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憲法とは、国家権力の組織および行使に関する基本ルールである。
換言すれば、社会の政治権力を誰がどのように行使すべきかを定めた基本法である。
今日では政治権力は国家に集中され、国家権力として組織されている。
そこで、憲法とは何かを見る前に、国家とは何かについて最初に見ておくことにする。

<目次>


Ⅰ 国家とは何か


1 国家の歴史的成立 - 社会学的意味での国家


人間は、社会を形成して生活するが、その社会が一定の特徴を備えているとき、それを国家と呼ぶ。
近代国家は、ヨーロッパの歴史においては、それに先行した封建制社会を解体しつつ登場したため、その特徴の理解は、通常、封建制と対比することにより行われる。
封建制社会においては、封建諸侯(領主)が地方の支配権を握っており、政治権力は国王の下に集権化されることなく地方分散的な状態にあった。
国王権力は、王国全土を直接的に支配することはできず、地方領主との封建契約を通じて間接的に統治しえたにすぎない。
しかも、地方領主の中には、国王より強力な者も存在し、国王権力の優越性の保証もなかったし、また、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝など外部の勢力からの干渉も受け、対外的な独立性も存在しなかった。
したがって、国王の支配権が直接的に及ぶ領域という意味での「領土」の観念も、国王の支配権に直接に服する「臣民」の集合としての「国民」の観念も、なかった。
こうした状態から出発し、国王は、この封建的な構造を徐々に解体し、領土と国民に直接的支配権を及ぼす中央集権的な最高・独立の統治権(主権)を確立していくが、それが「絶対王政」と呼ばれる体制であり、国家は絶対王政とともに始まるのである。
この国家は、絶対王政の段階では、王国の隅々にまで張り巡らされた国王の手足としての官僚機構を中心に観念され、国王の支配のための道具として国王に帰属する王家の「家産」と捉えられていた。
そこでは、国民は、国家を通じて国王に統治される客体にすぎなかったのである。
その国民が、近代市民革命により国王の統治権を奪取し、統治権の客体から主体へと転化するとき、国家が「一定の領土を基礎に統治権を備えた国民の団体」として観念されるようになる。
領土・国民・統治権(主権)が国家の三要素といわれるのは、このためである。

国家の成立により、国際社会は、相互に独立の「主権国家」から成るものと理解されるようになる。
主権国家が典型的に成立するのは、まずヨーロッパにおいてであったが、国際社会の行動主体が主権国家ということになると、国際社会で独立の主体として自己を確立したい集団は、主権国家性の実現を余儀なくされ、かくして多くの主権国家が叢生することになったのである。

2 法学的国家論


このように成立した(社会学的・歴史的)国家を、法的にいかなる存在として説明するかが、法学的国家論の課題となる。
これまでに社会契約をはじめとして様々な学説が唱えられてきたが、ここでは、我が国の憲法学に大きな影響を与えた国家法人論およびケルゼンの学説を簡単に紹介しておこう。

(1) 国家法人論


複数人から成る団体に一つの法人格を認めて、権利義務関係を扱いやすくするという法技術は、私法における財産関係の処理の場面では普通にみられるところであるが、これを統治権の帰属・行使の説明についても応用しようというのが、国家法人論の眼目である。
たとえば、株式会社は法人格を有し、会社の機関である代表取締役が表明した意思(たとえば、契約を締結する意思)は、代表取締役個人の意思ではなく、法人の意思とみなされ、その法的効果(たとえば契約による財産取得や支払義務)は法人に帰属するものとして扱われる。
同様に、国家法人論は、国家に法人格を認め、統治権はこの国家=法人格に帰属すると考える。
そこでは、統治権を行使するための意思表明(法律の制定、行政処分、判決等)は、国家=法人格の機関(国会、内閣、裁判所等)により行われる。
機関とは、法人格の意思を表明する地位を指すのであるが、その地位に誰がどのようにして就くのかは、憲法によって定めされる。

