立憲主義とは何か

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ヨーロッパでの成立の経緯に照らしてみればわかるように、立憲主義は、多様な価値観を抱く人々が、それでも協働して、社会生活の便益とコストを公正に分かち合って生きるために必要な、基本的枠組みを定める理念である。
~ 長谷部恭男(東大法学部教授(憲法学))『憲法と平和を問いなおす』p.178

要旨■立憲主義は、①人権・②国民主権・③反戦平和主義といった特定の価値観を絶対視し強制するものではなくて、逆にデモクラシーの行き過ぎに歯止めをかけ、寛容で自由な価値多元的社会を守るための、脱イデオロギー的な理念である。

※本ページが難しい方は、まずリベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配をご覧下さい。

<目次>


■1.このページの目的


「平和主義」という言葉がまるで神通力を失ったことに気づいた左翼護憲論者は、近年は「立憲主義」という言葉を新たな旗印に掲げて断固改憲を阻止する構えである(憲法クイズで有名になった民主党の小西参議院議員 や東京都知事選に出馬した元日弁連会長の宇都宮健児氏、社民党前党首・福島みずほ氏らが近年「立憲主義」を連呼し、また旧民主党系の護憲派が結集して「立憲民主党」なる新政党を設立etc.)。
これに対して改憲論者の側からは、残念ながら今までのところ余り効果的な反駁が提示されているようには見えない。
しかし実は、こうした左翼護憲論者の掲げる「立憲主義」の理解は、英米圏で主流となっている標準的な理解ではなく、フランス革命に由来するフランス・ドイツなど大陸法系の既に破綻した古い理解でしかなく、そのことは阪本昌成氏(リベラル右派の憲法学者)によって明示的に指摘されているほか、長谷部恭男氏(東大法学部教授(憲法学))のような法学の世界的パラダイムを考慮に入れて発言する近年のリベラル左派の憲法学者からも暗に指摘されるに至っている。
このページでは、そうした時代遅れの左翼的「立憲主義」理解(=立憲主義のフランス的理解)の誤謬を指摘し、英米圏で常識となっている真っ当な「立憲主義」理解(=立憲主義のアメリカ的理解+その保守的バリエーション)を紹介する。


■2.「立憲主義」の辞書的定義・用語説明


◆1.日本の辞書類による定義


りっけん-しゅぎ
【立憲主義】
(constitutionalism)
<広辞苑>
憲法を制定し、それに従って統治する、という政治のあり方
(1) この場合の憲法とは、 人権の保障を宣言し、②権力分立を原理とする統治機構を定めた憲法を指し、
(2) そうでない場合 外見的立憲主義という。
りっけんしゅぎ
【立憲主義】
constitutionlism
<日本語版ブリタニカ>
(1) 法の支配 rule of law に類似した意味をもち、 およそ権力保持者の恣意によってではなく という政治原則をいう。
法に従って権力が行使されるべきである
(2) 狭義においては、とくに <1> 政治権力を複数の権力保持者に分有せしめ、 とする政治原則である
<2> その相互的抑制作用を通じて権力の濫用を防止し、
<3> もって、権力名宛人の利益を守り、政治体系の保全を図ろう
(3) 狭義における立憲主義は、既に古代ギリシア、ローマ、あるいは中世ヨーロッパの一定の都市国家などに見出されるが、
近代市民革命を経て、近代立憲主義変貌した。
そこでは、 [1] 国民の一定の範囲における国政参加を前提に、 と考えられるようになった。
[2] 権力分立構造を通じて国民個々人の権利・自由の保全を図ろうとする意図が明確にされ、
[3] それを具備する成文憲法を制定することが肝要である、
(4) 立憲主義に立脚する民主制が①({立憲民主制}であり、君主制と結合している場合が②立憲君主制である。
りっけんしゅぎ
【立憲主義】
(constitutionalism)
<百科事典マイペディア>
(1) 広義には政治権力を法(憲法)によって規制しようという政治原則
(2) 狭義には近代市民国家におけるような権力分立の原則に立つ憲法に基づいて政治を行うという原則
(3) 権力分立が形式的にのみ認められている場合は外見的立憲主義といわれる。


※このように日本の辞書類は「立憲主義」について表層的な説明に留まっているが、英米圏の辞書では constitutionalism について、より根本的な考察が行われている(下記)。

◆2.英米圏の辞書による定義


constitutionalism
<ODE>
[mass noun] constitutional government:
・adherence to a constitutional system of government:
(翻訳) 国制に基づく統治
・特定の統治に関する規約体系を堅持すること

※残念ながら、<Britannica Concise Encyclopedia> には constitutionalism の項目がないため、英文wikipedia(2013.8.17時点) で代用する。

※注釈:以下の文章にある、①記述的(descriptive)とは、物事のあるがままの状態を客観的に記述すること、また、②規範的(prescriptive)とは、物事の当否を主観的に判別すること、をそれぞれ言い表わす説明の方法であり、おおむね、①記述的(descriptive)部分が概念(concept ~とは何か)の説明、②規範的(prescriptive)部分が理念ないし概念構想(conception ~はどうあるべきか)の説明に該当する。
なお、①記述的(descriptive)とは外的視点(非構成員)によって観測されるものであり、②規範的(prescriptive)とは内的視点(構成員)によって遵守されるものである(H.L.A.ハートの法体系参照)→後述するように以下の英文wikipediaの説明は、ハートやJ.L.オースティンといった日常言語学派(第二次大戦後のイギリスで隆盛した分析哲学の一派)の思考パラダイムに基づいている。

constitutionalism 
<英文wikipedia>
Constitutionalism, in its most general meaning, is "a complex of ideas, attitudes, and patterns of behavior elaborating the principle that the authority of government derives from and is limited by a body of fundamental law".
A political organization is constitutional to the extent that it "contain[s] institutionalized mechanisms of power control for the protection of the interests and liberties of the citizenry, including those that may be in the minority".
As described by political scientist and constitutional scholar David Fellman:
Constitutionalism is descriptive of a complicated concept, deeply imbedded in historical experience, which subjects the officials who exercise governmental powers to the limitations of a higher law.
Constitutionalism proclaims the desirability of the rule of law as opposed to rule by the arbitrary judgment or mere fiat of public officials….
Throughout the literature dealing with modern public law and the foundations of statecraft the central element of the concept of constitutionalism is that in political society government officials are not free to do anything they please in any manner they choose; they are bound to observe both the limitations on power and the procedures which are set out in the supreme, constitutional law of the community.
It may therefore be said that the touchstone of constitutionalism is the concept of limited government under a higher law.
Usage
Constitutionalism has prescriptive and descriptive uses.
Law professor Gerhard Casper captured this aspect of the term in noting that:
"Constitutionalism has both descriptive and prescriptive connotations.
Used descriptively, it refers chiefly to the historical struggle for constitutional recognition of the people's right to 'consent' and certain other rights, freedoms, and privileges….
Used prescriptively … its meaning incorporates those features of government seen as the essential elements of the … Constitution."
(1) Descriptive
One example of constitutionalism's descriptive use is law professor Bernard Schwartz's 5 volume compilation of sources seeking to trace the origins of the U.S. Bill of Rights.
Beginning with English antecedents going back to the Magna Carta (1215), Schwartz explores the presence and development of ideas of individual freedoms and privileges through colonial charters and legal understandings.
Then, in carrying the story forward, he identifies revolutionary declarations and constitutions, documents and judicial decisions of the Confederation period and the formation of the federal Constitution.
Finally, he turns to the debates over the federal Constitution's ratification that ultimately provided mounting pressure for a federal bill of rights. While hardly presenting a "straight-line," the account illustrates the historical struggle to recognize and enshrine constitutional rights and principles in a constitutional order.
(2) Prescriptive
In contrast to describing what constitutions are, a prescriptive approach addresses what a constitution should be.
As presented by Canadian philosopher Wil Waluchow, constitutionalism embodies "the idea … that government can and should be legally limited in its powers, and that its authority depends on its observing these limitations.
This idea brings with it a host of vexing questions of interest not only to legal scholars, but to anyone keen to explore the legal and philosophical foundations of the state."
One example of this prescriptive approach was the project of the National Municipal League to develop a model state constitution.
(3) Authority of government
Whether reflecting a descriptive or prescriptive focus, treatments of the concept of constitutionalism all deal with the legitimacy of government.
One recent assessment of American constitutionalism, for example, notes that the idea of constitutionalism serves to define what it is that "grants and guides the legitimate exercise of government authority."
Similarly, historian Gordon S. Wood described this American constitutionalism as "advanced thinking" on the nature of constitutions in which the constitution was conceived to be "a" set of fundamental rules by which even the supreme power of the state shall be governed.'"
Ultimately, American constitutionalism came to rest on the collective sovereignty of the people - the source that legitimized American governments.
(4) Fundamental law empowering and limiting government
One of the most salient features of constitutionalism is that it describes and prescribes both the source and the limits of government power.
William H. Hamilton has captured this dual aspect by noting that constitutionalism "is the name given to the trust which men repose in the power of words engrossed on parchment to keep a government in order."
(omission)
(翻訳)
立憲主義とは、その最も一般的な意味では、「統治の権威(ないし根拠)(the authority of government)は、特定の一まとまりの基本法(a body of fundamental law)から派生し、且つ、それによって限定される、という原則を、精一杯入念に作り上げている、諸アイディア・諸態度そして諸行動パターンの複雑な集まり」のことである。
ある政治機構が、「一般市民の諸利益と諸自由を、(専ら)少数者のものであるかも知れないものをも含めて、保護するための制度化された権力制御メカニズムを備えている」といえる場合、(その政治機構は)立憲的である。
政治科学者であり憲法学者であるデイヴィッド・フェルマンの説明によれば、
立憲主義は、統治権力を行使する政府当局は特定の高次の法による制限に服する、という、歴史的経験が深く埋め込まれている、複雑に入り組んだ厄介な概念として記述される。
立憲主義は、法の支配(the rule of law)を、政府当局による恣意的な判定や単なる勝手な命令による支配とは正反対のものであり、望ましいものである、と公然と宣明(proclaim)している。
近代的な公法や治世術の基礎を取り扱うあらゆる諸文献を通して見て、立憲主義の概念の中心的要素とは、政治社会において政府当局者(government officials)は、その選択する要求を、どのような態様であれ、無制限に実行できる訳ではなく、その共同体における至上の実質憲法(=国制)(the supreme constitutional law of the community)によって予め定められている権力の諸制限および諸手続きの両方を遵守することを義務付けられている、ということである。
そのため、立憲主義の試金石は、特定の高次の法の下にある制限された統治(limited government under a higher law)という概念にある、と云われている。
使用法
立憲主義(という用語)には、記述的用法規範的用法とがある(※注釈)
法学教授ガーハード・キャスパーは、この言葉のこうした側面を以下のように捉えている。
「立憲主義には記述的と規範的の両方の含意がある。
記述的に使用される場合、それは主に、人々の「同意」権や特定の他の諸権利・諸自由・諸特権に関する憲法的認定(constitutional recognition)についての歴史的葛藤のことを指している。
規範的に使用される場合・・・その意味には、××憲法典(the ・・・ Constitution)の本質的諸要素と考えられている、統治のそうした諸特徴(those features of government)が組み込まれている。」
(1) 記述的(用法)
立憲主義(という用語)の記述的使用例の一つは、法学教授バーナード・シュワルツによるアメリカ合衆国憲法の権利章典(the U. S. Bill of Rights)の諸起源を追跡した5巻の資料編著作集である。
マグナ・カルタ(1215年)に遡る英国の先行事例を始まりとして、シュワルツは、個人的諸自由と諸特権のアイディアの発生と発達を、植民諸憲章および法的諸合意を通過点として探索している。
そして、そうした物語を推挙するに当たって、彼は、連合期(※注釈:アメリカ独立13邦間に結ばれた連合規約により、1781-89迄存在したアメリカ国家連合の期間。アメリカ合衆国憲法の発効により消滅)の諸革命宣言・諸憲法典・諸文書・司法的諸決定、さらに連邦憲法典(※注釈:1787年起草、88年6月批准、89年3月4日施行のアメリカ合衆国憲法)の成立過程を見定めている。
最後に、彼は連邦憲法典の批准に関する諸討論に注意を向けているが、そこでは最終的に連邦(憲法典)に対して権利章典(を追加すること)を要求する高いプレッシャーが懸っていた。
「一直線」の説明を提示することは非常に困難ではあるが、こうした説明は、国制秩序に関する憲法的諸権利・諸原理の認知と神聖化に対する歴史的苦闘に、生き生きとした描写を与えてくれる。
(2) 規範的(用法)
constitution(憲法ないし国制) とは何か、という記述(的アプローチ)とは対照的に、規範的アプローチでは、constitution はどうあるべきか、が述べられる。
カナダ人哲学者ウィル・ワルチャウの提案によれば、立憲主義(という用語)は、「政府(government)は、その権力が法的に制限可能であると同時に(その権力は)制限を受けるべきであり、そして、その権威は政府がそうした諸制限を遵守することに懸っている・・・というアイディア」を表現したものである、という。
この(立憲主義という)アイディアは、法学者達のみならず、国家(state)の法的また哲学的基礎の探索に強い関心を持つ全ての者に対して、その関心に対する数知れぬ苛立たしい疑問をもたらしてしまう。
この規範的アプローチの一例は、あるモデル国家の憲法典を作成しようとしたナショナル自治体リーグ・プロジェクトであった。
(3) 統治の権威(ないし根拠)
記述的あるいは規範的焦点をどう思案するのであれ、立憲主義の概念の取扱いは、すべて統治の正統性(the legitimacy of government)に関するものである。
例えば、アメリカ立憲主義に関する最近の評価の一つは、立憲主義のアイディアは「政府当局の正統な実力行使に承認を与え且つ指針を与える」ものの定義に役立っている、ということである。
同様に、歴史家ゴードン・S・ウッドは、こうしたアメリカ立憲主義を、constitutions(憲法ないし国制) の性質に関する「先進的な思想」であって、(そこでは)constitution は国家の最高権力でさえも舵取りされるべき根本的諸ルールの特定の一セットとして受胎されたものである、と説明している。
最終的に、アメリカ立憲主義は、人々の集合的至高性(the collective sovereignty of the people)-アメリカ政府諸機関に正統性を付与する源-に到達して終わる。
(4) 統治機関に授権し且つそれを制限する根本法
立憲主義(という用語)の最も顕著な特徴の一つは、政府権限(government power)の源であり同時に制限であるものを、①記述する(describe)とともに②規約化する(prescribe)ことである。
ウィリアム・H・ハミルトンは、この二重の側面を、立憲主義とは「政府が正常に機能することを目的として、人々が羊皮紙に書かれた正式な言葉の効力に信認を置くこと、に対して与えられた名称である」と表現することで把握している(※補注)
(以下省略)

