瀬戸弘幸

※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

瀨戸 弘幸(せと ひろゆき、1952年 - )は、福島県出身の日本の極右系右翼団体構成員・ブロガー・ジャーナリスト。

福島県立福島農蚕高等学校(現・福島県立福島明成高等学校)卒業。世界戦略研究所代表・特定非営利活動法人外国人犯罪追放運動最高顧問。国家社会主義者同盟元副代表、元福島市職員。維新政党・新風元副代表。国際宗教連盟(SAGE)役員[1]。瀬戸本人によると、『環境経済新聞』や雑誌『環境と施設』などの取材・企画と購読料を収入源としているという[2]。


現住所
福島県(詳細は不明)
【個人オフィス】東京都台東区東上野6-10-7金子ハイツ401 ※参考

目次
1 経歴
2 思想・主張
2.1 ナチズムと国家社会主義
2.2 在日外国人・外国人労働者の排斥
2.3 極右から「行動する保守」へ
2.4 ネット右翼
2.5 政治家・政党との関係
2.6 その他
3 活動と批判
3.1 「ジャーナリスト」としての姿勢
3.2 反中国デモ
3.3 食品などの販売
3.4 創価学会・公明党批判
3.5 朝木明代謀殺説
4 著作
4.1 著書
4.2 近年の寄稿
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク

