(84)430 名無しサユリホナント(シリアスタッチ)




    refer to 『your side』



「おかえり、鞘師」
「あれ?どうしたんですか、道重さん。今日はお店お休みのはずじゃ…?」

帰ってきた里保をカウンターの中から迎えたさゆみに対し、首を傾げる。
たった今閉めたばかりのドアの外側にも、間違いなく「CLOSED」の札が掛けられていた。

「ここでずっと愛しいキミの帰りを待ってたんだよ……なーんてね。ほんとはちょうど何か飲みたくなっただけ。鞘師も何か飲む?」

ふざけようとして途中で恥ずかしくなったらしく、少し顔を赤らめながらそう聞いてくる。

「あ、はい。じゃあサイダーをお願いします」

最後までやりきれないなら最初から言わなければいいのにと思いながら、里保はそう答えた。

「いつもそれだね鞘師は」と笑い、さゆみはサイダーの瓶を取り出すため冷蔵庫に向かう。
やがて、カランカランとグラスの中で氷が跳ねる音が、続いて炭酸の泡が弾ける音が、カウンター越しに聞こえてきた。

「お待たせ」
「すみません、ありがとうございます」

シュワシュワという心地いい音が、そしてさゆみから香る微かな芳香が、泡を生み出し続けるグラスの中の透明な液体と共に里保に届く。

「前、座ってもいい?」
「もちろんです」

里保が座ったテーブルの反対側の席を指すさゆみに頷きを返すと、氷の浮かんだ飲み物のグラスが置かれる。

「道重さんもいつもそれですね」

緑茶らしきそのグラスの中身を指差し、さっきの仕返しとばかりにそう言ってみる。


「うん、緑茶大好きだからね。冷たいのもあったかいのも」

逆に嬉しそうな顔をしながらそう言うと、さゆみはグラスを持ち上げて傾けた。

「ん~~おいしーぃ」

そして、ハートマークさえ飛びそうな表情と声で、そのおいしさを表現する。
それもいつも通りだった。

苦笑いしながら、里保もグラスを口に運ぶ。
そして、くいっと傾けた。
泡立つ透明な液体が、喉の奥へと滑り落ちていく。

ゴクリと喉を鳴らしながらサイダーを飲み込み、グラスをコースターの上に戻したと同時に―――さゆみが口を開いた。

「……飲んだね?鞘師」

その声は、先ほどまでの信頼し合う者へと向けるそれとはまるで違い、どこまでも冷たく平坦だった。

「飲みましたけど……それが何……ッ!!」

言葉の途中で、喉を抑える。
立ち上がりかけ、椅子を引いたところで里保はそのまま床へと倒れた。

「もう立てないんだ?想像以上に効くみたいだね、あのお薬」

そう言いながらさゆみもゆっくりと椅子を引き、立ち上がる。

「無駄だよ鞘師。能力阻害の効果もあるお薬だから。痺れる体でせっかく頑張ったのに残念だけど」

必死に腰のホルダーへと手を伸ばす里保を嘲笑うように、さゆみはそのすぐ脇に立つ。
白く、すらりとした脚が置かれたその床を、里保が震える手で開けたボトルから漏れ出す水が濡らしていった。

「どう…して……?道重…さん……」

床に倒れたまま、傍らに立つさゆみへと途切れる声で問いかける。

「どうして……か。きっと鞘師みたいな子には言っても分からないよ。わたしが抱えてる重さなんて」
「おも……さ…?」
「ずっと手を取り合ってきた仲間は誰もいなくなった。誰にも支えてもらえない。でも支えなきゃいけない。…疲れたの。疲れたんだよ、さゆみはもう」
「ごめん……なさい…」

頭を抱えるさゆみに、里保は掠れた声で謝罪の言葉を口にした。

「道重さんの…思いに…気付け…なくて……わたし……道重さんのこと…ずっと…好きだった…のに……」
「鞘師……ごめん、ごめんね」
「いい…んです……道重さんに…殺されるなら……でも……でも……最後に……思い出を……ください……」
「思い出……?」

