教育勅語とその精神

(ちん)(なんじ)臣民(とも)拳拳服膺(けんけんふくよう)シテ(みな)其徳(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)
  教育勅語 第六文   ※「拳拳」は「(拳を握って)一生懸命に」、「服膺」は「膺(胸に)服(身に着ける)」、「拳拳服膺」で「一生懸命に胸中に銘記して」の意味


■はじめに

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教育勅語は、わずか6文315文字ですが、維新創業の途上にあった明治天皇が、ご自身のお言葉で親しく国民に道徳のあり方を語りかけ、ご自身が率先してこの道徳を守り推し進めていく御決意をお示しになられた、ご聖徳の結晶であります。
教育勅語はその正式名称を「教育ニ関スル勅語」と申し、明治23年(1890)10月30日に煥発されてより、昭和の敗戦後、教育基本法が制定されるまで半世紀以上に渡って、国民道徳涵養の淵源として官民に奉持され、明治・大正・昭和の三代を生きた方々、また戦後日本の復興と繁栄に尽くされた方々の精神的支柱として、大きな役割を果たしてきました。

■原文、音読etc.


(1)原文
教育ニ関スル勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風を顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名 御璽

(2)音読


(3)読み下し文(現代仮名遣い)
教育ニ関スル勅語

朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
我ガ臣民(しんみん)、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ、世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ、此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。
是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。
朕、爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

明治二十三年十月三十日
御名 御璽(ぎょめい ぎょじ)

(4)英訳(明治40年、文部省)
Know ye, Our subjects:

Our Imperial Ancestors have founded Our Empire on a basis broad and everlasting and have deeply and firmly implanted virtue;
Our subjects ever united in loyalty and filial piety have from generation to generation illustrated the beauty thereof. This is the glory of the fundamental character of Our Empire, and herein also lies the source of Our education.
Ye, Our subjects, be filial to your parents, affectionate to your brothers and sisters: as husbands and wives be harmonious, as friends true; bear yourselves in modesty and moderation; extend your benevolence to all; pursue learning and cultivate arts, and thereby develop intellectual faculties and perfect moral powers; furthermore advance public good and promote common interests; always respect the Constitution and observe the laws; should mergency arise, offer yourselves courageously to the State; and thus guard and maintain the prosperity of Our Imperial Throne coeval with heaven and earth.
So shall ye not only be Our good and faithful subjects, but render illustrious the best traditions of your forefathers.
The Way here set forth is indeed the teaching bequeathed by Our Imperial Ancestors, to be observed alike by Their Descendants and the subjects, infallible for all ages and true in all places.
It is Our wish to lay it to heart in all reverence, in common with you, Our subjects, that we may all thus attain to the same virtue.

The 30th day of the 10th month of the 23rd year of Meiji (1890)
(Imperial Sign Manual. Imperial Seal)


(5)現代語訳 
但し現代語(口語)訳では、原文の持つ深い含蓄が伝わりません。初学者は現代語訳を読了して教育勅語の大意を掴んだ後は、是非とも原文を音読されることをお勧めします
私(明治天皇)が思うに我が皇室の御先祖様が国をお始めになったのは、遥か昔のことであり、その恩徳は深く厚いものです。
我が臣民は忠と孝を守り、万人が心を一つにしてこれまでその美をなしてきましたが、これこそ我が国の最も優れたところであり、教育の根本も実にこの点にあります。
あなたたち臣民は父母に孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は協力し合い、友人は信じ合い、人には恭しく、自分は慎ましくして、広く人々を愛し、学問を修め、仕事を習い、知能を伸ばし、徳行・能力を磨き、進んで公共の利益に奉仕し、世の中のために尽くし、常に憲法を重んじ、法律を守り、もし国家に危険が迫れば忠義と勇気をもって国家のために働き、天下に比類なき皇国の運命を助けるようにしなければなりません。
このようなことは、ただあなたたちが私の忠実で良い臣民であるだけではなく、あなたたちの祖先の昔から伝わる伝統を表すものでもあります。
このような道は実に我が皇室の御先祖様がおのこしになった教訓であり、子孫臣民が共に守らなければならないもので、今も昔も変わらず、国内だけではなく外国においても理に逆らうことはありません。
私はあなたたち臣民と共に心に銘記して忘れず守りますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを切に願っています。