経歴
思想が右傾化したきっかけは成人式の時だったという。瀬戸の言によれば、自身が新成人として参加した福島市の成人式の式場とその周辺で、左翼系のデモ隊が、成人式に参加するためにやってきた新成人の自衛官を乗せたバスを包囲し「自衛隊反対・人殺しは帰れ」等のスローガンを掲げて暴動を起こし、そのため自衛官が式に参加できなくなり帰っていった場面を目撃し、左翼に対し疑問を持つようになったという。
福島市職員時代(1970年頃)に、労組の影響が強かった職場に反発して自民党に入党。1974年の第10回参議院議員通常選挙では糸山英太郎の選挙運動を手伝う。
東京日比谷で愛国党の赤尾敏の演説に感化されて右翼活動への決意を固め、地元・福島県の右翼団体「憂国青年同志会」「日本憂国会」会長として約10年にわたり活動[3]。瀬戸の述懐[4]によると、ヤクザ・暴力団系の右翼との関係が深く、1987年にネオナチ運動に移行するまで続いた。
右翼活動の初期にはしばしば訪韓し、農村近代化運動(セマウル)にボランティア参加した[5]。
1975年のスト権ストに抗議して動労の山形県米沢市の事務所に集団で乱入し、建造物侵入、器物損壊で逮捕、罰金刑。市役所からは口頭注意のみ[6]。その後まもなく、押し掛けてきたヤクザと乱闘になり、傷害罪で逮捕された[7]。
上記の傷害事件で収監中に、冤罪を訴えて無罪を勝ち取った在日朝鮮人の存在を知った。この冤罪事件に関するルポルタージュを執筆、1978年に『政経東北』に「山本弘幸」名で発表したのを皮切りにジャーナリストとしての仕事を始めた[8]。
1983年に静岡市長選挙に立候補するも落選[9]。
1984年、「世界戦略研究所」設立。機関紙『世界戦略』(タブロイド版4ページ、500円)『世界戦略情報』(B5版10ページ、1万円)を発行。
1986年10月16日に倒産した清酒安売り会社「東菱酒造」に会社整理を依頼されながら、逆に現金150万円を脅し取ったとして逮捕されたが不起訴[10]。
1991年に国家社会主義者同盟を設立し、不法滞在外国人の追放運動を始めた[11]。一方、在日朝鮮・韓国人に対しては帰化を支援するなどの活動をしていた[12]。
上記の運動がTBSの報道番組『スペースJ』で取り上げられた(1994年9月14日)ことがきっかけとなり、有門大輔と出合う(1995年)。以後、有門は瀬戸に師事、執筆活動や右翼活動をともにする[13]。
1994年2月に『環境経済新聞』を創刊[14]。
1995年から、行政通信社発行の月刊誌『政財界ジャーナル』の編集長[15]を務め、自らも多数の記事を執筆する[16]。後に、行政通信社の経営権も取得し発行人も兼ねる[17]。同じころ、行政通信社には複数のブラックジャーナリストが所属していたとされる[18]。
1997年頃には電子掲示板付きのホームページを立ち上げる。右翼団体の中では比較的早くサイトが設立され、掲示板付きも当時としては珍しかった[19]。また、この頃から多数の掲示板で自らの主張を展開する。瀬戸は、2008年に、2000年ごろの2ちゃんねるを「今のように相手を罵倒するだけの投稿ではなく、互いの立場を認め合いながら、討論を進めるだけのマナーが残されていました。今日の2ちゃんねるには残念ながら当時の面影さえもありません」と回想している[20]。
2001年に『教育レポート』を創刊[21]
2002年10月10日、東京都千代田区三崎町二丁目に本店を置く株式会社スポーツ・アイの代表取締役に就任。有門大輔もまた取締役として就任した。その後株式会社スポーツ・アイは2003年8月13日に東京地裁で破産宣告を受けた(商業登記簿による)。なお、スポーツ・アイ ESPNとはまったく関係がない会社である。
2003年8月20日、東京都千代田区外神田二丁目に本店を置く株式会社ケイバンの取締役に就任。2004年2月23日に代表取締役に就任し、2004年5月31日に取締役、代表取締役ともに退任した(商業登記簿による)。
2006年11月、維新政党・新風への支持を訴える「新風連~新しい風を求めて~ネット連合」を十数名のブロガーとともに立ち上げる[22]。
2006年秋~冬、民主党近藤昭一が朝鮮総連などが主催する集会に、議員会館使用の取り次ぎをしたことを追及・糾弾した[23]。また、在日朝鮮人である毎日新聞佐賀支局記者が、県知事記者会見で行った質問が、天皇に対して不敬であるとして新聞社に抗議を行った[24]。
2007年4月3日に維新政党・新風の党友となったことを公にし、5月21日には第21回参議院議員通常選挙(7月29日)に同党公認で比例区に出馬することを表明。7月29日の参院選では、新風の比例候補3名の中でトップの票を得たが、落選した[25]。瀬戸は結果を「言い訳が許されないほどの惨敗」と受け止め、資金力と組織力の不足を痛感した[26]。
2007年6月に「河野談話の撤回を首相に求める署名活動」を通じて西村修平と知り合い[27]、参院選以降は頻繁に行動をともにする。
2007年の参院選敗退後、支援組織の確立の必要を実感し、創価学会や女性党などを手本として、健康食品の販売組織・販路から支援者の獲得を目指すとした[28]。しかし、紹介した商品(ナノテクゼリー)には、支持者から「擬似科学的である」との批判が相次ぎ[29]、頓挫せざるを得なかった。
2007年12月、維新政党・新風副代表に就任[30]。
2008年6月6日にアイヌを先住民族として認めるよう政府に促す国会決議[31]が可決されると「アイヌ民族は同化政策によって消滅した」「過去の差別を現在から断罪するのは偏向」「自称アイヌは利権目当て」とする意見に賛同した[32]。2000年ごろの瀬戸は、アイヌのみならず琉球民族も「日本の神と言われるものとは明らかに違うものを崇めていた」と認め「土俗的宗教の重要性を再認識すべき」としていた[33]。
2008年7月以降、東村山市議朝木明代の転落死(1995年9月)が「何者かによる謀殺」である、という主張(創価学会の関与を強く匂わせるが、直接的な言及はしない)を街宣・集会・ウェブサイト・YouTube動画などで喧伝し始める(後述)。
2009年2月、瀬戸自身や西村修平らによる中国人・韓国人・創価学会員を攻撃するヘイトスピーチ街頭宣伝の動画がYouTubeで削除されている[34]ことに対し、グーグル日本支社に対して抗議を行った[35]。
2009年6月、ジャーナリストの仕事に専念するため、新風副代表を退任[36]。
2009年10月、例年ハロウィンに仮装し電車内で暴れている外国人に抗議するとして新宿駅に街宣をかけたが、仮装した外国人はほとんどおらず逆に警察に制止された。この顛末については「自分たちを逮捕するならそれが大義」とブログに記した。
2010年2月、極右ブロガーのよーめんの親衛隊発足に関して、賛辞の声をブログで表明した[37]。なお、よーめんは、自衛隊と警察によるクーデターおよび反対派の粛清(処刑)を公言している。
2010年3月、「行動する保守運動」に代えて今後は「行動する社会運動」と称すると表明した。「保守という概念では説明できない部分がある」ため[38]。
思想・主張
瀬戸は、右派・保守派の主流と自らの立場を対比する中で、行動の指針として

1.外国人移民制度を阻止して日本の国体を守る
2.底辺社会からの搾取体制を変革する
3.議会制民主主義からの脱却
の3つを挙げ、自らの主張を「『語る運動』から『行動する運動』への新保守主義」と要約した[39]。

