights)」)を制定したが、これを例として説明する。
この権利章典とは、「英国臣民の権利/自由」は「古来より相続した」「家産である」が故に、国王陛下に対してそれらを尊重して頂きたいと奏上する形式になっている。
フランス人権宣言のように、オレは人間だから人間の権利をもっているぞ!と、アフリカのジャングルで吼えている形式のものではない。

つまり、国民の享受する自由や諸権利は、
英国の国王(女王)陛下の臣民であること、
祖先から「家産として相続したこと」、
の二つを法的根拠にして国家より尊重されるものだとする論理である。
これが、マグナ・カルタ(1215年)から権利請願(1628年)を経て英国を貫く「世襲(相続)の権利」という憲法原理である。
バークの、次のような簡素な説明は、美事にその核心を表現している。

「われわれ(英国民)の自由を主張し要求するに当たって、それを、祖先から発してわれわれに至り、更には子孫にまで伝えられるべき限嗣相続財産とすること、またこの王国の民衆にだけ特別に帰属する財産として、何にせよそれ以外のより一般的権利(=人間の権利)や先行の権利(=自然権)などとは決して結びつけないこと、これこそマグナ・カルタに始まって権利章典に至るわが国体(=憲法)の不易の方針であった」(※注2:エドマンド・バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、43頁)(カッコ内中川)。

だから、この自由の権利の要求には、“臣民の義務”として国王への忠誠が発生するのである。
“臣民の義務を果さずして、自由なし”こそ永遠の真理である。
権利章典には、両陛下への忠誠の宣誓文まで明記されている。

「私、何某は、ウィリアム国王陛下およびメアリ女王陛下に、忠実であり、真実なる忠誠をつくすことを、誠意をもって約束し、宣誓します。神かけて」(※注3:『人権宣言集』、岩波文庫、84頁)

臣民が国王の王座(世襲)を守る、代りに国王は臣民の自由(世襲)を守る、という、このような自由擁護の構造は、名誉革命よりさらに450年以上も昔のマグナ・カルタを踏襲したのである。
マグナ・カルタは次のように定めていた。

「朕は、イングランドの教会が自由であること、ならびに朕の王国内の臣民が前記の自由、権利および許容のすべてを、正しくかつ平和に、自由かつ平穏に、かつ完全に彼ら自身のためおよびその相続人のために、朕と朕の相続人から、いかなる点についてもまたいかなる所においても、永久に保有保持することを、欲し、かつ確かに申し付ける」(※注4:同右、53~4頁)(傍点中川)

もう一度いおう。
“自由”とは、国王の王位が“世襲(相続)”であるが故に正統性をもつように、父祖から“世襲(相続)”したが故に国家権力から最大限に保障されるという原理である。
日本に当て嵌めれば、“世襲(相続)”である天皇に“世襲(相続)の義務”として忠誠を尽くすが故に、陛下の臣民である日本国民は“自由”を“世襲(相続)”として享受できる、というのである。
一言でいえば、天皇制廃止の運動をするものに対して自由は保障されない、保障しなくてもよいのである。
英国が共産主義者の団体を「非合法」としているのは、その憲法原理からも自明の、極めて正しい立法というべきだろう。

なお、ロックはその『統治論』で、この1688年の名誉革命を、「国民の信託と同意に基づく」などと、さも国民が良き国王に変更したかのような歴史の捏造をしている(※注5:ジョン・ロック『統治論』、「世界の名著」第32巻、中央公論社、334~8頁)
ヒュームは、この狡猾さ故にロックを侮蔑するし、その『道徳・政治・文芸論集』第Ⅲ巻(1748年)に収録されている論文の「原始契約について」で、ロックを非難している。

「名誉革命で・・・・・・変革されたのは王位継承だけであり、・・・・・・。しかも、1,000万人近い人民に対してこのような変革を決定したのは、多数といってもたった700人に過ぎなかった」、と(※注6:ヒューム『原始契約について』、「世界の名著」第32巻、中央公論社、542頁)。

英国には、国王の地位は“正統な継承”において正当化される、という思想しかない。
「国民が国王を選択する」などという、ロックのような発想は荒唐無稽にも度が過ぎる。

◇ニ ウォルター・バジョットの『英国憲政論』と福沢諭吉の『帝室論』

君主制擁護論として、18世紀のバークに続く影響ある著作は何と言ってもバークから約100年後のバジョット著『英国憲政(国体)論』(1867年)であろう。
バジョットはまず、国家の政治機構を三権分立ではなく、“威厳ある部分(the dignified parts)”と“機能する部分(the efficient parts)”からなるとし、この“威厳ある部分”が、とくにその演劇的要素が被治者大衆を動かし忠誠や信頼を獲得し、一方“機能する部分”はこれを利用して統治を行っていると考えた(※注7:ウォルター・バジョット『英国憲政論』、「世界の名著」第72巻、中央公論社、71~2頁)。
つまり、「立憲君主制」こそ理想の統治が可能となる、強権を発動する抑圧を不要とする、正しい統治が体現し得るという。
また、国民を(ソフトな政治参加の前提たる)統治機構に関心をもたせ得る働きをするという。

この“威厳ある部分”が存在すれば、国家権力は国民に対して、秩序や法への従順や遵守に強権をもって強制する度合は格段に少なくて済むから、その分国民の自由への抑圧が大幅に減ることになる。
君主制の(あるいは君主制の遺制がある)国に自由社会が誕生したのは、君主のもつこの働きによる。

バジョットとほぼ同時代の、福澤諭吉はその『帝室論』(1882年)で、政治権力をソフトにする天皇の機能について、「万年の春」「甘きこと飴のごとし」と次のように述べている。
これこそ、自由の精華であろう。

「帝室(皇室)はひとり万年の春にして、人民これを仰げば悠然と和気を催ふすべし」
「国会の政府より頒布する法令は、その冷なること水のごとく、その情の薄きこと紙のごとくなりといえども、帝室(皇室)の恩徳はその甘きこと飴のごとくして、人民これを仰げばもつてそのいかりを解くべし」(※注8:福澤諭吉『帝室論』、『福澤諭吉全集』第5巻、岩波書店、265頁)

さて、日本の問題は、今日、日本国民一人ひとりが皇室の尊貴性と聖性を守る“世襲の義務”を果しているかである。
また日本は憲法上の制度として、皇室の尊貴性と聖性を守る“制度”をつくっているかである。
いずれも否である。
例えば、東大法学部ですら、世界の古典であるバークの『フランス革命の省察』も、バジョットの『英国憲政(国体)論』も教えていない。
いや国会議員ですら読んでもいない。
君主制に関する日本国民の無教養は目を覆うレベルにある。
また、福澤の『帝室論』を読んでいない政治家も増えてきた。

さらに、日本では君主制論の入門書といえば、すぐ福澤諭吉の『帝室論』をあげる人が多いのに、そして岩波文庫はあれほど福澤の作品を出版しているのに、この『帝室論』のみ文庫に決してしない。
岩波書店は『帝室論』を焚書にしている、と非難しても過言ではないだろう。

◆第四節 皇室の藩屏をどう再建するか


(省略)