■解説

(1)勅語とは : 詔書との違い

明治40年公布『公式令』(勅令第六号)
皇室ノ大事ヲ宣告シ及大権ノ施行ニ関スル勅旨ヲ宣告スルハ、別段ノ形式ニ依ルモノノ外、詔書ヲ以テス」(第一条)
文書ニ由リ発スル勅旨ニシテ、宣告セサルモノハ、別段ノ形式ニ依ルモノヲ除クノ外、勅書ヲ以てテス」(第二条)
※「宣告」の「告」は正しくは「言」ヘンに「告」で、「政府の公式な申し渡し」のこと。

明治憲法(明治22年(1989)公布・翌23年(1890)10月30日施行)下の立憲君主制では、
<1>国務大臣の副署を添え、天皇のお名前を冠したご文書に、公式な法的効力を持たせたものを「詔」と申し上げ、(例:終戦の詔書)
<2>国務大臣の副署がなく、御製と同じように天皇ご自身のご意見・御心を、直接に親しく国民にお示しになられたご文書を「勅書」「勅語」など「勅」を冠して申しあげます。(例:軍人勅諭)

(2)教育勅語煥発の経緯

  • 明治5年(1872)、欧米の教育制度に倣った「学制」を導入
 ※明治初期の教育内容(特に高等教育)については、英米の教科書の直訳を使用したため、「学問は身を立てるの財本(もとで)」とする英米流の功利主義に靡き日本伝統の美風を軽んじる悪弊が生じ、心ある人々の間に道徳教育の在り方について改善を求める動きが沸き起こった。
  • 明治19年(1886)10月29日、明治天皇、帝国大学に行幸
 ※このとき、明治天皇は教育における人格育成、ことに我が国の歴史・伝統・文化軽視の風に関して重大な懸念を、侍講(進講を司る官)元田永孚(のちに教育勅語の文案作成に協力)に示される。
  • 明治21年(1888)、帝国大学文学部史学科に初めて「日本歴史」の講義を設置。翌22年(1889)、帝国大学国史学科を新設
  • 明治22年(1889)2月11日、大日本帝国憲法発布。翌23年(1890)11月29日施行
  • 明治23年(1890)2月、地方官会議にて道徳教育の在り方について指針を求める要望が強まり、かねてより教育問題に深い関心を寄せられていた明治天皇の思し召しに即して、「国民誰もが拝読できる道徳教育の根本理念」を「教育勅語」として起草する作業を開始。芳川顕正・中村正直を経て井上毅が大部分を起草し、元田永孚が明治天皇のご意見を挺して文案完成に協力。
  • 明治23年(1890)10月30日、「教育勅語」煥発、内外の高い評価を受ける。

(3)教育勅語に示された12の徳目(第三文)

爾臣民 父母ニ孝ニ 孝行 親に孝養を尽くす
  兄弟ニ友ニ 友愛 兄弟・姉妹は仲良くする
  夫婦相和シ 夫婦の和 夫婦はいつも仲睦まじくする
  朋友相信シ 朋友の信 友達は互いに信じ合う
  恭倹己レヲ持シ 謙遜 常に慎み深く奢ることなかれ
  博愛衆ニ及ホシ 博愛 全ての人々をあまねく愛する
  学ヲ修メ 業ヲ習ヒ 修学習業 勉学に励み職業に精進する
以テ 智能ヲ啓発シ 智能啓発 知識を養い才能を切り開く
  徳器ヲ成就シ 徳器成就 徳を養い人格を磨く
進テ 公益ヲ広メ 世務ヲ開キ 公益成務 進んで公益を広め世の為に働き
常ニ 国憲ヲ重シ 国法ニ遵ヒ 遵法 国の定めた法律を重視し遵守する
一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ 義勇奉公 万一非常事態に至れば、正義と勇気の心をもって公の為に尽くす
以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 以上を以て、天地に窮まる事なき皇国の命運を助ける翼となる