国家法人論にも様々なバリエーションが存在するが、代表的な見解はドイツの国法学者ゲオルク・イェリネック(Georg Jellinek, 1851-1911)が唱えたもので、日本の美濃部達吉(1873-1948)はこれから大きな影響を受けた。
戦前に「国体の異説」として弾圧を受けた美濃部の天皇機関説とは、この国家法人論に基礎を置くもので、明治憲法の解釈として、天皇を「統治権の主体(主権者)」としてではなく、「国家法人の機関」として捉えることを主張した学説である。
そのねらいは、統治権を天皇ではなく国家法人格に帰属するものと捉え、天皇は帝国議会と同じく国家法人格の機関であるとすることにより、天皇と帝国議会との格差を狭めることにあったと言われる。
弾圧を受ける以前は、この天皇機関説は学界の通説であった。

ドイツの国家法人論は、統治権(主権)を君主でも人民(国民)でもなく、国家に帰属すると構成することにより、君主主権論と人民主権論の歴史的対立の決着を回避し棚上げする意味をもつものであった。
君主・貴族階級と市民階級(ブルジョワジー)の対立の中で、市民階級が革命によって支配権を確立するだけの力をもちえなかった19世紀後半ドイツの状況を反映した理論であり、その意味で保守的性格をもつと一般に評されている。
その理論が、日本においては、天皇機関説にみられたように、民主的役割を果たしたことは興味深い。
一つの理論、学説がどのような機能を果たすかは、その社会の置かれた歴史的・国際的等の状況により異なりうることを示しているのである。

(2) ハンス・ケルゼンの理論


国家法人論の説明で、法人の機関が法人の意思を表明すると述べたが、なぜ機関の地位にある自然人の表明した意思が、法人の意思とされるのか。
それは、法が機関の地位に在る者にそのような権限を授けており、その授権に従って意思表明がなされたからである。
では、なぜその法はそのような効力(妥当性)をもっているのか。
それは、その法自体が、正当な権限をもつ機関により制定されたからである。
では、なぜその機関はそのような権限をもったのか、といえば、法によりそのような権限を授けられていたからである。
このように考えてみると、あらゆる法は、自己の妥当根拠を先行する上位の法規範から得ていることが分かる。
様々な法規範が授権・受権関係を通じて上下関係を形成している様子を、ケルゼン(Hans Kelsen, 1881-1973)は法の段階構造と呼んだが、憲法は、通常その最上位に位置している。
憲法は、国家の機関を創設し、それに一定の権限を授ける。
機関がその権限内で活動する限り、その行為は法的効力(妥当性)を承認され、その法的効果は国家に帰属する。
では、憲法自体はなぜ効力をもつのか。
憲法の妥当性はどこからくるのか。
ケルゼンは、これを説明するために、憲法の上位に位置する根本規範というものを仮設的に想定した。
憲法は、根本規範によって憲法制定権力を授権された機関により制定されることによって、その妥当性を獲得するというのである。

純粋法学の創始者ケルゼンは、事実と当為を峻別する立場に立つから、憲法の妥当性を説明するのに、たとえばイェリネックのような「事実の規範力」といった観念に訴えることを事実と当為の混同として否定し、上位規範による授権という理論を延長して究極的な妥当性根拠としての根本規範を仮設したのである。
こうして、法秩序は根本規範を頂点に授権関係を基礎とする段階構造をなすものと捉えられた。
そこでは、下位規範は上位規範(授権規範)を具体化し執行・実現していくものと捉えられる。
そして、ケルゼンによれば、国家とはこの法秩序のことだとされる。
自然人の意思が国家の意思とみなされるのは、法によってであり、法なくして国家の意思は存在しない。
国家は、法秩序としてしか存在しえず、法秩序と別個に法を制定する主体として、あるいは、法に拘束される対象として国家が別個に存在するわけではない。
国家イコール法秩序なのである。