天皇制を国家の本質と見なす史観とそれに基づく愛国の称揚
日中戦争・対米英戦争の正当化[40]
南京大虐殺・従軍慰安婦などの日本の戦争犯罪の否定[41]
小泉純一郎の靖国神社参拝を支持: 昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀への不快感を述べたとされる「富田メモ」(2006年7月に報道された)の捏造を疑って日本経済新聞社に質問状を送った[42]。また、右翼構成員が西本願寺阿弥陀堂(国の重要文化財かつ世界遺産)に刃物・小型ガスボンベ・ライターなどを携行して突入し堂内に油を撒いた事件(2005年9月2日)[43]、加藤紘一宅放火事件(2006年08月15日)[44]のように首相の靖国参拝を批判した言論を標的とした破壊活動を支持した[45]。
反共主義、反中国、反ロシア、反北朝鮮: 1997年ごろに見られたアジア主義的な主張[46]は捨てられ、現在は、中国共産党の「新覇権主義」を阻止するため、日米安保条約に基づく日米同盟関係の強化と核武装も含めた日本の防衛力強化が必要としている[47]
永住外国人に地方参政権を付与する法案への反対
日教組が日本の教育政策を隠然と支配して偏向教育を主導しているとする主張
などは、典型的な右翼的主張と同様であり、自民党・民主党の一部議員や産経新聞の論調とも共通点が多い。これらに加えて、以下のような思想・主張が見られる。

ナチズムと国家社会主義
1980年代末からの一時期「ネオナチ」を自称し、現在でもヒトラー・ナチズムへの親近感を隠さない。ホロコースト否定論[48]やユダヤ陰謀論[49]を好意的に紹介することもある。国家社会主義者を自称し、世界恐慌(1929~)に対するナチス政権の軍拡・大規模公共事業による失業者対策[50]、2007年の世界金融危機におけるオバマ米大統領の金融規制改革法案をともに高く評価した[51]。小泉内閣の主導した新自由主義路線が格差を拡大したことに批判的で、貧困層の救済[52]・企業の不正追及を標榜している[53]。

在日外国人・外国人労働者の排斥
1990年ごろから不法滞在外国人の追放運動を始めた。外国人犯罪の増加や日本人の雇用が奪われることを危惧し、外国からの移民を外来生物に喩えて「ススキが穂を揺らす日本の秋の野原の風景に、外来種のブタクサが侵入、驚異的に増殖して景色を一変させた」「外来種タンポポが在来種タンポポを全て蹂躙してしまった」と述べて「人間の場合も同様であり、一旦住み着いた人種はそこに以前から住み着いていた土着的な民族を滅ぼしてしまう」としている[54]。

2006年6月の瀬戸は、特別永住者が生じた経緯、社会の底辺で暮らす人が多いという認識、在日朝鮮人の冤罪事件を取材した経験から、在日韓国・朝鮮人に対して好意的で、特に日本への帰化を希望するものは広く受けいれるべきとした。また、北朝鮮・中国と対峙するために韓国との連携が必要と考えていたが、支持者の反応は「韓国人の本質は反日・犯罪者体質」といったもの主であった。瀬戸は「南北朝鮮と日本の反日勢力が、このような根深い対立を作った」と残念がり「日本に帰化して一生懸命頑張っている人にだけは、温かい気持ちで接してくれるように願うだけ」と結んだ[55]。しかし、同年の末には「特別永住制度は日本政府・日本人の温情に過ぎず、廃止すべき」と表明している[56]。

在日も含む韓国・朝鮮人や韓国に対してはさらに厳しい姿勢に転じ、在日特権を許さない市民の会との共同行動をひんぱんに行い、政治家の出自(帰化したかどうかだけではなく、世代を古く遡っても朝鮮・韓国・中国人の家系が混じっているか)を問題視するようになった[57]。また、在日朝鮮人の経営者が(瀬戸によると)70%[58]あるいは同じく瀬戸によると90%以上[59]を占めるパチンコ産業を健全化し、経営から(公営化などにより)外国人を追放し、資産を没収することを提案した。

極右から「行動する保守」へ
自らの立場を指すときに主に使う言葉は「極右」→「右翼」→「新保守」→「保守」と変遷している。2005~2006年ごろは「極右」と自負し、「右翼」「保守派」(瀬戸は両者をほぼ同義としていた)との違いを強調した[60]。瀬戸によると[61]、「保守」の「反共」は、共産主義からローカルな立場で「伝統・文化」を守るためのものでしかないが、「極右」の「滅共」は、共産主義を攻め滅ぼす――共産主義政権(とりわけ中国共産党)を倒し、共産主義を永久に地上より抹殺することを目指す。「反共」から「滅共」への転換が「神聖な義務」という。2007年の参院選立候補に際しては「ネット右翼」のネガティブなレッテルに挑む意味で「ネット右翼の代表として、選挙に挑んでいきたい」と述べた[62]。選挙後は、より広い層に受けいれられるべく、「行動する新保守運動」と名乗り、後には「行動する保守運動」あるいは「行動する保守」を称するようになった[63]。2010年3月には「行動する保守運動」に代えて「行動する社会運動」を使うと宣言したが、2010年後半にはほとんど使わなくなって「行動する保守」に戻った。

