『Radio head Reincarnation~黒い魔女と紅い魔女~』


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『Radio head Reincarnation~黒い魔女と紅い魔女~』
  • 作者 伊南屋 ◆WsILX6i4pM
  • 投下スレ 2スレ
  • レス番 658-661 720-723 761-764 816-819
  • 備考 レディオ・ヘッド リンカーネイション(以下RR)本編より約1ヶ月後のお話


658 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/01/13(日) 00:43:24 ID:JCZ4v7Rm
『Radio head Reincarnation~黒い魔女と紅い魔女~』

 Ⅰ.
 ほう、という溜め息が室内を満たす。
 思案に暮れる部屋の主は、常の癖として眼鏡の弦を指先で押し上げた。
 部屋の主。名を藤嶋加奈子と言う。
 獣王の二つ名を持つ国王に仕え、辣腕を振るう女傑――とはいえ、未だ少女と呼んで良いような年齢ではあるが。
 その彼女が考え込む事案は城下を騒がす小児失踪事件である。
 ここ数ヶ月の間に、城下から南方に位置する街で子供が失踪する事件が十数件発生しており、それが噂となって国民の不安を煽っている。
 ただでさえ戦乱の最中。しかもこの国はその渦中の中心と言っても過言ではない。
 そんな状態の国内で、こういった状況は些か好ましくない。やはり国民の気運は大切だ。
 それに、藤嶋加奈子個人として子供が失踪するという今回の事案は気分が悪いというのもある。
 ――だから仕方ないのだ。
 あんな怪しい――いや、妖しいと言った方がしっくりくる――人物に依頼をするのは。
 悔しい事に、これが一番確実な手段なのだから。
「……はぁ」
 ここ最近、癖になりつつある深い溜め息を吐いて、加奈子は思い返す。
 ほんの少し前、この部屋で会話した人物とのやり取りを――。

 † † †

「子供が消えている、ねぇ」
 無表情で確かめるように呟いた人物を、加奈子は決して友好的とは言い難い視線で見ていた。
 まるで闇がそこにわだかまったかのような雰囲気。くわえた葉巻から立ち昇る紫煙でさえ、光を拒む暗雲のように見える。
 客観的に見るなら美しい女性だ。
 ただ、どうしても退廃的な印象が付きまとう。
 それは気だるげな仕草や、黒で揃えた衣装、禍々しい装飾品や傍らに控える黒猫。そして、何より深い黒曜色の瞳がそう思わせるのだろう。
 漆黒の麗人。生業は魔術師。その道ではそれなりに名の通る人物だ。
 曰わく、“黒い魔女”闇絵、と。
 加奈子は闇絵に事のあらましを話し始める。
「……事は、ここから南に向かって三日程歩けば着く街で起きています」
「それで?」
「それなりに拓けた街で、富裕層もそれなりに。事実失踪した子供達は揃って裕福な家の子供です。しかし――」
 そこで一旦区切って、加奈子は再び言葉を繋いだ。
「身代金――と言うより、一切の要求がないんです」
「ほう? それは不可解な事だな」



659 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/01/13(日) 00:46:43 ID:JCZ4v7Rm
 闇絵が初めて興味を示す。その様子を見ながら加奈子は耳を傾けた。
「狙われているのは金持ちの子供ばかり。なのに一切の要求がない、か――確かに子供が消える理由が分からないな」
「そうです。浚われたのなら犯人には意図があるはず。なのにその意図が見えない――」
「だからあくまで失踪だと、そう言うのだね?」
 闇絵は嘲笑うように鼻を鳴らす。加奈子がそれに不快そうな表情を示しても、構わず闇絵は続けた。
「これは誘拐だよ。意図は見えなくとも悪意は見える。これは神隠しや迷子なんかじゃない。子供達は浚われたんだ」
 そして、と加え闇絵は加奈子を見詰めた。
「君もそう考えているから、私に依頼なんかをするんだろう?」
 ――鋭い。
 全てを見透かしたような闇絵の言葉に、加奈子は些かばかりの驚嘆を感じた。
 闇絵の言うとおり、加奈子自身今回の件は誘拐であると確信している。
 分からないから失踪であると、それで片付けようとする怠慢な者達と違い。加奈子は諦めたくなかった。
 だからこその独断専行。裏の稼業を担う人間への依頼なのだ。
「――意図が見えないなら、考えられるのは二つ」
 闇絵が再び喋り出す。
「そもそも犯人に意図が無いか、我々と犯人の見ているものが違うかだ」
 沈黙でもって答える加奈子に闇絵は更に言葉を重ねる。
「前者はあまり考えられない。意図無く悪意を振るえるのは愚かな狂人だ。そして愚かな狂人はこんなに綺麗に悪事を犯さない」
「では犯人の意図は私達の考えるようなものとは違う、と?」
「そうだ。そして私達普通の人間と違う思想を持ち、かつ理性をもって行動できる。狂人には違いないが、理知的な狂人だ。――最も厄介な相手だよ」
 やはり無表情にそう告げて闇絵は締めくくった。
 沈黙が降りる。
 闇絵は瞼を閉じ、葉巻の煙を深く吸い込み、ゆっくりと味わってから吐き出した。
 そういう種の葉巻なのか、やや離れた位置にいる加奈子にも微かに甘い匂いが届いた。
「……なんとかしてくれますか?」
 加奈子は静かに問う。
「なんとかして欲しいのだろう?」
 闇絵は笑んで答える。
 それが、契約完了の合図だった。

