親日国

<目次>

インドネシア


インドネシア独立パレード
動画説明文:
日本の軍歌を歌いながら、日本刀や竹やりを持ってノリノリでパレードをするインドネシアの人達。

その他のインドネシア関連動画:
ムルデカ 17805 予告編
インドネシア独立戦争
インドネシアのサムライ①
インドネシアのサムライ②

インドネシア独立戦争の記憶 ~インドネシアはなぜ親日か~
世界一の親日国 インドネシア
インドネシア独立式典では日本兵の姿をした方が国旗掲揚をします
日本のインドネシア解放
インドネシア 「アリフィン・ベイ政治学博士」
インドネシアへの支援
日本勝利にインドネシア大喜び?の理由
親日国の日本離れ
「日本が停戦を監視してくれるなら戦争を止めてもいい」 インドネシアが日本に仲介を依頼
本当の日本の歴史 インドネシア関連ブログ記事

インド

親日国インド インド関連動画:
今もインドで歌われている日本兵を讃える歌
Asians Unite under "Netaji" Subhas Chandra Bose※残念ながら、最近動画が消滅してしまいました。同じ動画を見つけた人は修正して下さい。
(英語のみ)①
Asians Unite under "Netaji" Subhas Chandra Bose
(英語のみ)②
インドのオールドデリー市街、チャンドラ・ボース公園
「インド独立義勇軍(INA)と日本兵たち」の像(日の丸に注目)。日本兵はインド兵と共に戦い、それがインド独立の基礎となった

インド独立の為日本兵と共に英占領軍と戦ったチャンドラ・ボース
(草莽崛起★日本の学校で教えられる近代史は嘘です★)

日本とともに戦った「インド独立の英雄」チャンドラ・ボース
(デリシャスアイスコーヒー氏blog)
進めデリーへ ~チャンドラ・ボースの戦い~ (flash版) http://www.geocities.co.jp/Playtown-King/2816/flash/netaji.html

ポーランド


動画の中で出てくる「八紘一宇」について:
「八紘一宇」のこと


親日ポーランド人1 2

親日ポーランド人2 2


台湾

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李登輝前台湾総統 日本外国特派員協会での記者会見一部 台湾李登輝前総統 靖国参拝後の講演での質疑応答
日本と台湾:東アジアの二つの民主国家 金美齢女士 於 靖国神社

李登輝氏:講演原稿『日本の教育と私』金美齢氏:公式ホームページ

<推奨図書>

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論 (単行本(ソフトカバー))
<出版社 / 著者からの内容紹介>
李登輝前総統、陳小扁総統との会見他、台湾を徹底的に取材すると、なんと日本が見えた! 日本人とは何か?国家とは何か?この問題を解く鍵が日本の遺産を守り継ぐ隣国にあった!ナショナリズム、アイデンティティを、小林よしのりが今世紀最後に問う衝撃作!
<内容(「BOOK」データベースより)>
「日本人」とは何か!「国家」とは何か!この問題を解く鍵が、日本の遺産を守り継ぐ隣国にあった。李登輝前総統、陳水扁総統と、とことん話して見えてきたのは日本の危機だった。なぜ凄絶な“国産み”を続ける台湾を描いたのか。衝撃のラストこそ日本人への激烈なメッセージだ。


台湾の「花咲爺さん」

トオサンの桜 散りゆく台湾の中の日本

909 名前:日出づる処の名無し :2007/05/01(火) 12:09:44 ID:tJW3MGul
台湾の「花咲爺さん」
http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?3407
台湾の内陸部に位置する南投県埔里の町。
この埔里から霧社まで、約二十数キロの山道に、いまも桜の木を植えつづけている方がおられます。
今年、八十三歳をむかえた王海清さんです。
お訪ねしたのは、一月末でしたが、沿道には王さんが植えられた、うす紅の山桜の花が満開でした。

高雄に花咲く同期の桜
王海清さんは、日本の統治時代に国民学校で六年間、日本の教育をうけました。
そのとき、いちばん心に残ったのが、国語の教科書にのっていた「サイタ サイタ サクラガサイタ」でした。
子供心にも、まだ見たこともない桜へのあこがれが、このころに芽生えたといいます。
そして昭和十七年、王さんは志願兵として、高雄の海軍陸戦隊に入隊。
「徴兵じゃないよ、志願兵だよ」と、王さんは何度もほこらしげに話されます。
そして、そのときにうたった『同期の桜』を、うたってくださいました。

「貴様と俺とは 同期の桜 同じ高雄の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため これ、日本時代の兵隊の歌。パッと咲いて、パッと散る。サッと散るのは、お国のために死にましょうという心。歌って、思って、考えてみたよ。これが桜にこめた日本人の心だよ」

黙って、ひとりで始めること 
沖縄での激戦に参戦するために、高雄で待機していた王さんの部隊でしたが、輸送船がつぎつぎと撃沈されたために、そのまま終戦を迎えました。 
戦後まもなく、王さんが移り住んだのが霧社でした。
そこには、日本人が植えた桜が、数百本も残っていたのです。
それが、王さんが生まれてはじめて目にした桜でした。
「桜を見た、うれしかった。ああ、これが桜だ、と思った」