ネット右翼
集団での抗議行動(街頭宣伝)に加えて、ネットの活用に早くから乗り出した(#略歴を参照)。2005年6月に開設したブログ「極右評論」は、当初は海外を含めた国家社会主義・移民排斥運動の動向の紹介が主であったが、次第に右翼活動のセンター的な役割を持つようになった。2007年8月にブログ名を「日本よ何処へ」と改称した[64]。瀬戸によれば、外部勢力の影響下で反日的な世論操作をしているマスコミに対し、ネットを通じて真実に目覚めた声なき普通の市民が結集してネット右翼が形成されたという[65]。ネットを通じた情報の拡散・支持拡大に強い期待を抱き、ネット右翼に対するマスコミの偏向報道を糾弾し、ネットの規制に反対して匿名性の自由の保証を主張した[66]。瀬戸が立候補した2007年参院選では、2ちゃんねるの多数の掲示板に(既婚女性板・オカルト板を含む)に維新政党・新風のスレッドが立ち、瀬戸は「2ちゃんねるは憂国の戦場」「選挙が始まれば反日勢力との最大の激突・主戦場となる」と檄を飛ばした[67]。また、政界・企業を専門とするジャーナリスト活動と右翼活動を重ね合わせて「行動するジャーナリスト」(ブログのサブタイトルにもなっている)と自己規定している。

政治家・政党との関係
中曽根康弘を「昭和維新の志士・戦後初の右翼宰相」とたたえる著作を出し、ブログでもしばしばその発言を引用している[68]。自民党も含めて既成政党とは「買弁的な要素を持つ」として距離を置いていた[69]。安倍晋三内閣の発足に当たっては、一定の距離を保ちつつも「正しい歴史認識」「正しい歴史教育」の立て直しに期待した[70]が、安倍の訪中・訪韓などに落胆したことが、維新政党・新風からの参院選出馬につながった[71]。2007年参院選で自民党の敗北が確実視されたころから民主党への批判を強め、2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、民主党政権成立を亡国の危機と見なす論を展開した[72]。2010年夏の第22回参議院議員通常選挙では、平沼赳夫らのたちあがれ日本を応援した[73]。その他、幸福の科学・幸福実現党を比較的好意的に取り上げたことがある[74]。

地方選挙では、2007年の東京都知事選挙では石原慎太郎を[75]、2008年の大阪府知事選挙で橋下徹を[76]、2009年の千葉県知事選挙では森田健作を[77]支持した(いずれも当選)。

その他
部落解放同盟に関わる同和利権の追及、糾弾[要出典]
中国共産党が行った残虐行為や欧米列強の植民地支配を徹底的に調査し、糾弾している。[要出典]
活動と批判
主な活動はブログと街頭宣伝・集会・抗議行動、ブログを通じた物品販売である。下記のように、さまざまな論議・批判を招いている。

「ジャーナリスト」としての姿勢
「企業、政治家の不正や疑惑を糾弾するジャーナリスト」と自称し、「既存マスコミは偏向報道にしばしば言及している。しかし、ブログ記事のかなりの割合は、マスコミ報道を唯一の情報源としており、そこに自らの主張を加える体裁を取る。「常識を兼ね備えた人物ならば、書店で売られている雑誌に、デッチ上げの記事を掲載するなど、あるはずがないと考えます」とも述べている[78]。また、かつてブログで「ネットで見た物はそのまま信じる」と公言し、取材の不在と情報リテラシーの低さをコメントで批判された。[要出典]

松沢呉一・橋本玉泉らは、

都合の良い事実の片鱗のみを取捨選択して、あらかじめ決めておいた結論の体裁を整えているだけ
調べる能力・情報を見極める能力が欠落しているし、そもそも調べるということをしない
批判されると、黒幕論・陰謀論に逃げ込む
などと批判している。[79]

反中国デモ
長野の聖火リレー(2008年4月26日)では「単にチベット人に対する支那政府の虐待、虐殺を糾弾するためだけのものではない」「日本が今後独立国家として存続出来るのかを賭けての戦い」と号してフリーチベット側に加わった[80]。このとき、中国人留学生が紛失した財布を拾い、警察に届けた。6月9日の「反シナ討論大集会」で、中国人の倫理的異質性を示すために、拾得の事実と留学生から連絡・御礼が無いことを明らかにした。瀬戸は、作り話でない証拠として財布に入っていた外国人登録証・運転免許証・学生証のコピーを聴衆に提示し、犯罪になりかねない行為が大きな反響を呼んだ[81]。

2009年にはウルムチなど中国で暴動事件などについては一切触れず、オリンピックやチベット問題に便乗した売名的街宣と批判を受けた[要出典]。

食品などの販売
ブログを通じて販売する品目は健康食品(ナノテクゼリー)、リンゴ、リンゴジュース、リンゴジャム、桃、桃ジャム、宇宙戦艦ヤマトカレンダーなど、多岐にわたる。「林檎加工販売業」などと揶揄されることもある[82]。

