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首斬りげんまん

  • オープニングフェイズ/シーン0

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 時は化政時代。江戸は八百八町、雑司ヶ谷音羽近辺。今でいう池袋。その夜。
 年老いた按摩と、若い女が路地を歩いている。
「すまねえな。またこんな遅くになっちまった」
「いいのよ。お父つぁん。晩酌のお相手も仕事のうちでしょ? アタシも女中さんと仲良しになったんだから」
「へぇ。そうかい」
 按摩は赤くなった顔を上げて深呼吸した。

 宵の五ツ。今でいう21時頃。居酒屋の客も引き上げ、町木戸が閉められる頃合いだ。
「お前も花嫁修業に奉公したらどうだ。お父つぁんの事なら気にするな。この杖さえありゃあ」
「霧が出てきたよ」
 盲目の父親の長話をそらす嘘……ではなかった。
 あちこちの辻から這い出た靄。それが見る間に濃い霧となり、あたりを朧にし始めた。
「いけねぇな。お前まで何にも見えなくなっちゃあ、それこそ元の木阿弥だ」
「もう。お父つぁんたら。こんな霧くらい平気さ」
 二人は言い合うが、ふと父親の笑みが消える。
「お父つぁん?」
「お鈴。こっから番屋の焚き火は見えるかい?」
「うん。見えるよ」
「実は煙草を切らしちまってな。あそこの番太郎とはお前も顔馴染みだろ。行って少し分けてもらってきてくれねぇか」
 そう言って、娘に幾ばくかの小銭を渡す。 訝しむ娘、お鈴。
「なに言ってるの。一緒に歩いていけばいいじゃない」
「おい。親に気を使わせるな。陣太郎といい仲なのは」
「もう! そんなんじゃないわよう!」
「こら。こんな夜更けに大きな声を出すんじゃない」
 父親は、困ったように笑う。
「なあに。夜霧で酔いを覚ますなんてなぁ、風情があっていいもんだ」
 お父つぁんも直ぐに追いつくから。と、父親は娘の肩から手を下ろす。
「あいよ。わかった」
 父親は娘の足音が遠く消えて行ったのを確かめてから、闇に語りかける。

「さて……姿を表してもらおうかな」

 呻くような声が聞こえてきた。
 杖に手をかけ、柄を少し持ちあげるとそこに、刃が覗いた。
「どこのどなたかは存じやせんが。この程度の妖気で怖気づくような、そんじょそこらの人間とはちぃと出来が違うんでぇ」
「ぅ"………ぅ"ぁ"ぁ"……」
「それでも、あっしを斬るってんで?」

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 お鈴は独りが嫌いだった。
 独りになれば冷静になる。その冷静な自分を嫌っていた。
 血も涙もない何かに心を侵食されていくような……いや。
 自分はもともと、血も涙もないのではと、そんな幻惑を抱いてしまうのだった。
 だから昔から喧嘩が好きだった。喧嘩していたほうがずっと心地いい。人間らしい。
 お鈴は木戸番へと、昔なじみの喧嘩相手の元へと急いだ。

 木戸番屋とは夜警の当直小屋であり、雑貨や日用品なども扱っている。
 通称番太郎と呼ばれる夜警には町役人からの名を受けた平民がなるが、意味合い的には現代のコンビニと変わらない。
 若い番太郎が大あくびをした。これも現代と変わらない光景だ。
「やぁだ。大きなあくび。犬みたい」
「へ? あや! お鈴。どうしてここに?」
「お父つぁんの仕事の手伝いよ。もう、いつもの事じゃない」
「あ。や、でもさっきまで湯に浸かって……ありゃ、ああ、夢か」
「ちょいと、何よその夢。だれが湯に浸かって、誰が覗いてたって?」
「覗いちゃいねえ。勘弁してくれょ、夢の話じゃねぇか」
 陣太郎は取り繕うために笑おうとしたが、お鈴が癇癪を起こすのが早かった。
「殺す!」
「ちょ、ま! だから夢だって!」
 叫び声が上がった。甚太郎のものでは無い。それは外から聞こえた。
「何……今の」
 振り上げた平手もそのまま、呆気にとられるお鈴。
 しかし陣太郎の反応は早かった。傍にあった鳶口を手に取ると、
「鈴! ここで待ってろ、いいな?! 絶対に外に出るんじゃねぇぞ!」
 と、怒号を一発かまし、飛び出していった。
「な。ったく! 女々しいか男らしいか釈然としろってんだょ……ばか!」
 ひとり残されて冷静になるお鈴。
 冷静になればなるほど、不安になる。やがてそれは胸を締め付けてくる。
「まさか、お父つぁんが……?」
 口に出してはいけない事を行ってしまった気がして、大げさに頭を振る。
「そんなはずないさ。だって……だってお父つぁんは……」

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 陣太郎は悲鳴の方に駆けてゆく。霧が濃い。
 そうか。お鈴はこの霧で番小屋へ休みに来たのだ。俺とじゃれ合いに来たわけではない。と冷静に考えて落ち込んだ。
 悶々と考える癖は、自分でも悪い癖だと思う。
 いつもいつも。考えれば考えるほど、嫌な現実を目の当たりにする。
 それが冷静なほど、残酷な現実に行き着いてしまう気がして嫌だった。

