第三章 君主・元首・天皇

阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)   第二部 実定憲法理論    第三章 君主・元首・天皇 p.225以下

☆★重要な注意事項★☆ 当サイトは、阪本氏の皇室に関する見解を支持しているわけではありません。
※阪本氏は、政治思想としては「リベラル右派(真正リベラル=古典的自由主義=新保守・経済保守)」に分類され、ハイエク+ハートに基礎を置くその憲法理論は、通説的な左翼憲法学を論破する上で非常に有益であるため、当サイトで詳しく紹介していますが、残念ながら皇室観に関しては「伝統保守(旧保守=真正保守)」の見識とは相当のズレがあります。⇒(参考ページ) 政治の基礎知識 右派・右翼とは何か

<目次>

■第一節 君主・元首の意義


[253] (一)君主概念は二つある


古くは、君主とは、統治権を意味する主権を一人で保持する自然人を指した。
これを「古典的君主概念」という。
その後、立憲主義の展開とともに君主の統治権が制限されてくると、新しい君主概念が登場する。
それによれば、君主とは、次の全部または何れかの特性をもつ自然人をいう、とされる。

(ア) 独任制機関であること、
(イ) その地位取得原因が多くの場合世襲にあって、またその地位が終身認められること、
(ウ) 無答責であること、
(エ) 象徴性としての地位または役割をもつこと、
(オ) 国を代表する対外交渉権能をもつこと、
(カ) 統治権の重要部分を行使すること。

このうち、通常、君主であるための標識としては、(ア)、(オ)および(カ)が挙げられる。
この観点からすれば、現行憲法典の4条にいうように、「国政に関する権能を有しない」以上、天皇は君主ではないことになる。
なお、政府の解釈に拠れば、天皇が世襲の地位を占め、国民による尊崇の対象とされていることを根拠として、天皇は君主である、と解釈されている(昭46.6.28の政府公式見解)。

[254] (ニ)元首は厳密には法的な意味をもたない


元首という言葉は、国家有機体説のもとで擬人的な比喩として用いられてきた関係上、厳格な法的意味をもたず、様々に用いられる。
例えば、
古典的君主を指すとき、
執政府の首長、なかでも、名目化された執政権担当者を指すとき、
明治憲法4条のような統治権の総攬者を指すとき、
対外的に国家を代表する機関を指すとき、
の如くである。

現行憲法典上の天皇は、④の意味において、元首であると解することも不可能ではない。
ところが、日本国憲法が外交処理権限を内閣に付与していることを考えれば(73条3号)、天皇は、法上、国家・国民を対外的に代表する機関という意味で対外的代表権限を、名目的であれ、もつことはあり得ず、形式的・儀礼的な国家の「象徴的代表」にとどまる([155]参照)。
大使・公使の信任状の認証、その接受などを天皇の国事行為としているのは(7条)、このことを示す(国際法上は、信任状の名宛人は元首とされるが、諸外国が天皇をその名宛人としているところをみると、運用上は、天皇が元首として扱われていることになろう)。


■第ニ節 天皇をめぐる断絶性と連続性


[255] (一)天皇の地位に断続性が認められるか


先にふれたように、ポツダム宣言の受諾は、「国体」の変更を余儀なくした([245]参照)。
占領下においては、
皇室財産の取引の司令部による許可制(「皇室ノ財産ニ関スル覚書」昭和20年11月18日)、
天皇の神格性の否定(「天皇の人間宣言」昭和21年1月1日)、
教育勅語の排除(昭和23年6月19日)、
等、神権天皇制を否定する一連の措置がとられた。