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Ⅱ 憲法とは何か - 憲法の意味と種類


憲法は様々な意味に使われるので、議論の混乱を避けるために憲法の意味が区別・整理されてきた。
その中で最も重要なのは、①固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法の区別と、②実質的意味の憲法と形式的意味の憲法の区別である。
①は憲法の内容に着目した区別であるのに対し、②は憲法の存在の仕方に着目した区別である。

1 固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法


(1) 固有の意味の憲法


憲法とは、どのような自然人の意思が国家の意思とみなされるべきかを定めた基本法である。
国家の意思は、法律、命令、規則など、憲法の定める様々な形式で表明されるが、それが強制力の独占を正統化された国家の意思である以上、国家権力により強制される力を獲得する。
国家意思を形成し執行していく権力を統治権と呼ぶが、この統治権が誰に帰属し、どのように行使されるべきかを定めているのが憲法なのである。
この意味での憲法は、あらゆる国家に存在する。
憲法なくして国家は存在しえない。
この意味での憲法を「固有の意味の憲法」という。
絶対王政にも、固有の意味での憲法は存在した。
絶対君主は、まさに憲法により絶対的な権力を授権されていたのである。

(2) 立憲的意味の憲法


我々が憲法という語により通常思い浮かべるのは、上述のような意味の憲法ではない。
我々にとって憲法とは、人権保障を謳い、国民主権や権力分立を定めた憲法であり、それは通常一つの統一的な憲法典の形で存在している。
絶対王政期には、このような憲法典はいまだ存在せず、憲法は慣習法として存在していたにすぎなかった。
たとえば、フランス絶対王政期に王位継承のルールなどを定めていた「王国の基本法」は、そのような性格の慣習法であった。
そこでは、憲法は、人為的に制定するものではなく、自然に成るものと観念されていたのである。

これに対して、絶対王政末期になると、イギリスに中世以来存在した、国王権力をも拘束する「高次の法」(higher law)という思想と、ロック的な社会契約論の影響下に、社会構成員の合意書としての憲法典を制定しようという考えが生じた。
これを歴史上最初に実行に移したのは、イギリスから独立した直後のアメリカ諸邦であった。
独立の過程で、まず最初、1776年6月にヴァージニアのウィリアムズバーグで開催された革命評議会が、天賦・不可侵の自然権を基礎とする権利宣言を採択する。
このヴァージニア権利宣言は、直後に採択された「政府の機構」(Frame of Government)という法典と一体を成すものとされ、その後の憲法が人権部分と統治機構部分から構成されるモデルとなった。
翌月(7月)には有名なアメリカ独立宣言が出されるが、そこでも同様の自然権思想を基礎に母国イギリスからの独立の正統性が主張されている。
引き続き諸邦で同種の権利宣言を伴った憲法が制定されていくが、1787年に13邦(州)が一つの連邦国家を形成する合衆国憲法が制定される。

同じ時期、フランスでも、1789年に革命が起きると、第三階級の代表者が「国民議会」を名のって「人及び市民の権利宣言」(フランス人権宣言)を行い、国民主権、人権保障、権力分立が国家の基本原理となるべきことを宣言し、1791年にそれに基づく最初の憲法を制定した。
これらの憲法は、いずれも人権保障と権力分立原理を採用し、権力を制限して自由を実現するという立憲主義(constitutionalism)の思想を基礎にしている。
立憲主義とは、政治は憲法に従ってなされなければならないという思想をいうが、そこでいう憲法はいかなる内容の憲法でもよいのではなく、人権保障と権力分立の原理に支えられたものでなければならないと考えられたのである。
1789年のフランス人権宣言16条は「権利保障が確保されず、権力分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と規定したが、立憲主義の典型的な宣言といわれている。
このような立憲主義を基礎にした近代の憲法を「立憲的意味の憲法」と呼ぶのである。

