右派・右翼とは何か

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すなわち、「進歩を計画」するよりも、進歩にとって有利な諸条件を創り出すことのほうがもっと重要であるという点を、認識しなくてはならないのだ。・・・各個人のための自由を確保する政策だけが、本当の意味で進歩的な唯一の政策であるという指導原理は、十九世紀においてそうであったのと同様に、二十世紀の今日においても依然として正しいのである。
~ F.A.ハイエク『隷従への道』(1944年)の結び

右派(the Right)・右翼(right wing)のまとめページ

<目次>


■1.このページの目的


右派・右翼について、概念的な整理を行います。


■2.右派・右翼とは何か


◆辞書による説明1:「右派」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(rightの項)より全文翻訳
保守的な政治思想(conservative political thought)に結びついた政治的帯域(political spectrum)の一角。
この言葉は、保守的な代表達が、議長席の右側に陣取った1790年代のフランス革命時の議会の座席配置に由来する。
19世紀には、 この言葉は、①権威(authority)、②伝統(tradition)、③所有(property)を擁護する保守主義者に対して用いられた。
20世紀には、 ファシズム(fascism)に結びついた、④逸脱した急進的な形態(a divergent, radical form)が勃興した。
左派(left)を見よ。
(2) オックスフォード英語事典(rightの項)より抜粋翻訳
(しばしば the Right)保守的な見解(conservative views)を好み、資本主義の原則(capitalist principles)を擁護する集団や政党。
(3) コウビルド英語事典(rightの項)より全文翻訳
資本主義と保守主義の政治的理念を支持する人々を右派(the right)という。
彼らは、しばしば左派(the left)つまり社会主義の政治的理念を支持する人々と対比される。

◆辞書による説明2:「右翼」


(1) オックスフォード英語事典(right-wingの項)より抜粋翻訳
<1> 政治思想または政治制度の中で、保守的(conservative)または反動的(reactionary)な部分。
[起源はフランスの国民議会(1789-91)を参照。そこでは貴族達(the nobles)は議長の右側に座り、平民(the commons)は左側に座った。]
<2> サッカー・ラグビー・ホッケーの競技場でチームの右側をいう。
軍隊の右サイドのこと。
(2) コウビルド英語事典(right-wingの項)より全文翻訳
<1> 右翼の人または集団は、保守的(conservative)または資本主義的(capitalist)な見識を保持している。
<2> ある政党の右翼は、最も保守的または最も資本主義的な見解を持つメンバーによって構成されている。

◆(要約)右派には4種類ある


※要約すると、右派には次の4種類がある。(ブリタニカ百科事典(rightの項)のピンク色部分、コウビルド英語事典(right-wingの項)参照)
内容 キーワード
極右 ファシズム(fascism)即ち、逸脱した急進的な形態(a divergent, radical form) ①全体主義、②ファシズム、③国民(国家)社会主義、④ジンゴイズム
右翼 権威主義(authritalianism)即ち、権威(authority)を擁護する立場 ①権威主義、②ナショナリズム、③パトリオティズム
保守 保守主義(conservatism)即ち、伝統(tradition)を擁護する立場 ①保守主義、②E.バーク
リベラル右派 資本主義(capitalism)即ち、所有(property)を擁護する立場 ①資本主義、②自由主義、③F.A.ハイエク、④K.R.ポパー


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※政治的スタンス5分類・8分類について詳しくは 政治の基礎知識 参照。

※なお、保守・右翼・極右の区別については、下の基準も参照。
内容 関連ページ
保守 国内外の全体主義(共産主義・社会主義・リベラリズムなどの集産主義)の脅威から自由を守る(=自由主義 保守主義とは何か
リベラリズムと自由主義
右翼 他国・他国民の侵略的ナショナリズムの脅威から自国・自国民を守る(=解放的ナショナリズム 右翼・左翼の歴史
極右 他国・他国民に対して侵略的ナショナリズムを発動している段階。
なお極右と極左は紙一重の双生児であり、極左も当然侵略的ナショナリズムを発動している段階である。
ナショナリズムとは何か


