政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価

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「政治それ自体における偉大な、そして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして、人間事象の領域においては主権と暴政とは同一のものであると洞察したこと」
~ ハンナ・アーレント『革命について』ちくま学芸文庫 239頁
「主権が何処にあるかと問われるなら、何処にもない・・・・・・というのがその答えである。立憲政治は(権力が)制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はあり得ない。・・・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、・・・・・・・迷信である」
~ F. A. ハイエク『法と立法と自由Ⅲ 自由人の政治的秩序』春秋社 171頁

要旨■日本国憲法にある「国民主権」という文言を絶対不可侵のイデオロギーと捉えるのではなく、「法の支配」理念に違反しない範囲に限定した意味に解することが肝要である。

※本ページが難しい方は、リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配を先ずご覧下さい。

<目次>


■1.このページの目的


日本国憲法には、以下の2箇所に「国民主権」という言葉が使用されている。
前文 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
第1条 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 」

このページでは、この「国民主権」に関する様々な憲法論説を紹介し比較・評価していく。
そのための第一歩として、日本の様々な憲法論説を政治的スタンスに当て嵌めて概括する(下記)。


■2.憲法論と、政治的スタンス5分類・8分類


日本の様々な憲法論を政治的スタンスに当て嵌めて概括すると下表のようになる。

※サイズが画面に合わない場合はこちら をクリック願います。


政治的スタンス 代表的論者 ベースとなる思想家/思想 補足説明 詳細内容
(1) 極左 伊藤真など護憲論者 J.-J.ルソーの社会契約論からさらに、アトム的個人主義と集産主義の結合形態(=左翼的全体主義)※説明に接近 「人権」「平和」を過度に強調し絶対視する共産党・社民党・民主党左派系の法曹に多い憲法論でありイデオロギー色が濃く法理論というよりは左翼思想のプロパガンダである(左の全体主義)
(2) 左翼 芦部信喜
高橋和之
修正自然法論(法=主権者意思[命令]説に自然法を折衷)+J.-J.ルソーの社会契約論 宮沢俊義→芦部信喜と続く戦後日本の憲法学の最有力説であり通説
※宮沢は有名なケルゼニアン(ケルゼン主義者)。芦部は自然法論者だが人権保障をア・プリオリ(先験的)な「根本規範」と位置づけており、その表面的な米国判例理論の紹介はポーズに過ぎず、実際には依然ケルゼン/ラートブルフ等ドイツ系法学の影響が強い
よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編)
(3) リベラル左派 長谷部恭男 H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)を一部独自解釈
※なお長谷部は社会契約論に依拠しているのか曖昧でハートの法概念論と辻褄が合うはずのハイエクの自由論は故意に無視している
近年の左派系憲法論(護憲論)をリードしている長谷部は芦部門下であるが、師のようなドイツ系法学パラダイムはもはや世界の憲法学の潮流からは通用しないことを認識しており、師の憲法論の中核である、①根本規範を頂点とした法段階説+②制憲権(憲法制定権力)説、を明確に否定して、英米系法学パラダイムへの接近を図っている。(※但しハートまでは受容しながらもハイエクを拒否している長谷部の憲法論は中途半端の誹りを免れず、これを一通り学んだ後は、より整合性のとれた阪本昌成の憲法論へと進むべきである) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編)
(4) 中間 佐藤幸治 人格的自律権に限定して自然法を認める独自説+J.ロックの社会契約論 芦部説の次に有力な憲法論であり、芦部説よりも現実妥当性が高いので重宝されるが(佐藤は佐々木惣一から大石義雄へと続く京都学派憲法学の系統)、法理論としては妥協的でチグハグと呼ばざるを得ない 佐藤幸治『憲法 第三版』抜粋
(5) リベラル右派 阪本昌成 H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)+F.A.ハイエクの自由論 20世紀後半以降の分析哲学の発展を反映した英米法理論に基礎を置く憲法論であり、法理論としての完成度/説得力が最も高いが、日本では残念ながら非常に少数派 阪本昌成『憲法1 国制クラシック』
(6) 保守主義 中川八洋
日本会議
E.コークの「法の支配」論+E.バークの国体論 日本会議・チャンネル桜系の憲法論も基本的にこちらに該当する。法理論というより「国民の常識」論であり、心情面からの説得力が高いが、(5)の法理論を一通り押えた上でこの立場を取らないと、いつの間にか(7)に堕する危険があるので注意。 中川八洋『国民の憲法改正』抜粋
(7) 右翼・極右 いわゆる無効論者 ヘーゲルの法概念論・共同体論およびそれに類似した全体主義的論調 「伝統」「国体」などを過度に強調し絶対視して「右の全体主義」化した憲法論(左翼憲法論の裏返しであり、左翼からの転向者が嵌り易い。法理論というより右翼イデオロギーのプロパガンダ色が濃い)

※政治的スタンス5分類・8分類+円環図
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⇒上図の詳しい説明は、政治の基礎知識政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 参照。

政治的スタンス毎の憲法論の違いは、①「人権」と②「国民主権」の捉え方に顕著に現れる。
このうち、①「人権」に関しては、「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のためにを参照。
政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価では、(2)~(6)の各々の政治的スタンスの代表的な②「国民主権」論を列記したのち、総括する。


※以下、様々な政治的スタンスをとる論者の「国民主権」に関する論説を列挙していく。


■3.「国民主権」に関する様々な見解


◆1.左翼の見解



◇1.芦部信喜

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芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第三章 国民主権の原理 p.35以下 

<目次>

一 日本国憲法の基本原理

日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つを基本原理とする。
これらの原意がとりわけ明確に宣言されているのが憲法前文である。

◆1.前文の内容


前文とは、法律の最初に付され、その法律の目的や精神を述べる文書であり、憲法前文の場合には、憲法制定の由来、目的ないし憲法制定者の決意などが表明される例が多い。
もっとも、その内容はそれぞれの国の憲法によって異なる。
日本国憲法前文は、国民が憲法制定権力の保持者であることを宣言しており、また、近代憲法に内在する価値・原理を確認している点で、きわめて重要な意義を有する。

前文は四つの部分から成っている。
一項の前段は、 「主権が国民に存すること」、および日本国民が「この憲法を確定する」ものであること、つまり国民主権の原理および国民の憲法制定の意思(民定憲法性)を表明している。
ついで、それと関連させながら、「自由のもたらす恵沢」の確保と「戦争の惨禍」からの解放という、人権と平和の二原理を謳い、そこに日本国憲法制定の目的があることを示している。
それを受けて、一項後段は、 「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と言い、国民主権とそれに基づく代表民主制の原理を宣言し、最後に、以上の諸原理を「人類普遍の原理」であると説き、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」として、それらの原理が憲法改正によっても否定することができない旨を明らかにしている。
二項は、 「日本国民は、恒久の平和を念願」するとして、平和主義への希求を述べ、そのための態度として、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信て、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言する。
三項は、 国家の独善性の否定を「政治道徳の法則」として確認し、
四項は、 日本国憲法の「崇高な理想と目的を達成すること」を誓約している。

◆2.基本原理相互の関係


前文に盛られた国民主権原理、人権尊重主義、平和主義の原理は、次のように相互に不可分に関連している。

(一)人権と主権


第一に、基本的人権の保障は、国民主権の原理と結びついている。
専制政治の下では、基本的人権の保障が完全なものと成り得ないことは当然であり、民主主義政治の下で初めて人権保障が成立する。
先に指摘した前文一項の文書は、明らかに、国民主権およびそれに基づく代表民主制の原理(狭義の民主主義)が基本的人権の尊重と確立を目的とし、それを達成するための手段として、不可分の関係にあることを示している。

自由(人権)は「人間の尊厳」の原理なしには認められないが、国民主権、すなわち国民が国の政治体制を決定する最終かつ最高の権威を有するという原理も、国民がすべて平等に人間として尊重されて初めて成立する。
このように、国民主権(民主の原理)も基本的人権(自由の原理)も、ともに「人間の尊厳」という最も基本的な原理に由来し、その二つが合して広義の民主主義を構成し、それが、「人類普遍の原理」とされているのである(第18章三3図表参照)

(二)国内の民主と国際の平和


第二に、人間の自由と生存は平和なくして確保されないという意味で、平和主義の原理もまた、人権および国民主権の原理と密接に結びついている。
国内の民主主義と国際的平和の不可分性は、近代憲法の進化を推進してきた原理だと言ってもよい。

◆3.前文の法的性質


以上のような基本原理を明らかにしている日本国憲法の前文は、憲法の一部をなし、本文と同じ法的性質をもつと解される。
従って、たとえば前文一項の、「人類普遍の原理・・・・・・に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という規定は、憲法改正に対して法的限界を画し、憲法改正権を法的に拘束する規範であると解される(憲法改正権の限界については、第18章三3参照)。

しかしながら、これは前文に裁判規範としての性格まで認められることを意味しない。
裁判規範とは、広い意味では裁判所が具体的な訴訟を裁判する際に判断基準として用いることのできる法規範のことを言うが、狭い意味では、当該規範を直接根拠として裁判所に救済を求めることのできる法規範、すなわち裁判所の判決によって執行することのできる法規範のことを言う。
前文の規定は抽象的な原理の宣言にとどまるので、少なくとも狭い意味での裁判規範としての性格はもたず、裁判所に対して前文の執行を求めることまではできない、と一般に解されている。
この点に関して問題となるのが、前文二項の、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という文章に示されている「平和的生存権(*)」である。
学説では、右規定の(狭い意味での)裁判規範性を認めることは出来るとし、平和的生存権を新しい人権の一つとして認めるべきであるという見解も有力である。
しかし、平和的生存権は、その主体・内容・性質などの点でなお不明確であり、人権の基礎にあってそれを支える理念的権利ということは出来るが、裁判で争うことの出来る法的権利性を認めることは難しい、と一般に考えられている。

(*) 平和的生存権
平和的生存権という考えは、自衛隊違憲訴訟において、1960年代から主張されたものである。
平和的生存権は、「平和を享受する権利」を意味し、憲法9条の戦争の放棄の原則との関連で、平和を人権として捉えるという意図に基づくものである。
具体的には、基地付近の住民が基地の撤廃を裁判所に求める場合の「訴えの利益」を基礎づけるために主張された。
しかし、判例においては、長沼事件(第四章三3*参照)一審判決は、平和的生存権を訴えの利益の一つの根拠として認めたが、二審判決はこれを否定し、最高裁判所でも前文二項の裁判規範性は実質的に認められなかった。

ニ 国民主権

国民主権の原理は、絶対主義時代の君主の専制的支配に対抗して、国民こそが政治の主役であると主張する場合に、その理論的支柱とされた観念で、近代市民革命の成立以後、国家統治の根本原理として近代立憲主義憲法において広く採用されている。
もっとも、その原理の内容を具体的にどのように理解するかについては様々な見方が示されてきており、現在もなお活発な議論が展開されている。

◆1.主権の意味


主権の概念は多義的であるが、一般に、
国家権力そのもの(国家の統治権)、
国家権力の属性としての最高独立性(内にあっては最高、外に対しては独立ということ)、
国政についての最高の決定権、
という3つの異なる意味に用いられる。

これは歴史的な理由に基づく。
すなわち、主権という概念は、絶対主義君主が中央集権国家をつくりあげていく過程において、君主の権力が、封建領主に対しては最高であること、ローマ皇帝に対しては独立であることを基礎づける政治理論として主張された概念であった。
ところが、「朕は国家なり」の思想が支配していた専制君主制国家では、3つの主権概念は「君主の権力」という形で統一的に理解されていたが、その後、君主制の立憲主義化にともなって国家の概念も変化し、君主の権力と国家権力とは区別して考えられるようになり、主権の概念が3つに分解したのである。

(一) 統治権 ①の国家権力そのものを意味する主権とは、国家が有する支配権を包括的に示す言葉である。
立法権・行政権・司法権を総称する統治権(Herrschaftsrechte, governmental power)とほぼ同じ意味で、日本国憲法(41条)に言う「国権」がそれにあたる。
統治権という意味の主権の用例は、ポツダム宣言8項「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限サラルベシ」という規定にみられる。
(ニ) 最高独立性 ②の国家権力の最高独立性(国家権力の主権性とも言われる)を意味する主権は、主権概念の生成過程から言えば、本来の意味の主権の概念である。
憲法前文3項で、「自国の主権を維持し」という場合の主権がその例であるが、そこでは国家の独立性に重点が置かれている。
(三) 最高決定権 ③の国政の最高の決定権としての主権とは、国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威という意味であり、その力または権威が君主に存する場合が君主主権、国民に存する場合が国民主権と呼ばれる。
憲法前文1項で「ここに主権が国民に存することを宣言し」という場合の主権、および1条で「主権の存する日本国民の総意」という場合の主権がこれにあたる。

◆2.国民主権の意味


「国民主権」がいかなる意味・内容を有するかについては、さまざまの議論があるが、ここでは、次の2点を注意しておきたい。

(一)主体について


第一は、国民主権の観念は、本来、君主主権との対抗関係の下で生成し、主張されてきたもので、君主主権であることは国民主権ではなく、国民主権であることは君主主権ではない、という相反する関係にあることである。
従って、主権は君主にあるのでも国民にあるのでもなく、国家にあるとか、主権は天皇を含む国民全体にあるとか、という趣旨の説明は、戦後よく主張されたが、政治的な配慮に基づく考え方で、理論的には正当とは言い難い。

戦前のドイツで支配的な学説であった国家法人説は、先に触れたように(第二章一2*参照)、国家は法的に考えると法人、すなわち権利(統治権)主体であり、君主はその最高機関であると説き、君主主権か国民主権かは、国家の最高意思を決定する最高機関の地位に君主が就くか国民が就くかの違いにすぎない、と主張した。
そして、「主権」という概念は国家権力の最高独立性を示す本来の概念としてのみ用いるべきであるとし、君主主権か国民主権かという近代憲法が直面した本質的問題を回避しようとした。
それは、急激な民主化を好まない19世紀ドイツの立憲君主制に見合った理論であった。

この国家法人説は、明治憲法の下では天皇機関説に具体化され、憲法の神権主義的性格を緩和する役割を果たした。
しかし、国民主権の確立した日本国憲法の下では、もはやその理論的有用性をもたない。

(ニ)権力性と正当性の両契機


第二に注意を要するのは、国民主権の原理には、2つの要素が含まれていることである。
一つは、 国の政治のあり方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機であり、
他の一つは、 国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機である。

もともと国民主権の原理は、国民の憲法制定権力(制憲権)の思想に由来する(第一章四2参照)。
国民の制憲権は、国民が直接に権力を行使する(具体的には、憲法を制定し国の統治のあり方を決定する)、という点にその本質的な特徴がある。
ところが、この制憲権は、近代立憲主義憲法が制定されたとき、合法性の原理に従って、自らを憲法典の中に制度化し、
国家権力の正当性の究極の根拠は国民に存するという建前ないし理念としての性格をもつ国民主権の原理、および、
法的拘束に服しつつ憲法(国の統治のあり方)を改める憲法改正権
に転化したのである(そのため改正権は、「制度化された制憲権」とも呼ばれる。この点につき、なお、第八章三3参照)。

以上のような国民主権の原理に含まれる2つの要素のうち、主権の権力性の側面においては、国民が自ら国の統治のあり方を最終的に決定するという要素が重視されるので、そこでの主権の主体としての「国民」は、実際に政治的意思表示を行うことのできる有権者(選挙人団とも言う)を意味する。
また、それは、国民自身が直接に政治的意思を表明する制度である直接民主制と密接に結びつくことになる。
もっとも、国民主権の概念に権力的契機が含まれていると言っても、憲法の明文上の根拠もなく、国の重要な施策についての決定を国民投票に付する法律がただちに是認されるという意味ではない(憲法上認められるのは、国民投票の結果がただちに国会を法的に拘束するものではない諮問的・助言的なものに限られよう)。
主権の権力性とは、具体的には、憲法改正を決定する(これこそ国の政治のあり方を最終的に決定することである)権能を言う。
これに対して、主権の正当性の側面においては、国家権力を正当化し権威づける根拠は究極において国民であるという要素が重視されるので、そこでの主権の保持者としての「国民」は、有権者に限定されるべきではなく、全国民であるとされる。
また、そのような国民主権の原理は代表民主制、とくに議会制と結びつくことになる。

日本国憲法における国民主権の観念には、このような2つの側面が並存しているのである。(*)
従って、国家権力の正当性の淵源としての国民は「全国民」であり、すべての「国家権力は国民から発する」、ということになる。
しかし同時に、国民(有権者)が国の政治のあり方を最終的に決定するという権力性の側面も看過してはならない。
そのように考えるならば、憲法96条において憲法改正の是非を最終的に決定する制度として定められている国民投票制(第十八章三2(ニ)参照)は、国民主権の原理と不可分に結合するものと解されよう。

(*) ナシオン主権とプープル主権
フランスでは、市民革命期に君主主権を否定して制定された新しい立憲主義憲法の主権原理として、ナシオン(nation)主権をとるかプープル(peuple)主権をとるか争われ、この2つの対立が第二次大戦後の憲法にまで及んでおり、日本でも「国民主権」をその概念を用いて説明する学説が少なくない。
しかし、もしナシオンの意味を「国籍保持者の総体としての国民(全国民)」、プープルの意味を「社会契約参加者(普通選挙権者)の総体としての国民(人民)」と解すれば、2つの主権原理は、本文に説いた主権主体としての「全国民」と「有権者団」の区別に対応するが、ナシオンは、具体的に実存する国民とは別個の、観念的・抽象的な団体人格としての国民の意だと一般に解されており、またプープルも、「今日では性別・年齢別の差なく文字どおりの『みんな』」だと解する説が有力であることに、注意すべきである。
しかも、同じプープル主権を説く場合でも、「主権」の意味について、「統治権」と解する説もあれば権力の正当性の究極的根拠と解する説もあるなど、見解に大きな相違がみられる。
(*) 憲法制定権力
憲法をつくり、憲法上の諸機関に権限を付与する権力([英] constituent power, [仏] pouvoir constituant, [独] verfassungsgebende Gewalt)。
制憲権とも言われる。
国民に憲法をつくる力があるという考え方は、十八世紀末の近代市民革命時、とくにアメリカ、フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義憲法を制定する推進力として大きな役割を演じた。
フランスのシェイエス(Emmanuel J. Sieyes, 1748-1836)が『第三階級とは何か』(1789年)を中心に展開した見解がその代表である。
制憲権と国民主権との関係につき、第三章二2(ニ)参照。


◇2.LEC(法律試験予備校大手)

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<目次>


LEC『C-Book 憲法Ⅰ《総論・基本的人権》』 p.65~ 国民主権

一 主権の意味

国家の統治権としての主権 統治権としての主権国家権力そのもの(国家の統治権)というときの主権 ex. 「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、及ビ四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(ポツダム宣言8項)
最高独立性としての主権 国家への主権の集中(最高独立性)というときの主権 ex. 「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(前文3段)
国政の最終決定権としての主権 国家における主権の所在(国政の最終決定権)というときの主権 国の政治の在り方を最終的に決定する力または権威という意味であり、これが国民に存することを国民主権という。
ex. 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文1段)

ニ 国民主権の意味

《問題の所在》

日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用している。
それでは、ここにいう「国民」を全国民と考えるべきか、それとも有権者の総体と考えるべきか。
国民主権の原理において、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機と、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機をどのように考えるかという点と関連して問題となる。

《考え方の筋道》

Step① 憲法は個人の尊厳を確保するため、政治は国民の自律的意思による政治でなければならず、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用した(前文1段、1条)
   ↓ この点
Step② 主権者たる国民を有権者の全体と捉え、「主権」の本質を憲法制定権力であるとして、有権者としての国民が国政の在り方を直接かつ最終的に決定すること(権力的契機)が国民主権であると考える見解もある。
   ↓ しかし
Step③ それでは、独裁を許す危険があり、また、国民が主権者たる国民とそうでない国民とに二分され、治者と被治者の自同性に反し、妥当でない。
   ↓ そこで
Step④ 基本的には、国民主権とは、主権者たる国民は一切の自然人である国民の総体と捉え、国民主権とは全国民が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠であると解する。
   ↓ ただ
Step⑤ 憲法改正権の存在(96条)等から、国民(有権者)が国の政治の在り方を直接かつ最終的に決定するという権力的契機も不可分に結合していると解すべきである(折衷説)。
   ↓ 
Step⑥ 以上のように解すると、原則として国民は直接には権利行使をなしえないから、代表民主制の採用が必然となり、代表者たる議員は「全て」の国民の代表者となる(43条Ⅰ参照)。

《アドヴァンス》

有権者主体説 「国民」を有権者の総体と考える見解。
  a-1
主権=憲法制定権とすることを根拠とする説(清宮)
主権を憲法制定権(力)、すなわち一定の資格を有する国民(選挙人団)の保持する権力(権能)とする。
従って、憲法制定権の主体である国民には天皇を含まず、また権能を行使する能力のない、未成年者も除外されるとする。
→権力的契機を重視するが、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示していない
(批判)
①全国民が主権を有する国民と主権を有しない国民とに二分されることになるが、主権を有しない国民の部分を認めることは民主主義の基本理念に背く。
②選挙人の資格は法律で定めることとされているため(44)、国会が技術的その他の理由に基づいて年齢・住所要件・欠格事項等を法律で定めることによって主権を有する国民の範囲を決定することとなり、論理矛盾となる。
③代表民主制を国政の原則とする前文の文言と、解釈上必ずしも適合的でない。
a-2
フランスの議論を採り入れる説(杉原)
日本国憲法は、リコール制を認めたと理解しうる15条1項や、95条、96条1項のように人民(プープル)主権に適合する規定もあるが、基本的な性格としては、43条1項や51条に示されているように国民(ナシオン)主権を基礎とする憲法である。
しかし、憲法の歴史を踏まえた将来を展望する解釈が必要であるから、日本国憲法の解釈は人民(プープル)主権の論理に基いてなされなければならない。
従って、国民の意思と代表者の意思を一致させるために、43条の国民代表の概念や51条の議員の免責特権の再検討が要請される。
→権力的契機の重視とともに、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示している。
(批判)
上記①から③の批判に加え、フランスの議論は必ずしも全ての国の憲法に法律的意味においてそのまま妥当する議論ではない、という批判がなされている。
全国民主体説(宮沢、橋本) 「国民」を、老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、一切の自然人たる国民の総体をいうとする見解。
→このような国民の総体は、現実に国家機関として活動することは不可能であるから、この説にいう国民主権は、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠だということを観念的に意味することに過ぎなくなる。
(批判)
国民に主権が存するということが、建前に過ぎなくなり、国民主権と代表制とは不可分に結びつくが、憲法改正の国民投票(96)のような、直接民主制の制度について説明が困難になる。
折衷説(芦部) 「国民」を、有権者(選挙人団)及び全国民の両者として理解する見解。
→「国民」=全国民である限りにおいて、主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるが、同時にその原理には、国民自身(≒有権者の総体)が主権の最終的な行使者(憲法改正の決定権者)だという権力的契機が不可分の形で結合しているとする(ただし、あくまでも正当性の契機が本質)

【ナシオン(Nation)主権とプープル(peuple)主権】
フランスの主権論 ナシオン主権 プープル主権
憲法 1791年憲法 1793年憲法
主権者 Nation <仏> (= Nation <英>) Peuple <仏> (= People <英>)
国民 観念的統一体としての国民 →具体的人間の集合体という意味はない 具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民
権力行使 授権によってのみその権力を行使しうる →専ら代表制(代表者としての立法府と君主を指定) 国民が直接権力行使を行う →直接民主制が徹底した形
授権の内容 代表者意思に先行するナシオン自身の意思なし 代表機関の意思のほかにプープル自身の意思あり
契機 国家権力の正当性の根拠が国民に存する 主権の権力契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープル
諸制度 制限選挙・自由委任 普通選挙・命令委任
歴史的意義 絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されること抑圧す機能をもつ(現状維持的) 市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして機能(現状変革的)

《One Point》

学説では、折衷説が近時の通説であり、全国民主体説はかつての通説、有権者主体説は少数説です。
なお、本論点は、憲法が明文で定めた場合(79Ⅱ、95、96)以外に国政において直接民主制の採用(ex. 一定の事項についての国民投票、有権者による衆議院解散請求の制度)が認められるかという論点と関連します。
この点に関しては、フランスの議論をとり入れる説に立てば当然に肯定説につながりますが、それ以外の説からは論理必然的に帰結が導かれるものではありません。

《How To》

近時の通説である折衷説に立つのがよいでしょう。
なお、折衷説を論じる際、論証が長くなりがちです。
直接民主制の採用に関する問題等、本論点が前提として問われた場合には、コンパクトに論じることが必要でしょう。


◆2.リベラル左派の見解



◇1.長谷部恭男

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<目次>

◆1.1   憲法と国家


◇1.1.1  実質的意味の憲法と形式的意味の憲法


憲法(〔英〕 constitution, 〔仏〕 constitution, 〔独〕 Verfassung)という言葉はさまざまな意味で用いられる。
一般に行われる意味の分類としては、まず、実質的意味の憲法と形式的意味の憲法という区分が重要である。

憲法の2つの意味

実質的意味の憲法とは、国家の根本秩序についての規律とされ、すべての国家に必ず伴うものであって、これを持たない国はない。
この実質的意味の憲法が憲法典あるいは成典憲法という特別の形式を備えた場合、それを形式的意味の憲法という。

現在の我が国においては、「日本国憲法」という名称の法典がそれであるが、イギリスのように、形式的意味の憲法を持たない国もある。
また、ドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz fur die Bundesrepblik Deutschland)のように形式的意味の憲法であるにもかかわらず、歴史的な事情により、それが「憲法(Verfassung)」という名で呼ばれていない場合もある。

実質的意味の憲法の範囲を厳密に確定することは不可能であるし、そうする実益も少ない。
実質的意味の憲法の範囲は、形式的意味の憲法の内容とも、また憲法学の研究・教育の対象とも論理必然のつながりがないからである。
むしろ、重要なのは、すべての国家に必ず実質的意味の憲法があるのはなぜかという問題である。
それを解明するためには、国家の性質をまず考える必要がある。

◇1.1.2  実質的意味の憲法と国家


国家とは

国家については、それが主権、領土、国民の3つの要素から構成されると説明されるのが通常である(三要素説)。
国家といわれるものが、これら3つの要素を備えているという意味であれば、この言い方はあながち間違いではない。
領土のない国家や国民の全くいない国家は想定しにくい(もっとも主権については 1.2.3 の説明を見よ)。
しかし、主権、領土、国民という3つのものが寄り集まることによって国家が形成されるという意味であれば、それは誤解を招く表現である。
主権や領土も国民も、国家があって初めて存在し得るものだからである。
国家とは一体何だろうか。

株式会社や私立大学などと同様、国家は抽象的な存在であり、目に見えないし、手で触ることもできない。
目に見える形で存在するのは、たとえば国の象徴とされる旗、国の役所として使われている建造物、国の領土として存在する山や川などに過ぎない。
富士山や利根川は、自然の山や川であり、それが「日本の領土」であるのは、我々がそういう眼鏡をかけて、富士山や利根川を見るからである。
これらの背後に想定されている観念的な存在が国家である。

国家はなぜ行動できるか

このように国家には実体がなく、従って、それ自身は目も口も、また手足も持たないので、「行動する」こともないはずである。
ところが、人々は、あたかも国家が人間と同じように意思を持ち、それに従って行動したり、他の国家と交渉を持つかのように考える。
とりわけ、国家は、会社や大学と違って、国民の自由や財産を強制的に奪い、ときには生命まで奪うことがある。

このように、人々が人間のアナロジーで国家の構造や行為を理解することが出来るのは、特定の個人の行為を、国家の行為として考えるという約束事があるからである。
実質的意味の憲法とは、個人の具体的行為を国家の行為として解釈するための最終的な拠りどころに他ならない。
言い換えれば、実質的意味の憲法は、誰が、如何なる手続で、如何なる内容の権限を国家の名において行使し得るかを定めるルールである。

徴税職員による税の徴収が強盗と異なるのは、前者が法律によって徴収の権限を与えられているからであり、法律がそのような権限を与え得るのは、国会議員と呼ばれる人々が憲法の定める手続に則って法律を制定したからである。
その結果、実際に行動しているのは徴収職員たる具体的人間であるにも拘わらず、我々は、国が税を徴収していると考えることになる。

議員や徴収職員、警察官や兵士のように、国家の名において行動する人間は、国家の「機関(organ)」と呼ばれる。
個人が口や手や足などの器官(organ)を通じて行動するように、国家という抽象的人格は、機関を通じて行動する。
私の手の行なったことが私の行為とされるように、機関と呼ばれる人々の行為は、国家の行為と見なされる。

国家の存在と実質的意味の憲法

このように、国家という約束事を成立させるための最終的な拠りどころが実質的意味の憲法であるならば、およそ、すべての国家にそれが伴っていることは当然である。
国家が存在するということと、実質的意味の憲法が存在するということは、同一のことを異なる言い方で述べているに過ぎない。
チェスが存在するということと、チェスのルールが存在するということが同じであることと事情は同様である。

【国家の法人性】
本文で説明した国家の特質、つまり国家は抽象的な存在であり、実質的意味の憲法によって機関として指定された具体的個人を通じてのみ行動し得ることを捉えて、国家は法人であるといわれることがある。
株式会社のように、自然人ではないにも拘わらず、権利義務の主体とされる存在を法人と呼ぶ。
法人たる国家が統治権の主体であるとする国家法人説は、国民主権論を否定し、民主的な制度改革を阻むイデオロギーとして機能したといわれることがあるが、国家が法人であること自体は、国家に関する通常人の言い方や考え方を説明するためには前提とせざるを得ないものであり、またそれは必ずしも国民主権論や制度の民主的改革と矛盾するわけではない。
徹底した民主政論を唱えたルソー(Rousseau, J.-J.)も、国家が法人(personne morale)であって理性の産物に過ぎないことを当然の前提としていた。

◇1.1.3  国家の正当性に関する諸理論


国家というものは、突き詰めれば我々の頭の中にしかない約束事であるから、その存在を認めないという考え方を採ることも出来る。
実際、アナーキストと呼ばれる人々は、国家の正当性を否定し、国家などない方が人々は幸福に暮らすことが出来ると主張する。

このように、考えようによっては、無くても済ませることが出来るのに、なぜ、人々は国家という約束事を受け入れているのであろうか。
ときにはこの約束に従って、個人の自由や財産、さらには生命までが強制的に奪われることを考えると、この疑問は切実となる。
この国家の正当性という問題には、古来、さまざまな回答が与えられている。
以下、その幾つかを見てみよう。

社会契約論

まず、社会契約論といわれる一群の議論によれば、人々は以前は国家のない状態、つまり自然状態で暮らしていたが、そこで起こる不都合を解決するために社会契約を結んで国家を設立したとされる。
そのため、国家の正当性も自然状態における不都合が何であったか、そして、社会契約がそれを如何に解決したかに依存することになる。

ホッブズ(Hobbes, T.)が『リヴァイアサン』において主張したように、自然状態における万人の万人に対する戦争状態を終わらせるために、人々はその自由を放棄して主権者への服従を誓ったのだと考えれば、国民の自由を否定する国家が正当化されることになる。
もし、個人の手元に自由を残せば、その限りにおいて、戦争状態が残されることになるからである。
戦争を終結させ、人々の生命と財産を守るためには、人々がその自由をすべて主権者に譲り渡すことが必要となる(ホッブズ [1992] 第2部)。

これに対し、ロック(Locke, J.)が『統治二論』において述べたように、国家は人々の利己的な行動によっては達成され得ない外交や防衛・警察などの公共サービスを行い、人々の生命や財産を保護するために設立されたのだと考えるならば、国家の行動範囲はこの公共サービスの提供に必要な限度を越えてはならないはずであり、とくに人々の生来の権利を侵さないよう、厳格に拘束されるべきこととなる(ロック [2007] 第2篇第9章)。

ロックの考え方は、現代の経済学の考え方とも通ずるところがある。
経済学の標準的な議論によれば、個人の自由な行動を通じて社会の福祉の最大化を実現する市場メカニズムが良好に機能している限り、国家は人々の行動に干渉すべきではない。
国家の介入が許されるのは、市場によっては効率的なあるいは公正な結果がもたらされない場合に限られる。
もとより、何がそのような場合にあたるかについては、時代により場所により、考え方の違いがある。
おおまかにいえば、近代初頭のヨーロッパにおいては、市場の機能が相対的に高く評価され、国家の任務は外交・防衛と国内の治安維持に限られるとの夜警国家思想が強かった。
しかし、現代の福祉国家においては、市場機構の機能不全がいろいろな点で指摘され、所得配分の是正や景気変動・経済成長の調整、道路・港湾・住宅などの社会資本の整備など国家に非常に広汎な任務が期待されるに至っている。

いずれにしても、個人の権利や利益を保障し実現するための手段として、国家に一定の正当な機能や任務を認める立場からすれば、国家の正当な活動範囲もそれによって限界づけられる。
国家がこの限界を超えて個人の自律的な領域に入り込むこと、とりわけ人生の目的や意義に干渉することは、個人の尊厳を侵すものとして禁じられる。
そして、現実の国家が与えられた機能や任務を適切に果たしていないことは批判の対象とされ、究極的には、法律への服従義務からの解放や、革命による新しい国家の設立が正当化されることになる。

共同体主義

これに対して、個人は特定の社会に所属し、その中で自己の位置に応じた役割を遂行することによってのみ人生の意義を掴むことができるという共同体主義に従うならば、社会全体の利益と競合する個人の利益はあり得ず、国家の栄光と繁栄は、各個人の人生の目標と一致することになる。
ヘーゲル(Hegel, G. W. F.)は、人間は自分があるところのすべてを国家に負っているのであって、「人間の持つすべての価値と精神の現実性は、国家を通していしか与えられない」と述べる(ヘーゲル [1994] 序論B(C))。
このような考え方は、国家は個人の利益を実現するための道具に過ぎないという啓蒙主義の中心的思想と対立する。
ヘーゲルが家族や職業団体の重要性に着目したように、共同体主義は、社会生活の絆となり人生に意義を与えるものとして国家と個人の間に位置する中間団体を重視する。
そして、個人主義の提唱する個人の自律が、実は何の指針をも与えない否定的で無内容な自由に過ぎず、虚無的な秩序の破壊をもたらす危険を指摘する(ヘーゲル [1978] §5 参照)。

◇1.1.4  法の3つの役割


本書は、国家の必要性と正当性は、国家や民族あるいは社会等の集団そのもの持つ価値からではなく、個人の権利や利益から導かれるとの考え方から出発している。

ここでは、国家の主要な任務として、3つのものを取り上げて説明する。
第一は調整問題の解決であり、第二は公共財の提供であり、第三が人権の保障である(長谷部 [1991] 第3章参照)。
第一と第二の任務は、なぜ国家の存立が正当視されるかを説明し、第三の任務は、いったん成立した国家がもたらす危険へ対処する工夫を国家組織自体の中に組み込むべきことを説明する。

(1)  調整問題の解決


調整問題とは

世の中には、どれでもよいが、とにかくどれかに決まってくれなければ困る事柄、つまり調整問題(coordination problem)が沢山ある。
車が道の右側を通るべきか左側を通るべきか、について、事々しく議論をしても仕方がない。
むしろ、どちらかに決まっていること、そしてすべての人がその決定に従うことが肝要である。
複数の選択肢が想定できるとき、とにかくその中のどれかに決まっていることですべての人が利益を得られる問題は世の中に無数にある。
礼儀作法や言葉遣い、文法規則のように、慣習が決めている問題もあるが、法が適切に決定し得る事柄もある。