 † † †

 街は不穏な空気に満ちていた。
 大人達は消え去っていった子供達に自らの子を重ね、子供達は明日は我が身と、言い知れぬ不安に包まれていた。
 そんな街の中。誰ともなく口にする言葉。
『魔女』


660 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/01/13(日) 00:49:50 ID:JCZ4v7Rm
 ――いつからか街には子供浚いの魔女の噂が流れていた。
 出所は分からない。ただ、見えない不安に、魔女という形を与える為に流れているように“彼女”は感じた。
 分からない恐怖よりは、異形であっても分かりやすい恐怖であった方がましだと人間は考えるからだろう。
「は、気に入らないな」
 そう毒吐いたのは事件に対してか、下らない噂に踊らされる街人達に対してか。
 異様な街の雰囲気の中にあって尚、圧倒的に特異な雰囲気を纏い歩む姿。
 “彼女”はゆったりと街の大通りを紫煙と共に進む。
 例え夕暮れに在っても、朱に沈まず。
 例え血飛沫に濡れても、赤に溺れず。
 何よりも苛烈にして鮮烈。燃え盛る炎の如き美女。
 ――柔沢紅香は、このつまらない事件を終わらせてみるか、と。そう考えていた。

 † † †

 闇絵がその街に辿り着いたのは、契約から五日後の事だった。
 夕刻も近かった事もあり、とりあえず宿を探す事にする。
 そのことを傍らの友人に伝えると快い返事が返って来た。
「情報収集も考えたら酒場や大衆食堂も兼ねている所が良いよね」
 最もらしい事を言っているが、どうせ飲み食いしたいだけなのだろう。
 闇絵の友人――武藤環はそういう人間だった。
 しかし最もらしい事とはそれなりに理屈が通っているもので、加えて闇絵にそれを積極的に否定をする理由も無かった。
 だから、すぐに(主に環の)理想に叶った宿が見つかった事は二人にとって幸いだった。
 特に目立つ所のない大衆向け宿場。三階建ての内、一階を食堂兼酒場とし、二階と三階を宿にあてたオーソドックスな作り。
 値段も建物の質もそこそこの宿。ただ、部屋数だけは割と多いようだった。

 軽い鐘の音を鳴らしながら立ち入ると、気の早い幾人かが酒を飲み交わして居るところで、いくらかのアルコール臭が鼻をつく。
 鐘の音色に店内の視線が集まり、普通ならばすぐさま散るはずの注目が固定された。
 皆一様に闇絵の醸し出す異様な空気に、ぽかんとした顔をする。
 闇絵はそれを意に介さず、環はニヤニヤと若干下卑た笑みを浮かべながら、カウンターに向かう。
「二人部屋を一つ借りたいのだが」
 カウンターの内に居た年若い、黒い長髪の女性へと尋ねると、女性は呆けていた意識を素早く切り替え仕事を始めた。
「かしこまりました。部屋代になりますが――」
「これで」


661 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/01/13(日) 00:51:39 ID:JCZ4v7Rm
 闇絵は宿の外に張り出された料金表を見て、あらかじめ用意していた金額を渡す。
「――はい、確かに。お食事代などは別途になりますのでその都度お支払い下さい」
 手慣れた様子で台詞を淀みなく告げる。それに首肯して闇絵は微かな笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「ではお部屋に案内いたします。」
 カウンターとフロアを仕切る扉から出て、階段へと先導する。二人はそれに付き従い部屋に案内される。
「この街へはどうして? どこかへ向かわれる途中ですか?」
 世間話を切り出して来たのは女中だった。
「何故そう思う?」
「この街、それなりに拓けてはいますけど特に見るようなものはありませんから。都会を目指すなら城下に向かえば良いわけですし」
「――私達はその城下から来たんだよ。ここを目指して」
 す、と女中の瞳に不信が宿る。
「それは、どうしてですか?」
「人浚いが現れると聞いてね」
 闇絵の言葉に女中は息を呑む。表情に浮かぶのは疑惑。
「あ~、あのさ。私達ちゃんと国から要請受けて事件の解決に来たんだ。だから怪しいものじゃないよ」
 それまで控えていた環が口を挟む。闇絵の発言が疑いを深めたと悟ってのフォローだった。
「そうなん……ですか?」
「うんうん」
 と、そこで三階の隅にある部屋の前に辿りつく。
 女中は鍵束から一本の鍵を外し、それで扉を開ける。
「それではこちらが部屋の鍵になります」
 鍵を闇絵に手渡し、室内に招き入れる。中は掃除の行き届いた部屋で過ごしやすそうだった。
「それでは私はこれで失礼します。不躾な質問、すみませんでした」
「いや、構わないさ」
 女中は安堵の笑みを漏らすと、そこから立ち去るために背を向けた。
「少し良いか?」
 ――それを妨げる闇絵の声。
「君は一連の事件をどう思っている? 良ければ聞かせて欲しい」
 女の背に向けて問い掛ける。問い掛けられた女性は振り返らず、首を横にだけして答えた。
「不幸な……とても不幸な事だと思います」
「……そうか」
 闇絵はそれ以上何も問わず、長い黒髪を翻しながら女が去るのを見届けた。
「さて、私も舞台に上がってしまった訳だが……これからどうなることやら」
 女中が去り、環と二人きりの部屋の中、闇絵は小さく笑んで呟いた。