■3.極右(ultra-right)とは何か


◆辞書による説明1:「全体主義」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(totalitarianismの項)より全文翻訳
市民生活の全領域を国家の権威の下に置く政府の形態(Form of government)であって、唯一のカリスマ的な指導者を究極的な権威とするもの。
この言葉は1920年代初期にベニト・ムッソリーニによって鋳造されたが、全体主義は全歴史・全世界を通して存在してきた(例えば支那の秦王朝)。
全体主義は既成の全ての政治機構や全ての古い法的・社会的伝統を、通常高度に重点的な国家の必要に合致する新しいものに取り替える点で、独裁制(dictatorship)や権威主義(authoritarianism)と区別される。
大規模で組織的な暴力が合法化され得る。警察は法や規則の制約なしに活動する。国家目標の追求はこの様な政府の唯一の思想的基礎である一方で、そうした目標の追行過程は決して一般に知らされない。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)はこの主題の標準的著作である。
(2) オックスフォード英語事典(totaritarianの項)より抜粋翻訳
<1> 中央集権的で独裁的であり、国家に対する完全な服従を要求する政治システムに関するもの。
<2> 全体主義的な政治システムを唱導する人物
(3) コウビルド英語事典(totalitarianの項)より全文翻訳
<1> 全体主義的政治システムとは、唯一の政党が全てをコントロールし一切の反対党を許さないものである。
<2> 全体主義者とは、全体主義的政治理念あるいはシステムを支持する人物である。

◆辞書による説明2:「ファシズム」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(fascismの項)より全文翻訳
国家の栄光と至高性を強調する政治的思想であり、①指導者への絶対的な服従、②国家的権威に対する個人的意思の従属、③反対意見に対する過酷な抑圧、を内容とする。
軍事的な美徳が賞賛される一方で、自由と民主的な諸価値は軽蔑される。
ファシズムは1920年代から30年代にかけて勃興した。それは部分的には伸張する労働者階級の勢力を恐れたからである。ファシズムは同時代の共産主義(ヨシフ・スターリンの下で実行されたもの)とは、①企業と土地所有エリートの保全、②階級制の温存、という点で相違している。
イタリア(1922-43)、ドイツ(1933-45)、スペイン(1939-75)のファシスト政府の指導者達-ベニト・ムッソリーニ、アドルフ・ヒトラー、フランシスコ・フランコ-は各々の民衆にとって、①力強さと、②彼らの国々を政治的・経済的カオスから救出するために必要な解決策の具現者として思い描かれた。
日本のファシスト達(193-45)は日本精神の独自性への信仰を助成し、国家への服従と個人の犠牲を教授した。
全体主義、ネオ・ファシズムを見よ。
(2) オックスフォード英語事典(fascismの項)より抜粋翻訳
<1> 権威主義的で国民主義的な右翼的政治体制および社会的有機体。
<2> (一般的には)極端に右翼的で権威主義的、または不寛容な見識や、その実践。
ファシズムという言葉は最初、イタリアのムッソリーニの全体主義的な右翼・国民主義的体制(1923-43)に対して使用された。ドイツのナチスやスペインのフランコの体制もファシズムである。
ファシズムは以下の信条を含意する傾向がある。即ち、①一つの国民的または民族的な集団の至高性、②デモクラシーの軽視、③強力な指導者への服従の強要、④強烈に大衆扇動的なアプローチ。
(3) コウビルド英語事典(fascismの項)より全文翻訳
ファシズムは右翼的政治信条であり、それは、①社会と経済の国家による強力な管理、②軍事力の強い役割、③政治的反対の停止、を含意している。

◆辞書による説明3:「国民社会主義(ナチズム)」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(national socialism/Nazismの項)より全文翻訳
ドイツのナチ党(1920-45)党首アドルフ・ヒトラーに指導された全体主義運動。
そのルーツは、プロシア軍国主義と規律、そして神話的な過去を祝福し、全てのルールや法を超越する超人的個人の権利を主張するドイツ・ロマン主義の伝統にある。
そのイデオロギーは、ドイツの人種的優越性と共産主義の危険性についてのヒトラーの信念によって形作られた。
それは自由主義・民主制・法の支配・人間の諸権利(人権)を拒絶し、個人の国家への従属と指導者への厳格な服従の必要とを強調する。
それは個人や“人種”の不平等、そして強者が弱者を支配する権利を強調する。
政治的には国民社会主義は、①再軍備、②欧州でのドイツ人地域の再統一、③ドイツ人以外の領域への拡大、④“望ましくない者達”特にユダヤ人の追放、を押し進めた。
ファシズムを見よ。
(2) オックスフォード英語事典(national socialismの項)より抜粋翻訳
(歴史的に)ドイツのナチ党の政治的信条。