 幾つもの提灯の明かりが見えた。
「まさか、お鈴の親父さんが……」
 そして大概、その嫌な予感は当たる。
「いやいやいやいやあっ! 待て待て待ていっ! 違う違う違う違うっ! あいやぁー!!」
 奇声を発して駆けつける陣太郎。しまったと思った。

 そこにいたのは数人の火付盗賊改方。仰天して何人かが陣太郎を見る。
「何奴じゃ!!」
「あ、いや! そこの番小屋の番太郎です! じ、事件ですね?!」
 悲鳴が聞こえてから、まだそれほど経ってない。それなのに、十人には満たないとしてもこの数、ただ事ではない。
「辻斬りだ。首を掻き切られてな。何やら鎌のようなもので斬られたらしい」
 一人の同心がそう答える。しかし、他の何人かは刀に手を添えている。
「番太郎、それをよこせ」
「はあ。え?」
「その鳶口を寄越せと申しておるっ!」
「あ! いやっ! これは違います! これはさっき、えっと、違いますっ!」
 鍔が外れる音と共に腰を沈める改方。 と、そこに。

「まぁ待て」

 現れたその男に同心全員が恐縮した。
「は。頭」
「かしら? ってことは……鬼の!」
 鬼の平蔵こと火付盗賊改方長官、長谷川平蔵だった。
 おい。と平蔵が合図すると、立ちふさがっていた改方が道を開けた。
「お前ぇさん。この仏さんに見覚えは?」
 道に横たわる男がみえた。それは、頭から振り払ったはずの光景。
 全身の力が抜け、膝を付きそうになった陣太郎を、二人の与力が支える。
「あ、あの、この人は、川向こうに住む按摩で」
「知っておるのだな?」
 凄む平蔵に陣太郎はようやく「はい」だか「へい」だかと応え、もう一人で立てると、与力から離れようとした。しかし、相手はその手を離そうとしない。
「あの、もう大丈夫ですから。放してくださいよ」
 鬼平は鳶口を拾い上げ、陣太郎に近づく。
 小声で言葉をかわす二人。陣太郎の顔色はどんどん変わってゆく。突然、平蔵が声を上げた。
「引っ立ていっ!」
「やめろっ! 違う! 俺じゃねぇ! 俺はやってねえっ!」

 縄をかけられ、連れ去られる陣太郎。
「お頭、本当にあの男が?」
 筆頭同心、酒井祐助がいつの間にか平蔵のそばに立ち、そう問うた。
「いや。あの男は殺ってねぇよ」
「えっ。ではなぜ?」
「本当の下手人を泳がせておく為さ。それに、町人達にもう安全だと思わせる為もある」
「では、先ほどのあの男とはその旨」
「ああ。その策の算段をした」
 酒井は呆れ顔で後を振り向く。
「よく承諾しましたね。たとえ無罪放免となっても、前科者と同じ扱いを受けるのでは?」
 平蔵は笑った。
「芯のある奴だったぜ。最後までこの親父の娘の心配をしていた」
「はあ」
「そういう男だ。信頼は落とさんだろうよ。それに」
 鬼平は懐から十手を出す。
 鈎(かぎ)がなく棒身が先細で直線状のその十手は、西洋のダガーを思わせるシルエットだ。
「“豊臣残党を引っ捕えるための策だった”と、自慢話もひとつ増えるさ」
「やはりまだ、我々の及ばぬ所で被害者が出ることも……」
「見す見すのさばらせて置くのは気に入らねぇが、下手踏んでしくじる訳にも行かねぇ」

 鬼平が鬼平と呼ばれる所以。
 それは厳しさや強さであるが、悪に対してのそれだけではない。
 挫けそうな現実をもしっかりと捉える厳しさ。
 そしてその現実に対し、己を通す強さに起因する。

 故に人から見ればそれは時折、人道から外れた非道にも見える。
 しかし、正義とはそういうものだ。
 人であることを捨てなければ、正義を貫くことなど出来ぬ。

「酒井。番小屋にこの親父の娘がいる。事の次第を告げた上で、後日うちに奉公にこさせろ」
「お頭の家にですか? いや、ですが」
「大丈夫だ。俺の見たところこの親父、英傑だ」
 はっとして遺体を見る酒井。
「そうか。それならばあの娘も」
「ああ。その“目”はあるって事だ。だから心配ねぇ。ああ、それからな」
 鬼平は十手をしまい、こう告げた。
「事によると若旦那の手を借りることになるかもしれん」
「というと……“よごし屋”の旦那ですか?」
「ああ。与力を一人使いに出したい。誰かおるか」
「それなら十郎太に行かせましょう」
「十郎太。はは。確かにお誂え向きだな」
「では」
 酒井は駆けて行った。すれ違いに、大八車にむしろを積んで、同心の木村忠吾がやってくる。
「お頭、もうよろしいでしょうか?」
 遺体を運んでいいか。と聞いているのである。
「ああ、少し待て」
 鬼平は、英傑の亡骸に手を合わせた。
「アンタの無念、俺に預からせてくれ。仇はきっと」