※補注:このように、英文wikipediaは、「立憲主義とは、憲法典(という公的に宣明された法文書)の効力に対して人々が信認を与える、という一種の言語行為(speech act)を意味する用語である」ことを印象的に指摘している。
げんご-こうい【言語行為】
<広辞苑>
J.L.オースティンが提起した言語哲学上の概念
命令・約束・依頼などに見られるように、事実の描写ではなく、言葉を発することが同時に行為の遂行でもあるような言語の働きを指す。
発話行為。
げんごこういろん【言語行為論】speech act theory
<日本語版ブリタニカ>
イギリスの哲学者J.L.オースティンによって提唱され、J.R.サールらによって展開された言語論。
従来の言語論が命題の真偽を主として問題にしてきたのに対し、文の発話は同時に行為の遂行となっていると指摘した。
たとえば「約束する」と発話することは、すなわち「約束」という行為を行うことにほかならない。
このように何かを語ることによって執行される行為を「発話内行為」という。

★ポイント★
立憲主義最も顕著な特徴は、 (1) それが何等かの絶対的な真理を意味するものでもなければ
(2) 単なる一個人の価値観の表明に過ぎないものでもなくて
(3) 特定の共同体に所属する人々の暗黙の了解によって継続的に遂行されている、統治に関する①社会的事実の記述(description)であり、且つ、②規範(prescription)である慣行(practice)に対して付けられた名称である、ということである(この点に関して詳細な説明は、落合仁司『保守主義の社会理論』内容紹介参照)。

⇒以下に、日本の代表的な憲法学者の立憲主義に関する論説を列挙していくが、それらが、
<1> 立憲主義を (1) 何らかの絶対的な真理を含意するもの(価値絶対主義→自然法論に基づく大陸法系のパラダイム)ないし として説明する段階に留まっているのか
(2) 特定の価値観を表明するに過ぎないもの(価値相対主義→ケルゼン型の法実証主義パラダイム)
<2> それとも (3) 英米圏で第二次大戦後に急速に発展した(言語行為論を含む)分析哲学に基づく新しい法学パラダイム(ハートの法=社会的ルール説 を踏まえたうえで「立憲主義」を論じる段階に到達しているのか
の区別に留意して読み解いていくと良い。
※結論から先にいうと、阪本昌成(リベラル右派)および長谷部恭男(リベラル左派)以外の憲法学者は全て、(1)自然法論に基づく古い大陸法系の法学パラダイムの段階に留まっている。



■3.「立憲主義」に関する様々な見解


※代表的な憲法学者の見解を、①左翼、②リベラル左派、③中間派、④リベラル右派、⑤保守主義、という政治的スタンスの順に列挙する。

◆1.左翼の見解(芦部信喜、高橋和之)


芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第一章 憲法と立憲主義
二. 憲法の意味 p.xx以下
1. 形式的意味の憲法と実質的意味の憲法
(ニ). 実質的意味
(2). 立憲的意味
実質的意味の憲法の第二は、自由主義に基づいて定められた国家の基礎法である。一般に「立憲的意味の憲法」あるいは「近代的意味の憲法」と言われる。18世紀末の近代市民革命期に主張された、専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法である。その趣旨は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と規定する有名な1789年フランス人権宣言16条に示されている。この意味の憲法は、固有の意味の憲法とは異なり、歴史的な観念であり、その最も重要な狙いは、政治権力の組織化というよりも権力を制限して人権を保障することにある。

以上の三つの憲法の観念のうち、憲法の最もすぐれた特徴は、その立憲的意味にあると考えるべきである。
従って、近代に至って一定の政治的理念に基づいて制定された憲法であり、国家権力を制限して国民の権利・自由を守ることを目的とする憲法である。
そのような立憲的意味の憲法の特色を次に要説する。
2. 立憲的憲法の特色
(一). 淵源
立憲的意味の憲法の淵源は、思想史的には、中世にさかのぼる。中世においては、国王が絶対的な権力を保持して臣民を支配したが、国王といえども従わなければならない高次の法(higher law)があると考えられ、根本法(fundamental law)とも呼ばれた。この根本法の観念が近代立憲主義へと引きつがれるのである。

もっとも、中世の根本法は、貴族の特権の擁護を内容とする封建的性格の強いものであり、それが広く国民の権利・自由の保障とそのための統治の基本原則を内容とする近代的な憲法へ発展するためには、ロック(John Loche, 1632-1704)やルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-78)などの説いた近代自然法ないし自然権(natural rights)の思想によって新たに基礎づけられる必要があった。
この思想によれば、
人間は生まれながらに自由にして平等であり、生来の権利(自然権)をもっている、
その自然権を確実なものとするために社会契約(social contract)を結び、政府に権力の行使を委任する、そして、
政府が権力を恣意的に行使して人民の権利を不当に制限する場合には、人民は政府に抵抗する権利を有する。
このような思想に支えられて、1776年から89年にかけてのアメリカ諸州の憲法、1788年のアメリカ合衆国憲法、1789年のフランス人権宣言、91年のフランス第一共和制憲法などが制定された。
五. 立憲主義と現代国家 - 法の支配 p.xx以下
3. 立憲主義の展開
(一). 自由国家の時代
近代市民革命を経て近代憲法に実定化された立憲主義の思想は、19世紀の「自由国家」の下でさらに進展した。
そこでは、個人は自由かつ平等であり、個人の自由意思に基づく経済活動が広く容認された。
そして、自由・平等な個人の競争を通じて調和が実現されると考えられ、権力を独占する強大な国家は経済的干渉も政治的干渉も行わずに、社会の最小限度の秩序の維持と治安の確保という警察的任務のみを負うべきものとされた。
当時の国家を、自由国家・消極国家とか、または軽蔑的な意味を込めて夜警国家と呼ぶのは、その趣旨である。
(ニ). 社会国家の時代
しかし、資本主義の高度化にともなって、富の偏在が起こり、労働条件は劣悪化し、独占的グループが登場した。
その結果、憲法の保障する自由は、社会的・経済的弱者にとっては、貧乏の自由、空腹の自由でしかなくなった。
そこで、そのような状況を克服し、人間の自由と生活を確保するためには、国家が、従来市民の自律に委ねられていた市民生活の領域に一定の限度まで積極的に介入し、社会的・経済的弱者の救済に向けて努力しなければならなくなった。
こうして、19世紀の自由国家は、国家的な干渉と計画とを必要とする社会国家(積極国家ないしは福祉国家(*)とも呼ばれる)へと変貌することになり、行政権の役割が飛躍的に増大した。
(*) 社会国家・福祉国家
社会国家(Sozialstaat)は主としてドイツで用いられる言葉であり、福祉国家(welfare state)は主としてイギリスで用いられる言葉である。
その内容は必ずしも明確ではないが、おおよそ、国家が国民の福祉の増進を図ることを使命として、社会保障制度を整備し、完全雇用政策をはじめとする各種の経済政策を推進する国家であると言えよう。
我が国では、かつて、福祉国家論は国家独占資本主義の矛盾を覆い隠すイデオロギー的理論であるという批判が学説の一部に強かった。
そのような問題点があるとしても、現実の経済・社会に照らして、プラス面の実現を強化していくことが必要である。
4. 立憲主義の現代的意義
(一). 立憲主義と社会国家
立憲主義は、国家は国民生活にみだりに介入すべきでないという消極的な権力観を前提としている。そこで、国家による社会への積極的な介入を認める社会国家思想が、立憲主義と矛盾しないか問題となる。しかし、立憲主義の本来の目的は、個人の権利・自由の保障にあるのであるから、その目的を現実の生活において実現しようとする社会国家の思想とは基本的に一致すると考えるべきである。この意味において、社会国家思想と(実質的)法治国家思想とは《両立する》。戦後ドイツで用いられてきた「社会的法治国家」という概念は、その趣旨である。
(ニ). 立憲主義と民主主義
また、立憲主義は民主主義とも密接に結びついている。すなわち、
国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加するという民主制度を必要とするから、自由の確保は、国民の国政への積極的な参加が確立している体制において初めて現実のものとなり、
民主主義は、個人尊重の原理を基礎とするので、すべての国民の自由と平等が確保されて初めて開花する、
という関係にある。
民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった《立憲民主主義》でなければならないのである(*)。
このような《自由と民主の結合》は、まさに、近代憲法の発展と進化を支配する原則であると言うことができよう。
戦後の西欧型民主政国家が「民主的法治国家」とか「法治国家的民主政」と言われるには、そのことを示している。
(*) 自由主義と民主主義
戦前の憲法学 - とくにワイマール憲法時代のドイツ - では、自由主義を否定しても民主主義は成り立つという見解が有力であった。
しかし、宮沢俊義が説いたとおり、「リベラルでない民主制は、民主制の否定であり、多かれ少なかれ独裁的性格を帯びる。民主制は人権の保障を本質とする」、と考えるのが正しい。