(3) 立憲主義の母国イギリス


立憲主義のねらいが、国王の権力を制限して国民の自由を保障することにあったとすれば、それを他国に先駆けて歴史上最初に実現したのは、イギリスであった。
イギリスは、成文の憲法典を制定することはしなかったが、立憲主義的な国家構造をすでに17世紀に実現し、立憲主義の母国といわれるのである。

イギリスにおける国民の権利の確立は中世のマグナ・カルタ(1215年)に遡る。
マグナ・カルタは、実際には、封建貴族(バロン)がロンドンの商人の支持を得て国王に対し封建契約に基づく権利(身分的自由)の尊重を約束させた文書にすぎなかった。
しかし、そこで約束された権利は、その後何度も国王により確認されるとともに、裁判所による判決を通じてコモン・ローの一部として発展し、特に17世紀に、絶対主義を標榜したスチュアート朝の国王とそれに対立した議会との闘いの中で、議会の勇士エドワード・クック(Sir Edward Coke, 1552-1634)がマグナ・カルタを古来より存在するイギリス国民の権利を保障した歴史的文書であると意味づけるにおよび、イギリス立憲主義の象徴的文書となるのである。
イギリス権利保障の画期をなす1628年の権利請願(Petiton of Rights)、1679年の人身保護法(Habeas Corpus Act)、1689年の権利章典(Bill of Rights)、1701年の王位継承法(Act of Settlement)などのいわゆる憲法的文書は、いずれもこのようなイギリス国民の古来から承認されてきた権利を確認するものという性格づけを与えられて成立したものである。
したがって、そこでの自由は、人が人としての資格で当然に認められる「人権」という観念ではなく、封建的な身分に認められた特権を基礎にしていたが、その身分的特権としての自由を全国民にまで拡大していったのである。

アメリカ独立期の権利保障も、権利の内容についてはイギリスの権利保障の影響を受けていたが、それを自然権思想により捉え直した点で性格を異にするのである。

(4) ドイツの外見的立憲主義


他方、ドイツでは、フランス革命の影響を受けて憲法制定の要求が生じはするが、ドイツの諸邦においては絶対君主政が強固に確立されていて、市民階級(ブルジョワジー)の力も弱かった。
そのため、立憲主義に基づく憲法を確立するには至らず、「君主政原理」(君主主権)を基礎に君主が憲法を制定し、その中で国民に一定の権利を授け、その権利を制限する場合には国民を代表する議会の同意を得た法律により行うことを約束するという展開をたどるのが一般的であった。
その典型例が1850年のプロシャ憲法であり、1871年のドイツ帝国憲法も基本的には同様の思想を基礎にしていた。
これらの憲法も、立憲主義の要素をまったくもっていなかったというわけではない。
人権という観念ではないにしても一応権利は認められ、かつ、議会が君主の権力をある程度制限することが認められていたからである。
しかし、君主政原理が出発点に置かれており、権利保障も議会による君主権力の制限も不十分であったため、このようなドイツの憲法は、立憲主義のみせかけにすぎないという批判をこめて、「外見的立憲主義の憲法」と呼ばれた。

(5) 日本の立憲主義


1889年の明治憲法(正式名称は「大日本帝国憲法」)は、このドイツの憲法思想の強い影響を受けて制定されたので、外見的立憲主義の性格を有している。
明治憲法制定過程における枢密院での審議に際して、文部大臣森有礼が「臣民の権利」に反対し、臣民は天皇に対して責任を有するのみであるから「臣民の分際」と改めるべきだと主張したのに対し、憲法制定を推進した中心人物の伊藤博文枢密院議長が、「抑(そもそも)憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり。故に若し憲法において臣民の権利を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし」と述べて反論したというエピソードは、当時の指導者達が西欧の立憲主義の核心を理解していたことを示している。
しかし、制定された明治憲法は、「臣民」の権利を「法律ノ範囲内」で認めたにすぎず(22条・29条参照)、かつ、君権を制限するはずの議会も限定された権限しか与えられておらず(5条・6条・71条等参照)、絶対主義と立憲主義の間の妥協的性格のものであった。