■5.国民主権批判

<目次>


中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.129以下


第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する - 根絶すべきフランス革命の教理


フランス革命とは、・・・人民の政府でもなければ、人民による政府でもなく、・・・国民から絶対的に独立した地位に自らを置いた、国民の代表者を僭称する革命家たちの、「主権の簒奪」であった。(アーレント)

第四章 「国民主権」は暴政・革命に至る - 「デモクラシーの制限と抑制」こそ憲法原理


◇第一節 英米憲法は、なぜ「国民主権」を完全に排撃したか


日本の憲法学では、授業でも教科書でも、米国憲法を事実上、全く触れない。避ける。
東京大学法学部ですら然りである。
この理由は明確で、米国憲法に言及した瞬間、日本の憲法学者の九割が虚偽とプロパガンダの常習者、つまり詐欺師と分かってしまうからである。
日本における憲法学者のほとんどは、人格的にも病いに冒されている。

例えば、米国憲法には「国民主権」などというものは匂いほども存在しない。
そんなものは積極的に排斥され否定されている。
とくに、米国は、その憲法制定によって「立憲主義(constitutionalism)」を憲法原理としたから、いかなる権力も制限される。
このため、「制限されない権力」の意である「主権」は、当然に憲法違反であり、完全に排撃される。
「立憲主義」と「国民主権」は水と油で両立しないから、米国は前者を採用して後者を追放した。
日本の憲法学者が「立憲主義」を是とし、「国民主権」を称賛しているのは分裂症的思考である。

バジョットは、米国憲法の起草者たちは「何処にも主権を置かないようにしたのである。それは、主権によって暴政が生じることを恐れたからである」と、米国憲法を正しく観察している(※注1:ウォルター・バジョット『英国憲政論』、中央公論社「世界の名著」第72巻、246頁)。
ハンナ・アーレントも次のように述べている。
「政治それ自体における偉大な、そして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして、人間事象の領域においては主権と暴政とは同一のものであると洞察したこと」(※注2:ハンナ・アーレント『革命について』、ちくま学芸文庫、239頁)

統治に関する「主権」の廃止は、英国本国のコーク以来の伝統であって、「アメリカ的革新」ではない。
また「主権」と“暴政”の同一視も、英国の常識であって、「米国の発明」とはいえない。
このような小さなミスをしているけれど、アーレントは米国憲法の核心を正確に把握している。
ノーベル経済学賞受賞の政治哲学者ハイエクは、次のように「国民主権」のことを「迷信」という。
その通りであって、政府の統治を受けている被治者を「主権者」などとは、酔っ払いの寝言か戯言かであろう。
あるいは、迷信とか妄念上の幻覚としか言いようがない。
「主権が何処にあるかと問われるなら、何処にもない・・・・・・というのがその答えである。立憲政治は(権力が)制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はあり得ない。・・・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、・・・・・・・迷信である(※注3:F. A. ハイエク『法と立法と自由』、『ハイエク全集』第10巻、春秋社、171頁)」

統治において「主権」を排除するのは、自由にとって最高の憲法原理である。
「法の支配」の下で憲法を成長させてきた英国においても同様である。
英国の「法の支配」の原理にあっては、ブラクトンの法諺のとおり、“法”は神よりも国王よりも上位にあって神や国王を支配するから、神や国王ですら主権者になり得ない。
かくして、「何にも支配されない権力」という意味である「主権」は、英国では“法”に支配される国王にすら適用されなかった。

むろん、英国にも、ボーダンの『国家論六書』(1576年)などによって、「主権」というフランス生まれの思想が上陸していたから、16世紀末からのイギリス国王も「主権」に並々ならぬ関心を寄せるし、その周辺の臣下のなかには国王に阿諛すべく「国王主権」を言い出すものは少なくなかった。
だが、ちょうどこの17世紀の初頭、英国は幸運なことに「法の支配」を死守せんとするエドワード・コーク卿というコモン・ローの大法曹家が存在していた。
そして、不敬罪で牢に繋がれることを恐れず、「国王主権」論を断固排撃した。

例えば、1608年10月、国王ジェームスⅠ世に向って、コークは直接ブラクトンの法諺「国王は、すべての臣民の上にあるが、“法”の下にある」を持ち出し諌言している(※注4:『コーク判例集12』、原著、63~5頁)。
また、チャールスⅠ世時代の1628年の「権利請願」(Petition of Right)の草案に貴族院が「国王主権」の文字を挿入したとき、当時たまたま下院議員になっていたコーク卿は「主権は国会の用語ではない」と、ばっさりと削ってしまった(※注5:W. Holdworth, A History of English Law, Vol. 5, p.451)。
現代風の表現では、「主権は憲法に背反する」である。

今日に至るも、英国に、憲法を含め国家の統治関係に「国民主権」という概念が全く存在しないのは、コークに代表される「法の支配」を守らんとした多くの英国の法曹家と政治家の汗の結晶による。
かくして、英国には、ブラックストーンの「“法”主権」や、ダイシーの『憲法序説』で日本でも有名になった「国会主権(※注6:中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、116~8頁)」の概念はあっても、「国民主権」も「人民主権」も存在しないのである。

英米の憲法が“正統な憲法”として世界的にもそのモデルになっている事実については、日本でも広く知られている。
この点からでも「国民主権」が存在しないか、否定されているのが“正しい憲法”であるのは自明であろう。
つまり、「国民主権」を美化し神格化している日本の憲法学の教科書はすべて、“狂った憲法学”である。
しかも、この狂気は度が過ぎ、オウム真理教よりも遥かに酷い。

米国社会から排除された“アメリカのはぐれ者”たちの巣窟であったGHQ民政局では、日本国憲法を書くに当たってスターリン憲法やワイマール憲法を参考にしたように、彼らは通常の“米国人”ではなかった。
そのことは、非英米的な「国民主権」が前文や第一条にあることですぐ分かる。
彼らは「英米の憲法が正統」であることに耐えられない、“アメリカの異分子”たちであった。

話を戻して、米国憲法が「国民主権」を排しているのは、米国がイギリス17世紀の法思想で建国されたからである。
独立戦争(1775~83年)とは、この17世紀という百年ほど昔の英国の法思想で武装したアメリカ植民地に住む“古い英国人”と、議会が強くなりすぎた18世紀後半の英本国に住む“新しい英国人”との闘いであった。

また、建国当時のアメリカのエリートたちとは主として大農園主であるが、コークの『英国法提要』とこのコークを継ぐブラックストーンの『イギリス法釈義』を座右の書とする、高い教養人であった。
コークとブラックストーンこそは「法の支配」の法曹家であるが、それらを血肉としたアメリカ「建国の父たち」は、主としてこの両名の法思想を学び、そこから「立憲主義」とか、「(立法に対する)司法審査」とかを「発明」した。

19世紀において、英本国では、「ベンサム→オースティン」らの命令法学に汚染され、「法の支配」が衰退していった。
しかし、米国は17世紀初頭のコークの思想を頑固に19世紀末までは継承し続けた。
20世紀に入って米国でも「法の支配」は衰退したが、しかし「国民主権」などという、暴力とテロルを生んだ革命フランスの、国民を暴君に仕立てあげてこの凶暴な暴君に自分たちの自由を侵害させる狂気のドグマは、全く芽すら出ることなく今日に至っている。
「国民主権」という言葉は、米国では今でも火星語のようなもので誰も理解できない。

