光さんのお正月

光さんのお正月
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666 光さんのお正月 そのいち sage 2008/01/14(月) 22:36:59 ID:rvDGOZ0y

 おみくじは、大凶だった。それも、とことん救いのない内容で。あまりにあまりだったから、細かいとこはさっさと記憶から消去した。一方、お姉ちゃんは小吉。
「良かったね、お姉ちゃん」
 にこっと笑ってみせたら、お姉ちゃんは何も言わずに、あたしの腕を二、三度ぽんぽんと叩いてくれた。ありがと、お姉ちゃん。
「結びにいこうね。光ちゃん」
「うん」
 そうそう、こんなのはとっとと神様に突っ返しにいかなきゃ。ただ、ちょっと出遅れたせいか、神社の梅の木にはもうおみくじが鈴なりで、あたしたちは空いている枝を探しながら、この四、五日降り続いた雪が残る境内をぶらぶらと歩き出した。
「お」
 横合いから声がかけられる。
「雨? ……に、光か」
 そちらを向くより先に、誰だか分かってた。あいつだ。何より、お姉ちゃんの顔がぱっと明るく輝くんだもの。
「ジュウ様」
「おう」
 やっぱり、あいつだった。それも、あろうことか、振り袖姿の雪姫先輩がいっしょだった。それなのに、動じる様子もなくあいつのところへ駆け寄ってくあたり、お姉ちゃんもおめでたいというか何というか。
「おめでとうございます。ジュウ様。雪姫も」
「ああ。おめでとさん」
 それに、あいつも全く悪びれるようすもなく普通に応じてるってのは、どういうつもりなんだ。
「やっほ、雨。おめでとー。光ちゃんも」
 雪姫先輩も、いつものように明るく手を振ってくるけど、その前に一瞬だけ、あいつの陰になる位置で、ちょっと天を仰いだのをあたしは見逃さなかった。
 全く、お姉ちゃんも雪姫先輩も、こんなののどこがいいんだろうね。本人ときたら、周りの気も全然知らずに、のほほんと間抜け面なのに。その顔の真ん中に正拳を入れてやりたくなるのをガマンして、せめて睨み付けるだけで済ませてやろうと思っていたら、
「光ちゃん?」
 お姉ちゃんの声がした。柔らかい、それでいてピアノ線みたいに厳しいものを含んだ声。この声には、いつだって逆らえない。
「ごあいさつなさい」
「……明けまして、おめでと。今年も相変わらずみたいだけど」
 それでも、精一杯いやみをこめて、慇懃無礼な口調で言ってみたのに、
「おう。おめでとさん。今年もよろしくな」
 お姉ちゃんに対するのとちっとも変わらない調子で返された。なんだか、まともに相手されてないみたいで、ムカつく。お姉ちゃんと雪姫先輩が少し立ち話を始めたのをいいことに、あいつの腕を掴んで引き寄せた。
「……この金髪エロ外道。どういうつもりよ」
「どういうつもりって、どういうことだよ」
「お姉ちゃんを初詣に誘いもせずに、雪姫先輩と一緒って、どういうことかって訊いてんのよ」
 なのにあいつときたら、きょとんとした顔で、
「いやどういうも何も、家でのんびり寝てたら、雪姫のやつが押し掛けてきて、強引に連れ出されたんだよ」
「ふーん」
 まあ、それはそうなんだろうけどさ。こいつに、雪姫先輩を誘うような甲斐性があるなんて思えないしね。
 それでも、気に入らない。こいつから初詣に誘われるでもなく、年賀状が届くでもなく、ちょっと沈んで(るように見え)たお姉ちゃんの気が少しでも晴れるように、って連れ出したあたしの苦労はどうしてくれんのよ。
「あんたね。バカでアホなのは今更もうどうしようもないとしても、ちょっとは心配りってもんをね」
 いい機会だからとっちめてやろうと思ったのに、
「光ちゃん? どうしたの?」
 お姉ちゃんに声をかけられたんじゃ、途中で諦めるしかない。あたしはあいつの腕を放すと、ため息をついた。