市場取引のルール

遺言をするために証人が要るか否か、小切手を振り出すには何を記入すべきかなどの財産権や契約法上のルールも、調整問題を解決する法の例である。
市場取引を成り立たせるルールが何等かの形で決められていれば、そのルールを前提としたうえで、人々は互いに他者の行動を予測しながら、自己の利益の最大化を目指す計算を行うことが可能となる。
市場における自由な行動を通じて社会全体としての利益も増大するはずである。

(2)  公共財の提供


ただ乗り問題

法が解決すべき問題は、いったん解決されると万人が等しく利益を得る調整問題だけではない。
警察による治安サービスを例にとると、自分は腕に覚えもあるし盗まれるほどの財産もないから、警察を養うための税金など払いたくないという人からも税金を徴収しなければ、多くの人は同様の理由をつけて税の支払いを免れてただ乗りをしようとするため、財政的に警察組織は維持し得なくなり、その結果、生ずる治安の悪化は、すべての人に不利益をもたらすであろう。

このように警察、消防、環境保全などの公共財といわれるサービスは、経費を負担しない人もその恩恵に与かることができるため、人々が自分の目先の利害のみを眼中に置いて行動する市場を通じては、適切に供給されない。
そこで政府が法制度を通じて公共財を提供し、その費用は税金として、社会全体から公平にかつ強制的に徴収することになる。

公共財の供給と民主主義

どのような公共財をどの程度、提供すべきかは、国民が社会全体の長期的な利害を勘案しながら、投票を通じて多数決で決めるべき事柄である。
多数決で敗れた少数派も、政府が公共財を提供しない場合に比べれば、不満の残る決定でも従った方が有利であるし、少数派と多数派をあわせた社会全体の利益は、多数決に従うことで最大化する。

(3)  人権の保障


以上の2つは、万人が同様に利益を得るか、多数派と少数派とで利害が対立するかの違いはあれ、社会全体にとっての利益が問題となる状況である。
これに対して、第三の人権の保障は個人の自律にかかわっている。

個人の生まれながらの権利 - 人権

人々が日々の生活の中で下す決定の中には、他の誰でもなく、その人自身が自由に決めるべき事柄がある。
朝食の献立やテレビ番組は何を見るかという趣味や好みの問題から始まって、自分の進路の如何や尊厳死を選ぶか否かという世界観や人生の目標の問題にいたるまで、社会の慣習も議会の決定も左右し得ない事柄は多い。

人の生まれながらの権利、つまり人権という観念は、個人が決めるべき事柄に、社会や政府を含めた他者は介入し得ないはずだという考え方に支えられている。
人は根源的に平等であり、自分の生き方を決めるのは自分自身でしかない。
その決断を通じて、人はその人生に自ら意味を与えていく。
社会全体の利益が、このような意味での人権の制約を正当化することはあり得ない。
逆にいえば、人権には、社会全体の利益を理由とする政府の行為の正当性を覆す「切り札」としての働きがある。
人生観や世界観について、根底的に異なる考え方を抱く人が共に暮らす現代社会において、たとえ社会の多数派の支持があったとしても、政府が特定の価値観に基づいて個々人の生き方に介入するならば、それが政府の公正な活動として受け入れられることはなく、かえって深刻な社会的対立を生み出すであろう。
多数派と異なる価値観を抱く人を平等な個人として承認していないことを意味するからである。
「切り札」としての人権をすべてのメンバーに平等に保障することは、価値観の相克する社会で、それでもなお人々が社会生活の便益とコストを公平に分かち合うことを可能とするための基本的な枠組みとなる。

国家と人権保障

このような人権を法によって保障する必要が生まれるのは、国家が存在するからこそである。
調整問題状況や公共財の供給の必要から、人々が国家という約束事を正当視し、その法に従おうとするとき、逆に、国家がその正当な権限を超えて人々の生来の人権を侵害する危険が生まれる。
国家は、その領域内における正当な実力の行使を独占しており、国民の生命・自由・財産を奪い取る力を持っているため、その権限を限定する必要性も大きい。
権力の分立、政治部門から独立した裁判所による違憲審査制度や人権保障という工夫が要請される最大の理由はそこにある。


◆1.2  立憲的意味の憲法


◇1.2.1  近代立憲主義


市民革命と近代立憲主義

実質的意味の憲法の内容は、国家によってさまざまである。
一人の独裁者の命令がそのまま国家の意思と見なされ、それによって強制的に国民の自由や財産が奪われるような内容であることもあろう。

これに対して、17世紀から18世紀にかけて、欧米諸国で起こった市民革命をきっかけとして、憲法は、権力者の恣意を許すものであってはならず、個人の権利と自由を保障するために、そしてその限りにおいて国家の行為を認めるものであるべきだとの考え方が確立した。
この近代立憲主義と呼ばれる思想は、国家の任務を個人の権利・自由の保障にあると考えるが、その任務を果たすために強大な権力を保持する国家自体からも権利と自由を守らねばならないとの立場をとり、このような目的に即して、国家機関の行動を厳格に制約しようとする。
そして、このような考え方に立脚した憲法を、立憲的意味の憲法、あるいは近代的意味の憲法と呼ぶ。
「すべての権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない国家は憲法を有しない」(フランス人権宣言16条)といわれるときは、このような意味で憲法という言葉が使われている。

近代的意味の憲法においては、多くの場合、国家の任務と限界を示す権利が権利宣言という形で成文化され、他方、権力の乱用を防ぐために、統治機構についても権力分立や法による支配など、さまざまな組織上の工夫が施されている。

【価値の多元性と近代立憲主義】
近代立憲主義およびそれを支える個人の自然権という思想は、宗教上の対立を典型とする根底的な価値観・世界観の対立が深刻な紛争を引き起こした16~17世紀のヨーロッパにおいて形成された。
人々の抱く根本的な価値観の相違にもかかわらず、すべての人が社会生活の便宜とコストを公平に享受し、負担する枠組みを作り出すことが、こうした思想の狙いである(長谷部 [1999] 第1章 [2000] 第4章)。
1.1.4 で述べた調整問題や公共財の提供について、何が適切な解決かを社会全体で理性的に審議・決定するためにも、各人の根底的価値観・世界観に関わる問題について国家は干渉しない(つまり「正しい」価値観を提供することは国家の任務ではない)という保障をあらかじめ与えておくことが前提となる。
中世の自然法思想に比べて、そこでいわれている自然権の内容がきわめて縮減されたものであることも、根本的に立場の異なる人々すべてに受容可能な社会生活の枠組みが何かを探ろうとした、その結果として説明できる。
当時の自然権思想を、各人に天賦の自然権があることをアプリオリに前提とし、そこから国家のあり方を演繹したものだとする理解は一面的であること(そして自然主義的虚偽論 naturalistic fallacy(※注釈:pleasure(快)などの非倫理的な=事実的前提から、the good(善)などの倫理的結論を導くことは誤謬である、とする分析哲学者G.E.ムーアが1903年に指摘した仮説) に陥りかねないこと)に留意する必要がある。

なお、以下で説明するように、国家が保護すべきものとされる「自然権」と実定憲法において保障されるべき「憲法上の権利」ないし「基本権」とは、必ずしも一致しない。

◇1.2.2  近代憲法から現代憲法へ


近代憲法の特徴

近代立憲主義が確立した当初の憲法においては、権利宣言においても、思想・信条の自由、表現の自由、人身の自由、財産権の保障などの個人の権利を国家権力に対して防衛するという色彩が濃く、団体行動の権利や社会権は、ほとんど顧みられていない。
また、統治機構の面でも、国民の代表によって制定された法律によって行政権および司法権を厳格に拘束しようとする考え方が強く、立法権そのものを拘束しようとする考え方はあまり見られなかった。
さらに、当時は、参政権も納税額や性別によって限定されており、「教養と財産(Bildung und Besitz)」を有する市民層という国民の限られた部分の意見が議会に強く反映する構造になっていたことも見逃してはならない。

現代憲法への転換

強要と財産を持つ人々による政治という考え方から、できるだけ多くの人々が国政に参加すべきだとの考え方への転換が行われたのは、ヨーロッパにおいても19世紀後半から20世紀初めにかけてのことに過ぎない(その背景には、主要各国の軍事戦略の転換がある。この点については、長谷部 [2006] 第4章参照)。
そして、選挙権の拡大とともに、国家が大衆の要求に応ずる必要が生じたこと、また他方で、社会主義思想が、近代憲法の保障する人権が単に形式的な自由と平等を保障するにとどまり、真に人間らしい生活を保障する役割を果たしていないとの主張を広めるに従って、国家の任務と限界に関する考え方も大きな変化を遂げた。

ドイツのワイマール憲法やフランス第四共和政憲法など、第一次大戦以降にヨーロッパ諸国で制定された諸憲法の権利宣言においては、従来の個人レベルの自由権と並んで、集会の自由・結社の自由のような集団的自由権、労働者の団結権・団体交渉権・争議権のような労働基本権が保障される他、最低生活の保障や勤労権、教育権など、実現のために国家の積極的な介入を要するような権利も謳われている。
日本国憲法も、これらの点で例外ではない。
また、権利宣言として成文化された権利のカタログに示されない領域でも、国家には、景気変動や経済成長の調整、社会資本の整備など、積極的な役割が期待されている。

次に、憲法による制約の対象についても考え方の変化が見られる。
現代社会においては、国家権力とそれ以外の社会的権力、つまり大企業や政党、労働組合、私立大学などの違いは絶対的なものではなく相対化しており、従ってこれらの社会的権力の行為も憲法による直接あるいは間接の制約の対象にすべきだとの見解が主張されている。

統治機構への影響

以上のような近代憲法から現代憲法へ、言い換えれば、夜警国家から福祉国家への国家観の変容は、統治機構の面でも重大な変化をもたらしている。

まず、福祉給付行政に見られるような行政裁量の拡大は、議会立法による行政権の厳格な拘束という法の支配(1.2.5 参照)の理念を後退させる状況を生み出した。
また、政府の活動領域の拡大は、政府が産業界や労働界をはじめとする社会内のさまざまな利益集団と協議する必要を生み出し、国会を通じて国民の利益が一元的に代表されるとの近代憲法の建前に反して、多様で個別的な利害が政府と直接に交渉する特権を得る状況をもたらしている。

他方、大衆の政治参加に伴って成長した政党組織は、議会内での議員の規律を強め、その結果、政党の領袖からなる内閣による議会の支配を現出した。
選挙権者の数が限定されていた近代社会においては、地方の名望家が独自の資金と組織によって当選し、議会内で緩やかな議員組織を形成していたが、現代の普通選挙制度の下では、政党の政策・組織・資金に頼らない限り、議員の地位を獲得することはきわめて困難となり、そのため党組織への議員の従属が見られる。

さらに、戦間期から第二次大戦中のファシズムの経験から、立法府による侵害から国民の権利を守る制度が必要だとの考え方が強まり、戦後、多くの国で違憲立法審査制度が導入されることとなった。

◇1.2.3  国民主権


主権とは

主権という言葉の主な用法としては、
国家の統治権を指す場合、
国家の統治権の最高独立性を指す場合、そして
国家における最高意思、つまり国政のあり方を最終的に決定する力を指す場合
がある。
統治権という意味の主権の用例としては、ポツダム宣言8項の「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ極限セラルベシ」がある。
統治権の最高独立性を示す主権の用例としては、憲法前文3項における「自国の主権を維持し」がある。
これに対し、日本国憲法前文で「主権が国民に存する」といわれ、1条で「主権の存する日本国民」といわれる場合には、③の意味の主権が国民に帰属することが述べられている。

国民主権の内容

国民主権の原則は、
第一に、 統治権が主権者である国民自身か、あるいは国民が選挙を通じて直接、間接に組織する機関によって行使されるべきこと、
第二に、 統治権を行使する機関は、常にその行使について国民に責任を負うこと、言い換えれば、国民に対して常に行使の正当性を説明し理由づける責務を負うこと
を意味する。
前者は、国民主権の権力的契機、後者は、国民主権の正当性の契機といわれることがある。

君主主権の下においては、君主自身が統治権のかなりの部分を行使し得たために、権力的契機と正当性の契機とは重なり合っていたが、国民主権の下においては、市民が常時政治に直接に参与することは不可能であるため、両者は乖離し、正当性の側面が強調されることになる。
国民主権の原理が、国民の実際の政治参加をどの程度まで要求するかについては、代表制の観念とも関連して議論の対立が見られる(12.1.1 参照)。

主権概念の見直し

国家の主権および国家における主権は、唯一不可分で最高独立であり、無制約であるという考え方が伝統的には支配的であった。
しかし、実際には、連邦国家のように中央政府と各州政府に統治権が分割されることもあるし、違憲審査制によって国民を代表する議会の立法権が裁判所によって制約されることもある。
また、国際的な慣行や条約によって国家の行動が制約されることも珍しくない。
主権が無制約であるとの考え方は、権力分立や違憲審査など、さまざまな制度によって国家権力を制約しようとする近代立憲主義の考え方と正面から対立する。
「国民主権」の原理が国民の政治参加を広範に要請するという前提をとったとしても、そうして政治過程に参加する国民は、さまざまな制度の枠組みを乗り越えて無制約に国政を決定し得るわけではない。

主権が唯一不可分で無制約であるとの考え方にさほど理由がないとすると、国家という単位で法のあり方を考えることも必然的ではないことがわかる。
1.1.4 で述べた法の役割を、国際的な法や組織が効果的に果たすのであれば、国家を単位として社会生活を規律することに必ずしもこだわる必要はない。
地球環境の保全や国際平和の維持という公共財は、個々の国家を超えるルールや組織を要求するであろうし、地域ごとの実情に応じた統治権の行使は地方政府への大幅な権限の委譲を正当化するかも知れない。
「国民主権」の下で、市民の直接の政治参加をどのような制度的枠組みの下で、どこまで認めるのが妥当かも、1.1.4 で述べた法の役割をどのような制度が適切に果たすかという視点から検討する必要がある。
主権という概念に基づく議論の限界に留意し、この概念にあまり多くのものを読み込み過ぎないようにしなければならない(長谷部 [1999] 第5章)。

【憲法制定権力】
主権の内容として、しばしば憲法制定権力(pouvoir constituant)の概念が議論される。
憲法を制定する権力とそれによって「制定された権力(pouvoir constitue)」との区別は、シィエス(Sieyes, E.)によって唱えられた(シィエス [1950] 第5章。なお、シュミット・憲法理論第8章をも参照)。
始源的な憲法制定権力を人民が行使した結果として制定されたからこそ憲法は正当性を有するが、他方で、憲法制定権力自体は何ものによっても制約されることなく、手続の点でも権限の点でもより上位の規範によって拘束されることはないとシィエスやシュミットは主張する。

しかし、個人の集合体である人民が一貫した意思を表明するためには、人民とは何者であり、それが如何なる手続と権限の下でその意思を表明し得るかが定まっている必要がある。
たとえ人民全体の集会が人民の意思を表明するとしても、誰が集会の構成員であり、如何なる手続で意思を表明し得るかは定まっている必要がある。

憲法制定権力は無制約な始源的権力ではあり得ない。

他方で、憲法制定権力は普遍的な政治道徳を内容とする根本規範によって制約されているからこそ、その決定の結果たる憲法は正当性を有するとの立場もあるが(芦部 [1983] 等)、そうであれば、憲法が正当であるか否かは、憲法の内容と根本規範とを直接に比較すれば判明するはずである。
憲法の正当性の基礎付けという点では、憲法制定権力は余剰概念となる。

要するに、無制約な始源的憲法制定権力という概念は筋の通った概念ではあり得ず、他方、根本規範によって制約された憲法制定権力は、憲法の正当性を基礎付ける上では不要な余剰概念である。
この点について詳しくは、長谷部 [2009] 参照。

◇1.2.4  権力分立原理の変容


権力分立の原理は、モンテスキュー(de Montesquieu, C. L.)によって確立されたと考えられている。
『法の精神』(1748)で示された彼の理論は、当時のイギリスの政治体制をモデルとして組み立てられており、その内容は、権力集中の排除を目的とする消極的原理と権力の抑制均衡を狙う積極的原理の2つに区分することができる(モンテスキュー [1987] 第11篇第6章)。

権力集中の排除

まず、消極的原理は、国家の統治権を、立法・司法・執行の三権に区別し、そのうち2つ以上が、1つの機関によって独占されないよう、政治体制を構成する必要があるとする。
このような独占は、専制政治、つまり人々の自由の抑圧をもたらすからというのがその理由である。
確かに、立法機関と法を具体的な場面に適用する機関とが融合すれば、個別の事情やその時々の考慮によって法は伸縮自在に適用されることとなり、あらかじめ定められた一般的な法に従って予見可能な形で国家権力が行動するという「法の支配」は失われることになる(1.2.5 参照)。
司法権と執行権とが融合した場合にも、立法権の定めた法による拘束は名目的になり、同様の専制がもたらされるおそれが強い。

権力の抑制均衡

もっとも、国家権力の集中を排除する消極的な原理だけでは、憲法の構成原理として不十分であり、モンテスキューは、積極的な原理として、権力の抑制均衡の仕組みを提唱する。
これは、司法や執行を支配する最高の権能である立法権の構成に関する原理である。
モンテスキューによれば、当時のイギリスの立法府は、市民階級の代表からなる庶民院、貴族からなる貴族院、さらに立法裁可権を有する国王の三者から構成され、三者すべての合意がない限り、新たな法律が制定されない仕組みになっていた。
執行権を有する国王が立法裁可権を持つことにより、議会が執行権を簒奪するような法律を制定することを防ぐことができる。
また、三者のすべての同意がない限り法律が制定されない以上、制定された法律は、すべての社会階層の利益にかなう、自由を守る法律であるはずである。
モンテスキューの発想にならって行政権の首長に立法拒否権を認めた憲法として、フランスの1791年憲法やアメリカ合衆国憲法がある。

現代の権力分立

もっとも、モンテスキューが権力分立の原理を提唱したのは、国民主権の原理が確立せず、君主や貴族階級がなお大きな政治的発言権を有していた制限王政時代のイギリスをモデルにしてのことであった。
このような時代を背景とする権力分立論が果たして現代国家でも有効であり得るかが問題とされねばならない。

第一に、 モンテスキューの時代と異なり、現代国家では、各身分ごとの利益や自由を保障することではなく、個人の平等な権利を保障することと、平等な国民一般の利益を議会に代表させることが政治体制の課題とされる。
第二に、 現代の諸憲法では、権力の均衡抑制の原理は、立法機関内部の均衡抑制ではなく、三権相互の関係について議論されることが多い。
議院内閣制の下での、元首と議会、あるいは内閣と議会の均衡や、裁判所による違憲立法審査制度は、その例である。
日本国憲法のもとでも、立法・司法・執行の各々を主として担当する国会・裁判所・内閣は、他の作用や機関に関与することが認められており、相互の関与から生まれる三権の均衡・抑制が国家による人権侵害を防ぐ役割を果たすといわれることがある。

このような現代の権力分立が提起するおそらく最大の問題は、国民主権原理との関係である。
議会が、主権者たる国民の直接の代表であることを考えれば、なぜ行政権や裁判所がそれに従属することなく、かえって、ときには議会の行動を抑制し得るのかが問われることとなる。

このうち、行政権に関する限りでは、日本は議院内閣制度を採用していることから、機構上、行政権を担当する内閣が議会の多数派と行政権とは実は融合していることを示しており、その限りで権力分立原理は変容を被っていることになる。

ただ、議院内閣制の下では、内閣が辞職の自由を持つことと、場合によっては自己の政策の是非を有権者に問うために議会を解散し得る点で、行政府が議会の意思に無原則に従う議会統治制よりは、内閣の独自性が保たれているといえよう(13.1.1 (2))。
しかし、内閣総辞職の後、あるいは解散-総選挙の後に組織される新内閣は、議会多数派の意思を反映していなければならない。
フランス第五共和政やアメリカ合衆国では、行政権の長である大統領が、議会と同様に、有権者を直接に代表するという形で、権力分立と国民主権との整合性が図られている。

分立原理の変容

もっとも、行政権が立法権と対抗し得る存在と考えられるに至った実質的な理由は、モンテスキューの時代と異なり、現代の行政権が単なる法律の執行にはとどまらず、立法活動自体の指導をも含む統治活動を担当しているからである(13.1.2 (1))。
国家に最小限の役割のみが期待されていた時代においては、各身分の既存の権利が新たな法律によって侵害されない仕組みを作り出すことが肝要であった。
これに対して、国家の役割が増大した今日においては、行政権の担当する統治活動を民主的にコントロールすることが重要な課題となる。
議院内閣制や大統領の公選制も、このような視点からその意義を理解する必要がある。

他方、裁判所については、伝統的には、司法は法律を個別の事件にあてはめて、それを解決するだけであり、裁判官の個人的な良心や倫理観がそこに介入する余地はないと考えられてきた。
従って、司法が正しく運営されるためには、政治部門の介入を排除し、法律の忠実な適用を保障しなければならないこととなる。
そこから、裁判官の職権の独立や身分保障の必要が説明される。
もっとも、実際には、法の解釈適用において、裁判官の個人的な考えが全く働かないということはあり得ない。
とくに、抽象的な憲法の条文の解釈に基づいて、国民を代表する議会の制定法の効力を審査する違憲審査制度を如何にして正当化できるかが、議論の焦点となっている。
議会を含む民主的な政治過程そのものの正常な機能を維持するため、あるいは個人の自律を多数決による政策的決定から守るために違憲審査が要請されるという議論など、さまざまな考え方が提示されている(14.4.8. 参照)。

【権力分立と国民主権の相克】
権力分立と国民主権とを調和させる一つの考え方は次のようなものである。
権力分立を国政に関する決定権限の配分原理として捉えると、司法、立法、行政の各機関にそれぞれ権限が配分されているのと並んで、他の主体、たとえば地方自治体へも憲法は権限の配分を行っている。
中でも重要なのは個人に対する憲法上の権利の配分である。
憲法によって保障された権利の範囲内で、個人はその自主的な判断によって自分の行動や生き方を決定することができる。
そして、裁判所には、他の国家機関や地方公共団体等が個々人に承認された決定権限を侵害しないよう、これを保護する責務が課されている。
従って、権力分立の内容を的確に捉えるならば、分立される権力、つまり決定権限の中には、個人に配分される決定権限である憲法上の権利も算入されなければならない。
国民主権の原理は、憲法による各国家機関への権限配分を前提としたうえで、それを正当化するための理念であるから、憲法による権限配分自体を左右する力はない。
つまり、個人の権利に関する裁判所の判断を否定する理念として働く余地はないということになる。

◇1.2.5  法の支配


法の支配は、国家機関の行動を一般的・抽象的で事前に公示される明確な法によって拘束することにより、国民の自由を保障しようとする理念である。

法の支配の内容

「人の支配」ではなく、「法の支配」を実現するためには、何よりもそれが従うことの可能な法でなければならず、法に基づいて社会生活を営むことが可能でなければならない。
そのためには、①法が一般的抽象的であり、②公示され、③明確であり、④安定しており、⑤相互に矛盾しておらず、⑥遡及立法(事後立法)が禁止され、⑦国家機関が法に基づいて行動するよう、独立の裁判所によるコントロールが確立していること、が要請される(長谷部 [2000] 第10章)。
このような法の支配の要請は、法令の公布に関する規定(憲法7条1号)や憲法41条の「立法」の概念、司法の独立(憲法76条以下)の他、憲法31条以下の諸規定に具体化されている(8.3.2. (3) 【法の支配との関係】 参照)。

「善き法」の支配

法の支配は、「善き法」の支配と同視されることがある。
形式的法治国と実質的法治国の概念を対置し、法の支配を後者と同視する考え方もその一例である。
また、個人の尊厳や基本的人権の保障、国民主権など、近代立憲主義の諸要請がすべて法の支配に含まれるとする者もいる。
しかし、このように法の支配を濃厚な意味で理解してしまえば、この概念を独立に検討する意義は失われる。

確かに、法の支配の内容とされる法の一般性・抽象性・明確性・安定性、および遡及立法の禁止は、法が法として機能するための、つまり法が人の行動の指針として機能するための必要条件である。
立法が個別的にしかも事後的に為され、法の文言も不明確であり、しかも朝令暮改のありさまでは、人々は国家機関の行動について如何なる予測を立てることもできず、そのため法に従って行動することは不可能となるであろう。

しかし、人種差別立法や出版物の検閲制度を設定する法も、やはり法として機能するためには、これらの特徴を備えている必要がある。
これらの特徴はいずれもそれ自体としては、悪法の支配とも十分に両立し得る。
また、前述のような法の支配の内容は、法が民主的に定められるか否かとは関係がない。

法が法として機能するために、今掲げたような幾つかの条件が必要であることが、法と道徳との必然的なつながりを意味するといわれることもあるが、これも誤りである。
切れ味の良いことがナイフの道徳性を示していないのと同様、法が法として機能するための条件を備えていることは、法の道徳性を示していない。
今述べたとおり、きわめて不道徳な目的を持つ法も、法として機能するためには、このような条件を備えていなければならない。

法の支配の限界

さらに、法の支配は、法が備えるべき条件の一つに過ぎず、他の要請の前に譲歩しなければならない場合もあることに留意しなければならない。
法の支配の要請がどこまで充足されるべきかは程度問題であり、個別の企業を国有化するための立法や女性のみを保護対象とする労働立法も、一般抽象性の点で悖(もと)るところがあるとしても、政府の役割の拡大した福祉国家の下においては肯認され得るであろう。
法の支配を支える根拠となる個人の自律や社会の幸福の最大化という目的自体が、国家の役割の拡大をもたらしているからである。

【形式的法治国と実質的法治国】
法の支配の観念と関連して、法治国(Rechtsstaat)の概念を、形式的法治国と実質的法治国の2つに区分することがある。
形式的法治国論はあらかじめ定められた法形式さえ取れば人民の権利・自由を無制約に侵害できるという考え方であり、実質的法治国論は、法律の内容に一定の実質的限界があるとの考え方であるとされる。
もっとも、日本のような成文の憲法典を持つ国家において、この2つを区別する意義については疑いがある。
すなわち、最高法規たる憲法典に、実質的法治国概念が前提とする正しい法内容が書き込まれていない限り、その国は実質的法治国とはいえないであろうし、他方、憲法典に下位の法令が充足すべき正しい法内容がすでに書き込まれているのであれば、形式的法治国概念からしてもすべての国家機関はその正しい法内容に従って行動すべきである。
両者を区別する意義があるとすれば、せいぜい憲法改正の限界についてであろう。

なお、形式的法治国概念が、法の一般性・抽象性や遡及性、裁判の独立性など法の支配の要請をも否定し得る概念として理解されているのであれば、それは当然、本文で述べた法の支配とは両立し得ない。

◇1.2.6  硬性憲法


改正手続による区分

憲法が通常の法律よりも厳格な手続によらなければ改正出来ない場合、それを硬性憲法と呼び、通常の法律と同様の手続で改正し得る場合、軟性憲法と呼ぶ。

硬性憲法と軟性憲法の区別は、ブライス(Bryce, J.)によって為されたもので、彼は、成典か否かの区別を前提とせずに、憲法一般にこの分類をあてはめた(J. Bryce [1901] pp.128-33)。
一国における実質的意味の憲法がすべて成典化されることは実際上あり得ず、従って、それがすべて硬性化されることもあり得ない。
硬性憲法の国か軟性憲法の国かの区別は、その国に硬性の憲法典があるか否かの区別として捉えられるべきである。
現在のイギリス、建国当初のイスラエルなどが、軟性憲法の国家の例として知られる。

硬性憲法の特長

近代立憲主義は、一般に憲法の成典化とその硬性化とを推し進めた。
国家機関への拘束と人民の権利の内容を成典化し、明確にすればその遵守を期待することが出来るし、そうして生まれた成典憲法を、通常の法律より厳格な手続でしか変更できない憲法とすれば、そのときどきの議会多数派の手から少数者の権利や社会生活の基礎となる価値を保障することが出来、また改正手続に国民投票を取り入れることで、国民の意思を憲法に反映すると同時に、憲法の正統性を強めることも可能となる。
さらに、連邦国家においては、連邦を構成する各州の承認が改正のために必要となる。

もっとも、憲法改正手続が厳格であることは、必ずしも実際の改正が困難であることを意味しない。
改正が為されるか否かは、政治情勢や憲法擁護に対する国民の考え方にも大きく依存する。
他方、改正が困難であると、実際の状況に合わせて不文の慣習が補充的にあるいは憲法典に反する形で成立することがある。
しかし、憲法典の解釈が柔軟に為されるならば、憲法典が同一のままであっても、さまざまな状況の変化に対応することが可能となる(1.3.4、1.3.5 参照)。

日本国憲法は、硬性の憲法典であり、改正のためには、衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成による国会の発議と、国民の承認とが必要とされる(1.4.1 参照)。

【不文の硬性憲法】
硬性憲法と軟性憲法の区別について、本文で述べたような憲法典の改正の難しさに限らず、1789年の革命以前のフランスにおける王国の基本法(lois fondamentales du royaume)のように、不文の憲法原則であっても、それが変更不可能と考えられている場合には硬性憲法と考えるべきだとの見解がある(デュヴェルジェ・フランス憲法史39項)。
しかし、このような考え方からすると、イギリスのように国会主権の建前をとり、いかなる法であっても国会がこれを変更し得るとの憲法原則をとっている場合には、その原則自体が不文の硬性憲法だということになろう。
そうすると、イギリスも実は軟性憲法の国ではなく、「憲法は軟性であるべきだ」という軟性の憲法原理を持つ国と考えるべきことになる。
そのとき、軟性憲法の国家なるものは果たして存在し得るであろうか。

◇1.2.7  憲法の尊厳的部分と機能的部分


憲法の2つの部分

近代立憲主義が国民の権利・自由を保障するうえで、議会・内閣・裁判所などの国家機関の仕組みや権限に着目するのは、これらの機関こそが国家権力の実際の担い手であると考えるからである。
この前提は、現代社会において権力が行使される状況を正確に反映しているであろうか。

バジョット(Bagehot, W.)は、『イギリス憲政論』(1867)の中でイギリスの国家体制を分析する際、憲法の尊厳的部分と機能的部分とを区別した。
前者は、国民の崇敬と信従を喚起し、維持する部分であり、後者が実際の統治に携わる。
バジョットによれば、当時のイギリスの国家制度のうち王室や貴族院は前者であり、庶民院や内閣は後者にあたる(バジョット [1970] 第1章)。

現代憲法の機能的部分

この区別に即して現代の日本の政治制度を分析するとどうなるだろう。
天皇制は明らかに尊厳的部分に属しているが、さらに、唯一の立法機関とされる国会や行政権を統括するはずの内閣も、次第に尊厳的部分へと追いやられているように見える。
実際に統治活動の中心にあるのは、大部分の法案を準備し予算案を編成する中央官僚機構と、財界・産業界・各種圧力団体の要請と支援を受け、ときには外国政府の圧力を受けて官僚の活動に影響力を行使する政権政党である。
そして、統治活動の態様も、法律およびそれに基づく国民の権利自由の制約ではなく、補助金の交付や行政指導、人員の派遣など、法的コントロールに馴染みにくい形をとることが増えている。

このような憲法の機能的部分の活動を厳格な法のコントロールの下に置くことは、とりわけ行政活動の肥大した現代国家では難しい。
それは、彼ら自身が立法・行政活動の主体でもあり、そうである以上、法的措置をとる以前に、他の方法で所期の効果を達成することができるからである。
いずれにしろ最後は法的措置を取られると分かっている以上、相手方も長期的観点からなるべくコストがかからず、摩擦の少ない形で機能的部分の要求に対処しようとするであろう。

機能的部分に対する制約

もちろん、機能的部分に属する人々も全く無制約で活動するわけではない。
数年ごとに行われる国政選挙のため、有権者の意思を無視することは許されない。
従って、世論に影響を与えるマスメディアの批判も大きな効果を持つ。
また、機能的部分の権力の主要な源泉が、国会や内閣など憲法の尊厳的部分の活動をコントロールし得る点にある以上、国会や内閣の活動を規律する憲法典、各種の法令および慣習は遵守せざるを得ない。

もっとも、これらのルールは、そのすべてが裁判所によって強行されるわけではないため、彼ら自身によって承認されている限りにおいて、彼らの行動を縛るという性格は残る。
裁判所の違憲審査権が行使される場合でさえ、最終的な有権解釈権者たる最高裁判所によって解釈された限りにおける憲法が適用されるに過ぎない。
権力の拘束を使命とする憲法は、究極的には、権力者自身によって受け入れられている限りにおいて、権力を拘束することができる(この点については 1.3.3、1.4.2、1.4.3 を見よ)。
もちろんそうは言っても、憲法と現実の距離には許容限度があろう。
憲法を単なる神話として軽視することは、機能的部分の権力の基礎を掘り崩すことになる。
機能的部分の機能性もその神話によって支えられているからである。


◆1.3  憲法の法源と解釈


◇1.3.1  成文法源と不文法源


法源という言葉も様々な意味で用いられるが、広義では、法の存在形式を指す。
実質的意味の憲法が国法体系においていかなる形をとって現れるかにより、各種の法源が存在することになる。
このうち、憲法典、条約、法律など成文化されたものを成文法源、慣習、判例などのように成文化されていないものを不文法源と呼ぶ。

【法源の意義】
法源という言葉は、広義では、法の存在形式を指し、憲法の場合でいえば、実質的意味の憲法を構成している様々な法形式を指すが(1.3.2 参照)、狭義では、そのうち裁判所による裁判の基準として用いられるものを指す。
さらに、憲法学では、最狭義の用法として、違憲審査における違憲・合憲の判断基準となるもの(典型例は憲法典の条文)を指す場合もある。

後述するように(1.3.4)、判例については、それが狭義の法源にあたるか否か、そして慣習については、それが最狭義の法源にあたるか否かが問題とされている。

◇1.3.2  日本国憲法


主な成文法源としては、憲法典である日本国憲法、さらには国会法、内閣法、裁判所法、地方自治法、皇室典範などの法律の他、衆議院規則、参議院規則、最高裁判所規則などがある。
このうち最も重要なものは日本国憲法であり、実質的意味の憲法のうち極めて重要な部分が、この法典によって定められている。

日本国憲法は近代立憲主義の系譜に属しながら現代的な特質をも備えた硬性の憲法典であり、前文と全11章からなる本文とによって構成されている。

前文については、これを単なる政治的宣言と見なし、その法源性を否定する見解み見られるが、少なくとも立法や解釈の指針としての役割は果たし得るとする見解の方が有力である。
法源性を否定する根拠としてしばしば掲げられるのは、前文の規定の抽象性であるが、そのことだけを取ってみれば、本文の規定についても同様に当て嵌まる事柄である。
また、前文の改正には96条の定める手続を踏むことが必要であり、その限りで憲法典の一部たる性格を失わない。