一方、英国とは、マグナ・カルタに代表される中世封建時代からのコモン・ローと、それと不可分の関係にある自由擁護の憲法原理「“法”の支配」とを死守すべく、フランスから流入する「主権」思想を撃退するために血を流した歴史を持つ国家である。
革命フランスに宣戦し、22年戦争(1793~1815年)を戦ったのである。
英国にとって「国民主権」は、英国に上陸してはならない、根を張ってはならない、有害な教理として合意され現在に至っている。

「国民主権」が米国に存在もせず米国人の関心の対象にもならなかったことは、米国にルソーやその他のフランス啓蒙哲学(モンテスキュー1名のみ例外)がさっぱり流入しなかったことに通じている。
あるいは、米国の建国から数ヶ月後に発生した革命フランスの革命思想も簡単に排除され流入しなかったこととも関係していよう。
英国ではエドマンド・バークを先頭にして国を挙げて革命フランスの革命思想の流入の阻止に血眼にならざるを得なかったが、米国にはそんな苦労は全くなかった。

英米憲法の思想は、革命フランスの思想とは水と油のごとく対立的である。
共通する所がどこにもない。
フランスが、フランス革命の思想こそが“本当の憲法”を蹂躙すると悟って、英国系の憲法思想の正しさにやっと気づいたのは、1875年の第三共和国憲法からであった。
つまり、1789年から1875年までの86年間とは、フランスにとって無意味で有害な反憲法のドグマに熱狂した「狂愚の86年間」であった。
そして、このフランス第三共和国憲法が米国憲法(1788年)に似たものであることは、米国に遅れること87年もかかってフランスがようやく米国の足下に及んだということである。

話を米国憲法に戻せば、そこに「国民主権」がはっきりと不在になっているのは、憲法起草者が一致して民衆(demos)というものに「潜在的専制者(potential tyrant)」を透視し警戒したからである。
育ちも教養も高い君主ですら「専制君主」になると恐れるならば、その逆の、育ちも悪く教養もない民衆は主権を与えられれば直ちに“暴君”になるだろうことは、「米国の建国の父たち」にとって自明であった。
民衆が多数を恃(たの)んでその意志を強制力に転換したならば、それは必ず国民の自由を侵害するものになるのは、自明であった。
「建国の父」の一人で、米国憲法の起草者の一人でもあったマディソンは、この「多数者の専制」を次のように恐れている。
「民主政治(popular government、民選政府)の下で多数者が一つの党派を構成するときは、党派が、公共の善と他の市民の権利のいずれをも、その圧倒的な感情や利益の犠牲とすることが可能になる(※注7:A. ハミルトンほか『ザ・フェデラリスト』、福村出版、46頁)」

このようにデモクラシーへの警戒感は、“人間というものへの不信”という、正しい人間観を、アメリカの「建国の父」たちが持っていたからであった。
フランスの啓蒙哲学者や革命屋たちは、あろうことか、政治過程での人間が善性であり得ると逆さに妄想した。
マディソンの、次のような主張こそが不変の真理であろう。
「そもそも政府とはいったい何なのであろうか。それこそ、人間性に対する最大の不信の現れでなくして何であろう。万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としない(※注7:前掲『ザ・フェデラリスト』、254頁)」

「建国の父たち」の筆頭アレグザンダ・ハミルトンも、デイビット・ヒュームの影響もあるが、「全ての人間はごろつき(a knave)と見なすべきである」と、政治家が持つべき正しき人間観を持っていた。
ニューヨーク邦での米国憲法批准会議で、ハミルトンは次のように演説した。
「純粋デモクラシーは、歴史を紐解けば、これほどの政治における偽りは他に類をみない。古代デモクラシーでは市民(国民)自身が議会に参加するが決して良き政府をもったことがない。その性格は専制的であり、その姿は奇形である(※注8:Selected Writings and Speeches of Alexander Hamilton, AEI, p.207)」(1788年6月21日)

国民の自由の擁護は、民衆の政治参加を警戒し、その代表者の議会に対してすらさらに警戒し、デモクラシーを制限する「制度」をつくることであるが、これが「建国の父たち」の一致した意見であった。
マディソンは、民衆が選出した代議士たちの議会(立法府)に対して、この議会が国家権力を簒奪しないかとも恐れた。
「・・・・・・この立法部(国会)に対してこそ、冒険的な野心をもつことがないように、人民はその一切の猜疑心を注ぎ、警戒をおさおさ怠りないようにしなければならない(※注9:前掲『ザ・フェデラリスト』、242頁)」

実際に革命フランスでは、「議会」が権力を簒奪して、国民を好き放題にギロチンその他で殺害するに至った。
ジャコバン党独裁下の「国民公会」は、単なる“殺人許可書を発行する村役場”であった。
フランス革命は、米国憲法のあとに発生したが、またラファイエット侯爵のようなワシントン・マニアックもいたのに、米国憲法の思想から何かを学ぼうとした形跡が全くない。
日本の憲法学者のほぼ全ては、米国憲法の解説書『ザ・フェデラリスト』をその教科書でまともに取り上げていないが、それはフランス革命の凶暴なジャコバン・テロリストと日本の憲法学者とが「兄弟」だからである。


◇第二節 「フランス革命の教理」を“憲法原理”だと詐言する学者たち


日本の憲法学者の多くは、一種の詐話師である。
いかに言論の自由があるとはいえ、何らかの刑法上の犯罪になるのではないかと思うほど、彼らが書き散らした教科書は嘘とトリックだらけである。
「国民主権」一つを例としよう。
英米憲法はそれを拒絶している。
現代フランスの第五共和国憲法(1958年)は“蝉の抜け殻”のようにその形骸を残してはいるが、憲法として何かの意味を持たせているわけではない。
つまり、フランスは、「国民主権」を実態上は死刑に処しているが、その屍を埋めたあとに立派な墓をたててあげた。
それが第五共和国憲法の第三条に当たる。

ところが、日本の憲法学は、プリンセス天功のマジック・ショーも顔負けに、まず現実の自由社会の世界地図から英国も米国も現代フランスも、主要三ヶ国を消してしまう。
次に、歴史の彼方にとっくの昔に葬られたほずの、1789年から1794年にかけての血塗られた革命フランスを「現在」に存在する、「世界に存在する唯一の憲法先進国である」という“大幻想”のスクリーンを映し出す。
杉原泰雄の『国民主権の研究』や辻村みよ子の『フランス革命の憲法原理』などは、彼らが1789年から1794年のジャコバン・テロリストになりきっており、彼らの思考も時間もこの18世紀末のフランスに止まっている、そして、この18世紀が、「20世紀後半である」「21世紀である」とのマジックに専念している。
彼らの本は、読むたびにゴースト・タウンの光景か、お化け屋敷が浮かんでくる。
異様な本である。
なお、フランス革命のフランスに憲法原理など全く存在しないから、『フランス革命の憲法原理』との、辻村の著作タイトルは、悪徳不動産屋の誇大広告と同じ虚偽広告に当たる。

