日章旗と君が代

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はじめに

 その日章旗は、引きずり降ろされた。

 引きずり降ろしたのは、教師の根津公子。彼女は、平成6年(1994)3月、東京都の八王子市立石川中学校の卒業式で、壇上に掲げられてある日章旗を、引きずり降ろした。これにより東京都教育委員会から減給処分を受けたが、復帰後も、勤め先の学校で、同じことを繰り返し、これまでに合計11回も、処分を、受けている。

 これら処分に対し、根津は、「私が、立たなかったことで、誰が、迷惑を、受けましたか」「私は、間違っていると思うことには、命令されても、従えないのです。」などと、持論を、展開した(ウェブサイト『根津公子さんのページ』内の写真 より引用)。

 驚くべきことに、日本全国の学校には、根津と同じく、日章旗・君が代に対して、無礼な態度を示す教師が、たくさんいる。本稿は、それらの教師の言い分を、糺すためものである。

目次


学校の式典で、日章旗・君が代に対して、起立すべき理由


国民的結束の維持に、必要だから

 米沢藩の第9代藩主である上杉治憲(はるのり)は、

 国家は先祖より子孫へ伝へ候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
(現代語訳)
 国家は、先祖から子孫へ伝えるものであり、自分だけの物にしてはならない。
――第9代米沢藩主 上杉治憲(うえすぎはるのり) 『伝国の辞』より

と述べている。また、イギリスの政治家であるエドマンド=バークは、

 国家は、現に生存している者の間の組合たるに止まらず、現存する者、既に逝った者、はたまた将来生を享く(うく
)べき者の組合となります。
――イギリスの政治家・保守主義の父 エドマンド=バーク 『フランス革命の省察』より

と述べている。

 彼らが、述べるように、国家というものは、先祖より受け継ぎ、子孫へ伝えるものなのである。ゆえに、今 生きている国民は、国家を、無事に、子孫へ継ぎ渡す義務がある。そのためには、各々の国民が、国家とのつながりを切り離され、原子的個人に分解されることが、あってはならない。そのために、国民的結束を涵養・維持・強化するものが要るのだ。

 立教大学の別枝篤彦 名誉教授は、国旗・国歌について、

 国民の視覚・聴覚など感情的な面に訴えて自国の独立性を強調し、またそれによって国民的結束の強化をめざす
目的をもつ
――『季刊教育法』昭和60(1985)8月臨時増刊号「日の丸・君が代特集」所載

と、述べている。

 まさに、国旗・国歌こそが、国民的結束の涵養・維持・強化の役割を、担っているのである。

国旗・国歌の取り扱いに関する、普遍的な礼儀作法を、身につけるため

 挨拶・お辞儀・握手などは、相手に対して敵意が無いことを、表すためのものといわれている。これと同様に、国旗・国歌に対する起立・脱帽などは、その国に対して敵意が無いことを、表すためものといえる。その証拠に、国旗・国歌に起立・脱帽などをしなかったために、顰蹙を買った例がある。それは、以下の通りだ。

国旗・国歌へ起立・脱帽しなかったために、顰蹙を買ってしまった例

里谷多英 (モーグル選手)
 平成10年(1998)2月、長野オリンピックにおいて金メダルを獲得した里谷選手は、国旗掲揚のとき、帽子を取りませんでした。三位のノルウェーの選手は、即座に帽子を取ってきちんと胸に当て、国旗を、仰いでいました。この二人の対照的な姿が、テレビに、映し出されため、物議を、醸しました。
――大和撫吉 著 晋遊舎 刊 『日狂組の教室』より
K君 (青年海外協力隊員)
 事件が起こったのは、夕方の六時ちょうどでした。どこかで笛の音がピーッと鳴るのを聞きました……笛の音は、子供の笛ではなく、国旗降納の合図だったのです。ケニア国民は直立不動の姿勢をとらねばならず、また外国人とて同じです。(しかし)私は起立もせずに下を向いて仕事を続けていました。すると、三方よりライフル銃。頭から血が下がって行くのが自分でも分かりました。……役場へ連行されましたが、言葉なんて出るわけがありません。……“気をつけよう、朝夕六時の笛の音”
――『クロスロード』 昭和58年11月号所収 「国旗についての十二章」より