続く



720 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/01/26(土) 23:29:25 ID:psk3wsgk
『Radio head Reincarnation~黒い魔女と紅い魔女~』

Ⅱ.
 闇絵が行動を起こしたのは日が暮れてからの事だった。
 とは言っても何の事はない。ただ夕飯ついでに情報収集をしようという程度の話だ。
 先程、早速呑み喰いに対する期待に胸を膨らませて食堂へと降りた環を追って階下へと向かう。
 階段を下り、食堂に近付くにつれ、闇絵の耳へ喧騒が届き始めた。
 それは階段を残り数段にした時点で既に鼓膜を震わす轟声となり、物理的な振動すら伴って、最後の一段を降りた闇絵を迎えた。
 フロアには何かを取り囲み、騒ぎ立てる男達が叫び声を上げていた。
 その叫び――頑張れだとか、負けんなだとか、良いぞ姉ちゃんだとか、
 声援と罵声が混じり合った喧騒の中心に、闇絵は確信を持って視線を運ぶ。
 そこには闇絵の思った通り、環が居た。
 男達に囲まれ、赤い顔に笑顔を浮かべている。その周囲には数人の男が倒れている。彼らは環とは対照的に一様に青い顔だった。
 喧嘩――ではない。宿に入った時とは比べものにならない程の酒臭さ。そして次々と空けられる酒杯。
 呑み比べが始まってから既に大分経っているようだった。
「さんじゅ~……え~と、なんとかはいめぇ~!!」
 もはや思考も呂律も回っていない環の掛け声と共に、一斉に杯が呷られる。
「……っぶはぁー!」
 最早女性としての恥も尊厳も捨てきった吐息を腹の底から吐き出して、環が空になった杯をテーブルに叩き付ける。
 その隣、羆のような大男が呷る途中で力尽き、杯に残った酒を頭から被りながら仰向けに倒れた。脱落者がまた一人。
 友人の相変わらずの底無し振りに、闇絵は環が最後まで残るだろうと予想して視線を外す。
 そうすると偶々か、先程闇絵達を部屋に案内した女中がおり、目線が重なった。目が合った女中は、極自然な挙動で闇絵の下へと歩み寄ってきて、口を開きかけた。
「すまないな私の連れが」
 女中が声をかけるより早く闇絵が言う。声を掛けようとしていた女中は機先を制される形になり、タイミングを外され若干反応が遅れる。
 しかし、それも一瞬の事で、直ぐに気を取り直した女中は明るい笑顔でもって返した。
「お酒を皆さんが呑めば儲かるのは私達ですから」
「ふ、まあ確かにそうだ」
 明け透けな物言いに微笑を返し、闇絵はカウンター席の椅子に腰を掛ける。
「夕食を貰おうか」



721 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/01/26(土) 23:30:40 ID:psk3wsgk
「でしたら羊肉なんて如何ですか? 今朝、良い肉が入ったんですよ」
「じゃあそれを」
「かしこまりました」
 そう言ってキッチンに女中が消える。
 料理を待つ間、闇絵は再び乱痴気騒ぎを眺めて隙を潰す事にする。
「たぶ~ん~よ~んじゅ~っ!」
 また一人、酒を浴びて男が倒れる所だった。

 † † †

「ふむ、なかなか美味い」
 運ばれて来た羊肉のスパイス焼きを食べ、闇絵が賞賛を口にした。
「ありがとうございます」
 笑んで答える女中――少し会話をした所、一子と言う名前らしかった――は小さくお辞儀をした。
 世間話をした程度だが、短い間で闇絵は一子の知性の片鱗を垣間見ていた。
 情報収集については彼女から聞いてみようと決める。
「少し、良いだろうか?」
「なんでしょう?」
「子供の失踪事件についてだよ」
 話題を切り出した瞬間、それまで和やかであった一子の雰囲気が変わる。暗い事案に気を沈めたようであった。
「……そう言えば、調べにきたんでしたっけ」
 無言で頷いて見せると一子は溜息を吐き出した。
「多分、私が知っているのは貴方達と大して変わりません。ただ子供が消えて、それっきり。要求もなく戻ってきたものもいない」
「行方不明者に知り合いは?」
「いいえ。浚われた子供達は全てお屋敷組だそうですし」
「お屋敷組?」
「ああ……街の人間じゃないから分からないんですよね。お屋敷組と言うのは街の東にある区画――つまりお金持ちの人達の屋敷が集まっている場所に住む人達の事です」
「なる程ね」
「それで――私達はお屋敷組とはあまり関わりませんから」
 どうやらこの街は富裕層とそうでない街人で住み分けがなされているらしい。
 故に一子は浚われた子供、加えてその関係者については知らない――ということらしかった。
「ふむ……期待が外れてしまったか」
「お役に立てずすいません」
「いや、謝る事はないさ。それではそうだな……最近何か街に変わった事は無かったかな?」
 そう言うと一子は二つの言葉を口にした。
「魔女と……揉め事処理屋さんでしょうか?」
「ほう? それはどういう事かな?」
「魔女っていうのは、子供達が浚われているのは、この街に魔女がいるからだという噂です。揉め事処理屋さんは、あなた方以外に数日前から事件を追っている方です」