なぜ日本の憲法学者の九割がこれほどまでに虚偽と欺瞞に狂奔するのであろうか。
理由の第一は、彼らはマルクス・レーニン主義者であり、日本を何としても社会主義化したい、共産主義国にしたいという執念にのみ生きている宗教信者であるからだろう。
そして、革命を排除する智恵が憲法の魂に沿っていなくてはならないのに、革命に誘導する革命の教理を、あろうことか憲法学だと詐言的に転倒する。
宮沢俊義、長谷川正安、杉原泰雄、小林直樹、横田耕一、渡辺浩、樋口陽一、辻村みよ子ら、名をあげると数十名にも及ぶ。

英米憲法を全面的に消してこの地球上には存在しないことにした「情報操作(トリック)の達人」辻村みよ子とは、フランス人権宣言(1789年)や1793年ジャコバン憲法に関して荒唐無稽かつ出鱈目なプロパガンダ(嘘宣伝)を平然となす人物でもある。
前述したその作品『フランス革命の憲法原理』で、辻村の嘘は「はしがき」の冒頭一行目から始まる。
そこでは「(フランス革命200年目にあたる今年)フランスをはじめ世界の国々で、大革命の偉業を讃え、その意義を考える記念行事・・・・・・(※注1:辻村みよ子『フランス革命の憲法原理』、日本評論社、i頁、ii頁)」、としているからだ。
だが実際には、フランスにおいてすらフランス革命離れは決定的である。
フランス政府は、革命記念日行事その他を今では可能な限りロー・キー化している。
フランスは、東欧の解放(1989年11月)とソ連邦の崩壊(1991年12月)をもって、フランス革命記念日の安楽死を模索している。
世界のどこにもフランス革命の「偉業を讃え」る、そんな国は実態としては一ヶ国もない。
辻村の虚偽記述は病気である。

さらに、人権宣言やジャコバン憲法についての、細々とした“屍体解剖”的な研究は散見されるが、「フランス憲法学界の最近の傾向、すなわち1789年宣言の憲法規範性を認め、・・・・・・(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)」などという研究動向は、ゴミほどのもので無視すべきレベルである。
人権宣言はフランス国家全体を宗教団体に改造する宣言で、“モーゼの十戎”などをモデルとしたカルト宗教の戒律もしくは呪文の性格をもつことは、今では定説であろう。
かくも憲法から程遠いものが、どうして「憲法規範性」を持ち得るというのだろうか。

辻村の言説が麻原彰晃のそれに重なるのは、辻村が殺人鬼ロベスピエールの崇拝者であることだけではない、
「近代市民憲法原理ないし近代立憲主義の基本原理を確立したのは、人権宣言かジャコバン憲法か、あるいは1791年憲法かジャコバン憲法か」などと言ったり、それが「<新しい問題>である」など、と述べているからである(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)。
「立憲主義」とは、「立憲君主」という概念でも簡単に分かるように、憲法に従っって如何なる権力も制限されることを指すから、「国民主権」という「主権」が高らかに謳いあげられた革命フランスに全く存在しなかったのは明々白々ではないか。

例えば、ジャコバン憲法は制定されたが施行されなかった。
そればかりか、この憲法に定められていない、“無法組織”たる公安委員会と革命裁判所をもって独裁とフランス国民の大量虐殺が実行された。
「立憲主義」とは対極的な“憲法破壊主義”がジャコバンの本性であった。
だから、自由、生命、財産への大々的な侵害という蛮行が実行されたのである。
フランスが米国生まれの「立憲主義」を初めて理解したのは、約百年後の1875年であった。

しかも、「フランス人権宣言」こそが、“憲法破壊主義”を牽引し正当化した。
その第三条が「国民主権」を定めたからである。
この「国民主権」によって、人間を無制限に殺戮したいという、国民の一部の“意志”が絶対化され神化されたからである。
これが大規模テロルに至った主要な理由の一つである。
このように、「国民主権」が反・憲法原理であることは、このフランス革命史が百パーセント以上に証明している。
「立憲主義」を史上初めて創造したアメリカの「建国の父たち」が、「国民主権」とそれに類する思想すべてを排撃したが、彼らが如何に優れた賢者であったかはこれだけでも充分に判明する。

樋口陽一は、東京大学教授として最も強い悪影響と深い傷跡とを日本に遺した憲法学者である。
この樋口もまた、時間がフランス革命でとまり、事実上、それから現在に至る二百年間の歴史が抹殺されている。
また、場所もパリに限って、英米を含めて世界各国の憲法を決して鳥瞰しようとしない。
ときたまタイム・マシーンに乗って、ホッブズとルソーを狂信する「ヒットラーの芸者学者」のカール・シュミット(ナチ党員)の所にお伺いに出かけるぐらいである。
これが樋口陽一の憲法学の全てである。
“知の貧困”もここまでくると絶句するほかない。

具体例を挙げる。
樋口陽一の主著『憲法Ⅰ』(※注2:樋口陽一『憲法Ⅰ』、青林書院)は、英国憲法は全面無視し歪曲する。
米国憲法は完全拒絶する、オランダ、ベルギー、北欧の立憲君主国憲法はないことに処理し、現代フランスの憲法は隠す、……。
マジック・ショーのトリック以外の記述が全くないという奇本、それが樋口著『憲法Ⅰ』である。
別の表現をすれば、憲法としてはとっくの昔に死んで白骨と化している革命フランスのそれと、カルト宗教の経典であったフランス人権宣言だけでもって、腐った枯れ枝を集めたような樋口流「憲法理論」を創る。

まずその第Ⅰ部では、主に「立憲主義」を取り上げる(第一章第三節、第四章その他)。
ところがそこでは、米国の「立憲主義」には全く言及しない。
「立憲主義」を全面破壊したい“反・立憲主義者”である樋口にとって、その内容について実質的に一行も言及しないことによって自分の狙う目的を果している。
しかし「立憲主義に言及しないとは何だ!」の批判を回避すべく「立憲主義」という四文字のみは選挙宣伝カーの連呼の如く書き散らす手法をとっている。

次に、近代憲法の基本構造が「主権」と「人権」だとする(第二章第一節)。
ここでも、樋口は卑劣なほどのトリックで論述していく。
なぜなら、そのタイトルは一般的な「近代憲法の基本構造」としているのに、実際には、「身分制秩序を否定する国家=国民主権原理によって、人権主体としての個人が成立した」(28頁)などと、革命フランスのみに限定してその「憲法」なるものを記述しているだけだからである。
羊頭狗肉である。
また、この第一節のタイトルを「主権と人権 - その近代性」としているのは、革命フランスのみに特殊であった「(国民、人民)主権」と「人権」が、当時の欧米に一般的にも存在し「近代的」であったかのように学生が誤解するよう誘導するためである。

近代の英米憲法には、「国民(人民)主権」も存在しない。
「人権」も存在しない。
が、この事実については樋口は一文字も書いていない。
英米憲法について正しく記述すれば、「人権」が近代とは無関係であるのが一瞬にしてバレるからである。
それを避けるための詐術としての「抹殺」である。
次に、ここまで米国憲法を抹殺するのは極端で拙いと思ったのか米国に言及する所がある。
が、この事実については樋口は一文字も書いていない。米国憲法とは何の関係もない、1835年のトクヴィルの作品を出して誤魔化すのである(30頁)。