 また、国旗・国歌への侮辱に対し、厳しく対処している例もある。

国旗・国歌への侮辱に、厳しく対処している例

メキシコ
 国旗は大変神聖なものとされていて、神聖なものをTシャツにして身につけるという事が国自体を侮辱しているという風にとらえられるのです。
――ウェブサイト『世界一受けたい授業 』より引用
日本
 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
――刑法第92条 外国国章損壊罪 第1項より引用

 なぜか、我が国では、外国の国旗を侮辱すると罪になり、日本の国旗では罪にならないことに、なっている。

その他、国旗・国歌への尊重義務、または、国旗・国歌を故意に侮辱した者への制裁を明文化している(いた)国の一覧
  • 中国
  • 韓国
  • アメリカ
  • インドネシア
  • エジプト
  • イスラエル
  • イタリア
  • カナダ
  • ギリシア
  • タイ
  • ドイツ
  • スウェーデン
  • フィンランド
  • フランス
  • ハンガリー
  • チェコスロバキア
  • ユーゴスラビア
  • ソビエト
――所功 著 東京堂出版 刊 『国旗・国歌の常識』、文部科学省公式ウェブサイト「4 諸外国における国旗、国歌の取扱い」 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm、岩波ブックレット『世界の国旗と国歌』、47NEWS http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003012601000027.htmlを参考

国旗・国歌を尊重している例

アメリカ
平成元年9月 国旗・国歌に対する意識と態度調査――日米比較―― 日本青少年研究所調べ
日本 アメリカ
自国の国旗・国歌に対して起立する高校生の割合 25.6% 97.2%
外国の国旗・国歌に対して起立する高校生の割合 17.3% 93.4%
イギリス
 ある晩、酒場の隅でラジオがその日の議会開院式の勅語の録音放送をやっていました。(中略)バーレィ先生(反王制社会主義者)は大むくれ、勅語にひどい罵声を浴びせていました。そして(勅語が)終わると……ラジオが国歌の演奏を始めました。と同時に、この国の習慣として、あらゆる人間が弾かれたように起立し、眉一つ動かさず直立不動の姿勢をとりました。田舎(ケンブリッジの近く)の酒場のことですから、風体のおかしなものや言動の粗野な人たちもいましたが、国歌演奏の間だけは、ぐっと顎を引きピタリと正面を見据え、実に立派でした。終わると……一同……“国王陛下”(当時はジョージ五世)と叫んで乾盃、あとはいつもの通り賑かに談笑が続きました。
――池田潔 著 読売新聞社 刊 『教師のらくがき』より抜粋

 このように、世界は、国旗・国歌を、大事にしているのです。したがって、この先、国際化してゆく中で、国旗・国歌に対する礼儀を知らずに育った児童・生徒が世界を渡り歩けば、日本人が世界中で恥をかくことになります。当然ながら、恥をかくようなことは、あってはなりません。ゆえに、学校教育で、児童・生徒を対象に、国旗・国歌への起立を、実施すべきであり、そのためには、児童・生徒の手本となるべき教職員が、起立を率先してやらなければならないのです。

日章旗・君が代反対派の傾向と対策

「君が代は、皇室を、賛美しており、国民主権と相容れない。」と言われたら

 君が代が皇室を賛美しているのは、その通りである。しかし、皇室を賛美したからといって、なぜ、「国民主権と相容れない」と言えるのか、わからない。ゆえに、この論理は、こじつけと言わざるを得ない。

 では、君が代の歌詞から見てゆくことにしよう。君が代の歌詞は、以下の通りである。

君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで

 「君が代」の「君」と「代」とは、いったい何なのだろうか。京都産業大学の所功 教授は、

(君が代を詠んだ和歌を見ると、「君」は、)明らかに天皇をさす場合もあるが、同時に高い身分の人なら誰彼なく使
われている
――所功 著 東京堂出版 刊 『国旗・国歌の常識』 127,8頁より抜粋

