たんぽぽ舎です。【TMM:No997】転送歓迎です1995年1月16日の阪神大震災は、日本人への警告◆地震で原発が危ない、原発惨事を予防せよ、と柳田 真(1)1995年の1月と12月に二つの大きな災害今をさる15年前=1995年は、日本列島の将来に大きな警告を発した年であった、のではないか、としきりに思う。それは1月と12月に起きた二つの大きな出来事、1月16日の阪神・淡路大震災(兵庫県西部地震、マグニチュード7.3)と12月8日のニセ・高速「増殖」炉「もんじゅ」原発のナトリウム洩れ大事故の発生である。(2)阪神淡路大震災(6000人強の死者)は、“日本が地震列島であること”を太平になれた日本人に再確認させた。同時に、日本列島が「50年間の地震平穏期」から地震活発期へ移ろいつつあることも示した。東海地震の提唱者=神戸大名誉教授 石橋直彦氏曰く。日本列島は地震活動期に入った。原発が危ない、「原発震災」を防げ。緊急で第一級の国家的課題だ、と。新しい単語=原発震災は以降、心ある市民によって、日本の原発を止めよう運動の1つの大きなスローガン、目標となり、運動関係者を激励督促し続けている。(3)1995年12月8日、福井県敦賀市の半島の先端にある特殊原子炉「もんじゅ」が、ナトリウム爆発を起こした。主管する動燃のウソは有名になり、「うそつき動燃」の名が広まった。(現在は、原研と合併し、日本原子力研究開発機構という11文字の名になっている。略称は、原子力機構)この事故の調査を命じられた動燃職員西村成生氏は「謎の死」を遂げた。遺族の西村トシ子さんは、「夫は、殺された」として、もんじゅ西村裁判を起こし闘い続けている。たんぽぽ舎も応援する会に参加し協力している。「もんじゅ」は、事故後の14年半後=2010年5月に多くの反対の声を押し切って強行再開したが、再開以降、トラブル続き、故障警報なりやまずであったが、遂に、8月に12メートルの長さで、重さ3.3トンという大重量物を原子炉内へ落下させてしまうという、大変な事故を起こした。原因は東芝の設計ミスという(14年前も東芝のミス)「落下物を引き上げることはできる」と楽観論を豪語していた原子力機構だが、20数回やってみていずれも失敗、「今後の対策が立たず」という惨状である。(強引にフタごと取り外す大がかりな工事を計画しているが、これは、超危険で惨事と紙一重になることが指摘されている)(4)15年前の二つの事故、1月の中型の地震と12月の「もんじゅ」原発事故は日本人に大きな警告を与えた重大な「できごと」だと思う。それは、日本人に地震列島の日本をあらためて想起しなさい、安逸に流れずに地震対策を全力で進めて人命を守れ、と。又、地震大国日本で原発はあまりにも危険だ。一刻も早く危険な原発はやめなさい。原発がなくても電気は足りる。電気は、別の方法=水力、火力、再生エネルギーで十分作れる。それにプラスして節電すれば可能だと。天が日本人へ与えた「最後の警告」ではないのか!!(5)15年前の二つの警告は、私たち原発廃止をめざす運動に多くの根拠と確信を与えた。私たちは、より多くの人々と協力して、地震研究会や「もんじゅ研究会」(核開発に反対する会)等を造り、従来に数倍する人々と共に、日本原発の廃止に向けて運動を強化してきた。私たちと多くの人の協力プラスαで、東海地震が心配される浜岡原発1号機、2号機の廃止は実現したが、それ以外では、大きな前進は勝ち取れていない。民主党政権は逆に、自民党、公明党政権でも「自制」してやらなかった原発輸出(放射能輸出)をガンガン取り組んで、原発惨事、核(原爆)拡散に協力している。大変残念な事態が進行している日本の反原発運動は有効にこれを批判できていない。1995年の日本人への「最後の警告」が生かされていない。今後、心配される地震―原発大惨事―日本滅亡を避けるため、私たちは全力を尽くしたい。その1つとして、原発反対自治体議員連盟(準備会)が、1月28日に生まれる。“希望の芽”を共に育てて行こう!(2011年1月16日 記)
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