英国については、17世紀の“主権潰し”のコークなどには一言も言及せず、それから200年以上もたった19世紀のダイシーの『憲法序説』のさわりにちょっと触れてオシマイにする(25頁)。
全体を通してみると、結局、革命フランスの部分だけで「全世界の憲法と近代以降2~400年間の全ての憲法の話をした」ことにしている。
レトリックというより、低級な詐言としか形容できない。

「立憲主義」に話を戻せば、ここまで真っ赤な嘘を吐ける人間がこの世にいるのかと、ただ驚愕するしかない。
例えば、樋口は次のように、出鱈目も度が過ぎた虚偽定義をするからである。
「近代立憲主義は、人権主体としての個人の尊厳という究極的価値を前提にして、権利保障と権力分立をその内容とする」(22頁)

「立憲主義」は、統治機構内の如何なる権力も憲法に従って制限されるという、1788年の米国憲法を嚆矢とするアメリカ的な憲法原理である。
が、決してこれには触れない。
また、マディソンらの「建国の父たち」が起草した米国憲法には「人権」は匂いすらなく、「個人の尊厳」もない。
当然、「権利の保障」とも無関係である。
いったい、「人権主体としての個人の尊厳」と「立憲主義」とがどう関係すると言うのだろう。
まるで、「フランスのケーキは我が日本国の伝統文化の象徴である」などと同じ言辞であり、酔っ払いでもこれほどの酔言は吐かない。
そして、米国憲法から100年も後の、しかも米国でない、19世紀ドイツの「立憲主義」などのマイナーな話にすり替えていく(22~3頁)。

次のような、もう一つの虚偽定義も全く意味不明である。
なぜなら、「立憲主義」は、「国民主権」や「絶対君主」を排撃するものであるが、単なる「個人」を対象としないからである。
樋口の「強い個人」の意味ははっきりしないけれど、それが“個々(アトム)主義”の「個人」を指すのであれば、ルソーの『人間不平等起源論』から生まれた「平等」と表裏一体をなす概念である。
つまり、樋口はフランス啓蒙思想をもって、水と油の関係にあるコーク系列の「立憲主義」とが混じり合えるという、マジック・ショー的にこの一文を書いている。
「近代立憲主義を想定する個人は、ひとことでいえば、強い個人である」(33頁)

樋口陽一の「憲法学」は“憲法学”ではない。
「法の支配」など、自由を擁護する憲法原理を完全に無視するか、歪曲している。
ひたすらフランス革命を日本に起こすことのみに執念を燃やす扇動のパンフレットになっている。
アジビラである。

附記
読売憲法試案(2004年5月3日)は、樋口陽一や辻村みよ子の直系の、大量虐殺者ロベスピエールと同じイデオロギーというか、共産革命のロジックというか、それが冒頭に展開されている。
「日本国憲法は、日本国の主権者であり、……」が、前文の最初に書かれているからである。
その意は、日本人は「一億二千六百万分の一の絶対君主」になったとでも言いたいのだろうか。
しかも、一般に日本人のほぼすべては被治者であるからこの主権者に絶対的な服従を強いられる「一人の奴隷」になったとの宣言である。
そればかりか、わざわざ「第一章 国民主権」を新しく設け、それを現第一章「天皇」の直前にもってきている。
天皇は、「主権者」たる国民の下にある、と言いたいのである。
あのルイ16世の処刑の直前の血塗られた革命フランスを模倣している。
読売憲法試案より、現GHQ憲法の方が日本国にとって何十倍もましである。


■6.人権批判

<目次>


中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.146以下


第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する - 根絶すべきフランス革命の教理


フランス革命とは、・・・人民の政府でもなければ、人民による政府でもなく、・・・国民から絶対的に独立した地位に自らを置いた、国民の代表者を僭称する革命家たちの、「主権の簒奪」であった。(アーレント)

第五章 「人権」という、テロルの教理 - 文明と人間を破壊した「フランス人権宣言」



フランス革命において数十万人がギロチン、溺死刑その他で殺されるという大量殺戮(大テロル)は、「フランス人権宣言」(1789年8月)がもたらした必然の暗黒であった。
「人権」、それは自由社会の個々の国民が祖先より相続している自由、生命、財産の権利を粉砕すべく、カルト宗教の暴力の教理(ドグマ)の一つとして誕生した。

しかし、日本では、「人権」がさも素晴らしい近代の哲理と見なされ、「人権」が“自由”を擁護する魔法の力をもっているとの、転倒した錯覚が広く共有されている。
このように逆立ちした異様な「人権」妄想は、「人権」を発明したフランスですら今では実態的には存在しない。
現在では国連と日本(とEU?)だけに見られる狂気であるといってよい。

フランスは、このおぞましい「人権宣言」を、その約90年後の1875年の第三共和国憲法では一旦葬儀に出した。
現在の1958年第五共和国憲法では、前文で一言高らかに触れることで一種のモニュメントに扱い、敬して遠ざけることにした。
現代フランスの憲法は、「フランス国民の権利」を擁護して、「人間の権利」などは出来るだけ思考の外に出てもらうことにしている。

日本の狂ったような「人権」信仰は、アナーキストで、スターリン憲法こそ“理想の憲法”だと考えていたロウスト中佐(GHQ民政局所属)が、1946年2月に、現在の日本国憲法の「第三章」の起草を担当したことに始まった。
もちろん米国憲法には「人権」という概念は匂いすらなく皆無だから、ホイットニー民政局長のような“リベラルの中のリベラル”米国人にとってすら、「国民の権利」より一ランク下にある「civil rights(公民権)」を発想するのがやっとであった。
ホイットニー准将は、ロウスト中佐にあくまでも「civil rights の章」の起草を命じたのである(※注1:高柳賢三ほか編著『日本国憲法制定の過程Ⅰ』、有斐閣、110頁)

だが、オランダ生まれで永くインド在住だった無国籍的ディアスポラ(放浪者)のロウスト中佐は、命令の「civil rights」を無視して、勝手に「fundamental human rights(基本的人権)」などという、非・米国的な思想、つまり白骨と化したフランス革命時の純フランス的概念を墓場から掘り出してきた(※注1:前掲『日本国憲法制定の過程Ⅰ』、216頁)
フランス人権宣言とはフランス人に「フランス国を棄てて無国籍の人間になれ!」と呼びかける呪文であったが、ロウスト中佐はこれに共鳴し、これを日本に再現しようとしたのである。
そして、これがそのままGHQ憲法となった。
リベラルでニューディーラーのホイットニー局長も、「基本的人権」など何の意味かは全く分からず、そのまま放置したのだろう。

ロウストはまた、フランス人権宣言の下敷になったルソー著『人間不平等起源論』『エミール』を信奉していたと見てよい。
ロウストは、現在の第14条になっている「すべて国民は」の所を「すべての自然人は(all natural persons) are equal before the law)」としていた(※注1:前掲『日本国憲法制定の過程Ⅰ』、218頁)。
「自然人」という概念も、それこそを“人間の理想”だとしたのも、オランウータンを“理想の人間”だと妄想していたルソーから生まれた。
そして、この「自然人」という言葉には、アナーキズム(無国籍主義)の核心部分たる、“文明的人間”と同義である「国民」を、「人間」という非国民のレベルに退行させたうえに、さらに動物並みの「自然人」にまで野蛮化させようとの、ロウスト中佐の日本人へのルサンチマン的な呪詛が漂っている。