と述べており、さらに、国語学者の山田孝雄 博士は、

年寿を世といふは、竹の両節の間を“よ”といふ意から推して知らるゝこと
――山田孝雄 著 宝文館 刊 『君が代の歴史』より抜粋

と述べている。年寿とは、寿命のことである。

 また、「千代に八千代に」「細石」「巌」の意味は、以下の通りである。

ちよに八千代(やちよ)に
 千年の上にさらに幾千年も加えること。千年も万年も。永久に。

さざれ-いし 【細石】
 小さな石。小石。さざれ。さざれし。ささらいし。

いわ-お 【巌】
 大きな岩。

――全て、『日本国語大辞典』より引用

 これらのことをまとめると、君が代の歌詞は、以下のような意味と解すべきだろう。

天皇陛下の御寿命よ、いつまでも――、小さな石が大きな岩になり、それに苔が生えるほどにまで――、(続きますように)。

 天皇陛下の御長寿を願うことが、どうして「国民主権と相容れない」のだろうか。どこにもそんな文言は無いだろう。

「『小さな石が大きな岩になる』なんて、非科学的だ」と言われたら。

 君が代の歌詞にでてくる「細石の巌となりて」は、たしかに、「小さな石が大きな岩になる」という意味であり、一見、非科学的に聞こえます。

 実は、この「細石」の由来になったとされる石が、文部科学省のビルに、展示してあります。そして、そこの説明札には、こう書いてあります。

この石は学名を石灰質角礫岩と言う。石灰石が雨水に溶解して、その石灰分を含んだ水が時には粘着力の
強い乳状体となり、地下において小石を集結して次第に大きくなる。やがてその石が地上に出て、国歌に
詠まれているように、千代に八千代に年を経てさざれ石の巌となりて苔のむす、その景観誠にめでたい石
である。全国至る所の石灰質の山に産する石であるが、特にこの石は国歌発祥の地といわれる岐阜県揖斐
郡春日村の山中にあったもので、その集結の過程と状態はこの石を一見してよく知ることができる。
――ブログ『一足の草鞋 』より引用

 要するに、「小さな石が大きな岩になる」というのは、「小さな石灰石の集まりが雨水で溶け合って固まった」ということを、表しています。このことは、全く、非科学的なことではないでしょう。

「日章旗・君が代は、軍国主義の象徴だから、掲揚・斉唱・起立してはならない」と言われたら。

 たしかに、大東亜戦争期において、日章旗・君が代は、軍国主義を煽るために、使われた。しかし、たった一度や二度ぐらいの経験をもってそれを一般論とするのは、「早まった一般化 」という詭弁である。つまり、「日章旗・君が代の掲揚・斉唱・起立は、軍国主義を煽ることにも なり得る 」ということに過ぎないのであって、「軍国主義を 必ず もしくは 高い確率で 煽る」ということではないのだ。

 では、「なり得る」からといって、それを中止したりすべきなのであろうか。例えば、包丁は、殺人事件において、凶器に なり得る 。しかし、だからといって、「包丁の使用を中止せよ」というのは、おかしいだろう。なぜなら、包丁は、人殺しのため だけ に使う刃物ではないからだ。これと同様に、日章旗・君が代も、軍国主義を煽るため だけ に使われる国旗・国歌ではない。ゆえに、「日章旗・君が代の掲揚・斉唱・起立を中止せよ」というのは、おかしいのだ。

 ちなみに、「一度の失敗に懲りて、必要以上の用心をする」ことを、ことわざで、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という。 

「日章旗・君が代に対して起立を強制するのは、思想・良心の自由を、侵すことになる」と言われたら。

 憲法学者の芦部信喜は、著書『憲法』の中で、思想・良心の自由の意味について、以下の二点を、挙げています。
  • 国民が、いかなる国家観、世界観、人生観をもとうとも、 それが内心の領域にとどまる限りは 、絶対的に自由であり、国家権力は、内心の思想に基づいて不利益を課したり、あるいは、特定の思想を抱くことを禁止することが、できない。
  • 国民がいかなる思想を抱いているかについて、国家権力が露顕(disclosure)を強制することは、許されない。すなわち、思想についての沈黙の自由が、保障される。
 国旗・国歌に対する不起立は、内心の領域に、とどまるのでしょうか。国旗・国歌に対する嫌悪感などを、内心に持つのは、自由ですが、それを不起立という行為によって表すことは、内心の領域を、超えています。では、国旗・国歌に対する起立の強制は、露顕の強制に、なるでしょうか。平成19年(2007)6月20日の東京地方裁判所判決では、国旗・国歌に対する起立は、特定の思想の表明することには、ならないとしています(国旗及び国歌に関する法律 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%97%97%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E6%B3%95)。したがって、露顕の強制には、なりません。