さらに、天皇制は日本国憲法の成立によって根本的に変革された。
憲法1条に示されているように、天皇は日本国および日本国民統合の象徴であり、その地位は主権の存する国民の総意に基くものとされた。
そればかりでなく、「天皇は、この憲法の定める国事行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」(4条)と定められて、その権能は法上意味を持たない、「社交的君主 social monarch」として「形式的儀礼的」なそれに限定された。
その他、日本国憲法は「すべて皇室財産は国に属する」(88条前段)として、かつての財閥に匹敵した天皇家の私的財産を、原則として、国有化して、その経済的基盤をも変革した。

この点からみると、自己拘束する立憲君主制のもとで統治権の総攬者であったかつての天皇の地位と比べた場合、日本国憲法上の天皇の地位は、過去との決定的な断絶をみせたといってよい。
もっとも、天皇という、国民とは異質の世襲制を基礎とする政治体制を「天皇制」と呼ぶとすれば、新・旧憲法ともに「天皇制」を採用しているといえよう。
さらに、少なくとも象徴的代表としての天皇の役割に関する限り、明治憲法からの連続性を肯定することも不可能ではない。

新・旧憲法上の地位に連続性がみられるか否かにつき、学説は、大きく三つに分れる。
まず、A説は、 断絶性を率直に承認して、主権者たる国民が、1条によって、従来の「天皇」とは全く別の象徴としての役割を創設し、その役割に相応しい地位へと従来の天皇制を変革したものと理解する( 断絶説 )。
次にB説は、 天皇の地位が世襲である以上、象徴天皇制は「君主制の民主主義的改装」に他ならず、そこに断絶性はないとする( 連続説 )。
さらにC説は、 天皇の権限については断絶性を承認しながらも、地位については従前と同じく「国民最高の敬栄の地位にある」と理解する( 一部連続説 または 「国体」の新解釈論 )。
このC説は、象徴規定が天皇の栄誉権(国民の側からすれば尊崇義務)を意味しており、国家の尊厳を代表するものとして外国の君主と対等の地位にあることを示す、と説くのである。

[256] (ニ)本書ははっきりと断絶性をみてとる


明治憲法下の天皇制は、天皇の統治権の正当性の淵源を神勅に求める、日本版王権神授説に立っていた。
これに対して、現行憲法は、天皇の地位を国民の総意にかからしめ(1条)、天皇が国家機関としての地位を占める場合、「国政に関する権能」(power related to government)の一切を奪いながら(4条)、天皇制という制度の役割を「象徴」と宣言したのであって、そこに断絶性をみてとるのが妥当である。
B説やC説は、地位(身分)と権限とを別物とみながら天皇制を理解しているが、本来、地位(身分)は、政治的権限から画すべきものである。
日本国憲法が天皇制をもって象徴としての役割を果たすに相応しいように、国家機関としての天皇を「国政に関する権能」なき地位へと押し込めたことは、旧憲法典上の天皇制を採用しないためである。
象徴としての役割において天皇に共通性がみられることをもって、連続性を肯定してはならない。


■第三節 象徴の意義


[257] (一)「象徴」規定は国体否定以上の意義を有しているか


日本国憲法の1条は「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と定める。
これは、天皇を「象徴」と明示することによって、国家と国民の一体性という無形の抽象的存在を、天皇という具体的な身体に可視化するという、社会心理的効果を狙ったものである、と一般にいわれる。
この法的意義は、消極的に、統治権の総攬者としての神権的天皇を擁する国体を否認することにある。
このことは、天皇は国政に関する権能を有しないとする、4条に具体的に表れている。

では、象徴規定は積極的には、法上、何を意味するか。
まずA説は、 同条にいう「象徴」とは、「ある不可視なものを可視化する」代表としての役割(人や国の一体性を体現しているという意味での「象徴的代表」としての機能)をいう、とする。
そのうえで同説は、1条の趣旨は、国家機関としての法的地位にある天皇が、明治憲法下での統治権の総攬者としての権能をすべて控除されて、残余の象徴としての役割だけを担うことを確認的に宣言したことにある、と理解する( 宣言的規定説 )。
この説は、現行憲法での天皇は、その権限の面では、明治憲法と断絶しているものの、象徴という機能の面においては、連続性をなお有している、とみるのである。
この立場は、先の一部連続説に近い見解に立って、象徴としての機能を果たすに相応しい法的処遇を天皇に与えることは許容される、とする。
その処遇例として、日本国憲法2条が天皇の地位を世襲とするとしていること、諸法令が天皇誕生日を国民の祝日としたり、天皇に特別の敬称を認めたりしていることが挙げられる。