高橋和之『立憲主義と日本国憲法憲法 第3版』(2013年刊) 第2章 立憲主義の基本原理 p.24~
1 近代立憲主義の成立
(1) 中世立憲主義
立憲主義とは、国の統治が憲法に従って行われねばならないという考えをいう。
この思想が最初に成立するのは、ヨーロッパ近代においてであるが、その淵源はすでに中世のゲルマン法思想の中に存在した。中世においては、「国王も神と法の下にある」(ブラクトン)といわれ、国王といえども法には従わねばならないと考えられていた。
そこにいう法とは、国王が自己の意思によって人為的に制定するものではなく、国王の意思からは独立に存在する客観的な正義であると観念されていた。それは、現実には慣習法の形で存在したのであるが、この客観的に存在する正義としての法(慣習法)が裁判において《発見》され適用されたのである。
そして、国王がこの法に違反して恣意的な政治や裁判を行えば、それに抵抗することも正当であるとされた。抵抗権が承認されていたのである。
もっとも、誰もが抵抗権を発動しうると考えられていたわけではない。国王が法に従うよう監視する役割は、通常は、国王の臣下を集めた国王顧問会議(後の身分会議・等族会議の前身)が担うとされたのであり、抵抗権を発動するのも、次第にこの顧問会議の役割と考えられるようになっていく。
それはともあれ、ここには中世的な「法の支配」が見て取れるのであり、これを中世立憲主義と呼ぶことができよう。
(2) ローマ法思想と絶対主義国家の形成
法は制定するものではなく発見するものだというこのゲルマン法的観念を覆したのは、ローマ法の観念であった。
12世紀にイタリアのボローニャでユスティニアヌス法典を素材としたローマ法の研究が始まるが、そのローマ法思想によれば、法とは皇帝の意思・命令により制定されるものであった。
中世的諸身分の特権・既得権を内容とする慣習法により縛られていた国王は、この呪縛をふりほどき中央集権的国家の建設を推進するために、このローマ法思想を援用するようになる。
それが最も典型的に現れるのがフランスであったが、フランス国王は主権者たる自己の意思こそが法であると主張し、これに反対する身分会議(三部会)の招集を回避して絶対王政を確立していく。
その過程で、国王権力は対内的に最高であり、対外的に独立であると主張する「主権」の概念が、ローマ法思想を基礎に形成されたのである。
(3) 絶対主義との闘いと近代立憲主義の成立
主権者(国王)の意思が法だということになると、国王が自由に法を制定しうるということになるから、臣民(*)の権利が危険にさらされる。
ローマ法思想の下では、もはや中世的な慣習法により保障された特権・既得権という論理は通用しなくなるから、絶対君主に対抗して権利保障を主張するための新たな論理が必要であった。
(ア) 統治契約論
初期の段階でこの要請に応えようとしたのは、統治契約(服従契約)の理論であった。国王の側が主権を神から授けられたとする王権神授説を唱えたのに対し、統治契約論は、神から主権を授かったのは国王ではなく人民であり、それを服従契約により国王に委任したのであると主張した。この理論では、国王の権力は人民との契約を根拠にするから、人民の権利(その内容は、身分的・慣習法的な既得権)を侵害すれば契約違反となり、人民は服従の義務から解放され抵抗権に訴えることが可能となるとされたのであり、多分に中世的な性格を残した理論であった。
(イ) 社会契約論
しかし、その後、ジョン・ロック(John Loche, 1632-1704)に代表されるような社会契約論が形成され、これにより権力の制限と自由の保障が理論化されるに至る。
それによれば、人は最初、社会の成立以前の「自然状態」において自然権を有していたが、その自然権をよりよく保障するために契約により社会を形成し、政府を設立して権力を信託する
この政府の設立・信託が、憲法の制定行為にあたる。
政府の設立と権力の信託は自然権の保障が目的であるから、政府は人々のもつ自然権を侵害することは許されず、侵害した場合には、抵抗権あるいは革命が正当化されるのである。
このような論理で絶対王政に替わるべき新しい政治構造が示され、かかる思想によってアメリカの独立フランス革命が行われ、立憲主義に基づく憲法が制定されたのである。
(ウ) 立憲主義の構成原理
かくして確立した近代立憲主義の内容は、権利(自由)の保障と権力の分立基本原理とするものであったが、その前提として人民が主権者として憲法を制定するという原理が要求されていた。
また、権力分立や人民主権は、「法の支配」を通じての自由という中世法的理念をローマ法的観念の下で再構成するための制度原理という意味ももっていた。

以上から、近代立憲主義の基本原理として、①自由の保障、②法の支配、③権力分立、④人民主権、を指摘することができる。
以下に、それぞれについてより詳しく見ていくことにしよう。
2 近代立憲主義の内容
(1) 近代立憲主義の基本原理
(省略)
(2) 近代立憲主義の二つのモデル
以上の基本原理の各々は様々な理解を許容し、現実にどのように制度化されるかは各国により異なるが、全体のあり方を大きく分ければ二つの主要なモデルに整理できる。立憲君主政モデル国民主権モデル(立憲民主政モデル)である。
(ア) 立憲君主政モデル
立憲君主政モデルにおいては、君主政原理(君主主権)が出発点に置かれ、そこから君主が憲法を欽定して自己の権力を制限するという論理をたどる。
そこで、まず第一に、議会が設立され、これに立法権が与えられる。ただし、君主も議会の可決した法律の裁可権を留保する。したがって、法律を制定するには、原則として、議会と君主の同意が必要となり、少なくとも議会の同意が必要となった限りで、君主の立法権は制限されることになる。
では、議会の同意が必要とされたのは、いかなる範囲においてか。それは、国民の権利を制限しあるいは義務を課す場合である。
このような法規範を、ドイツでは「法規(Rechtssatz)」と呼んだが、法規の制定は法律をもってしなければならないとされたのである。 これを「法律の留保」という。
法規以外の事項については、君主はそれを議会の同意を必要としない「命令」の形式で定めることができた。もちろん、それを法律で定めることもできたが、その場合には君主の裁可が必要であり、したがって「法規」が法律事項と命令事項の分配のキー概念だったのである。
第二に、独立の裁判所が設置され、それに法律の解釈・適用の争いを裁定させた。
そして、立法権と裁判権以外の残りの全権力が行政権として君主の手に残されたのである。
(イ) 国民主権モデル
これに対し、国民主権モデルでは、国民主権を出発点にして、主権者たる国民が憲法を制定し立法権・執行権・裁判権を創設する。
立法権を授権された議会は、国民の直接的な代表者であることから、優越的地位を与えられる。あらゆる法定立は、まず法律によってなされなければならない。 いわば憲法の下におけるあらゆる始源的(イニシャル)決定が法律に留保されるのであり、「法規」に限らず、行政組織の基本もまず法律により規定されなければならない。
執行権は法律の執行を本来の職務とするのであり、ゆえに、そのあらゆる活動につき法律の存在が常に前提となる。法制定の権限が否定されるわけではないが、法律の存在しないところで命令を制定するということは許されない。命令は法律の執行に必要な細目的な定めか、あるいは、法律により委任を受けたことについてのみ規定しうるにすぎない。
他方、裁判権は、法律の執行についての争いが生じた場合に、訴えを待ってそれを最終的に裁定する権力であるとされる。

◆2.リベラル左派の見解(長谷部恭男)


長谷部恭男『憲法 第5版』(2011年刊) 1. 憲法とは何か p.xxx
1.2  立憲的意味の憲法
1.2.1  近代立憲主義
市民革命と近代立憲主義
実質的意味の憲法の内容は、国家によってさまざまである。
一人の独裁者の命令がそのまま国家の意思と見なされ、それによって強制的に国民の自由や財産が奪われるような内容であることもあろう。

これに対して、17世紀から18世紀にかけて、欧米諸国で起こった市民革命をきっかけとして、憲法は、権力者の恣意を許すものであってはならず、個人の権利と自由を保障するために、そしてその限りにおいて国家の行為を認めるものであるべきだとの考え方が確立した。
この近代立憲主義と呼ばれる思想は、国家の任務を個人の権利・自由の保障にあると考えるが、その任務を果たすために強大な権力を保持する国家自体からも権利と自由を守らねばならないとの立場をとり、このような目的に即して、国家機関の行動を厳格に制約しようとする。
そして、このような考え方に立脚した憲法を、立憲的意味の憲法、あるいは近代的意味の憲法と呼ぶ。
「すべての権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない国家は憲法を有しない」(フランス人権宣言16条)といわれるときは、このような意味で憲法という言葉が使われている。