しかしなぜ、このような戦勝国の、敗戦国への侮辱と復讐に燃えた無国籍的アナーキストの造語「基本的人権」を、「日本にとって屈辱である」「国家として死活的に有害である」とは捉えずに、日本の憲法学者のほとんどは1946年から歓喜し絶賛し続けたのだろうか。
また、この狂気がなぜ沈静化せず、21世紀に入ってもますます炎上しているのであろうか。

GHQ憲法に秘めた、GHQあるいはその民政局の意図には、「軍国主義の復活の芽を潰す」など複数ある。
が、宮沢俊義(東京大学教授)らの憲法学者を含めて当時の日本側の極左勢力は、GHQ憲法を日本が共産社会に至ることを正当化する天の賜物だと考えた。

まず、現憲法第9条の武装解除条項は、日本をソ連軍に無血占領させるに好都合なものであった。
日本の極左勢力が単独で暴力革命を起こし成功するにも好都合であった。
現憲法第1条の「国民主権」は、フランス革命、ロシア革命を再現するに不可欠な、天皇制廃止に転用できる“武器”であった。
また第11条の「基本的人権」も、日本人を「高級な日本国民」から「低級な人間」に落とす定めだから、このような「低級な人間」からなる社会は日本国ではなく、非ナショナルで未開・野蛮な「共産社会」に時間の経過をもって改造される。

つまり、日本国憲法で共産革命の遂行に最も都合のよいところは、第9条、第1条、第11条(および第97条)であるから、日本の憲法革命屋たちはそれらを、「平和主義」「国民主権主義」「基本的人権主義」と呼んで強調することにした。
憲法の定めには仮にも“主義”などがあろうはずがない。
それなのに非学問的で政治運動用表現の「……主義」にした理由は、キャンペーンするに、この方が絶大に効果的だからである。
このことは、例えば、日本国憲法をなぜ「世襲の天皇主義(第1条)」「議会主義(第41条)」「私有財産(=自由)主義(第29条)」と言わないかと考えてみればすぐ理解できよう。
こちらの方が遥かに日本国憲法の原理というに相応しい。
つまり、「平和主義」「国民主権主義」「基本的人権主義」をキャンペーンするのは、日本の憲法学が革命に奉仕する政治パンフレット学だからである。
共産革命に都合のよいとこだけを摘み喰いする「プロパガンダ(嘘宣伝)憲法学」だからである。


◇第一節 偉大なるバークと、その人類初の「人権」批判



1789年秋頃、「フランス人権宣言」という名の、邪教の「福音」が英国に上陸せんとしていた。
一部のイギリス人 - プライス博士や唯物論者のプリーストリら - がそれに「改宗」し始めていた。
このとき、ドーバー海峡の水際でフランス革命の思想の上陸を阻止せよと、英国中にこだまする大声をもって立ち上がった“知の巨人”がエドマンド・バークである。
その『フランス革命の省察』(1790年)は、フランス革命思想の排除に決定的な働きをなした。
その後にあっても人類に多大な影響を与え続け世界史的な古典となった。
この『フランス革命の省察』のなかから、バークが「人権」の核心を最も正しく観察した、そして、「フランス人権宣言」の批判となった部分を例示しておこう。

「人間は(「人間の権利」などの)自然権という非文明社会の権利と(国民の権利という)文明社会の権利の双方を同時にもつことはできません。……文明社会の政治は、自然権によって形成されたのではないし、自然権は文明社会の政治とは全く無関係に存在しているものです(※注1:エドマンド・バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、77頁)」(カッコ内中川)

「人間の権利」は、文明社会の文明的な(=自由と法秩序をもたらす)「国民の権利」とは対極的もしくは対立的なものである。
バークは、フランス人権宣言が、文明社会のこの文明性に対する憎悪心が基調になっていることを直ぐ喝破した。

「文明の社会とは慣習(convention)の上に発展してできたものです。だから、慣習こそは文明社会の法(law)でなければならないのです。……文明社会の慣習、つまり法がさも存在しないと仮定しての人間の権利 - 文明社会の慣習の積み重ねがあって初めて造られ得た国の基本政体等と絶対に両立できない人間の権利 - など一体どうして要求できるのでしょうか(※注1:前掲『フランス革命の省察』、76頁)」

“自由”とか“権利”というのは、法秩序が存在して保障され得るものであるし、要求できるものである。
法秩序の形成以前の未開・野蛮な社会を理想としての、「人間の権利」という言葉自体、形容矛盾であろう。
バークは正しい。

トーマス・ペイン著『人間の権利』(1791~2年)は、バークの「人権」批判などに対して、反論というより単に口汚く罵声を浴びせたものである。
当然、フランス革命の全てを否定する英国政府によって、悪書『人間の権利』は1792年12月には発売禁止となった。
しかし、日本の学界・教育界は、平然とペインの方のみ何か高邁な学説の如くに教えている。
それが標的とした、世界随一の古典、バークの『フランス革命の省察』の方は存在しないもの、読む価値のないものと扱い隠しに隠した。
岩波書店も、ペインの『人間の権利』を1971年に文庫として出版しベスト・セラー、ロング・セラーにしたが、バークの『フランス革命の省察』の方を文庫で出したのは、それから約30年を経た2000年であった。
つまり、ペインをして一方的にバークを中傷させるという、「出版犯罪」を岩波書店は企図し実行したのである。
しかも、この文庫本バークの新訳は、訳者の能力からして考えられないレベルの、意味がよく分からないように極端に拙劣な訳にしている。
そうするよう出版社が強く指示したのだろうか、真実を明らかにして欲しい。

米国の大学では、全ての政治学科でバークの『フランス革命の省察』は何らかの形で講義されている。
しかし、ペインについては語られることもない。
アナーキストで無神論者のペインは、米国には存在していない。
英国も同様である。
確かに、1775年に独立戦争が始まるやペインの『コモン・センス』(1776年1月刊)はアメリカ植民地の英国人を「独立」へと奮い立たせはした。
がのち、「人権」を含めペインの政治思想を知った米国民はペインを決して許さなかった。
初代大統領ジョージ・ワシントンは、ペインの名を聞くだけですぐ嫌悪の感情を露わにしたという。
そして、米国人はペインの骨まで米国から追放せんとして墓をあばこうとしたため、友人が慌てて骨を英国に持ち帰った。
が、英国も国を挙げてペインの墓を拒否した。
その友人の死とともにペインの骨は散逸してしまった。

英米で単なる“ならず者”と目されているペインの方のみ教えて、数百年に一人の天才で「政治家必携の、政治的叡智の不朽の手引」(※注2:H. J. ラスキ『イギリス政治思想Ⅱ』、岩波書店、127頁)と世界最高の評価を受けているバークを隠すのは、東京大学法学部を始めとする憲法学の教官が、教育者としても学者としてもひとかけらの良心もないからである。
ナチの迫害と恐怖にあって、また20年間に及ぶ国籍喪失にあって、「人権」というものが自由にも権利にも全くの空疎で無価値であることを体験したこともあって、ヤスパース、ハイデカーの愛弟子ハンナ・アーレントは、その著『革命について』(1963年)で、バークを支持して次のように述べた。

「人権に対するバークの有名な反論は、時代遅れのものでも<反動的>なものでもない」(※注3:ハンナ・アーレント『革命について』、ちくま学芸文庫、161頁)