このA説の欠陥としては、次の点を指摘することが出来る。
明治憲法下で天皇が果たしてきた象徴としての役割は、統治権の総攬者としての地位・権限に裏打ちされたものであって、統治権の総攬者としての地位・権限を失った後には、同じ「象徴」という役割もその実体を異にするはずである。
「象徴」という一点に連続性をみてとることは出来ない。
A説と類似の立場として、A’説は、 先の一部連続説に立って、象徴としての天皇に、象徴に相応しい法的処遇が与えられるべきである、とする。
天皇誕生日、陛下という敬称等は、この説によれば、1条の要請するところである、と解される。
これに対してB説は、 先にみた断絶説を前提にして、1条にいう「象徴」とは、明治憲法下における天皇のカリスマ的象徴性または統治権の総攬者によって裏打ちされたものとは異質であって、同条によって創設されたものとみる( 創設規定説 )。
この説によれば、新たに設けられた「象徴」は、権限配分と無関係であって、法的意義をもつものではなく、従って、その意義を1条のなかに求め得ず、第一章の各条規から演繹する以外ない。
「象徴」規定から、例えば国会開会式における「おことば」を述べる行為を、国事行為でもない私的行為でもない「象徴としての行為」として説明することは出来ない、ともいわれる。

[258] (ニ)本書は「象徴」の積極的な法的意義を認めない


「象徴」とは、それ自体、法的な意義をもつものではない。
B説が妥当である。
もっとも、本書は、象徴であるといわれる「天皇」とは、自然人を指すのではなく、天皇制という制度をいう、と理解する(坂本多加雄『象徴天皇制と日本の来歴』153、159頁参照)。
ある人物が天皇制を背景にして行為すれば、国民の側に生ずるであろう心理状態に期待して、1条は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と表現し、我々はそれを「象徴天皇制」と称するのである。
象徴天皇制は、人々のこのような社会心理的な働きを期待する制度である。
換言すれば、1条前半部分にみられる象徴規定は法的には積極的な意味をもたず、自然人としての天皇の地位・権限、その為し得る行為の範囲を未決定のまま残しているのである。
自然人としての天皇が、憲法上、いかなる職を占めるかは、1条の後半部、「この地位」に表明されている。
「この地位」とは、国制上の職、すなわち、「国家機関としての地位」を指す。

以上のことから、本書は、1条を次のように読み直すのが妥当であると考える。
「天皇【制】は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位【自然人としての天皇が占める国家機関としての職】は、主権の存する日本国民の総意に基く」。
憲法典は、天皇という自然人が何を為してよいか、前もって標準化された行為形式を示さなければならない。
それが、「国政に関する行為/国事に関する行為」の別として、3条以下に示されている。
従って、1条は、こう読める。

天皇制は、自然人たる天皇の活動を通して、日本国および日本国民統合を現前させるための象徴である。
自然人たる天皇は、国家機関としての地位を占めるが、その地位は国民主権と矛盾することがあってはならない。
自然人たる天皇は、国家機関として如何なる行為に従事できるかにつき、本状は定め尽くすことをせず、3条以下の規定に委ねる。