近代的意味の憲法においては、多くの場合、国家の任務と限界を示す権利が権利宣言という形で成文化され、他方、権力の乱用を防ぐために、統治機構についても権力分立や法による支配など、さまざまな組織上の工夫が施されている。
【価値の多元性と近代立憲主義】
近代立憲主義およびそれを支える個人の自然権という思想は、宗教上の対立を典型とする根底的な価値観・世界観の対立が深刻な紛争を引き起こした16~17世紀のヨーロッパにおいて形成された。
人々の抱く根本的な価値観の相違にもかかわらず、すべての人が社会生活の便宜とコストを公平に享受し、負担する枠組みを作り出すことが、こうした思想の狙いである(長谷部 [1999] 第1章 [2000] 第4章)。
1.1.4 で述べた調整問題や公共財の提供について、何が適切な解決かを社会全体で理性的に審議・決定するためにも、各人の根底的価値観・世界観に関わる問題について国家は干渉しない(つまり「正しい」価値観を提供することは国家の任務ではない)という保障をあらかじめ与えておくことが前提となる。
中世の自然法思想に比べて、そこでいわれている自然権の内容がきわめて縮減されたものであることも、根本的に立場の異なる人々すべてに受容可能な社会生活の枠組みが何かを探ろうとした、その結果として説明できる。
当時の自然権思想を、各人に天賦の自然権があることをアプリオリに前提とし、そこから国家のあり方を演繹したものだとする理解は一面的であること(そして自然主義的虚偽論 naturalistic fallacy(※注釈:pleasure(快)などの非倫理的な=事実的前提から、the good(善)などの倫理的結論を導くことは誤謬である、とする分析哲学者G.E.ムーアが1903年に指摘した仮説) に陥りかねないこと)に留意する必要がある。
なお、以下で説明するように、国家が保護すべきものとされる「自然権」と実定憲法において保障されるべき「憲法上の権利」ないし「基本権」とは、必ずしも一致しない。
長谷部恭男『憲法とは何か』(2006年刊) p.67~
第3章 立憲主義と民主主義
本書では、リベラル・デモクラシーを、立憲主義を基底とする民主主義体制という意味に用いている。立憲主義がいかにして生まれたか、そして、民主主義がいかにして冷戦後の世界の共通の政治体制となったかについては、前章までで説明した。ここでは、立憲主義および民主主義ということばの使い方について、あらためて整理しておきたい。
立憲主義とは何か
二つの立憲主義
立憲主義ということばには、広狭二通りの意味がある。本書で「立憲主義」ということばが使われるときに言及されているのは、このうち狭い意味の立憲主義である。
広義の立憲主義とは、政治権力あるいは国家権力を制限する思想あるいは仕組みを一般的に指す。「人の支配」ではなく「法の支配」という考え方は広義の立憲主義に含まれる。古代ギリシャや中世ヨーロッパにも立憲主義があったといわれる際に言及されているのも広義の立憲主義である。
他方、狭義では、立憲主義は、近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みを指す。この意味の立憲主義は近代立憲主義ともいわれ、私的・社会的領域と公的・政治的領域との区分を前提として、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びつく。二つの領域の区分は、古代や中世のヨーロッパでは知られていなかったものである。
近代以前と近代以降
近代以降の立憲主義それ以前の立憲主義との間には大きな断絶がある。近代立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提とし、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的とする。それ以前の立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提としていない。むしろ、人としての正しい生き方はただ一つ、教会の教えるそれに決まっているという前提をとっていた。正しい価値観・世界観が決まっている以上、公と私を区別する必要もなければ、信仰の自由や思想の自由を認める必要もない。
さらに、近代国家は、各人にその属する身分や団体ごとに異なった特権と義務を割り当てていた封建的な身分制秩序を破壊し、政治権力を主権者に集中するとともに、その対極に平等な個人を析出することで誕生した。人々の社会生活を規律する法を定立し、変更する排他的な権限が主権者の手に握られた以上、社会内部の伝統的な慣習法に依存する中世立憲主義はもはや国家権力を制約する役割を果たしえない。近代国家成立後になお意味を持つ立憲主義は、その意味でも、国家権力を外側から制約する狭義の立憲主義、つまり近代立憲主義に限られる。
立憲的意味の憲法
近代立憲主義に基づく憲法を立憲的意味の憲法ということがある。こうした憲法は、政府を組織し、その権限を定めると同時に、個人の権利を政府の権限濫用から守るため、個人の権利を宣言するとともに、国家権力をその機能と組織に応じて分割し、配分する(権力分立)。フランス人権宣言16条が「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、憲法を持つものとはいえない」とするとき、そこで意味されているのは、立憲的意味の憲法である。
立憲的意味の憲法は、必ずしも成文化されないが(イギリスが典型例)、近代立憲主義に基づく国家の多くでは、憲法は成文化され、しかも通常の立法過程による変更を許さない憲法として、硬性化されている。さらに、硬性憲法を持つ国の多くでは、憲法典の最高法規性を確保し、国家権力の制約を確実なものとするための違憲審査制が採用されている。日本国憲法も、近代立憲主義に基づく硬性の憲法典であり、その81条は最高裁判所を頂点とする違憲審査制の採用を定めている。
第1章で描いたように、近代ヨーロッパで立憲主義が成立する経緯においては、宗教戦争や大航海を通じて、この世には比較不能な多様な価値観が存在すること、そして、そうした多様な価値観を抱く人々が、それにもかかわらず公平に社会生活の便宜とコストを分かち合う社会の枠組みを構築しなければならないこと、これらが人々の共通の認識となっていったことが決定的な意味を持っている。立憲主義を理解する際には、硬性の憲法典や違憲審査制度の存在といった制度的な徴表のみにとらわれず、多様な価値観の公平な共存という、その背後にある目的に着目する必要がある。立憲主義と敵対した思想家 - たとえばカール・シュミットやカール・マルクス - と立憲主義との対立点は、制度的な表層の背後にこそあるからである。
九条解釈と立憲主義
たとえば、憲法9条の文言にもかかわらず自衛のための実力の保持を認めることは、立憲主義を揺るがす危険があるという議論があるが、これは手段にすぎない憲法典の文言を自己目的化する議論である。立憲主義の背後にある考え方からすれば、特定の生き方を「善き生き方」として人びとに強制することは、許されない。公と私の区分を無視し、特定の生き方を他の生き方に優越するものとして押しつけることになるからである。しかし、自衛のための実力を保持することなく国民の生命や財産を実効的に守ることができるかといえば、それは非現実的といわざるをえない。となると、それを憲法が命じているという解釈は、それでもそれが唯一の「善き生き方」であるからという理由で、国民の生命・財産の保護という社会全体の利益の実現の如何とはかかわりなく、特定の価値観を全国民に押しつけるものと考えざるをえない。
9条の文言は、たしかに自衛のための実力の保持を認めていないかに見えるが、同様に、「一切の表現の自由」を保障する21条も表現活動に対する制約は全く認めていないかに見える。それでも、わいせつ表現や名誉毀損を禁止することが許されないとする非常識な議論は存在しない。21条は特定の問題に対する答えを一義的に決める「準則(rule)」ではなく、答えを一定の方向に導こうとする「原理(principe)」にすぎないからである。9条が「原理」ではなく、「準則」であるとする解釈は、立憲主義とは相容れない解釈である。
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』(2004年刊) p.178~
終章 憲法は何を教えてくれないか
ヨーロッパでの成立の経緯に照らしてみればわかるように、立憲主義は、多様な価値観を抱く人々が、それでも協働して、社会生活の便益とコストを公正に分かち合って生きるために必要な、基本的枠組みを定める理念である。そのためには、生活領域を公と私とに人為的に区別すること、社会全体の利益を考える公の領域には、自分が一番大切だと考える価値観は持ち込まないよう、自制することが求められる。
立憲主義は、ありのままの人間が、自然に受け入れられる考え方ではない。少々無理をしなければ理解できないし、身につくはずのない考え方である。自分が一番大切だと思う価値観、自分の人生に意味を与えてくれる価値観を、みんなのためになることを議論し、決定する場には持ち込むなというわけであるから。
しかし、そうした自制がないかぎり、比較不能な価値観の対立は、「万人の万人に対する闘争」を引き起こす。それは、遠い昔の話でもなければ、ただのおとぎ話でもない。いまも世界のいたるところで、そうした闘争はつづいている。立憲主義はたしかに西欧起源の思想である。しかし、それは、多様な価値観の公正な共存を目指そうとするかぎり、地域や民族にかかわりなく、頼らざるをえない考え方である。
立憲主義にもとづく憲法 - 日本国憲法はその典型だが - は、人の生きるべき道や、善い生き方について教えてくれるわけではない。それは、個々人が自ら考え、選びとるべきものである。憲法が教えるのは、多様な生き方が世の中にあるとき、どうすれば、それらの間の平和な共存関係を保つことができるかである。憲法は宗教の代わりにはならない「人権」や「個人の尊重」もそうである。さまざまな信仰を持つ人々、無信仰を奉ずる人々が共存する術を教えるだけである。
立憲主義は現実を見るように要求する。世の中には、あなたとは違う価値観を持ち、それをとても大切にして生きている人がたくさんいるのだという現実を見るように要求する。このため、立憲主義と両立しうる平和主義にも、おのずと限度がある。現実の世界でどれほど平和の実現に貢献することになるかにかかわりなく、ともかく軍備を放棄せよという考え方は、「善き生き方」を教える信仰ではありえても、立憲主義と両立しうる平和主義ではない。
別の側面から見ると、立憲主義的憲法は、民主政治のプロセスが、自分では処理しきれないような問題を抱え込まないように、民主政治で決められることをあらかじめ限定する枠組みでもある。根底的な価値観の対立を公の領域に引きずりこもうとしたり、大きなリスクをともなう防衛の問題について、目先の短期的考慮で勇み足をしないように、憲法は人為的な仕切りを設けようとしている。引かれた線が「自然」な線に見えないという指摘は、反論にはならない。憲法が扱うさまざまな線のなかに「自然」な線などどこにもないからである。「自然」な線でないからこそ、いったん後退を始めると、踏みとどまるべきところはどこにもない。
立憲主義は自然な考え方ではない。それは人間の本性にもとづいていない。いつも、それを維持する不自然で人為的な努力をつづけなければ、もろくも崩れる。世界の国々のなかで、立憲主義を実践する政治体制は、いまも少数派である。立憲主義の社会に生きる経験は僥倖である。
本書をここまで読み進めた方は、国家の主権や国境だけではなく、人権や個人の尊重という観念まで相対化されてしまったことに戸惑いを覚えておられるかもしれない。こうした観念は、いろいろな問題を解決するに際して、自分で考えないですませるための「切り札」として使うには便利な道具である。自分で考えるということは、「・・・・・・である以上、当然・・・・・・だ」という論法で使われる、そうした「切り札」など実はないとあきらめをつけることである。
そして、自分で考えはじめた以上は、本書ももはや用はないはずである。願わくば、本書を踏み台としてさらに進まれんことを。

◆3.中間派の見解(佐藤幸治)


佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) 第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開  第一章 憲法の基本観念  p.xx以下
1.第一節 憲法の生成と展開
Ⅱ 立憲主義の成立と展開
(1) 近代以前と立憲主義
憲法は、最広義においては、およそ国家の組織・構造の基本に関する法を意味する。かかる意味での憲法なき国家はあり得ず、それはあらゆる時代のあらゆる国家について妥当する。ところで、およそ国家統治の本質は権力であり、その権力の背後には顕在的もしくは潜在的に強制力が控えている(レーヴェンシュタイン)。
原初的段階にある国家にあっては、この権力を扱う権力保持者による権力服従者に対する権力行使のあり方に関し、何らかの拘束力ある明確な規則というようなものはなく、宗教的信条とか伝統的な慣習あるいはときには単なる便宜ないし恣意に委ねられていた。しかし、人間の本性の省察に基づき、権力保持者による権力の濫用を抑制するための装置を積極的に創出し、それを政治過程に嵌め込むことによって、あるべき国家体制の保全を図り、権力名宛人の利益を守ろうとする努力がみられるようになってくる。我々は、それを既に古典古代ギリシャ、ローマにおいてみることができる(ギリシャ人は、自由社会を自分たちの言葉として語り、意識し、それを築こうとした最初の人間であるということは広く承認されている)。そこでは、政治権力を幾つかに分割し、それらの相互的な牽制によって権力の濫用を防止しようとする様々な試みがなされている。
このように権力保持者による権力濫用を意識的に阻止し、権力名宛人の利益保護を憲法の終局の目的と捉えた場合、この段階に至ってはじめて人類は憲法をもったと称することができる。ここにおいてはじめて憲法に基づいて政治を行なうということの意義が認められるもので、これを立憲主義と呼ぶならば、立憲主義は近代固有のものではなく、既に古典古代において成立していたということができる。 これを立憲主義の第一段階ないし古典的立憲主義と呼ぶことにする。
この立憲主義は中世およびルネサンス期のイタリアの都市国家などでもみられるもので、とりわけヴェネツィア共和国は、権力濫用を抑制し独裁的な絶対主義を阻止するための極めて複雑かつ多元的な抑制・均衡のシステムを案出し保持したことで知られている。
(2) 近代立憲主義の登場
古典的立憲主義は、中世の封建体制下において、また近代絶対主義国家における君主の圧倒的な支配の前に、背後に退くことを余儀なくされたが、近代市民革命を契機に、新たな理念と構想の下に再生した。
近代市民革命は、市民階級の経済活動面における絶対君主制に対する不満を梃子に、かつ、ルネッサンス運動期に醸成された個としての自覚を媒介とする個人の自由という基本観念の下に、生起したといわれる。つまり、近代市民革命は、国家(公)に対して個人の自由の領域(私的領域)の存在を設定し、かつそれを積極的に評価し、国家(公)はかかる私的領域の確保のためにこそ存在理由があり、従って国家の活動もそのような目的のためのものに限定されると捉えるところに本質をもち、そのための具体的方策として憲法の意義が明確に自覚され、そのあり方をめぐる認識が深められるところとなったのである。
かくして国民の自由・権利と、そのための権力の構成と行使のあり方を、正式な文章において確認するという考え方が生まれた。 議会制が発達し、マグナ・カルタやコモン・ローの発展などによって国王の権力濫用に対する抑制装置が既に十分に確立されたイギリスでは成文憲法の制定をみるところとはならなかったが(もっとも、クロムウェルの統治典範(インストルメント・オブ・ガヴァメント)(1653年)のような例がみられた)、アメリカやフランスにおいて相次いで成文憲法の制定をみるに至った。
1776年のヴァージニア権利章典はロック流の天賦人権・国民主権・革命権などを規定し、次いで採択された「政府の組織(Frame of Government)」において権力分立機構を定め、ここに近代的成文憲法の範型が成立した。
1789年のフランスの「人および市民の権利宣言」は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」(16条)と宣明しているが、我々はここに近代立憲主義の心髄の簡潔な要約をみることができる。
立憲主義といっても、上述の古典的立憲主義は、国家(公)に対する「私」の積極的評価の観念の下に成立したものではなく、むしろ個人の幸福は国家の幸福(公的幸福)の中にこそ存するとの考え方を基盤とするものであった点が注意されなければならない。
このように近代立憲主義は、成文憲法を制定して個人の人権を保障し、権力分立を定め、その一環として国民の国政参加への途を開いたが(従って、近代立憲主義は同時に立憲民主主義であった)、しかし、近代立憲主義は国民大衆の積極的な政治参加に必ずしも好意的ではなかったという側面をもっていたことに注目する必要がある。元来革命というものは国民に直結する議会に権力を集中しようとする傾向(いわゆる会議制的統治形態)をもつが、アメリカの諸邦でも当初議会全能の傾向を現出せしめた。そのことは革命保守派の警戒心を強めるところとなり、ここに主権者たる国民を憲法制定権力として把握し、国民の直接の関与の下に成立した憲法をもって議会の活動を抑制しようとする構想が登場することになる。
1780年のマサチューセッツ憲法がそれで、憲法制定に憲法制定会議と人民投票を採用した最初の憲法であるが、それは国民主権を建前としてたてつつ議会の権力を抑え込もうとする巧妙な考案であった。1788年発効の合衆国憲法は、このマサチューセッツ憲法の延長線上にあるといえる。違憲立法審査制もかかる背景において生まれてくる。
フランスでは、中道左派を多数とする国民議会が、1789年の人権宣言を前文とする憲法を1791年に成立せしめたが、この憲法では、人民大衆に対する警戒から、意識的にルソー流の「人民主権」を避けて「国民主権」とされ、主権者たる国民はただ「委任」によってのみその主権を行使できるものとされた(この点については、第四節Ⅱ(57頁)で論及する)。この「委任」は包括的・集団的な代表委任であって、代表者を拘束するような国民の意思の存在は忌避され、代表者は国民の選挙によって選ばれることを不可欠の要素としなかった(議会とともに国王も代表者とされた)。英米でもフランスでも制限選挙制であった。
(3) 成文憲法の普遍化
18世紀末のアメリカおよびフランスにおける成文憲法の制定は他の諸国にも強い刺激となり、19世紀に入ると国家という国家のほとんどが成文憲法を制定するようになった。君主国とて例外ではなかった。かかる現象を捉えて19世紀は「憲法の世紀」とも呼ばれることがあるが、成文憲法の普遍化時代であり、立憲主義の第三段階と称することもできよう。ただ、それとともに、超越的ないし道徳的な自然権思想が後退して実証主義的な権利観念が強まり、憲法概念も、価値的ないし目的的要素を希薄化ないし消失せしめて、形式化していった。そうした傾向の中で、立憲主義の外見によって旧体制の温存を図ろうとするようなものもみられるようになる。いわゆる外見的立憲主義である。大日本帝国憲法もかかる系譜に連なるものである。
このような限界はあったが、成文憲法の普遍化という現象は、後の世代がより徹底した自由・権利の保障と民主主義を要求する基盤を提供するという機能を果たした点は看過してはならないであろう。