◆辞書による説明4:「国家社会主義」


(1) オックスフォード英語事典(state socialismの項)より抜粋翻訳
国家が産業とサービスを管理する政治体制。(= etatism)

◆辞書による説明5:「国家統制主義」


(1) オックスフォード英語事典(statismの項)より抜粋翻訳
国家が社会的・経済的事項について実質的に中央集権的な管理を保持する政治的体制。

◆辞書による説明6:「ジンゴイズム」(好戦的愛国主義、偏狭的優越主義)


(1) オックスフォード英語事典(jingoismの項)より抜粋翻訳
ジンゴイズムとは自己の国家(country)の優秀性(superiority)に関する強烈で理由のない信条である。
(2) コウビルド英語事典(jingoismの項)より全文翻訳
(主として軽蔑的に)極端な愛国心、特に攻撃的(aggressive)で好戦的(warlike)な外交政策の形をとるもの


■4.右翼(right-wing)とは何か


◆辞書による説明1:「権威主義」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(authoritarianismの項)より全文翻訳
権威への無制限の服従の原理であって、個人の思想や行動の自由に反するもの。
政治的システムとしての権威主義は反民主的(anti-democratic)であり、政治的権力は被統治者に対して何ら憲法上の責務を負わない単一の指導者または少数エリートに集中される。
権威主義的政府は通常、①指針となるイデオロギーを欠くこと、②社会的機構に幾らかの複数性を許容すること、③国民的な目標の追求に全人口を投入する権力を欠いていること、④相対的に予測可能な制限の範囲で権力を行使すること、から全体主義とは区別される。
絶対主義(Absolutism)、独裁制(Dictatorship)を参照せよ。
(2) オックスフォード英語事典(authoritarianの項)より抜粋翻訳
<1> 個人の自由を犠牲にして、権威に対する厳格な服従を志向し強制すること
<2> 他人の意思や意見への関心が欠けていることを示すこと。独断的な。
<3> 権威主義的な人物
(3) コウビルド英語事典(authoritarianの項)より全文翻訳
<1> 貴方が、ある人物や組織が権威主義であると描写する場合、貴方は、彼らが人々が自身で物事を決定することを許容せず全てのことをコンロトールすることに批判的であることを意味する。
<2> オーソリタリアンとは権威主義的な人物である。

◆辞書による説明2:「ナショナリズム」(国民主義、民族主義、国家主義など文脈に応じて様々に訳し分ける)


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(nationalismの項)より全文翻訳
自己のnation(アイデンティティを共有する人々の集合)またはcountry(地理的な意味での国家)に対する忠誠(loyalty)と献身(devotion)であり、特に他の人々の集合や個人的な利害への忠実さを上回るもの。
国民国家(nation-state)の時代以前は、ほとんど全ての人々の忠誠先は彼らの直近の地域や宗教的集団だった。
巨大な中央集権国家の登場は地方的権威を弱体化させ、日々進行する社会の世俗化は宗教的集団に対する忠誠を弱体化させた。しかしながら人々に共有される宗教は-共通の民族性・政治的遺産・歴史と共に-人々を国民主義運動(nationalist movement)へと誘い入れる要因の一つとなった。
18世紀から19世紀初めにかけての欧州の初期の国民主義運動は自由主義的(liberal)で国際的(internationalist)なものだった。しかしそれは次第に頑迷(conservative:「保守的」の意味もあるがここでは「頑迷」の意味ととる)で偏狭(parochial)なものとなっていった。
ナショナリズムは第一次世界大戦・第二次世界大戦そして近代におけるその他の多数の戦争を引き起こした主要因と考えられている。
20世紀のアフリカとアジアでは民族主義運動(nationalist movements)はしばしば植民地主義(colonialism 植民地支配)に対する反対(抵抗)を引き起こした。
ソ連邦の崩壊後、東欧と旧ソ連邦の各共和国の強烈な民族主義的感情(nationalist sentiments)は、旧ユーゴスラビア地域におけるような民族的紛争(ethnic conflict)の要因となった。
(2) オックスフォード英語事典(nationalismの項)より抜粋翻訳
<1> 愛国的な感情・原理・尽力(patriotic feeling, principle, or efforts)
<2> 他の国々(country)に対する優越性(superiority)という感情によって特徴づけられた極端な形の愛国心(an extreme form of patriotism)
<3> 特定の国家(country)の政治的独立の主張(advocacy)
(3) コウビルド英語事典(nationalismの項)より全文翻訳
<1> ナショナリズムとは自分達は歴史的にまたは文化的に、ある国家(country)の中で特定の分離された集団であると感じる人々の、政治的独立への渇望(desire for political independence)である。
<2> ある個人の自己のnationに対する巨大な愛情をナショナリズムと呼ぶことが可能である。
ある特定のnationは他の全てのnationより優秀であるという信条と、このナショナリズムはしばしば関連付けられるが、こうしたケースは、しばしば(話者の)不承認(不快感 disapproval)を表現するために用いられる(=jingoism 偏狭的優越主義)