健康食品の販売に対し向けられた批判[83]に対し、瀬戸は「緊急お知らせ 食品販売に関して執拗に私への批判を続ける人達がいるので、急遽論争をするためのブログを開設しました。批判者はここに書かないで、これからは下記ブログにコメントをして下さい」[84]と発言し、ブログ『優健美館』を開設した。しかしながら、公式ブログからリンクを切り、「2ちゃんねるなどで、このブログをけなしたり、このブログで執拗に粘着している方は、政治ブログのEmpireoftheSun太陽の帝国 さんのブログで論争していた人達です」[85]などと論争を求める者たちにレッテルを貼り、議論を一方的に打ち切ったため、批判者からは逃げだと指摘されるに至り[要出典]、10月には当該サイトを閉鎖した。

食の安全の観点から、中国食品の全面輸入禁止を求めるデモに賛意を示し[86]、自身も「シナ産の冷凍食品を何故、全面輸入禁止の措置を取らなかったのだ!?」[87]に代表されるように中国製品の危険性に警鐘をならしてきたが、同時期に「中国4000年の歴史を持つ山西省で作られた酢」を肯定的に宣伝し[88]、「中国4大酢の一つ、江蘇省(コウソショウ)の鎮江香醋(チンコウコウズ)を使用した、冷し中華スープ」[89]の紹介をおこなっている。

創価学会・公明党批判
瀬戸は、2005年ごろから公明党が小泉首相の靖国神社参拝に異議を唱えたこと[90]や池田大作の独裁体制[91]を批判し、創価学会を反天皇的なカルトと見なして創価学会・公明の排除を唱えていた[92]。日本国憲法第20条の改正の必要性を指摘し[93]、宗教法人への優遇税制を撤廃すべきとした[94]。

2006年末になると「池田大作が在日朝鮮人である」という説をしばしば取り上げるようになる[95]。2008年7月、瀬戸は「朝木明代謀殺事件の再究明」「創価学会による集団ストーカー[96]の実態解明」の二本立ての批判活動を宣言した[97]。

朝木明代謀殺説
「朝木明代(東村山市議会議員)の転落死が創価学会による謀殺であるとする説は、以前から「草の根市民派」を標榜する東村山市議・朝木直子(朝木明代の娘)と矢野穂積の主張であった。瀬戸は、最初のうちは、矢野・朝木直子と面識はなく、現職の警察官からの内部告発を得て、独自に真相解明に立ち上がった、と説明した[98]。瀬戸が街宣で述べたところによると、内部告発者は、

自殺などではなく殺人事件であり、3人の犯人と思われる人物の特定されていた
創価学会の信者と見られる検察官からの捜査打ち切りによって、真相は闇の中へと閉じ込められた
瀬戸らが問題に火をつけて騒ぎが大きくなれば、隠された真相はやがて明らかになるでろう
と述べ、協力を申し出たという。しかし、内部告発の真偽を問われても正面から答えず[99]、内部告発の裏取りをしたのか、という問いにも沈黙を守り、内部告発自体にも言及しなくなった[100]。以降、瀬戸が公開した事実は、ことごとく矢野・朝木直子から与えられたものであり[101]、活発に配布した印刷物も矢野らが発行している『東村山市民新聞』の転載が多くを占めた。矢野・朝木直子両議員の議席譲渡問題(転落死事件の背景だったとの指摘がある)[102]などに触れないことを指摘されると[103]、「議席譲渡事件も創価学会のプロパガンダ」と言う見出しの記事をブログに掲載した[104]が、本文では「自殺の理由にはならない」とする「事情通」の読者のコメントを引用したのみであった。

矢野らは、前年に同僚議員の前歴を攻撃して辞職を求める運動を始めていたが、数名のブロガーによる批判を受け、謀殺説にも疑問符をつけられていた[105]。瀬戸は批判者が創価学会関係者であると述べ、相手に否定されると「創価の手先ではないと言っているので、これから調べて見ます」と宣言した[106]が、何も起こらなかった。

瀬戸は、「集団ストーカー被害者」と自己規定するネットワーカーと連携しつつ[107]、西村修平らの同調を得て活発な街宣・ビラ撒き・ネット上での喧伝を行った。2008年・2009年には、9月1日に「命日に市民に訴える!」として東村山駅頭での集会を行った[108]。なお、朝木明代の命日は9月2日である[109]。2008年・2009年には、集会参加者の一部が、朝木明代が万引したとして被害届を出した(転落死の2ヶ月あまり前)洋品店に入ろうとして、洋品店前で待機していた東村山警察署元副署長(万引事件・転落死事件を担当していた)と争論となった[110]。創価学会ではなく、転落死と直接の関係がない一市民を標的とした行動は大きな注目を集めた[111]。2008年の集会で西村は「創価学会の4悪人」として元副署長を名指しで非難、元副署長から名誉毀損で提訴された(西村は一審敗訴後、控訴中)[112]。西村修平の主張をサイトに転載した瀬戸も、2010年5月に提訴されている[113]。瀬戸は、2010年にも9月1日の駅頭集会を呼びかけたが、直前に「根回し不足」として中止した[114]。