667 光さんのお正月 そのに sage 2008/01/14(月) 22:38:22 ID:rvDGOZ0y

 それでも、あいつと一緒に四人連れになって嬉しそうなお姉ちゃんを見てると、まあいっか、なんて気にもなってしまったりして。
 雪姫先輩のあでやかな振り袖姿に比べたら、お姉ちゃんもあたしもそんなにおめかししてなくて、ちょっと引け目はあったんだけど。あいつはそんなこと全然気にしてないようだったから(雪姫先輩も気の毒に)、こっちも気にしないことにする。
 お喋りは、もっぱら雪姫先輩の独擅場だった。雪姫先輩って、明るくて賑やかな割にはどことなく油断ならない印象があったんだけど、あいつといる今は、どういうわけだか何となく、根っから子供っぽく見える。ヘンなの。
「でさ、中吉なんだけどっ、恋愛運のとこがねー、もうサイコーっ! 既成事実から成就せん、だって! 既成事実って、一体なんだろうね柔沢くん?」
「さあな。いろいろあるだろ」
「イロイロって、ナニかなー? 柔沢くんは、どんなのがいい?」
「俺にそんなこと訊いてどうすんだ。おまえ次第だろ」
 あいつったら、心の底から不思議そうに訊き返した。むう、とふくれる雪姫先輩には構わずに、こっちに顔を向ける。
「そっちもおみくじくらい引いたんだろ。どうだった」
「わたしは小吉でした。待ち人来る、とのことでしたが、引くまでもなかったかもしれません」
「……そうか。そっちは?」
 あたしに振んなってのよ。半ばやけ気味に、小さい声で答える。
「……大凶」
「ああ。俺と同じか」
「え」
 びっくりしてあいつを見上げたら、
「大凶なんて、めったにないだろうにな。お互い、縁起が悪いな。新年早々」
 あいつが笑ってみせるから、あたしはそっぽを向いた。
「あ、あんたなんかといっしょにしないでよっ! あんたは、日頃の行いが悪いだけでしょっ」
「まあ……そりゃそうかもな」
 なんで、そこで苦笑するだけなの? あたしの言うことなんか、まじめに取り合う気もしないってことか。つい気分がとげとげしくなるのが、自分でも分かる。黙り込んだあたしの横で、お姉ちゃんがとりなすように、
「ジュウ様のおみくじは、もうどこかに結わえてしまわれたのですか?」
「え……ああ、ちょうどあのへんに」
「うん。柔沢くんが二人分いっしょに結んでくれたんだよ? ねー」
「おまえがあんな高い枝に結べっつうからだろうが。自分の手が届くようなとこだって空いてんのによ」
「むー。そういうことは言わないのっ」
 確かに、高いところの枝は少し空きがある。お姉ちゃんはもちろん、あたしでもちょっとつらいけど、あいつなら余裕で届くだろう。
「ほらよ」
「はい。お願いします。ありがとうございます、ジュウ様」
 気付くと、あいつが手を差し出していて、お姉ちゃんが自分のおみくじをその上に乗せてた。あたしも、自分の手の平の中でくしゃくしゃに丸めてしまってたのに目を落とす。そうか。あいつと同じか。大凶だけど。
「どうした?」
「う、うん。よろしく」
 あいつに渡したおみくじが、枝に結ばれるのを、ぼけっとしながら眺める。今年一年の出だしとして、どんなもんなんだろ。あのおみくじって。