さらに、日本の憲法学者が米国にも人権思想があるかのような虚偽を捏造するために、フランス人権宣言は、統一国家以前のアメリカの諸邦にあった権利章典を模倣したものだという嘘をいい続けている。
が、アーレントは次のように否定する。
この方が事実に即している。
また、形式の模倣は、思想の模倣であるまい。

「人権宣言がモデルにしたアメリカの権利章典と異なって、フランス革命における人権は、人間の政治的地位ではなく、人間の自然に固有な基本的・実体的権利を明らかにすることをその目的としていた」(※注3:前掲『革命について』、161頁)

そしてバークと同じく、アーレントは、文明の「政治」を文明以前の未開の「自然」に退行させようとしたのが人権宣言であったと指摘する。
フランス人権宣言を読んで、どこかの未開人の、文明を呪う“経文の声”に聞こえないとすれば、それこそ無教養の極みであろう。
同時期に発生した、アメリカ独立・建国の思想とフランス革命の思想を比較したアーレントの『革命について』は、この分野での入門書として第一級である。

「(フランス革命による)この人権は実際、政治を自然に還元しようとしたのである」(※注3:前掲『革命について』、161頁)

アメリカという英国の植民地における諸邦のエリートは、英本国のジェントリー層と同一の感覚をもち同一の生活をしていた。
ほとんどが高い教養と知力に抜きん出た大富豪であった。
そして、英国のコーク卿の『英国法提要』(全四巻、第二巻の冒頭がマグナ・カルタ論)とブラックストーンの『イギリス法釈義』を座右の書とし、英本国の法曹家に準じる法学と法思想の教養を身につけていた。
フランスの啓蒙哲学に傾倒する者はほとんどいなかった。
非コーク的、非ブラックストーン的なジョン・ロックに魅せられたトマス・ジェファーソンや理神論のベンジャミン・フランクリンなどは、当時の米国エリートのなかでは例外的な少数派であった。

「人権」などというのは「動物愛護協会のパンフレットと大して変らぬ」(※4:ハンナ・アーレント『全体主義の起源2』、みすず書房、271頁)との、アーレントの「人権」非難は、「人権」を「竹馬に乗ったナンセンス!」と言ったベンサムを真似て、「人権」を揶揄したのではない。
アーレントは、ガス室で大量虐殺された同胞ユダヤ人に思いを馳せつつ、またドイツの故郷を喪失して20年もの歳月を経てやっと米国籍をとった、この20年にわたる無国籍の自分の体験に照らして、「人権」という虚構と欺瞞を衝いているのである。

なぜなら、「人権」は、「人権」を奪われた無権利状態の人々を救済はしない。
満州国が崩壊し、また邦人保護権をもつ「在外の陸軍部隊」となった関東軍がシベリアに拉致されたあとに、満州の邦人155万人がどんなに「人権!」と叫ぼうと「人権」は保障されないのは明白であろう。
ロシア兵に好き放題にレイプされ財産を奪われ殺されるしかないのである。
自由とか生命は、“国”並びにその“国”において成長した“法秩序”の二つがあって初めて保障される。
“国(ナショナル)”である以上、それは「国民の権利」である。
つまり、自由は「国民の権利」としてのみ要求し得るものであり、「人権」は自由を僅かも保障しない。

つまり、自由を含めて実体ある諸権利は、“ナショナルな権利”(=「国民の権利」)とならなければ体現されない。
バークの言う通り、「国民の権利」は存在するが、「人間の権利(人権)」は何処にも存在しない。
かくも「人権」とは虚構である。
非実在の蜃気楼に描いた空無である。
アーレントは、「人権」という教理が、国家の法秩序との関係を転倒させた、その自家撞着性を次のように述べている。

「人権は譲渡することのできぬ権利、奪うべからざる権利として宣言され、従ってその妥当性は他の如何なる法もしくは権利にもその根拠を求め得ず、むしろ原理的に他の一切の法や権利の基礎となるべき権利であるとされたのであるから、・・・・・・人権を守るための特別な法律を作ったとすれば理に反することになる」(※4:前掲『全体主義の起源2』、272頁)

実際に、革命フランスには、「人権宣言」のみが存在し、法も法秩序も瓦解した。
よって、フランス人は無法において勝手放題に殺戮された。
「人権→無法→殺戮(人権の喪失)」という“悪魔のサイクル”は、「人権」のドグマから生じたのである。
人間の自由も権利も、古来からその国に“世襲”されてきた“法”と“慣習”によってしか保障されることはない。
これのみが真理であり、また真実である。

だから、コモン・ローの母国である英国も、その継承国家の米国も、この程度のことは常識に過ぎないから、憲法思想の中に「人権」が匂いすらもなく皆無である。
フランスも、時々は先祖返りするときがあるようだが、今では反省して英米を模倣している。
日本のみ、世界で事実上一ヶ国、「人権」を崇拝している。
“フランス革命の冷蔵庫”となった、この日本の異様な姿は、約2000年の歴史と伝統を背景にしたナショナルな自由が十全に擁護される、世界最高の法秩序の存在のもとで、気儘に戯言として「人権」を喝破しているのだろうか。
それとも200年以上も昔の革命フランスの「人権→無法→殺戮」の再現を日本に期待しているからなのだろうか。


◇第二節 オウム真理教のサティアン? - 日本の憲法学界



日本の憲法学が、学問でなく、一種の宗教団体のような状況を呈するに至った元凶の一つは、このようなカルト的な「人権」崇拝にあるだろう。
カルト宗教ならば、真実かどうかではなく、信仰するか否かであるから、どんな嘘も構わない。
宮沢俊義らが編集した岩波文庫の『人権宣言集』(1957年刊)は、この嘘の中でも嘘は酷く、特段に伝染力の強い経典となった。

なぜなら、例えばイギリスのところではマグナ・カルタや権利章典や王位継承法など七つの制定法を収録しているが、むろんこれらの中に「フランス人権宣言」に類するものは一つもない。
すべて「英国民の権利」を定めたものである。
より正確には、英国王(女王)陛下の臣民であるが故に、臣民に限定されて附与される「臣民の権利」を定めたものである。
要するに、極めて“国的(ナショナル)”なものを喪失し、伝統や慣習と無縁となった、「フランス人権宣言」のような、「裸の人間」の権利を定めたものは英国の憲法文書には一つもない。
一例として、「権利請願」(1628年)の核心部分を挙げる。
そこには次のように、「国王陛下の臣民(subjects)は・・・・・・」とある。

「国王陛下の臣民は、国会の一般的承諾にもとづいて定められていない限り、税金、賦課金、援助金、その他同種の負担の支払いを強制されない、という自由を相続しております(your subjects have inherited this freedom)」(※注1:『人権宣言集』、岩波文庫、57頁)

「人間としてこの地球に生まれたが故に有している権利」というフランス人権宣言の「人権」の意味は、英国では完全かつ全面的に否定されている。
英国における自由の権利は全て、①英国民で、②国王(女王)の臣民で、③祖先より相続したから、という三条件を満たしているが故に享受できる権利だと定められている。