涙を浮かべるさゆみに、里保ははにかんだような微笑みを向ける。
そして小さく言った。

「お別れの……キスを…」

驚いたような表情を浮かべ、少し逡巡する様子を見せた後、さゆみはそっと頷いた。

「わかった。いいよ」
「ありがとう……ござい…ます…」

苦しげにしながらも嬉しそうな笑みを浮かべる里保の口元に、さゆみの顔が近づいてくる。
さゆみの赤い唇が、その少し下にあるほくろが、里保の視界の中で広がっていく。
里保の頬に触れたさゆみの髪から、ふわりと甘い香りが届いた。


「うっ……ンッ!?」

唇と唇がまさに触れ合いかけた刹那―――さゆみの体が跳ね上がった。


「……飲みましたね?“道重さん”」

ゆっくりと立ち上がりながら、里保は先ほどのさゆみの言葉をそのまま返す。
その声は、先ほどまでの途切れがちな弱々しいそれとはまるで違い、凛とした響きを持っていた。

「鞘師……あんた……ぐぅッ!」

さゆみの表情が歪み、その体が床に崩れ落ちる。
喉を抑えて悶えるその姿は、さっきまでとはまるで別人のようだった。

「最初から飲んでなかったんですよ。水念動能力(アクアキネシス)でボール状にして飲み込んだだけで。それを今、あなたにプレゼントしたんです」
「どうして……どうして…分かった……!」

凄まじい形相で床から見上げてくるその顔は、もはや道重さゆみのものでは完全にない。

「薬には能力阻害の効果もある……でしたね。変身系の能力者か。…でも、単なる変身じゃない。どこからどう見ても、話をしても……まぎれもなく道重さんだった」
「そう…私の能力は…一人の人間を…完全に複写(コピー)できる……。見た目も……声も…匂いも…癖も……記憶でさえも……。なのに……なぜ……!」

里保が「口移し」したサイダーに含まれていた薬品に蝕まれながら、さゆみでなくなった女は言葉を吐き出す。
自身の能力によほどの矜持があったのだろう。
里保を害することに失敗したことよりも、今自分が死の淵に沈んで行きつつあることよりも、“複写”を見破られたことが何よりも屈辱であるらしい。

「わからない。うちにも」


だが、血を吐くような女の問いに、里保は一言短くそれだけを返した。
それが、まぎれもない事実であったし、素直な心情だった。
親しい人と会話する際の一人称が知らず出たことに、自分でも気づかないほどに素直な。

「わか…らない…?ふざ…ける…な!」

荒い呼吸の中、血走った目で女は里保をに睨み殺さんばかりの視線を突き刺す。
女にとって、これ以上ない侮辱の言葉だったのだろう。


「……道重さんの記憶を共有していたなら、わからないというその意味が分かるはずです。道重さんがあの夜、わたしに言ったことだから」


  ――鞘師はちゃんと、気付いてるよ。私の気配も、皆の気配も。体じゃなく、此処で――


その声が、そしてそのときに感じた自分の鼓動が胸の中に蘇る。
あの夜さゆみが言ったことは、まだ完全にこの胸の中に落ちてきてはいない。
だから、はっきりとは分からない。

だけど、はっきりと分かることもある。
その、はっきりとは分からない何かが、里保に違いを気付かせてくれた。
きっと“複写”することはできない、かけがえのないこの世で唯一の―――「何か」が。


「道重さんは……どこですか?」

里保の問いに、女は引き攣った笑いを浮かべる。

「探し…なよ……必死で…さがせ。まだ…生きては…いる……。いつ…までもつか……しら…ないけ……ど…な……ふふ……は……」


最後に捻じれた笑顔を浮かべ、女はこと切れた。

唇を噛む。
女の言葉がどこまで真実かは分からないが、急いだ方がいいのは間違いない。

「死んだりしたら許しませんよ、道重さん。傍に居てくれるって約束したんですから。……死なせません、絶対に」

言葉と共に息を吐き出し、携帯電話を手に取る。
その目には、決して闇に呑まれない「希望」と「決意」の色が光っていた。


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ノリ*TーTリ□<も、もしもし!フクちゃん?フクちゃ~~ん!道重さんが…道重さんが~~!うわぁ~~~ん!

ノノ∮‘ _l‘)□<おちつけ




          ・・・サユリホナント






投稿日:2013/09/21(土) 12:26:50.86 0
















最終更新:2013年09月22日 16:28