現行法は、天皇制を支える人に対して、特別の身分と権能を有する地位を与えている。
皇室典範は、身分法上の特例として、天皇および皇嗣の成人年齢を18年とすること、天皇および皇族男子の婚姻につき皇室会議の議を経ること等定めている。
また、刑事法上の特例として、摂政および天皇権能代行者は在任中起訴されないとされていることの関係上(皇室典範21条、国事行為の臨時代行に関する法律6条)、天皇は、刑事法上、訴追されることはないものと解される(なお、天皇の民事責任についての学説は、民事裁判権に服さないとするA説、民事裁判に服するものの免責されるとするB説とに分れている。最高裁(最ニ小判平1.11.20、民集43巻10号1160頁)は、快癒を願う記帳所を公金で設置したことによって、天皇が不当利得したものであるから、返還するよう求めた訴訟において、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることに鑑み、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当」と判断した)。


■第四節 天皇の国事行為と内閣の助言と承認


[259] (一)内閣の助言と承認は、大臣助言制とは異なる


憲法3条は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」と定める。
明治憲法下における輔弼制は、立憲君主制のもとでの大臣助言制に倣ったものであった。
大臣助言制とは、君主がその権限を行使するためには、国務大臣の助言を必要とする制度をいう。
明治憲法下での大臣輔弼制の輔弼の法的拘束力については、これを肯定する説と、「国務大臣の進言を嘉納せらるゝや否やは聖断に存する」とする説とがあり(美濃部達吉『逐條憲法精義』513頁)、後者が通説であった。

現行の内閣による助言と承認につき、学説の中には、助言と承認が大臣輔弼制と同質であるとするものや、同制度の延長上にあるとするもの、もみられる。
しかしながら、その主体が合議体としての内閣であること、天皇に対して絶対的拘束力をもつこと、全ての「国事行為」につき必要とされていることから分かるように、主体、法的性質、対象の範囲、において、大臣輔弼制とは決定的に異なっているのである(その法的性質については、すぐ後の [261] でふれる)。
従って、助言と承認についての責任の名宛人は、天皇ではありえず、国会であり、天皇の無答責性は、助言制から来るのではなく、「天皇は、・・・・・・国政に関する権能を有しない。」と定める4条からの帰結である。

[260] (ニ)「国事に関する行為」と「国政に関する権能」とは同義ではない


では、内閣の助言と承認を要する「国事行為」とは何か。
憲法4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する 行為 のみを行ひ、国政に関する 権能 を有しない。」と定め、さらに、7条は、天皇の国事行為(acts in matters of state)として、その1号ないし10号で、憲法改正、法律、政令および条約を公布すること、国会を召集すること、衆議院を解散すること等を列挙している。

(※注釈:A説) 天皇の国事行為の法的性質に関して、学説の中には、「国政」と「国事」とを本来同義とみたうえで、国事行為に政治的決定権が含まれると解するA説がみられる。
この見解は、天皇が一定範囲の統治権を有していることを前提に、内閣の助言と承認の制度を大臣助言制類似のものであるとみる。
このA説は、天皇は「この憲法の定める国政権限を、内閣の助言と承認に基づいて行い、その他の国政権限を有しない」と、関連条文を読み直すのである。
しかしながら、4条1項の文理をそのように解釈することは、強引すぎるばかりでなく、我が憲法典が、立憲君主制と、そのもとでの助言制を採用している、とする前提に右説の決定的な誤りがある。
(※注釈:B説) 学説の多数は、国事行為には政治的決定権は含まれず、儀礼的・形式的な行為を国事行為という、とするB説を採る。
その中にも、
(※注釈:B1説) 4条が「国事に関する行為」のみを認め、「国政に関する権能」を認めないとする以上、「国事行為」は、本来的に形式的・儀礼的であるとするB1説と、
(※注釈:B1説) 行為自体は形式的・儀礼的とはいえないものの、他の国家機関によって実質的に決定されるために結果的には形式的・儀式的となるとするB2説とがある。
こうしたB1、B2の見解の対立は、内閣の助言と承認のなかに実質的決定権が含まれるか否か、という論点と繋がっている。

