675 :49(1/3):2011/01/02(日) 08:43:16 ID:sG6TFtxn
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「おっぱいが壊れたの」
「――――はァ?」
予期せぬ来訪者の予期せぬ台詞。
たっぷり十秒の間を空けて、紅真九郎はようやく声を上げた。
返事でも返答でも何でもない情けなくて間の抜けた声だったが。
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十二月三十一日。大晦日のこの日、真九郎は五月雨荘の五号室で隙を持て余していた。
日頃、真九郎の周りを彩っている個性豊かな女性たちは、みんなそろって用事があるらしい。
九鳳院紫は某国貴族との晩餐会。崩月夕乃は巫女のアルバイト。村上銀子は家業の手伝い。
武藤環はスキー合宿。闇絵とその愛猫ダビデは鍋パーティーの翌日から姿を見ていない。
そういうわけで、真九郎はひとり。ひとりぼっち。
改めて、自分が天涯孤独な身の上なのだと思い知らされた気分だった。
気を紛らわせるためにテレビをつけたところへ、ドアを叩く音が。
おんぼろなドアに遠慮しない、いっそ壊れてしまえと言わんばかりの乱暴な打突音。
扉が壊されれば、寒風吹き込む部屋で冬を過ごさなければならない。それだけはごめんだった。
急いで開けたドアの向こうで、待ち構えていたのは赤毛の美少女。
「遅いわよ」と不機嫌な顔で言い放った彼女の名は、星噛絶奈。
瞬時に身構えた真九郎を押し留め、絶奈は冒頭の一言を発したのだった。
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不倶戴天の敵を前にしながら、真九郎はあんぐりと口を開けたままだった。
今し方絶奈の口から出た言葉の意味が理解できない。
――――おっぱいが壊れた。
まるで意味がわからない。
ろくに返事もせず、構えも解こうとしない真九郎に焦れたのか、
「だーかーらー! 壊れたのよ、私のおっぱいが!」
先ほどより三割増の声量で、絶奈は同じ内容を繰り返した。
しかし、やはり真九郎には何が何だかわからない。いくら考えてもわからない。
むしろ、わかろうとする努力そのものが、無益なのではないかとさえ思えてくる。
これは自分の頭が悪いせいばかりではないはずだ。
これは自分の頭が悪いせいばかりではないはずだ。
しばし思案して、
「壊れたのはアンタの頭のほうだよ、きっと」
疲れたようにそう言って、静かにドアを閉めようとした。
が、そうはさせまいと絶奈がドアの隙間から強引に脚をねじ込む。
「いきなり閉めるなんて酷いじゃない。話くらい聞いてくれたっていいでしょう」
「あとでいい病院探してやるから今日のところはとりあえず帰りやがってください」
「寝ぼけたコトほざいてないで、おとなしく話を聞きなさい!」
「聞いたら絶対面倒なことなるに決まってるだろうが!」
「自分から面倒に首突っ込んでヒトの楽しみを邪魔してくれた奴が何言ってんのよ」
錆が浮いたドアノブを掴んでの押し合い引き合いに、ぎしぎしと古いドアが抗議の悲鳴を上げる。
「くっ……! さっさと帰れ、アル中改造人間」
「この……! いいから開けなさい、ヘタレペドフィリア」
共に裏十三家の異能者で、常人離れした腕力を持つ紅真九郎と星噛絶奈。
そんな二人の攻防に、腐りかけて著しく耐久力が下がったドアが耐えられるはずもなく、
「「あ」」
理不尽に限界を迎えさせられて、ドアはぎぃぃぃっと恨めしげな音と共に廊下側へ倒れ込む。
おどけた動作でそれを避けると、絶奈はにんまりと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「話、聞いてくれるわよね?」
「…………」
ああ、この世界はやっぱり悪のほうが強い。
残酷な真理をしみじみと噛み締めて、真九郎は怨敵を自室へ上げたのだった。
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望まぬ客にも、茶と座布団をすすめるべきか。
真九郎は少し考えて、結局、薄い座布団だけを絶奈に差し出した。
彼女の真意は不明。五月雨荘には非戦の約定があるから、荒事にならないことだけが救いか。
「で? どういうことなんだよ。その……おっぱいが壊れたっていうのは」
乱暴な口調で真九郎は訊いた。つけっぱなしのテレビからは大晦日の国民的歌合戦が流れていた。
「ん……。口で説明するより、実際に見てもらったほうが早いと思うわ」
真九郎の対面に腰を下ろした絶奈は、言うなり自分の服に手をかけた。
ジャケットを放り捨て、ネクタイをほどき、シャツのボタンを上から順に手早く外す。
「ちょ、待て! なにいきなり脱いでんだよ」
突然のストリップショーに真九郎は一時強制停止。
我に返って制止した時にはすでに、絶奈は下着(黒ブラ)まで取り去ってしまっていた。
「どう? わかる?」
絶奈は真九郎に向けて、ずいと剥き出しの乳房を突き出す。
異性の前だというのに、恥じらう素振りは微塵もない。
思わず顔を背けていた真九郎も、男の本能と好奇心には勝てず、つい視線を向けてしまう。
そして、釘付けになった。
そこにあるのは凄絶な美巨乳。
シミやホクロがひとつも見当たらない肌理の細かい白い肌。
はちきれんばかりに中からせり上がる壮大なボリューム。
ほんのり桜色をした小さめの先端からは、白濁した液でしっとりと濡れていて――――。
……白濁した、液?