◆4.リベラル右派の見解(阪本昌成)


阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) p.26以下から抜粋⇒全文は 第6章 立憲主義
1. 立憲主義の意義と展開
(1) 立憲主義の意義
先の [1] で私は、《統治とは、国家機関を通して為す、一元的・統一的な権力支配だ》と述べた。
統治は、限られたリソースを巡る利害の対立を調整しながら、その配分のあり方を権力的に決定する恒常的かつ永続的な国家作用である。
この権力的、永続的な統治活動の牙を抜いて正当な枠に閉じ込めようとするにが、規範的意味での国制の役割である。
統治を、流動的で恣意的な政治に委ねることなく、国制のもとに規律し安定化させる思考を「立憲主義 constitutionalism」という。
近代国家が規範的意味での国制によって統制されるに至った段階のものは、「近代立憲主義国家」といわれる。
これは、国家という強制の機構から各人の「自由」を擁護する、統治上のルールとしての憲法をもっている国家のことである。
(2) 立憲主義の展開
(中略)
自然権の保全と権力分立という二つの要素を憲法の必須要素だと明言したのが、フランス人権宣言16条の「権利の保障が確保されておらず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法を持たない」という有名なフレーズである。
この二つの要素を満たす憲法を「立憲主義的憲法」と一般にいわれることがある。
つまり、
《憲法とは、人権宣言と権力分立を含む成文の法文章だ》、
《この法文章は、国家樹立の際の社会契約および憲法協約を成文化したものであるから、主権者をも統制する法力をもっている》
という思想である。
今日、立憲主義を想起する場合、人々の脳裏に浮かぶのは、一般にこのタイプである。
が、フランス人権宣言とその16条は近代立憲主義のモデルではなく、「このタイプだ」と簡単に片付けることは正確でない。
フランス的立憲主義アメリカ的立憲主義は、憲法に関する見方を大きく異にしているのだ。

〔D〕近代立憲主義の枝分かれ
フランス型は、憲法をあるべき国家の最適モデルに適合させようとする理論に従って設計しようとした
なかでも、憲法を制定する力を民主的に創造するための人為的理論が最重要視された。
これが、後の [39] でふれる憲法制定権力の理論である。
人権も、まったく新たに創設され、最適規範に相応しい内容を人為的に持たされた。
人権は、人が精神的にも物質的にも、あるべき姿となるための規範だった。
こうした憲法のモデルが理論通りには運ばないと判明したときには、また別の理論に従って人為的に憲法が制定された。
フランスの憲法は、何度も何度も制定されては軌道修正された。
そして、結局のところ、自由の構成(constitution)に失敗したのだった


これに対してアメリカ型は、経験と伝統とを基礎とする憲法制定の道を辿った
理論的な最適規範を設計したところで、上手く定着することはない、と建国の父たちは知り尽くしていた。
それと同時に、憲法制定会議を頻繁に開設して討議を繰り返すと、統治力学の振り子が大きく揺れ過ぎることも予知していた。
建国の父たちは、モンテスキューが理想としていた「中庸な統治体制=混合政体」から多くを学んだ(合衆国憲法はJ. ロック(1632~1704年)の影響を受けて制定された、といわれることがあるが、これは誤診だと私は考えている)。
合衆国憲法が、House of the Senates(通常、「上院」と訳される元老院=貴族政的要素+連邦制)と House of the Representatives(通常、「下院」と訳される庶民院=民主政的要素)という権力分立、さらには、大統領という「民主化された君主」を置いたのは、そのためだった。
また、アメリカ建国の父たちは、人間の理性・知性の限界を知っていた。
人間は、有徳の存在ではなく、権力欲に満ちており、私利を追求するにあたって公共の利益を口にすること等々を建国の父たちは知っていた。
合衆国憲法は、人権保障にあたっても、“自然権を実定化する”とは考えなかった。
権利章典(Bill of rights)は、歴史的・経験的に徐々に姿を現してきた人の権利を確認するものだった(*注1)。

(*注1) アメリカ合衆国憲法における権利章典について
合衆国憲法にみられる「個人の自由と権利」は、自然権思想の影響をさほど受けてはいない。そこでのカタログは、歴史的にそれまで存在してきた権益を確認したものである。『憲法2 基本権クラシック』 11頁を参照願う。
(3) 立憲主義のふたつのモデル - 法の支配か民主主義か
以上のように、一言で「近代立憲主義」という場合でも、一方には純粋理論型または超越型があり、他方には経験型・伝統重視型がある。
見方を換えていえば、
フランス型民意を統治過程に統合するなかで同時に自由を作り出すための憲法構造を理論的に追究したのに対して、
アメリカ型多元的な民意を統治過程に多元的に反映させる憲法構造を伝統のなかから発見しようとしたのだった。
アメリカ型立憲主義は、《個人の権利自由を擁護するための制度的装置として権力分立制を用意する》とよくいわれる。
他方、憲法の民主化を重視するフランスにあっては、議会に反映される一般意思のもとに行政と司法を置くことが、その眼目であると考えられた。
J. ルソー(1712~1778年)の影響だろう。
そのために、議会中心の統治が理想とされた。

これに対して、合衆国憲法は、モンテスキューの理論モデルを参考としながら、民主主義を万能としない権力分立制を導入した。
アメリカ憲法は、「立憲主義=法の支配=権力分立」という等式を基礎として制定されたのである。
立憲主義のモデルアメリカに求める人物は、《立憲主義とは、法の支配と同義であり、それは民主主義の行き過ぎに歯止めをかける思想でもある》と考える傾向にある。
これに対して、立憲主義モデルフランスに求める人は、「立憲民主主義」という言葉を多用する傾向がある。
後者は、「立憲」の中に権力分立と人権尊重の精神を含め、「民主主義」の中に、「国民主権」と議会政を含めているようである(民主主義の中に人権尊重を忍び込ませる論者もいる)。
が、それらの一貫した関連性をそこに見て取ることは困難であるように私にはみえる(自由主義と民主主義との異同については、後の [26] でふれる)。
私は、《立憲主義とは、誰が主権者であっても、また、統治権がいかに民主的に発動されている場合であっても、主権者の意思または民主的意思を法のもとに置こうとする思想だ》と考えている。
本書が「立憲民主主義」という言葉を決して用いないのは、そのためである。
阪本昌成『法の支配 - オーストリア学派の自由論と国家論』(2006年刊) 第1章 何が問われるべきか  第2節 現代国家のパラドックス p.13~
1. 統治の必要性と個人の自由
(1) 現代国家の新任務
極端な無政府主義に与しない限り、国家統治の必要性は肯定されるだろう。その必要性を承認しながらも多数の人は、国家の統治権力のもつ強制の力が個人の自由にとって脅威となると感じ取ってきた。このパラドックスを憲法によって解こうとしてきたのが近代立憲主義または自由主義(リベラリズム)だった。立憲主義またはリベラリズムは、統治の必要性と個人の自由の保障、これを同時に成立させようとする歴史上の思索だったのである。
(以下省略)
2. 近代立憲国家の特徴
(1) 立憲自由主義
近代立憲主義とは、一体、どんな主義・主張だったのか?
そこでの国家構造(constitution)は、どんなものだったのか?(憲法の基礎にある国家構造を constitution と呼び、「国制」と表現することにしよう。)
私は、近代立憲主義を「立憲自由主義」と呼び、その国制を次のように特徴づけている。
(ア) 民主主義を貫徹させない仕掛けを国制上もった国家である。二院制を含めた権力分立構造しかり、違憲審査制、複数政党制またしかりである。なかでも「法の支配」がその要である。
(イ) 立憲主義と民主主義とが、別の系譜に属することを知っている国家である。
近代立憲主義は、リベラリズムを国制(constitution)の基本とする思想であり、デモクラシーを貫徹する思想ではない。
近代立憲主義は、立憲自由主義と同義であって、民主主義を立憲化すること(国制の基本として組み入れること)ではない。「立憲民主主義」とは、「憲法によって制限される民主主義」を指すということであれば、有意となる。
(ウ) 統治権の担当機関が何であれ、その権力が制限されている国家である(制限政府, Limited Government)。
(エ) 制限政府の具体的装置として、司法権の独立保障のみならず、「法の支配」形式をもっている国家である(なぜ、ここで私が「形式」と表現したのか、それは、本書を読み進むに従って明らかになるだろう。均衡財政も「法の支配」のひとつであるが、本書はこれについて述べる余裕がない)。
(オ) 公共財を提供するほかは、市場には直接に介入しない「公/私」の区別をわきまえた国家である(公共財の意味については、本章第2節での【N.B.3】を参照、「公/私」の区別は、次章で論じられる)。この国家は「自由《放任》」国家ではなく、各人の行為の自由を維持するための手段となるよう「法」を提供する機構である。
(カ) 官僚団の権限と裁量を最小化せんとする国家である。
(2) 立憲主義と「法の支配」
ハイエクは、(近代)立憲主義の特徴を次のように纏めあげている。これには学ぶべき点が多い。
「専制君主の最後から無制限の民主主義の発生に至るニ世紀もの間、立憲政治の主要目的はあらゆる政府権力を制限することであった。あらゆる恣意的な権力行使を阻止するために次第に確立されていった主要な原理は、権力の分立、法の支配あるいは法の主権、法の下の政府、私法と公法の区別、および訴訟手続の規定であった。これらはすべて、個人に対する強制がどのような条件の下に承認できるかを定義し、制限するのに役立った。強制は一般利益になるばあいにのみ正当化されると考えられた。また、統一ルールに従って万人に等しく適用できる強制だけが一般利益になると考えられた」
上のハイエクの指摘のうち、①「法の支配」、②公法と私法(または国家と市民社会)の区別、③強制の許容される条件、について詳細に解析することが本書のねらいである。
(以下省略)