722 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/01/26(土) 23:32:15 ID:psk3wsgk
 魔女の方は噂の域を出ない話のようで、闇絵にとってまだ思案に至る事柄ではなかった。むしろ闇絵が気になるのは揉め事処理屋の存在だ。
 闇絵には揉め事処理屋と言われて思い当たる人間がいくつかいる。特に思い浮かぶのは、未だ少年でありながら揉め事処理屋として働く少年である。
 もしかしたら彼も仕事を回されてこの街に来ているのではないかと考える。
「その揉め事処理屋というのはどこに?」
「実は……この宿に」
「ほう?」
 以外な答えに闇絵が軽い驚きを見せると同時、一子の視線が闇絵から外され、入り口に向けられる。
 その視線を追って、闇絵は納得した。
「“アレ”が、揉め事処理屋だな?」
 現れたのは――
 圧倒的存在感は王者の風格。纏う気配は強者の鋭さ。
 柔沢紅香が傲然と歩んでくる。

† † †

「よ~ん、ん~? ごじゅ~? あ~……とりあえずにゃんとかはいめ~!」
 また脱落者が二人。残るは環を含めた四人。
「まったく騒がしい事だな」
 口に葉巻を加えながら酒宴――否、酒戦とでも言うべきか――を眺めて紅香が零す。
「まあ見ている分には悪くない見せ物だ。人の愚かさが良く出ている」
 そう呟いて皮肉気な微笑を浮かべる。
「そうは思わないか、闇絵?」
「さて、どうだろうね?」
 視線を交わすこともなくただ言葉だけをやり取りする。その様は気の置けない友人であるようにも見えたし、互いに憎み合う敵同士であるようにも見えた。
「お知り合い……ですか?」
「まあそんな所だ」
 紅香が答えながら、闇絵の隣に腰掛ける。
「とりあえずウイスキーを」
「あ、はい。かしこまりました」
 すぐさま出された濃い琥珀色の液体を嚥下し、それからようやく紅香は闇絵に向き直った。
「お前もこの街に仕事で来たのか? 黒い魔女として」
「ああ。そちらも?」
「私は個人的な興味だ。いや、興味と言うよりは苛立ちの解消かも知れん」
 紅香の意図が何となく読めて、闇絵はただ無言で頷く。こう見えた子供好きな紅香にしてみればこの事件は気分の良いものではないはずだ。
「首尾は?」
「手掛かりなんか無いってのが正直な所だな。目撃者無し、痕跡無し。いつ、どこで、どうやって連れ去られたのかも分からんよ」
 紅香らしからぬ調査の不振ぶりに、闇絵は多少の驚きを表情に浮かべた。
「弥生が居ればまた違うのだがな」
「ほう? 珍しいじゃないか、あの忠実な飼犬が主人から離れているなんて」



723 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/01/26(土) 23:33:51 ID:psk3wsgk
 ――犬塚弥生。
 柔沢紅香の影となり、手足となり、武器となる存在。
 他者に犬と呼ばれ、自ら犬と呼ぶ事すら厭わない程に紅香に心酔している彼女が、主人たる紅香から離れているのは最早異常事態とすら言えた。
「私が命じたのさ。城下に残って、何か動きがあれば知らせるようにとな」
「連絡係(おるすばん)という事か」
「ああ。しかし、弥生がいないお陰で裏から調べる事が出来んよ。私は目立ってしまうからな。隠密は苦手だ」
 そう言うと紅香はグラスに半分程残ったウイスキーを一息に呷った。
「まったく、人に頼る事を覚えてしまうといかんな」
 グラスを一杯だけ空にしてから苦笑して、紅香は立ち上がる。
「もう行くのかい?」
 闇絵の問いに紅香は溜め息を混ぜて答える。
「ああ。無駄だと思ってやった聞き込みは期待通り成果ゼロ。何か新しい動きが無いことにはどうしようもないからな。今日はもう寝るよ」
 まるで、次の事件が起きる事を予期しているような、そしてそれを期待しているような物言いだった。
「ん? 良く見たら美味そうな肉じゃないか」
 皿に盛られた料理を見つけ、紅香は闇絵から許可を取ることなく一切れつまみ上げる。そのままそれを口に放って、紅香は言った。
「うん。美味いじゃないか。柔らかくて――」



「――まるで新鮮な子供の肉みたいだ」



 紅香が口端を吊り上げる。


「んま~いっ! も~い~っぱ~い!」
 酔いつぶれた男達が死屍累々と倒れている。
 その中心で環は未だ杯を空け続けていた。

 † † †

 ――それは心に怒りを燃やしていた。

 何故理解しないのか。何故自分を捜すのか。捜して、罰しようとするのか。
 何が悪いというのだ。
 正しい事をしているのに。
 否。否。否。
 全てが否定される。
 それが怒りを呼ぶ、憎悪を呼ぶ、悪意を呼ぶ。
 内に燃え盛る黒い炎――負の激情。
 邪魔だ。消えてしまえ、目の前から。
 いや、いっそ消してしまおうか。
 邪魔はさせない。誰にも、妨げさせはしない――出来るはずがない。
 奴らを一人残らず消し去る。
 それが私にとって、何よりの正しさの証明となろう。
 そして、それが私の求めるものを得る糧となる。