2010年10月、瀬戸は「内部告発」(上記)についての長い沈黙を破り「右翼団体会長・橋本剛(全國明)との親交によって警察官と接触する機会を得た」と述べたが、橋本と内部告発がどのように関係するかは明かさなかった[115]。橋本は1992年に朝木明代と同様にビルから転落死しており[116]、瀬戸によると、死の数日前に橋本と銀座のクラブで会い、創価学会がらみのトラブルに介入したことを打ち明け「カネになるどころか、命を狙われることになった」と言ったという[117]。2010年2月に瀬戸のブログで橋本の死と朝木の死を結びつけるコメントがあった。瀬戸はコメントに応答したが、内部告発については触れず、銀座のクラブでの橋本の発言も「近々大金が入る」だったとしている[118]。

著作
著書
『使途不明金 政官界を揺るがす小針暦二「福交疑惑」』 「せと弘幸」名義、笠倉出版社、1984年
『国士・中曽根康弘先生――昭和維新の志士・戦後初の右翼宰相』 自由公論社/けいせい出版、1984年
『極悪: 徳陽相銀を喰ったハイエナ軍団―政界と大蔵官僚の黒い疑惑―』全日本象牙鑑定保証協会、1985年[119]
『東南アジアの反日感情を煽る“味の素”』 展転社、1986年 ISBN 4886560237[120]
『日米友好時代は終った』 世界戦略研究所編、展転社、1987年 ISBN 4886560326
『ヒトラー思想のススメ――自然と人類を救済するナチス・ヒトラー世界観の120%肯定論』 篠原節との共著、 展転社、1990年 ISBN 4886560598
『外国人犯罪――外国人犯罪の全貌に迫る!』 世界戦略研究所、2000年 ISBN 4765612007
『パソコンソフトウェア販売会社ソースネクストの重大疑惑』 日刊中央通信社/雷韻出版、2004年 ISBN 4947737468
『ネットが変える日本の政治』 岩崎企画/コアラブックス、2007年 ISBN 4860972333
近年の寄稿
「日の丸右翼からナチズム極右へ、そして今…」佐藤卓己編『ヒトラーの呪縛』 飛鳥新社、2000年
「外国人犯罪」『GYROS』12号 2005年3月
「新たな局面を見せる外国人犯罪」『BAN』2006年11月号
「外国人犯罪ファイル」 月刊『スレッド』(晋遊舎)にて担当
「行動右翼からの転身と遍歴 私はなぜネット右翼を主張するのか!」『ネット右翼ってどんなヤツ? 嫌韓、嫌中、反プロ市民、打倒バカサヨ』(別冊宝島 ノンフィクション)所収 宝島社、2008年 ISBN 479666226X
脚注
1.^ SAGE 役員 (さ)
2.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:環境問題を考える。かつて「『環境と施設』に関わるニュースをお届け」するブログ環境経済ニュースが開設されていた。
3.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「自由か、共産(独裁)か」原点に返って・「私はなぜネット右翼を主張するのか!」(#近年の寄稿参照)
4.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:暴力と思想(日米の事件)を考える
5.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:韓国、在日問題への私の思い
6.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:労働貴族・優雅なテロリスト・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:右翼逮捕で思った革マル派の終焉
7.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:21年前の逮捕事件について。せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:暴力と思想(日米の事件)を考えるによると、瀬戸は当時25歳で、1977年ごろに当たる。
8.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:韓国、在日問題への私の思い・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:<殺人鬼>で思い出す・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:匿名ブログと事実無根記事
9.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:21年前、私も選挙に挑み金権田中追放を訴えた。
10.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:21年前の逮捕事件について
11.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:《極右》と右翼の相違点とその簡単な定義について
12.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:韓国、在日問題への私の思い・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「在日」と日本社会
13.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:若者の至純な祖国愛
14.^ (cache) プロフィール | せと弘幸 オフィシャルサイト。同名の新聞との関係は不明。
15.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:地下鉄サリン事件から14年 (前編)。前任者は今井国蔵。国立国会図書館・書誌情報によると、1997年9月以後は所蔵がない。
16.^ 「瀬戸弘幸」に関連した文献の一覧 - Weblio文献検索
17.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:【裁判】朝木明代殺害事件と私見 (1)
18.^ 敬天新聞|中川秀直氏の「ハメ撮」の思い出
19.^ ただし、書き込みにはフリーメールが無い時代にも拘らずメールアドレス入力が必須であり、IPが表示されるなど、完全な匿名ではなかった。
20.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:アナーキストさんと天皇論争
21.^ (cache) プロフィール | せと弘幸 オフィシャルサイト。国会図書館に所蔵なし。
22.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:『外国人犯罪』ご購入の御願い
23.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:衆院管理部からの回答書
24.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「在日朝鮮人記者」佐賀県・毎日新聞支局
25.^ 比例区 第21回参議院議員選挙 -ザ・選挙- 比例区 維新政党・新風
26.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:非力さをお詫びします。
27.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:河野談話の白紙撤回を求めて
28.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:ナノテク食品と販売開始のお伝え
29.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:コメントに対する再返答
30.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:維新政党・新風 副代表就任挨拶
31.^ 国連総会での「先住民族の権利に関する宣言」に基づき、過去のアイヌ差別を反省し、先住民族としての分化・地位を尊重するというもの。アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議などを参照。
32.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:日本民族単一国家論
33.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:アナーキストさんと天皇論争