668 光さんのお正月 そのさん sage 2008/01/14(月) 22:39:49 ID:rvDGOZ0y

「さて、帰るか」
 おみくじを結び終えて、ぱんぱん、と手を叩いたあいつが言い、
「えー」
 雪姫先輩が、さっそく不満そうな声を上げる。
「まだ、もっと露店とか見て回ろうよー。せっかく振り袖なんか着てきたんだしっ」
「いや、だからだよ。長くいると汚れるだろ」
「へーきへーきっ。雪姫さんともあろう者が、そんなヘマしませんって」
 雪姫先輩は下駄でからころと石畳を鳴らしてみせた。確かに、雪かきはしてあるとはいえ足下がいいとは言えないのに、裾には少しの泥もしみも見られない。
 雪姫先輩って、別に何も武道とかスポーツとかやってないのに、ときおり、常人とは思えない身のこなしや足捌きをみせることがあるのを思い出した。円堂先輩も、道場でならともかくストリートでは雪姫先輩とあまりやりたくない、って言ってたことがある。
 スゴイよね。あたしが必死に練習してもできないようなことがひとりでにできて、美人で、スタイルが良くて、明るくて、自信たっぷりで。そんな人があいつなんかに構うんだから、世の中ってのは分かんない。
「ね? 行こっ」
 雪姫先輩はあいつの手を引っ張り、あいつはあたしたちの方へ首を向けて、
「お前らはどうする?」
 そんなこと訊かれたら、お姉ちゃんがなんて返事するか決まってるじゃない。
「お邪魔でなければ、お供します」
「ああ。頼む」
 ん。なんか、思ってもみない一言を聞いた気がする。
「正直、俺だけじゃ間が保たねえ」
「はい」
 お姉ちゃんはにっこり笑って、あいつの後に続いた。そっか。あいつは、雪姫先輩が苦手なのか。何となく、分かる気がする。ふーん。
 それにしても、雪姫先輩のバイタリティーと食欲は底なしだった。たこ焼きと綿あめとフランクフルトと焼きそばとりんご飴とイカ焼きと甘酒と……ええと、それ以上は憶えてない。あたしたちも多少は付き合ったけど、大半が雪姫先輩のお腹の中に消えてった。
 あの細い体のどこに入るのかなあ。羨ましい。コツがあるなら教えてほしい。
 あと、射的でお姉ちゃんと勝負して、これは見事に負けてた。ふふん。と思ったら、今度はあいつを無理矢理巻き込んで、今度は勝ってた。あいつはあからさまに手を抜いて適当にやってたけど、それでも雪姫先輩はえらく得意げだった。
 もしかすると、あいつと遊べれば、勝ち負けなんかどうでもよかったのかも。あいつに勝ったのに気をよくしたのか、お姉ちゃんにリベンジを挑む雪姫先輩からようやく解放されて、
「いや、やられたやられた」
 悔しさのかけらもない口調でぼやきながら、あいつはあたしの横に並んだ。
「ほれ。食べるか」
 ついでみたいに、色とりどりの飴が入った袋をあたしに差し出す。あたしは無言で、その中から一つをつまみ上げると、口の中に放り込んだ。
「助かったよ。おまえらがいてくれて」
 お姉ちゃんと雪姫先輩の後ろ姿を見ながら、あいつはそんなことを言う。
「ふーん。そんなこと言って、お邪魔だったんじゃないの?」
「かんべんしてくれ。俺はそろそろ帰って寝たいよ」
 本音にしか聞こえないってのが、どうしようもない。こんなに可愛い女の子たちといっしょにいて、出てくるセリフがそれですか。つくづく、お姉ちゃんも雪姫先輩も報われないなあ。ああ、なんかすごく腹が立ってきた。人の気も知らないで。
「そんなに言うんだったら、先に帰ったら?」
「いや……そうはいかねえよ。雨や雪姫に悪い。あいつらは楽しそうだしな」
 そのくせ、あいつの二人を見る目はすごく優しくて、あたしをいっそう苛立たせる。
「へーえ。じゃあ、あたしは? あたしとなんか、いてもしかたないでしょ」
「はあ? おまえなにを言って……」
「あんたに悪いみたいだから、あたし、先に帰る。お姉ちゃんにそう言っといて」
 あたし、なんでこんなこと言ってんだろ。頭の片隅では冷静にそう思いながら、でもいったん口にした言葉の勢いは止まらずに、あたしはあいつに背を向けた。
「おい……」
 呼びかけを振り切るようにして人混みを押し分け、抜けた、その一瞬の後、足が空を踏んだ。