◆辞書による説明3:「パトリオティズム」(愛国心、郷土愛)


(1) オックスフォード英語事典(patriotismの項)より抜粋翻訳
愛国的であること。自己の国家(country)に対する精力的な擁護(vigorous support)のこと。
(2) コウビルド英語事典(patriotismの項)より全文翻訳
パトリオティズムとは自己の国家(country)に対する愛情(love)であり、献身(loyalty)である。


■5.保守(conservative)とは何か


◆辞書による説明1:「保守主義」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(conservatismの項)より全文翻訳
歴史的に発展し、それゆえに継続性と安定性の明証である制度(institutions)と慣行(practices)への愛好を表す政治的態度またはイデオロギー
保守主義は近代においてフランス革命に対するリアクションとしてエドマンド・バークの著作を通じて最初に表明された。バークはフランス革命は、その理想が、その行き過ぎによって汚された(tarnished)と信じていた。
保守主義者は、変化の遂行は最小限(minimal)で漸進的(gradual)であるべきだと信じている。彼らは歴史を愛好し、理想的(idealistic)であるよりは現実的(realistic)である。
著名な保守主義政党として、英国の保守党、ドイツのキリスト教民主同盟、アメリカの共和党、日本の自由民主党がある。
(2) オックスフォード英語事典(conservativeの項)より抜粋翻訳
(政治的文脈において)自由企業・私的所有・社会に関する保守的な理念を愛好すること
(3) コウビルド英語事典(conservatismの項)より全文翻訳
<1> 保守主義とは、変化が社会にとって為されることが必要とされる場合において、それは漸進的(gradual)に為されるべきだと信じる政治的哲学である。
<2> 保守主義とは、変化や新しいアイディアを受け入れることを嫌がることである。

◆辞書による説明2:「E.バーク」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(Burke, Edmundの項)より全文翻訳
(1729年1月12日?、アイルランド・ダブリンで誕生 - 1797年7月9日、英国バッキンガム州ベコンスフィールドで死去)。英国の議会人であり演説家、政治思想家。
法律家の息子である彼は法律を学んだが、興味を失って父と疎遠となり、暫くの間英国とフランスを放浪して過ごした。
彼が1757-58年に出版した幾つかのエッセーは、デニス・ディドロ、イマヌエル・カント、ゴットホルド・レッシングの関心を惹き、彼は世界出来事年鑑の調査・編集に雇われた(1758-88)。
彼は、ホイッグ党指導者の秘書として政治に参入し(1765年)、そして間もなく議会と君主のどちらが執行権を握るかという論争に巻き込まれた。
彼は、君主の今以上の活動的な役割を再主張するジョージ三世の努力は憲法の精神に違反する、と論じた(1770年)。
議会に選出(1774-80年)されたバークは、議会のメンバーは単に自身の選挙民の要望に追従するのではなく、(自身の)判断を遂行すべきだ、と強く主張した。
強力な憲法擁護者であるにも関わらず、彼は直接民主制の支持者ではなかった。保守主義者でありながら、彼は、自身が劣悪な統治を受けているとみなしたアメリカ植民者の大義を雄弁に弁護し、また国際奴隷貿易の廃止を支持した。
彼はアイルランドの救済の法制化、そしてインド統治の改良を試みたが失敗に終わった。
彼はフランス革命を、その指導者の急進的な行為とその反貴族的な流血のゆえに嫌悪した。
彼はしばしば近代保守主義の定礎者と見なされている。
(2) オックスフォード英語事典(Burkeの項)より抜粋翻訳
エドマンド(1729-97)。英国人の文筆家でありホイッグ党の政治家。
バークは政治的解放と穏健さについての著作を執筆した。それらはローマ・カトリックとアメリカ植民地への敬意が顕著である。