34.^ 利用規約で遵守が求められているYouTube コミュニティ ガイドラインの「差別的発言 (人種、民族、宗教、身体障害、性別、年齢、退役軍人、性的嗜好、性同一性などに基づいてグループを攻撃するような発言) は認めていません」に抵触したものと思われる。
35.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:<活動報告>第二回西村裁判・八王子駅前街宣
36.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:皆様へのお知らせ
37.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:よーめん親衛隊発足に関して
38.^ 瀬戸弘幸 (2010年3月14日). “救国の社会運動について”. せと弘幸Blog『日本よ何処へ』. 2010年4月6日閲覧。
39.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:チャンネル桜関係者への反論
40.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:大東亜戦争開戦記念日など。
41.^ 例えば、従軍慰安婦については一切の強制性を否定し、「自称慰安婦という戦時売春婦達」と呼び(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:<活動報告>三鷹闘争2日目)、「河野談話」の白紙撤回を求める運動に賛同し(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:河野談話の白紙撤回を求めて)、各国大使館に非難決議(米下院121号決議など)の撤回を求める抗議行動を行った(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:民族の正義を賭けた戦い!)。
42.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「富田メモ」事件
43.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:歴史を築き守った神々に殉じた若者
44.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:加藤氏は下された“民族の怒り”を思い知れ!
45.^ ただし、創価学会徳島文化会館・三木国際交流センタービルの連続爆発事件(2008年10月13日)のように思想的背景があいまいな破壊活動に対しては、慎重に評価を避けている(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:創価会館・日中友好協会爆破事件)
46.^ 「日本人の二十一世紀へ向けた選択は西洋的〝覇道〟の道を行く国家の忠犬ハチ公として植民地支配に甘んじて行くのか、それとも、その道と決別し、東洋的〝王道〟への道を中国、朝鮮と共に進むのか、この二つではあるまいか。」―21世紀日本の選択
47.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:親米保守派は売国奴?・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「核保有は外交カード」・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:世界恐慌前夜なのか?
48.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:ホロコースト・タブーに挑戦するイラン大統領
49.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:11年前の予言「暗闇暴露」
50.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:敢えて国家社会主義を提示するなど。
51.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:資本主義と国家社会主義
52.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:政府は失業者対策を講ぜよ!
53.^ 自らも、事務所のコピー機のメンテナンス契約でトラブルが発生した際、その会社へクレームを付けた(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:21年前の逮捕事件について)
54.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「移民暴動」で報道しないタブーがある!。ただし、瀬戸は2008年までブタクサとセイタカアワダチソウを混同していた(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:変わる日本の秋・原風景)。なお、生物学者の多くは「外来種タンポポが在来種タンポポを駆逐した」という説に否定的である(小川潔 『日本のタンポポとセイヨウタンポポ』 2001年 どうぶつ社 ISBN 4886223141)。
55.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:韓国、在日問題への私の思い・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「在日」と日本社会
56.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「在日朝鮮人記者」佐賀県・毎日新聞支局
57.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:土井たか子・朝鮮帰化人説の行方・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:出自を隠す政治家
58.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「パチンコ依存症」と業界の内幕
59.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:放置されるパチンコ問題
60.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:《極右》と右翼の相違点とその簡単な定義について。。
61.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:宮崎哲弥評論家がネットを憎悪と敵視・『ネットが変える日本の政治』(251頁)
62.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:ネット右翼について
63.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:<行動する新保守運動>について
64.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「日本よ何処へ」で再スタート!
65.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「反日VSネット市民」
66.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:匿名性とプライバシー問題
67.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:2ちゃんねるは憂国の戦場
68.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:哲人型独裁政治の出現を予感させた総選挙の結果など。
69.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:<極右>の視点から見た「勝ち組」と「負け組」、買弁勢力を見抜け!
70.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:安倍晋三氏の思想と行動
71.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:ご挨拶とお願い(1)
72.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:2009年 真夏の憂鬱。ただし、瀬戸らは矢野穂積の別働隊として公明党代表太田昭宏の落選運動を行い、結果的には民主党の青木愛の当選を援助した(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:太田昭宏がブロック比例に遁走・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:チラシ配布の終了のお知らせ)。