これに対し、戦後に制定された日本国憲法は、真正な立憲主義の系譜に属する憲法であり、国民主権を基礎に、自然権思想から生じた人権の観念を導入し、権力分立原理によって統治機構を構成している。
本書の目的は、日本国憲法をこの立憲主義の歴史の中に位置づけ、その特徴を理解しようとすることにある。

2 実質的意味の憲法と形式的意味の憲法


(1) 区別と理由


立憲的意味の憲法は、通常は一つの統一された憲法典という形で制定されるが、イギリス憲法のように慣習法およびいくつかの法律の形式で存在する場合もあることを見た。
また、憲法とは、国家の政治のあり方に関する基本法であり、統治権を誰がどのように行使するかを定めるものであるが、このような「固有の意味の憲法」のうち、立憲主義的内容のものが特に「立憲的意味の憲法」と呼ばれた。
この区別は、憲法の内容に着目した区別であり、憲法がどのような形、形式で存在するかとは無関係である。
立憲的意味の憲法であれ固有の意味の憲法であれ、憲法典の形式で存在することもあれば、そうでないこともある。
ただ、通常は、立憲的意味の憲法は憲法典の形式をとって存在する。
この《形式》に特に着目するとき、それを「形式的意味の憲法」と呼び、形式とは無関係に憲法を観念する場合の「実質的意味の憲法」と区別している。

この区別をする意義の一つは、憲法に属すべきルールが常に憲法典の中に書き込まれるとは限らず、逆にまた、憲法典に書き込まれた規定の中には憲法には属さないものもあるという点に留意することにある。
憲法の制定は、多くの場合政治的闘争を通じて行われるのであり、合意形成過程における妥協と取引の結果、本来憲法典に書くべきことを意図的に明記しなかったり、あるいは、憲法とは関係ないことを特に書き込んだりするというとこが起きるのである。

しかし、実質・形式の区別のより重要な意義は、形式的意味の憲法が国法体系の中で最高位の、最も強い効力をもつことを示すことにある。
これは、憲法という形式に与えられる効力であり「形式的効力」と呼ばれる。

(2) 形式的効力の最高性


法は様々な様式で存在するが、大きく分ければ不文法(慣習法)と成文法(制定法)に区別される。
このうち制定法は、さらに様々な形式に区別しうるが、日本国憲法は、憲法のほかに、法律(国会)、命令(行政)、規則(両議院、最高裁判所)、条例(地方公共団体)などの法形式を認めている(かっこ内は制定権限を有する機関)。
これらの区別は、制定権限を有する機関の違いを基礎にするものであるが、ここで重要なのは、形式間に効力の上下関係が憲法自身により設定されていることである。
すなわち、法律よりも憲法の方が強い効力をもち、政令や規則よりも法律の方が上であるというように形式的効力の上下関係が決められていて、上位の法に反する下位の法は無効とされるのである。
どちらがより上位にあるかは、原則として、どちらの法形式の制定機関が国民により近いか、および、どちらがより困難な制定手続に服しているかを基準に決められる。
たとえば、国会は議員が国民により直接選ばれるから、首相が国会により指名される内閣よりも国民に近く、ゆえに、国会が制定する法律の方が内閣が制定する政令より形式的効力が上にあるとされる。
憲法が最高の形式的効力を有するのは、憲法は国民が直接制定したものという建前であり、かつ、その改正には国会の各院の3分の2以上の多数で発議し国民の過半数の賛成を得なければならないという最も厳格な手続が規定されているからである。
先に、憲法が授権規範の資格で最上位にあることを見たが、形式的効力の観点からも最上位にあるのである。