「え? それって、まさか……」
真九郎の拙い生物学の知識では、女の乳首から出る液体はひとつだけ。
「そう、母乳よ。孕まされた覚えもないのに、妊婦顔負けのミルクタンクになっちゃったの」
「えっと、なにゆえに……?」
「原因はハッキリしているわ。この前の強奪戦よ」
強奪戦。紅真九郎と星噛絶奈が、互いの意地とプライドを賭けて繰り広げた聖夜の血闘。
形の上では真九郎が勝ちを収めたが、客観的には両者戦闘不能で引き分け。
「あちこち殴られまくったせいで、代謝機能に異常が出たみたいでさあ。
特に乳腺周りなんか完全にイかれちゃってこのザマよ」
「……おっぱいが壊れたっていうのはそういうことかよ」
流石の『孤人要塞』も、怒り猛った戦鬼の攻撃に無事ではいられなかったようだ。
「吸ってくれる赤ちゃんがいるわけじゃないから、おっぱいが張ってもう痛くって痛くって」
「それをオレにどうしろっていうんだよ……」
その台詞を聞くや、絶奈は待ってましたと淫らしい笑みを浮かべて、
「ねえ、紅くん。私のおっぱい、吸ってくんない?」
とんでもないことを言い出した。
「――崩月流甲一種」
「なに戦鬼化しようとしてんのよ。なによ、君のせいでこうなったんだから、
君が責任取るのがスジってもんでしょう」
「んなわけあるか! それを言うなら、オレだってアンタのせいであちこち痛いし、
右腕は痺れまくってんだぞ」
「ああ、それは大変。自分で自分を慰めることもできないわよね。私が手伝ってあげよっか」
「ぜひ頼む――って違う! とにかくオレはそんなことしない。わかったら帰れ」
「え~? 紅くんが吸ってくれなかったら、どうすんのよこれ~」
「知るか。搾乳機でもつければ」
「いやよ。あれって痛いばっかで全然気持ちよくないんだもん」
試したのか! というツッコミをどうにか真九郎は飲み込んだ。
「それなら、こういうのはどうかしら?」真九郎がなびきそうにないのを見て取って、絶奈は取引を持ちかける。
「これは仕事の依頼ってことにしましょう、揉め事処理屋さん」
「なん、だと……?」
「星噛絶奈から紅真九郎への揉め事処理の依頼。
内容は私のこの母乳の処理、もちろんお口で吸ってね。期限は胸部装甲の修理が完了するまで。
拘束時間は一日二時間、時給は一万円、延長の場合は十分につき五千円、その他は適宜相談。
どうかしら?」
「いや、あの、どうと言われても……」
提示された破格過ぎる条件に真九郎は焦った。
強奪戦の負傷のせいで、この年末はバイトもできていない。餅もミカンも買えていない。
そこに降って湧いた美味しい仕事。これを逃す手はないだろう。
それ以前に紅真九郎も思春期男子。おっぱいに並々ならぬ興味があるお年頃。
先ほどから目にし続けている美巨乳に、徐々に理性の鎖が切れ始めていた。
たとえそれが人造物だろうと、たとえそれが人でなしの胸であろうと、おっぱいはおっぱい。
揉め事処理屋の意地も、牡の本能の前では蟷螂の斧ほども役に立たない。
「ねえ、これなら問題ないでしょう?」
早くOKって言いなさいと、絶奈は左右の乳房を持ち上げて見せる。見せつける。
「え、え~と、いいのかなぁ……」
「いいのよ、ほら」
そう言って、絶奈はキュッと右の乳首を摘んだ。
そこから発射されたミルクは、緩い放物線を描いて真九郎の唇に付着。
口腔と鼻腔から甘ったるい臭いが侵入し、脳髄に至る。理性を溶かし、本能を呼び起こす淫魔の香り。
これが駄目押しになった。
真九郎はふらふら絶奈にもたれかかり、絶奈は優しく真九郎を抱きしめる。
「さあ、紅くん絶奈のおっぱいトラブルを処理してちょうだい」
「――――はい……」
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十二月三十一日、午後十一時五十八分。
波乱に満ちた一年が終わる、少し前のことだった。
最終更新:2011年06月10日 10:25