669 光さんのお正月 そのよん sage 2008/01/14(月) 22:41:08 ID:rvDGOZ0y

「っつ……」
 お姉ちゃんが慎重にあたしの足首を触り、あたしは痛みに顔をしかめた。それでも、お姉ちゃんはややほっとした表情になって、
「たぶん、捻挫でしょう。骨や腱までは大事ないようです」
 うん。自分でも触ってみた限りでは、あたしもそう思う。今は痛くてたまらないけど。
「そりゃ良かった」
 あいつの声も、少し安心した感じ。ただ、あたしは気まずくて顔を上げられずにいるから、あいつの表情までは分からない。迷惑そうな顔をしてるんだろうな。きっと。
「いやー、びっくりしたねえ」
 雪姫先輩が笑いながら、
「あんなとこに石段があるなんて、運が悪かったねー。さっそく、おみくじが当たった?」
「おまえな……」
 あいつがたしなめてくれる。雪姫先輩もさすがにちょっと悪いと思ったのか、
「う……ごめんよー。でも、二、三段しかなくて、良かったよねっ? あれで長い階段だったりしたら、ほんと、シャレになんなかったかもっ」
 確かにそのとおりで、けど、あたしはそのちょっとした石段をものの見事に踏み外し、派手にひっくりこけて、足を挫いたのだった。ああ、自分で言ってても情けなくてたまらない。捻挫以外にも、服はどろどろだし、手には擦り傷なんかできちゃうし。
 お姉ちゃんは立ち上がると、冷静な声で言った。
「ジュウ様。申し訳ありませんが、しばらく光ちゃんをお願いできませんか」
「どうするんだ」
「手当をできる場所を探してきます。雪姫」
「あいよ」
「いや、だったら俺が」
「ジュウ様。わたしと雪姫は、このあたりに土地勘があります」
「そーそー。柔沢くんが行っても、迷うだけかもよ? ちゅーことで、雨?」
「二人で手分けしましょう。どちらかで見つかれば携帯で連絡し合ってそちらへ合流するということで。それから、何がなくとも、十五分後にはここに再集合すること」
「了解」
 こういうときの、お姉ちゃんや雪姫先輩の行動力はすごい。あっという間に段取りをつけて、動き出しちゃった。後には、ちょっと呆然としたあいつとあたしが取り残される。しばらく、気詰まりな沈黙が続いたあと、
「あー……災難だったな」
 あいつが、いくらか困ったような声で言った。あたしは、ちょっと泣けてきたのを悟られたくなくて、虚勢を張ってみる。
「ふん……いい気味だって、思ってんでしょ。迷惑かけて、悪かったわね」
「おまえな……」
 あいつが、あたしの横に腰を下ろす気配がした。バカ。そんなことしたら、服が汚れるのに。
「なんでそうカリカリ……あ、いや、俺のこと嫌いなのは分かるけどよ。いろいろあったし」
 い、いろいろって、何よ。あ、あれとかこれとか、そりゃ、いろいろあったけどさ。
「だからまあ……仲良くしてくれとは言わんが、俺だっていろいろ気は遣ってるつもりなんだ」
 へーえ。それでも。ほんと、男ってのはお気楽なんだから。
「でな。せめて、人の顔見りゃすぐにハリネズミみたいになるのだけは、何とかしてくれよ」
「あたしが……いつ……ハリネズミみたいだっ……てのよ……」
「いや、そういうとこがさ」
 あいつがため息をつく。悪かったわねっ。この痛みさえなきゃ、もっとぽんぽん言い返してやれるのに。
「おまえがつんけんしてると、おまえの姉ちゃんも心配するし……前に言ったと思うけど、俺も、おまえみたいなやつはどっちかっていうと好きだからな。ちょっと、困ってる」
 こいつ、なんてこと言うんだ。それに、なんであたし、泣いてるんだ。こんな時に。