◇1.3.3  最高法規


憲法の最高法規性

憲法98条1項は、日本国憲法を「国の最高法規」とし、「その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為」は「その効力を有しない」と定める。
ここにいう最高法規とは、形式的効力において最高の法という意味である。
憲法の条文自体あ、このように定めているというだけでは、憲法を最高法規とする根拠として不十分である。
「私は正直者です」という者が、必ずしも正直者とは限らないことと、事情は同様である。

通常は、96条の定める改正手続の硬性と81条が明定する違憲審査制とが、憲法の最高法規性を制度面で裏付けているとされる。
また、97条の述べる基本的人権の性格は、前文並びに1条、9条で明らかにされた国民主権主義および平和尊重主義と相俟って、憲法が最高法規たる実質的理由を基礎づけているとされる。

法の運用者による受容

もっとも、日本国憲法が硬性の改正手続や違憲審査制の設置などの制度的特徴を備えていること、そして、日本国憲法がその内容において、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義などの正当な原則を掲げていることは、日本国憲法の日本における最高法規性を直接に基礎づけるわけではない。
この種の正当性を標榜する法文は世界に数多く存在するが、当然のことながら、それらのすべてが日本の最高法規と見なされてはいない。
日本国憲法が日本の最高法規である直接の理由は、日本社会において法の運用に携わる人々-官僚、裁判官、議員等-が、「日本国憲法を最高法規として扱うべし」というルールを受け入れ、それに則って行動しているからである。
つまり、日本国憲法が国の最高法規なのは、「日本国憲法を最高法規として扱うべし」という実質的意味の憲法が事実上存在するからであり、そのような実質的意味の憲法が存在するのは、それを法の運用者が事実上受け入れ、それに則って行動するからである。
もちろん病理的な政治体制を除くと、法の運用者によって受け入れられているルールは、社会の大多数のメンバーによっても受け入れられているであろう(ハート・法の概念第6章参照)。

法の運用者になぜそのようなルールを受け入れるのかと問えば、日本国憲法が基本的人権を保障するから、あるいはそれが硬性の憲法典だからと答えるかも知れないが、単に、そんなことは当たり前だと応ずるかも知れない。
平常時にこのような問い掛けをする人間は稀であろう(1.4.2 参照)。

経過規定

憲法98条1項に関しては、それが従前の法令の効力について定める経過規定としての意味を有するかという問題が議論される。
支配的学説や判例(最大判昭和23.6.23刑集2巻7号722頁)は、この問題を積極に解し、98条1項は、日本国憲法施行の際に存する明治憲法下の法令のうち、憲法の条規に反しないものについては、引き続き効力を有する旨をも意味しているとする。
明治憲法下の法令のうち、法律事項を規定するものには法律としての、それ以外の事項を規定するものには命令としての効力を暫定的に認めた1947年法律72号、政令14号も、この趣旨を受けたものとされる。

しかしながら、98条1項が経過規定としての意義を持たず、そのため日本国憲法が経過規定を全く欠いていたとしても、法秩序が革命的な変革を受けた場合にそうであるように、民事・刑事の事件を日々解決すべき裁判所などの法適用機関は、成立時において有効に制定された法令である以上、制定の根拠となる規範(この場合は、明治憲法)が消滅した後も当該法令の内容が新たな憲法に違反するなどの特別な理由のない限り有効に存在し続ける続けるものとして適用するはずである。
さもなければ、安定した法秩序に基づく市民生活の継続は不可能となる(芦部・憲法学Ⅰ100頁)。
憲法の大規模な改正を理由に下位の法令をすべて無効とすれば、従来の法を前提として生活してきた人々の期待を覆し、「法の支配」の要請に著しく反することになる。
民法および不動産登記法が新憲法の成立によって失効したか否かが争われた事件で、最高裁が「法律は一旦適法に制定された以上その後の法律により改廃せられない限り効力を失うものではない」と述べているのも同様の趣旨と考えられる(最判昭和30.4.5民集9巻4号456頁)。
つまるところ、98条1項が経過規定であるか否かという問題は、さほど重要なものではない。

占領法規の効力

占領時代に制定された法令の独立後の効力についても、同様に考えることが出来るはずである。

最高裁の判例は、連合国最高司令官の要求の実施を政府に義務づけた昭和20(1945)年緊急勅令542号およびそれに基づく政令(いわゆるポツダム命令)について、日本国憲法施行にかかわりなく憲法外において法的効力を有していたとの立場をとった(最大判昭和28.4.8刑集7巻4号および最大判昭和28.7.22刑集7巻7号1562頁)。
平和条約発効後の同勅令に基づく命令の効力については、当初、
原則として失効するとの立場(最大判昭和28.7.22の相対多数意見)と
その内容が日本国憲法に反しない限り当然には失効しないとの立場(最大判昭和28.7.22の井上登等4裁判官の意見)
に分かれていたが、その後の判例は、第②説の立場をとっている(最大判昭和36.12.20刑集15巻11号2017頁)。
通説は憲法98条1項が経過規定としての意義を持つとの前提から第②説の立場をとる(清宮・憲法Ⅰ26頁、宮沢コメ806頁)。

【ポツダム緊急勅令】
1945(昭和20)年9月20日に明治憲法下の緊急勅令として発せられた「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」(勅令542号)のことで、「政府ハ・・・・・・連合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」と定めていた。
きわめて広汎な立法の委任を授権するもので、日本国憲法とは整合し得ず、講和条約の発効に伴って制定された「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(昭和27年法律81号)により廃止された。

◇1.3.4  不文法源


不文の法源としては、慣習と判例とが問題とされる。

慣習や判例が法源であるか否かが問われる際には、暗黙のうちに、一般的抽象的な形で妥当すべき規範を確定している制定法こそが本来の法源でると前提されたうえで、このような性格を持たない慣習や判例を果たして法源として認めることが出来るかという形で問いが立てられることが多い。
判例について厳格な先例拘束性が当て嵌まる場合にのみ、それを法源と呼ぶことが出来るという主張は、できるだけ判例を制定法に近づけて解釈しようとする試みの一つである。
逆に、具体的な事例から構成される慣習や判例に現れた社会の伝統的な考え方こそが、その共同体における人々の行動のあり方を示す法の本来の姿であり、制定法こそが例外的な現象であるとの理解もありえよう。

以下では、一般的抽象的な規範を確定的に示す制定法が、典型的な法源であるとの前提の下に、慣習と判例とがどこまで、法源としての性格を備えているかという問題を扱う。
以下、分説する。

(1)  憲法慣習


慣習の合理的基礎

慣習が、少なくとも憲法典よりも形式的効力の劣る法源として、実質的意味の憲法の一部たり得ることは、多くの論者が認めるところである。
そのような慣習の成立要件については議論の対立が見られる。
一つの見解は、イギリスにおける憲法習律についての議論にならい、慣行が規範意識をもって遵守されていることに加えて、その慣行に合理的理由のあることを要求する(伊藤・憲法80-82頁)。

たとえば、衆議院の解散を実質的に決定する権限の所在、および解散の許される要件については憲法典に明確な規定がないが、慣例上は、1948年12月の第一回解散以来、内閣が実質的な決定を行い、しかもほとんどの場合、憲法69条所定の衆議院の議決なしに解散が行われてきた。
解散に先立って内閣不信任の議決が行われたのは、1952年8月、1953年3月、1980年5月および1993年6月の4回の解散にとどまる。
そして、議院内閣制の下における議会と内閣との均衡を保ち、かつ重大な政治問題について時機を失することなく有権者の審判を仰ぐためには、内閣に自由な解散権を与えることにも合理性があると考えられることから、このような慣行は習律としての地位を得たとの有力な見解がある(解散権の所在と行使の要件については 13.3.3を、習律については 13.3.3 (3) 【憲法習律】を見よ)。

もっとも、慣習の主要な機能を、社会で反復して発生するさまざまな調整問題状況を解決することに求めるならば、当該慣習に、他の選択肢と比較して特別の合理性を要求することにはさほど意義が認められないことになる。
他の選択肢と比べて、その慣習がはるかに合理的なのであれば、そもそも、その問題は調整問題ではなかったということになろう。
解散権の行使の要件の問題についても、内閣に広い裁量を与えることが、裁量を狭めることに比べて、明らかに合理的であるか否かは疑わしい。
広い裁量は、党利党略に基づく解散を引き起こす危険を増し、政権党に有利な形で解散権が行使される可能性を広げることになる。
もちろん、慣習の機能が調整問題状況の解決にある以上は、たとえ慣習として成立した選択肢が他の選択肢に比べてとくに合理的であるとはいえなくとも、なお、その慣習に従うことには合理性があることになる。

憲法典に反する慣習

他方、憲法慣習が憲法典を改廃する効力を持ち得るかについては、厳しい意見の対立がみられる。
慣習が憲法典を改廃し得るとする主張は、憲法改正手続によらずに憲法の意味内容が慣習によって変化し得ると認めることになり、法的意味における憲法の変遷を認めることとなる(1.4.3)。

憲法制定者が制定当時に想定した状況のその後の変化に対応する必要性や、国政のあり方に対する主権者たる国民の決定権を強調する人々は、国民の合意を得た憲法慣習による憲法典の改廃を認めようとするが、硬性憲法の意義を重視する人々は、主権者の意思とされるものが多くの場合、立法府や行政府など国家機関の意思に過ぎないことを指摘し、憲法慣習に憲法典と並ぶ効力を認めることは危険であるとする。
少なくとも、合意(consensus)を理由に、憲法の変更を主張することは出来ないであろう。
同意(consent)と異なり、単なる意見の一致である合意が法的効力を基礎づけることはあり得ない。
世論調査が国民投票の代わりになり得ない一つの理由はここにある。

3つの論点

慣習が憲法典を改廃し得るかという問題については、3つの点に留意する必要がある。

第一に、 この問題は、1.3.5で検討する憲法の解釈方法と関連する。
憲法典の文言が明確で固定した意義を持つという前提に立てば、慣習による改廃の可能性が大きな意味を持つが、柔軟で流動的な解釈を認める立場からすれば、多くの場合は解釈の変化として理解されることとなろう。
第二に、 日本国憲法が硬性の憲法典であることを理由に、それに反する憲法慣習の存立は認められないとする議論は、論点の先取りに過ぎない。
憲法を、改正手続によって定義する議論は、憲法が制定法でのみあり得ると前提していることになり、慣習は憲法ではあり得ないという結論が、すでに前提に組み込まれていることになるからである。
第三に、 慣習の主な機能を調整問題状況の解決に求める立場からすると、調整問題ではあり得ない問題について憲法レベルの慣習の成立を認めることは困難となる。
たとえば、人権の限界を画定する問題や、そのときどきの政治的多数派によって左右されるべきでない基本的な公共財の問題についての決定を慣習に委ねることは難しい。
つまり、憲法慣習によって憲法典が改廃され得るかという問題は、憲法典の役割をどこまで調整問題の解決として説明するかという問題にかかっている。
この論点については、1.4.3 (2) でさらに説明する。

(2)  判例


判例とは裁判の先例をいう。
判決や決定などの裁判が、具体的事件を解決する限りにおいて法としての意味を持つことは当然のことである。

問題となるのは、本来、具体的事件を解決するために下された裁判が、後の裁判を拘束する一般的な規範としての意義を持ち得るか否かである。
このような意味での判例となるのは、通常、先例とされる裁判の判決理由中の判断のうち、主文を導くための直接の論拠となっている部分(ratio decidendi)に限られ、それ以外の傍論部分(obiter dictum)に判例としての意義が認められることはないといわれるが、実際には傍論部分の判断が後の裁判で論拠として援用されることも少なくない。

判例の拘束力

先例拘束主義(principle of stare decisis)の妥当する英米法圏においては、判例は「法的拘束力」を持つが、日本を含めてそれ以外の諸国では、「事実上の拘束力」を有するに過ぎないといわれることがある。
もっとも、イギリスにおいても、厳格な先例拘束主義が確立したのは、せいぜい19世紀の後半からのことである。
判例法の特質はむしろ個別の事件ごとに背景となる正当化根拠に応じて柔軟な解決を目指す点にあり、そもそも先例の権威ある定式化を許さない。
予測可能性と法的安定性を図るたまに厳格な先例拘束主義を導入することは、古典的な判例法の考えからすれば逸脱であり、先例の拘束力のみに着目して判例法を論ずるのはむしろ制定法国の見方ではないかとの疑問もある。

他方、事実上の拘束力と法律上の拘束力との間にどれほどの実質的な違いがあrのかという問題もある。
法律問題の最終的な有権解釈権を持つ裁判所が、判例に事実上拘束されるということは、取りも直さず判例が法的な拘束力を持つことを意味するのではないかとの疑問を提起することも可能である。
憲法典や法律が法源であり得るのも、裁判所がそれらを事実上適用するからであり、裁判所が憲法典や法律を適用しなくなれば、それらはもはや法源ではあり得ない。
実際、もし裁判所が、何が ratio decidendi であるか、あるいは、当該事件は先例と区別(distinguish)され得るかなどという問題に頭を悩ますこともなく、事実上先例を援用して具体的事件を解決しているのであれば、事実上の拘束力は法的拘束力よりもむしろ強力であるといえる(樋口・憲法430-33頁参照)。
少なくとも、最高裁判所の判例が下級裁判所に対して持つ拘束力に関する限り、事実上の拘束力説と法的拘束力説との間に意味のある違いはない(最高裁判所の判例が最高裁判所自身を拘束するかという問題については、14.4.7 を見よ)。

法源としての判例

国民主権の理念を徹底させる立場からは、国会や内閣と異なり、国民に対して政治責任を負うこともなく、従って必ずしも国民の意見を反映していない裁判所の裁判が、法源として扱われることには疑義を呈し得る。
これに対しては、判例を法源とすることによって国民に裁判の結果についての予測可能性を保障し得ること、そして法律によって判例を覆す権限を持つ国会が判例を放置すること自体、国会の黙示の承認を意味すると反論することができよう。

判例が狭義の法源にあたることは承認できるとしても、最狭義の憲法法源、つまり合憲・違憲の判断基準になり得るか否かは別問題である。
この問題は、慣習を最狭義の法源と考えるべきかという問題の一事例である。
判例が最狭義の憲法法源であるとすると、判例は同じレベルの後法として憲法典を改廃し得ることになる。
この問題については、憲法慣習について述べたこと、そして憲法の変遷について後述すること(1.4.3 (2))がそのまま妥当する。

◇1.3.5  憲法の解釈


憲法典や法律などの法源の中には、なんらの意識的な解釈を要することなく、一読して直ちに意味を了解し得るものもある。
あらゆる条文、あらゆる文言が解釈を必要とするとすれば、解釈の結果たる言明もさらに解釈を要するはずであり、この解釈の連鎖は終わることはなく、条文の意味は永遠に不明となろう。

しかし、法源の中には、不明確な概念を用いていたり、相互に衝突するかに見える複数の条文が存在することから、さまざまな解釈を許すものもあり、そのような場合、裁判所をはじめとする法適用機関は、まず、適用されるべき法源の意味を解釈によって確定する必要に迫られる。
裁判所も各種の法源によって一義的に拘束されているわけではなく、議会が一定の憲法典の解釈に基づいて法律を制定するように、裁判所による裁判をある種の立法作用として見ることも可能である(ケルゼン・一般理論242-43頁)。

解釈の条件

さまざまな意見の対立が見られる法律問題について如何なる解釈を選択すべきかは、重要な問題である。

一般に、正当な解釈の満たすべき条件としては、以下のようなものが挙げられる。
論理的に首尾一貫していること。
誤った事実認識に基づくものでないこと。
正当とされる過去の法令や判例を適切に説明し得ると同時に、今後起こり得る同種の事件をも適切に解決し得る解釈であること。
必ずしも過去のすべての判例や法令を正当なものとして説明する必要はない。
当該解釈によれば誤っていると考えられる判例は、これを変更することができるし、その解釈と矛盾する法令については違憲判断を下すこともできる。
多くの人の納得を得られるような解釈であること。
このことは、その時々の社会の多数派の解釈に従うべきことを意味するものではなく、むしろ、当該争点について利己的な関心を持たない人々が一致して承認するであろうような一般原理に基づいた解釈であるべきことを意味する。

もちろん、このような条件を満たす解釈があらゆる法律問題について必ず一つだけ定まるというわけではない。
裁判所の有権解釈が定まった後においてもなお、正当な解釈が何かについての論争が続くことの方が普通である。


◆1.4  憲法の変動と保障


ここでは、憲法の変動の類型と保障の方法のうち、憲法改正について論ずる。
憲法の保障の方法のうち、違憲審査制については、14.4 での説明を、また、抵抗権の問題については、5.1.3 (2) の説明を見よ。
なお、本節の議論は、日本国憲法を典型とする近代立憲主義の系譜に属する硬性の憲法典を持つ国家を念頭に置いている。

◇1.4.1  憲法改正の手続


憲法改正とは、憲法典に定められた特別の手続を踏んで憲法を修正することであり、その点で、憲法典に定められた手続を踏まずに憲法の意味内容を変更する憲法変遷とは異なる。

憲法典も、特定の目的を実現するために作り出された一種の社会的技術であり、道具である。
道具が、当初の目論見どおりに働かなかったり、あるいは目的自体が変わった場合には、道具としての憲法典を修正する必要が生ずる。
作り直しの必要があるか否かは、実際に使ってみたうえでなければよく分からない。
多くの憲法典は、自ら修正の手続を定めており、日本国憲法も例外ではない。

日本国憲法の改正手続は、発案、発議、承認という3つの段階を経ることとなっている。

発案

発案とは、国会による発議の前提として、国会のいずれかの議院において、改正の議案が提出されることをいう。
その院の議員が、この発案を為し得ることは疑いがない。
内閣が、この発案を為し得るか否かについて議論が為されているが、憲法上、大臣の過半数は国会議員でなければならないため、たとえ内閣に発案権がないといても、大臣は議員としての資格で、発案を為し得る。

発議

国会による発議には、各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要とされている(憲法96条1項)。
改正手続に関しては、衆議院の参議院に対する優越は認められない。
総議員の意味については、
法律上の定数とする説と、
現在議員数、すなわち法律上の定数から欠員を差し引いた数とする説と
が対立している。
欠員が反対票に数えられるのは不合理だとするのが②説の論拠であるが(清宮・憲法Ⅰ400頁、宮沢・コメ790頁)、欠員がある分だけ改正が容易になるのも同様に不合理であるし、出席議員の3分の2の賛成で反対派を除名することにより改正を容易にする道を防ぐためには(憲法58条)、①説の方が妥当である(伊藤・憲法 654頁)。

承認

国会の発議の段階で各議院に必要な数の賛成を得られない議案については、その時点で手続は中止する。
もし必要な賛成が得られたならば、次に国民投票にかけられ、国民の承認を求めることになる。
国民の承認については、必要なのが、①有権者の過半数か、②無効票を含めた総投票の過半数か、③有効投票の過半数か、という対立がある。
有効投票の過半数と考えるべきであろう。

2007年5月に成立した「日本国憲法の改正手続に関する法律」は、国民投票の手続について定めるとともに、国会による発議に関する手続を整備するための国会法の改正を行うものである。
改正案の原案の発議は、衆議院では議員100人以上、参議院では議員50人以上の賛成をもって「内容において関連する事項ごとに区分して行われる」(同法151条、国会法68条の2、68条の3)。
国民投票は、国会が改正を発議した日から起算して60日以後、180日以内において、国会の議決した期日に行われ(同法2条1項)、国民投票において、改正案に賛成する投票数が有効投票総数の2分の1を超えたときは、憲法96条1項にいう国民の承認があったものとされる(同法126条1項)。

◇1.4.2  改正の限界


憲法改正に限界があるか否かについては、一般に、
所定の改正手続を踏んでもなお一定の事項については改正を許さないとする実体的改正禁止規定の効力、
実体的改正禁止規定が存在しない場合の限界の有無、
改正手続規定の改正の可否、
の三点が議論される。
そして、これら3つの問題に対する答えは、改正権の上位に憲法制定権が別に存在すると考えるか否かによって変わると考えられている。

日本国憲法の下では、国民主権の原理に「反する一切の憲法・・・・・・を排除する」と述べる前文の文言、戦争、武力による威嚇または武力の行使を、国際紛争を解決する手段としては「永久にこれを放棄する」と述べる憲法9条1項、この憲法が国民に保障する基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」とする憲法11条が、実体的改正禁止規定の例として挙げられることがある。
改正手続規定は、憲法96条がそれにあたる。

憲法制定権の存否と限界の有無

もし、改正権の上位に、改正権を制約する憲法制定権はないと考えるならば、改正権には限界はないという答えが出て来ると考えられている。
上の3つの論点に即していえば、たとえ実体的禁止規定が存在したとしても、それ自体を改正してしまえばよいし、そのような禁止規定がない場合に改正に限界が存在しないことは当然である。
また、所定の改正手続を踏みさえすれば、改正手続規定自体を改正することにも障害はない。

これに対して、改正権は、上位にある憲法制定権により授権された権限であると考えるならば、改正権は憲法制定権自体の根拠となっている「根本規範」を変更することはできず、そのような改正がたとえ行われたとしても、それは法的には「革命」であって「改正」ではない。
もし、実体的な改正禁止規定が、憲法制定権自体を構成する根本規定の内容を確認するものであれば、そのような改正禁止規定を変更することはできない。
さらに、改正手続規定についても、改正権がこれを変更することは、自らが憲法制定権に成り代わることを意味するので、原則として許されない。

限界の有無は何によって決まるか

以上のような考え方については、以下のような論点に留意する必要がある。
第一に、憲法の最高法規性に関する状況(1.3.3)と同様、憲法改正の限界の有無に関しても、直接には、憲法改正に関与し得る人々-国会議員、官僚、裁判官、広くは有権者一般-が、実際に何等かの限界を受け入れているか否かが問題である。
何等かの限界がこれらの人々に事実上受け入れられていれば、その事実上のルールに則した形で限界は存在する。
ここでも、日本国憲法という憲法典が改正の限界について何事かを語っているか、あるいは、普遍的妥当性を有する政治道徳の原則が憲法の背景に存在するかという問題への答えは、改正の限界の有無を直接には導かない。

また、憲法制定権が改正権のさらに上位に存在するか否かという問題も、限界の存否とは直接には結びつかない。
改正権が最高機関であれば、改正に限界はないという議論は、憲法典のみが憲法の領域における実定法であるという誤った前提に立脚したものであり、改正権が最高機関であること自体が、法の運用者によって受け入れられている限りで成り立つという事情を見逃している。

さらに、改正権が最高機関であるという前提からは、改正権を構成している規範を自ら改変することはできないという結論、つまり一定の論理的な改正の限界があるという結論をも導き得る。
一般に、法が存立するためには、それを定める立法機関を構成する授権規範が別に存在している必要がある。
法は、その存立の根拠を自らに与えること、つまり自己授権を行うことはできない(清宮・憲法Ⅰ17頁、長谷部 [1991] 27-28頁)。
立法機関を構成する授権規範は、①立法権者、②立法の手続、③立法の内容、を定める三種類の規範から成り立つ。
現在の日本における形式的意味における法律の場合でいえば、
立法権者は国会であり(憲法41条)、
制定には原則として両院の賛成が必要であり(憲法59条)、
憲法典の定めに反する立法、とくに国民の権利を侵害する立法は制定し得ないことが(憲法第3章)、
憲法によって定められている。
つまり、法律の制定権を基礎づける授権規範は、憲法典がこれを定めている。
法律の制定機関である国会は、自己の権限を構成し、その根拠となっているこれらの授権規範を変更することは許されない。

他方、憲法改正権も一種の立法権である。
それを構成する授権規範は、
改正権者を、国会両院と有権者としており(憲法96条)、
両院の各総議員の3分の2の賛成による発議と有権者の過半数による承認を手続として要求し(憲法96条)、
内容上、改正し得ない事項を実体的改正禁止規定として定めている(憲法前文、9条、11条)。
これらの授権規範によって構成された憲法改正権は、やはり、自己の権限を構成し、その根拠となっているこれらの規範を変更することは許されない。
従って、改正手続規定を変更することも、実体的改正禁止規定を変更することも許されないという結論が、そこから導かれる。

これに対しては、国会の立法権の授権規範は、憲法のみではなく、国会法など国会自身の制定する法律によっても定められており、これらの法律については国会自身が改正することが出来るのだから、憲法改正権もやはり憲法典によって定められている限りで自分自身を構成する授権規範を改正することは可能であるとの反論があり得る。
しかし、憲法典の定める国会の授権範囲は、それなくしては立法権者たる国会が存在し得ない原初的な規範であり、国会法などの法律による規定はそれを補足するものに過ぎない。
同様に、憲法典によって定められた改正権の授権規範も改正権をはじめて構成する原初的な規範であって、改正権自身による改正を許さない。

憲法改正権の上位に、憲法制定権が存在するという前提に立って、はじめて、憲法制定権を構成する根本規範(それは憲法制定権を構成する授権規範である)に反しない限りで、実体的改正禁止規定を改正し、あるいは改正禁止規定を改正する余地が生まれる。
憲法制定権の存在は、改正の限界をむしろ縮小し、改正し得る範囲を拡大する(根本規範によって構成されない、制約のない始源的な憲法制定権力なる概念が筋の通ったものではあり得ない点については、1.2.3【憲法制定権力】参照)。

「改正の限界」の意味

第二に、「改正の限界」という概念の意味である。
改正権に限界があると主張する論者も、そのような限界を超える改正が事実として起こり得ないと考えるわけではなく、そのような「改正」が行われたとしても、それは法的な観点から見れば「改正」とは評価し得ず、変更後の憲法と変更前の憲法との間には、法的連続性はない、つまりそれは「改正」ではなく「革命」であるとするにとどまる。
従って、新しい憲法は、前の憲法とは異なる根本規範に立脚した憲法だということになる。
何等かの改正の限界が、実際上広く受け入れられていたとしても、それに反する「改正」が行われる可能性はある。

このような革命的変動の後、若干の政治的動揺を経て、元の憲法が復活した場合には、もともとの改正の限界が再び受容され、中間期の憲法の変動は、「違法な改正」として説明され、処理されることになるであろう。
他方、革命的変動がその後長期に亘って定着し、変動後の憲法体制が当該社会の法運用者によって、そして最終的には社会の大部分のメンバーによって広く受け入れられたとすると、このとき、革命は完成したわけであり、以前の改正の限界に関するルールも「旧法」として、つまり現在では効力を有しない法として説明され、処理されることになるであろう。

【根本規範】
本文で議論した「根本規範」は、憲法制定権を構成する規範であり、実定法秩序における最高の規範である。
ケルゼン(Kelsen, H.)が論じた根本規範はこれとは異なる(ケルゼン・一般理論 201-02頁参照)。

我々は、法律、命令、条例、判決などの実定法は「妥当性」を持ち、それに「拘束される」と考えて日常生活を送っている。
ところで、事実と規範の二元論を前提とすると、単なる事実から規範としての妥当性が生ずることはあり得ないから、法が妥当するのはそれがより上位の法に根拠を持つからだと考えざるを得ない。
つまり判決が妥当し、それに従うべきなのは、それが上位の実定法である法律に基づいているからであり、法律が妥当するのは、さらに上位の法である憲法に基づいて制定されているからである。

この考え方を貫くと、我々が実定法に拘束され、それに従うべきだと考えるのは、最高の実定法である「憲法に拘束される」と我々が「思惟のうえで前提している」からだと考えざるを得ない。
この、我々が前提しているはずの規範が、ケルゼンのいう根本規範である(現憲法の妥当性が、より以前の憲法の改正によって成立したことで基礎づけられている場合には、「歴史的に最初の憲法に拘束される」という前提が、根本規範だということになる)。
この前提が、それ自体として正当なものかについては、ケルゼンは論じていない。

◇1.4.3  憲法の変遷


2つの「憲法変遷」

憲法の変遷という言葉も、様々な意味で用いられる。
非常に広い意味では、実質的意味の憲法の内容が変化することを一般的に指す。
この意味での憲法の変遷は、いかなる社会でも、常に見られることだろう。
ただ、憲法の変遷が重要な意義を持つのは、硬性の憲法典を持つ国家で、憲法所定の手続を経ずに、憲法の意味内容が変化することが認められるか否かという問題についてである。
この場合でも、憲法典の内容に反する法律や裁判が、実質的意味の憲法として通用することはあり得る。
これは社会学的意味における憲法変遷と呼ばれる現象である。
このような意味での憲法変遷があり得るからこそ、それに対処するために、各国で違憲審査の制度が設けられている。

他方、憲法所定の手続を経ずに、憲法典自体の意味内容が変化することを、法的意味における憲法変遷と呼び、このような意味での憲法変遷があり得るかについて、対立がある。
この問題は、先に述べたように(1.3.4 (1))、憲法慣習が憲法典を改廃する効力を持つか否かという問題と重なり合う。

(1)  社会学的意味における変遷


実際には、社会学的意味における憲法変遷がいかにして可能であるかを説明することもそれほど容易ではない。
上位の法に反する下位の法は無効であり、存立し得ないと単純に考えるならば、社会学的意味における憲法変遷もあり得ないはずである。
幾つかの説明の仕方がある。

第一に、憲法典が、違憲審査制度を定めていること自体、「違憲の法律」であっても、違憲審査機関によって違憲無効と判断されるまでは、有効な存在であることを、憲法典自体が認めているとする考え方がある。
つまり、憲法によれば、議会は憲法の文言に適合する法律を制定するすることも出来るが、将来、無効とされ得るという条件付きで、憲法の文言に適合しない法律を制定することも出来ることになり、憲法は「選択的授権」を行っていることになる(ケルゼン・一般理論256-57頁)。
第二に、すべての法の基礎は各解釈機関の意思にあり、法の世界には矛盾や論理的帰結などといった論理的概念は当て嵌まらないという考え方がある。
この立場からすると、憲法と法律とが整合しているか否かを議論することには意味はなく、議会が制定すれば法律となり、裁判所が違憲とすれば無効となるというだけの話である。
第三に、社会学的意味の憲法変遷は、常に、その限りで法的意味の憲法変遷を伴っているという考え方があり得る。
この立場からすると、社会学的意味の変遷と法的意味の変遷とを区別する意味はなくなる。

これに対して、違憲の法律はそもそも無効であるという立場を貫くならば、誰もが、自らの判断で違憲無効の法律を無視して行動し得ることとなり、無政府状態を招くことになろう。
人々が実定法を尊重するのは、(2)で述べるように、そうすることで重要な調整問題が解決され、各自の利益そして社会全体の利益にかなうからである。

(2)  法的意味における変遷


法的意味の変遷はなぜおこるか

法的意味における憲法の変遷、つまり憲法典の改廃が、改正手続を経ることなく生じ得るかという問題については、憲法典の最高法規性それ自体も、憲法典を最高法規として扱う不文のルールが法の運用者によって受け入れられている限りではじめて成立しているという認識から出発する必要がある(1.3.3)。
憲法典以外の慣行や法令が、憲法典に代わるルールとして法運用者によって受け入れられ、それに則って法運用者が行動する場合には、憲法典が改廃されたか否かに関わりなく、最高法規たる憲法の意味内容は変動したことになる。

変遷は正当化できるか

もっとも、このような実定法の認識の問題として憲法の変遷があり得るかという問題とは別に、このような憲法の変遷が正当化されるか(変遷した後の憲法に従うべきか)という問題を立てることは可能である。
あるルール(の集合)が憲法典という法形式を備えているという事実が、そのルールの拘束力を意味するという事情は、法律・命令・裁判などその他の法形式の場合と基本的には異ならない。
あるルールが特定の法形式を備えている、つまり実定法であるがゆえに、それに従うべしという実践上の法実証主義は、人々が実定法に従うことで社会生活上の多様な調整問題を解決できるという功利主義的配慮によって正当化される。

憲法は、1.1.2 で述べたように主として国家機関を組織しその権限内容と手続を定める法であるから、取引法上のルールなどとは違って調整問題の解決という役割はないとの疑問があるかも知れない。
しかし、国家が果たすべき役割を、実際にはどの機関(人々)が、どのような組織と権限を通じて果たすのかという問題は、それ自体、調整問題であり、従って、社会の大部分の人々は、各自、社会の大部分の人々が受け入れるルールを、自分も進んで受け入れようとするはずである。
大部分の人々が「国会」だと思う機関の制定した法に従うのが誰にとっても利益となるし、大部分の人が「裁判所」だと思う機関の下した裁判でなければ、それに従うことにさして意味はない。
そのような誰が国家機関かに関するルールを憲法典という特別の法形式によって定め、容易には変動しない旨を定めておけば、この調整問題の解決を期待する人々にとって便利であろう。
その限りで、憲法典を最高法規とし、かつ硬性として容易な変更を許さないとすることには正当性があることになる。

しかし、この問題が所詮、調整問題である限り、憲法典と異なる組織・権限・手続に基づいて国家機関が構成され活動を継続したとすると、多くの人々にとっては、その実効的なルールに従うことが自己の利益にも、また社会全体の利益にもかなうこととなろう。
つまり、憲法変遷を認める「べき」かという問題は、調整問題の解決という役割によって支えられる実践上の法実証主義が、「憲法典」という具体の実定法に関して有する射程の問題である。
目的が調整問題の解決である限り、憲法典の外に生じた実効的な慣習が憲法典より適切に調整問題を解決している以上は、憲法の変遷を認めるべきである。
つまり憲法典という実定法を尊重すべきだというルールをさらに支える正当化根拠により適合している。

しかしながら、憲法の果たすべき役割は調整問題の解決には限られていない。
変遷したか否かが問題となる条文の役割が、その時々の政治的・社会的多数派によっては変更されるべきでない公共財の実現にかかわるものであるとき、あるいは、社会全体の利益に抗して守られるべき人権にかかわるとき、憲法の変遷を正当化し、そのような実効的な慣行に従うべきだと主張することは出来ない。


◆3.中間派の見解


◇1.佐藤幸治

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佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊)


<目次>


第一編 憲法の基本観念と日本国憲法の展開
第一章 憲法の基本観念
第四節 憲法と国家と主権 p.54以下


Ⅰ. 国家


(1)国家の概念


上述のように、憲法は国家生活のあり方にかかわる法であることから、そのことの関係で国家とはそもそも何かについて若干論及しておく必要がある。

国家と呼ばれる社会団体の存在性格・様式は、時代によりまた所により一定しないが、近代国家は、一定の地域を基盤として、その所属員の包括的な共同目的の達成を目的に、固有の支配権によって統一された非限時的の団体であるという点で概ね共通している。
このように、国家の本質を、地域、所属員、固有の支配権の3要素に集約せしめて理解しようとする見解は、一般に国家3要素説と呼ばれる。

(中略)

第三の要素である固有の支配権は、「国権」とか「統治権」とかあるいは「主権」とか呼ばれる。
「国権」は、伝統的な見解にあっては、国家の法上の人格すなわち国家の意思力を指す観念とされ(ここから国権の唯一不可分性が帰結される)、それに対して「統治権」は国家が国際法および国内法上有する権利の総体である(従って統治権は可分となる)として国権と区別されることもあるが、今日では、国権と統治権は同義に使用されることが多い。
「統治権」の内容は国によって一様ではありえないことになるが、国家である以上次の3種の基本的能力、すなわち、①領土内にある人および物を支配する権利たる領土高権、②国家の所属員を支配する権利たる対人高権、③国家の組織・権限の有り様を自らの意思により定めることのできる権利たる自主組織権(権限高権)、を備えているものでなければならない、とされる。
なお、また、「国権」または「統治権」は「国家において統治活動をなす権力」の意味で用いられることもある(日本国憲法41条にいう「国権」はその例であるとされる)。
「主権」の語も多義的で、国権あるいは統治権と同義に用いられることのほか、国権の属性としての最高独立性の意味で用いられたり、また国家の統治活動の有り方を最終的に決定する力ないし権威の意味で用いられたりすることがるが、この点については後述する。
国家の第三の要素としての支配権は、国際組織が発達し相互依存的な今日の国際社会にあっては、かつてと違って様々な制約を受けることが多くなる傾向にある。

