「無理…だよね、やっぱり」
何気ない口調で呟いてみたものの、迫り来る恐怖から声が震えるのはいかんともしがたい。
パニックにならないのが、今のさゆみには精一杯だった。
周囲には、まったく人の気配はない。
当然だった。
さゆみが今「居る」のは、おそらく湖の真ん中なのだから。
おそらくというのは、靄で霞んで周囲がよく見えないからだ。
さゆみに見えるのは、そのどこまでも続く白の世界と、地面の代わりに広がる水面、そこに浮かんだ小さなボート、そして―――
ジャラ―――
自身の右足首から短く伸びる鎖をもう一度引っ張ってみる。
コンクリートらしき塊に繋がれたそれは、相変わらず冷たい金属音を立てるだけで、当然切れたり外れたりはしてくれなかった。
その足元で、チャプチャプと静かながら不穏な音が間断なく続いている。
ボートに少しずつ、しかし確実に侵入を続ける湖水は、既にさゆみの靴の半分以上を濡らしていた。
「あーあ、こんな死に方ってあんまりだよ」
諦めたようにため息を吐いてみる。
水が浸入を続け、ボートが浮力を保てなくなったとき―――その瞬間は訪れる。
泳げないわけではないが、一抱えもあるコンクリート塊を足に繋がれたまま、見えない岸まで泳ぎ着くのはまず不可能だろう。
日々の中、死を覚悟していなかったわけではない。
だけど、誰にも看取られず、誰も知らないところでひっそりと死んでいくのはあまりにも寂しかった。
「苦しいだろうな……」
できるだけ見ないようにしていた湖面に視線をやる。
澄んだ美しい水を湛えながらも、その底は光の届かない闇に沈んで窺い知れない。
もうすぐ、自分はその闇の中へと連れてゆかれるのだ。
二度と浮かび上がっては来られない、暗く深い闇の底へ。
涙が滲んだ。
恐怖というよりも、やはりそれは耐えきれないほどの寂しさからくるものだった。
最期の瞬間を独りで迎えなければならない切なさで、鼻の奥がツンと痛くてたまらない。
幼い時からずっと抱え続け、そしてここのところは久しく忘れていた感情。
孤独というものがこれほどに辛いものだということを、さゆみは痛いほどに思い出していた。
さゆみの孤独を癒し、闇の中から救い出してくれた仲間たちの顔が、水面に次々浮かんでは消えていく。
「絵里……愛ちゃん……れいな……ガキさん……小春ちゃん……ジュンジュン……リンリン……愛佳……」
その名を呟いてゆくさゆみの脳裏に、かつて過ごした日々が駆け抜けてゆく。
これが走馬灯ってやつなんだな…とぼんやりと考えるさゆみの耳に、自分を呼ぶ声が微かに聞こえ始める。
幻聴まで聞こえるんだと妙な感心をして薄く微笑んだとき―――今度は幾分はっきりと聞こえた声が、さゆみを現実へと引き戻した。
「道重さん!いますか!?いたら返事をしてください!道重さん!」
先ほどまで頭の中に響いていた声とは違う声。
同時に、先ほど思い浮かべていた顔とは違う顔。
「鞘……師…?鞘師!鞘師なの!?いる!ここにいるよ!」
声の聞こえてきた方と顔を向け、叫ぶ。
「今」のさゆみの孤独を癒してくれている、かけがえのない仲間の方へと向かって。
「道重さん!無事なんですね!よかった!」
今しがたまでの必死な声から一転して、明るく華やいだ声が返ってくる。
わずかに湿っているようにも感じるその声は、白く立ち込める靄の向こうで里保が浮かべているであろう表情を物語っていた。
「無事だけど…ヤバいかも!ヤダ!沈む!沈むよっ!」
いつの間にか足首を越えて上がっていた水の冷たさに我に返り、さゆみは思わず悲鳴を上げる。
後輩の手前、冷静に構えなければという余裕もなかった。
まるでさゆみが叫んだのが合図になったかのように、ぐらりとボートが傾ぐ。
既に水面にかなり近づいていた縁から、水が一気に流れ込んだ。
一瞬だった。
短い悲鳴と共に、さゆみは湖へと投げ出された。
自分の体が水面を叩く音が聞こえ、次の瞬間にはゴボゴボという鈍い音に変わる。
必死で開けた目に、自分の吐き出した泡が立ち上っていく様子と、それが到達して弾ける水面がどんどん遠ざかっていくのが映る。
闇の底から伸びる手に掴まれたように、体がどんどん闇へと引きずり込まれ落ちていく。
静かで、それでいて圧倒的な絶望にさゆみが飲み込まれそうになった刹那―――
闇の手が断ち切られ、代わりに光の手が自分の体を引き上げるような感覚を、さゆみは覚えた。
一瞬の後、さゆみの体は水面から勢いよく飛び出す。
「え?うそ?え?きゃあっ!」
そしてさらにその一瞬後、さゆみの体は再び下へと向かって落ちた。
派手な水音と衝撃が伝わり、目や鼻からまた水が入ってくる。
慌てて体勢を立て直して顔を水から上げ、噎せ返るさゆみの背中に温かい手が触れた。
「ご、ごめんなさい、道重さん。夢中で加減が上手くできなくて……」
次いで、そのまま背中をさするようにしながら、その手の持ち主―――里保が謝罪をする声が耳に届いた。
「よく分かったね、ここ。…っていうか私もここがどこか分かんないんだけど」
まだ少し咳込みながら、さゆみは振り返る。
そこには、普段あまり見ることのない表情を浮かべた里保の顔があった。
「フクちゃんの接触感応(サイコメトリー)で辿ってもらったんです」
「そっか。じゃあフクちゃんもいるの?」
「…いえ、一人で来ました。そのー…」
「さゆみのカッコ悪い姿を他のみんなに見せないように気を遣ってくれたんだ」
悪戯っぽく笑いかけると、里保は「いや、そういうわけじゃ…」と困った顔で口ごもる。
「ありがとう、鞘師」
そんな里保に、感謝の言葉を心から述べる。
「正直、もうダメだと思った。だから鞘師の声が聞こえたとき……本当に嬉しかった。…嬉しいとは違うか。何て言っていいかわかんないけど」
あのときの気持ちを言葉に表すのは難しい。
死の淵から救われたというその事実よりも、もっと深いところで心が救われたようなあの感覚を、どう表現すればいいのか。
「約束したじゃないですか、傍に居てくれるって。まだ死んでもらっちゃ困ります」
言葉を途切れさせたさゆみの耳に、生意気げな響きを含ませた声が届く。
目を上げた先にあった表情に、思わず吹き出す。
「めっちゃドヤ顔じゃん、鞘師」
「だってわたし、道重さんの命の恩人ですから」
ドヤッと胸を張る里保の周囲で、チャプチャプと水が音を立てる。
先ほどまで不吉で禍々しく感じられたその音は、今は不思議に温かく、心地よく聞こえた。
・・・サユリホナント2
从*・ 。.・)<ところでどうやって来たの?
ノリ*´ー´リ<フクちゃんが高橋さんの能力で飛ばしてくれました
从*・ 。.・)<じゃあどうやって帰るの?
ノリ*´ー´リ<………
从*・ 。.・)<ねえ、どうやって帰るの?
ノリ*´ー´リ<………
投稿日:2013/09/25(水) 17:27:30.19 0
最終更新:2013年09月26日 18:52