◆5.保守主義の見解(中川八洋)


保守主義の憲法学者としては百地章氏などが有名だが残念ながら体系的な著作が存在しない。
中川八洋氏は憲法学者ではないが、政治思想の把握が確りしており、歯に衣を着せぬ左翼的「立憲主義」(=立憲主義のフランス的理解)批判を展開しているため参考になる。(⇒なお、中川氏の憲法論全体は、中川八洋『国民の憲法改正』抜粋 を参照)

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<目次>


中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.129以下


第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する - 根絶すべきフランス革命の教理


フランス革命とは、・・・人民の政府でもなければ、人民による政府でもなく、・・・国民から絶対的に独立した地位に自らを置いた、国民の代表者を僭称する革命家たちの、「主権の簒奪」であった。(アーレント)

第四章 「国民主権」は暴政・革命に至る - 「デモクラシーの制限と抑制」こそ憲法原理


◇第一節 英米憲法は、なぜ「国民主権」を完全に排撃したか


日本の憲法学では、授業でも教科書でも、米国憲法を事実上、全く触れない。避ける。
東京大学法学部ですら然りである。
この理由は明確で、米国憲法に言及した瞬間、日本の憲法学者の九割が虚偽とプロパガンダの常習者、つまり詐欺師と分かってしまうからである。
日本における憲法学者のほとんどは、人格的にも病いに冒されている。

例えば、米国憲法には「国民主権」などというものは匂いほども存在しない。
そんなものは積極的に排斥され否定されている。
とくに、米国は、その憲法制定によって「立憲主義(constitutionalism)」を憲法原理としたから、いかなる権力も制限される。
このため、「制限されない権力」の意である「主権」は、当然に憲法違反であり、完全に排撃される。
「立憲主義」と「国民主権」は水と油で両立しないから、米国は前者を採用して後者を追放した。
日本の憲法学者が「立憲主義」を是とし、「国民主権」を称賛しているのは分裂症的思考である。

バジョットは、米国憲法の起草者たちは「何処にも主権を置かないようにしたのである。それは、主権によって暴政が生じることを恐れたからである」と、米国憲法を正しく観察している(※注1:ウォルター・バジョット『英国憲政論』、中央公論社「世界の名著」第72巻、246頁)。
ハンナ・アーレントも次のように述べている。
「政治それ自体における偉大な、そして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして、人間事象の領域においては主権と暴政とは同一のものであると洞察したこと」(※注2:ハンナ・アーレント『革命について』、ちくま学芸文庫、239頁)

統治に関する「主権」の廃止は、英国本国のコーク以来の伝統であって、「アメリカ的革新」ではない。
また「主権」と“暴政”の同一視も、英国の常識であって、「米国の発明」とはいえない。
このような小さなミスをしているけれど、アーレントは米国憲法の核心を正確に把握している。
ノーベル経済学賞受賞の政治哲学者ハイエクは、次のように「国民主権」のことを「迷信」という。
その通りであって、政府の統治を受けている被治者を「主権者」などとは、酔っ払いの寝言か戯言かであろう。
あるいは、迷信とか妄念上の幻覚としか言いようがない。
「主権が何処にあるかと問われるなら、何処にもない・・・・・・というのがその答えである。立憲政治は(権力が)制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はあり得ない。・・・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、・・・・・・・迷信である(※注3:F. A. ハイエク『法と立法と自由』、『ハイエク全集』第10巻、春秋社、171頁)」

統治において「主権」を排除するのは、自由にとって最高の憲法原理である。
「法の支配」の下で憲法を成長させてきた英国においても同様である。
英国の「法の支配」の原理にあっては、ブラクトンの法諺のとおり、“法”は神よりも国王よりも上位にあって神や国王を支配するから、神や国王ですら主権者になり得ない。
かくして、「何にも支配されない権力」という意味である「主権」は、英国では“法”に支配される国王にすら適用されなかった。

むろん、英国にも、ボーダンの『国家論六書』(1576年)などによって、「主権」というフランス生まれの思想が上陸していたから、16世紀末からのイギリス国王も「主権」に並々ならぬ関心を寄せるし、その周辺の臣下のなかには国王に阿諛すべく「国王主権」を言い出すものは少なくなかった。
だが、ちょうどこの17世紀の初頭、英国は幸運なことに「法の支配」を死守せんとするエドワード・コーク卿というコモン・ローの大法曹家が存在していた。
そして、不敬罪で牢に繋がれることを恐れず、「国王主権」論を断固排撃した。

例えば、1608年10月、国王ジェームスⅠ世に向って、コークは直接ブラクトンの法諺「国王は、すべての臣民の上にあるが、“法”の下にある」を持ち出し諌言している(※注4:『コーク判例集12』、原著、63~5頁)。
また、チャールスⅠ世時代の1628年の「権利請願」(Petition of Right)の草案に貴族院が「国王主権」の文字を挿入したとき、当時たまたま下院議員になっていたコーク卿は「主権は国会の用語ではない」と、ばっさりと削ってしまった(※注5:W. Holdworth, A History of English Law, Vol. 5, p.451)。
現代風の表現では、「主権は憲法に背反する」である。

今日に至るも、英国に、憲法を含め国家の統治関係に「国民主権」という概念が全く存在しないのは、コークに代表される「法の支配」を守らんとした多くの英国の法曹家と政治家の汗の結晶による。
かくして、英国には、ブラックストーンの「“法”主権」や、ダイシーの『憲法序説』で日本でも有名になった「国会主権(※注6:中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、116~8頁)」の概念はあっても、「国民主権」も「人民主権」も存在しないのである。

英米の憲法が“正統な憲法”として世界的にもそのモデルになっている事実については、日本でも広く知られている。
この点からでも「国民主権」が存在しないか、否定されているのが“正しい憲法”であるのは自明であろう。
つまり、「国民主権」を美化し神格化している日本の憲法学の教科書はすべて、“狂った憲法学”である。
しかも、この狂気は度が過ぎ、オウム真理教よりも遥かに酷い。

米国社会から排除された“アメリカのはぐれ者”たちの巣窟であったGHQ民政局では、日本国憲法を書くに当たってスターリン憲法やワイマール憲法を参考にしたように、彼らは通常の“米国人”ではなかった。
そのことは、非英米的な「国民主権」が前文や第一条にあることですぐ分かる。
彼らは「英米の憲法が正統」であることに耐えられない、“アメリカの異分子”たちであった。

話を戻して、米国憲法が「国民主権」を排しているのは、米国がイギリス17世紀の法思想で建国されたからである。
独立戦争(1775~83年)とは、この17世紀という百年ほど昔の英国の法思想で武装したアメリカ植民地に住む“古い英国人”と、議会が強くなりすぎた18世紀後半の英本国に住む“新しい英国人”との闘いであった。

また、建国当時のアメリカのエリートたちとは主として大農園主であるが、コークの『英国法提要』とこのコークを継ぐブラックストーンの『イギリス法釈義』を座右の書とする、高い教養人であった。
コークとブラックストーンこそは「法の支配」の法曹家であるが、それらを血肉としたアメリカ「建国の父たち」は、主としてこの両名の法思想を学び、そこから「立憲主義」とか、「(立法に対する)司法審査」とかを「発明」した。

19世紀において、英本国では、「ベンサム→オースティン」らの命令法学に汚染され、「法の支配」が衰退していった。
しかし、米国は17世紀初頭のコークの思想を頑固に19世紀末までは継承し続けた。
20世紀に入って米国でも「法の支配」は衰退したが、しかし「国民主権」などという、暴力とテロルを生んだ革命フランスの、国民を暴君に仕立てあげてこの凶暴な暴君に自分たちの自由を侵害させる狂気のドグマは、全く芽すら出ることなく今日に至っている。
「国民主権」という言葉は、米国では今でも火星語のようなもので誰も理解できない。

一方、英国とは、マグナ・カルタに代表される中世封建時代からのコモン・ローと、それと不可分の関係にある自由擁護の憲法原理「“法”の支配」とを死守すべく、フランスから流入する「主権」思想を撃退するために血を流した歴史を持つ国家である。
革命フランスに宣戦し、22年戦争(1793~1815年)を戦ったのである。
英国にとって「国民主権」は、英国に上陸してはならない、根を張ってはならない、有害な教理として合意され現在に至っている。

「国民主権」が米国に存在もせず米国人の関心の対象にもならなかったことは、米国にルソーやその他のフランス啓蒙哲学(モンテスキュー1名のみ例外)がさっぱり流入しなかったことに通じている。
あるいは、米国の建国から数ヶ月後に発生した革命フランスの革命思想も簡単に排除され流入しなかったこととも関係していよう。
英国ではエドマンド・バークを先頭にして国を挙げて革命フランスの革命思想の流入の阻止に血眼にならざるを得なかったが、米国にはそんな苦労は全くなかった。

英米憲法の思想は、革命フランスの思想とは水と油のごとく対立的である。
共通する所がどこにもない。
フランスが、フランス革命の思想こそが“本当の憲法”を蹂躙すると悟って、英国系の憲法思想の正しさにやっと気づいたのは、1875年の第三共和国憲法からであった。
つまり、1789年から1875年までの86年間とは、フランスにとって無意味で有害な反憲法のドグマに熱狂した「狂愚の86年間」であった。
そして、このフランス第三共和国憲法が米国憲法(1788年)に似たものであることは、米国に遅れること87年もかかってフランスがようやく米国の足下に及んだということである。

話を米国憲法に戻せば、そこに「国民主権」がはっきりと不在になっているのは、憲法起草者が一致して民衆(demos)というものに「潜在的専制者(potential tyrant)」を透視し警戒したからである。
育ちも教養も高い君主ですら「専制君主」になると恐れるならば、その逆の、育ちも悪く教養もない民衆は主権を与えられれば直ちに“暴君”になるだろうことは、「米国の建国の父たち」にとって自明であった。
民衆が多数を恃(たの)んでその意志を強制力に転換したならば、それは必ず国民の自由を侵害するものになるのは、自明であった。
「建国の父」の一人で、米国憲法の起草者の一人でもあったマディソンは、この「多数者の専制」を次のように恐れている。
「民主政治(popular government、民選政府)の下で多数者が一つの党派を構成するときは、党派が、公共の善と他の市民の権利のいずれをも、その圧倒的な感情や利益の犠牲とすることが可能になる(※注7:A. ハミルトンほか『ザ・フェデラリスト』、福村出版、46頁)」

このようにデモクラシーへの警戒感は、“人間というものへの不信”という、正しい人間観を、アメリカの「建国の父」たちが持っていたからであった。
フランスの啓蒙哲学者や革命屋たちは、あろうことか、政治過程での人間が善性であり得ると逆さに妄想した。
マディソンの、次のような主張こそが不変の真理であろう。
「そもそも政府とはいったい何なのであろうか。それこそ、人間性に対する最大の不信の現れでなくして何であろう。万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としない(※注7:前掲『ザ・フェデラリスト』、254頁)」

「建国の父たち」の筆頭アレグザンダ・ハミルトンも、デイビット・ヒュームの影響もあるが、「全ての人間はごろつき(a knave)と見なすべきである」と、政治家が持つべき正しき人間観を持っていた。
ニューヨーク邦での米国憲法批准会議で、ハミルトンは次のように演説した。
「純粋デモクラシーは、歴史を紐解けば、これほどの政治における偽りは他に類をみない。古代デモクラシーでは市民(国民)自身が議会に参加するが決して良き政府をもったことがない。その性格は専制的であり、その姿は奇形である(※注8:Selected Writings and Speeches of Alexander Hamilton, AEI, p.207)」(1788年6月21日)