(2)国家の法人格性


(イ)国家の法人格性

法的認識の問題としてみた場合、国家は一個の統一的法秩序を形成しているといえようが、この法秩序の統一性をもって擬人的に法人格と称されることがあり、この意味で国家は法人格を有する、つまり国家は法人であるとみることができる。
さらに、国家は、実定法の内容に照らして、人格を有するとみなされる、というように言われる。
我が国の現行法上、国家は、財産権の主体としての関係において「国庫」と呼ばれ(民法239条・959条)、「国債」を負担したり、「国有財産」を有することが認められ、また、対外的な国際法上の関係において法主体として登場する。
この意味における国家の法人格性の範囲は、専らそれぞれの国家の実定法の定めるところによって決まることになる。

(ロ)国家法人説

19世紀ドイツにおいて登場し、我が国に多大の影響を及ぼした国家法人説は、右に述べたような意味での国家の法人格性を超えて、独特の意義と背景をもつものであったことが注目される。
つまり、国家法人説は、国家をもって社会学的には社団であり、法学的には法人であるとするとともに、従来の主権観念をもって専らかかる国家自体の特性を示すものとして把握し、それ以外の主権の意味を回避しようとしたところに特徴をもつものであった。
国家自体が意思力をもち、本来の主権はその意思力の最高性を示す観念として把握される。
このように国家の統治の有り方を最終的に決めるのは人格としての国家であるとする(国家主権説。ここでの国家主権は、国家が対外的に独立しているという意味での国家主権と異なることに注意)背景には、一方では絶対主義的君主主義論を克服し、他方では国民自身による積極的・具体的な統治を追求する国民主権論を抑止しようとする政治的低意が働いていたことが指摘される。
アメリカ合衆国などのように国民主権の確立した国において、とりたてて国家法人説が主張され発展せしめられることのなかったのは、まさにこの説のもつかかるイデオロギー性を示しているといえる。
他方、神権的国体観念を払拭しきれなかった明治憲法下において、国家は法人にして天皇はその機関とする天皇機関説は、結局において、「民主共和の説」として排撃されるところとなる。

国家法人説は、このように法人たる国家に主権があるとしたが、いわゆる国家の自己制限ないし自己義務づけの理論によって、主権の最高独立性と国家の被法的拘束性とを両立せしめ、そのことによってまた個人の自由の観念とも調和せしめようとした。
しかし、個人の「自然権」を基礎とする徹底した立憲民主主義の観点からすれば、いわゆる国家法人説は、国家の統治の正当性の契機を回避するとともに(従来の君主主権か国民主権かの問題は、国家意思を供給する国家機関の組織のあり方の問題と化す)、結局において国家の絶対性を措定し、個人の自由の観念と調和困難な説(国家固有の統治権はしばしば無条件に団体員を支配しその意思を規律しうる力であると説かれる)として受け入れ難いものとみなされざるをえないことになる。

もっとも、政治社会には唯一の究極的で絶対的な権威ないし権力が存しなければならないという観念たる「主権」は、結局のところ抽象的人格性を備える国家に帰属すると考えるとしても(その意味では国家主権説)、そのような属性をもつ国家を誰の権威でどのように運営するかの問題は残り、その主体的・具体的意思・権威はどこにあるかの問題こそ君主主権か国民主権かの問題である、というように考えることはできる。

国家と人権との関係をめぐる問題は後述するので(とくに第四編)、次に国家と主権と憲法との関係をめぐる問題をもう少し立ち入って考察することにしたい。

Ⅱ. 主権


(1)主権観念の展開


(イ)主権観念の登場

主権観念は、まず、フランス王権について、対外的にはローマ皇帝およびカトリック法王の権威・権力からの独立性を、体内的には封建諸侯に対しての優越性を、示すものとして登場した。
この主権観念の確立に理論的指導性を発揮したのはバーダンで、彼は、主権は国家の絶対的かつ恒久的権力であって、最高、唯一、不可分のものであり、すべての国家にとって不可欠の要素であると説いた。
そしてかかる主権観念は、近代国家への移行過程において他のヨーロッパ諸国でも広く用いられるようになる。
この段階では、国家は君主と一体的に観念されていたから(「朕は国家なり」)、国家自体の主権とその国家内において最高意思はどこにあるかということ(国家内における最高権の問題)とは次元を異にする別個の問題であることは十分意識されていなかった。
しかるに、君権に対する市民層の不満を背景に、国民主権ないし人民主権が登場するに及んで、主権論の力点は国家内の最高権の所在の問題に向けられることになる(もっとも、この段階でも君主を人民に取って換えただけで、人民即国家と考える傾向がみられる)。

(ロ)国民主権・人民主権

(a) 国民主権論は、近代自然法論に依拠する社会契約説を根拠に登場した。
社会契約説は、その理論構成如何によっては、なお君主主権を根拠づけるところともなるが(ホッブズ)、一般に、あくまでも各人の自然権の保全を基軸に考え、その保全に必要な限度での統治の権力の信託という構成をとることによって国民主権を帰結した(ロック)。
つまり、国家権力を支えるのは国民であり、国民の支持がある限りにおいてのみその行使が正当化される。
しかしこの見解は、国民主権の名にふさわしい実をあげる具体的方法・プロセスを明確にしていないきらいがあった。
(b) 同じく社会契約説に立脚しつつ、それを単に国家統治の正当性の根拠とするにとどまらず、国民による直接統治を帰結する説(ルソー)は、右の国民主権論に対する批判にして一つの解答であったとみることができる。
そこでは、主権は子かを構成する全人民の、常に共同の利益を欲して誤ることのない一般意思として把握され、具体的には一般意思は立法意思と同一視され、それは全市民の参加によって行使されるものとみなされた。
主権は絶対的なもので、不可分・不可譲・不可代表の性質をもつ。
それは議会制を否定する徹底した直接民主主義的人民主権論であるが、従来の絶対主義的君主主権を端的に人民に取って換えたきらいがあり、現実の国家の実態に即した理論としては無理な性格のものであった。
一般意思は常に共同の利益を欲する意思だとされるが、具体的な立法意思がそうであるという保障はなく、絶対的な一般意思の名における個人や少数者の抑圧という可能性は常に存する(ルソーの人民主権論が後世において人民独裁の国家論と評されることのある理由はここにある)。
また、主権は不可分だとされるが、主権の主体としては具体的な個々人ないしその総体が想定されていて、理論的整合性の点でも問題を孕んでいた。
(c) このような国民主権論、人民主権論の問題性の文脈においてみると、国民主権を基本的に憲法制定権力として把握しようとする説(シェイエス)は注目すべき見解であったといわなければならない。
そこでは、「憲法を制定する権力(pouvoir constituant)」と「憲法によってつくられた権力(pouvoirs constitues)」とが区別される。
そして、前者は、自然法の下に、国民がこれを有し、単一不可分であり、それ自体いかなる形式にも服することのない、「意欲しさえすれば十分である」万能の存在であるとされ、他方後者は、憲法制定権力の制定した憲法によって組織されるところの立法権・執行権といった権力で、憲法による規制下に立つ存在であるとされた。
ここではルソーの一般意思と同様主権の絶対性が措定されつつも、他方憲法制定権力と立法権との本質的区別がなされることによって、代議制や権力分立制と結合する途が開かれたのである。

この憲法制定権力の観念は、右のシェイエスにみられるように徹底して理論化されるということはなかったが、アメリカにおいていち早く現実のものとなった。
権力の根源である国民が人為的に制定した成文の憲法によって国家の統治構造と国民の権利を定め、国政の運営およびそれにまつわる問題の解決は全てこの成文の憲法に立ち返って行なうという行き方が定着した。
アメリカの憲法制定権力は、ヨーロッパのそれのように激しく対立すべき“敵”(アンシャン・レジーム)をもたず、当初から民主的基盤の上に成立したことが関係してか、本質的に非実体的・非権力的で、憲法制定会議とその成案の承認を通じて、法律よりも高次の妥当性を根拠づけるという機能に基本的に集約される。
それには、アメリカの立憲主義がイギリスの古典的立憲主義と必ずしも切断されず、むしろある面ではそれを引き継ぐ形で成立したものであること、第二に、アメリカの憲法制定権力は、革命初期の諸邦における立法権優位の経験に基づく反動として、個人の諸権利を確実なものとするという保守的な土台の上に構想されたものであること、などが関係していたと思われる。
(d) フランス革命期は、君主主権、国民主権、ルソー流人民主権、シェイエス流憲法制定権力など様々な観念が競い合った時代であった。
1789年の「人および市民の権利宣言」にはルソー的思想の影響が指摘されているが、1791年の憲法は、君主主権を否定すると同時に、ルソー流人民主権をも斥けて、国民主権に与する姿勢を明確にした。
そこでは、「主権は、単一、不可分、不可譲で時効にかかることがない。主権は国民に属する」とされるが、「権力の唯一の淵源である国民は、委任によってのみその権力を行使しうる。フランスの国家体制は代表制である」と明言されている。
つまり、主権者たる「国民(nation)」は抽象的な観念的統一体としての国民であって、それ自体として具体的な意思・活動能力を備えた存在ではありえず、委任(包括的・集団的な代表委任)が不可避的に帰結されたのである。
代表と被代表との間の選任関係を不可欠の要素とせず、制限選挙制が採用され、訓令委任が禁止されたことなどは、いずれも国民(nation)主権の帰結であった。
他方、シェイエス流憲法制定権力は、憲法を制定し変更する権力として一括して把握されてものであったが、91年憲法においては、制定権力と改正権とに分離され、改正権は法的統制下におかれるとされる一方、制定権力は依然として法的統制を受けない存在であるものの、観念化され、憲法の妥当性を根拠づけるという機能に封じ込ようとする姿勢が示された。

ところが、93年憲法は、国民主権を斥けて、むしろ人民主権の考え方に依拠することを明らかにする。
ここでの「人民(peuple)」は、もはや抽象的な観念的統一体としての存在ではなく、それ自体活動能力を備えた具体的に把握できる存在である。
かくして、憲法改正のイニシアティヴは第一次集会に組織された人民に帰属せしめられ、また「人民が法律につき表決する」ものとされた。
そして、男子普通選挙制の下で直接選挙によって選出された立法府が統治機構の中で極めて高い地位を占めていることも見逃せない点である。
(e) 右にみたように、フランスにおいては国民主権と人民主権とは別個のものとして区別され、両者間の葛藤が歴史を彩ることとなるが、選挙権の拡大につれ次第に議会は実在する民意を忠実に反映すべきであると考えられるようになり(第一節Ⅲ(7頁)参照)、第三共和制憲法下においてそうした考え方が定着するに至る。
理論上の曖昧さを残しながらも、実質的意味において人民主権への傾斜である。
他方、憲法制定権力論は、この第三共和制憲法の下で立憲主義が定着するにつれて後退し、むしろ制定権力をもって法の世界の外の問題と解し、法的には改正権のみが問題とされるようになる。
そして、さらには改正権と立法権との区別さえ曖昧化してしまう。
この点は法実証主義の強い影響下にあった19世紀後半のドイツ憲法学において一層顕著で、憲法改正権は立法権と同一視されている。

(ハ)国家主権権

国家主権論については、既に触れた。
繰り返せば、右の君主主権と国民主権・人民主権を忌避して、法人たる国家に主権が帰属するとしたもので、当時のドイツの法実証主義憲法学にいかにも相応しい考え方であったということができよう。
ここでは、主権の主体は法人たる国家に属するということで主権の人格性は残存しているが、本来の主権論からすれば主権観念の非人格化である。
主権観念は歴史的にみて公法学の領域から追放することはできないが、それを限定的に用いようとする態度であって、主権とは、国家権力が法的な自己決定および自己拘束をなす排他的能力をそれによってもつことになる、国家権力の特性である、などと説かれた。
この点さらに押し進めて、主権の主体の問題を認めず、むしろ法秩序の効力の属性の意味、つまり法秩序の至高性・非伝来性の意味において主権観念を捉えようとする見解も登場してくる。

(ニ)実力としての憲法制定権力

シェイエスによって主張された憲法制定権力は、右に見たように、ヨーロッパにあっては、立憲主義の確立過程において、法実証主義的思考傾向の下に、法の世界の外に放擲されたが、ワイマール憲法下において、シュミットによって新たな装いの下に再び重要な観念として導入されることになった。
彼は、ワイマール憲法前文の「ドイツ国民は、・・・・・・この憲法を制定する」の文言および1条の「国権は、国民より発する」という規定に着目し、それは憲法制定権力が国民にあること、つまり同憲法が国民主権主義に立脚するものであることを明確にしたものであると捉えたのである。
それでは、彼のいう憲法制定権力とは何か。
彼によれば、それは「自己の政治的実存の態様と形式に関する具体的な全体決定を下すことのできる、すなわち、政治的統一体の実存を全体として規定することができる実力または権威をもった政治的意思」であるとされた(この「憲法」を前提にしてはじめて妥当する憲法規定の集合は「憲法律」と呼ばれる)。
この憲法制定権力は、シェイエスの場合と違って自然法の観念を払拭した、すべての規範の上に立つ実力であり、そのこととも関連して制定権力の担い手は国民であることを要しないとされている(君主や少数者の組織も担い手でありうる)点に特色がある。
制定権力は、「移付され、譲渡され、吸収され、使い果たされることはありえ」ない、「可能態として常に存続」するものであるが、シェイエスの場合とは違って、憲法改正権とは峻別されている。(第三節Ⅱ(34頁)参照)。

シュミットの制定権力論は、主権の権力的契機を純粋に追求した結果得られた観念であったと解することができよう。
しかし、その実態は何かという段になると、喝采であり、現代国家では世論であることが示唆されるのみで、著しく神秘的色彩を帯びるものとなっている。

(2)実定法上の主権観念


以上主権観念の史的展開を瞥見したのみで、その他にも種々の主権観念がある。
そして第二次大戦後、シュミット流の活性的な決断主義的憲法制定権力論を否認ないし克服しようとする傾向が顕著である点は指摘しておく必要があろう。
ここではその委細について論及する余裕はないので、以下実定法とりわけ日本国憲法との関係で重要と思われる主権観念を整理し、その意義を再確認するにとどめておく。

明治憲法は、「統治権」という語を用いつつも「主権」という語は使用しなかったが、日本国憲法は、「主権」という語を何箇所かで使用し、むしろ「統治権」という語を用いてはいない。
「主権」についての明治憲法以来の有力な伝統的説明によれば、
最高権(自己の意思に反して他より制限を受けざる力)、
統治権(人に命令し強制する権利)、
国家内における最高機関の地位、さらには、
国家の意思力そのもの、
を指すといわれた(美濃部達吉)。

これらの意味の中、まず、①は、国家の意思力の最高性、独立性ないし自主性に着眼しているもので、国家の意思力の属性を示すものである。
日本国憲法前文に「この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、・・・・・・」とあり、あるいは平和条約前文に「連合国及び日本国は、・・・・・・主権を有する対等のものとして・・・・・・」とあるのが、その例である。
それに対して、④は、国家の意思力そのものを指してのもので、「国権」とか「統治権」とか呼ばれるものである。
「主権」が唯一不可分であるという場合の主権はこの意味であると説かれる。
もっとも、既に見たように、「国権」あるいは「統治権」という語自体がまた一義的でなく、「国権」は国家の意思力そのものを指すのに対し、「統治権」は国家が有する権利の総体であるとして区別され、国家である以上3種の基本的権利、すなわち地域的統治権または領土高権、対人的統治権または対人高権、自主組織権(権限高権)を有するものでなければならない、などと説かれる。
②は、このような「統治権」に対応するものということになる。
ポツダム宣言の8項に「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあるのがその例であるとされ、あるいは、領土主権といい、領土の割譲を主権の割譲というがごときもその例であるとされる。

問題は、③の「主権」観念である。
明治憲法時代、「唯一最高無限ニシテ独立」という「主権」概念により、その「主権」の所在如何によって君主国体と民主国体に分かつ説もあったが(穂積八束)、右の説(美濃部説)はそうした「主権」観念を排して最高の機関の地位について語ろうとするものである。
すなわち、美濃部は、明治憲法の「最も重要な根本主義」として「君主主権主義」に言及したが、それは、「統治を行ふ力が君主にその最高の源を発すること」、つまり君主が国家の「最高の機関」として「統治の最高の源泉たる地位に存ますこと」と解し、そして、「憲法制定権力」と「被制定権力」とを区別し、前者はその性質上何らの拘束も受けないというシェイエスの所説に触れて明確にそれを排撃した。
「国民が憲法以上に在って憲法の拘束を受けないものとすることは国民に不断の革命の権利を認むることであって、恰も専制主義の君主主権説に於て君主の権力が憲法以上に超越し、何時でも憲法を廃止変更することが出来るとする説と同様の誤に陥いって居る」というのがその理由である。
美濃部は、第二次大戦後も、国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であると捉え、日本国憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」と明言し、本文1条に天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」とあることをもって、「国家の統治権を行使する権能即ち国家の原始的直接機関として統治権を発動する力」が天皇から国民に移ったことを示すものと解した。
が、同時に、美濃部は、日本国憲法の成立に関し、いわゆる「八月革命」説に投じ、「憲法制定権」という言葉も使用したりして、「憲法制定権力」への傾斜を思わせる態度を示した。

この点、「国民主権」にいう「主権」とは、「国家の政治のあり方を最終的にきめる権力あるいは権威」であるとし、「シェイエス流に、『憲法制定権力』といってもいいかも知れない」と明言したのが宮沢俊義である。
そして、憲法にいう「国民主権」をそのような意味において理解する立場が支配的となったが、なおその具体的意味について解釈論上各種の考え方がありうるところで、その点については後に詳述する(第二編第一章第二節(92頁)参照)。


第二編 国民主権と政治制度
第一章 国民
第ニ節 主権者としての国民 p.92以下


Ⅰ. 日本国憲法下の国民主権論


(1)総説


日本国憲法は天皇主権を排して国民主権に立脚するが、その国民主権の意味ないし内容については必ずしも一義的に捉えきれないところがあり、実際様々な見解が存する。
以下主な諸見解に触れ、あわせてその問題点について述べる。

(2)最高機関意思説


いわゆる国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であるとの前提の下に、国民主権をもって、国家の意思力を構成する最高の機関意思、国家の原始的直接機関(ここに「直接機関」とは他の機関から委任されたのではなく、直接に国家の組織法によって国家機関たるものをいい、その中でも、他の直接機関を代表するものではなく、憲法上自己に固有のものとして認められる権能を有するものを「原始的直接機関」という)として統治権を発動する力が国民に属するとする主義であると解し、その国民とは参政権を与えられているものの全体であるとする見解がある。
この説によれば、理論上、主権の所在は憲法によって定まることになり、主権は憲法によって創設された最高権という意味合いをもつことになる(美濃部達吉は、国民主権は憲法の民定性を要求すると解しているようであるが、主権者をもって憲法・法律によって組織された国民と解する限り、憲法以前にそのような国民が存しうるのか疑問である。この点、佐々木惣一は、日本国憲法は欽定憲法であるとなし、ただ、日本国憲法の規定によれば、天皇の制定による欽定憲法というものは将来は存在しえないと説く)。
主権者たる国民からは一般に天皇は除かれる。
ただ、この国民は、雑然とした多数者であって常に直接国家意思を決定することはできないので、主権者たる国民の意思を現実に表示することを職分とする代表者が必要であり、日本国憲法上は国民の選挙によって選ばれる国会がそれにあたるとされる。

この見解は憲法発足当初有力に主張されたものであるが、次のような問題性が指摘されうる。
まず、 主権をもって機関意思と把握する以上行為能力が問題となり、そこでこの説は主権者を有権者とするのであるが、国民の中には主権者たるものと主権者でないものとがあることになって、国民主権の根本理念に反することにならないか。
第二に、 主権者たる国民は具体的には有権者とされるが、誰が有権者かは日本国憲法上基本的には法律で決まることになっていること(44条参照)、また、日本国憲法が国会をもって「国権の最高機関」としていること(41条)、との関係をどう考えるか。
第三に、 主権は憲法を生み出す力(憲法制定権力)と解すべきであって、憲法によって主権の所在が決まるというのは主権の本質を見誤るものではないか。
第四に、 論者によっては、国民主権をもって、国民が国権の源泉者または国権の「総攬者」であることの意味に解するが(佐々木惣一)、天皇が「総攬者」であると同じような意味において国民の「総攬者」を語りうるか否か。
第五に、 この説は、国民の選挙によって組織される国会が立法権を中心に国政を統括する地位に立つとすれば、国民主権の趣旨は満たされるとする傾きをもつが、国会の権能ももとより憲法による拘束下にあることをどう理解するか、また、選挙にそのような本質的契機を認めることは果たして妥当であろうか。

(3)憲法制定権力説


(イ)総説

最高機関意思説の右のような問題性を踏まえて、国民主権をもって憲法制定権力が国民にあるという趣旨に解そうとする見解が主張される。
もっとも、この点において基本的発想を共通にしつつも、仔細をみれば、さらに次のような諸説の分岐がみられる。

(ロ) 実力説 まず、憲法制定権力の本質を最高の実力に求める見解がある。
これは、上述の(第一編第一章第四節Ⅱ(57頁))シュミットの憲法制定権力論に通ずる見解である。
しかし、この見解に対しては、憲法制定権力が実力であるとして、その実態は何かという段になると一向に明らかにされないという批判、あるいは、最高の実力としての憲法制定権力にとって、憲法典の制定とはそもそも如何なる意味をもちうるのかという批判、が妥当する。
制定権力の実態は明らかにされず、しかも制定権力はそれを制約づけるもののない全能の存在ということになると、誰もが制定権力の行使の名において憲法を変更することを正当化する途が開かれていることにならないか。
そうなると、憲法はもはや法の世界ではなく、全く政治の世界そのものと化してしまわないか。
(ハ) 権限説 実力説の右の問題性を忌避して、実定的な「根本規範」の存在を想定し、憲法制定をもってかかる「根本規範」の授権に基づき(内容的制限を含めて)行われるところの機関としての行為として捉えようとする見解が登場する。
つまり、憲法制定権力は、厳密には憲法制定権限となる。
そしてここにいう「根本規範」とは、純粋法学流の仮設規範ないし法理論的意味における憲法ではなく、すべての成文憲法の前に妥当する、人間人格不可侵の原則を核とする価値体系にかかわる規範であるとされる。
かかる考え方に依拠して、一般に、権限主体は、シェイエスの場合と同様国民でなければならないとされ、そして君主主権に対峙する意味で国民からは天皇は除かれ、かつ機関としての行為が問題となることから具体的には有権者が想定される。

この見解に対しては、次のような問題性が指摘される。
まず、憲法制定の権限主体、制定の手続、制定さるべき憲法の内容を定める実定的な「根本規範」といったものはそもそも存在するのか。
第二に、人間人格不可侵の原則の実定性が承認されるとしても、その具体的内容および実現の方法は決して一様ではありえず、その違いが如何にして確定されるかはなお重大な問題として残るというべきではないか。
第三に、国民の中に主権の担い手たるものとそうでないものとの区別が生じ、国民主権の根本理念に反することにならないか(未成年者などの非有権者は、何故に憲法に従わなければならないのであろうか)。
第四に、有権者は日本国憲法上基本的には法律によって定められるが、憲法制定の権限主体が結局国会によって定められることになって不当ではないか。
(ニ) 監督権力説 主権者としての意思活動を憲法制定権力の発動と把握する立場に立ちつつ、国民主権の本質をもって、国民の代表の行なう統治に対して、同意を与えまたは与えない監督の権力たるところに求める見解が存する。
つまり、国民主権は、具体的な積極的行動を行なう組織化された主体にかかわるのではなく、国家の統治作用に同意を与えまたは与えないという受動的な作用を本質とするところの、現に生活しているすべての国民全体の「一般意思」の力であるところにその眼目があると解するのである。
国民主権国家にあっては、国権が国民の代表によって行われるにせよ、結局国民の同意が国政における決め手となることが力説される。

この見解は、実力説および権限説のそれぞれ有する問題性を免れ、と同時に国民主権における討論の自由(表現の自由の保障)と自由なる選挙の不可欠性を提示している点で優れた説というべきである。
が、そこでいう「一般意思」とは具体的に何であり、それは如何にして認定されるか、一時点における支配的意思が「一般意思」として絶対視される危険はないか、あるいは、国政は結局「一般意思」によって行われるということになって悪戯に現状肯定的な保守的説明手段に堕しないか、といった疑問がありえよう。
また、国民の同意が国政における決め手であるということであるとすれば、およそ国民が政治的意思を持つ限り、憲法の定め如何に関わりなく国民が主権者ということになりはしまいか、という疑問が生ずる。
それは、結局、いわゆる「事実の確認としての国民主権」論や後述のノモスの主権論に接近する。
(ホ) 最終的権威説 国民主権をもって、憲法制定権力が国民によって担われるという意味において把握するが、制定権力をもって実力とみたり権限とみたりせずに、統治を正当化すべき権威が国民に存するという意味において理解する見解が存する。
ここにおける国民とは抽象的な観念的統一体としての国民であって、およそ日本国民であれば誰でも包含され、天皇も私人としてみる限りこの国民に含まれると解することが可能となる。
この見解は、主権 = 憲法制定権力から権力的契機を徹底的に排除し、あくまでも権力の正当性の所在の問題として把握し、主権 = 憲法制定権力という実定法上の概念の名の下に憲法破壊ないし人権侵害が正当化されることを回避しようとする立場であると解することができる。
そして、主権者たる国民は権威の源泉としての国民であって、国家機関としての国民とは異なり行為能力を問題とする必要はなく、最高機関意思説や権限説のように国民の範囲をめぐる問題にかかわる必要はないという長所をもつ。
しかし他面、この説による国民主権はあまりにも無内容ではないか、国民主権はそこから一定の政治組織上の原則が帰納さるべき性質のものと捉えるべきではないか、の批判が加えられることになる。

(4)ノモスの主権説


主権をもって事実の世界から完全に切断し、純然たる法理念の問題として把握しようとする見解が存在する。
それによれば、いかなる権力も超えてはならない「正しい筋途」すなわちノモスがあるのであって、国の政治を最終的に決めるものが主権であるとすれば、主権はノモスにあるとみるべきであるとされる(因みに、ノモスは、古典古代のギリシャにおいて自然[ピュシス]の対立概念として考えられ、絶対的なものではなく破られやすいものではあるが、それに従うべきであるとされたものであるという)。
あるいは、この説は、法の効力根拠をノモスという道理・規範に求める説だとみる余地もある(*1)(そうだとすると、この説は、「根本規範」の存在を前提とする先の権限説に接近する)。

この説によれば、国民主権か君主主権かという問題は全く第二義的な問題と化してしまう。
事実、この説は、国民主権も君主(天皇)主権もすべてノモスという理念の支配であるから、明治憲法から日本国憲法に変っても「国体」は不変であると主張した。
しかし、仮にそのようなノモスが存在するとしても、具体的にどのような内容のノモスが、どのような方途を通じて支配するのか、という問題意識がこのノモスの主権説に欠落しており、天皇制の弁明としての性格をもつものであった。
ただ、国民主権の場合であっても、あるべき政治とは何かの課題は残るのであって、その限りでは、ノモスの主権説も考えるべき課題を提起しているといえよう。

(*1) 尾高朝雄はこのノモスの主権説の論者として知られるが、そのノモスの主権は結局のところ為政者への「心構え」の問題にとどまって、それに反する立法の無効の主張にまでは及ばなかった。
そこには、法の効力をもって「法的規範意味が事実の世界に実現され得るという『可能性』である」と捉える考え方が作用していたようである。
つまり、法の効力は当為のレヴェルではなく、事実のレヴェルにつなぎとめられていたからである。

(5)人民主権説


国民主権の主権をもって憲法制定権力と解することに反対し、主権を実定憲法秩序における国家権力の帰属の問題として捉えるべきであるとし、従って主権が国民にあるとされる場合の主権は、憲法秩序に取り込まれた構成的な規範原理として、国民をして実際の国政の上で最高権の存在に相応しい場を確保せしめるという民主化の作用を果たすべきものとみるみるべきであるとする見解が存する。
そして、国民主権をルソー流の人民主権の方向で把握するのがあるべき歴史的解釈であるとし、日本国憲法に即していえば、15条1項、79条2項・3項、96条1項などは人民主権に馴染む規定であると捉え、43条1項や51条の規定にかかわらず、命令的委任の採用は可能であると説く(命令的委任の意味は必ずしも明確ではないが、一般に、選挙で選ばれた代表者は選挙区の訓令によって行動する義務を負い、それに違反した場合には有権者によって罷免されうるという要求を内容とするようである)。

この見解は、まず、主権は法的権力であるが、憲法制定権力は法の外の世界に属する事象と捉えるところに特徴をもつ(この説によれば、主権 = 憲法制定権力という定式では、国民主権は建前と化し、結局現実の国政の場で国民を主権者たる地位から追放することになるという。)
しかし、主権観念が国家統治のあり方に最も根源的にかかわり合う憲法の制定に無関係とすることは問題で、ドイツのように、「ドイツ国民は・・・・・・その憲法制定権力に基づき、この基本法を決定した」(前文)とうたって、憲法制定権力を実定化している例のあることが留意さるべきである。
そして、主権 = 憲法制定権力と基本的に把握することが、直ちに主権観念をして無内容のものとすると解するべきではなく、後述のように一定の構成的作用を果たすものであるとみるべきであろう。
なお、フランス的文脈でいえば、いわゆる「国民主権」から「人民主権」へという定式が成り立つとしても(1946年憲法も58年憲法も、国の主権は人民(peuple)に属するとしている)、そのことから、一般的に、あるいは日本国憲法上、命令的委任が当然に帰結されるといえるかは問題で、この点については後述する(第二章(13頁)参照)。
国民代表の観念が、現実でないものを現実であるかのごとく装うという「イデオロギー」的性格をもつとすれば、命令的委任も、そのような「イデオロギー」的性格を免れえているわけではない。

Ⅱ. 国民主権の意義


(1)総説


以上みてきたように、日本国憲法下の国民主権の意味について諸種の見解が存するところであるが、今日国民主権は単一の次元においてのみ捉えるべきではなく、複数の次元を包摂する全体像において把握されるべきものと思われる。
すなわち、国民主権には、大別して、憲法を定立し統治の正当性を根拠づけるという側面と、実定憲法の存在を前提としてその憲法上の構成的原理としての側面とがあり、後者はさらに、国家の統治制度の民主化に関する側面と公開討論の場(forum)の確保に関する側面とを包含するものと解すべきである。

(2)憲法制定権力者としての国民主権


国民主権は、まず、主権という属性をもった国家の統治のあり方の根源にかかわる憲法を制定しかつ支える権力ないし権威が国民にあることを意味する。
この場合の国民は、憲法を制定した世代の国民、現在の国民、さらには将来の国民をも包摂した統一体としての国民である。
従って、この場合の国民は、基本的には、それ自体として国家の具体的な意思決定を行ないうる存在ではない。
換言すれば、雑然とした国民の全体を一つの観念で把握し、そこに一つの意思があると想定し(あるいはこれを一般意思と呼んでもよい)、その意思に国家の合法性の体系を成立せしめる究極の正当性の根拠をみるのである。

もとより、国民主権を標榜する場合であっても、現実には、憲法は、ある歴史的時点において、その世代の人々により、ある方法をとって(憲法会議と国民投票という方法をとることもあれば、そうでない場合もある)制定される。
その意味では、国家の合法性の体系は具体的な意思ないし実力(権力)から生まれるものといわなければならない。
つまり、権限説やある種のノモスの主権説のように「根本規範」ないし自然法といったものを想定し、国家の実定法体系をその具体化・実現として捉える(法の根拠についての道理説)のではなく、法の根拠について意思ないし実力に求める立場である。(*1)

しかし、その場合に問題となるのは、何のために、如何なる原理に基づく憲法を制定するかである。
主権者(憲法制定権者)たる国民が立憲主義憲法を制定する場合、そのときの国民は、個人の人格的自律が尊重される“良き社会”の形成発展という長期的視野に立って自己拘束をなし、また、後の世代の国民がそれぞれの時代の状況に柔軟に対応しつつ“良き社会”の形成発展に向けて自己統治を行なうことを容易にする政治システムを構築しようとするのである。
過去の国民(“死者”)は現在の国民(“生者”)を拘束することはできない。
立憲主義を支える道徳理論によるならば、過去の国民(“死者”)が現在の国民(“生者”)を拘束することが許されるのは、現在の国民(“生者”)が自由を保持しつつ自己統治をなすことを容易にする制度枠組を構築する、換言すれば、現在の国民(“生者”)が自由な主体として自己統治をなすことができる開かれた公正な統治過程を保障するという場合のみである。
国民をもって、憲法を実際に制定した世代の国民、現在の国民、さらに将来の国民を包摂した観念的統一体として把握し、そのような国民の意思に国家の合法性の体系の成立・存続の正当性の根拠を求めることが道徳理論上認容されうるのは、そのような条件が満たされる場合においてのみであろう。

このような意味において、国民がその担い手である憲法制定権力は基本的には端的な実力ではなく、一般的な意思ないし権威となる。
ただ、上述のように憲法改正権は制度化された憲法制定権力と解されるから(第一編第一章第三節(34頁)参照)、改正の場に登場する国民は具体的には一定の資格をもったもの(有権者)のみではあるが、主権者たる国民そのものに擬すべき存在と解するべきであろう。
これによって、主権者たる国民は、制度枠組自体をそれぞれの時代に制度的に適応せしめる途が開かれている。

(*1) 宮沢俊義は、尾高のノモスの主権説を批判するにあたって、意思ないし実力説的見地に立つことを示唆したが、他方では、「憲法の正邪曲直を判定する基準になる『名』」の存在、さらには憲法の効力さえ左右する自然法論のごとき立場に与することを示唆した。

(3)実定憲法上の構成的原理としての国民主権


(イ)統治制度の民主化の要請

国民主権は、憲法を成立せしめ支える意思ないし権威としてのみならず、その憲法を前提に、国家の統治制度が右の意思ないし権威を活かすよう組織されなければならないという要請を帰結するものと解される。
次節にみるように国民は有権者団という機関を構成するが、それは民意を忠実に反映するよう組織されなければならないとともに、統治制度全般、とりわけ国民を代表する機関の組織と活動のあり方が、憲法の定める基本的枠組の中で、民意を反映し活かすという角度から不断に問われなければならないというべきである。
国民主権のこの要請から例えば命令的委任が帰結されるかどうかは、日本国憲法の定める基本的枠組の解釈の問題であって、その点については後述する(本編第二章(136頁)参照)。
また、有権者団としての国民の意思、その意思に基づいて組織される国家機関の意思は、(2)の憲法制定権力者としての国民の意思そのものではないのであって、絶対性を主張することはできないことが留意さるべきである。