■戦後の教育界・マスコミによる一方的否定を排す

(1)教育勅語失効への経緯

  • 昭和20年(1945)10月22日、GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を発令
 占領目的に立ち、「日本の教育の民主化・平和主義化のため、あらゆる軍国主義的な極端な国家主義的政策を払拭」することを宣言
  • 昭和21年(1946)春、アメリカから第一次教育使節団が来日
 日本の教育制度について、抜本的な改造のための調査を実施
  • 昭和21年(1946)8月 アメリカ教育使節団の指導を受けて、文部省が日本の教育制度を改変する「教育刷新委員会」を設置
  • 昭和21年(1946)10月8日 文部省より「勅語及詔書等の取扱いについて」を全国の官/公/私立の大学・高等専門学校長、各県都道府県知事宛に通達。通達内容は以下の通り
教育勅語を以て我が国唯一の教育の淵源とはせず、教育勅語と共に広く、古今東西の倫理・哲学・宗教等に教育の基礎を置くこと
式日においては捧読しないこと
勅語の保管・捧読に当たっては、その神格化を避けること
  • 昭和22年(1947)3月31日、教育基本法公布
  • 昭和23年(1948)5月、GHQが国会に「教育勅語の無効を明確化する措置」を要求
 参議院文教委員会委員長(田中耕太郎)などが「日本は(先の文部省通達で)既に教育勅語を教育の基本とする方針を破棄しており、特に無効であると国会で決議する必要はない」として抵抗したが、GHQに押し切られる
  • 昭和23年(1948)6月19日、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」が為される
  • 両院の決議を踏まえて、文部省より「教育勅語等の取扱いについて」を通達。通達内容は以下の通り
両院が国民教育の理念としての「教育勅語」の失効確認を表明したこと
小学校で持っている「教育勅語」の謄本は当局に返還すること

(2)教育勅語の持つ普遍的価値は不易

 以上のように、教育勅語は「日本の教育の指導理念」としての役割を終えましたが、教育勅語の内容は、誰もが良心的に認めることのできる、何時の時代にあっても普遍的な真理性を有していることに変わりは有りません。
 国会決議は、GHQの強要により「教育勅語を指導理念とすること」を否認したのであり、「教育勅語の内容自体を否定」したのではありませんし、まして、これを「(仏典や聖書のような)一般の道徳訓」、あるいは「(聖徳太子の『十七条憲法』、福沢諭吉の『学問ノススメ』のような)歴史的文書」として学校教育で使用することを否定したものでもありません。
 現に教育勅語は、現在でも、地方の素封家や名望ある教育者によって「純然たる道徳訓」として大切にされています。

(3)社会党議員による「教育勅語」攻撃

 昭和58年(1983)に、社会党・本岡昭次議員(参院)が、島根県のある私立校での教育勅語使用を問題視する発言を、当時の文部大臣であった瀬戸山三男氏(自民党)に対して行い、瀬戸山氏が曖昧な回答に終始したため野党・マスコミの攻撃を受ける事件がおきました。
 これも社会党が消滅した今となっては、逆に「教育勅語」の正しさを示すエピソードといえましょう。

(4)教育基本法改正と「教育勅語」の理念復興

 平成18年(2007)12月22日、改正教育基本法を公布・施行。戦後GHQの指導下で制定された旧教育基本法を抜本的に改正
 この頃から、教育勅語の理念復興を求める意見が見受けられるようになり、現在に至る。

■結語 : 教育勅語の理念を今に

 積極的に語りはしませんが、現在70代後半以上の世代は、皆教育勅語を暗唱できるはずです。
 そして、この世代に代表される「道徳性の高さで知られる日本民族」さらに「世界に誇る道義国家・日本」の精神的バックボーンとなってきたのが、教育勅語であり、それゆえに国会での失効決議以降も60年以上に渡って、これを称揚し、守り伝えようとする方々が絶えなかったのであります。
 我々も率先して「教育勅語」の理念・精神を学び、次の世代にきちんと伝えていこうではありませんか。 


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最終更新:2019年12月29日 01:12
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