670 光さんのお正月 そのご sage 2008/01/14(月) 22:42:24 ID:rvDGOZ0y

「え……おい、痛むのか」
 あたしの嗚咽が聞こえたんだろう。あいつはみっともないくらいに慌てた声を出した。あたしはむちゃくちゃな顔と気分のままで、かろうじて声を絞り出す。
「うるさいっ……ほっといてっ……」
「いや、そう言われてもな」
 ちくしょう。なんかあたし、こいつには、みっともないとこばっか見られてる気がする。ああもう、いまさらだけど、どうしてこうなっちゃうんだろ。
「痛くなんか……痛いけどっ……悔しいのよっ……」
「ああ。そうか」
 なに? なんで、そこで、そんなに腑に落ちたような返事ができるの。
「悔しい、か。そうだよな」
「え……」
 独り言みたいに言われた意外なセリフに、あたしは顔を上げた。あいつは何だか面はゆそうな表情で、
「何もできずに、助けてもらうしかないってのは、きついよな。俺もそうだった」
「……」
 あんたも、そんなことがあったの? ふてぶてしいくらいに自分のしたいように生きてるはずの、あんたが?
 あたしがまじまじとあいつを見つめていると、あいつは顔をそらした。
「まあ……自分の恥ってのは、なかなか言えねえもんだな……そのうち、姉ちゃんに聞かせてもらえよ。俺がどんなに無力で無謀で、バカなことをしてきたか」
 そうか。お姉ちゃんが関わってるのか。何があったか知らないけど、それでお姉ちゃんのこいつに対する想いは何も変わってないってことは確かで、だから、こいつが言うほどには、あたしなんかが軽々しくこいつをけなしたりできるようなことじゃないんだろう。
 それだけに、自分の無力さを告白するあいつの言葉は、あたしの耳に重く響いた。
「それで、おまえの姉ちゃんに……それに、雪姫や円堂にも……教えられたよ。自分のできるだけのことを精一杯やったら、それでよしとするしかない、ってな。結果が……望んだとおりにならなくても、な」
 最後のとこは、あたしがはっとするくらい、とんでもなく苦々しかった。あたしじゃなくてあいつの方が泣いてるような気さえして、あたしは思わずあいつの袖口を引っ張ってしまう。あいつは、そんなあたしに顔を戻して、薄く笑った。
「だからな、気持ちは分かるけどよ……適当に開き直ってもいいんじゃないか、ってことさ」
「あんたは……開き直れた、の……?」
 あたしにそう訊ねられて、あいつは苦笑した。
「あー……どうかな。それは分かんねえ」
「なによ、それ……」
 吹き出したのは、どっちからだったろう。あたしは顔を伏せ、あいつは空を見上げて、目も合わせずに、しばらくクスクスと笑いあった。
「しょうがねえ、なあ……」
「あんたが? ……それとも、あたし?」
「どっちも、だな」
「なによ、それ……あんたに比べりゃ、あたしはずっとマシよ」
「そう、だろうな。ああ。俺は、まだまだだよ」
 ヘンなの。なんで、こんな話してんだろうね。あたしたち。