(ロ)公開討論の場の確保の要請

構成原理としての国民主権は、統治制度の民主化を要請するのみならず、かかる統治制度とその活動のあり方を不断に監視し問うことを可能ならしめる公開討論の場が国民の間に確保されることを要請する。
集会・結社の自由、いわゆる「知る権利」を包摂する表現の自由は、国家からの個人の自由ということをその本質としつつも、同時に、公開討論の場を維持発展させ、国民による政治の運営を実現する手段であるという意味において国民主権と直結する側面を有している。
しばしば国民主権は“世論による政治”であるといわれるのは、国民主権の右の面にかかわるが、ただ、ここでいわれる世論は憲法制定権力者としての国民の意思そのものと目さるべきでないこと勿論である。


◆4.リベラル右派の見解


阪本説は、『憲法理論Ⅰ』と『憲法1・国制クラシック』の双方にそれぞれ詳述されており共に重要な理論的説明が展開されているため、両方を基本的に原文のママ表記する。

◇1.阪本昌成1:『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)   第一部 国家と憲法の基礎理論

   ▼第七章 国民主権と憲法制定権力
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阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)  第一部 国家と憲法の基礎理論    第七章 国民主権と憲法制定権力 p.99以下

<目次>

■第一節 国民主権にいう「国民」の意味


[107] (一)視点によって「国民」もさまざまな意味をもつ


国民には、国家権力の主体としてのそれ(主体としての国民)と、国家行為の対象としてのそれ(客体としての国民)とがある、と先に指摘した([14]参照)。
その区分が、能動的な国家構成員であるところの市民(シトワイアン、シティズン)と、支配に服する臣民(シュジェ、サブジェクト)とに対応する。
そのほかの分類法としては、(ア)憲法典の基本権主体としての国民、(イ)国家機関としての国民(選挙その他憲法典上の規定によって機関権限が認められた場合のそれ)、がある。
本章では、国家権力のあり方を最終的に決定する主体としての国民の意義を問う。

[108] (ニ)「国民」は実在する統一体であるかどうか論争され続けている


「国民」の意義は、全体としての国民を、実在する一つの統一体としてみるか、それとも、観念的な統一体とみるかによって、変わる。
この点はフランス憲法学上これまで盛んに論議されてきた。
そこでの論争はこうである。
A説は、個々のシトワイアンが国家内で集結すれば、個々の構成員に分解できない一つの意思のもとで一つの集合体を実在させるに至る、とみる(この把握の仕方は、いうまでもなく、方法論的集団主義のそれである)。
その実在する集合体を「人民(プープル)」といい、その意思を「一般意思」または「共同意思」という。)
人民は、実在する統一体であるから、意思・活動能力をもち、統治のあり方を決定する意思の主体となる、とみられる。
実在する人民が、国家の最終的な統治のあり方を決定する場合をもって「人民(プープル)主権」という。
これに対してB説は、全体としての国民は、観念的にのみ存在するのであって、君主のような社会的実在ではないとみる。
それを「国民(ナシオン)」という。
抽象的観念的存在である国民は、意思・活動能力ももたず、具体的政治的権限を行使する主体とはなりえない、とみられる。
観念的存在たる国民が、国家の最終的な統治のあり方を決定するものと想定される場合をもって、「国民(ナシオン)主権」という。
ナシオン主権理論は、ドイツで説かれた国家法人説のフランス版である。
フランスにおいても「国家は一国民の法的人格である」(エスマン)と説かれたように、国民を抽象的に捉えれば、全国民は観念のなかで人格化されて、その人格がもう一つの人格たる国家と同一視されるに至るのである。

[109] (三)二つの主権論はフランス独特の論争である


こうした論争は、フランス憲法史に顕著な形で現れた。
まず、フランス革命の人権宣言3条は、「あらゆる主権の淵源は人民(プープル)に存する。いかなる団体も個人も人民により明示的に発しない権力を行使するを得ず」と謳って、人民が政治的最高決定権、つまり、憲法制定権力をもつことを明らかにした。
ところが、1791年憲法では、革命の進行を抑制しようとする市民層(ブルジョアジイ)の思想を反映して、3篇2条において「主権は国民(ナシオン)に属する。人民のいかなる部分もいかなる個人も主権の行使を簒奪することはできない」と謳われた(樋口陽一『近代立憲主義と現代国家』第Ⅱ部参照)。
こうした論争は、フランス特有の社会的勢力間の権力闘争を巡る歴史的背景と抽象理論を好むフランス人特有の思考法をもっているのであって、我が国に直輸入される必要はない。


■第ニ節 わが国における国民主権論争


[110] (一)国家法人説のもとで主権的機関は選挙人団とされる


国家法人説が支配的であった日本国憲法制定当時には、国家の諸機関のうち、優越的な政治的決定権を有している機関が主権者であると考えられていた。
この把握の仕方は、最高機関意思説と呼ばれる([15]参照)。
この立場からすれば、主権者とは、「機関としての国民(選挙人団)」となる。

しかし、この説には、次のような難点が残されている。
国民が選挙人団という国家機関とされるのは、憲法典または有権者の範囲を決定している公選法の定めの帰結であって、憲法典や法律から憲法(国制)を理解するという本末転倒の論理であること、
わが国の場合、憲法41条が「国会は、国権の最高機関」としていることと抵触する可能性のあること、
主権概念を具体的な諸政治機関の内部に求めていること(主権とは、国家支配の源泉という意味であったはずである)、
国家を法人と捉えるのは、国家への権利義務の帰属を法技術的に説明するための道具であって、それ以外の局面で、国家を法人と捉える必要はないこと、
国民の中に、主権者と、そうでない者とが存在する、と考えることは、国民国家として成立した近代国家における国民概念と整合的でないこと。

[111] (ニ)ノモス主権説はそれ特有の主権概念を前提としていた


国家法人説的思考から脱却しようとした憲法制定時直後の学説においては、ノモス主権か国民主権かという論争がみられた(尾高-宮沢論争)。
前者(※注釈:A説)は、政治を最終的に決定し指導するものが、事実や実力ではなく、正義に適うルール、つまり、古代ギリシャ人たちがノモスと呼んだもの(ローマ人のいうイウス ius)でなければならないという観点から、日本国憲法のもとにおいても、主権はノモスにあるとみる説である。
これに対して、後者(※注釈:B説)は、主権論の論点は政治の最終的決定権が誰に帰属するかを問うものである以上、如何なる自然人(またはその集団)が主権の主体となるかを明らかにするものでなければならず、実体のないノモスにその淵源を求めてはならない、と説いた。
この論争は、あるべき妥当性を政治の究極に探求する法哲学と、政治的決定権の具体的な帰属先を探求する憲法学とのアプローチの差を反映していた。
憲法学的にみると、後者の優勢のうちに論争は終結せざるを得なかった。
ノモスが sovereign とする思考は、本来、法の支配にいう「法」の内容に求めるべきものであって、国民主権論の土俵で論ずることに無理があったのである。
J. S. ミルが指摘したように、権力を行使する「民衆」は、権力を行使される「民衆」と必ずしも同一ではない以上、B説(※注釈:宮沢の国民主権説)が正当である。

[112] (三)国民主権のイデオロギー性が次第に気づかれてくる


1960年代になると、論者は、国民主権論が現実の統治権力を制限するよりも正当化する理論に堕してはいないか、との疑念を抱き始めた。
なぜなら、現実には、代表制のもとで、代表が国民から法上独立して統治をしているにも拘らず、徒(いたずら)に国民主権を強調することは、代表の統治権力を国民の名で正当化することになるからである(代表制については、後の[155]~[164]でふれる)。
そこで、当時の論者は、主権を実質化するためには、如何なる代表制であればよいか、自問することになる。
そのために主張されてくるのが、すぐ後にふれる半代表制の理論である(なお、本書の半代表に対する否定的見方については、[166]をみよ)。

[113] (四)ナシオン主権・プープル主権をめぐって主権論争はピークに達した


1970年代になると、フランス憲法学の成果を引証しながら、論者は、我が憲法典の採用する主権原理が、ナシオン主権、プープル主権のいずれに定礎しているかにつき論争を始めた(杉原-樋口論争)。
こうした論者は、プープル主権、ナシオン主権でいう「プープル」「ナシオン」の意義については見方を共通にしつつも、それが如何なる統治構造や代表制を伴うか、という点で見解を異にした(もっとも、有権者団をプープル、国民全体をナシオンとみる立場もある)。

[114] (五)主権の見方によって代表制のあり方も変化する


ナシオン主権のもとでは、フランスの1791年憲法が謳ったように、「権力の唯一の淵源である国民は、委任によってのみその権力を行使しうる」とされ、間接民主制のもとでの代表制が採用される。
この代表制を「純(粋)代表」という(詳しくは、後の[159]参照)(この91年憲法は、王の身体から国家を分離することを目的として制定された。そこに持ち出されたのが、国家の真の構成要素である「国民」であった。国家は「国民」に要約される法人とみられ、ここに国家と国民とが同一化されたのである。ナシオン主権論は、先の[108]でふれるように、フランス流の国家法人説と理解してよい)。
これに対して、プープル主権のもとでは、統一体としての意思をもつ実在としての人民が、政治的決定に自ら参与することが統治構造上の原則となる。
すなわち、直接民主制が憲法典上の原則とされなければならない。
もっとも、プープル主権のもとであっても、統治の分業が不可避である場合、代表の存在は不可欠となる。
直接民主制と妥協しうる代表のあり方としては、半代表制、つまり、代表者意思と人民意思との事実上の同一性を確保する代表制が考えられる。
プープル主権原理が、果たして、半代表制を許容するものか否かにつき、我が国のフランス憲法研究者の中でも見解の一致をみない。

[115] (六)主権の見方は日本国憲法の解釈にも影響するといわれる


また、右の論争は、基本的には、日本国憲法がプープル主権原理に基づいているとの共通点をみせながらも、如何なる代表観に立っているかにつき、次のような差異をみせる。
A説は、現行憲法典がナシオンからプープル主権への移行期にあって、両者の原理を合わせもっているものの、後者への方向をより強く示しているものとの前提に立って、プープル主権のもとで採用される命令的委任(後述の[159]参照)やリコール制の導入を図ることも現行制度上可能である、とする(杉原泰雄『国民主権と国民代表制』374~9頁)。
A説はその論拠として、第一に、歴史法則がナシオンからプープルへの展開を示していること、第二に、主権論の民主化がなければ多数者の人権保障もありえないこと、を挙げる。
ところが、人間社会に歴史法則などありようもなく(個々の人間の行為の集積に法則性などなく)、また、主権の民主化が基本権保障にとっての条件であるとすることも、誤った想定である(民主主義は自由の条件ではない)。
B説は、プープルが主権を有するとの命題を立てたとしても、それが統治のあり方を決定するものではない、と考える(樋口陽一『近代立憲主義と現代国家』290頁以下)。
統治者(または統治)と、被統治者(またはその基本権)との間には、埋め尽くし難いギャップが存在するのであって、主権の民主化または主権の権力性を強調するよりも、一方で、主権を実定憲法典の正当性原理として理解するにとどめ、他方で、人権論をもって統治権力に対抗していく方向を重視すべきであると、このB説は説くのである。

[116] (七)主権論争は「主権」の法的性質の理解の違いを反映している


さらに、この見解の対立は、主権をどう定義するかとも関連している。

A説は、主権とは国家における包括的統一的支配権(国権)をいい、主権論とは、それが誰に帰属するかという帰属原理を問うものでなければならない、という(国権帰属説)。
確かに、この説がいうように、帰属原理如何を問うことが正しい思考であるとしても、それが発動の方向を明確に指示しているわけではなく、人民意思の発動を限界づけるものを問わないまま主権を「包括的統一的支配権」ないし「国権」と構成しても、主権の本質を明確にしたことにはならない(もともと「国権」とは、国家法人説における国家という団体の権利を指していた)。
これに対してB説は、主権とは憲法制定権力、つまり、「国家の最終的な政治的あり方を決定する力または権威」をいうとする(制憲権説)。
それは、誰が、どのように憲法制定権力を発動するかを問うのである(その理論は次節でふれる)。

[117] (八)フランス流主権論争は個別的結論を決定しない


いずれにせよ、ナシオン主権か、プープル主権かという論争は、「国民」概念の多義性を我々に気づかせるものの、特殊フランス的論争であって、我が国の憲法(国制)解釈に直接の関連をもたない([108]参照)。

憲法解釈に関連性はないものの、一つだけ確実にいえることは、プープル主権論こそ自由な国家にとって最も危険な理論であることである。
その危険性は、主権の万能性と、服従契約としての社会契約を説くルソーの次の理論に現れている(巻末の人名解説をみよ)。
「主権者が自分で侵すことのできぬような法律を自らに課すことは、政治体の本性に反するものである・・・・・・。いかなる種類の根本法[憲法]も、社会契約でさえも、全人民という団体に義務を負わすことはなく、また負わすことはできないことは明らかである。」
「社会契約を空虚な法規としないために、この契約は、何人にせよ一般意思への服従を拒む者は、団体全体によってそれに服従するように強制されているという約束を、暗黙のうちに含んでいる。そして、その約束だけが他の約束に効力を与え得るものである。このことは、市民が自由であるように強制される、ということ以外の如何なることをも意味しない」
(ルソー『社会契約論』第一編第七章)。

歴史上、この理論は、デュギーや O. ギールケが正当にも指摘した如く、最も血腥い暴政者によって援用され、立憲主義によっていささかも重要な役割を演じなかった。
だからこそ、近代立憲主義は、プープル主権からの「補助的予防装置」(J. マディスン)を講ずる必要性を絶えず説いてきたのである。


■第三節 憲法制定権力の意義


[118] (一)憲法制定権力は意思主義的発想を基礎とする


憲法制定権力(制憲権)とは、憲法(国制)そのものを基礎づけ、憲法典上の諸機関に権限を付与する権力または権威をいう、とされる。
その権力または権威の淵源は、通常、人(特に、国民)の意思に求められている芦部『憲法制定権力』3頁は、制憲権を「国家の政治的実存の様式及び形態に関する具体的な全体的決断をなす政治的意思」としている)。

国民の意思に淵源をもつとする制憲権理論を、社会契約と誤って結びつけながら、最初に実定憲法で高々と謳ったのは、マサチューセッツの憲法であった。
その前文に曰く、
「政治的統一は、個人の自由意思による結合によって成立し、それは社会契約の結果であり、この契約により一定の法律に従い一般的利益に合致して統治が為される目的のもとに、人民の全体が各市民と、各市民が市民全体と契約を結ぶのである。」
ところが、その起草者J. アダムスの考えたほどには制憲権理論は単純ではなかった。

[119] (ニ)政治的意思としての制憲権の発動は国制の正当性まで根拠づけない


制憲権を議論するに当たっての論点は、次の如くである。

制憲権の本質は、「権力」すなわち「実力」であるか。
権力または実力の淵源が、統一目的のもとに結集する人々の「政治的意思」にあると考えてよいか。
制憲権によって創り出された憲法(国制)は、事実状態または権力関係であるか、それとも、規範的秩序であるか(この点については第二章の[32]~[33]をみよ。
少なくとも、憲法制定権力にいう憲法とは、我々が日常的に使う「憲法典」を意味しない。制憲権とは、「国制を決定する権力」を指す)。
制憲権は改正権と同質であるか。
制憲権の主体は、国民であるか、それとも、それ以外でありうるか。国民であるとした場合、その捉え方如何。

意思から権力や正当性が生まれるとする思考は、先に指摘したように([34]参照)、法実証主義のそれである。
ところが、「政治的意思」から権力が生まれ、同時にそれが正当であることを論証することは困難である。
国民の政治的意思といったところで、現実の統治は、少数者による統治である。
国民の政治的意思から国制が基礎づけられるというのは、社会契約論と同様に、合理的な国家はどうあるべきか、という仮設にとどまる。
また、「政治的意思」という「政治」の意義は、政治学においても論争を呼ぶ概念である。

かように、制憲権の本質等を理解するに当たって、我々は様々な難問に遭遇する。
制憲権論の基本的狙いは、那辺(※注釈:なへん、どのあたり)にあったのか。
同理論が体系化されるまでの展開を以下で概観した後、制憲権の本質をみることにしよう。


■第四節 制憲権の理論化とその展開


[120] (一)シェイエスは第三階級の圧倒的有利を説きたかった


制憲権を最初に体系的に論じたのは、A. シェイエス(1748~1836)である。
彼は、政治社会における個々の市民(シトワイアン)が共通の目的をもって憲法契約に参加するば、プープルという一つの集合体とその共同意思を成立させるとみたうえで、この共同意思のもつ力が主権である、と考えた(シェイエス『第三階級とは何か』)。
この契約によって生じた統一体としてのプープルは、共同意思を発動して憲法(国制)を創設するに当たって(すなわち、制憲権を発動するに当たって)、代表者の意思を常に統制すべく、その共同意思を憲法典という法規範の中に集約して、委任の条件と範囲を代表者に対して示すのである。
制憲権そのものは、超実定憲法上の意思力であり、憲法典は、制憲者意思によって作り出された人為的ルール(設計的意思の所産)なのである。

シェイエスの制憲権理論は、政治的統一体創設のための社会契約と、政治的統一体の憲法契約とを時間的にも、理論的にも区別した点で出色であった(シェイエス著、大岩誠訳『第三階級とは何か』82頁参照)。
彼の理論の目的は、第一に、「国民の共同意思の力=制憲権=主権」という定式を確立することによって、当時圧倒的多数を占めていた第三階級に主権が帰属すべきこと、第二に、憲法によって作り出された権力(特に立法権)は、決して委任の条件と範囲を変えることはできないこと(制憲権と立法権の守備範囲の差)を明らかにすることにあった。
ただし、制憲権と改正権の区別は明確に意識されていない。

[121] (ニ)シェイエスは事実上の力としての制憲権を考えていた


シェイエスにおいては、制憲権は、人権保障の領域にあっては、「人権宣言」によって統制されるものの、統治機構の領域では、実体的にも手続的にも法的制約に服さず(この側面は、「実定法超越的」と表現される)、至上最高のものであり、いつでも発動して実定憲法をいかようにも変えることができるもの(その側面は、「実定憲法破壊的」と表現される)、と考えられている(彼は『第三階級とは何か』84頁において、こういう。「国民は全てに優先して存在し、あらゆるものの源泉である。その意思は常に合法であり、その意思こそ法そのものである。それに先立ち、その上にあるものとしては、唯ひとつ、自然法があるに過ぎぬ」)。
彼の理論は、絶対的多数者たる第三階級の意思を一般意思(共同意思)とする、革命のための政治的目論見をもっていた。

その狙いは市民革命によって達成されたものの、共同の敵を失った後にあっては、人民の意思が統一的な公的利益に収斂するとの命題に対して理論上も実践上も疑念が持たれるに至る。
その疑念があるとはいえ、彼の思想は、「誰もが一人として数えられる」という市民的平等のみならず、政治的自由を近代国家のルールとしてもたらし、普通選挙制の到来を準備したのである。

[122] (三)シェイエス以降、制憲権と改正権との本質的差異が強調されてくる


彼の理論が現実政治のなかで実現された後は、右の疑念を反映して、制憲権から超実定憲法的性格を如何に払拭するか、という課題が中心的論争対象となる。
それを解決すべく、制憲権は実定憲法典制定と同時にその権力的性格を自ら凍結し、実定憲法典の正当性を支える原理に変質した、とする理論が登場する。
この段階で制憲権論は、立法権と制憲権の区別を論拠づけるものから、改正権との区別を根拠づけるものへと焦点を移していくことになる。
すなわち、改正権は「憲法によって作り出された権限」であって、「憲法を創り出す権力」とは異なる、と意識されるに至ったのである。
実際、フランス1791年憲法は、制憲権を実定憲法典の正当性原理として凍結させたばかりでなく、改正権から峻別し、さらには、改正権の発動についても厳格な手続を踏むこと、および、改正内容にも限界があることを明示した。

[123] (四)シュミットはさらに精密な制憲権論を作り上げた


目をドイツに転じてみよう。
C. シュミット以前のドイツの理論状況は、国家法人説、概念法学が主流であったため、自然人の意思が権力を生み出すとか、国制のなかに権力的階梯構造が存在する、とかいった理論の成立する余地を残さなかった。
この伝統に決別を告げたのがシュミットであった(巻末の人名解説をみよ)。
彼は、制憲権とは、国家全体のあり方を決定する実力(または権威)をもった政治的意思であるとして、次のような理論を構築した。

まず、この意思の所産を Verfassung (憲法)と呼び、それと個別条規の統一体たる「憲法律」(Verfassungsgesetz)とを区別し、さらに憲法律と、それによって付与された権能とを区別する。
つまり、彼の理論は、「政治的意思たる制憲権→憲法→憲法律→憲法律によって付与された権能(その一つが改正権)」という公式のもとで、政治的意思が階梯的な規範を作り上げていくことを説いたのである。


■第五節 制憲権の法的性質


【表10】 我が国の制憲権論
実力説(※注釈:A説) 制憲権は、意思(なかでも国民の意思)の発動であり、事実上の力である。(※注釈:佐藤幸治
権限説(※注釈:B説) 制憲権は、一定の規範の授権によって発動される権限である。(※注釈:清宮四郎、芦部信喜
監督権限説(※注釈:C説) 制憲権は、代表を監督するために発動される権限である。
正当性原理説(※注釈:権威説、D説) 制憲権は、実定憲法制定とともに、憲法典を支える正当性の源となる。
有害無益説(※注釈:E説) 制憲権を実力と捉えれば実定憲法にとって有害であり、正当性原理であるとすれば無益である。

[124] (一)制憲権は実力であるか


我が国の制憲権への見方も、歴史的にみられた諸説を反映して、さまざまである。

まずA説は、制憲権をもって、法外的な政治的事実の問題とみる(実力説)。
もっとも、その中でも、A'説は、制憲権そのものは政治的事実または意思による決断であっても、その政治的決断に当たって、国民が憲法典を創り上げる際に何を選択する(した)か、という視点を重視する。
同論者は、我が国の制憲権者たる国民が、「よき社会」の形成発展のために自然権保障型を中心部分とする立憲主義的憲法典を選択し、「自己拘束」した、と考えるのである(佐藤・99頁)。

右のA説に対しては、近代立憲主義思想は、制憲権を実力とみないで、ある種の規範によって統制された(またはされるべき)もの、との前提に立って、その規範内容を模索してきたのではなかったか、換言すれば、意思の降り立つ先を事前に示すもの、または、意思自体を拘束するものは何であるかを看過したままでよいか、との疑問が残される。
同様に、A'説についても、政治的決断を事前に限定する何らかの力を問わないままでよいか、との疑問が残される。
「国民の自己拘束」に言及するだけの理論では不十分である。
歴史上の思想家たちは、国民の意思を制約する精神的能力として、例えば、①実践理性(I. カント)、②判断力(A. アレント)、③合理的コミュニケーション能力(J. ハーバーマス)を構想してきたのではなかったか。

[125] (二)制憲権は規範的力であるか


B説は、制憲権が根本規範による授権によって根拠づけられた法的な力であるとする(権限説)。
もっとも、その根本規範の捉え方に関して、ケルゼンの如く、仮設的・形式的に実定法の前提として措定するB1説、実定的に定立された実体的法規範と捉えるB2説がある(清宮Ⅰ・33頁)。
ところが、B1説、B2説ともに、根本規範の実体につき、客観性を欠くうらみがある。
なかでも、実定法体系を規範化するルールを、同一の実定法体系に求めるB2説は、根本的な誤りを犯している([94]参照)。

また、制憲権が、個人の尊厳または人格価値不可侵の原則によって規範的拘束を受けているとするB3説もある(芦部・前掲書)。
この説は、制憲権が自然法によって授権されるという「権限説」と、正当性の根拠ともみる(すぐ後の[127]でふれる)「正当性原理説」との折衷説のようである。
権力的モメント(※注釈:moment 契機、物事の変化や発展を引き起こす動的要因となるもの)を示す場合の制憲権の主体は選挙人団正当性のモメントを示す場合の制憲権の主体は全国民である、と、その担い手によって制憲権の属性に変化をもたせるのが、このB3説の特徴である。

このB3説に関しても、
第一に、 選挙人団は、国家創設後に国法上に登場する概念であって、国制創設の前段階で議論する制憲権の主体とはなり得ないはずではないか、という疑問が残される。
選挙人団概念を制憲権論に持ち込むことは、最高国家機関をもって主権者とする説と、国民主権の議論とを混同させるであろう。
第二に、 個人の尊厳または人格不可侵の原則の内容が、制憲権を枠づけるほどの具体的内容をもっているかどうか、疑問とせざるを得ない。さらに、
第三に、 これらの原則が制憲権を拘束するとの命題は結論の提示であって、なぜに、これらの拘束力が付与されるのか(人間の実践理性の故か、自然法の要請なのか)、当該法体系の外にある論拠が示されない限り、それは空論である([94]参照)。

[126] (三)制憲権は受動的な監視権限であるか


C説は、制憲権をもって、代表に対して同意を与えまたは与えないことを通して受動的に権力を監督する、現に存在している国民全体の一般意思をいう、とする(監督権力説)。

しかしながら、制憲権は、受動的性格をもつものではなく、代表の権力統制を超えて、権力または権威を積極的に創出するものではなかったか。
代表権力に対する監督は、選挙権や責任政治のレヴェルで志向されるべき問題領域である。
さらには、今日のような多元的社会にあって、一般意思に言及すること自体、もはや不可能といわざるを得ない(ここにいう「多元的」とは、個々人が階層的に秩序づけられておらず、各人の目的が多種多様であることをいう)。

[127] (四)制憲権は実定憲法の正当性原理であるか


D説は、制憲権をもって、実定憲法典の正当性を支える最終的権威であると捉える(正当性原理説または権威説)。
この説によれば、本質的には権力(意思力)であり、超実定的な性質をもった制憲権が、実定憲法制定と同時に実定憲法の中に凍結され、正当性の原理となるのである(この説にいう「正当性」の意義、根拠は明確ではないが、おそらく、「正当性」とは、始源的権力保持者が憲法制定に同意したがゆえに拘束力をもつ、ということなのであろう。ここにも合理的意思の神話がみられる)。
もっとも、この見解は、実定憲法を制定すべく発動された制憲権を、実定憲法から事後的に説明するものであって、時間的な観点が、前ニ説とは異なっており、これらの説を同一次元で論議し評価することは避けたほうがよい。

制憲権論は、時間的にも論理的にも実定憲法に先立つ段階を考察対象とする論議である。
権力創出の時点での制憲権の性質をどうみるかという論点と、創出後のそれをどうみるかという論点とを、混同してはならない。
右のD説のように、権力創出時点での制憲権を超実定的かつ実定憲法破壊的と考えることは、創出される権力の正当性やその限界、さらには権力の維持・行使の条件を厳しく問わないことになろう。

[128] (五)制憲権論は有害無益であるか


E説は、国民主権にいう主権を制憲権と捉えること自体が有害無益である、とする。
というのは、制憲権に超実定法的性格づけをするとすれば、実定憲法破壊的な危険性を認めることになり、他方、制憲権を単なる正当性の問題に押し込めるとなると、主権を理念的な空虚なものにしてしまうからである。
この点を考慮したうえでE説は、主権を国家における統一的包括的支配権(国権)をいうものと構成して、主権理論はそれが誰に帰属するかを問う議論でなければならない、と主張する。
そのうえで、統一的包括的支配権がプープルに帰属する、とE説は結論するのである。

ところが、この説については、
主権が統一的包括的支配権(国権)であるとしても、その実体は何なのか([116]参照)、
その帰属先を分析するだけでは、主権の本質とその限界につき正答を得るに至らないのではないか、
との疑問が残る。
このE説が、制憲権としての主権理論を有害無益であると断罪するのであれば、それをさらに、デュギーほどに徹底して、神秘的な、人民の一体意思を基礎とする国民主権の観念自体を有害無益であるとする道筋をも模索すべきではなかったか。
国民の構成員一人ひとりの選好を総計して生ずる集団的決定は、実は、個人を守らないばかりか、多数派自身をも守らないことが多いのである。
この点に気づいてか、デュギーはいう、「国民主権の神秘的性質は、事実に反して、神秘的性質なしに有り得たよりも遥かに長い間活動期間を国民主権の観念に与えた。しかし国民主権の観念が創造力を失う時が来た。・・・・・・国民主権の観念は最も確実なる事実と明らかに矛盾する」と(デュギー『公法変遷論』20頁)。

本書における制憲権の捉え方は、[132]でふれる。


■第六節 国民主権と憲法典との関係


[129] (一)制憲権の主体は歴史的に変転してきた


制憲権の主体は、必ずしも国民であるとは限らない。
歴史的には、その主体は君主であることが多かった。
しかし、これまでの憲法理論史をみると、特に啓蒙思想期以降、制憲権は社会契約によって成立した政治的統一体としての国民が発動する権力または権威であると論じられてきており、その主体を国民に求めるのが主流である。
国民が制憲権の主体となる場合をもって「国民主権」という。

国民を主体とする制憲権論、すなわち国民主権論は、統治権力の正当な源泉が国民の意思にあることを説くための理論である(権力創出のための理論)。
その理論は、さらに、社会契約理論と結びついて、国家が社会構成員の合意を通して統治権力を獲得することまで説いた統治権力獲得のための理論)。
すなわち、国民主権または制憲権の理論は、統治権力の創出および獲得の正当性までを問うものであった。

[130] (ニ)制憲権論は憲法典の構造まで指示しているか


現実の政治過程は、権力の創出、獲得、維持および行使というプロセスからなる。
今後の議論は、今日の統治が「基礎をもたないシステム」となりつつあることを考慮した場合([22]参照)、実定憲法典のもとで維持・行使される統治権の正当性を問うものでなければならない。
換言すれば、権力と権限の行使が、究極的には、人々の公共的な議論を通しての合意に基づく法規範や政治制度に定位しているか否か、不断に検証されなければならない。

権力の創出および獲得の正当性までを問うてきた制憲権論が、権力の維持・行使の正当性まで問いうるものか、疑問となる。
もしも制憲権論が、憲法典の構造の正当性まで指示するものであれば、この疑問も解決されるのであるが。
果たして制憲権論は、最終的な政治的決定権限が誰に帰属するかという論点ばかりでなく、実定憲法の正当性やそのもとでの統治権の行使の正当性を担保するだけの構成(組織)原理を指し示しているであろうか。

この点に関しX説は、日本国民が制憲権を発動するに当たって、立憲主義的内容を選択し、自己拘束して、(イ)統治制度の民主化、(ロ)公開討論の場の確保、という「実定憲法上の構成原理」を日本国憲法に組み込んだとの理解を示して、この疑問を解決しようとする(佐藤・100~101頁)。
その構成原理の具体的要素は、

民意をできる限り反映する「民主的」統治メカニズムを備えること、すなわち、選挙人となりうる人物が最大であること、
選挙人の意思が反映されるよう統治制度が整備されること、
選挙人の意思が自由に反映できるために、統治者批判が自由であること、

といった要素が挙げられる。
ところが、右の①~③は、「国民主権」によって必然的に要請されるものではない。
先にふれたように([56]参照)、①~③は、統治される国民が統治者に対して有効なコントロールを及ぼすための装置である(「統治される民主主義」)。
国民主権論を右要素と結び付けようとする試みは、実現されるべくもない「治者と被治者との自同性」を夢想する姿に近い。

X説と同様に、X'説は、国民主権とは、選挙人団としての国民がその権力を行使する際の様々なチャネルの整備をも含意している、と解する(芦部『憲法講義ノートⅠ』121頁)。
この見解は、制憲権が正当性原理にとどまらず、権力的色彩を持っていること、その権力主体が国民(選挙人団)であること、を前提にしている。
この立場を推し進めれば、憲法典は有権者意思を反映するような道筋、たとえば、民選議会、参政権、表現の自由等を備えておかなければならない、というX説と同一の見解に帰着することになる。

ところが、この説には、主権概念の混同がみられる。
すなわち、既に [15] においてふれたように、主権とは、あるときには、具体的に存在する国家機関のうちの優越的権限を有している機関をいう場合(「国家最高機関としての主権」)、またときには、最終的支配意思の源をいう場合(「憲法制定権力としての主権」)等があるが、右のX'説は、両者を制憲権概念のなかで説こうとしている点に無理がある。
憲法典上要請される構成原理または統治構造は、あくまで、出来上がった憲法典から理解すべきものである。
その理解に当たって、統治過程の民主化の要請と、国民主権論とを結びつけない道筋も真剣に検討されなければならない。

となると、Y説のように、国民主権の概念と民主的選挙制度等との直接的関連性なし、と考えるべきであろう。
この説によれば、「すべての権力は国民に由来するという [国民主権の] 公式は、代議士の選挙が定期的に繰り返されることに関してよりも、むしろ憲法を制定する集団として組織された国民が、代議制立法府の権力を定める排他的権利を持つことに関連して言われた」のである(ハイエク『自由の条件Ⅱ』66頁)。
この立場を徹底させれば、国民主権はあくまで憲法制定権力と同義であって、主権者が実定憲法の構成原理として何を選択するかは、事前に示されることは決してなく、主権者の選択に委ねられることになるばかりか、国民主権にいう国民が観念的統一体に過ぎないものである以上、主権は正当性原理に過ぎない、と捉えられることになろう。
正当性原理としての国民主権は、独裁制をも許容するものであって、具体的政治組織のあり方については何も指示せず、ただ、すべての国家機関が国民の権威づけのもとに権能を行使することを理念的に示すにとどまる、との理解も十分成立しうる(小嶋・105頁。もっとも、この論者といえども、空虚な主権論とならないために、全体の奉仕者としての公務員観(15条)が要求されると説く)。

[131] (三)制憲権が意思の発現であるとすれば、その本質は実力と理解せざるを得ない


制憲権が人民の意思から発せられる力であると想定するのであれば、その本質は事実上の力であると理解せざるを得ない。
それは、他の力からの授権を要しない実力である。
実力と考えざるを得ないからこそ、近代立憲主義は、それと対立し、それを制約する別の力を追い求めてきたのである。

その別の力とは、自由の概念であった。
もっとも、自由の概念も不動不変ではありえない。
後世は、後世にとっての自由が保障されなければならない。
そのために、憲法典は、後世に対して開かれた部分を用意するのが通例である。
その部分が憲法改正規定である。
改正規定によって後世に開かれた部分を残していることが、現行憲法典の拘束力保持理由の一つである。

従来の制憲権論は、制憲権を野放しにしないために、何らかの権威に由来するものと想定して、根本規範を設定したりして、その権威の淵源(正当性)を追い求めてきた権威と制憲権との垂直的布置の理論)。
今日までの諸理論は、その追究に成功していない。
この点は次のように考えるべきであろう。

意思の力を淵源とする制憲権は、権威に由来するものではなく、制憲権とは独立に存在する「法」によって横からの制約を受けている法と制憲権との水平的布置の理論。「法の支配」は、まさにこれを狙ったのである)。
この「法」は、各人の自由な領域を保護する普遍妥当な抽象的ルールである。
このルールを、ハイエクに倣って「自由の法」と呼んでもよい(巻末の人名解説をみよ)。
「自由の法」は、超越論的な思弁の中にあるのではなく、人間社会が事実上存在するその瞬間から生まれ、人間が経験によって学び得た準則である(自由の本質については『憲法理論Ⅱ』で論ずる)。
「自由の法」に代えて、「個人の尊厳」、「人格価値不可侵」といった茫漠とした用語に拠るとすれば、制憲権を制約する内実をその中に発見することは期待できないであろう。