 また、法学者の竹之内一幸・橋本基弘両博士は、共著『地方公務員法の解説』の中で、地方公務員の職務命令服従義務について述べています。
職務命令服従義務
この義務は、行政組織上の指揮系統に基づき、職務命令を発しうべきものの発した命令が、命令とおりに、誠意をもって、かつ最
善の方法により実行されなければならないことを意味するものです。それゆえ、 職員は自分の考えと異なる命令である場合でも、
職務上の上司から発せられた命令には従わなければなりません。 ただし、命令が明らかに違法又は公序良俗に反する場合や、物
理的に不可能な場合には従う必要はありません。
 これによると、地方公務員は、自分と考えが異なる命令であっても、上司の命令には服従せねばならないのです。したがって、国旗・国歌に嫌悪感を持っていようとも、上司の命令には従わねばなりません。

「日章旗・君が代に対して起立を強制するのは、人権を、侵すことになる」と言われたら。

 法学者の阪本昌成博士は、こう述べている。
○武山小委員
 世間一般に、人権人権と言って、本当に権利を主張している人が大勢いるわけです。最近の新聞の中で、公立の
学校の音楽の先生が、卒業式に国歌斉唱の伴奏をしなかったというわけです。それで、教育委員会も処分をしな
い、県も処分をしない。ここ数年そういう状態が続いた。その先生は、私は、国旗掲揚、国歌斉唱に、人権を無視し
て反対だということで、音楽の先生としてピアノを弾かなかったということが新聞記事に出ておるんですけれども、こう
いう場合の人権と、先ほどお話しの公法という意味、国家、市民社会という意味では、どう先生は位置づけておりま
すでしょうか。
○阪本参考人
 それは公立高校ですね。
 我々の生活は、市民社会において活動する場合と、ある組織体に入って生活する場合とあります。私は公務員
で、国立大学の中で勤務するときにはその階層構造にあって、公務員であるがゆえに私の持っている市民的自由は
当然に制約されるという局面にあります。そういうのを、従来の法学では特別権力関係と呼んできました、または特
殊な法律関係。
 我々がある組織に入りますと、一般的な市民自由をそこでは断念して、その組織にふさわしい、その秩序の中で
生活をしないといけない。人権の問題というは、組織以外で我々が一般的に生活をしているときに、私は国歌・国旗
に対して反対だ、こういう自由を主張するのならばいい。ところが、学校という組織の中に入って一定のヒエラルキー
構造にあり、一つの役割を背負った人間が市民社会における権利主張をここでするということは間違っています。
 組織の中における行動と市民社会における行動というものは、人権主張の程度、やり方が違っているということを
大学では教えるはずなんですが。

――衆議院 公式ウェブサイト 「第154回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第3号(平成14年4月11日木曜日)


「諸外国には、学校で国旗・国歌を掲揚・斉唱する習慣は、無い」と言われたら。

 「Xは、多数派である。多数派は、正しい。故に、Xは、正しい」という論証は、多数論証 という詭弁の一種です。この主張は、多数論証に、当たります。この多数論証が詭弁でないならば、「諸外国の憲法には憲法9条のようなものは無い。ゆえに、日本も憲法9条を見直すべきである」という論理も成り立ちますね。