■6.リベラル右派(neo-liberal)とは何か


◆辞書による説明1:「資本主義」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(capitalism/free-market economy/free-enterprise systemの項)より全文翻訳
①殆どの生産手段は個人所有であり、②広範な市場活動を通じて生産の調整(誘導)と所得の分配がなされる経済制度。
資本主義は重商主義の終焉以来、西洋世界で支配的であり続けている。
資本主義は、厳しい労働と倹約を是認した宗教改革運動によって養育された。それはまた産業革命、特に英国の織物工業(16-18世紀)の期間の産業の発達によって促進された。
それ以前の制度とは違って、資本主義は消費を上回る生産を、宮殿や大聖堂などの経済的に見て非生産的な企画へと投じるよりも、その生産能力を拡張することに振り向けた。
重商主義時代の強力な国民的国家は資本主義の勃興に不可欠の単一の通貨制度と法体系を提供した。
古典的資本主義のイデオロギーはアダム・スミス著『国富論』(1776)によって表明された。そしてスミスの自由市場論は19世紀に広範囲に渡って採用された。
20世紀の大恐慌は事実上殆どの国のレッセ・フィエール(自由放任)経済政策を終了させた。しかし東欧と旧ソ連邦(共産主義を見よ)における国家運営された指令経済の消滅と、支那の幾つかの市場経済原則の採用は、21世紀初めまでに資本主義を対抗者なき存在とした(但し問題が発生しなければの話だが)。
(2) オックスフォード英語事典(capitalismの項)より抜粋翻訳
国々の交易や産業が、国家よりも、利潤を追求する私的所有者達によって管理されている経済的・政治的体制。
(3) コウビルド英語事典(capitalismの項)より全文翻訳
資本主義とは、①資産(property)、②企業(business)、③産業(industry)が、国家ではなく私的な諸個人によって所有されている経済的・政治的体制である。

◆辞書による説明2:「自由主義」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(liberalismの項)より全文翻訳
  政治的および経済的ドクトリン(理論・信条)であり、①個人の権利・自由、②政府権力の制限の必要性、を強調するもの。
<1> リベラリズムは、16世紀欧州の戦争(30年戦争)の恐怖に対する防御的リアクションとして発生した。
その基本理念は、トーマス・ホッブズとジョン・ロックの著作の中で公式な表現を付与された。この両者は、至上権は究極的には被統治者の同意によって正当化され、神権ではなく仮想的な社会契約によって付与されると唱えた。
経済分野では、19世紀のリベラル(自由主義者)達は、社会での経済生活に対する政府介入の撤廃を強く要求した。アダム・スミスに従って彼らは自由市場に基礎を置く経済システムは、部分的に政府にコントロールされた経済システムよりも、より効率的であり、より大きな繁栄をもたらすと論じた。
<2> 欧州と北米の産業革命によって発生した富の巨大な不平等その他の社会的問題への反動として、19世紀末から20世紀初めにかけてのリベラル(自由主義者)達は、市場への限定的な政府介入と、無料の公共教育や健康保険などの政府拠出による社会的サービスの創出を唱えた。
アメリカ合衆国では、F.D.ルーズベルト大統領により企画されたニュー・ディール(新規まき直し)計画により、近代ないし進歩的リベラリズム(modern liberalism)は、①政府の活動領域の広範な拡張、そして、②ビジネス活動の規制の増大、として特徴づけられた。
第二次世界大戦後、社会福祉の一層の拡張が、イギリス・スカンジナビア諸国・アメリカ合衆国で起こった。
<3> 1970年代の経済的不振(スタグネーション:不況とインフレの同時進行)は殊にイギリスとアメリカ合衆国において、自由市場を選好する古典的な自由主義の立場(classical liberal position)の再興を導いた。
<4> 現代リベラリズム(contemporary liberalism)は、①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革に依然関心を寄せ続けている。
(2) オックスフォード英語事典(liberalの項)より抜粋翻訳(※liberalismは派生語扱い)
(政治的文脈で)個人的自由、自由交易、漸進的な政治的・社会的改革を選好する(形容詞)。
語源(ラテン語) liber(=free (man):自由(人))。原初的語感は「自由人として適格な(suitable for a free man)」 ⇒つまり「自由人=奴隷でないこと」
(3) コウビルド英語事典(liberalismの項)より全文翻訳
<1> ・リベラリズム(liberalism)とは、革命ではなく、法改正によって社会的進歩を漸進的に行う、とする信条である。
<2> ・リベラリズム(liberalism)とは、人々は多くの政治的そして個人的な自由を持つべきである、とする信条である。