73.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:『たちあがれ日本』を応援します
74.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「幸福の科学」とマスメディア・日刊中央通信:小池百合子さんの勇気ある決断など
75.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:祝!国士・石原慎太郎先生
76.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:橋下弁護士を応援しよう!
77.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:森田健作氏を目の敵にする創価学会
78.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:30年前の記憶が鮮明に甦る
79.^ ちいとは調べろ、せと弘幸・お部屋1644下請け操り人形
80.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:2008年4月
81.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:<活動報告>6・9反シナ討論大集会
82.^ 凪論 : せと弘幸Blog『日本よ何処へ』裁判展望 ~訴状送付先は特定非営利活動法人外国人犯罪追放運動の主たる事務所所在地~
83.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:ナノテク食品と販売開始のお伝えのコメント欄など。
84.^ せと弘幸Blog 2008年9月26日
85.^ 読者への返答
86.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:シナ・中国産の食品を全面輸入禁止せよ!
87.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:シナ・中国の問題が多すぎて困るわ!
88.^ 香醋のカプセル
89.^ 新商品紹介
90.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:公明党が靖国を語る時、忘れてはいけない過去の布教活動
91.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:「仏罰」を連発する池田大作
92.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:創価は洗脳カルト教団・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:神札は悪鬼の住み家、創価学会の教義
93.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:反創価学会学習講座1。ただし、瀬戸は「いかなる宗教団体も国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」を「いかなる宗教団体も国から特権を受ける」意味だと解釈していた。
94.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:創価・超優遇税制を撃つ!
95.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:池田太作が本名なのか!?・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:公明党の代表選挙の不可解さ?など。2ちゃんねるの書き込みなどから情報を得た。
96.^ 無名の一市民が、巨大組織により日常的に監視され、電磁波などによる遠隔攻撃を受ける、というもの。
97.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:毎日新聞社の断末魔
98.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:朝木明代さん不審死事件(2008年7月30日)
99.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:内部告発と社会正義(2008年08月17日)
100.^ 「内部告発者」をさガセ! ※脊髄反射的追記あり - 3羽の雀の日記
101.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:<活動報告>西村代表民事訴訟裁判(2009年4月15日)など。
102.^ 朝木明代#議席譲渡事件・矢野穂積#市議立候補・議席譲渡事件を参照
103.^ 創価工作員になったつもりで考える朝木明代の自殺|C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
104.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:創価学会の宣伝工作の一環
105.^ 矢野穂積#「職業差別」問題とその波紋を参照。
106.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(1)
107.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:集団ストーカーと電磁波被害
108.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:<活動報告>東村山市議・朝木明代殺害事件!・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:9・1東村山駅前街宣映像紹介・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:創価公明党に追撃の手を緩めず
109.^ 朝木明代市議万引き被疑事件・転落死事件 まとめWiki - 救急隊事件/東京地裁判決
110.^ 矢野穂積#個人を標的とした右翼の「実力行動」と草の根市民クラブを参照。
111.^ 【実況】瀬戸一派による洋品店襲撃の一部始終【転載歓迎】 - 3羽の雀の日記・或る浪人の手記 マジ最低だな・・・など
112.^ 「東村山市民新聞」の迷宮 - 西村修平・街宣名誉毀損裁判
113.^ 【速報】元副署長が元政党副代表らを提訴 - Weekly Autocrat Watcher・「東村山市民新聞」の迷宮 - せと弘幸Blog『日本よ何処へ』裁判
114.^ ・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:9・1東村山駅東口街頭活動のお知らせ・せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:お詫び
115.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:【裁判】朝木明代殺害事件と私見 (1)
116.^ 橋本剛(全國明): オフイス・マツナガのブログ!
117.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:【裁判】朝木明代殺害事件と私見 (2)
118.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:御主(おぬし)も悪(ワル)よの~。対創価学会街宣名誉毀損裁判:瀬戸は日暮れてスタコラサッサ、そして貝になるクロダイくん - 3羽の雀の日記にコメント及び瀬戸の応答の抜粋がある。
119.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:【裁判】朝木明代殺害事件と私見 (2)
120.^ せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:投稿コメントに感謝します

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最終更新:2010年10月12日 19:02
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