 ――それは嗤う。
 顔には出さず、心の中で嗤い続ける。
 狂ったように、ただ嗤う。

続く



761 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/02/09(土) 07:52:29 ID:mUK7Ddds
『Radio head Reincarnation~黒い魔女と紅い魔女~』

Ⅲ.
 闇絵が街に着いてから三日。
 それが新たな事件が起こるまでの期間だった。
 また一人、子供が消えた。ただしそれは――

 命と共にだった。

 † † †

「やれやれだな」
 葉巻をくわえた紅香が“ソレ”を見て苦々しく呟く。
 闇絵と環も並び、一様に眉根を寄せていた。
「これは明らかな挑戦だ。喧嘩を売ってきてる」
 不快感も露わに紅香が口にする。
「私達なんかにどうにかされてやるもんかって言いたいんだ。……舐められたもんだよ、柔沢紅香ともあろう者が」
 そこにあるのは怒りという感情だった。
「……酷い」
 環が呟く。余りにも無惨な、“ソレ”はそう形容するしかなかった。
 三人が見つめるそれは、悪意に満ちていた。
 顔面の皮を針で止め、無理矢理作った歪な笑顔。
 腕を下半身に、脚を上半身に左右逆に縫い付けられた身体。
    ・・・・・・・・・
 それが手を吊って逆さまにぶら下げられていた 。
 ――初めて見つかった犠牲者の少女、その姿。消えた翌日。街の広場に晒されたそれを三人は見ていた。
「これはなんとも魔術的じゃないか。手足の逆転、左右の逆転、上下の逆転、そして死に向ける感情の逆転か。逆転のモチーフは魔術の初歩だ」
 闇絵の言葉に紅香が問う。
「これは魔術なのか?」
「そんな大層なものではないよ。もっと低俗で稚拙なものだ」
 胸元の髑髏を撫でながら、闇絵は視線をある方向に向ける。
「これがしたかったのは、ああいうことさ」
 向けた眼差しの先には死体を見てむせび泣く一組の夫婦。高級な衣服の肥えた男と、傍らに立つ貴金属をふんだんに使った装飾品で飾った女。身なりの良さから“お屋敷組”であることが窺い知れた。
「ああして、誰かを不幸にする事が目的だ。不幸の手紙や相手の不幸を願うおまじないみたいなものさ」
 見つかった死体。その両親が彼等だった。
 最愛の愛娘“だった”モノを見て、彼等の胸中に去来する感情が如何なものであるかは想像に難くない。
 そして、それこそが犯人の目的であると闇絵は判じた。
「無論、紅香が言ったように挑戦という意味合いもあるだろうな。わざわざこのタイミングで事を大きくしたのが証明だ」
「……挑戦って?」
 環の問いに、紅香が答える。
「次はお前たちだって言いたいのさ。これは恐らくだが、私達も狙われるぞ」



762 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/02/09(土) 07:54:31 ID:mUK7Ddds
 そう言った紅香は、むしろ楽しそうに笑う。
「どうするの?」
 環が闇絵に問う。
「決まっているさ。私は私の仕事をこなすだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
 何でもないように闇絵はそう口にした。それからふと、考え込む素振りを見せる。
「……あの少年なら、どう感じるだろうか」
 闇絵は呟き、考える。
「きっと彼なら憤慨するだろう。怒り、悲しみ、犯人を見つけ出そうとするだろう」
 ならば、と闇絵は思う。
「それを代行するのもまた一興」
 闇絵が自身の動く理由を追加する。
 仕事。それに加え個人的な雑感。
「人の噂の中の“魔女”か。面白い」
 黒い魔女が笑う。口端を吊り上げるだけの微かな笑み。
「挑戦……受けようじゃないか」
「魔女による魔女狩りか?」
 紅香も笑みを浮かべる。傲然とした、猛獣のような獰猛な笑み。
「だったらその狩りに加わる私はさしずめ紅い魔女ってとこか?」
 鋭い瞳で、死体を見る。
「後悔させなくちゃいけない。誰に喧嘩を売ったのか、分からせてやらなきゃ」
 黒い魔女と、紅い魔女――そして姿なき魔女。
 ――狩りが、始まる。