  • 以上の辞典による説明は、かなり内容が不明瞭であるが、まとめると「リベラリズム」という言葉は、次の4つの段階あるいは種類・区分をもってその意味内容を拡張ないし変化させてきた、ということになる。

リベラリズムの段階・種類・区分 時期 意味内容
<1> 古典的リベラリズム(classical liberalism) 16世紀~19世紀 ①個人の権利・自由の確保、②政府権力の制限、③自由市場を選好…消極国家(夜警国家)
<2> ニュー・リベラリズム(new liberalism) 19世紀末~20世紀 経済的不平等・社会問題を緩和するため市場への政府介入を容認→次第に積極的介入へ(積極国家・福祉国家・管理された資本主義)
社会主義に接近しているので社会自由主義(social liberalism)と呼ばれ、自由社会主義(liberal socialism)とも呼ばれた。
<3> 再興リベラリズム(neo-liberalism) 1970年代~ スタグフレーション解決のため自由市場を再度選好。
<2>を個人主義から集産主義への妥協と批判し、個人の自由を取り戻すことを重視
<4> 現代リベラリズム(contemorary liberalism) 現代 ①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革を志向
1970年代以降にJ.ロールズ『正義論』を中心にアメリカで始まったリベラリズムの基礎的原理の定式化を目指す思想潮流で、①ロールズ的な平等主義的・契約論的正義論を「(狭義の)リベラリズム」と呼び、②それに対抗したR.ノージックなど個人の自由の至上性を説く流れを「リバタリアニズム(自由至上主義)」(但し契約論的な構成をとる所はロールズと共通)、③また個人ではなく共同体の価値の重要性を説くM.サンデルらの流れを「コミュニタリアニズム(共同体主義)」という。
補足説明 <2>ニュー・リベラリズム(new liberalism)と<4>再興リベラリズム(neo-liberalism)は共に「新自由主義」と訳されるので注意。
もともと<1>古典的リベラリズムに対して修正を加えた新しいリベラリズム、という意味で、<2>ニュー・リベラリズム(訳すと「新自由主義」)が生まれたのだが、世界恐慌から第二次世界大戦の前後の時期に、経済政策においてケインズ主義が西側各国に大々的に採用された結果、<1>に代わって<2>がリベラリズムの代表的内容と見なされるようになり、<2>からnewの頭文字が落ちて、単に「リベラリズム」というと<2>ニュー・リベラリズムを指すようになった。
ところが、1970年代に入るとインフレが昂進してケインズ主義に基づく経済政策が不況脱出の方途として効かなくなってしまい、市場の自律調整機能を重視する<1>の理念の復興を唱える<3>ネオ(=再興)・リベラリズムに基づく政策が1980年前後からイギリス・アメリカで採用されるようになった。そのため今度は、<3>を「新自由主義」と訳すようになった。

  • 上記のうち「リベラル右派」に該当するのは、<1>古典的リベラリズム、及び<3>再興リベラリズムである(薄青色部分)。
  • また「リベラル左派」に該当するのは、<2>ニュー・リベラリズム、及び<4>現代リベラリズムのうちロールズ的な平等主義的・契約論的正義論である(ピンク色部分)。