 また、諸外国には、そもそも、入学式・卒業式という式典そのものが無い国があるので、簡単に国際比較は、できません。

 しかも、そういった式典があろうがなかろうが、何らかの形で国旗・国歌を肯定的に扱うような習慣は、多くの諸外国にあるのです。

学校で何らかの形で国旗・国歌を肯定的に取り扱う国の一覧

国旗 国歌
中国 「中華人民共和国国旗法」などにより、学校は、毎日国旗を、掲揚し,また、毎週一度および特別な記念日に、国旗掲揚の儀式を、行わなければならない。教育内容の国の基準である「教学大綱」および党の指導文書等により、各教科その他の活動を通じ、国旗の意義・尊重の義務について教育することと、されている。 国家教育委員会(現教育部)の通知により、学校は、国旗掲揚の儀式および慶賀の式典・スポーツ大会等において、国歌の斉唱を、求められている。思想政治教育関連の教科で、歌詞の意味を、理解させ、また、音楽の時間等を、通じて、小学校3年生以上が、国歌を、正確に歌えるよう、指導している。
韓国 文教部編『生活礼節』に、「愛国歌を歌うときは、祖先の輝かしい業績を、思い出し、国歌の無窮なる発展を、祈願するとともに、真心を、もって、民族と国家のために尽くすという決意を、固めなければならない」とあり、この方針に、沿って、音楽などの授業で、教育に、努め、祝祭日や学校行事の儀式に、斉唱する。
アメリカ 連邦法により,学校の校舎を含む公的機関の主要建物等に国旗を掲揚することが規定されている。公立学校では,始業時に国旗に対して忠誠を誓うことが広く行われている。 連邦法により,国旗掲揚中の国歌演奏に際しては,国旗に向かって起立することが規定されている。国歌の斉唱は,学校生活の中で,随時行われている。
イギリス 国旗の指導は学校や教員の判断により,歴史等の授業で指導される。 国歌の指導は学校や教員の判断により,音楽等の授業で指導される。
イタリア 公立学校では正面入り口上部に掲揚されている。 中等学校において歴史及び公民教育の一部として取り扱われている。
インドネシア 教科書に記述があり、とくに公民科などの授業で教育に努め、全国の小・中・高校で毎週月曜日に、掲揚されている。 教科書に記述があり、とくに公民科などの授業で教育に努め、全国の小・中・高校で毎週月曜日に、斉唱されている。
カナダ あらゆる場合に掲揚。
キューバ 愛国心を昂揚するため、小学校一年から国旗を尊重する教育に努めている。祝日には掲揚。 愛国心を昂揚するため、小学校一年から国歌を尊重する教育に努めている。祝日には斉唱。
スイス 歴史の授業で。学校一任
スウェーデン 国旗には親しみをもち個人的な祝いにも揚げることがある
タイ 毎日の朝礼で掲揚。 毎日の朝礼で斉唱。音楽の教科書に載っている。
ドイツ 通常,国旗に対して敬意を持つことや国旗を軽視してはならないことが教えられている。 ノルトライン・ヴェストファーレン州では,児童生徒が国歌のメロディーと歌詞を習得するよう指導することが文部省通達(1979)により定められている。
トルコ 学校行事で掲揚。 学校行事で斉唱。音楽の教科書に載っている。
ノルウェー 祝日などに掲揚。 祝日などに斉唱。小学校の初等課程で教える。
ハンガリー 学校行事で掲揚。小学校で教える。 学校行事で斉唱。小学校で教える。由来や意義は中級学校の文学で教える。
フランス 歴史の教科書に載っている。 歴史の教科書に載っている。学校の儀式で斉唱。
メキシコ 小・中学校で毎週月曜日、授業開始前に国旗掲揚の栄誉礼を行う。小学校四年の歴史教科書の載っている。 小・中学校で毎週月曜日、授業開始前に斉唱。小学校四年の歴史教科書の載っている。
ロシア 入学式等の学校行事で掲揚される。 入学式等の学校行事で演奏される。
(出典:内閣官房審議室・外務省儀典官室編『諸外国における国旗・国歌について』、文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906i.htm 岩波ブックレット『世界の国旗と国歌』)

 さらに、諸外国には日教組のように国旗・国歌に対して組織的に反対運動を起こすような異常な団体がいないということもかんがみなければなりません。

「君が代は音楽として美しくない」と言われたら。

 自分の美的価値観と同じものを他人も持っていると思わないでほしいものです。

 また、少なくとも、君が代は、明治36年(1903)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、一等を受賞しており、ある英国人は君が代を「天上の音楽である」と激賞したといいます(出典:金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌』)。

 さらに、サッカー選手のラモス瑠偉氏は、著書『ラモスの黙示録』で、「日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。」といっています。

 このように、君が代は、世界から高評価を得ている楽曲なのです。それを自分の美的価値観のみで罵るのは、単なる自意識過剰だといえます。

「サッカー選手の中田英寿氏は、君が代を『ダサい』と評価した」と言われたら。

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 たしかに、中田英寿氏は、平成10年(1998)1月の『朝日新聞』の中で、「国歌、ダサいですね。気分が落ちていくでしょ。戦う前に歌う歌じゃない」と述べています。

 しかし、小松成美著『中田英寿 鼓動』には、これについてこう書いてあります。
中田選手は記者との雑談のようなやりとりの中で、国歌を歌わないことを聞かれ、君が代を揶揄するような受け答えをしてしまった。
彼は、記者に対してインタビュー終了後「記事には書かないでください」と、言っている。
愚かにも口にしてしまった国歌への感想は、心にある真意とは別の言葉だったからだ。
普段から君が代を侮辱する気持ちなどまったくなかった。(中略)
記事を繰り返し読んだ中田は、朝日新聞の記者が、「君が代」や日本人観について、
何らかの物議を醸しだすために「書かないでほしい」と言った中田の言葉を敢えて引用したのだと思った。