国民の自由の擁護は、民衆の政治参加を警戒し、その代表者の議会に対してすらさらに警戒し、デモクラシーを制限する「制度」をつくることであるが、これが「建国の父たち」の一致した意見であった。
マディソンは、民衆が選出した代議士たちの議会(立法府)に対して、この議会が国家権力を簒奪しないかとも恐れた。
「・・・・・・この立法部(国会)に対してこそ、冒険的な野心をもつことがないように、人民はその一切の猜疑心を注ぎ、警戒をおさおさ怠りないようにしなければならない(※注9:前掲『ザ・フェデラリスト』、242頁)」

実際に革命フランスでは、「議会」が権力を簒奪して、国民を好き放題にギロチンその他で殺害するに至った。
ジャコバン党独裁下の「国民公会」は、単なる“殺人許可書を発行する村役場”であった。
フランス革命は、米国憲法のあとに発生したが、またラファイエット侯爵のようなワシントン・マニアックもいたのに、米国憲法の思想から何かを学ぼうとした形跡が全くない。
日本の憲法学者のほぼ全ては、米国憲法の解説書『ザ・フェデラリスト』をその教科書でまともに取り上げていないが、それはフランス革命の凶暴なジャコバン・テロリストと日本の憲法学者とが「兄弟」だからである。


◇第二節 「フランス革命の教理」を“憲法原理”だと詐言する学者たち


日本の憲法学者の多くは、一種の詐話師である。
いかに言論の自由があるとはいえ、何らかの刑法上の犯罪になるのではないかと思うほど、彼らが書き散らした教科書は嘘とトリックだらけである。
「国民主権」一つを例としよう。
英米憲法はそれを拒絶している。
現代フランスの第五共和国憲法(1958年)は“蝉の抜け殻”のようにその形骸を残してはいるが、憲法として何かの意味を持たせているわけではない。
つまり、フランスは、「国民主権」を実態上は死刑に処しているが、その屍を埋めたあとに立派な墓をたててあげた。
それが第五共和国憲法の第三条に当たる。

ところが、日本の憲法学は、プリンセス天功のマジック・ショーも顔負けに、まず現実の自由社会の世界地図から英国も米国も現代フランスも、主要三ヶ国を消してしまう。
次に、歴史の彼方にとっくの昔に葬られたほずの、1789年から1794年にかけての血塗られた革命フランスを「現在」に存在する、「世界に存在する唯一の憲法先進国である」という“大幻想”のスクリーンを映し出す。
杉原泰雄の『国民主権の研究』や辻村みよ子の『フランス革命の憲法原理』などは、彼らが1789年から1794年のジャコバン・テロリストになりきっており、彼らの思考も時間もこの18世紀末のフランスに止まっている、そして、この18世紀が、「20世紀後半である」「21世紀である」とのマジックに専念している。
彼らの本は、読むたびにゴースト・タウンの光景か、お化け屋敷が浮かんでくる。
異様な本である。
なお、フランス革命のフランスに憲法原理など全く存在しないから、『フランス革命の憲法原理』との、辻村の著作タイトルは、悪徳不動産屋の誇大広告と同じ虚偽広告に当たる。

なぜ日本の憲法学者の九割がこれほどまでに虚偽と欺瞞に狂奔するのであろうか。
理由の第一は、彼らはマルクス・レーニン主義者であり、日本を何としても社会主義化したい、共産主義国にしたいという執念にのみ生きている宗教信者であるからだろう。
そして、革命を排除する智恵が憲法の魂に沿っていなくてはならないのに、革命に誘導する革命の教理を、あろうことか憲法学だと詐言的に転倒する。
宮沢俊義、長谷川正安、杉原泰雄、小林直樹、横田耕一、渡辺浩、樋口陽一、辻村みよ子ら、名をあげると数十名にも及ぶ。

英米憲法を全面的に消してこの地球上には存在しないことにした「情報操作(トリック)の達人」辻村みよ子とは、フランス人権宣言(1789年)や1793年ジャコバン憲法に関して荒唐無稽かつ出鱈目なプロパガンダ(嘘宣伝)を平然となす人物でもある。
前述したその作品『フランス革命の憲法原理』で、辻村の嘘は「はしがき」の冒頭一行目から始まる。
そこでは「(フランス革命200年目にあたる今年)フランスをはじめ世界の国々で、大革命の偉業を讃え、その意義を考える記念行事・・・・・・(※注1:辻村みよ子『フランス革命の憲法原理』、日本評論社、i頁、ii頁)」、としているからだ。
だが実際には、フランスにおいてすらフランス革命離れは決定的である。
フランス政府は、革命記念日行事その他を今では可能な限りロー・キー化している。
フランスは、東欧の解放(1989年11月)とソ連邦の崩壊(1991年12月)をもって、フランス革命記念日の安楽死を模索している。
世界のどこにもフランス革命の「偉業を讃え」る、そんな国は実態としては一ヶ国もない。
辻村の虚偽記述は病気である。

さらに、人権宣言やジャコバン憲法についての、細々とした“屍体解剖”的な研究は散見されるが、「フランス憲法学界の最近の傾向、すなわち1789年宣言の憲法規範性を認め、・・・・・・(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)」などという研究動向は、ゴミほどのもので無視すべきレベルである。
人権宣言はフランス国家全体を宗教団体に改造する宣言で、“モーゼの十戎”などをモデルとしたカルト宗教の戒律もしくは呪文の性格をもつことは、今では定説であろう。
かくも憲法から程遠いものが、どうして「憲法規範性」を持ち得るというのだろうか。

辻村の言説が麻原彰晃のそれに重なるのは、辻村が殺人鬼ロベスピエールの崇拝者であることだけではない、
「近代市民憲法原理ないし近代立憲主義の基本原理を確立したのは、人権宣言かジャコバン憲法か、あるいは1791年憲法かジャコバン憲法か」などと言ったり、それが「<新しい問題>である」など、と述べているからである(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)。
「立憲主義」とは、「立憲君主」という概念でも簡単に分かるように、憲法に従っって如何なる権力も制限されることを指すから、「国民主権」という「主権」が高らかに謳いあげられた革命フランスに全く存在しなかったのは明々白々ではないか。

例えば、ジャコバン憲法は制定されたが施行されなかった。
そればかりか、この憲法に定められていない、“無法組織”たる公安委員会と革命裁判所をもって独裁とフランス国民の大量虐殺が実行された。
「立憲主義」とは対極的な“憲法破壊主義”がジャコバンの本性であった。
だから、自由、生命、財産への大々的な侵害という蛮行が実行されたのである。
フランスが米国生まれの「立憲主義」を初めて理解したのは、約百年後の1875年であった。

しかも、「フランス人権宣言」こそが、“憲法破壊主義”を牽引し正当化した。
その第三条が「国民主権」を定めたからである。
この「国民主権」によって、人間を無制限に殺戮したいという、国民の一部の“意志”が絶対化され神化されたからである。
これが大規模テロルに至った主要な理由の一つである。
このように、「国民主権」が反・憲法原理であることは、このフランス革命史が百パーセント以上に証明している。
「立憲主義」を史上初めて創造したアメリカの「建国の父たち」が、「国民主権」とそれに類する思想すべてを排撃したが、彼らが如何に優れた賢者であったかはこれだけでも充分に判明する。

樋口陽一は、東京大学教授として最も強い悪影響と深い傷跡とを日本に遺した憲法学者である。
この樋口もまた、時間がフランス革命でとまり、事実上、それから現在に至る二百年間の歴史が抹殺されている。
また、場所もパリに限って、英米を含めて世界各国の憲法を決して鳥瞰しようとしない。
ときたまタイム・マシーンに乗って、ホッブズとルソーを狂信する「ヒットラーの芸者学者」のカール・シュミット(ナチ党員)の所にお伺いに出かけるぐらいである。
これが樋口陽一の憲法学の全てである。
“知の貧困”もここまでくると絶句するほかない。

具体例を挙げる。
樋口陽一の主著『憲法Ⅰ』(※注2:樋口陽一『憲法Ⅰ』、青林書院)は、英国憲法は全面無視し歪曲する。
米国憲法は完全拒絶する、オランダ、ベルギー、北欧の立憲君主国憲法はないことに処理し、現代フランスの憲法は隠す、……。
マジック・ショーのトリック以外の記述が全くないという奇本、それが樋口著『憲法Ⅰ』である。
別の表現をすれば、憲法としてはとっくの昔に死んで白骨と化している革命フランスのそれと、カルト宗教の経典であったフランス人権宣言だけでもって、腐った枯れ枝を集めたような樋口流「憲法理論」を創る。

まずその第Ⅰ部では、主に「立憲主義」を取り上げる(第一章第三節、第四章その他)。
ところがそこでは、米国の「立憲主義」には全く言及しない。
「立憲主義」を全面破壊したい“反・立憲主義者”である樋口にとって、その内容について実質的に一行も言及しないことによって自分の狙う目的を果している。
しかし「立憲主義に言及しないとは何だ!」の批判を回避すべく「立憲主義」という四文字のみは選挙宣伝カーの連呼の如く書き散らす手法をとっている。

次に、近代憲法の基本構造が「主権」と「人権」だとする(第二章第一節)。
ここでも、樋口は卑劣なほどのトリックで論述していく。
なぜなら、そのタイトルは一般的な「近代憲法の基本構造」としているのに、実際には、「身分制秩序を否定する国家=国民主権原理によって、人権主体としての個人が成立した」(28頁)などと、革命フランスのみに限定してその「憲法」なるものを記述しているだけだからである。
羊頭狗肉である。
また、この第一節のタイトルを「主権と人権 - その近代性」としているのは、革命フランスのみに特殊であった「(国民、人民)主権」と「人権」が、当時の欧米に一般的にも存在し「近代的」であったかのように学生が誤解するよう誘導するためである。

近代の英米憲法には、「国民(人民)主権」も存在しない。
「人権」も存在しない。
が、この事実については樋口は一文字も書いていない。
英米憲法について正しく記述すれば、「人権」が近代とは無関係であるのが一瞬にしてバレるからである。
それを避けるための詐術としての「抹殺」である。
次に、ここまで米国憲法を抹殺するのは極端で拙いと思ったのか米国に言及する所がある。
が、この事実については樋口は一文字も書いていない。米国憲法とは何の関係もない、1835年のトクヴィルの作品を出して誤魔化すのである(30頁)。

英国については、17世紀の“主権潰し”のコークなどには一言も言及せず、それから200年以上もたった19世紀のダイシーの『憲法序説』のさわりにちょっと触れてオシマイにする(25頁)。
全体を通してみると、結局、革命フランスの部分だけで「全世界の憲法と近代以降2~400年間の全ての憲法の話をした」ことにしている。
レトリックというより、低級な詐言としか形容できない。

「立憲主義」に話を戻せば、ここまで真っ赤な嘘を吐ける人間がこの世にいるのかと、ただ驚愕するしかない。
例えば、樋口は次のように、出鱈目も度が過ぎた虚偽定義をするからである。
「近代立憲主義は、人権主体としての個人の尊厳という究極的価値を前提にして、権利保障と権力分立をその内容とする」(22頁)

「立憲主義」は、統治機構内の如何なる権力も憲法に従って制限されるという、1788年の米国憲法を嚆矢とするアメリカ的な憲法原理である。
が、決してこれには触れない。
また、マディソンらの「建国の父たち」が起草した米国憲法には「人権」は匂いすらなく、「個人の尊厳」もない。
当然、「権利の保障」とも無関係である。
いったい、「人権主体としての個人の尊厳」と「立憲主義」とがどう関係すると言うのだろう。
まるで、「フランスのケーキは我が日本国の伝統文化の象徴である」などと同じ言辞であり、酔っ払いでもこれほどの酔言は吐かない。
そして、米国憲法から100年も後の、しかも米国でない、19世紀ドイツの「立憲主義」などのマイナーな話にすり替えていく(22~3頁)。