◆辞書による説明3:「F.A.ハイエク」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(Hayek, Friedrich (August) vonの項)より全文翻訳
(1899年5月8日、オーストリア・ウイーンで誕生 - 1992年3月23日、ドイツ・フライブルクで死去)。オーストリア出身の英国人経済学者。
彼は1931年にロンドンに移住しロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学に地位を得て、1938年に英国市民となった。
後のポストにはシカゴ大学の教授職も含まれている(1950-62)。
ハイエクは自身の人生を貫いて社会主義を批判し、ばしば社会主義を自由市場システムと対比した。
彼の業績として、ジョン・メーナード・ケインズの理論に反対し、政府の自由市場への介入は個人的価値にとって破壊的であり、それはインフレ・失業・景気後退といった経済的疾患を防止できないと主張したことが挙げられる。
彼の著作には、『隷従への道』(1944年)、『自由の条件』(1960年)、『自由人の政治的秩序』(1979年)が含まれる。
彼の見識は、保守主義者の間で高い影響力を持ち続けており、マーガレット・サッチャーもそうした一人である。
1974年に彼はグンナール・ミュンダールと共にノーベル経済学賞を受賞した。
(2) オックスフォード英語事典(Hayekの項)より抜粋翻訳
フリードリヒ・オーガスト・フォン(1899-1992)、オーストリア出身の英国人経済学者
彼は、ケインズ経済学に強力な反対論を展開し、自由市場を提唱するリーダーだった。
ノーベル経済学賞受賞(1974年)

◆辞書による説明4:「K.R.ポパー」


(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(Popper, Sir Karl (Raimund)の項)より全文翻訳
(1902年7月28日、オーストリア・ウイーンで誕生 - 1994年9月17日、英国グレーター・ロンドンのクロイデンで死去)。オーストリア系英国人の自然兼社会科学哲学者。
『科学的発見の論理』(1934年)で彼は伝統的な帰納法の概念、つまり科学的仮説は確認された観察の積み重ねによって証明される、とする見解、を拒絶した。その代わりに彼は科学的仮説は、せいぜい偽であることが証明されるだけだ、と主張した。
彼の後年の業績には、『開かれた社会とその敵』(1945年)、『歴史主義の貧困』(1957年)、『科学的発見の論理後書き』(3巻、1981-82年)が含まれる。
(2) オックスフォード英語事典(Popperの項)より抜粋翻訳
カール・ライムンド卿(1902-94)。オーストリア出身の英国人哲学者。
『科学的発見の真理』(1934年)で彼は、科学的仮説は決して最終的に真であると確認することは出来ないが、それらが偽であると証明する試みによって検証される、と主張した。
『開かれた社会とその敵』(1945年)で彼は、プラトン、ヘーゲル、マルクスの歴史法則主義の社会理論を批判した。


■7.まとめ


右派・右翼の思想は、社会主義を標準とする左派・左翼思想のような明確なコア概念が存在しない。
むしろリベラル右派(自由市場経済・自由主義)から極右(国家管理経済・全体主義)まで180度違った思想内容を包摂している。
⇒「左派・左翼」から見て、自身の反対者を、その内容の多様さに関係なく「右派・右翼」と呼んだためと思われる。

「右派・右翼」としては、下の図表を参考に「左派・左翼」に対抗するために、内部で足を引っ張り合わずにとにかく纏まることが肝要と思われる。

- ...

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■8.参考:「自由」と「隷従」を分かつ西洋思想の2つの流れ


※矢印(→・↓など)は影響関係
価値多元論(批判的合理主義) 価値一元論(設計主義的合理主義)
古代~中世 無知の自覚
・ソクラテス
中世ゲルマン法の伝統
・マグナ-カルタ
キリスト教的自然法論 理想国家論
・プラトン
 