 中田選手の発言を政治利用するのは、「記事には書かないでください」といった中田選手の願いを踏みにじるものです。

「作曲家の中田喜直氏は、君が代を『拙劣(せつれつ)』と評価した」と言われたら。

 たしかに、中田喜直氏は、平成11年(1999)4月8日付けの『朝日新聞』の中で、「問題は歌詞。(中略)思想の問題というより、『芸術歌曲』として拙劣です」と述べています。

 では、中田氏が「拙劣」だと思う根拠は何でしょうか。中田氏は、衆議院内閣委員会に出席したとき、こう述べています。
 国歌のような日本を代表する一番大切な歌が、歌詞とメロディーが合ってないということは、これは重大問題なんですね。(中略)
《君が代》と歌わなきゃいけないのに、《きみがあよーわ》……(中略)。
一番正しい日本語で、その日本語を言ったときに《君が代》とわかればいいんだけれども、《きみがあよーわ》、あなたの用は何だというふうになっちゃうわけですよね。

 つまり、中田氏によれば、歌詞の「♪君が代は」の部分が「君が用は」と聞こえてしまうから、拙劣なのだそうだ。

 しかし、作曲家の内藤孝敏氏は、中田氏の指摘について、こう批判している。
 例えば、『夏の思い出』(江間章子作詞・中田喜直作曲)の「夏が来れば」の「来れば」は、「クレ
バ」であって「クーレバ」ではない。また、『雪のふるまちを』(内村直也作詞・中田喜直作曲)の「雪」
は、「ユキ」であって、この歌のように「ユーキ」とすると勇気・有機・有期・結城・誘起という全く違う
意味になる。

 ちなみに、『夏の思い出』は、誰もが聞いたことがあるといわれる名曲である。みなさんも、聞いてみてほしい。

 たしかに、「クーレバ」と聞こえる。ゆえに、中田氏の指摘は、的外れといえる。

「日章旗・君が代は、国民に定着していない」と言われたら。

 よく、定着していない根拠として、『朝日新聞』平成11年(1999)6月30日の世論調査を挙げる人がいます。この世論調査は、「日章旗・君が代を国旗・国歌と定める法案」の賛成・反対を問うものでした。その調査の内容は以下の通りです。

賛成 反対
日の丸の法制化 58% 35%
君が代の法制化 47% 39%
今国会で成立させるべきか 23% 66%

 この「今国会で成立させるべきか:反対66%」という結果をもって、彼らは、「定着していない」ことの証拠としているのです。

 しかし、この世論調査は、いんちきです。社会調査論を専門とする谷岡一郎氏は、著書『「社会調査」のウソ』の中で、こう述べています。

(この世論調査の)最後の質問は次のようなものである。
 ◆あなたはこの法案を、八月半ばまでの、今の国会で成立させるのがよいと思いますか。
 それとも、今の国会での成立にこだわらず、議論を尽くすべきだと思いますか。(中略)
この質問では、「今の国会での成立」か、もう少し「議論すべきか」という二者択一の問題にすり替えられているが、
以下で述べるように、実は民意ははっきりしている。この質問の一つ前の質問は
「政府は国会に、日の丸を国旗とし、君が代を国歌とする法案を提出しました。その法案はカード(別紙)の二条からなっています。
あなたはこの法案に賛成ですか。反対ですか。」という質問で、賛成は五八パーセントに達している。
これを考えると、 最後の質問は回答者の決断を誘導的に先延ばしさせるものと言わざるをえない。 (中略)
自分たちの気に入らない法案は、いつも決まって「十分な審議がなされない」状態であり
(例えば「サッカーくじ」や「組織犯罪に対する法案」)、もっと議論を尽くすべきだと主張するが、
与党議員による数をたのんだ採決は、常に「数の暴力によるゴリ押し」というわけである。