次のような、もう一つの虚偽定義も全く意味不明である。
なぜなら、「立憲主義」は、「国民主権」や「絶対君主」を排撃するものであるが、単なる「個人」を対象としないからである。
樋口の「強い個人」の意味ははっきりしないけれど、それが“個々(アトム)主義”の「個人」を指すのであれば、ルソーの『人間不平等起源論』から生まれた「平等」と表裏一体をなす概念である。
つまり、樋口はフランス啓蒙思想をもって、水と油の関係にあるコーク系列の「立憲主義」とが混じり合えるという、マジック・ショー的にこの一文を書いている。
「近代立憲主義を想定する個人は、ひとことでいえば、強い個人である」(33頁)

樋口陽一の「憲法学」は“憲法学”ではない。
「法の支配」など、自由を擁護する憲法原理を完全に無視するか、歪曲している。
ひたすらフランス革命を日本に起こすことのみに執念を燃やす扇動のパンフレットになっている。
アジビラである。

附記
読売憲法試案(2004年5月3日)は、樋口陽一や辻村みよ子の直系の、大量虐殺者ロベスピエールと同じイデオロギーというか、共産革命のロジックというか、それが冒頭に展開されている。
「日本国憲法は、日本国の主権者であり、……」が、前文の最初に書かれているからである。
その意は、日本人は「一億二千六百万分の一の絶対君主」になったとでも言いたいのだろうか。
しかも、一般に日本人のほぼすべては被治者であるからこの主権者に絶対的な服従を強いられる「一人の奴隷」になったとの宣言である。
そればかりか、わざわざ「第一章 国民主権」を新しく設け、それを現第一章「天皇」の直前にもってきている。
天皇は、「主権者」たる国民の下にある、と言いたいのである。
あのルイ16世の処刑の直前の血塗られた革命フランスを模倣している。
読売憲法試案より、現GHQ憲法の方が日本国にとって何十倍もましである。



■4.(要約)立憲主義とは何か


◆1.各論者の見解の評価


政治的スタンス 論者 評価
(1) 左翼 芦部信喜 芦部は「立憲主義は~という淵源(あるいは特色)を持つ」「~という展開をしてきた」とその属性や発展経緯を述べるものの、「立憲主義とは何か」という肝心の理念論に関しては慎重に口を閉ざしている。これは芦部の憲法論英米圏で主流となっている「立憲主義」や「法の支配」理念の理解とは実は無縁の古いドイツ系法学に依拠していることに原因がある。⇒芦部の後継者である高橋和之も同様。
高橋和之 高橋は「近代立憲主義の基本原理は~である」「近代立憲主義には立憲君主政モデルと国民主権モデル(立憲民主政モデル)の2つがある」とするが、それらの詳細を読むと初めから結論ありきで自論を並べているだけであり、阪本昌成や長谷部恭男の論説にあるような相対立する見解同士を真摯に比較検討するスタイルに全くなっていない。
(2) リベラル左派 長谷部恭男 長谷部は、芦部・高橋説にあるような「日本ローカル」ないし「半世紀前の法学パラダイム」のままの立憲主義の理解を否定して、立憲主義の本質を互いに比較不能な価値の多元性を保障するための枠組みとする世界標準の理解を正当に論じており、かつ左翼論者にありがちなルソー的な「民主主義」や絶対平和主義への強い懐疑・否定をも明確に打ち出している点は大いに評価できる。
しかし長谷部は、何故かハートの法概念論には依拠しながらもそれと強い親和性をもつハイエクの自由主義論、そして阪本昌成の論にあるようなフランス型とアメリカ型の2つの立憲主義の枝分かれ論を完全に等閑視しており、立憲主義の論理的追求が中途半端なまま終わっている。
(3) 中間 佐藤幸治 佐藤も芦部と同様に、「近代立憲主義」と「現代立憲主義」を対比して言及するものの、立憲主義そのものの理念の説明はない。つまり芦部や佐藤の世代ではベースがまだドイツ系法学であったために、英米系の「立憲主義」「法の支配」といった理念を英米圏の用法の通りに消化できていないのである。
(4) リベラル右派 阪本昌成 ハイエクの自由主義論、ハートの法概念論に依拠する阪本は長谷部が故意に突かなかった「フランス型立憲主義」の欠陥を明確に指摘して芦部・高橋説の誤謬を明らかにしている。
(5) 保守主義 中川八洋 中川は、立憲主義ないし「法の支配」と、「国民主権」「人民主権」といった主権論との矛盾までをも明確に暴きだしている。

◆2.法の支配《広義》、フランス型立憲主義、アメリカ型立憲主義


自由主義(liberalism)が近代以降、①イギリス型(真正の自由主義)と②フランス型(左翼的リベラリズム)の二つの系譜にはっきりと枝分かれした(※詳細はリベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜を参照)こととパラレルの関係で、それと密接に関連した立憲主義(constitutionalism)の系譜も上記の阪本昌成氏の指摘にあるとおり、①アメリカ型と②フランス型に分離したものと捉えるのが英米圏の常識である(※参考図書に紹介したH.アーレントなど)。
ここでは、①アメリカ型立憲主義および②フランス型立憲主義に加えて、これらの考え方の本となった③イギリスの「法の支配《広義》」を併せて解説する。


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※上図の詳細は、日本国憲法改正問題(上級編)参照。

※イギリスは成文憲法を持たないため「立憲主義」といわず「法の支配」というのが通例である(但し形式的/手続的正義の要請を意味する「法の支配《狭義》」と区別するために《広義》と付記する)。
※日本は明治期に国制を明確にするために成文憲法(憲法典)を定めたが、国制と憲法典の関係を見ると明らかに伝統国家型であるため、イギリスと同じカテゴリーとした(但し、これをプロイセン憲法に由来する「外見的立憲主義」とする見解の方がずっと有力である)。
※いずれにせよ明治憲法下の日本は、アメリカ型(創成型憲法典)でもフランス型(革命型憲法典)でもない第3の憲法体制のカテゴリーだったのは確かである(それを保守型憲法典と位置づけるか、それとも外見的立憲主義と位置づけるかの当否はともかく)。
※戦後の日本については、左翼の多い憲法学者の間では、日本国憲法は革命型憲法典であるとする論説が強いが(八月革命説)、日本政府の公式見解は当初から「日本の国体は戦前戦後を通じて一貫している」としており、日本は伝統国家であり、日本国憲法は保守的に解釈するのが正当である。

区分
(1) 法の支配《広義》(=ノモクラシー) 憲法典なし(例:イギリス)又は、保守型憲法典(例:大日本帝国憲法) 既にある国制を明確化しようとする伝統国家の場合 混合政体、とくに立憲君主制と親和的 「法の支配(rule of law)」とは何か参照
(2) フランス型立憲主義 革命型憲法典(例:フランス1793年憲法) 旧国制を積極的に破壊する革命国家の憲法典の在り方 ルソー的な民主主義、反戦平和主義、人権論、自然法論、価値一元論(価値絶対論)等と親和的 左翼護憲論者の強調する「立憲主義」理解
(3) アメリカ型立憲主義 創成型憲法典(例:アメリカ合衆国憲法) 新興国家が憲法典を基幹として国制を創設していく場合 民主制、正戦論、権利・自由二元論、価値多元論等と親和的 英米圏で主流の「立憲主義」理解
※民主制(デモクラシー)と「民主主義」の区別については、デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る参照


◆3.立憲主義とデモクラシーの緊張関係


長谷部および阪本の論説参照。芦部・高橋説にあるような手放しでの「民主主義」賞賛には論理的説得力がなく避けるべきである。

◆4.立憲主義と反戦平和主義の緊張関係


長谷部および阪本の論説参照。芦部・高橋説にあるような「絶対的な反戦平和主義」への無邪気な志向は避けるべきである。


■5.参考図書


『立憲主義と日本国憲法 第3版』 (高橋和之:著 (2013年刊))

高橋和之 は、故・芦部信喜(東大憲法学の最大の権威)門下の現代左翼を代表する憲法学者であり、芦部『憲法』の補訂者としても知られる。
民主党の小西参議院議員ら護憲派左翼の「立憲主義」論の元ネタはこの本と芦部『憲法 第五版』が全てなので、それらの内容と誤謬を確り押さえておきたい(芦部説についてはよくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編)も参照)。
憲法を守るのは誰か (青井未帆:著 (2013年刊))

典型的な「立憲主義」連呼の護憲派左翼プロパガンダ本(その1)。
読書案内のページにお勧めする憲法学のテキストとして上記の高橋和之『立憲主義と日本国憲法』が紹介されており、本書の主張内容は高橋の憲法論に依拠していることは明白である。
憲法問題 (伊藤真:著 (2013年刊))

典型的な「立憲主義」連呼の護憲派左翼プロパガンダ本(その2)。
強烈な護憲論者として知られる伊藤真弁護士による自民党改憲案への批判書。
『革命について』 (ハンナ・アレント:著 (1963年刊))

自由な立憲政体を建設したアメリカ独立革命と、暴虐のテロと全体主義に沈んだフランス革命・ロシア革命を鮮烈に対比した名著。ルソーの絶大な影響下に実行されたフランス革命への幻想を完全に打ち砕く名著。
憲法と平和を問いなおす (長谷部恭男:著 (2004年刊))

立憲主義の捉え方、そして立憲主義と無制限的な民主主義さらに絶対的平和主義との相克関係などを分かり易く説明する好著。
ただし長谷部氏は政治学者・丸山眞男の日本ファシズム論に未だに囚われているために残念ながら結論的には憲法9条護憲論者であることに注意が必要である(※参考ページ よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編)
憲法とは何か (長谷部恭男:著 (2006年刊))

上記の内容を補完する一冊。
『新・近代立憲主義を読み直す』 (阪本昌成:著 (2008年刊))

フランス型とアメリカ型の2つの立憲主義を峻別し解説する好著(amazonユーザーレヴュー欄も参照のこと)

※なお阪本氏の立憲主義論として下記も参考になる。

・阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)
第一部 国家と憲法の基礎理論
第三章 憲法(典)の存在理由とその特性
第四章 立憲主義と法の支配
第五章 立憲主義の展開

・阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)
第一部 統治と憲法
第6章 立憲主義
第7章 法の支配
第二部 日本国憲法の基礎理論
第1章 日本国憲法における立憲主義



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  • 中川八洋公式掲示板に3/24付けで記事あり。言葉づかいは相変わらず激しくてちょっとどうかとは思うが、論旨明快で参考になる。
    「立憲主義」を振り回す“反・立憲主義”の朝日新聞 ──「集団的自衛権」への第九条解釈変更こそ“立憲主義”
    http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/24/131147 -- 名無しさん (2014-04-03 02:23:43)
  • 松尾光太郎氏blog記事。一記事に内容が詰め込まれすぎていて(思想の累多)とてもではないが全部理解するには行かない、という珍しい(そして貴重な)タイプ&br()立憲主義の無知が爆裂した朝日新聞&br()http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/archive/2014/02/08 -- 名無しさん (2014-04-05 03:28:05)


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    「立憲主義」を振り回す“反・立憲主義”の朝日新聞 ──「集団的自衛権」への第九条解釈変更こそ“立憲主義”
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  • 松尾光太郎氏blog記事。一記事に内容が詰め込まれすぎていて(思想の累多)とてもではないが全部理解するには行かない、という珍しい(そして貴重な)タイプ&br()立憲主義の無知が爆裂した朝日新聞&br()http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/archive/2014/02/08 -- 名無しさん (2014-04-05 03:28:05)
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最終更新:2020年04月06日 15:01