(3) 硬性憲法と軟性憲法


憲法を憲法典として制定する大きな理由は、この形式的効力の最高性にある。
形式的意味の憲法は、通常、法律の制定と同じ手続では改正できず、より困難な重い手続を践まねばならない。
憲法改正に法律の制定より困難な重い手続を必要とする憲法を「硬性憲法」、法律の制定と同じ手続でよいものを「軟性憲法」というが、形式的意味の憲法は、通常、硬性憲法であり、それゆえに最高の形式的効力をもつ。
そして、まさにそれゆえに、人権保障のような国の政治の重要なルールは、形式的意味の憲法に規定し、安易な改正から保護しようとするのである。
ごく稀に、成文憲法が改正条項をもたないことがある(フランスの1814年憲法的シャルト参照)。
この場合には、改正を禁じたものと解するか、それとも法律と同じ手続で改正可能な軟性憲法と解するかの争いが生じうる。
なお、イギリスのような不文憲法は、法律により改正可能であるから、軟性憲法の性格をもつこととなる。

3 憲法の法源


(1) 法源の意味と種類


法源とは、法の効力の根拠の意味に使われることもあるが、ここでは、法がどこにどのような姿をとって存在しているかという、法の存在の仕方を指す意味で使う。
この意味での法源は、通常、成文法源と不文法源に区別される。
憲法の法源とは、実質的意味の憲法がどこにどのような形で存在するかの問題である。
先に述べたように実質的意味の憲法のすべてが、形式的意味の憲法の中に書かれているわけではなかった。
何らかの事情で憲法典に書かれなかったものも存在する。
そういったものは、法律等の成文法源に規定されている可能性がある。
また、憲法には一般的・抽象的な原則の形でしか規定されておらず、その具体化は法律等の成文法によりなされていることもあり、選挙法をはじめその例はきわめて多い。
しかし、場合によっては、成文法は存在せず、不文の慣習法や慣例・先例によって具体化されていることもある。
また、裁判所の憲法判例は、憲法の具体的存在形態として、今日ますます重要な地位を占めるようになってきている。

以上のうち、憲法慣習法と憲法判例については若干の議論があるところであり、以下に簡単に問題の要点を説明しておこう。

(2) 憲法慣習法


慣習法は、一般に、先例が長期にわたり反復され、広範な国民がそれに法的価値を承認することにより成立する。
日本は制定法主義をとっているから、制定法に反する慣習は法的効力をもたないのが原則である。
したがって、憲法慣習法が成立しうるのは、憲法に規定がない問題についての慣習と憲法の規定を具体化する慣習の二つの場合である。
しかし、稀には、憲法に反する先例が長期にわたって反復され、国民もそれを認めるに至るということが起こりえないわけではない。
このような場合、「憲法変遷」が生じたといわれる(427頁参照)。
たしかに、事実の認識として「憲法変遷」が起こりうることは否定できない。
しかし、憲法解釈論としてそれを是認することができるかどうかについては、学説の対立があり、解釈論上はあくまで違憲の憲法慣習と考えるべきだというのが多数説である。

この問題は、日本では、特に憲法9条と自衛隊の存在をめぐって争われている(63頁参照)。
衆議院の解散は、内閣不信任の場合に限定されないという確立された慣行も(321頁参照)、憲法はかかる場合に限定しているという立場からすれば、憲法変遷の問題となりうる。

(3) 憲法判例


日本国憲法は、裁判所に法律等が憲法に違反するかどうかを審査する権限を与えたから(81条)、裁判所が判決の結論を出すのに必要な限度で憲法判断をし、判決理由の中で法律等が合憲か違憲かについての判断とその理由とを述べることになっている。
その憲法判断と結論に不可欠な理由(判決理由)を憲法判例という。
ちなみに、理由中には、結論に不可欠とはいえないものも述べられていることがあり、それを「傍論」と呼び「判決理由」と区別している。
憲法判例は、日本では、最高裁が後の裁判で変更することが認められている(裁10条参照)から、厳密には法的拘束力をもつとは言えないが、実際には判例変更は稀であり、事実上、拘束力をもつのとほぼ同じに機能している。
その意味で、憲法の法源の一つと考えてよい。