[261] (三)内閣の助言と承認は、我が国独自の制度である


内閣の助言と承認の趣旨については、大別して二つの見解がある。
一つは、天皇の為す行為を内閣の意思によって決定することを通して、天皇権限を名目化する点に、その趣旨をみる甲説である(この説によれば、助言と承認は内閣の意思によって実質的に決定する場合にのみ必要となり、他の機関によって実質的に決定された事柄については、不要となる)。
この説は、助言と承認を「大臣助言制」類似の制度またはその延長上にあるとみているのである。
これに対して乙説は、助言と承認は我が国独自の象徴天皇制に特有の制度であって、それは、象徴制を防御せんとするところにその意義を有するとみる。
すなわち、内閣は、助言と承認の制度を通して、天皇が国政に関する権能を行使しないよう、また、統治へ影響を与えず、さらには、統治から影響を与えられないよう注意しながら、象徴制を防御するのである。

以上のうち、現行の助言と承認の制度が大臣助言制ではないこと、天皇が国政に関する権能を一切もたないことからすれば、名目化されるべき実体権能自体、当初より、存在しないのであり、乙説が妥当である。
大臣助言制は、君主を無答責とするための装置である。
我が国の「助言と承認」は、これではない。
また、君主権限の名目化は、立憲君主制の崩壊、議会勢力の台頭の所産であり、助言制の直接の狙いではない。
この理解に立った場合、内閣による助言と承認は、次のような意義をもつ。

第一に、 7条に列挙されている国事行為のなかには、認証や儀式のように本来的に儀礼的な行為がある。
この場合の内閣の助言と承認は、儀礼的な行為を適切に行うための確認の意味をもつ。
第二に、 内閣総理大臣や最高裁判所長官の任命のように、実質的決定権の配分が憲法典上明記されているものがある。
これに関する内閣の助言と承認は、他の機関によって全面的に決定されたことを内閣が確認する意味をもつ。
第三に、 国事行為のなかには、国会の召集、衆議院の解散のように、実質的権限の所在が明確でない場合がある。
これらに関する実質的決定権は、憲法典上の他の条規または憲法典の構造から導き出す以外にない。
内閣の助言と承認は、第二の場合と同じ意味をもつ。
これに対して、先の甲説によれば、この場合の実質的決定権は、内閣の助言と承認のなかに読みとられ、天皇による国会召集行為等は、内閣の決定を外部に表示する行為(宣示行為)ということになる。

[262] (四)国会の召集権限と衆議院の解散権限の所在はどこに求められるか


乙説に従った場合、国会の召集権および衆議院の解散権の所在は、どこに求められることになるか。

①まず、召集権限について。


国会の召集とは、期日および場所を定めて議員を集会させ、国会の活動能力を発動させることをいう。
議会の召集に関しては、
(ア) 執政府の権能とする他律的召集型(イギリス、明治憲法型)、
(イ) 議会が自ら行うとする自律召集を原則とするものの、一定数の議員または大統領による請求のあるときに議長が召集するもの(ヴァイマル憲法型)、
(ウ) 執政府による他律的召集を原則としつつ、一定数の議員から召集請求できるとするもの(フランス第三共和国憲法型)、
(エ) 通常は、召集行為なく、憲法典の定める期日に開会され、緊急時に例外的に執政府が召集するタイプ(アメリカ合衆国憲法型)、
に大別できる。

我が憲法典は、臨時会につき、「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と定めて(53条)、臨時会の召集権限が内閣にあることを原則としつつ、一定数議員から召集請求できる旨を明示している。
この趣旨は、常会および特別会についても、類推され、従って、我が憲法典は右の(ウ)の型に属するとの結論に至る(参議院の緊急集会の召集権が内閣にあること(54条2項)も根拠となろう)。
天皇の国事行為の一つとして挙げられる「国会を召集すること」の実質的決定権は、内閣に存し、天皇はその決定を内閣の助言と承認に基づいて外部に表示するのである。