 † † †

 現場から引き上げた闇絵達三人は、異様な雰囲気に包まれる宿の従業員達に出会した。
 女性ばかりの従業員達は一様に深刻な表情で向かい合い、何かを話し合っている。小声で内容は窺い知れない。
 取り囲まれる様に中心に位置しているのは、見知った姿――闇絵達を部屋に案内した一子だった。
 どうやら纏め役となっているらしく、周囲の声に耳を傾けては言葉を返していた。
「どうしたんだね?」
 ――ぴたりと声が止んだ。
 一斉に声のした方、つまり闇絵へ瞳が向けられる。
「あ……闇絵さんでしたか」
 一子が気付き、安堵したような息を漏らす。
「驚かせてしまったかな。すまない」
「いえ、気にしないで下さい」
「ふむ、そうかい? ……それでこれは?」
 一子に問い掛けると、彼女はしばし逡巡して答えた。
「……実は、今朝見つかった女の子の両親が、この宿の主でして」
「ほう?」
「旦那様はすっかり混乱してますから、店を続けても良いのかどうか」
「……なるほど」
 先の現場を思い出す。号泣し、悲嘆に暮れていた夫妻。彼らの取り乱しようは確かに店の運営が手に着くようなものではなかった。
 それによって宿全体に混乱が伝播したという事らしい。
「どうするの? もしかして宿閉めちゃう?」



763 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/02/09(土) 07:55:27 ID:mUK7Ddds
 若干不安げに環が尋ねる。
「私たち、宿から出なきゃだめとか?」
「いえ」
 環の問いに、一子ははっきりと答えてみせる。
「取りあえず宿の方はお客様を追い出す訳にもいかないので、私たちだけでなんとかします。食堂はお泊まりのお客様だけという事にするつもりです」
「一時的に飲食業を休止するのか」
「はい。ですから皆さんはこちらにいらっしゃって下さって構いません」
 答えに環が安堵を漏らす。
「そっか、よかった~。宿をまた探さなきゃいけないかと思った」
 表情を綻ばせて言う環に、一子も笑みを返す。
「……しかし、冷静なんだな」
 紅香の言葉に、一子は首を振り向かせる。
「私くらい、しっかりしませんと」
 責任感の塊の様な発言。優等生的な、模範的な解答。
 紅香はそれを無表情で眺めるだけだった。
「……さて、私は一足先に部屋に帰らせて貰うよ」
 淡白に言って、紅香はさっさと階段を昇って行ってしまう。結果として闇絵と環が取り残される。
「……お二人はどうなさいますか?」
「そうだな。改めて情報を整理しようと思う。今までの被害者について少しでも多くの情報が欲しい。手伝ってくれないか?」
「え……、でも私は」
「街の人間しか知らない風評などが在るだろう? それを知っている範囲で教えてくれ」
「……わかりました」
 街の人間でなくては分からない部分を、一子に求め、一子それには頷いて答えた。
「こんな下らない事は早く終わらせるに限る。怠惰は何事にも代え難い資産だ。早くその怠惰に浸りたいものだよ」
 気だるげに呟いて、闇絵はゆったりと部屋に向かい始めた。

 † † †

 資産家の息子。貴族筋の娘。大商家の姉妹。違法な組織の首領の孫。
 ――実に多種多様な成功者の家から子供が消えていた。
 それ以外でも最近調子の良い商店の子供。年離れた兄が、軍で昇進した幼い妹。
 こうしてまとめて見れば実に分かり易い意志が垣間見える。
 つまり、幸せそうな人間が憎いという――妬み。
 闇絵が推測した、不幸を振り撒くという思想は的を射たことになる。
「……何も無さそうでも、夫婦仲が良い、家を建て替えた、妻が妊娠している家庭。些細な幸せすら逃さない勢いだな」
「そんな家の子供達ばかりが浚われてるんだね」
 闇絵と環は互いを見合って溜め息を吐き出す。
 なんと矮小で歪んだ理屈か。



764 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/02/09(土) 07:56:33 ID:mUK7Ddds
「この程度の事すら見抜けんとは……王国の官僚共も間抜けだな。いや、今更気付く私も大して変わらないか」
 自嘲気味に零して、闇絵は紫煙を吐き出す。
「にぁ」
 足元の黒猫、ダビデが鳴き声を上げて闇絵を見上げる。
「……そうだな。今更言っても仕方ない」
 ダビデの鳴き声から意図を汲み取ってか、闇絵はぽつりと零した。
「これで犯人の特定出来ないかな」
「正直難しいな。幸せな人間が妬ましいなど、誰でも抱える感情だ」
 犯人の意図が見えた所で、犯人像が固まる訳ではない。
 とはいえ、輪郭は見える。
「強いて言うなら不幸な者。自分が不幸だと思い込んでいる者だな。そして、それを理由に他者を攻撃する事を厭わない」
「……そんなのさっぱりだね」
「ふむ……」
 再考する。
 既存の情報の整理、新規情報の整合。
 消えた子供、男児三、女児七の割合。女児多め。
 殺された子供。大掛かりな人体改造。人の所行とは思えない行為。
 考察――魔女の意図。
 推察――無差別の中の規則性。
 目まぐるしい思考を闇絵は走らせる。
 閃き――疑念。
「死体……」
「え?」
「あんな死体を、どうやって作った? たった一日しかなかったのに」
 人の体を解体し、結合する。単純だが手間のかかる作業だ。
 それをたった一日で成し遂げる。
 仮説。
 ――魔女は一人じゃない?
 複数の人間の意図が絡んでいる。だから、魔女という“個人”の意図が見えない。
 魔女という個人はなく、魔女という群体があるとしたら。
「――私達は、魔女の腹の内に収められているのかも知れないな」
「それって……」
「出掛けよう。調べる事が出来た」
 言って、闇絵は宿の部屋を出た。