1689年の権利章典もこれと寸分違わぬ思想の法律である。
そもそも、その正式な法律名は「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」である(拙著『正統の憲法 バークの哲学』第二章第一節を参照のこと)。
英国には今日も、憲法的文書の一つとして、「人間の権利」を宣言したようなものは皆無である。
宮沢俊義らは事実の捏造に長けた人物であった。
その『人権宣言集』(岩波文庫)は、計画的なトリックとマジックでつくられた“世紀のプロパガンダ本”でしかない。

米国についても同様であり、米国憲法(1787年起草、88年制定)には「人権」の文字も概念も何処にもない。
あくまでも英国と同様、「国民の権利」しかない。
いや、英国よりも遥かに中世封建時代的であった。
なぜなら、「国民の権利」ですら、ハミルトンら「建国の父たち」らは反対であった。
英国並みの「国民の権利」を憲法に定めることに反対して、ハミルトンは次のように述べた。

「権利の章典を、憲法案の中に入れることは不必要であるのみならず、かえって危険ですらある・・・・・・。もし権利の章典を入れるとなると、それは元来連邦政府に附与されていない権限に対する各種の例外を含むことになり、その結果、連邦政府に附与されている権限以上のものを連邦政府が主張する格好の口実を提供することになる」(※注2:A. ハミルトンほか『ザ・フェデラリスト』、福村出版、418頁)

ただ、中庸的な性格のマディソンが最初に妥協して、建国してから2年後の1791年12月、憲法に修正の形で10項目を追加した。
これが修正第1条から第10条である。
だが、それはフランス人権宣言とは似ても似つかぬもので、あくまでも「アメリカ国民の権利」であって「人間の権利」ではなかった。
あげくに、「反戦・反軍備」の日本の極左憲法学者が途惑い目を閉じ口ごもる「国民の武器を保有し携帯する権利は、これを侵してはならない(shall not be infringed)」が、米国憲法修正第2条である。

さて、この「人間の権利」のない米国憲法に困惑した宮沢俊義らは、その『人権宣言集』にどういう歪曲や嘘を細工して、米国にも「人権」があるというプロパガンダに成功したのだろうか。
第一のトリックが、米国が建国される以前の13邦の憲法文書にすり替える。
第二が戦争(反乱)に在植民地イギリス人を駆り立てた煽動パンフ「独立宣言」にすり替える。
第三のトリックとして、憲法修正第10条、第13条から第15条、そして第19条が、米国憲法の「人間の権利」を定めているという嘘を吐く。

まず修正第13条から第15条についていえば、米国憲法の起草、制定から90年が経過した、この1868~70年の追加条項を以って、米国憲法の(制定時の)精神を語ることは出来るのか。
またそれは、南北戦争後の黒人解法による、黒人への法的保護の附与の条項である。
つまり、黒人もアメリカの「国民(citizen)」と認め、アメリカ「国民の公民権(civil rights)」が附与されると定めたものであった。
「人間の権利(human rights)」とはしていない。

修正第10条は、連邦の権限と定められていないものは州または国民に留保されているというもので、中央政府の統治権力を制限する“立憲主義”の定めのひとつではないか。
「人間の権利」とも「国民の権利」とも何の関係もない。

修正第19条(1920年)は、女性参政権の附与である。
それは「The right of citizens(国民) of United States ・・・・・・」で始まっているように、米国籍を持つ成人女性に限っての参政権であり、「国民の権利」だと明記されている。
外国人の投票権を排除しており、「人間の権利」条項ではない。

米国憲法は、修正(追加)条項のどれに言及しようと、「人権」は何処にもない。
皆無である。
岩波文庫『人権宣言集』の第二章(107~125頁)は、美事なまでに宮沢俊義らの常軌を逸した詐言性を示すものとなっている。
東京大学法学部の憲法学教室は、学生を騙し国民を騙すための研究をしているのだろうか。

なお、そこで宮沢らが米国憲法に代えてトリック的に持ち出す「独立宣言」とか「ヴァージニア邦憲法」とか「マサチュセッツ邦憲法」とか、の何れにも「人権」思想はないことは、拙著を参照して頂きたい(※注3:中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』、中公叢書、24~34頁)。

さらに一言。
米国という統一国家の憲法に「人権」が完全に排除されている状況下で、米国誕生以前の13邦の「憲法」を持ち出して強引に歪曲した解釈で仮に「人権」があると証明した所で何の意味があろう。
邦の憲法は邦の憲法であって、米国憲法ではない。
自明ではないか。
宮沢ら日本の憲法学者の、マジック・ショー的な詭弁にはほとほと呆れるほかない。

日本で「人権」というドグマが瀰漫(びまん)してしまった原因であるが、一つはフランス革命を美化してフランス人権宣言について宣伝してきたその効果であろう。
第二は、国連が1948年に総会で採択した「世界人権宣言」は、これまた日本で大々的に宣伝された。
この効果も大きい。
そこで以下、この世界人権宣言について若干のコメントをしておきたい。

なぜなら、「世界人権宣言」も、ベンサムではないけれど「竹馬に乗ったナンセンス!」以外の何ものでもない。
なぜなら、冒頭の第1条より、許し難いほどの嘘を掲げているからである。

「第1条 すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とにおいて平等である」

北朝鮮に生まれた子供たちは、生まれながらにして飢餓と圧制の下で一切の自由をもっていない。
内戦に明け暮れるアフリカの幾つかの国では小学生でさえ武器弾薬の運びや殺しをしなければ生きていけず子供たちに自由はない。
「生まれながらの自由」など「すべての人間」には与えられていない。
飢餓や殺人を強制されていて尊厳など何処にあるのか。
自由はあくまでも“国”ごとであり、自由ある国に生まれない限り自由の享受は不可能である。

つまり、自由とは、その“国”からの賜物であり、「“相続”したから、享受できる」ものである。
現実とは、「人間は生まれながらにして自由がなく、尊厳もなく、<権利の平等>などという言葉が戯言以上の何ものでもない」人々が、世界には何億人もいるということである。
国連の「世界人権宣言」の真っ赤な嘘は、第2条にも続く。

「第2条 すべての者は、・・・・・・この宣言に掲げる権利と自由とを享受することができる」

例えば、北朝鮮の人々のうち、数十万人は日々、人肉を食べ、ついには餓死を余儀なくされている。
「この宣言に掲げる権利と自由を享有できる」などというのは、悪質な虚言であろう。
そして、日本の憲法学の欺瞞性は、第1条から第30条まで全て嘘、嘘、嘘の、この「世界人権宣言」を、あるいは「人間人格の固有の尊厳および平等の権利」を前文に掲げる「国際人権規約(1966年)」を、その文字面のままに事実だと詐称して「人権」を論じていることである。

しかし、虚偽や事実誤認に発した前提に立つ、自由や権利のアッピールをしたところで、自由や権利が擁護されるわけではない。
つまり、そのような前提のもとでそれらを享受することは決して出来ない。
人間の自由や人格の尊厳は、憲法が“国”ごとであるように“国”という枠組のもとで擁護される。
これが唯一の真理である。
だが、この真理を冒涜して、それらが“国”の枠を超えて地球あまねく普遍的に存在し得るなどというのは悪質な虚構である。
憲法学がもし“学問”であろうとするならば、「フランス人権宣言」をまず拒絶するとともに、「世界人権宣言」や「国際人権規約」も完全否定することから出発しなくてはならない。


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