では、なぜ日本国憲法は他律的召集原則を採用したのか。
日本国憲法にみられるような他律的召集原則は、権力分立思想に忠実な構想であった。
厳格な分離を説いたといわれるモンテスキューは、議会は自ら召集する権限をもってはならず、開会の時期および会期は執政府が状況に応じて決定すべきものと説いた。
これは、一般的抽象的で永続的な立法制定権限を有する議会が、他の機関に対して超然とした存在とならないようにする工夫として説かれたのである([193]、[197] 参照)。

②次に解散権限の所在について


解散とは、議員の任期満了前に、議員全体についてその資格を喪失させる行為をいう。
7条3号は「衆議院を解散すること」を天皇の国事行為としている。
その決定権の主体と根拠については、次のような学説の対立がみられる。

A説は、 天皇が解散決定権を本来有していると解したうえで、この天皇権限が内閣の助言と承認によって名目化される、とみる。
この説は、もともと天皇制に対する独特の見方(天皇は君主でもあり、元首でもあるとする)を前提としているのであるが、既にふれたように([260]参照)、その前提そのものに無理がある。
B説は、 69条所定の場合に限って内閣が解散権を有するとする。
議院内閣制の章でみたように([225]参照)、均衡(議会の明示的な不信任の意思表示に対抗するための内閣の解散権)を本質とする議院内閣制を我が憲法典が採用していると解される以上、このB説が妥当である( 69条説 )。
もっとも、我が国の69条による解散は、過去4回あるのみで、他は全て7条3号によって為されてきた経緯からすると、今日、69条説に執着することに対して疑問が残るのも当然であろう。
この疑問を回避するためには、7条による解散という習律が成立しているものと理解せざるを得ない。
なお、最高裁は、苫米地事件判決(最判昭35.6.8、民集14巻1206頁)において、衆議院の解散が「極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為」であることを理由に、司法審査の対象とはならないとした([460]参照)。
C説は、 日本国憲法が議院内閣制を採用していることを根拠として、内閣に解散決定権がるとする( 制度説 )。
この説は、議院内閣制の識別指標である解散権の所在を議院内閣制の根拠とする循環論であって、妥当ではない(学説の中には、日本国憲法の権力分立構造に内閣の解散を根拠づけるものもみられるが(佐藤・171頁)、不当である。なぜなら、解散権の所在が権力分立の構造を決定するのであるから)。
D説は、 内閣の助言と承認の中に解散権を読み込む( 7条説 )。
この説は、君主または大統領が、形式的であれ、有している解散権に内閣の副書権を通して訴える、という大臣助言制類似の制度を7条が採用していると理解して初めて一貫したものとなるが(ヴァイマル憲法がこれである点については既に [215] でふれた)、7条はそれではないのである。
この説が解散の根拠規定を69条に限定しない理由は、民主的契機となるルートとして解散の余地を残したい点にある。
ところが、解散権限は、自由の保護を第一義とする権力分立上の制度であって、解散を民主主義と安易に結び付けることは、正しくない。
解散権を民主主義と結びつける7条説は、内閣を梃子とした統治を許すことになって、議会を梃子とする統治を指す Parliamentary Government と相容れない。

69条非限定説に拠った場合、解散権発動の制約は、どう考えられるのか。
この点に関し同説は、
①選挙後、重大な争点が浮かび上がって、国民の意思を問う必要が生じた場合、
②国会の統一的な意思形成が困難となって、内閣として責任ある政策形成が行い得ない事態となったとき、
を挙げるが(佐藤・169~70頁)、客観的でない(客観的で正当な制約論拠としては、《同一理由による解散は一回に限る》(ヴァイマル憲法25条)ことくらいであろう)。
E説は、 内閣の解散権が 65条の「行政権」規定 に含まれるとみる。
なるほど、解散権の所在につき明文規定がないと考えられる場合、行政控除説に従って、立法でも司法でもない解散権作用を行政権であるとする思考は不可能ではない。
しかしながら、他の機関の存在や活動を左右する重大権限の発動手続は、国会の召集手続が52条ないし54条で言及されている如く、憲法典上、個別に言及されているのであって、機関間コントロールに言及しないまま65条に逃げ込むことは安易過ぎる。