続く

816 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/08(土) 12:04:37 ID:k58Br1Ec
「Radio head Reincarnation~黒い魔女と紅い魔女~」

Ⅳ.
 調査、必要な情報の取捨選択、思考――推理。
 地道な聞き込み、平行して子供達が消えたと見られる場所を回る。
 確認作業、過ぎていく時間、手段の変更――二手に別れ効率化を図る。
 闇絵と環は別れ独り。紅香もまた宿に独り。皆が一様に独り。
 ――故に彼女達は狙われた。

 † † †

 路地裏。陽の当たらない暗い道。人の目に付かない街の中の死角。
 闇絵はゆったりとした足取りを止め、振り返らずに声を上げた。
「ふむ、いい加減にしたらどうかね?」
 目を伏せたまま、誰もいない虚空に問い掛ける。
「私とて、素人の尾行程度は気付ける。ましてやぞろぞろと足音をさせては尚更だ。――大人しく出て来てはどうかね?」
 しばらくの沈黙。まるで獣が獲物を前に草むらに身を伏せているような気配。
 やがて、路地の入り口から、奥から、更に細く別れた小さな路地から、建物の陰から人影が現れる。
 一人、二人、三人と増え、四人五人と更に増える。
 全てで――十二人か。各々の手には、包丁、ナイフ、鋏等々。どこにでもある、しかし危険極まりない凶器が握られていた。
「……多いな。これだけの人手があれば“作業”も“工作”もさぞ楽だったろう?」
 確信と余裕に満ちた声。
「お前達が全てを仕組んだ――いや、仕組まされたんだろう?」
 誰一人として答えはしない。ただ、ぎらつくような視線を向け、剣呑な空気が増すのみ。
 それをそよ風程にも感じていないかのように闇絵が言う。
「一体どうするんだい? 殺すかね? “あの少女”のように」
 沈黙、静寂、無音――言葉なき肯定。
 一人がじゃり、と足を擦り距離を詰める。緊張が高まる。張り詰めた糸が弾け飛ぶその一瞬。
「にぃお」
 ――闇絵が微笑を浮かべたのを、十二人の内、一人でも気付いていたかどうか。
「!?」
 全員が弾かれたように、鳴き声の主に視線を向かわせる。
 そして見る、声の正体――黒猫。
「ね……こ?」
 拍子抜けを喰らい、誰ともなく深い息を漏らす。
 ――油断。
「あっ!」
 一人が声を上げた。
「居な……い?」
 闇絵の姿が消えている。取り囲んでいたはずなのに。
 僅か数秒目を離しただけで。
 路地にわだかまる闇に溶けてしまったかのように――まるで、魔法のように。

 † † †

 武藤環は強い。


817 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/08(土) 12:06:13 ID:k58Br1Ec
 それは当人にとって紛れもない、そして当たり前の事実であった。
 柔沢紅香には及ばないとは思う。あれは別次元だ。そもそも理屈からして違う。
 それでも、武藤環は強い。大抵の人間には負けないし、負けるつもりなど毛頭ない。
 彼女は自分でそう思っていたし、それは間違ってもいない。
 ――だから、その光景は至極当然の光景だと彼女は感じていた。
 地に倒れ、折り重なる男達。いつかの夜の光景とよく似ている。
 酔い潰れ――ではない。その顔にあるのは苦悶の表情と痛みに滲む脂汗と口端から流れる血。
 男達。その全てが環に打ちのめされた者達だった。
「ぐ……てめぇ」
 恨めしげな声を上げる男を見て、環はきょとんとなる。
「あれ? おじさんこの間の――」
 這いつくばって環を見上げた男。それは数日前の呑み比べで、割と最後まで残っていた男だった。
 突然に襲い掛かられて、何かを考えるより先に体が反応して打ち倒していた為、ろくに顔など見ていなかった。
 故に、男に見覚えがある事を今になって気付いた。
 よくよく見れば他の男達も、あの夜に酒場に居た客達のようだった。
「ん~……どゆこと?」
 何故自分が男達に狙われ、闇討ちのような襲撃を受けなければいけないのか。理由があるとするならば――。
「――魔女?」
 倒れ伏す男に歩み寄り、しゃがんで問い掛ける。
「ねえねえ。おじさん達さ、もしかして魔女の事何か知ってる?」
 ――誰も答えない。
「う~ん。……えい」
 ごきり。
 そんな音がした。
「あっ……がっ!!」
 近くにあった枝を折るような風情で、環が男の一人の腕を取り、その関節を本来からは有り得ない方向に曲げ、男が鳴いた。
「えっと、もっかい聞くね? 魔女のこと何か知らないかな?」
 ――再びの沈黙。
 肘を外された男は痛みに声も上げられず、他も声一つ上げはしない。
「もう一本イっちゃう?」
 環の顔に浮かぶ酷薄な笑みに、男達が表情を引きつらせる。
 男達は気付いたのだ。目の前の女が情けも容赦もなく、自分達の体を壊してのける存在だと。
「し、知らない! 俺達は全部“魔女が全部やった”事にしようとしただけで、魔女の事は何も知らない!」
「……私を狙った理由は?」
「脅された。お前等を襲わなきゃ全部バラされるって。ただし、代わりにお前等は好きに犯って良いとも言われた」
「私達の命と体が目的ね。それでバラすって、何を?」
「そ、それは……」