671 光さんのお正月 そのろく sage 2008/01/14(月) 22:43:46 ID:rvDGOZ0y

 それから少しの間、会話が途切れた。それから、あいつがふと思いついたように、訊いてくる。
「あー……そういえば、伊吹のやつとはうまくいってるか?」
「う……うん……」
「そうか」
 あたしの曖昧な返事にあいつが目だけでほほえんでみせるもんだから、あたしはそれ以上何も言えない。
 ほんとは、伊吹先輩とは、その後どうにもなってない。こいつがあれだけ骨を折ってくれたのに、そんな結果になっちゃったもんだから、こいつにはなかなかそう言えずに今日まで来ちゃったけど。
 あの日、伊吹先輩は心から真剣に謝ってくれて、その様子は、あたしの大好きな真面目で優しい伊吹先輩そのものだった。
 それなのに、あたしは、なんでだか、いつぞやの告白については白紙に戻してもらってもいいですか、なんて言ってしまってたのだった。いろいろあったから、心の整理をも一度したいんです、って。
 それを聞いた伊吹先輩も、意外そうな顔はしなかった、と思う。もしかしたら、ちょっとほっとしてたのかもしんない。
 まあ、そうだよね。あの流れだと、あたしとお付き合いすることになっても、責任感の強い伊吹先輩のことだから、あたしを好きだからっていうよりも、あたしに済まないからっていう気持ちの方が強かっただろうし。お互いにとって、それはあまり良くなかったと思う。
 ただ、伊吹先輩、さっさといなくなったあいつが居た方を見ながら、「そうだな。俺も……今、君に付き合ってくれと言われてOKする資格はないような気がするしな」とか言ってた。
 それに、「また気持ちが落ち着いたら、試合とか練習とか見に来てくれるかな」とも言ってくれて、ほとんど見栄と優柔不断さだけでうなずいたあたしに、にっこりと笑ってくれた。そして、も一度深くお詫びしてくれてから、潔く立ち去った。
 その全部が、ああ伊吹先輩ってやっぱりいい男だな、と思わせるに十分だった。
 けど、……もう、どきどきしなかったんだ。伊吹先輩と話してても、前みたいには。あいつの側にいる、今みたいには。あたし、ひどい女なんだろうな。きっと。お姉ちゃんや雪姫先輩のこと、とやかくなんて言えない。
 なんたって、伊吹先輩のことをそうやって保留しときながら、あたしは、自分がこいつのこと好きなのかどうかすら、まだ分かってない。伊吹先輩に恋してたのとは明らかに違うってことだけ分かってて、だから、たぶんこれは恋じゃない。もっと別の、何かなんだ。
 こいつの顔を見るだけで苛ついて腹が立って、不安でどぎまぎして、息が苦しくて胸が詰まって、でもそんなの、何ていうのか、あたしは知らない。お姉ちゃんがこいつの話をするときの幸せも、雪姫先輩がこいつを見るときの優しさも、あたしには縁がない。
 それに、こいつは、きっとあたしのことなんて何とも思ってない。それは、こいつの言動を見てればだいたい分かる。そもそも、お姉ちゃんとか雪姫先輩とか円堂先輩とかに取り囲まれてたってよろめかないやつが、あたしなんかに魅力を感じたりしないだろう。
 そんな対象じゃない、ってはっきり言われたこともある。あの状況だと、あたしを正気に戻すためにわざとそんな言い方をしたのかもしんない。それとも、混じりけなしの本音なのかもしんない。そのどっちなのか、確かめたくて確かめたくなくて、あたしは悶々とする。
 もう、自分が何考えてんのか、分かんない。自分が何をしたいのかも、分かんない。今のこの時間が続くのが怖くて、でもそれが終わってしまうのが恐ろしくて、ひたすら息を詰めてるだけなんて、そんなの、あたしじゃない。
 だめだ。こいつといると、あたしはむちゃくちゃになる。むちゃくちゃなことをしそうになる。それはたぶん、こいつのせいでもあたしのせいでもなくて、単に、巡り合わせが悪いだけなんだ。だから、こいつとは、あまり関わらない方がいい。とうに、分かってたんだ。
 だから、こっちに近づいてくるお姉ちゃんを見つけたとき、あたしは心底ほっとした。そのきゃしゃな姿は、まるで聖女様みたいに輝いて見えた。


672 光さんのお正月 そのなな sage 2008/01/14(月) 22:44:59 ID:rvDGOZ0y

 お姉ちゃんが見つけてきたのは、喫茶店だった。手近な病院や診療所はどこもお休みで、そこなら氷を貸してもらえるから、ということだった。
 喫茶店までは、癪だけど、あいつにおぶってもらった。ほんとは肩を貸してくれるくらいで良かったのに、ちょっと距離があるし時間をかけると体が冷えるからって、お姉ちゃんに押し切られた。
 まあ、お姉ちゃんが側にいてくれれば、あたしも落ち着いていられる。失礼にも「けっこう重いな」とか呟いたあいつに対しても、落ちる寸前まで頸動脈を押さえとくくらいで勘弁してやったんだから、冷静なもんでしょうが。ふん。何さ。
 喫茶店で、お姉ちゃんがもらってくれた氷で足首を冷やしている間に、連絡を受けた雪姫先輩も合流してきて、あたしが何とか落ち着いたのを見るや、フルーツパフェなんかを注文してた。この人も、いろんな意味でタフだなあ。
 お姉ちゃんが近くの薬局へ湿布薬やテーピング材を探しにいき、あいつが(あたしん家の親は外出してて迎えに来られないから)タクシーを拾いに行ってしまうと、喫茶店では、雪姫先輩とあたしが二人きりで差し向かいになった。なんか、この取り合わせも珍しい。
 さて。何を話そうか。
「……あの、雪姫先輩。すみません」
「んー?」
 口にスプーンをくわえて上下させながら、雪姫先輩が視線だけで先を促してくる。いろいろ、器用な人だ。それにしても、ナイフを使うようなメニューは注文させるなよ、ってあいつが何度も言い残していったのは、どういうわけなんだろ。
「いえ、今日は……あいつと二人で初詣だったのに、こんなことになっちゃって」
「そーだよ。全く。いーとこだったのに」
 予想外に真面目な声で言われて、ぎくっとして雪姫先輩の顔を見た。無表情にあたしのこと睨み付けてたので思わず背筋を伸ばしたら、雪姫先輩はにやりと人の悪そうな笑顔を浮かべた。
「びっくりした?」
「え……あの……」
「ま、半分は本音かなー。雨には言えないからさ。柔沢くんはあのとおり鈍感バカだし。八つ当たりみたいで、光ちゃんにはもうしわけないけどさ。あたしだって鬱憤くらいは晴らしたっていいよね?」
「は、はあ……」
「まー、気にしない気にしないっ。マジで怒ってるわけじゃないから、安心してよ。邪魔されるのは今日が初めてじゃないしさ。あたしも、こう見えて気が長いから。ゆっくりやることにしてんの。この件ではさ」
「雪姫先輩は……」
 あたしは口を開いてから、言いよどむ。どこまでこの人が真面目に答えてくれるのか、いまいち確信が持てなくて。でも、
「んー? なあに?」
 あっけらかんと促されて、かえってふんぎりがついた。思い切って、訊いてみる。
「あいつなんかの、どこがいいんです……?」
「バカなとこ」
 即答だった。あたしが目を白黒させてるのを見て、朗らかに笑ってくれる。
「それ以外、なんもないじゃん。柔沢くんて」
「いや……でも、雪姫先輩みたいに、美人で明るくて……だったら、もっと他の」
「そんなの、あたしはいらない。柔沢くんがいい」
 これも即答だった。あたしはあっけにとられるしかない。
「雪姫先輩て、どうして……」
「ふーん?」
 雪姫先輩は、逆に、とても不思議そうにあたしの顔をしげしげと眺める。
「なーんか、光ちゃんにそんなこと訊かれるのって、意外かも。光ちゃんだって、あいつのこと好きじゃないの?」
「え……まさか……」
 手を振りかけて、この人の前ではごまかしは無理だろうと思い直す。正直に白状した。
「わかんない、です……」
「ふーん?」
「もう、頭ん中めちゃくちゃで……あたし、何がなんだか……」
「そっか」