■第五節 天皇の行為の類型


[263] (一)機関としての国事行為以外の行為類型があり得るか


「天皇」という言葉は、国家機関としての地位を指す場合と、その地位を占める自然人を指す場合とがある。
日本国憲法が、「天皇の国事に関する行為」(3条)、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」(4条)、「天皇は、・・・・・・左の国事に関する行為を行ふ。」(7条)、という場合の「天皇」とは、国務機関としての天皇をいう。
その地位を占める人という意味での「天皇」が私人として為す行為は、右法条の関知するところではない。

学説は、日本国憲法第一章における天皇の行為類型として、「国家機関としての行為=国事行為」とは別に、私人としての行為が当然あり得るとみて、「私的行為」なる行為類型に言及してきた。
ところが、天皇の私的行為は、日本国憲法第三章で議論する天皇の基本権享有主体性の問題領域であると考えるべきである(『憲法理論Ⅱ』 [151] 参照)。
日本国憲法第一章においては、日本国憲法4条が「天皇は、 この 憲法の定める国事に関する行為 のみ を行ひ」と定めている関係上、天皇は、国家機関として国事行為のみに従事できるのか、それとも、私人でもなく国家機関でもない、象徴や公人として国事行為以外の国家関係的行為にも従事できるのか、という問題設定でなければならない。

この点、A説( 国事行為限定説 )は、「象徴」なる用語を法的地位と関連させず、象徴であることから一定の行為能力が導出できるわけではない、とみる。
すなわち、この説は、象徴とは役割であって、その役割を果たしているか否かは社会心理的な事実問題である、と考えるのである。
この説によれば、天皇の為す外国への親善訪問、元首との慶弔電、国会開会での「おことば」は、象徴としての行為(権限)として正当化されることはない。
これらが国事行為として列挙されていない以上、天皇はこれらを為し得ないのである。
この国事行為限定説に対しては、「実際的でない」(佐藤・240頁)とか、「非常識である」(小嶋和司「天皇の公的行為と私的行為」憲法の争点44頁)とかの批判が寄せられている。
この批判に配慮して、国事行為限定説のなかにも、「儀式を行ふこと」が儀式への参加を含むと解して、これらの行為の合憲性を説いたり、「おことば」につき、憲法習律として成立を説いたりする立場もある。
B説は、国事行為とは別に、天皇はその特有の地位に相応しい、一定の行為を為し得ると説く( 国事行為非限定説 )。
この中にも、その根拠づけに応じて、象徴行為説、公人行為説、および準国事行為説とがある。
象徴行為説は、象徴としての天皇を法的地位とみて、天皇がその地位に置かれている以上、国家機関行為とは別箇の範疇として「象徴としての公的行為」がある、と説く。
公人行為説は、国家機関の地位にある自然人には、機関行為ばかりでなく、地位と関連した公的行為が認められることを説く(最高裁判所長官が国会の開会式に出席するが如し)。
準国事行為説 は、国事行為として列挙されている事柄の性質との均衡上、国事行為に準ずると認められるものを公的行為とみる。
例えば、外国訪問や外国元首の接受は「外国の大公使の接受」が国事行為とされていること、国会での「おことば」は「国会の召集」が同じく国事行為とされていることとの均衡上、公的行為として認められる、とする。