[132] (四)制憲権は意思の力であるとする理論は、合理的人間像に基づく近代哲学の嫡流に属する


では、意思から力が発生するという保証はなく、政治的統一意思は今日のような多元的社会にありようもない、とする本書のような醒めた目からすれば、制憲権理論はどう再構成されればよいか。

制憲権の理論は、人民の意思が全ての権力の源であるとする社会契約理論と結びついたフィクションである。
社会契約の理論そのものが、《そうあって欲しいものを合理的に理論化しようとした擬制である》以上、その上に構築された制憲権理論も、擬制に過ぎない。
歴史上、その思想の力が、現実の政治世界に影響を与え、実力としての市民革命という形態をとることもあったし、摩擦なく円滑に実定憲法典の基本理念として採用されることもあった。
制憲権の本質は、実力でもなければ、権限でもない。
それは、合理的国家のあるべき姿を説くための仮設である。

その仮設は、ある国では、それを拒否し続けた専制君主を打倒する革命の理論として実際に採用された。
その現実は「制憲権=実力」と後世に映ることになった。
またある国では、社会契約理論をモデルとした実定憲法典を制定した。
そこでは、制憲権は、実定憲法典を支える「正当性原理」として後世に映ることになるのである。

もともと、制憲権論は、君主という一人の意思の絶対的力に代えて、人民の意思を統治の根底に置く革命の理論であった。
その理論は、君主を排除するところまでは指示するものの、統治の最終的なあるべき姿を指示することはできない。
統治の最終的あるべき姿は、人民の意思や制憲権の理論を統制するものに求めなければならない(もっとも、ある理論が政治的決定に最強の影響を与えることはある)。
だからこそ、我々は「法」、「自由」に言及してこれを統制しようとするのである。

このように考えれば、「国民が制憲権をもつ」とする命題こそ擬制中の擬制である。
一方で、制憲権の主体は観念上の抽象的存在たる「国民」であるとし、他方で、制憲権の本質は実力であると主張することは、自己矛盾である
というのは、制憲権が実力であれば、具体的に存在する自然人によって行使されるはずのものであって、抽象的存在たる国民が主体となることは不可能だからである(制憲権が抽象的存在たる国民に「帰属する」との表現を用いても解決とならない)。
有効な権力概念であろうとすれば、その保有者が一定の事柄を為し得るか否かを基礎づけなければならず、これに失敗する理論は空論である。


■用語集、関連ページ


阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第一部 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力
LEC・芦部信喜・佐藤幸治・阪本昌成・中川八洋の「国民主権論」比較 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価
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阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)  第一部 国家と憲法の基礎理論    第八章 憲法の保障と憲法の変動 p.118以下

<目次>

■第一節 憲法の保障の意義


[133] (一)憲法典は、それ自体の妥当性を維持するための工夫を施さねばならない


憲法典は、その持つルールとしての力によって、すなわち、妥当性(法規範として正当であると受容されているために拘束力をもつこと)によって、統治権力を拘束することを目指す。
ところが、これまで繰り返してきたように、憲法典のルールとしての力は、憲法典に内在するものではない([94]参照)。
通常、憲法典自体の妥当性は、憲法典の外にある制憲権意思から与えられるもの、と理解されている。

そればかりでなく、憲法典自身は、制裁規定を備える真正の法規範とは言い難く、そのために、その実効性を確保する点でも心許ないところがある([62]参照)。
下位法が、憲法典から授権される妥当性と実効性(法規範として現実に適用され遵守されること)とを主張しうるのに対して、憲法典自体は、本来「直接有効な法」ではないのである。
憲法典は、そのルールとしての力を確保すべく、その内部に様々の工夫を凝らし、「直接有効な法」としての性格を自ら与えようと試みるのである。

制憲権の発動によって与えられたはずの実定憲法典の妥当性および実効性を確保するための様々な装置を「憲法の保障」という。

[134] (ニ)憲法保障の類型は平時における保障方法と非常時におけるそれとに分けられる


憲法の保障のうち、平時における方法としては、実体的保障と、手続的保障とがある。
実体的保障の方法としては、 憲法典の最高法規性を宣言し、さらに憲法典への忠誠の宣誓や憲法擁護義務を課すこと(宣言的方法)や、
権力分立、二院制、独立行政委員会制等による政治部門内部の抑制を通して、権力の集中を防ぎ、憲法秩序の破壊が生じないようにすること(制度的方法)が挙げられる。
手続的方法としては、 特別な憲法改正手続を要するとすること、
違憲審査制を導入すること、が挙げられる。

違憲審査制は、国家機関の行為の合憲性を当該機関以外に判断させることによって、憲法典を「直接有効な法」とするための方策である。
そのための機関と手続にも様々なものがあるが、「憲法の保障」にとって最も中心と目されるのは、裁判所による違憲審査制である。
裁判所による違憲審査制にも、憲法裁判所を設置するやり方(憲法裁判型)と、通常の裁判所によるやり方(司法審査型)とがあるが([438]参照)、いずれの場合であっても、裁判所には、憲法秩序の維持という観点が要請され、「違憲」と判断された国家の行為を取消可能とし得る(voidable)権限が与えられる(ここで「取消可能とし得る」との表現を用いたのは、「違憲」と判断された国家行為が「当初から無効」と理解すべきではないからである。この点については [409] でふれる)。

非常時における方法としては、①国家の側からの緊急権の発動と、②国民の側からの抵抗権の行使、とが考えられる。

[135] (三)国家緊急権は超憲法典的に存在せざるを得ない


国家緊急権とは、平時の憲法典上の手段では対処しきれない緊急事態(戦争・内乱・天災地変等)において、国家の存立と全体としての憲法秩序に対する重大かつ明白な侵犯状態に対して、現行の憲法秩序を維持・防衛・回復するために行使される国家統治権力をいう。
国家緊急権には、憲法典が緊迫した非常事態を予定し、一定の条件のもとで、その行使を認めるもの(実定憲法上の国家緊急権)と、憲法典の一切の枠や授権の範囲を超えて行使されるもの(超実定憲法的国家緊急権)、とがある。
緊急事態は、憲法典の予想を許さないだけに、ヴァイマル憲法での大統領の独裁権限にみられるように、前者の方法をとってみても、実効的に統制することは困難である。
憲法典上の明文による実効的な統制部分は、主に事前の手続的な側面であろう。

国家緊急憲は、多くの場合、軍事力が行使され、一次的に立憲主義が停止される(憲法典に基づく統治を守るために憲法典を踏み越える)だけに、明文規定を欠くとしても、不文のルールのもとで極めて例外的状況下でのみ許容されなければならない。
すなわち、その要件は、立憲主義にとっての緊急事態が発生していることは当然として、
(a) 一時の臨時的な措置であること、
(b) 代替手段に欠けること、
(c) 少なくとも、事後的な責任所在の明確化や責任追及のための制度が用意されること
等、である。

[136] (四)抵抗権は国法のなかに取り込むことのできない人権である


抵抗権とは、憲法典の基礎をなす憲法秩序を維持または回復するために、実定法上の義務履行を拒否する国民の基本権をいう。
実定法上の義務履行を拒否するという消極的なものである点で、積極的な武装行使を容認する革命権とは区別される。

国家が人民の社会契約によって作り上げられ、基本権保護に奉仕することにその存在根拠をもつと考えた場合、国家の不正に対して契約を解除する最終的手段としての抵抗権は、明文の有無に拘らず、超憲法典的に存在するといわざるを得ない。
国家による保護が終われば、一切の服従義務も終わり、個人はその自然状態での自由を取り戻すのである。
抵抗権が実定法上の義務を破る権利である以上、それは実定的権利では在り得ない。

なるほど、近代立憲主義以降の諸国家は、法治国家という理念に立って、「合法性」判定基準を「憲法典を頂点とする実定法」に求め、国家自らの合法性を根拠づけると同時に、基本権と権利を国家法において具体化し保障してきた。
ところが、「法」は「立法」と同義ではなく、また、「法」も「自由」も立法によって語り尽くされるものではない。

非常時における抵抗権は、国家法と同一平面にある権利ではなく、個人にとっての最後の保障手段であり、「譲り渡すことの出来ない、しかしまた、組織化することも出来ない」真正の基本権である(シュミット『憲法論』195頁。「自然権」といってもよく、constitution 上の権利といってもよい)。
配分原理からしても、抵抗権は本来無限定の「自由」に淵源をもち、国家によって承認される必要はなく、従ってまた、制度化される必要もないのである(ドイツ基本法20条4項は、他の方法がないときには、憲法的秩序を除去しようと企てる「何人」に対しても、全てのドイツ人が抵抗権を有する、と定めている。この規定は、抵抗権概念を拡大して制度化したものである)。

ただし、抵抗権は、国家が個々の憲法律上の規定に違反することを超えて、憲法秩序全体に対する重大かつ明白な侵犯行為を為す場合に、国民の合法的権利行使では国家の合法性が維持できない状況下で初めて、「極限の保障手段」として国民による発動が許される。

[137] (五)日本国憲法は憲法保障のための規定を数多くもっているものの、国家緊急権規定を欠いている


我が国の憲法典は、平時の実体的憲法保障として、①基本的人権保障を国政の目的と定めて(13条)、②その永久不可侵性の宣言(11、97条)、③国民によるその不断の保持義務(12条)、および、④天皇や公務員の憲法尊重擁護義務(99条)等の宣言的方法を組み入れているばかりでなく、⑤「権力分立」、⑥二院制等の制度的方法をも採用している。
平時の手続的保障として憲法典は、「最高法規」と題する一章を設けて、憲法典が最高法規であるが故に、①その改正のためには加重された手続を要すること(96条)、②憲法典の規範性を確保するために司法審査制を導入すること(81条)を明らかにしている。

大日本帝国憲法(以下「明治憲法」または「旧憲法」という)においては、①緊急勅令(8条)、②緊急財政処分(70条)、③戒厳(14条)、④非常大権(31条)等の規定が、国家緊急事態に備えるものであった。
これに対して、現行憲法典には、①臨時会(53条)および②参議院の緊急集会(54条2項)以外に緊急事態に備える規定は見当たらない。
ところが、これらの規定は平時の立憲体制を想定してのものであって、本来の意味での国家緊急権規定ではない。
日本国憲法は、それにつき明示的規定を欠いているために、本来の国家緊急権の有無につき学説の対立を呼ぶことになる。

まずA(否認)説は、 一切の戦争を放棄している9条が、国家緊急権行使の主要手段としての軍事力を否定した以上、国家緊急権の存在自体否定されているとみる。
次にB(欠缺(※注釈:法律用語で「適用すべき法の規定が欠けていること」)説は、 緊急集会しか認めていない日本国憲法には、国家緊急権に関する定めはなく、憲法の欠缺と解するほかないとする。
これに対してC(許容)説は、 国家緊急権が「必要は法を知らず」という不文の法理(英米でいうマーシャル・ルール)または constitution に内在する国家の権力である、と説く。

以上の諸説のうち、A説は、国家緊急権発動を戦力に限定したうえで、9条のみを根拠としてこれを否定している点で視野が狭すぎる。
憲法の欠缺と捉えるB説は、憲法と憲法典との区別を明確に意識しないままに、結論を避けている。
憲法典は、自己完結的な法典ではなく、国家の存立を前提とした二次ルールである以上、国家存立そのものに関するルールは、明文で語られないかたちで存在せざるを得ない。
C説が正しい。

[138] (六)日本国憲法は抵抗権についても明文規定を欠く


日本国憲法は、抵抗権についてふれるところがない。
我が国の論者は、抵抗権の存在につき肯定するものの、それが実定法上の権利であるのか、それとも、非実定法上の権利でなければならないのか、見解を異にしている。
A説は、抵抗権が憲法典上の自由権に包摂されているとする。
これに対してB説は、シュミット同様、抵抗権が実定法に取り入れられることは在り得ず、自然法上または constitution 上の権利(人権)として説明されるべきである、と説く。
抵抗権は、国家緊急権同様、二次ルールによって語り尽くされるものではない。
B説が妥当である。


■第二節 憲法の変動の意義とその種類


[139] (一)憲法典は憲法を語り尽くせない


「いかなる社会も恒常的な憲法をつくり得ない」(T. ジェファーソン)とか、「もっとも硬性度の強い憲法であっても新しい実質的な憲法原則の形成を阻止できなかった」(イェリネック)とかいわれる。
国制は、日々発展生成し、新たな統合をみせるために、それを憲法典で語り尽くすことは不可能である(もともと、あるルールが明文上のルールのなかに全面的に取り込まれることは在り得ない)。

憲法の変動」とは、憲法典の予期しない不規則な社会的・政治的プラクティス反復継続される定型的行態に、憲法典がどう対応するか、または対応させられるか、という問題をいう。
人為の業である憲法典が、実態としての国制を全て語り尽くすことはない。
だからこそ、憲法解釈の枠を超えた、または、憲法典上の正文(テクスト)に抵触するプラクティスの生起をある程度予期した対処方法を、憲法典は準備しておかなければならないのである。

[140] (二)憲法の変動は憲法典の変動と同義ではない


憲法の変動とは、憲法典上の条規の意味変化それ自体を指すのではなく、国制という意味での憲法上の社会的・政治的プラクティスの変化をいう。
憲法の変動の種類としては、憲法の改正、憲法の変遷のほか、次のものがある。

憲法の廃絶 憲法(憲法典上の条規ではない点に注意)のみならず、その根底にある憲法制定権力まで除去すること。
憲法の除去 根底にある憲法制定権力を維持しながら、既存の憲法を除去すること。
憲法の破毀 憲法典上の一つ、または、幾つかの規定の効力はそのまま変更されることがないにも拘らず、それと異なる命令によって諸規定が侵犯されること。
憲法の停止 一つ、または、幾つかの憲法典上の規定を一時的に効力停止すること。これは、一時的に憲法典上の規定を失効させる点で、憲法の破毀と異なる。

以下では、憲法の変動のうちの、⑤憲法の改正と、⑥憲法の変遷、について、検討する。


■第三節 憲法改正の意義


[141] (一)憲法改正とは憲法典上の条規を意思によって変更することをいう


憲法の改正とは、憲法(国制)上の社会的・政治的プラクティスの変化(憲法の変動)に対応させるべく、憲法典の定める正式の手続に従いながら、改正権者の明示的意思によって、憲法典(の一部)またはその条規に変更(削除、追加等)を加えることをいう。
その手続の類型には、
議会とは別の組織体によるもの(1791年のフランス憲法型)、
改正のために召集された両議院と国王との共同決定制とするもの(ベルギー憲法型)、
議会の特別多数決制によるもの(ワイマール憲法型。国民の請願による改正手続も残されている)、
国民による最終的決定を要するとするもの等、
様々である。

[142] (ニ)全面改正は改正ではないという議論は形式論である


憲法の改正とは、憲法(国制)の変更ではなく、憲法典の変更であるが、憲法典全体の変更(全部改正)も改正といえるのか、それとも、改正とは憲法典中の個別的条規につき、削除、修正、追加または増補するという部分的変更(部分改正)をいうのか、につき、見解は分かれている。
通常は、もとの憲法典の内容との「同一性」を判断基準にしながら、同一性を保持する変更だけを改正と呼ぶ。
つまり、「全部改正」は、新たな憲法典の制定であって、改正ではない、とするのである。
「同一性」を保持しているか否かの判断基準は、constitution に変更があるか否かに求められることになろう。

しかしながら、憲法典の基礎にある constitution の内容をいかに捉えるかによって、「同一性」の有無の判断も微妙とならざるを得ず、全面的改正か否かの判断も微妙となろう。
例えば、日本国憲法の場合、その constitution は、通説風にいえば、①基本的人権の尊重、②平和主義、そして、③国民主権、という三大原理または憲法典の根本規範部分を指すことになろうが、それが、正確な識別テストとなるわけではなく、それ以外の基本原則(④「権力分立」、⑤法の支配、⑥代表制等)といった要素を無視してよいか、大いに疑問である。
従って、「同一性」をキー・ワードとした右のような形式論から「全面改正は改正ではない」とする限界肯定説は、断念されるべきである。


■第四節 改正権の本質と憲法改正の限界


[143] (一)憲法改正の限界は制憲権や改正権の本質論と繋がっている


硬性憲法典の改正規定は、手続的な「憲法の保障」という意味を持つのであるから、憲法典の改正が同手続に従っての作用でなければならないことについては、異論はない。
これに対して、改正対象につき法理論上限界があるかどうかについては、学説の対立するところで、従来から「限界説」と「無限界説」との間で、種々論議されてきた。
その個別的論点としては、

憲法典全体に変更を加え得るか、
制憲権の帰属先に変更を加え得るか、
改正手続規定自体を、その手続で改正できるか、
改正対象としないとの規定を改正し得るか、

等が挙げられる。

学説を対立させる主要因は、制憲権の本質を何とみるか、その制憲権と改正権とが同質であるか、にあると言っても過言ではない。

[144] (ニ)改正権の性質は制憲権との繋がりを論じて明らかになる


改正権が、超法的な、事実の力としての制憲権と同質であるとすれば、それに限界はないことになろう。
これに対して、シュミットのように「制憲権→憲法→憲法律→憲法律上の権能」という階梯的公式を考えれば、改正権は「憲法律上の権能」にとどまる。
また、右の階梯的公式のもとで「憲法制定」と「憲法改正」(すなわち、個々の憲法律的規定の修正)という場合、前者の「憲法」とは全体決定としての憲法を指し、後者の「憲法」とは憲法律を指し、質的に異なるのである。
改正規定は、その母胎たる憲法の派生物にとどまり、従って、憲法律上の改正権でもって、全体としての憲法(国制)を変更できないとの結論に至る。

[145] (三)改正限界説は実体的にも手続的にも法的に制約された改正権を説く


我が国の通説は、改正権をもって「法制度化された制憲権」と捉え、事実上の万能の力ではないことを指摘しつつ、その限界を説く。
この限界肯定説は、改正権が憲法典に定められた手続に従わなければならない、という限界を前提としていることはいうまでもない。

しかし、同説は、改正権が「法制度化」され、事実上の力ではなくなったと説くものの、実体的権能(権力的モメント)まで凍結されているとみる訳でもない。
改正権に権力的モメントを残しながらその実体的な限界を説くとなれば、憲法典を拘束する法理を構想せざるを得ない。
その法理として、論者は、根本規範を仮定するか、個人の尊厳または自然法という普遍的価値を挙げながら、改正権はこれらによって拘束される「権限」であると説くか、または、憲法典自身が恒久・普遍的価値を明示的に改正対象から除外している点を指摘する。
つまり、限界説は、「改正権が、実体的には普遍的価値(または憲法典上の制約規定)によって拘束され、手続的には憲法典の改正手続規定に拘束された権限でる」と解するのである。

[146] (四)改正限界説は数多い疑問を残す


限界肯定説に対しては、
(ア) 既存の憲法典の神聖視から来てはいないか、
(イ) 一時代の産物である憲法典は後世代を拘束できるはずはなく、常に後世代の選択に開かれているべきではないか(諸外国の憲法典には、定期的に国民の審査に服するとする例がある)、
(ウ) 限界を説いたところで、それを超えた改正は、結局のところ、新憲法の制定(新たな制憲権の発動)と捉えざるを得ず、国制の合法的継続性まで否定できないのではないか、
(エ) 改正権を限界づけるとされている価値は、論者の思考の産物に過ぎないのではないか、
といった疑問が残されている。
こうした疑問がある以上、限界を否定する見解(無限界説)が説かれるのも当然である。

[147] (五)無限界説の論拠は一様ではない


無限界説も一様ではなく、

改正行為は、本質的に事実行為であって、法的限界を説くことが出来ない、とする立場、
改正行為は法的行為であるものの、人為法は如何なるものであれ、人間によって変更されざるを得ない、とする立場、
改正権は、憲法を創り出す力であると捉えて、制憲権と同質とみる立場、

等、様々である。

[148] (六)本書は改正権を権力と捉える


制憲権の主体とされる国民は、観念上の統一体である。
制憲権の性質は、憲法典を支える正当性のための仮設である(この点については、国民主権を論じた [132] でふれた)。

これに対して、改正権の主体としての国民は、実在する。
主権者としての国民が「権力」を持つとすれば、それは、実在する国民が主体となる改正権の発動の局面ではないか、と思われる。
すなわち、改正権規定は、手続的に統制されているとはいえ、実体的な権力的モメントを実在としての国民に付与するための「変更のルール」である、と解される。
とすれば、改正権は、憲法典のいわゆる全面的改正や制憲権所在等 [143] で指摘した諸事項にも及び得ることになる。

もっとも、権力としての改正権は、国民によって恒常的に発動されるとすれば危険であり得る。
そこで我が憲法典は、改正の発案権まで国民に与えないで、国会に与えて手続的に統制しているのである(96条1項)。

ところが、無限界説に立つ以上、憲法を改正するに当って、権力主体としての国民は、改正手続に関し、「国会による発案権を否認し、国民が発案する」という憲法改正案であれ、「国民投票を不要とする」という改正案であれ、いずれの案であってもこれを承認することが出来る。


■第五節 憲法の変遷


[149] (一)憲法の変遷の意義は論者によって一定しない


憲法の変遷とは、国家機関のプラクティス(反復継続される定型的行態)が不文の実質的憲法を生み出すことをいう。
もっとも、変遷の定義は、論者によって一定しない。
我が国では、変遷を狭義に捉えて、①国家機関がある条規につき違憲行為を反復継続するにつれて、同条規の実効性がまず失われ、それに従ってその妥当性も失われて、②新たな実効性がその条規の周辺に生まれ、それに伴って妥当性も生まれて、③最終的に、同条規の規範的意味変化がもたらされること、とみる。
つまり、憲法典正文の規範的意味変化とみるのである。

この論は、「ある国家機関の行為が違憲である」ことを前提にして、「違憲事実の集積が憲法典を破るか」と変遷論問題を設定する。
しかし、この設定の仕方は、
第一に、 論者の思考からみて違憲であるとの前提に立っている点で結論先取りの論であり、
第二に、 変遷の対象として憲法典正文の意味変化のみを念頭に置いている点で狭きに過ぎ、
第三に、 憲法典と憲法(国制)とを厳格に区別していないうらみがあり、
正確とは言い難い。

変遷論は、違憲とは限らない国家行為が憲法(国制)を生み出す、との命題を指す。
変遷論をめぐる論争は、法の特性や憲法(国制)に対する見方と繋がる難問である。

[150] (二)変遷論は実質的憲法の成立を説く理論である


変遷論は、イェリネックに始まる(巻末の人名解説をみよ)。
彼の言う憲法の変遷とは、憲法典正文の意味変化に限られない。
正文の有無に拘らず、憲法典に「並行する」実質(不文)憲法と、憲法典に「対立する」実質憲法の成立することを説いたのである。

つまり、彼のいう憲法変遷にいう「憲法」とは、憲法典のことではなく、国家秩序全体を指す場合の憲法(国制)である。
その意味での憲法の成立する領域としては、
(ア) その意味を補充・発展させるもの、
(イ) 憲法典の欠缺部分を埋めるもの、
(ウ) 憲法典の正文に違反するもの、
があり得ることになる。

また、その成立の契機としては、
憲法典正文についての公権的解釈の変更という事実、
特定事実の反復によって生ずる慣習、
国家機関による特定権能の相当期間の不行使という事実
等が考えられる。

[151] (三)変遷論の依拠する基本的発想には基本的な疑問がある


イェリネックの変遷の考え方の基礎には、いわゆる「事実の規範力説」がある。
それは、事実の反復によって人の心理内に規範的力が生じ、人々の社会的規範意識によって支えられて客観化されたものが妥当性を獲得して法となる、と思考する(法の主観説)。

法哲学上、慣習が社会の法的(または規範的)確信によって支持される程度に達すると慣習法となる、としばしば説かれるのも、イェリネックの思考の影響のためである([36]参照)。
しかし、この解明は、プラクティスが法となる条件として「法的(規範的)」確信を挙げる点でトートロジーであって、ナンセンスであるばかりでなく、客観的な法規範の淵源を「確信」なる主観的要素に求める点で解けない謎を残す。

そればかりか、その考え方は、事実から規範が生ずるとするだけに、事実と規範とを峻別する分析哲学の前では通用力を失わざるを得ない。
また、イェリネックは、憲法典を改正手続の加重された法形式とみる形式的な立場を採用したが故に、「後法は前法を破る」という法の一般原則に従って、実質的憲法の成立を肯定したのである。

なるほど、実質的憲法の成立は、硬性憲法のもとでさえ避けることは出来ず、あるいは、硬性だからこそみられるともいえよう。
全ての法治国は、「誰が番犬の番をするか」という問題をこれまで、結局解決できなかった。
しかしながら、憲法保障の具体的方策として、実体的な最高法規性を憲法典中に宣明し、なおかつ、違憲審査制まで導入することによって、憲法典を直接有効な法とせんとしてきたポスト近代立憲主義の狙いからすれば、国家機関のプラクティスから実効性と妥当性とが生ずるとする理論に、我々は懐疑的とならなければならない。

[152] (四)変遷論は憲法の「法源」論を検討して初めて理解できる


憲法の法源には、不文のものも当然に存在するとはいえ、そのことを承認することと、ある国家行為の反復・継続が憲法としての地位を獲得すると承認することとは別個の事柄である。
後者の命題を承認することは、「変更のルール」を通過しないものを「最高法規」の一部に組み入れることを承認することであるから、その条件を慎重に検討することが特に重要となる。

近代国家は、道徳を中心とする社会規範と、法規範とを識別する規準を用意してきた。
それが、H. ハートのいう「確認のルール」、「変更のルール」、や「裁定のルール」という二次ルールである(この立場は、慣習のうち、国家による承認を得たものが慣習法となる、という承認説に近い。巻末の人名解説をみよ)。

法が存在するというためには、行為従事者たちが受容し、遵守している一次ルールがあるばかりでなく、アンパイアとしての資格を持った人物(または機関)が権威をもって、「そこでは、これがルールとされている」と判定するための二次ルールがなければならない([47]参照)。
この法の見方からすれば、法的ルールが拘束力を有するのは、人々がルールを習慣的・定型的行態(プラクティス)として単に受容しているからではなく、「『変更のルール』(または裁定のルール)によって変更(裁定)されたルールは妥当し拘束力を持つべし」、と「変更のルール」たる憲法典(「裁定のルール」たる違憲審査制規定)により定められているから、なのである。
この立場からすれば、憲法の変遷が妥当性をもつためには「変更のルール」または「裁定のルール」を経由することが必要である。
成文・成典形式を採用する国制にあっては、改正規定が「変更のルール」であり、違憲審査制規定が憲法法源に関する「裁定のルール」である。
これらの規定に基づいて承認を受けていないルールは、法以前のルールにとどまり、厳格な意味での「法源」とはならない(「法源」なる用語を最もルースに解して、「社会的に受容されるルール」の意味で用いれば話は別である)。

[153] (五)変遷をめぐる我が国の学説は大きく三つに分かれる


我が国の学説は、憲法変遷を肯定するか否かについて、法規範の識別テストにつき峻厳な反省を加えないまま、次のような三つの対立を示してきた。

A説全面的肯定説)は、イェリネックさながらに、一定事実の反復継続がみられ、それが国民の法的(規範的)確信によって支えられれば、変遷を肯定して、その部分を憲法法源とみる。
ところが、この説に対しては、
明確な制憲権意思よりも非意図的な慣行を優先させてよいか(何のための成文・成典・硬性憲法だったのか)、
慣行が人々の確信を通して法となるという思考は正しいか、
何をもって「国民の確信」であるとするか、
事実と規範との関係につき峻厳な検討を加えていないのではないか
等、強い批判が寄せられている。

ついでB説限定的否認説または習律説)は、国家機関によって反復継続されるプラクティスが習律(convention)を作る、とする。
習律とは、憲法の働きに携わる人々が義務的なものとして受け入れたところの行為規範であるものの、国家によって強制または裁定される根拠とはならないものであって、法以前(pre-legal)のルールをいう。
この説によれば、習律は、憲法典の意味を補充・発展させる領域、または、憲法典の欠缺部分を埋める領域について成立するものの、憲法典の正文に違反するものについては成立しない。
なぜなら、法以前のルールが、明文の法的ルールを破るほどの妥当性をもつことは在り得ないからである。
確かに、このB説は、変遷の問題領域を的確に捉えているばかりでなく、憲法と憲法典との区別を意識しつつ憲法の法源として不文のものもあり得ることを指摘している点で、正当である。
ところが、なぜプラクティスが習律を生むか明らかにしていないで、画竜点晴を欠く。

さらにC説全面的否定説)は、変遷とは、国家機関による違憲のプラクティス領域に拘わる問題である、との限定的な変遷観を前提に、違憲事実が幾ら集積されても、それはあくまで違憲事実の積み重ねに過ぎず、その種のプラクティスが憲法典正文を破るということはあり得ない、とする。
この説の根底には、変遷を肯定するとなると恒常的に制憲権が発動される状態を容認することになって、硬性憲法典の論理からしても、その事態はありうべくもない、との見方が横たわっている。
このC説に関しては、既に [149] で指摘したように、
変遷の概念規定が狭義過ぎないか、
「違憲」事実の集積という場合、「違憲」であるとの前提は論者の思考の産物(結論の先取り)に過ぎないのではないか、
この説を徹底すれば、憲法の法源は憲法典正文のみということにならないか、
変遷は、事実の集積を問うものではなく、人々の行為(プラクティス)のもたらすものを問うのではないか、
といった疑問が残される。

[154] (六)本書は変遷を一次ルールの形成にとどまると捉える


学説の論争を前に我々はどう考えるべきか。
この点、憲法改正規定という「変更のルール」を経ていない国家行為は、いかに慣行上遵守され規則性をみせていても、厳格な意味での法的ルールではない、と考えるべきであろう。
また、司法審査権という「裁定のルール」を通過しないルールを厳格な意味での「法(【N. B. 12】参照)」と呼んだり、「法源」となると思考することにも疑問が残る。
変遷によって生ずるのは一次ルールのみである、と理解するのが正しい(一次ルールにとどまるからといって、それが、憲法政治に従事する人々に対して規範的な力を持たないという訳ではない。先にふれた習律説のいう習律とは、一次ルールを意味すると解し得る)。

一次ルールが、公権的解釈者たる司法府によって後に「これこれが一次ルールとなっている」と確認されれば、法源として取り込まれたことになる。
変遷の成立する契機として、「公権的解釈の変更という事実」が挙げられるのは、このことを表す。

【N. B. 12】法となるための属性について。
従来のイェリネックに代表される古典的な法理論は、法を実効性(efficacy)と妥当性(validity)という二つの要素からみようとした。
その際、実効性をもって、「規範に従って人々が行動すべきであるように、人々が現実に行動すること、または、法規範が現実に適用され遵守されること」をいい、妥当性をもって「規範として拘束力をもつこと」をいう、とされてきたようである。
ところが、その理論には次のような疑問が残る。
第一に、実効性について、「法規範が現実に適用されて遵守されること」の意味合いが不明である。
そもそも「遵守する」という、人のルールに従う行為を「現実(事実)」問題として説明できるか(「遵守する」という表現を選択する時点で、それは既に現実(事実)問題を超えている。ハートであれば、「現実に遵守される」とはいわないで、「遵守されているという事実があるか否か」を、外的視点から問うであろう)、もし、現実に遵守されているという命題設定が正しいとしたとしても、何ゆえに守られているのかを問うべきではないか。
第二に、法の主観説に立って、規範としての拘束力の淵源を問うに当って、主観から客観への架橋に成功していないのではないか、との疑問が残る。
さらには、第三に、これら二つの要素が如何なる関連性をもつのかを明らかにすることなく、ニ要素を列挙しているだけの如き印象を持たざるを得ない。

【表11】 憲法変遷に関する諸説
否定説    →  憲法実例は、事実の集積に過ぎない
習律説    →→  憲法実例は、習律でとまる
補充性肯定説 →→→  憲法実例は、慣習憲法となる
全面的肯定説 →→→→  憲法実例は、正文の拘束力を破る慣習憲法


■関連ページ

阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第10章 憲法(国制)の変遷


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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法   第8章 国民主権あるいは憲法制定権力    本文 p.49以下

<目次>

■1.国民主権の意義と展開


[36] (1) 問題の所在


国民主権は、我々には馴染み深い言葉である。
我々は、幼い頃から「国民が主権者だ」と教えられ、その論拠として日本国憲法の前文を見るよういわれた。
それを読んで納得してきた。
前文ばかりか、上諭、1条には「日本国民の総意に基」づいて、・・・・・・との表現があることも我々は知っている。
「総意」という表現は、あたかも国民が実在し意思をもっているかのような印象を我々に与えてきた。

そういえば、重大な政治問題の解決に迫られたとき、ある政治家(政党)は、“主権者である国民が○○を望んでいる”といい、別の政治家(政党)は、“主権者である国民が○○を許すはずはない”という。
国民が一体として存在して、何かを望んだり望まなかったりしているかのようだ。
ところが、主権者の一人であるはずの我々は、政治家たちとは全く別の◇◇という選択肢を希望していることが多い。
そのとき、我々は、“国民であるようで国民ではなく、主権者であるといわれながら主権者ではない”と、もどかしく感じるだろう。
実は、国民なるものは、実在しないのだ。
実在するのは、個々人だけである(人民が実在する、などと信じているのは、ナイーヴなルソー主義者だけだ)。
我々が薄々感じてきたもどかしさの原因はここにある。
実在しないものを実在するかのように、意思できないものが意思できているかのようにいうトリックに、もどかしさの原因があるのだ(⇒[4])。

「国民」の政治的選好は、個々人が投票する機会を与えられたとき、多数の票の中に初めて浮かび上がる。
それとて、「国民」の選択ではなく、多数者の選択に過ぎない。

「国民」が実在しない擬制であるのと同じように、「主権」も実体のない、空虚な概念ではないか?
憲法学界の泰斗が「国民主権は建前だ」と率直に述べたのは、そのためではなかったか?