673 光さんのお正月 そのはちな sage 2008/01/14(月) 22:46:18 ID:rvDGOZ0y

 雪姫先輩は、ふう、と息を吐いた。それから、しばらくの間黙ってたかと思うと、
「光ちゃんは……柔沢くんと、ちょっと似てるね」
「え……ええっ」
 言うに事欠いて、何を言い出すんだこの人はっ。目を剥くあたしの前で、でも雪姫先輩は淡々と続けた。
「いや、さ。悩んで、迷って、割り切れなくて……でも、ほんとに大事なことは、ちゃんと見失わない。うん。よく似てるよ。あたしや雨とは違う」
「あの……」
「あたしたちは、悩まない。迷わない。割り切れる。何をするのが適切かとか、何ができるかとかは分かってて、それがどうしたらできるかも、知ってる。でもね。どうすべきかは、分からない。そんなこと、はなから考えない」
「……」
 お姉ちゃんについては、いくらか異議を唱えたいところもあったけど、雪姫先輩の口調の何かが、あたしに口を挟ませなかった。
「だからさ。うん……ほんとは、黙ってようと思ってたけど、この際、言っちゃうか。あたしはね、あたしや雨や他の誰より、光ちゃんの方が柔沢くんに近いかも、って思ってたりするよ?」
「そんなこと……」
「自分じゃ、分かんないよねー。ま、あたしの思い違いって可能性もあるけどさ。その方が、ある意味じゃありがたいけど。でも、考えるんだ。あたしや雨は……結局、柔沢くんには相応しくないかも、って」
「……」
 この人は、そんなことを考えてたのか。そんなにも明るい笑顔で。屈託のない口調で。
「あたしたちは、柔沢くんがケガしないよう、死なないよう、守ることはできる。でも、柔沢くんの心までは、守れない。柔沢くんとあたしたちは、根っこが違うから。どうやったら守ってあげられるか、知らない。分からない。でも、光ちゃんなら、もしかしたら」
「あたし……そんな……」
「うん。今の光ちゃんじゃ無理だよ」
 いかにも雪姫先輩らしく、あっけらかんと、人を突き落とすようなことを言ってくれた。それでも、その笑顔に悪意はなくて、
「それに、混乱してるのも良く分かるよ。あたしだってそうだったし……今でも、かな。けどね、慌てて結論を出さないでほしいな。別に、柔沢くんの彼女になるか絶交するかの二者択一じゃないんだから。それ以外の選択肢だって、いくらでもあるよ?」
「でも……」
「だからさ。ゆっくり考えてよ。自分がどうしたいのか。まだまだ時間はあるよ」
 雪姫先輩は、そこで自分の言いたいことは言い終わったからか、再びフルーツパフェに取りかかる。もう、あたしのことなんかどうでもいいって感じに見えたけど、あたしは、そこでは終われなかった。
「……ひとつ、訊いてもいいですか」
「なに?」
 雪姫先輩は、いたって気のない受け答えだったけど、一方的に言いっぱなされたってだけじゃ、あたしも引き退がれない。
「どうして、あたしにそんなことまで……?」
「んー」
 生クリームを一すくい、じっくりと味わってから、
「正直、ライバルは少ないにこしたことはないんだけどねー。でもそれより、柔沢くんにとっての選択肢を増やしておきたいから、かな。いわば、あたしや雨のバックアップってとこだね。もちろん、あたしから譲る気なんかないけど」
「……」
「というわけで、基本的にはお仲間として扱うつもりだけど……でも、分かってるよね? 光ちゃんが、もしいい加減な気持ちで柔沢くんと関わるなら、あたしは……たぶん雨も、容赦しないよ?」
 そんな無邪気な顔で、人の背筋が凍るような脅しをしないでほしい。あたしは、仕方なく苦笑する。
「肝に銘じときます。……にしても、雪姫先輩って、ほんとに」
 パフェを頬張りながら目だけで笑われて、あたしも、それ以上の野暮を言葉にするのはやめておいた。