 つまり、「今国会で成立させるべきか」という質問は、よほどの法制化賛成論者でなければ拒否しにくい質問なのです。

 また、「定着していない」ことの根拠として「祝祭日に国旗を掲げる家が少ない」ことを挙げる人もいます。

 しかし、祝祭日に国旗を掲げる家が減った理由は、「国旗を掲げるのが面倒だから」か、もしくは、「街宣右翼・任侠右翼と間違われたくない」からであって、「日章旗を国旗として認めていないから」ではないでしょう。

 また、スポーツの国際大会では、日章旗を持参したり、日章旗をボディーペインティングする国民は大勢いますし、それらの国民を「ぷちナショナリズムだ」といって批判する某左翼知識人だっているではありませんか。

「天皇陛下が『強制になるということではないことが望ましい』とおっしゃった」と言われたら

 たしかに、天皇陛下は、平成16年(2004)10月28日、園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄氏から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」とおっしゃった。

 しかし、天皇陛下は、平成17年(2005)4月25日、ノルウェーご訪問に際しての記者会見の中で、
世界の国々が国旗,国歌を持っており,国旗,国歌を重んじることを学校で教えることは大切なことだと思います。
国旗,国歌は国を象徴するものと考えられ,それらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。
オリンピックでは優勝選手が日章旗を持ってウィニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情の中には,強制された姿はありません。国旗,国歌については,国民一人一人の中で考えられていくことが望ましいと考えます。
――ウェブサイト「宮内庁公式ウェブサイト 」より引用
ともおっしゃっています。

 これらを鑑みると、「強制になるということではないことが望ましい」というご発言は、「わざわざ強制などしなくとも、自発的に国旗掲揚・国歌斉唱してもらえるようになるならば、それが一番望ましい」という意味だろう。

「ドイツとイタリアは、戦後、国旗を変えた」と言われたら。


ドイツ

 今のドイツの国旗の絵柄は、黒・赤・金の横じまの三色旗である。この三色は、享和3年(1803)に起こったナポレオン戦争において、プロイセン王国の義勇軍が着ていた軍服の色が、由来になっている。それ以来、この三色は、ドイツ連邦の軍艦旗・ワイマール共和政におけるドイツ国の国旗に使われた。しかし、ドイツ国がナチス政権だったときに限っては、国家社会主義ドイツ労働者党の党章である鉤十字が、国旗だった。戦後も、西ドイツが、再び、三色旗を国旗とし、ベルリンの壁が崩壊した後も、同様に、三色旗を、国旗とした。以上のことを鑑みると、ドイツが戦後に国旗を変えた理由は、「ナチスが鉤十字を使っていたから」というのもあるが、「ナチスが政権から退いたから」と「伝統的な旗に戻したいから」という理由もあるだろう。

 しかし、我が国では、大政翼賛会の紋章が国旗になっていたわけではない。戦前から戦後まで一貫して、伝統的な旗である日章旗が国旗である。つまり、日本には、「ドイツにとっての鉤十字」に相当するものが無いのだ。したがって、ドイツの例は、日本に当てはめることができない。

 では、ドイツにおいて日章旗に当たる紋章とは、何だろうか。それは、鉄十字である。なぜなら、鉄十字は、ナチス・ドイツが活用し戦後も廃止されていない紋章であり、かつ、ナチス以前からある伝統的な紋章であるからだ。

イタリア

 イタリアは、戦後、国旗から、王家の紋章を、外した。王家の紋章を外したのは、王制から共和制に変わったからである。しかし、我が国は、共和制にはなっていない。さらに、緑・白・赤の三色は、戦後も変わっていない。ゆえに、イタリアの例を日本に当てはめることはできない。

日章旗と君が代の歴史


日章旗

 日章旗(にっしょうき)。通称、日の丸(ひのまる)。国旗及び国歌に関する法律第1条に「国旗は、日章旗とする。」と規定してあります。よって、旗の正式名称は日章旗です。同法律の規定によると、旗の形は縦が横の3分の2の長方形、中央の円の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心、色は地は白色、円は紅色とされています。

 日章旗は、日が「太陽」、章が「しるし」、旗はそのまま「旗」という意味、つまり「太陽のしるしの旗」です。中央の円は「日章」といいます。

 なぜ、我が国の国旗には太陽が描かれているのでしょうか。それは、日本人が古来より太陽を信仰してきた事に由来します。日本人には神道という民族宗教があります。民族宗教とは、ユダヤ人にとってのユダヤ教のような物です。日本で発祥して神武天皇元年(B.C.660)の建国以後およそ2660年間ずっと信仰され続けてきた民族固有の宗教です。この神道における最も重要な神が「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」です。通常は「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」等と呼ばれます。この神は太陽を神格化した物であり、皇室の祖(皇祖神)とされています。