818 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/08(土) 12:08:28 ID:k58Br1Ec
 男が言葉に詰まる。胸中の葛藤が見て取れる程、彼は狼狽していた。
「んー? ――もう一本?」
「わ、わかっ分かった! 話す。話すからっ!」
 たった一言で男の葛藤は消え、とても素直になった。
 よく躾られた飼い犬のように――まるで魔法の言葉だと、環はほくそ笑んだ。

 † † †

 柔沢紅香は眠っていた。
 夕焼けの光。カーテン越しの薄い橙に染まる部屋。床に投げ出された衣服。綺麗に洗濯された純白のシーツ。横たわる下着姿の美女。
 無防備極まりない姿を晒す紅香の姿がそこにあった。
 規則的な寝息を立て、豊かな胸を緩やかに上下させて眠る姿は、彼女を狙う者達にとってはまたとない、千載一遇の好機と映ったはずだ。
 だからであろうか。
 よく手入れされた扉が音もなく開いた。
 踏み出す足。慎重に絨毯の床の上を進む。
 やがてそれが、ベッドの傍らに辿り着いた時――
「なんの用だ?」
 ――瞼を開かぬままに、紅香が問い掛けた。
 ぴたりと足が止まる。耳に痛い程の静寂に包まれた空間に、ただ呼吸音だけが聞こえた。
「まったく、何か言ったらどうなんだ?」
「――起きてるとは思わなくて、少し驚いてしまったんです」
 そう答えたのは女の声だった。
 紅香が瞼をゆっくりと開き、それを視界に収める。
「で、用はなんだ。一子?」
 女――ベッドの傍らに立つ一子は小さく笑んだ。
「そろそろお夕飯の準備が出来ますのでお呼びしようと思いまして」
「……そうか、有難う」
 紅香もまた笑みを返す――冷たい程に感情のこもらない笑みを。
「二人はどうしてる?」
「闇絵さんと環さんの事でしょうか?」
「ああ」
「お二方でしたら、用が出来たと言って出掛けたきり帰って来ていませんね」
 一子の答えに紅香は鼻を鳴らして頷いた。
「そうか、闇絵も気付いたか」
「……気付いた?」
「ああ、いくつかの違和感と悪意があるということにさ」
 一子が怪訝な表情を作り、首を傾げて見せる。理解が及ばないといった風情だ。
「説明が必要かね?」
「っ!?」
 降って沸いたような気配と声に一子が振り返る。
「闇絵……さん」
 部屋の片隅、夕焼けの光が僅かに届かぬ暗がりの中、闇がわだかまるようにして、闇絵が壁に寄りかかり立っていた。
「いつの……まに?」
「さてね?」
 体を壁から離して自立して、闇絵が一子を真っ直ぐに見つめる。
「そんな事より、本当に説明が必要かね?」


819 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/08(土) 12:11:56 ID:k58Br1Ec
「それはどういう意味――」
「こういう意味だよ」
 言って、紅香が指差す。
「魔女はお前だ」
「何を……」

「例えば、女ばかりの宿の従業員」

「?」
 一子が眉を潜める。
「例えば、私達以外に見当たらない宿泊客。例えば、酒場に集まる男達。例えば、宿の質の割には妙に身なりのいい経営者」
 闇絵が一つ一つ例えを上げる度に、一子の顔から表情が欠落していく。
「一つ、客が見当たらないのはこの宿の部屋が宿泊以外に使われる事の方が多いから」
 一子の瞳が冷めた光を帯びる。
「一つ、酒場に集まる男達は酒以外にも用があって集まっている」
 口が真一文字に引き結ばれる。
「一つ、経営は宿でも酒場でもない第三の商売で成り立っている。従業員が女ばかりなのはそうでなければ出来ない商売だから」
 能面のような無表情が、一子の顔を覆った。
「以上が私が感じた違和感と、それに対する仮説だが、さて?」
 ――どう思う? その問いに一子は沈黙を返す。
「……改めて言おう。魔女は君だ、一子」
 能面が剥がれ落ち、仮面の笑みがそれに代わった。
「何を証拠に」

「あ、居た居た」

 まるで場の雰囲気を介さない口調で環の声が割って入った。
「ねえ一子ちゃん。ここが娼館だってホント?」
 一子の仮面の笑みですら、凍り付いた。
「聞いたんだよね。私を襲った人達から。ここでよく女を買うんだって」
 闇絵が淡々と告げる。
「君のミスは、ここにきて私情で殺す相手を選んだ事だ」
 一子は最早、無表情ですらなかった。何かを押し隠すような無表情すら抜け落ちて、ただ彼女本来の表情として冷笑を浮かべた。

「そうだとしたら、なんだって言うの?」

 鼻で笑って、一子は続けた。
「私が娼婦だとして、私が魔女だとして、それがなんだと言うの?」
 もはや偽る事のない闇を――悪意をさらけ出していた。

「私は、ただ幸せになりたかっただけなのに」

 ――魔女は黒い笑みで、血の涙を流すような表情をしていた。
 凄絶な泣き笑いで一子は全てを認めた。

続く







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