これらの非限定説は、いずれも、機関としての行為以外の範疇を置いて、それを、内閣の助言と承認のもとに置こうとする点では共通している。
この別の範疇を承認した場合には、内閣の助言と承認のもとで、「皇室関係の国務事務」(宮内庁法1条)として宮内庁の所掌するところとなり、また、その行為に金銭の支出が伴えば、宮廷費(公金)として支弁され、「宮内庁でこれを経理する」(皇室経済5条)こととなる。
非限定説は、機関行為以外の天皇の行為を内閣の責任(助言と承認)のもとに置くとはいえ、別個の範疇設定によって、限定的であるはずの国事行為の制約を解除することにならないか、疑問とならざるを得ない。

[264] (ニ)象徴としての天皇は「公的」行為を為し得るか


学説を対立させる根本問題は、「天皇は、・・・・・・象徴であって、この地位は・・・・・・」と謳う1条の前段と後段との関連をいかに捉えるか、にある。
右にみてきた国事行為限定説も、非限定説も、「この地位」とは、国家機関としての地位を指すとの前提に立って、それ以外に、「象徴としての地位」や「公人としての地位」があり得るか、論争してきたようにみえる。
この暗黙の前提を覆すかのように、ある学説は、「この地位」とは天皇が象徴としての役割をもつことを指す、と理解する。
そのうえで、この説は、天皇は象徴としての地位と国家機関としての地位とを占める、という意味において「公人」であり、列挙された国事行為以外の行為を公人として為し得る、と説く点で特異である(佐藤・240~41頁)。
この理解は、象徴行為説、公人行為説が、ともに、象徴、公人の意義を明確にしないまま、それに相応しい行為を容認してきたことの反省のうえに成り立っている。

これに対して、本書は、先の [258] でふれたように、天皇が象徴である、とか、象徴としての地位にある、とか考えない。
本書は、天皇制という制度が象徴であり、その制度を背景にしてある自然人が行為すれば、それを感得する国民の内心に一定の反応が生ずることに期待されている、とみる。
憲法典は、その自然人の為し得る行為を前もって標準化しているはずであり、それが、国家機関の地位としての行為であって、3条以下に列挙されている国事行為である。

[265] (三)本書は国事行為限界説を妥当と考える


確かに、非限定説はいずれも、機関としての国事行為以外に、天皇が政治的影響を与え得ること(天皇による政治への影響)を承認しつつ、これの歯止めとして、内閣の助言と承認を説く。
ところが、内閣による天皇のコントロールの必要性の有無を、天皇からの政治的影響の有無で判断するとなると、憲法典上の明文規定の有無に拘わらず、天皇の全ての行為につき助言と承認が必要とされるに至るであろう。
これでは内閣が天皇を政治的に利用(内閣による天皇の政治的利用)する道を開いてしまう。
内閣の関与をもって事足れリとすることは出来ない。

そればかりでなく、非限定説の意図とは反対に、同説は「公人」としての行為とか「象徴」としての行為とか、曖昧きわまりない概念によって機関行為ならざる範疇を容認するだけに、事実行為までをも国事行為として限定しようとした憲法の趣旨にもとる。
「公人」なる曖昧な概念に依拠してはならない。
「公人」であるか否かは、当該人物が国法上有している行為権限を中心にして画されるべきものである。
「公人としての行為」という概念の設定は、行為権限を問わないまま、「公人」という結論から行為を引き出すという結論先取りの理論である。

結論として、天皇の行為は、最も簡明な国事行為限定説によって説明されるべきである。
もし外国の国家儀式への参列、国会開会での「おことば」の朗読等を違憲とすることが非常識であるとすれば、これらが儀礼的形式的である限り、「儀式を行ふこと」に該当する、と解すればよい。

なお、本書は、日本国憲法第一章のもとで天皇の「私人としての行為」を論ずる必要なしとの前提をとった。
そのため、本書は、これまでの学説の分類にみられるような、「①国家機関としての行為/②私人としての行為」に分けるニ分類説、「①国家機関としての行為/②私人としての行為/③その他(象徴行為、公的行為等)」に分ける三分類説のように類別化することを、意図的に避けている。


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