 日本人の太陽信仰は、聖徳太子の国書にも表れています。推古天皇15年(607)に当時の支那の隋へ遣隋使を送りました。その時の日本からの国書にはこう書いてありました。「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。」と。「日出る処(ひいずるところ)」とは日本であり、そこの「天子」とは、聖徳太子の事です。対称的に「日没する処(ひぼっするところ)」とは、日本から西側、つまり支那であり、そこの「天子」とは当時の隋の皇帝である煬帝(ようだい)の事を指します。

 現存する最古の日章旗は雲峰寺が所蔵しており、これは後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)が源義光に下賜(かし)したとされる物です。つまり、「明治から昭和初期に戦争する為に作った。」というわけではないことがこれで分かります。

 天正3年(1575)6月29日の長篠の戦いでは、織田信長・徳川家康の連合軍対武田勝頼軍の戦いで、各戦国武将たちが掲げた旗は日章旗でした。「我こそはこの国の真の覇者なり。」という意味を込めているのです。

 そして、嘉衛6年(1853)の黒船来航から、江戸幕府によって「日章旗は日本国の総船印」と定められ、明治に入ってから、正式に「国旗」となったのです。

 このように、建国以来の神道の思想に起源を持ち、我が国の長い長い歴史を駆け抜けてきたのが日章旗なのです。

君が代

曲名 君が代
作詞 詠み人知らず
作曲 林廣守
歌詞 君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで
 この歌詞は、平安時代の古今和歌集の詠み人知らずの和歌が、もとになっている。「君」は天皇陛下を表し、「代」は、竹の両節の間を“よ”ということから、寿命を表す(山田孝雄著『君が代の歴史』)。「千代に八千代に」は、直訳すると「1000年も8000年も」だが、「八百万の神」という語が「無数の神」を表すことを鑑みると、「いつまでも」と訳すのが妥当である。「細石」は文字通り細かい石、「巌」は大きな岩を表す。細かい石が大きな岩になるというのは、細かい石灰岩が長い年月をかけて雨で溶け、一つの大きな石灰岩にまとまることを表している。これらを鑑みて、君が代の歌詞を現代語に訳すと以下のようになる。

天皇陛下の御寿命よ、いつまでも――、小さな石が大きな岩になり、それに苔が生えるほどにまで――、(続きますように)。

 天皇陛下のご長寿を願う良い歌ではないか。

その他




フランスも欲しがった日章旗

 明治時代にフランスが破格の値段で日章旗を欲しがっていました。しかも当時のお金で50万円で欲しがったのです。しかし当時の政治関係者が「国旗を売ることは国を売ることだ。」として断ったのです。

海外でも高く評価されている君が代

 君が代は海外においては、重厚な音質が高く評価されています。

長野県民をまとめつづる県歌・「信濃の国」

 分県騒動を引き起こすなど、地域地域によって地域性が違う長野県民にとって、県歌「信濃の国」は、このような事情を背景に、本来は都市名である「長野」でなく、県内の大方の地域が該当する「信濃」という旧国名で県域を包括したことで、地域全体の共同体意識を喚起する歌として歌い継がれてきました。その面では、長野県民の地域ナショナリズムの根元とも言えます。(参考・信濃の国 - Wikipedia
 これを考えるにつけ「君が代」も日本をまとめつづる上で極めて重要と言えましょう。

「日本の国旗・国歌がそんなに嫌いなら教員を辞めたらいい」

 上田清司埼玉県知事は2009年7月1日の県議会本会議で、県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいることについて「式典のルールに従って模範を示さなければならない教員が模範にならないようでは、どうにもならない。」と述べた。その上で「そもそも、日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい。」と強調した。
 君が代斉唱時に起立しない教員がいることへの解決法を民主党県議からただされ、答えた。
 これに対し、共産党県議団は「思想と良心の自由を定めた憲法19条の規定をないがしろにするもので、700万県民の代表にふさわしくない危険な発言だ」とし、撤回を求める談話を団長名で発表した。

引用元・【君が代斉唱】「日本の国旗・国歌がそんなに嫌いなら教員を辞めたらいい」埼玉・上田知事★7

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