16~17世紀 モラリストの懐疑論
・パスカル
コモン・ロー司法官/法律家
・コーク
近代自然法論
・グロチウス
社会契約論1
(君主主権)
・ホッブズ
理性主義(一元論、決定論を含む)
・デカルト
・スピノザ
・モンテーニュ ・ブラックストーン
・マンデヴィル ・ペイリー 社会契約論2
(国民主権)
・ロック
・ヘイル
18世紀 スコットランド啓蒙派
・ヒューム
・A.スミス
  社会契約論3
(人民主権)
・ルソー
フランス啓蒙派
・ヴォルテール
・百科全書派
フランス革命以降 近代保守主義
・バーク
フェデラリスト
・ハミルトン
功利主義
・ベンサム
ドイツ観念論
・カント
空想的社会主義 無政府主義
・マジソン ・J.S.ミル ・フィヒテ ・サン-シモン ・バクーニン
19世紀 歴史法学派 ・スペンサー ・ヘーゲル ・フーリエ ・プルードン
・トックヴィル ・サヴィニー アメリカ的保守主義
  ・メイン ・マーシャル 人定法主義 フェビアン社会主義 新ヘーゲル主義
(プラトン的理想主義)
ヘーゲル右派(民族重視) ヘーゲル左派
(唯物論重視)
    ・ケント  ・オースチン ・S.ウエッブ ・グリーン
      ・ショウ     マルクス主義
・マルクス ・エンゲルス ・第一インター
・アクトン     ・ケルゼン
20世紀       ・シュミット リベラル社会主義(ニュー・リベラリズム)
・ホブハウス
ナチズム
・ヒトラー
・ローゼンベルク
マルクス-レーニン主義
・レーニン
西欧マルクス主義
・グラムシ
修正社会主義(社会民主主義)
・ベルンシュタイン
  ・ケインズ ・第三インター ・ルカーチ ・第二インター
第二次大戦以降 現代保守主義
・オークショット
再興自由主義
・ハイエク
・ポパー
リバタリアニズム
(自由至上主義)
・ノジック
  ・ベヴァリッジ 平等論的リベラリズム
・ロールズ
・ドォーキン
コミュニタリアニズム
(共同体主義)
・サンデル
・ウオルツァー
・コミンフォルム ・フランクフルト学派 ・コミスコ

価値多元論(value-pluralism)⇒人々を「自由」に導く思想   価値一元論(value-monism)⇒人々を「隷従」に導く思想
個人主義(individualism) 集産主義(collectivism:集団主義)
歴史・伝統重視の思想 集産主義ではないが理性による究極的価値への到達を説く思想
※個人主義(individualism)がなぜ歴史・伝統重視の思想につながるのかの説明は 「個人主義」と「集産主義」 参照
※価値多元論(I.バーリンの用語)は、批判的合理主義(critical rationalism:K.R.ポパーの用語)に重なる。
※価値一元論(I.バーリンの用語)は、設計主義的合理主義(constructivist rationalism:F.A.ハイエクの用語)に重なる。


■9.参考図書


『隷従への道―全体主義と自由 (単行本)』(F.A.ハイエク:著)
計画経済と生産手段の共有という社会主義政策が、なぜ全体主義に至ってしまうのか。自由を守るために心に留めなければならないことは何か。「法の支配」の真の意味と重要性とは。
後年のハイエクが、自己のエッセンスが全部詰まっているとして一般の読者に薦めた一冊。
第二次大戦末期にアメリカで好評を得たあと、1989年にベルリンの壁が崩れ91年までにソ連が崩壊していった時期に、その恐ろしいまでに的確な全体主義社会の分析によって、この本は再度、西欧世界で熱心に読まれ初めました。
全体主義を厳しく排撃するハイエクを、戦後長く意図的に無視し続けてきた日本の出版界にも1980年代の終わり頃から漸くハイエクの著書を出版する動きが出てきました。かなり難解だが、渡部昇一先生の解説本『自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す 』を頼りに読み進めて欲しい。なおハイエクの割と平易な編著作として『市場・知識・自由―自由主義の経済思想 』があるので、『隷従への道』がどうしても難しい人はこっちに挑戦する手もある。
『開かれた社会とその敵』(全2巻)K.R.ポパー著(1945)
第一部:プラトンの呪文
第二部:ヘーゲル、マルクスとその余波
2冊本だが、論旨明快で読み易い。プラトンから始まり、ヘーゲルを経てマルクスに至る全体主義思想を厳しく論駁した必読の名著。


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最終更新:2020年04月06日 15:33