4 憲法規範の特質


憲法という法規範が、他の法規範と比較したとき、どのような特質をもつかを、ここまでの説明を整理する意味で述べておこう。

(1) 基本価値秩序としての憲法


固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法を対比すれば分かるように、憲法はその社会の基本価値を体現している。
立憲的意味の憲法の基本価値は、後に見るように「個人の尊厳」であり、それを護るために人権保障と権力分立を規定したのである。

(2) 授権規範・制限規範としての憲法


実質的意味の憲法を他の法規範と比較すると、憲法が授権規範としての特質をもつことが理解される。
他の法規範は、自己の妥当性の根拠を憲法による授権から得ているのである。

授権することは、同時に制限することでもある。
権限を授けられた機関は、授権の範囲を超えて権限を行使することはできないからである。
この点は、固有の意味の憲法についても妥当するが、立憲的意味の憲法の場合は、自由を護るために権力を制限することを重要な目的としたから、制限規範としての性格がより強く表れる。

(3) 最高規範としての憲法


憲法は授権規範として他の法規範の上にあるのみならず、形式的効力の観点からも最高位に位置している。
憲法の最高法規性は、通常、後者の形式的効力に着目していわれる。
つまり、憲法という法形式に他の法形式(法律、命令等)に優位する効力が与えられ、実定法秩序の最高位の地位が認められるのである。
重要なのは、この形式的意味の憲法の最高法規性の実質的根拠であるが、それは、憲法が「個人の尊厳」という実定法秩序を支える基本価値を体現していることに求められる。
憲法は実定法秩序が個人の尊厳に基づく秩序を形成・維持していく際に従うべき「法のプロセス」を定めているのである。

日本国憲法は、その第10章に「最高法規」と題する章を置き、97条から99条の三つの条文を定めている。
その98条は、1項で「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と規定しているが、憲法の形式的効力の最高性を確認したものである。
しかし、これに先立つ97条が「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定していることに留意する必要がある。
この条文は、憲法11条・12条・13条と共鳴する規定であり、「個人の尊厳」(24条参照)を核とする自然権思想を背後にもっている。
かかる趣旨の規定を97条に置き、それを受けて98条で形式的意味での最高法規性を謳ったという構成の中に、最高法規性の真の理由が表現されているのである。

なお、憲法98条2項は、実定法秩序に属する法形式のうち特に「条約及び確立された国際法規」を採り上げ、その「誠実な遵守」を命じている。
このため、1項との対比において、日本国憲法が国際法と憲法の関係につきどのような立場をとっているかが問題となる。
国際法と憲法を含む国内法はまったく別個独立の法体系をなすという二元説もかつては有力であったが、今日では国際法と国内法は単一の法体系に属するという一元説が通説となっている。
そのうえで、両者が抵触したときどのように解決するかの点に関して、国際法優位説と国内法優位説があるが、日本国憲法の解釈として問題となるのは、国際法と憲法のどちらが優位すると解するかである。
この点、憲法が条約の制定手続を定めている(61条)ことから条約の効力は憲法に根拠をもつことになり、そうである以上、憲法が優位すると解すべきである。
もっとも、条約の中にはたとえばポツダム宣言や講和条約のように日本国憲法を実施する前提となったものもあり、そのような条約については日本国憲法に優位すると解する余地もある
ちなみに、条約と法律の上下関係については、98条2項を一つの根拠に条約が優位するというのが通説である。
法律の制定手続(59条)と条約の承認手続(61条)を比較すると、前者の方が重くなっているが、これは法律の方が重要であるということではなく、国家の対外的責任を重視したためであると解し、条約は法律に優位するというのが憲法の立場であると解釈しているのである。
なお、条約の違憲審査との関係につき、411頁参照。

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