910 名前:日出づる処の名無し :2007/05/01(火) 12:12:11 ID:tJW3MGul
ところが、その桜が、道路拡張工事のために、一本残らず切り倒されたのです。
王さんはそれが残念でたまらず、村の役場や有力者の人々をあつめて、桜を植える相談をしました。
だれが何本、だれが何本と、桜再生の相談はまとまりましたが、いつまでたっても、だれひとりとして、桜を植えようとはしません。
そこで王さんはひとり、だれにも告げず、日本人が植えた桜の種から育てた苗を、霧社から埔里への沿道に植えはじめました。
その数はなんと、一年間で三千二百本。

「これが日本精神だよ」 
やがて大きく育ち、白や紅の花を咲かせるうつくしい桜。
その桜のうつくしさにひかれて、根こそぎ桜の木を持ってゆく人が、跡をたたなくなりました。
抜かれては植え、抜かれては植え、この二十年間で、王さんが「補足」した桜は、千八百本にもなります。
あるときは、桜の木を盗んでいるのを見た人が、そのあとを尾行して王さんに、「盗んだ人の家をつきとめたから、警察に突き出しなさい」と言いました。
でも王さんは、その人をとがめようともしません。
「いいんだよ、その人が取って帰って植えても、人が見て、きれいだなと思ってくれたらいいよ。個人じゃない、みんなが見てくれたらいいんだよ」
道ゆく人が、桜を植える王さんを見て声をかけます。
「いくらで雇われてるんだね?」 村から雇われて桜を植えていると思うからです。
「月に二万元だよ」 自分でお金を出して桜を植えていることなど、だれも信じてくれないので、そう言いつづけてきたのです。
「黙って植えて、桜が咲く。それが私の成功」

911 名前:日出づる処の名無し :2007/05/01(火) 12:13:18 ID:tJW3MGul
あるとき、自動車事故で、王さんの植えた桜の木があったために、命が助かった人がありました。
その事故がきっかけとなって、王さんが二十年間、無償で桜を植えつづけたことが、はじめてわかったのです。
そして、台湾では個人としてははじめて、台湾交通部(日本の国土交通省に当たる)から、最高の栄誉である「金路賞」を受賞したのです。

インタビューにうかがった翌朝、王さんはいつものように五時に起きて、霧社から歩きはじめます。
脳梗塞で動かなくなった右手にかわって、左手に剪定鋏をさげて……。
「王さんは、死ぬまで桜を植えつづけるんですか?」
「桜を植えると決めたら、植えつづける。これが日本精神だよ」
そのひとことが、台湾の心地よい風と、桜の彩りともに、いまもわたしの心の奥にひびいています。

TBS系列北海道放送081231北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック


パラオ

◇パラオのペリリュー島にあるペリリュー神社には1万余の守備隊の英霊が厚く祀られて います。

ペリリュー島のサクラと神社:米国公刊戦史の讃えるもの

パラオの歴史教科書

NPO南洋交流協会
日本とパラオ ~歴史を越えた友情~

トルコ


<掲載日>2009.04.07
忘れてはならない歴史とアタチュルク像の現状
■解説■
柏崎のテーマパーク「柏崎トルコ文化村」が経営難で閉園に。
その際、「トルコから寄贈された“建国の銅像”」を含む、跡地、建物、構築物が一括で売却されました。
銅像は2007年の地震を機に一旦台座からはずされて以来、野ざらし枕木状態でした。
これは、反日国に囲まれたわが日本にとって大損害でした。
そのような状況でしたが、このアタチュルク銅像は新潟から和歌山県串本に移設されることになりました。
トルコ建国の父、アタチュルク銅像 新潟から和歌山・串本に移設へ(産経新聞)
詳細は、「トルコから寄贈された“友好の銅像”が野ざらし! まとめ」へ。

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マレーシア



動画説明文より

「アジアの心を歌う」というカセットテープからの一曲です。
マレーシア 独立の英雄が作詞した 
「日本人よありがとう」 
歌 栗間尚彦/橋村輝子

ラジャー.ダト・ノンチック作詞 
田中舘貢橘作曲 
一、みずからもひもじい時に配給のわずかなパンを持ってきてくれた乙女ら 
ああ日本は美しかった真白き富士の気高さと歌う黒髪瞳清らか 
二、空襲のサイレン鳴れば真っ先に僕らを壕に案内してくれた若者 
日本人はひたむきだったアジアのためのたたかいに力尽くして彼等は散った 
三、戦いに敗れた後の生きるすべあてない街で励ましてくれた友らよ 
日本人は親切だった独立のため生き抜けと握り合う手に涙こぼれた 
四、あの頃は苦しかったがアジアには平和おとづれ民はみな祖国を持った 
ああ日本の若人たちよこころを継いであたたかく共に栄える明日に進もう 
ああ日本の若き友らよこころとこころ結び合い豊かなアジア共に築こう 

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです」(ラジャー・ダト・ノンチック)

「アジアの心を歌う」と題するカセットからです。付属冊子に文献として載っているのが、土生良樹『日本人よありがとう----マレーシアはこうして独立した』です。 この本も持っていましたので表紙、帯、の画像も加えました。

【関連サイト】
本当の日本の歴史-テーマ:歴史 マレーシア

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