674 光さんのお正月 そのきゅう sage 2008/01/14(月) 22:47:34 ID:rvDGOZ0y

 雪姫先輩とそんな話をしたせいだと思う。喫茶店の入り口から、お姉ちゃんと二人連れだって入ってきたあいつを見たとき、あたしの心は意外なくらいに平静だった。正面からあいつの顔を見ることだって、できた。
 もちろん、気持ちの整理がぜんぶついたわけじゃない。まだ、あいつの前から逃げ出してしまいたいって、あたしのどっかはどうしようもなく思ってる。それに、雪姫先輩にうまく乗せられた感じがするのも、ちょっと癪だ。
 それでも……雪姫先輩の話を聞いてるうちに思ったんだ。もしこのまま投げ出して中途半端にしたら、あたし、一生後悔するんだろうな、って。お姉ちゃんや雪姫先輩が踏みとどまったところであたしは逃げた、って思いを一生背負ってくんだろうな、って。
 それは、イヤだ。イヤだ。あたしにだって、なけなしのプライドくらいはあるんだ。
 だからね。ゆっくり、確かめていこう。いや、作っていこう。自分の気持ちも、あいつとの関係も。あたしはあいつのことを好きになるのかもしれない。それとも、やっぱり、最初から思ってたように嫌いなままなのかもしれない。それは、まだ分からない。
 ただ、一つだけ確かなことがあって、あいつはもう、あたしの心からいなくなったりはしない。無視したり、忘れたりはできない。まずは、そこから始めよう。うん。雪姫先輩の言ったとおり、時間はまだまだある。
 それにもう一つ。雪姫先輩と同じように、あたしにも、譲れない一線てものがある。もしあいつが、お姉ちゃんにいい加減な気持ちで関わるなら、そのときは、あたしも容赦はしない。あたしは、あたしよりも何よりも、お姉ちゃんに幸せになってほしいから。
 だから、全てはこれからなんだ。何がどう転がるかなんて、誰にも分からない。もしかするとあいつはあたしの義兄になるかもしれないし、恋人になるかもしれないし、仇敵になるかもしれないし、親友になるかもしれない。うん。楽しみだね。

「……ええと、それでおまえ。やけに人にガン飛ばして、もしかしてケンカ売ってんのか」
「ふふん。あんたなんかに? 冗談でしょ。あたしはもっと高い女よ。……って、何笑ってんのよっ。雪姫先輩もっ。ああっお姉ちゃんまでっ。うがあっ」

 ああ。そうだ。きっと、退屈だけはしないだろう。こいつが相手なら。








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最終更新:2008年01月20日 09:56
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