“いやいや”と貴方は考え、「我々は、選挙権者として、度々投票しているではないか、これが国民主権というものだろう」と解答するかも知れない。

“ところが・・・・・・”と私は、こう反論するだろう、
《私たちが、投票し、政治的な選択を時に為すことは、「国民主権」ではなく、民主制というべきだ》、
《我々は民主制の中で統治されているからこそ、間歇的に投票するのだ》、
《投票していることについて、わざわざ実体のない「国民主権」などと大迎なことをいわないほうがいい》
と(⇒[27])。

それでも、「社会契約」のことを思い出した貴方は、“社会契約によって私たちが国家を樹立したことが「国民主権」だ”と、別の解答を見つけるかもしれない(⇒[7])。

国民主権とは、一体、何を意味するのか?
国民とは何をいうのか?
主権とは何をいうのか?
まずは、主権の意義から考えてみよう。

[37] (2) 主権の意義


我々にとって、最も馴染み深い主権といえば、国際社会における国家の対外的独立性だろう。
独立性が国の空間に表されたとき、領土・領海といわれ、この空間が他国によって侵害されたとき、《主権の侵害だ》といわれる。
これを「国家のもつ主権」と呼んで、「国家における主権」とは区別すると分かりやすいだろう。
次に、国家法人説にたったとき、国家という法人のもつ権利が“主権だ”といわれることもある。
ただし、厳密にいえば、この権利は、主権と称すべきではなく、「国家の統治権」と呼ぶほうが適切である。
「国民主権」にいう主権は、上のいずれでもない。
それは、国家(法人と捉えるかどうかに関わりなく)が有する何らかの権限を指すのではなく、国家における統治のあり方を最終的に決定する法力(権限)を指すのである。

これまで、憲法学を含む法学は、権限を分析するにあたって、ある法主体Aが他者や物を支配したり、影響を与えたりする「意思」をキー・タームとしてきた(その割には私は、「意思」の意味合いを正確に説明する論者に出くわしたことが未だかつてない)。
国民主権というタームは、すぐ後にふれるように、君主という自然人の恣意的意思の発動に取って代わるものだった。
君主というひとつの法人格を国民というひとつの法人格に代えるのだ。
そのために、“国民主権は、君主の意思に代わって、国民が意思主体となって、統治の最終的な決定を為すことだ”といわれるのである。

抽象的な観念にすぎないはずの「国民」を語るにあたって、意思なるタームが使用されてきたからこそ、「国民」は実体化され、あたかも実在して意欲するかのように扱われたのだ。
この実体化の誤りに陥らないためには、我々は、意思というタームや、“国民が主権を持つ”という言い方は、あくまで擬制にすぎないということを重々承知しなければならない。
できれば、国民に関しては、「統一的意思」「自己決定」などといった言葉を避けるべきだろう(本書は、できるだけそのように努めている)。

[37続き] (3) 主権の歴史的展開


なぜに、「主権」は、上のように多義的であるのか?
それは、「主権」が次のような歴史的な背景を背負ってきたからだ。
主権と邦訳される sovereign の概念は歴史上さまざまな変転をみせてきた。

まず、中世ヨーロッパにおいて sovereign とは、重層的統治の中で、「優越的な支配権」または「第一の高位を有する者の地位」を表した。
この用法は、いまでもイギリスに残っている。
「議会主権」という言い方がそれである。
そればかりでなく、国家法人説において、国家の統治機関の中で最高意思の決定機関をもって「主権者」というときも、同様の用法である。
例えば、“選挙人団である国民が主権者だ”という日常的にお馴染みの用法がそれである(この用法は、我々の「国民主権」の捉え方を混乱させる元凶だ、と私は考えている)。
その後、国王が、一方で、国内の封建諸侯のもつ支配権を統合し、他方で、法王からの独立を勝ち取るなかで絶対国家を成立させると、sovereign とは、国王の至上権・絶対権を表す言葉となった。
その用法を初めて示したのが、J. ボダンの『国家論』6編(1576年)である。
ボダンは「国外のあらゆるものは王を拘束しえず、・・・・・・国内のすべての権力は王からの派生物にすぎない」と説き、対外的な独立性、対内的最高性のみならず、それらの始源的性格にも言及した(「始源的」とは、伝来的ではない、それ自らが因子となっていることをいう)。
これが君主の主権は法の外に出る絶対権だとする理論である。
この君主主権を市民革命が打倒した。
その際、君主という一自然人の有する命令権としての主権に対抗するために、“市民の総体が主権者だ”という、新しい主権概念を君主勢力に叩きつけた。
この主張は、これまでの君主という一人格の意思を、国民という一人格の意思にすげ替える単純なアナロジー(※注釈:analogy 類推(作用))だった。
それでも、君主主権のもとで他律的に生活することに倦んだ当時の人々にはその新理論は新鮮で、大きなインパクトをもった。
そして、旧体制勢力を打倒した。

ここにおいて主権は、国家の対外的独立性・対内的最高性を表すものから、国家における統治権力が国民の意思に発するという概念へと変容した。
これが「国民『主権』」といわれる際の用法となる。

国民主権原理を実現した国家が、先にふれた「国民国家」であり、その後の変容も既に述べたとおりである(⇒[7]~[8])。
この国民国家は、国民の場合と同じように擬人的に捉えられ実体化されて、国家自身が対外的な意思主体だ、と理論構成された。
だからこそ、“団体としての国家は、始源的な意思力を持ち、対外的には最高・独立の意思力=主権を有している”と、今でもいわれるのである。

[38] (4) 国民主権の意義


“国民主権の意義は、フランス憲法史に見出し得る”といわれることが多い。
フランスにおける国民主権論争は、「国民」が国家統治のあり方を最終的に決定するだけでなく、恒常的に決定し続けるには何を必要とするのか、を巡って展開された。
論争があるとはいえ、その共通の出発点は、社会契約説だった。

急進的な思想家・政治家たちは、“社会契約締結の状態を、いつでも回復できる状態に置いておくこと”を望んだ。
彼らは、国家統治のあり方が代表者によって決定されたり、それが相当期間維持されたりすることを忌避した。
そのために、彼らは、身分制議会、自由委任・純粋代表制(間接民主制)、制限選挙制等に反対した。
そのための理論上の武器が「人民主権論」だった。
それは、“社会契約締結に参加した「市民=シトワイアン(正確には「公民」)」が共通目的へと結集したとき「人民=プープル」として一体的意思主体となる”という理論である。
“実在する人民が自ら政治参加し、自らが決定者となる、これを統治の原則とするときが「人民主権」だ”というわけだ(人民 peuple は、貴族に対する一般庶民または恵まれない人々という語感をもっている)。
これに対して、穏健派の思想家・政治家たちは、社会契約締結前の状態と、憲法制定後の状態とを異質にすることを望んだ。
彼らは、社会契約の理論が革命の理論と容易に結びつくことを知っていた。
そのために彼らが用意したのは、“全員が同意したかも知れない社会契約と、憲法協約とは別物だ”という理論だった。
憲法協約段階では、その制定のために特別に選出された代表からなる「憲法制定会議」の審議・決定に委ねてよく、制定後の国制の運営も純粋代表の手に委ねてよい、というわけだ。
さらに、「国民主権」原理を革命の理論から引き離すために、国民なる概念が実体化されないよう意識された。
そこで、先の「人民=プープル」とは区別して「国民=ナシオン」という言葉が用いられた。
「国民主権」の論者は、この原理と、普通選挙制、代表制、議会の構成(一院制か二院制か)等を直接関連づけなかった。

[39] (5) 憲法制定権力理論


国民主権をめぐる、「人民(プープル)主権/国民(ナシオン)主権」の違いは、制憲権の捉え方に最も特徴的に現れた。

[A]

制憲権という聞き慣れないタームに接した我々は、「制定」という言葉が用いられているため、それは「起草された憲法典について審議し決定することだろう」と理解しがちである。
ところが、憲法制定権力にいう「憲法」とは、憲法典のことではなく、先にふれた「国制」を指す(ということは、「制定」権力という訳語は誤導的なのだ。ある有名な憲法学者は、敢えて「憲法設定権力」なる言葉に拠ったところ、読者からミス・プリントだ、と指摘されたという)。

制憲権とは、国制を決定する権力をいうのだ。

国家の根本構造を意味する国制は、社会契約=全員の合意意思によって決定される。
これが、当時、強い影響力を持った理論であり、特に、市民革命にとって説得的な理論だった。
実際、アメリカ革命とフランス革命は、制憲権発動の産物だと理解された。
それは、ナマの実力の発動でもあったと同時に、規範的意味での国制の決定でもあった。

[B]

国民の意思に淵源をもつとする制憲権論を、社会契約と誤って結びつけながら、最初に実体憲法で高々と謳ったのは、マサチューセッツの憲法だった。
その前文に曰く、「政治的統一は、個人の自由意思による結合によって成立し、それは社会契約の結果であり、この契約により一定の法律に従い一般的利益に合致して統治が為される目的のもとに、人民の全体が各市民と、各市民が市民全体と契約を結ぶのである」。
ところが、その起草者J. アダムスの考えたほどには制憲権論は単純ではなかった。

[40]   [C]

フランスにあっては、制憲権は「人および市民の権利宣言」(フランス人権宣言)にその大枠が実定化され、“権利を保障し、権力分立を定める”立憲主義憲法を制定するよう求めた(⇒[20])。
その作業のために憲法制定会議が召集された。
身分制議会が憲法を制定できない点については、当時の指導者たちの間に合意があったからだ。

同会議は、制憲権の法的性質を論争した。
ある論者は、“制憲権とは実体的にも手続的にも法的制約に服さず、至上最高のものであり、いつでも発動して実定憲法をいかようにも変えることができる”と主張した。
これは、先にふれたように、社会契約の締結状態を恒常的に残しておきたい、という急進派の理論だった。
穏健派はこの見解に反対だった。
実定法を超越すると同時に、憲法をいつでも改変できるものとする実定憲法破壊的な法的性質を制憲権に与えることは、革命の火種を常に抱えるがごとき危険な理論だった。
そこで、穏健派は、こう主張した。
“制憲権は、いったん発動されて実定憲法を制定した後は、実定憲法を支える正当性の契機となる”
“改正権は「憲法によって作り出された権限」であって、「憲法を創り出す権力」とは異なる”

実際、フランス1791年憲法は、制憲権を実定憲法の正当性原理として凍結させたばかりでなく、改正権から峻別し、さらには、改正権の発動についても厳格な手続を踏むこと、および、改正内容にも限界のあることを明示したのだった。

[D]

同時代のアメリカにおいても、フランス類似の展開を示した。
革命当時は、人民主権(popular sovereignty)による憲法制定権力(constitution-making-power)の理論は、強い影響力をもった。
が、その危険な性質は次第に気づかれていった。

先にふれたように、歴史上初めて制憲権の理論に依拠したアメリカではあったが、そこでの人民主権の理論は、《すべての権力が人民に由来する》というところで立ち止まった。
経験主義的な発想を重視した憲法制定会議は、人民自らが主権を行使するわけではないこと、人民は多元的な集団から成っていることを知っていた。
合衆国憲法は、直接民主制とはならないよう、様々な工夫を施した。
例えば、大統領や上院議員の間接選挙制、二院制、そして、司法審査制もそのためだった。
さらに、公職者の一年ごとの改選、憲法改正の簡単な手続、仰々しい権利章典は意図的に避けられた。
建国の父たちが、合衆国憲法の統治体制を、わざわざ「共和制」(Republican Government)と名づけて、民主政体から区別したのはそのためだった。

[41]   [E]

制憲権の理論は、人またはその集合体の意思が権力(power)または権威(authority)を創り出す、という近代合理主義哲学の法学版だった。
それは、社会契約論の影響を受けて、“意思の発動の源が誰であるかに応じて、作り出される権力または権威に序列ができる”とする理論でもあった。
「人民の意思>憲法制定会議の意思>議会の意思」という序列である。

このことを理論として明確にしたのが、ドイツの憲法学者、C. シュミットだった。
彼は、国家の構成員であるとの政治的な自覚をもった国民が、その自覚のもとで、国家全体のあり方を決断する政治的意思を「制憲権」と呼んだ。
彼にとってその権力(※注釈:憲法制定権力)は、ナマの実力で構わなかった。
国民が意欲すれば、そこに統一的秩序と規範とが生ずる、とシュミットは謎に満ちたことを述べた。
これが、「決断主義」と呼ばれるシュミット特有の立場である。

シュミットは、国民のかような意思の所産を Verfassung (憲法、彼の場合、「憲政」と訳すべきか)と呼んだ。
この基盤の上に、個別条規の統一体たる「憲法律」(Verfassungsgesetz)が制定される。
この憲法律は、Verfassung と呼ぶに値しない条規を含むが、それらをも含めて“憲法律だ”といわしむるのは、Verfassung の力だ、というのだ。

憲法律は、特定の国家機関に、立法権、司法権・・・・・・といったように、ある権限を付与する。
憲法改正権も憲法律が付与した権限である。

上のように、シュミットは、〔政治的意思としての制憲権→憲法→憲法律→憲法律によって付与された権能(そのひとつが改正権)〕という公式を作りあげた。
これは政治的意思が階梯的な規範を作り上げていくことをいいたかったのだ(この公式は、憲法改正の限界問題に対してひとつの解答を与えるだろう。この点については、後の[46]でふれる)。
この理論は、意思の発動手続だけに注目して形式的効力の軽重を語ってきたドイツ公法学(いわゆる法実証主義)のなかでは、異彩を放った。


■2.日本国憲法における国民主権


[42] (1) 古典的学説


上にみたように、国民主権を正確に理解することは、我々の予想を裏切るほど困難である。
学説も、次のように多岐に分かれ、主権論争を繰り返してきたのも、むべなるかな、といわざるを得ない。

[A] 最高機関意思説


日本国憲法制定当時は、なお国家法人説が支配的だった。
この見解によれば、国家の諸機関のうち、優越的な政治的決定権を有している機関が「主権者だ」と捉えられた。
この把握の仕方が、先の[37]でふれた「最高機関意思説」だ。
この立場からすれば、日本国憲法のもとでの主権者は、“機関としての国民(選挙人団)だ”となる。
この見方は、我々の常識にもなっていて、疑問を寄せ付けないところがある。
ところが、この説には、次のような難点が残されている。

今日の多くの憲法学者は、国家法人説に批判的なはずである。
というのも、国家法人説は、“国民でもなく、君主でもなく、国家自体が主権を有する団体だ”といいながら、当時忍び寄ってきた国民主権論を否定するイデオロギーだったからだ(⇒[4]をみよ)。
それは、国家主権の万能性を説いてきた。
万能の国家の中で国民が有するといわれる「主権」は、厳密にいえば、統治権の一部ではないか?
選挙人団の範囲と資格は、公職選挙法という法律によって定められる。
法律によって決定された人的範囲・資格をもって、“憲法上の主権者だ”ということは、法律から憲法(国制)を理解するという本末転倒の論理ではないか?
“主権者は選挙人団だ”と考えるとすれば、国民のなかに主権者と主権者ならざる者とが存在することになるが、それでよいか?
日本国憲法41条が「国会は、国権の最高機関」としている文理と抵触しないか?

主権とは、国家統治の源泉を問う概念だった。
にもかかわらず、“国民が主権者だ”との言い方は、憲法典によって権限配分が示された後の統治過程、すなわち、選挙において表示された意思に解答を求めている。
これは、統治の根源を問う主権と、統治の民主化を表す選挙人団とを混同した解答である。
この解答が正答ではないことは、次のような国家を例に考えればすぐに分かるだろう。

【統治権の総攬者は君主であると明文規定をもつ君主主権国家において、選挙人団が普通平等選挙制のもとで議会の構成員を定期的に選出している】。

国家法人説のもとで“国民が主権者だ”といわれるとき、国民がどのような権力を有していればその名に値するのだろうか?
何年かに一度行われる選挙で我々が投票できることで「主権者」は満足すべきなのだろうか?
私には到底満足できない。

[B] 制憲権説


先の[39]~[40]でフランスやアメリカでの革命時の理論を紹介した。
それによれば、“国民主権にいう主権とは、国家統治のあり方を最終的に決定する意思力”を指した。
それが既に検討した制憲権のことだ。

我が国の通説は、国民主権における主権とは制憲権を指す、と解している。
もっとも、制憲権の法的性質の理解の仕方となると、学説は様々な対立を示してくる。

ある立場は、“制憲権とは法外的な政治的決断・意思の発動であって、規範とは無関係だ”という前提に出ながらも、その理論の危険性を看て取って、“日本国憲法の場合、主権者である国民が憲法典をつくりあげるさい、「よき社会」の形成発展のために自然権保障型を中心部分とする立憲主義的憲法典を選択したのだ”という。
国家の自己拘束ならぬ、「国民の自己拘束説」である。
この説に対しては、制憲権の理論は近代立憲主義思想(社会契約論=規範の理論)とともに誕生したという歴史的な展開を軽視しているのではないか、との疑問が生じてくる。
さらにまた、日本国憲法制定にあたって、主権者が自己拘束したことが論証されているわけでもない。
日本国憲法の諸規定から後知恵によって“主権者が自己拘束した証左だ”といっているようにも見える。
制憲権論争は、主権者意思の発動前に、その権力を拘束する法力が内臓されているかどうかを問うはずのものである。
自己拘束説の不十分さは火を見るより明らかだ。
自己拘束説と対照的なのが、“制憲権は根本規範による授権によって根拠づけられた法的な力だ”とする見解である。
これを「権限説」と称することにしよう。
なぜ、「権限」かといえば、“始源的な規範である根本規範によって授権され枠づけられた法力だ”とみられているからだ。
もっとも、根本規範が「根本」である理由はどこにあるのか、何をもって根本規範とするのか、日本国憲法における根本規範は何であるのか、権限説には謎が多すぎる。
根本規範説に近い立場が、“制憲権は、個人の尊厳または人格不可侵の原則によって規範的拘束を受けている”とする見解である。
この説が「個人の尊厳」「人格不可侵」というとき、どうも、人間のあるべき本性(nature)が念頭に置かれているようだ。
日本版自然法・自然権論だろう、と私はこの説を診断している。
この説は、自然権思想を受容している論者以外には説得力をもつことはないだろう。

[43] (2) 制憲権と日本国憲法の構造


実定憲法である日本国憲法の解釈問題を離れて、制憲権の法的性質ばかりを論争することは、有意義ではない。
そのことに気づいた学説は、制憲権の法的性質と日本国憲法の構造との関連性を問い始めた。

(※注釈:
<1>)
ある学説は、実定憲法から制憲権の法的性質に接近して、こういった。
“制憲権は、本質的には権力(意思力)であり、超実定的な性質をもつが、実定憲法制定と同時に実定憲法の中に凍結され、正当性の契機となったのだ”
これを「正当性契機説」と呼ぶことにしよう。
この説は、
制憲権が革命の理論であること、
国民主権がイデオロギーに過ぎないこと、
を知っている。
実体として存在しない「国民」が主権者であるはずはなく、統治する者は常に少数で、統治されるのが「国民である我々だ」とこの説は見抜いている。
この論者の目は覚めている。曇りがない。
ところが、覚めた立場は、冷めた目で批判されるのが常である。
批判者は、“市民が血を流して勝ち取った国民主権という概念が空虚だとか、イデオロギーに過ぎないだとか、あろうはずがない”と、正当性契機説の空虚さを突くのである。
(※注釈:
<2>)
国民主権を無内容としないためには、そしてまた、日本国憲法の解釈と直接の関連性なし、などとクールに割り切らないためには、どうすべきか?
正当性の契機にとどめることなく、権力的契機をも制憲権にもたせて、“その権力(※注釈:憲法制定権力)は、実定憲法制定について、一定のヴェクトルを示している”と語ることだ。
ある論者は、そう解するにあたって、
権力的契機を示す場合の制憲権の主体が選挙人団
正当性の契機を示す場合の制憲権の主体は全国民だ、
と、その担い手に変化をもたせる。
これは、一見巧みな解釈技法にみえる見解ではあるが、国家創設後に国法上に登場する概念である選挙人団を唐突に登場させるところで、破綻してしまっている。
(※注釈:
<3>)
別の論者は、主体云々よりも、制憲権が実定憲法(日本国憲法)の構成原理を指し示している点に留意している。
この論者は、
(ア) 民意をできる限り反映する「民主的」統治メカニズムを備えること、すなわち、選挙人となりうる人的範囲が最大であること、
(イ) 選挙人の意思が反映されるよう統治制度が整備されること、
(ウ) 選挙人の意思が自由に反映されるために、統治者批判が自由であること、
といった要素を挙げている。
ところが、上の(ア)~(イ)は、「国民主権」によって必然的に要請されるものではない。
先の[27]でふれたように、これらは、《統治される国民が統治者に対して有効なコントロールを及ぼすための要素》である。
“統治のあり方を最終的に決定する力を国民が持っている”という命題と、“日本国憲法には、国民が統治者を定期的に交替させる装置が組み込まれている”という命題とは、必然的関連性はないと私は考えている。
実定憲法に用意されている民主的なチャネルは、社会契約でもなければ、その擬似物でもない。
(※注釈:
<4>)
先の[38]でふれたように、社会契約の思想を実定憲法制定後も生かし続けたい、と考える人々もいるだろう。
それに賛同する論者が直接民主制原則に立つ国民主権を唱えるのであれば、その論旨は一貫したものとなる。
「自同性」を満たす統治構造でなければならない、というわけだ。
ところが、実定憲法制定後も、“制憲権は権力的契機を持ち続けている”といいながら、民選議会、参政権、公的言論の自由等の保障で妥協する論者も多い。
民選議会、普通平等選挙制(選挙人資格の拡大)等の要素を満たす統治構造は「半代表制」と呼ばれることがある。
半代表制については、[64]において代表制を論ずる際にふれるが、大いに曖昧な概念にとどまっている。

[43a] (3) 制憲権論から解放された理論を


憲法典上要請される構成原理または統治構造は、あくまで、制定後の憲法典から理解すべきものであり、我々はそこでとどまって憲法解釈に従事すればいいだろう。
制憲権理論は、自然状態から抜け出る際の国制決定の力を「主権」と呼ぶ、実に特殊な場面へと主権概念を限定する思考である。
これに対して、私たちが「国民主権」と聞いてイメージするのは、実定憲法のもとで展開されている、日常的な統治において、誰が(どの機関が)最終的決定権をもっているか、という視点のはずである。
このイメージは、先の[42]でふれた「最高機関意思説」にいいたいところである。

国家法人説の臭いのする「最高機関意思説」に共鳴できないとすれば、「国民主権といわれてきたものは、デモクラティックな統治過程において、国民が何を為し得るか」という見方のことだ、と割り切るとよい。
こう割り切ると、《国民主権とは国政選挙において示された国民(有権者)の多数意思に従って統治される政治体制だ》となろう(⇒[27])。
日常的な統治、または、実定憲法の構成原理を検討するにあたっては、制憲権論は不要である

それでも国民主権はあくまで建前であり、理念にとどまる。
“国民主権原理を採用する実定憲法であれば、その構成原理としてこれこれの要素が選択されるはずだ”と予見することはできない。
“国民の意思が規範を生ぜしめる”という国民主権の理論には、私は合点がいかない。
私には、国民を擬人化したうえで、国民の意思が規範を生むと考えることは、二重の誤りをおかす理論にみえる(⇒[37])。

“法人格の意思が、ネガのかたちで存在している規範をポジにするのだ”という法実証主義を信奉する論者であって初めて、国民主権の理論は受容されるはずだ。
それにしても、法学の基本的タームである「意思」を正面から論じないまま、“意思が規範を生む”などという命題を繰り返してきた法学を、哲学者はどう評価するだろうか?


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


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阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第七章 国民主権と憲法制定権力
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   ▼第9章 憲法の改正
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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法   第9章 憲法の改正    本文 p.62以下

<目次>

■1.改正条項の必要性


[44] (1) 軟性憲法回避の理由


T. ジェファソン(1743~1826年)は、 “死者は生存者に対して一切権利を持ってはならない。憲法も世代ごとに - 具体的には19年ごとに - 検討し直し改正されていかなければならない”と述べた。これに対して、
J. マディソン(1751~1836年)は “毎年代わっていく世代をどこで区切るか容易なことではなく、ある年限をもって憲法が変更されると予め分かっていれば憲法への支持は弱まるだろう。法律と憲法とは性質が異なるのだ”と回答した。
ジェファソンが正しいのか、それとも、マディソンが正しいのか?
視点を換えていえば、軟性憲法が望ましいのか、それとも、硬性憲法が望ましいのか?

ある世代が憲法を制定して、“この憲法は我等の子孫を永遠に拘束する”と決定してしまうことは、一世代の傲慢な選択だろう。
ある時点での決定が永久に妥当する、という命題自体妥当ではない。
そればかりか、時代とともに世論は変化するだけでなく、制定時には予想もしない事態が生ずることは必定である。
こう考えたとき、「ジェファソンが正しい」と感じられるだろう。

ところが、国家の根本構造を定めているはずの憲法が法律と同じ重みしか持たない、というのも納得のいかない考え方だろう。
マディソンは、そこを考えたようだ。
「マディソンが正しい」というためには、“法律と憲法とは性質が異なるのだ”という論拠が説得的でなければならない。

[44続き] (2) 憲法典の重み


“憲法は法律とは重みが違う”、この命題を説得的に述べてみせたのが、先にふれたシュミットだった(⇒[41])。
《憲法典は始源的な意思の所産であるのに対して、法律制定権は憲法典上の権限にとどまる》というわけである。
「始源的な意思の所産」という意思主義を好まない人のなかには、こういう者もある。
《憲法は、我々の歴史を一種の物語として我々が共有し、これを基調としながら後世代に伝えていくための法文書である》。

「歴史という物語を語り継ぐ」、ああ、何と麗しいことか!
これを聞いた我々は、思わず「そうなんだ!」と頷いてしまいそうになる。
が、「我々の歴史」という共通項がどこにあろうか。
それがあるとしても、「物語」とは一体何なのか?
意思主義に負けないくらいミステリアスだ。

H. ケルゼンならこういうだろう。
《憲法と法律とでは、根本規範からの授権の距離が違う》。
この解答は、意思主義ではないものの、シュミットと同じように、階梯的規範構造を持ち出したものだ。

かように解答の仕方が複数があるとはいえ、“マディソンが正しい”といわざるを得ないだろう。


■2.改正の意義と限界


[45] (1) 憲法の改正


そこで、憲法典は、憲法(国制)上の社会的・政治的プラクティスの変化に対応させるべく、憲法(の一部)またはその条規に変更(削除、追加等)を加える手続を、法律の場合よりも厳格にしたうえで、組み込んでおくのが通例である。
これを「硬性憲法」と称することは、先の [10] でふれた。

憲法の定める正式の手続に従いながら、改正権者の明示的意思によって、憲法(の一部)またはその条規に変更(削除、追加等)を加えることを、「憲法の改正」という。

憲法全体の変更(全部改正)も改正といえるか、それとも、改正とは憲法中の個別的条規につき、削除、修正、追加または増補するという部分的変更(部分改正)をいうのか?
この論争が「改正限界説/改正無限界説」の一面である。
“改正とは、全部改正を含まない”などと、同じ「改正」という言葉を使いながら定義を絞り込んで限界説にでる論理は、筋が悪い。
アメリカの州の憲法の中には、全部改正を revision、一部改正を amendment と使い分けるものがある(たとえば、カリフォルニア州。同州では、“amendment”とは「憲法規定の目的をよりよく実現するために特定の憲法規定を数行付加または変更すること」を、“revision”とは「憲法規定に対する包括的な変更」、「基本的な統治の設計の大幅な変更」をいう、とされている。そのうえで、「改正」手続に違いをもたせている。これは、全部改正も改正の一種であるという前提に立っているのだ)。

我が国の通説は、“改正とは全部改正を含まない”と考えている。
もとの憲法の内容との「同一性」を保持する変更だけが「改正」であり、
「全部改正」は新たな憲法典の制定だ、
というのである。
では、「同一性」はいかにして判断されるのか?
その基準となるのが、憲法典の基礎にある constitution である。
この憲法をこの憲法として統一性をもって成立させている契機は、constitution にあるのだ。

[46] (2) 憲法改正の限界


上のように論じてくると、憲法論争としてお馴染みの「憲法改正に限界ありや」という問について、既に解答が出たようなものだ。
が、実は、その問に対する解答の仕方は、もう少し複雑なのだ。
複雑だ、というのは、改正権の法的性質を分析して初めて正答に至るからだ。

改正権の法的性質の見方には、複数ある。
見方の違いの根底には、“改正権は制憲権と如何なる関係にあるのか”という捉え方の違いが流れている。
改正権は、超法的な、事実の力としての制憲権と同質であるという理解がある。
これに拠れば、改正権には限界がないことになろう。
これに対して、シュミットのように〔制憲権→憲法→憲法律→憲法律上の権能〕という階梯的公式を採用するとなると、改正権は「憲法律上の権能」にとどまることになり、限界が現れる。
この階梯的見方は重要である。
上の階梯的公式のもとで「憲法制定」と「憲法改正」(すなわち、個々の憲法律的規定の修正)といわれる場合、前者の「憲法」とは「全体決定としての憲法」を指し、後者の「憲法」とは「憲法律」を指し、質的に異なることに留意されなければならない。
この立場によれば、改正規定はその母胎たる憲法からの派生物にとどまり、従って、“憲法律上の改正権でもって、全体としての憲法(国制)を変更できない”との結論に至る。

我が国の通説は、シュミットに倣って、改正権をもって、「法制度化された制憲権」と表現している。
「法制度化されている」という意味は、
それが発動されるためには、憲法典の改正手続規定に従わなければならないこと(手続的な制度化)、
事実の万能の力ではなく、規範的に統制された権限であること(実体的な制度化)
にあるのだろう。
この通説によるとき、いわゆる「改正限界説」以外の選択肢はない。
ところが、この改正限界説にいう実体的限界が、
改正権の母胎である制憲権自体の限界づけから必然的に出てくるものなのか、
それとも、憲法典上の権能としての改正権であることから出てくるものなのか、
そのロジックは曖昧である。
《改正権は法制度化された制憲権だ。だから、改正権には限界がある》というロジックを首尾一貫させるためには、《事実の力としての万能の制憲権が、憲法典上の権能となった(法制度化された)ために、その法的性質を激変させたのだ》と説くことだろう。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


■用語集、関連ページ


阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第八章 憲法の保障と憲法の変動

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   ▼第10章 憲法(国制)の変遷
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阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法   第10章 憲法(国制)の変遷    本文 p.66以下

<目次>

■1.憲法変遷の意義と変遷の要件


[47] (1) 憲法変遷の意義


成文憲法をもつ国家において、ある国家機関のプラクティス(反復継続される定型的行態)不文の実質的憲法を生み出すことを、憲法の変遷という。
「憲法の変遷」にいう「憲法」とは、憲法典のことではない。

第9章でふれた憲法の改正が、 憲法に明文化された改正手続に従って、改正権者が幾つかの選択肢のなかから新しいルールを選び出す顕示的行為であるのに対して、
憲法変遷は、 国家機関が特定のプラクティスに従事していると、新しいルールが国制のなかに次第に生まれ出てくることをいう(新しいルールの法的性質については、すぐ後の[50]でふれる)。

実定憲法は、国家機関の統治活動を統制するために存在するにも拘わらず、そしてまた、実定憲法の内容が簡単に変更されないよう硬性憲法とされることも多いにも拘わらず、“憲法変遷が生ずる”と論じて良いものだろうか?
この疑問に解答するためには、人のプラクティスがどのような条件を満たしたとき、“法となるか”という法哲学的な課題をまずクリアしなければならない。
変遷論を本格的に唱えたといわれるG. イェリネックは、この課題を次のように考えた。

法は、実効性(efficacy)と妥当性(validity)というふたつの要素からなる。
実効性とは「現に、ある規範が適用され遵守されていること」をいい、妥当性とは「規範として拘束力をもつこと」をいう。
実効性は、人々の継続反復する活動(プラクティス)のなかに現れ、そのパターンが人々の心理のなかに定着したとき、妥当性が生まれる(この考え方は、“慣習が人々の法的確信に支えられたとき、慣習法となる”と説明されるのと、よく似ている)。
あるプラクティスが、妥当性をもつに至ったとき、それは法となる。

以上が、“事実の反復継続が規範を生む”という、いわゆる「事実の規範力説」である。

[48] (2) 変遷の成立場面


変遷の例を一、二挙げれば、変遷論の説くところが理解しやすくなろう。
例1:  ある憲法典が「君主は、議会を一年に一度召集する」と規定しているとしよう。
この明文規定にもかかわらず、統治に無関心な君主(または議会嫌いの君主)が、長年にわたって召集しなかった。
そこで、業を煮やした議員たちは、期日を決めて自主的に議会に集合しえ活動し始め、今日に至っている。
このプラクティスは、上の規定を凌駕する効力を持っている。
例2:  ある憲法典は、内閣を国家機関のひとつであると定めておきながら、内閣における意思決定方法については何も規定していないとしよう。
長年の閣議のなかで、“内閣が意思決定するためには、閣僚の全員一致を要し、そのことを確認するために閣僚の署名を要する”とされてきた。
現在の内閣の構成員も、その慣行に拘束されるべきものと考えて、それに実際に従っている。
この慣行は、閣議の議事ルールとして効力をもっており、憲法典の空白部分を補充している。

上の例1は、憲法典正文に意味の変化をもたらす変遷であり、例2は、憲法正文に欠ける部分を補充する変遷である。

我が国憲法学者の相当数は、9条と自衛隊との関係を念頭において、“憲法典の正文にもかかわらず、国家機関がそれに違反するプラクティスを為すとき、変遷は成立するか”という問の立て方をしている。
この問題設定は正しくない(その設定自体に“憲法正文である9条を破る変遷などあってはならない”という結論が私には透けてみえる)。

変遷論は、違憲事実の反復継続の場面だけに限って説かれているわけでもなければ、憲法典正文の意味変化だけを念頭に置いているわけでもないのだ。

憲法変遷には、
(ア) 憲法典正文の意味を補充・発展させるもの、
(イ) 憲法典の欠缺部分を埋めるもの、
(ウ) 憲法典の正文を凌駕するもの、
がある。

また、その成立の契機としては、
(a) 憲法典正文についての公権的解釈の変更、
(b) 国家機関による特定事実の反復、
(c) 国家機関による特定権能の相当期間の不行使
等が考えられる。


■2.憲法変遷の法的性質


[49] (1) 後法は前法を破る?


変遷論が提唱された時代は、法実証主義の時代だった。
法実証主義によれば、憲法典は改正手続の加重された法形式である点だけに特徴をもつ。
法主体による意思の発動形式(手続)に着眼する法実証主義にとって、法形式の中に効力の軽重があると論ずることはもともと背理だったのだ。

そうなると、国家機関が憲法の予定せざる意思の発動形式を反復継続的に示していれば、その形式に着目して「それも法だ」という結論となる。
ここでは、ふたつの形式 - 憲法の予定していたものと予定せざるもの - が並存するわけだが、その競合関係は、「後法は前法を破る」という法の一般原則によって解決される。
憲法変遷論は、かような法実証主義の考えに従って提唱されたのである。

ところが、法実証主義の衰退した今、それも、憲法保障の具体的方策として形式的効力についてであれ最高法規性を憲法典中に宣明し、なおかつ、違憲審査制までをも導入してきた今日、上のごとき捉え方が従来と同じように成立することはないだろう。
なるほど、憲法の法源(*注1)には、不文のものも当然に存在するとはいえ([10]をみよ)、“ある国家行為の反復継続が最高法規である憲法典の条文と同じ地位を獲得する”と軽々に承認することは出来ない。
かといって、数世代前に制定された憲法典のすべての条規が、その後の経済・政治・文化等々の変化から超然として、そのままのかたちで妥当する、ということも前世代の専制である。
“その専制を避けるために改正規定があるのではないか”という反論も勿論あるだろう。
が、憲法変遷は、憲法を支える事実が徐々に徐々に変化するからこそ、生ずるのだ。
変遷は、改正権者が明示的な選択をしないところに生ずる、といってもよい。

(*注1)法源について
法源とは、①法を法たらしめる論拠は何か、②何が法とされているか、を知る手掛かり、つまり、如何なるかたちで法が存在しているか、を指す。
本文でいう「法源」とは②の意味である。
この場合の「法源」には、「成文/不文」「法律/命令」といった区別がある。

[50] (2) 学説の対立


我が国の学説は、憲法変遷の法的性質をどのようにみているのか。
学説は次のような3つの対立を示している。

第一は、 “ある国家機関が一定の活動を反復継続し、さらに国民の法的(規範的)確信がそれを支えるに至ったとき、その部分について変遷が成立する”とみる立場である。
この説にいう「成立する」とは、“実効性と妥当性が獲得されて憲法成文を凌駕することもある”ということを指している。
これは、イェリネックさながらの全面的肯定説である。
ところが、この説に対しては、
(ア) 改正権者の顕示的な選択よりも慣行の法力を優先させてよいか(何のための成文・成典・硬性憲法だったのか)、
(イ) 慣行が人々の確信を通して法となるという思考は正しいか、
(ウ) 憲法変遷論は、関係国家機関の法的確信を論じているはずで、「国民の確信」をここで持ち出すことは筋違いではないか、
等、疑問は絶えることがない。
第二は、 “国家機関によるプラクティスは習律(convention)を作る”とする見解である。
これは、「限定的否定説または習律説」と呼ばれることがある。
この説にいう「習律」とは、統治に携わる人々が義務的なものとして受け入れる行為規範ではあるものの、裁判所による裁定の論拠とはならないものをいう。
これを「法以前 pre-legal のルール」と表現する論者もいる。
この説によれば、変遷は国家機関を拘束する規範的力を生むが、憲法典の正文を破る法力までは持ち得ない。
なぜなら、法以前のルールが、明文の法的ルールを破るほどの妥当性をもつことはあり得ないからである。
この習律説は、変遷の問題領域を的確に捉えているばかりでなく、憲法と憲法典との区別を意識しつつ憲法の法源には不文のものもあることを指摘している点で、正当である。
第三は、 変遷とは、国家機関による違憲のプラクティス領域にかかわる問題であるとの限定的な変遷観を前提に、“違憲事実が幾ら集積されても、それはあくまで違憲事実の積み重ねに過ぎず、その種のプラクティスが憲法典正文を破るということはあり得ない”、とする見解である。
全面的否定説」と呼ばれることがある。
この説の根底には、変遷を肯定するとなると恒常的に制憲権が発動される状態を容認することになって、硬性憲法典の論理からしても、その事態はあり得べくもない、との見方が横たわっている。
政治的な事実の集積と法とは別種のはずだ、というわけだろう。
この説に対しては、
(a) 変遷の概念が限定的過ぎる、
(b) 「違憲」事実の集積という場合、「違憲」であるとの評価は論者による結論の先取りに過ぎない、
(c) この説を徹底すれば、憲法の法源は憲法典正文のみということになる、
といった疑問が残る。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


■用語集、関連ページ


阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第八章 憲法の保障と憲法の変動

■要約・解説・研究ノート


■ご意見、情報提供

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◆5.保守主義の見解


保守主義の憲法学者としては百地章氏などが有名だが残念ながら体系的な著作が存在しない。
中川八洋氏は憲法学者ではないが、政治思想の把握が確りしており、「右の全体主義(右翼イデオロギー)」に陥らない真っ当な保守主義的憲法論を展開しているため以下にその「国民主権」論を表記する。(⇒なお、中川氏の憲法論全体は、中川八洋『国民の憲法改正』抜粋 を参照)

◇1.中川八洋

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<目次>


中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.129以下


第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する - 根絶すべきフランス革命の教理


フランス革命とは、・・・人民の政府でもなければ、人民による政府でもなく、・・・国民から絶対的に独立した地位に自らを置いた、国民の代表者を僭称する革命家たちの、「主権の簒奪」であった。(アーレント)

第四章 「国民主権」は暴政・革命に至る - 「デモクラシーの制限と抑制」こそ憲法原理


◇第一節 英米憲法は、なぜ「国民主権」を完全に排撃したか


日本の憲法学では、授業でも教科書でも、米国憲法を事実上、全く触れない。避ける。
東京大学法学部ですら然りである。
この理由は明確で、米国憲法に言及した瞬間、日本の憲法学者の九割が虚偽とプロパガンダの常習者、つまり詐欺師と分かってしまうからである。
日本における憲法学者のほとんどは、人格的にも病いに冒されている。

例えば、米国憲法には「国民主権」などというものは匂いほども存在しない。
そんなものは積極的に排斥され否定されている。
とくに、米国は、その憲法制定によって「立憲主義(constitutionalism)」を憲法原理としたから、いかなる権力も制限される。
このため、「制限されない権力」の意である「主権」は、当然に憲法違反であり、完全に排撃される。
「立憲主義」と「国民主権」は水と油で両立しないから、米国は前者を採用して後者を追放した。
日本の憲法学者が「立憲主義」を是とし、「国民主権」を称賛しているのは分裂症的思考である。

バジョットは、米国憲法の起草者たちは「何処にも主権を置かないようにしたのである。それは、主権によって暴政が生じることを恐れたからである」と、米国憲法を正しく観察している(※注1:ウォルター・バジョット『英国憲政論』、中央公論社「世界の名著」第72巻、246頁)。
ハンナ・アーレントも次のように述べている。
「政治それ自体における偉大な、そして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして、人間事象の領域においては主権と暴政とは同一のものであると洞察したこと」(※注2:ハンナ・アーレント『革命について』、ちくま学芸文庫、239頁)

統治に関する「主権」の廃止は、英国本国のコーク以来の伝統であって、「アメリカ的革新」ではない。
また「主権」と“暴政”の同一視も、英国の常識であって、「米国の発明」とはいえない。
このような小さなミスをしているけれど、アーレントは米国憲法の核心を正確に把握している。
ノーベル経済学賞受賞の政治哲学者ハイエクは、次のように「国民主権」のことを「迷信」という。
その通りであって、政府の統治を受けている被治者を「主権者」などとは、酔っ払いの寝言か戯言かであろう。
あるいは、迷信とか妄念上の幻覚としか言いようがない。
「主権が何処にあるかと問われるなら、何処にもない・・・・・・というのがその答えである。立憲政治は(権力が)制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はあり得ない。・・・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、・・・・・・・迷信である(※注3:F. A. ハイエク『法と立法と自由』、『ハイエク全集』第10巻、春秋社、171頁)」

統治において「主権」を排除するのは、自由にとって最高の憲法原理である。
「法の支配」の下で憲法を成長させてきた英国においても同様である。
英国の「法の支配」の原理にあっては、ブラクトンの法諺のとおり、“法”は神よりも国王よりも上位にあって神や国王を支配するから、神や国王ですら主権者になり得ない。
かくして、「何にも支配されない権力」という意味である「主権」は、英国では“法”に支配される国王にすら適用されなかった。

むろん、英国にも、ボーダンの『国家論六書』(1576年)などによって、「主権」というフランス生まれの思想が上陸していたから、16世紀末からのイギリス国王も「主権」に並々ならぬ関心を寄せるし、その周辺の臣下のなかには国王に阿諛すべく「国王主権」を言い出すものは少なくなかった。
だが、ちょうどこの17世紀の初頭、英国は幸運なことに「法の支配」を死守せんとするエドワード・コーク卿というコモン・ローの大法曹家が存在していた。
そして、不敬罪で牢に繋がれることを恐れず、「国王主権」論を断固排撃した。

例えば、1608年10月、国王ジェームスⅠ世に向って、コークは直接ブラクトンの法諺「国王は、すべての臣民の上にあるが、“法”の下にある」を持ち出し諌言している(※注4:『コーク判例集12』、原著、63~5頁)。
また、チャールスⅠ世時代の1628年の「権利請願」(Petition of Right)の草案に貴族院が「国王主権」の文字を挿入したとき、当時たまたま下院議員になっていたコーク卿は「主権は国会の用語ではない」と、ばっさりと削ってしまった(※注5:W. Holdworth, A History of English Law, Vol. 5, p.451)。
現代風の表現では、「主権は憲法に背反する」である。

今日に至るも、英国に、憲法を含め国家の統治関係に「国民主権」という概念が全く存在しないのは、コークに代表される「法の支配」を守らんとした多くの英国の法曹家と政治家の汗の結晶による。
かくして、英国には、ブラックストーンの「“法”主権」や、ダイシーの『憲法序説』で日本でも有名になった「国会主権(※注6:中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、116~8頁)」の概念はあっても、「国民主権」も「人民主権」も存在しないのである。

英米の憲法が“正統な憲法”として世界的にもそのモデルになっている事実については、日本でも広く知られている。
この点からでも「国民主権」が存在しないか、否定されているのが“正しい憲法”であるのは自明であろう。
つまり、「国民主権」を美化し神格化している日本の憲法学の教科書はすべて、“狂った憲法学”である。
しかも、この狂気は度が過ぎ、オウム真理教よりも遥かに酷い。

米国社会から排除された“アメリカのはぐれ者”たちの巣窟であったGHQ民政局では、日本国憲法を書くに当たってスターリン憲法やワイマール憲法を参考にしたように、彼らは通常の“米国人”ではなかった。
そのことは、非英米的な「国民主権」が前文や第一条にあることですぐ分かる。
彼らは「英米の憲法が正統」であることに耐えられない、“アメリカの異分子”たちであった。

話を戻して、米国憲法が「国民主権」を排しているのは、米国がイギリス17世紀の法思想で建国されたからである。
独立戦争(1775~83年)とは、この17世紀という百年ほど昔の英国の法思想で武装したアメリカ植民地に住む“古い英国人”と、議会が強くなりすぎた18世紀後半の英本国に住む“新しい英国人”との闘いであった。

また、建国当時のアメリカのエリートたちとは主として大農園主であるが、コークの『英国法提要』とこのコークを継ぐブラックストーンの『イギリス法釈義』を座右の書とする、高い教養人であった。
コークとブラックストーンこそは「法の支配」の法曹家であるが、それらを血肉としたアメリカ「建国の父たち」は、主としてこの両名の法思想を学び、そこから「立憲主義」とか、「(立法に対する)司法審査」とかを「発明」した。

19世紀において、英本国では、「ベンサム→オースティン」らの命令法学に汚染され、「法の支配」が衰退していった。
しかし、米国は17世紀初頭のコークの思想を頑固に19世紀末までは継承し続けた。
20世紀に入って米国でも「法の支配」は衰退したが、しかし「国民主権」などという、暴力とテロルを生んだ革命フランスの、国民を暴君に仕立てあげてこの凶暴な暴君に自分たちの自由を侵害させる狂気のドグマは、全く芽すら出ることなく今日に至っている。
「国民主権」という言葉は、米国では今でも火星語のようなもので誰も理解できない。

一方、英国とは、マグナ・カルタに代表される中世封建時代からのコモン・ローと、それと不可分の関係にある自由擁護の憲法原理「“法”の支配」とを死守すべく、フランスから流入する「主権」思想を撃退するために血を流した歴史を持つ国家である。
革命フランスに宣戦し、22年戦争(1793~1815年)を戦ったのである。
英国にとって「国民主権」は、英国に上陸してはならない、根を張ってはならない、有害な教理として合意され現在に至っている。

「国民主権」が米国に存在もせず米国人の関心の対象にもならなかったことは、米国にルソーやその他のフランス啓蒙哲学(モンテスキュー1名のみ例外)がさっぱり流入しなかったことに通じている。
あるいは、米国の建国から数ヶ月後に発生した革命フランスの革命思想も簡単に排除され流入しなかったこととも関係していよう。
英国ではエドマンド・バークを先頭にして国を挙げて革命フランスの革命思想の流入の阻止に血眼にならざるを得なかったが、米国にはそんな苦労は全くなかった。

英米憲法の思想は、革命フランスの思想とは水と油のごとく対立的である。
共通する所がどこにもない。
フランスが、フランス革命の思想こそが“本当の憲法”を蹂躙すると悟って、英国系の憲法思想の正しさにやっと気づいたのは、1875年の第三共和国憲法からであった。
つまり、1789年から1875年までの86年間とは、フランスにとって無意味で有害な反憲法のドグマに熱狂した「狂愚の86年間」であった。
そして、このフランス第三共和国憲法が米国憲法(1788年)に似たものであることは、米国に遅れること87年もかかってフランスがようやく米国の足下に及んだということである。

話を米国憲法に戻せば、そこに「国民主権」がはっきりと不在になっているのは、憲法起草者が一致して民衆(demos)というものに「潜在的専制者(potential tyrant)」を透視し警戒したからである。
育ちも教養も高い君主ですら「専制君主」になると恐れるならば、その逆の、育ちも悪く教養もない民衆は主権を与えられれば直ちに“暴君”になるだろうことは、「米国の建国の父たち」にとって自明であった。
民衆が多数を恃(たの)んでその意志を強制力に転換したならば、それは必ず国民の自由を侵害するものになるのは、自明であった。
「建国の父」の一人で、米国憲法の起草者の一人でもあったマディソンは、この「多数者の専制」を次のように恐れている。
「民主政治(popular government、民選政府)の下で多数者が一つの党派を構成するときは、党派が、公共の善と他の市民の権利のいずれをも、その圧倒的な感情や利益の犠牲とすることが可能になる(※注7:A. ハミルトンほか『ザ・フェデラリスト』、福村出版、46頁)」

このようにデモクラシーへの警戒感は、“人間というものへの不信”という、正しい人間観を、アメリカの「建国の父」たちが持っていたからであった。
フランスの啓蒙哲学者や革命屋たちは、あろうことか、政治過程での人間が善性であり得ると逆さに妄想した。
マディソンの、次のような主張こそが不変の真理であろう。
「そもそも政府とはいったい何なのであろうか。それこそ、人間性に対する最大の不信の現れでなくして何であろう。万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としない(※注7:前掲『ザ・フェデラリスト』、254頁)」

「建国の父たち」の筆頭アレグザンダ・ハミルトンも、デイビット・ヒュームの影響もあるが、「全ての人間はごろつき(a knave)と見なすべきである」と、政治家が持つべき正しき人間観を持っていた。
ニューヨーク邦での米国憲法批准会議で、ハミルトンは次のように演説した。
「純粋デモクラシーは、歴史を紐解けば、これほどの政治における偽りは他に類をみない。古代デモクラシーでは市民(国民)自身が議会に参加するが決して良き政府をもったことがない。その性格は専制的であり、その姿は奇形である(※注8:Selected Writings and Speeches of Alexander Hamilton, AEI, p.207)」(1788年6月21日)

国民の自由の擁護は、民衆の政治参加を警戒し、その代表者の議会に対してすらさらに警戒し、デモクラシーを制限する「制度」をつくることであるが、これが「建国の父たち」の一致した意見であった。
マディソンは、民衆が選出した代議士たちの議会(立法府)に対して、この議会が国家権力を簒奪しないかとも恐れた。
「・・・・・・この立法部(国会)に対してこそ、冒険的な野心をもつことがないように、人民はその一切の猜疑心を注ぎ、警戒をおさおさ怠りないようにしなければならない(※注9:前掲『ザ・フェデラリスト』、242頁)」

実際に革命フランスでは、「議会」が権力を簒奪して、国民を好き放題にギロチンその他で殺害するに至った。
ジャコバン党独裁下の「国民公会」は、単なる“殺人許可書を発行する村役場”であった。
フランス革命は、米国憲法のあとに発生したが、またラファイエット侯爵のようなワシントン・マニアックもいたのに、米国憲法の思想から何かを学ぼうとした形跡が全くない。
日本の憲法学者のほぼ全ては、米国憲法の解説書『ザ・フェデラリスト』をその教科書でまともに取り上げていないが、それはフランス革命の凶暴なジャコバン・テロリストと日本の憲法学者とが「兄弟」だからである。


◇第二節 「フランス革命の教理」を“憲法原理”だと詐言する学者たち


日本の憲法学者の多くは、一種の詐話師である。
いかに言論の自由があるとはいえ、何らかの刑法上の犯罪になるのではないかと思うほど、彼らが書き散らした教科書は嘘とトリックだらけである。
「国民主権」一つを例としよう。
英米憲法はそれを拒絶している。
現代フランスの第五共和国憲法(1958年)は“蝉の抜け殻”のようにその形骸を残してはいるが、憲法として何かの意味を持たせているわけではない。
つまり、フランスは、「国民主権」を実態上は死刑に処しているが、その屍を埋めたあとに立派な墓をたててあげた。
それが第五共和国憲法の第三条に当たる。

ところが、日本の憲法学は、プリンセス天功のマジック・ショーも顔負けに、まず現実の自由社会の世界地図から英国も米国も現代フランスも、主要三ヶ国を消してしまう。
次に、歴史の彼方にとっくの昔に葬られたほずの、1789年から1794年にかけての血塗られた革命フランスを「現在」に存在する、「世界に存在する唯一の憲法先進国である」という“大幻想”のスクリーンを映し出す。
杉原泰雄の『国民主権の研究』や辻村みよ子の『フランス革命の憲法原理』などは、彼らが1789年から1794年のジャコバン・テロリストになりきっており、彼らの思考も時間もこの18世紀末のフランスに止まっている、そして、この18世紀が、「20世紀後半である」「21世紀である」とのマジックに専念している。
彼らの本は、読むたびにゴースト・タウンの光景か、お化け屋敷が浮かんでくる。
異様な本である。
なお、フランス革命のフランスに憲法原理など全く存在しないから、『フランス革命の憲法原理』との、辻村の著作タイトルは、悪徳不動産屋の誇大広告と同じ虚偽広告に当たる。

なぜ日本の憲法学者の九割がこれほどまでに虚偽と欺瞞に狂奔するのであろうか。
理由の第一は、彼らはマルクス・レーニン主義者であり、日本を何としても社会主義化したい、共産主義国にしたいという執念にのみ生きている宗教信者であるからだろう。
そして、革命を排除する智恵が憲法の魂に沿っていなくてはならないのに、革命に誘導する革命の教理を、あろうことか憲法学だと詐言的に転倒する。
宮沢俊義、長谷川正安、杉原泰雄、小林直樹、横田耕一、渡辺浩、樋口陽一、辻村みよ子ら、名をあげると数十名にも及ぶ。

英米憲法を全面的に消してこの地球上には存在しないことにした「情報操作(トリック)の達人」辻村みよ子とは、フランス人権宣言(1789年)や1793年ジャコバン憲法に関して荒唐無稽かつ出鱈目なプロパガンダ(嘘宣伝)を平然となす人物でもある。
前述したその作品『フランス革命の憲法原理』で、辻村の嘘は「はしがき」の冒頭一行目から始まる。
そこでは「(フランス革命200年目にあたる今年)フランスをはじめ世界の国々で、大革命の偉業を讃え、その意義を考える記念行事・・・・・・(※注1:辻村みよ子『フランス革命の憲法原理』、日本評論社、i頁、ii頁)」、としているからだ。
だが実際には、フランスにおいてすらフランス革命離れは決定的である。
フランス政府は、革命記念日行事その他を今では可能な限りロー・キー化している。
フランスは、東欧の解放(1989年11月)とソ連邦の崩壊(1991年12月)をもって、フランス革命記念日の安楽死を模索している。
世界のどこにもフランス革命の「偉業を讃え」る、そんな国は実態としては一ヶ国もない。
辻村の虚偽記述は病気である。

さらに、人権宣言やジャコバン憲法についての、細々とした“屍体解剖”的な研究は散見されるが、「フランス憲法学界の最近の傾向、すなわち1789年宣言の憲法規範性を認め、・・・・・・(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)」などという研究動向は、ゴミほどのもので無視すべきレベルである。
人権宣言はフランス国家全体を宗教団体に改造する宣言で、“モーゼの十戎”などをモデルとしたカルト宗教の戒律もしくは呪文の性格をもつことは、今では定説であろう。
かくも憲法から程遠いものが、どうして「憲法規範性」を持ち得るというのだろうか。

辻村の言説が麻原彰晃のそれに重なるのは、辻村が殺人鬼ロベスピエールの崇拝者であることだけではない、
「近代市民憲法原理ないし近代立憲主義の基本原理を確立したのは、人権宣言かジャコバン憲法か、あるいは1791年憲法かジャコバン憲法か」などと言ったり、それが「<新しい問題>である」など、と述べているからである(※注1:前掲『フランス革命の憲法原理』、i頁、ii頁)。
「立憲主義」とは、「立憲君主」という概念でも簡単に分かるように、憲法に従っって如何なる権力も制限されることを指すから、「国民主権」という「主権」が高らかに謳いあげられた革命フランスに全く存在しなかったのは明々白々ではないか。

例えば、ジャコバン憲法は制定されたが施行されなかった。
そればかりか、この憲法に定められていない、“無法組織”たる公安委員会と革命裁判所をもって独裁とフランス国民の大量虐殺が実行された。
「立憲主義」とは対極的な“憲法破壊主義”がジャコバンの本性であった。
だから、自由、生命、財産への大々的な侵害という蛮行が実行されたのである。
フランスが米国生まれの「立憲主義」を初めて理解したのは、約百年後の1875年であった。

しかも、「フランス人権宣言」こそが、“憲法破壊主義”を牽引し正当化した。
その第三条が「国民主権」を定めたからである。
この「国民主権」によって、人間を無制限に殺戮したいという、国民の一部の“意志”が絶対化され神化されたからである。
これが大規模テロルに至った主要な理由の一つである。
このように、「国民主権」が反・憲法原理であることは、このフランス革命史が百パーセント以上に証明している。
「立憲主義」を史上初めて創造したアメリカの「建国の父たち」が、「国民主権」とそれに類する思想すべてを排撃したが、彼らが如何に優れた賢者であったかはこれだけでも充分に判明する。

樋口陽一は、東京大学教授として最も強い悪影響と深い傷跡とを日本に遺した憲法学者である。
この樋口もまた、時間がフランス革命でとまり、事実上、それから現在に至る二百年間の歴史が抹殺されている。
また、場所もパリに限って、英米を含めて世界各国の憲法を決して鳥瞰しようとしない。
ときたまタイム・マシーンに乗って、ホッブズとルソーを狂信する「ヒットラーの芸者学者」のカール・シュミット(ナチ党員)の所にお伺いに出かけるぐらいである。
これが樋口陽一の憲法学の全てである。
“知の貧困”もここまでくると絶句するほかない。

具体例を挙げる。
樋口陽一の主著『憲法Ⅰ』(※注2:樋口陽一『憲法Ⅰ』、青林書院)は、英国憲法は全面無視し歪曲する。
米国憲法は完全拒絶する、オランダ、ベルギー、北欧の立憲君主国憲法はないことに処理し、現代フランスの憲法は隠す、……。
マジック・ショーのトリック以外の記述が全くないという奇本、それが樋口著『憲法Ⅰ』である。
別の表現をすれば、憲法としてはとっくの昔に死んで白骨と化している革命フランスのそれと、カルト宗教の経典であったフランス人権宣言だけでもって、腐った枯れ枝を集めたような樋口流「憲法理論」を創る。

まずその第Ⅰ部では、主に「立憲主義」を取り上げる(第一章第三節、第四章その他)。
ところがそこでは、米国の「立憲主義」には全く言及しない。
「立憲主義」を全面破壊したい“反・立憲主義者”である樋口にとって、その内容について実質的に一行も言及しないことによって自分の狙う目的を果している。
しかし「立憲主義に言及しないとは何だ!」の批判を回避すべく「立憲主義」という四文字のみは選挙宣伝カーの連呼の如く書き散らす手法をとっている。

次に、近代憲法の基本構造が「主権」と「人権」だとする(第二章第一節)。
ここでも、樋口は卑劣なほどのトリックで論述していく。
なぜなら、そのタイトルは一般的な「近代憲法の基本構造」としているのに、実際には、「身分制秩序を否定する国家=国民主権原理によって、人権主体としての個人が成立した」(28頁)などと、革命フランスのみに限定してその「憲法」なるものを記述しているだけだからである。
羊頭狗肉である。
また、この第一節のタイトルを「主権と人権 - その近代性」としているのは、革命フランスのみに特殊であった「(国民、人民)主権」と「人権」が、当時の欧米に一般的にも存在し「近代的」であったかのように学生が誤解するよう誘導するためである。

近代の英米憲法には、「国民(人民)主権」も存在しない。
「人権」も存在しない。
が、この事実については樋口は一文字も書いていない。
英米憲法について正しく記述すれば、「人権」が近代とは無関係であるのが一瞬にしてバレるからである。
それを避けるための詐術としての「抹殺」である。
次に、ここまで米国憲法を抹殺するのは極端で拙いと思ったのか米国に言及する所がある。
が、この事実については樋口は一文字も書いていない。米国憲法とは何の関係もない、1835年のトクヴィルの作品を出して誤魔化すのである(30頁)。

英国については、17世紀の“主権潰し”のコークなどには一言も言及せず、それから200年以上もたった19世紀のダイシーの『憲法序説』のさわりにちょっと触れてオシマイにする(25頁)。
全体を通してみると、結局、革命フランスの部分だけで「全世界の憲法と近代以降2~400年間の全ての憲法の話をした」ことにしている。
レトリックというより、低級な詐言としか形容できない。

「立憲主義」に話を戻せば、ここまで真っ赤な嘘を吐ける人間がこの世にいるのかと、ただ驚愕するしかない。
例えば、樋口は次のように、出鱈目も度が過ぎた虚偽定義をするからである。
「近代立憲主義は、人権主体としての個人の尊厳という究極的価値を前提にして、権利保障と権力分立をその内容とする」(22頁)

「立憲主義」は、統治機構内の如何なる権力も憲法に従って制限されるという、1788年の米国憲法を嚆矢とするアメリカ的な憲法原理である。
が、決してこれには触れない。
また、マディソンらの「建国の父たち」が起草した米国憲法には「人権」は匂いすらなく、「個人の尊厳」もない。
当然、「権利の保障」とも無関係である。
いったい、「人権主体としての個人の尊厳」と「立憲主義」とがどう関係すると言うのだろう。
まるで、「フランスのケーキは我が日本国の伝統文化の象徴である」などと同じ言辞であり、酔っ払いでもこれほどの酔言は吐かない。
そして、米国憲法から100年も後の、しかも米国でない、19世紀ドイツの「立憲主義」などのマイナーな話にすり替えていく(22~3頁)。

次のような、もう一つの虚偽定義も全く意味不明である。
なぜなら、「立憲主義」は、「国民主権」や「絶対君主」を排撃するものであるが、単なる「個人」を対象としないからである。
樋口の「強い個人」の意味ははっきりしないけれど、それが“個々(アトム)主義”の「個人」を指すのであれば、ルソーの『人間不平等起源論』から生まれた「平等」と表裏一体をなす概念である。
つまり、樋口はフランス啓蒙思想をもって、水と油の関係にあるコーク系列の「立憲主義」とが混じり合えるという、マジック・ショー的にこの一文を書いている。
「近代立憲主義を想定する個人は、ひとことでいえば、強い個人である」(33頁)

樋口陽一の「憲法学」は“憲法学”ではない。
「法の支配」など、自由を擁護する憲法原理を完全に無視するか、歪曲している。
ひたすらフランス革命を日本に起こすことのみに執念を燃やす扇動のパンフレットになっている。
アジビラである。

附記
読売憲法試案(2004年5月3日)は、樋口陽一や辻村みよ子の直系の、大量虐殺者ロベスピエールと同じイデオロギーというか、共産革命のロジックというか、それが冒頭に展開されている。
「日本国憲法は、日本国の主権者であり、……」が、前文の最初に書かれているからである。
その意は、日本人は「一億二千六百万分の一の絶対君主」になったとでも言いたいのだろうか。
しかも、一般に日本人のほぼすべては被治者であるからこの主権者に絶対的な服従を強いられる「一人の奴隷」になったとの宣言である。
そればかりか、わざわざ「第一章 国民主権」を新しく設け、それを現第一章「天皇」の直前にもってきている。
天皇は、「主権者」たる国民の下にある、と言いたいのである。
あのルイ16世の処刑の直前の血塗られた革命フランスを模倣している。
読売憲法試案より、現GHQ憲法の方が日本国にとって何十倍もましである。



■4.(要約)「国民主権」をどう考えるか


まず「国民主権」および「憲法制定権力」という用語の辞書的定義を確認する。

こくみんしゅけん
【国民主権】
popular sovereignty
<日本語版ブリタニカ>
主権は国民にある、とする憲法原理。
国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が国民にあるとし、国民主権と全く同じ意味で、人民主権ということもあるが、後者には限定された特殊な用法もある。
君主主権に相対する。
日本国憲法前文1段および1条は、国民主権に立脚することを明らかにしている。
もっとも、国民主権の具体的意味の理解については一様ではなく、大別して、
(1) 国民主権とは、国家の意志力を構成する最高の機関意思が国民にあることを意味し、それは憲法によって定まる、と解する説(※注:最高機関意思説)と、
(2) 国民が憲法の制定者であることを意味する、とする説(憲法制定権力説)とに分れる。
基本的には、(2)後者の立場に立つ場合であっても、さらに、
(2)-a 主権者たる国民は、観念的統一体としての国民で、主権がそのような国民にある、ということを意味する、というように解する説(※注:ナシオン主権説)と、
(2)-b 主権の権力的契機を重視し、主権は個々の人民が分有し、人民自らがそれを行使するところに本質がある、とする人民主権説(※注:プープル主権説)とに分れる。
けんぽうせいていけんりょく
【憲法制定権力】
pouvoir constituant;
Die verfassungsgebende
(※注:constituent power)
<日本語版ブリタニカ>
憲法を創出する権力であって、憲法はもちろん、如何なる実定法によっても拘束されない超法規的・実体的な根源的権力
既存の憲法を前提とし、それによって設けられるもの、とは区別される。
しかし、憲法制定の手続が実定法に拘束されるかどうかは、意見の分かれるところである。
国民主権を建前とする近代国家における憲法制定権力は、国民自身である。
この発想は、シェイエスの『第三身分とは何か』にみえ、国民憲法制定権力の主体とする革命憲法制定の理論的主柱として、絶大な影響を及ぼした。
20世紀になり、C. シュミットは、この観念を用い、①憲法改正手続のもつ合法性に、②国家形態を変更する主権者の正当性を対置した。

※「主権」に関するその他の多様な用語については下記参照
関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等

前述のとおり、芦部信喜説(左翼=通説)及び、佐藤幸治説(中間派=有力説)は、「国民主権」「憲法制定権力」と解釈している。
ここで留意すべきは、その「憲法制定権力」にいう「憲法」が、①実質憲法(国制)を指すのか、それとも、②形式憲法(憲法典)を指すのか、である。

けんぽう
【憲法】
constitution
<日本語版ブリタニカ>
憲法の語には、(1)およそ法ないし掟の意味と、(2)国の根本秩序に関する法規範の意味、の2義があり、
聖徳太子の「十七条憲法」は(1)前者の例であるが、今日一般には(2)後者の意味で用いられる。
(2)後者の意味での憲法は、凡そ国家のあるところに存在するが(実質憲法)、
近代国家の登場とともにかかる法規範を1つの法典(憲法典)として制定することが一般的となり(形式憲法)、
しかもフランス人権宣言16条に謳われているように、①国民の権利を保障し、②権力分立制を定める憲法のみを憲法と観念する傾向が生まれた(近代的意味の憲法)。
<1> 17世紀以降この近代的憲法原理の確立過程は政治闘争の歴史であった。
憲法の制定・変革という重大な憲法現象が政治そのものである。
比較的安定した憲法体制にあっても、①社会的諸勢力の利害や、②階級の対立は、
[1]重大な憲法解釈の対立とともに、[2]政治的・イデオロギー的対立を必然的に伴っている。
従って、 (a) 憲法は政治の基本的ルールを定めるものであるとともに、
(b) 社会的諸勢力の経済的・政治的・イデオロギー的闘争によって維持・発展・変革されていく、
・・・という二重の構造を持っている。
<2> 憲法の改正が、通常の立法手続でできるか否かにより、軟性憲法と硬性憲法との区別が生まれるが、今日ではほとんどが硬性憲法である。
近代的意味での成文の硬性憲法は、 国の法規範創設の最終的源である(授権規範性)とともに、
法規範創設を内容的に枠づける(制限規範性)という特性を持ち、かつ
一国の法規範秩序の中で最高の形式的効力を持つ(最高法規性)。
日本国憲法98条1項は、憲法の③最高法規性を明記するが、日本国憲法が硬性憲法である(96条参照)以上当然の帰結である。
今日、③最高法規性を確保するため、何らかの形で違憲審査制を導入する国が増えてきている。
なお、憲法は、
①制定の権威の所在如何により、欽定・民定・協約・条約(国約)憲法の区別が、
②歴史的内容により、ブルジョア憲法と社会主義憲法、あるいは、近代憲法(自由権中心の憲法)と現代憲法(社会権を導入するに至った憲法)といった区別がなされる。
なお、下位規範による憲法規範の簒奪を防止し、憲法の最高法規性を確保することを、憲法の保障という。
   (⇒憲法の変動、⇒成文憲法、⇒不文憲法)

実は、芦部『憲法(第五版)』佐藤『憲法(第三版)』は、
憲法論の最初(憲法概念論)で、 「憲法(constitution)」という概念には、①実質的意味の憲法(国制)と、②形式的意味の憲法(憲法典)の区別があり、両者を混同してはいけないことを明記しておきながら、
肝心の国民主権論の段では、 「国民主権」=「憲法制定権力(制憲権)」の指す「憲法」が①なのか②なのか、が曖昧にしか説明されていない。
(しかし、文脈から見て芦部・佐藤両説とも、憲法制定権力の「憲法」として、①実質憲法(国制)を想定していることが読み取れる)

ここで、常識的な国民の政治への関わり方を考察すると
<1> 我々の世代の国民が、選挙などを通じて決定しているのは、あくまで「国政(national policy)」であって、その中の最も大きな決定事項として、「憲法典(constitutional code=②形式憲法)」の制定・改廃も含まれるが、
<2> その一方で、「国制(constitutional law=①実質憲法)」すなわち、国家の継続的なあり方に関しては、我々の世代だけの「決定事項」とするのは、おそらく僭越に過ぎると思われる。

こうした政治感覚からすれば、
日本国憲法に「国民主権」という規定があり、それが具体的には、国民の「憲法制定権力(制憲権)」を指すとしても、その「憲法」とは、芦部説や佐藤説が暗示するような、①実質憲法(国制)ではなくて、あくまで②形式憲法(憲法典)に留まる、
すなわち、特定の世代の国民が決定できるのは、②形式憲法(憲法典)迄であって、①実質憲法(国制)自体は、幾世代にも渡って次第次第に形成されてきたもので一時の政治的決定によって任意に改廃できる類のものではない

と結論づけるのが妥当である。
(=このように、①実質憲法(国制)を、特定世代の意思によって「制定・改廃」可能なものとしてではなく、あくまで幾世代にも渡る人々の営為の中から「自生(自然に成長)」するものと見る立場を、法の支配という)

芦部信喜説のように、「国民主権」=「憲法制定権力(制憲権)」とし、かつ、その対象たる「憲法」は、①実質憲法(国制)を指す、とする憲法理論とは、要するに「国民主権」の貫徹=「天皇制打倒」という《革命の成就》(彼らのいう「八月革命」の完遂)を密かなアジェンダに掲げた宮沢俊義以来の戦後憲法学(及び丸山政治学)の悪しき遺物なのである。(※なお、佐藤幸治説(京大系憲法学)は八月革命説を肯定しているわけではないが、結論から見れば芦部説と同様である)



■5.関連ページ


「法の支配」と国民主権 「法の支配(rule of law)」とは何か
立憲主義 立憲主義とは何か
関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等
阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第七章 国民主権と憲法制定権力
阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力


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最終更新:2020年04月06日 15:21