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#right(){[[【W.I.Za.R.D.履歴へ】>W.I.Za.R.D.履歴]]} &sizex(6){&bgcolor(orange){☆「ドラえもん」の最終回}}  ようやく、マージョリーを副官ページに加えたと思ったら、すでに時は、Gran Atras へと移っており……  ごめんなさい。  しばらく、待ってください。  一応、アプデはしてるけど、ワールドアトラスには、今だ、手をつけてないし、サンクトペテルブルクには、全く興味がわかないww  追加された副官って、サンクトにいるんだよね。 はぁ……  さて。  「ドラえもん」の最終回、というと、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか? 第6巻にあった、かりそめの最終回? それとも、のび太、植物人間説?  最近では、某サイトで公開された、ドラえもんの電池切れ……からの、のび太奮起説ってのが話題になってましたね。  でも、正直、私は、この最終話には、違和感を感じています。  確かに、よくできてはいるんだけど……  「ドラえもん」のストーリーの中で、何度か、大人になったのび太が登場してくるじゃないですか。 そこと、この最終話が、全く繋がらない……それが、気になってしょうがないんですよね……  確かに、全編を通して、のび太の現在が変われば、未来も変わってくる……みたいな流れはあるんだけど、この最終話でみる限り、とりあえず、ドラえもんの電池切れ、は、どんな時間軸の流れであっても、必ず起きると思われるのですが。  で、実際の物語で登場した未来ののび太の傍に、ドラえもんはいなかったわけで。  電池切れを起こしたけど、バッテリー交換ができない……という創作最終話の流れだと、のび太は研究者を目指してるはずなんだけど、実際の物語で登場した未来ののび太が研究者であるようには、到底見えないし。  まあ、未来は常に変化する、ということで、こののび太のもとでは、妨害されることなくバッテリーの交換は出来たのかもしれませんが。 でも、その場合、逆に、何故、のび太の傍に、ドラえもんはいないのでしょうか?  実は、そんな疑問を解消してくれたのが、トヨタのCMに出てきた、前田敦子のジャイ子!!!  実は、大人になって、ジャイ子は、もの凄く可愛くなっていた……という展開!!!  「ドラえもん」の第1話から、一貫して、セワシが貧乏なのは、のび太がジャイ子と結婚する未来に起因する……みたいなストーリーが展開していましたが。  でも、セワシにとっては不幸の始まりであったにしても、肝心ののび太にとっては、ジャイ子との結婚が、本当に不幸であったのか、という部分には、一度も物語りは触れていないのです!  のび太の奥さんとなったジャイ子の写真は、公開されていないし。  一応、沢山の子供に囲まれて、貧乏で苦労をしている、ということは伝わるのだけども、苦労している=不幸である、とは、限らないんじゃあ……  逆に、まあ、「ドラえもん」の連載開始当初は、貧乏人の子沢山、という言葉があり、また、貧乏である、ということが不幸の代名詞でもあったわけですが……  現在の感覚でいくと、好きでもない相手との間に、あんなに沢山、子供をつくるでしょうか、という……  そこで、私の考える「ドラえもん」の最終回。  成長したのび太は、同じく成長したジャイ子に出会い、その変貌(可愛くなった)ぶりに仰天する。  そして、のび太はジャイ子に恋をし……そして、気づくのだ。  確かに、セワシにとっては、のび太がジャイ子と結婚するのは、自らの不幸の始まりとして認識されていたのかも知れない。 でも、のび太自身は、心から望んで、ジャイ子と結婚したのではないのか? たとえ貧乏で苦労を重ねていたとしても、愛する妻と、沢山の子供たちに囲まれて、のび太自身は、幸せだったのではないか……と。  その疑問をドラえもんにぶつけると、彼は血相を変える。  そう、ドラえもんは、知っていたのだ。 全てを知っていた上で、のび太がジャイ子と結婚する未来を、妨害しようとしていたのだ。 「帰れよ、帰れよ……うわああああああん!」  そして、それが、のび太とドラえもんの永遠の別れとなった。  しかし、すでに、駄目人間ではなくなっていたのび太は、ジャイ子の母性本能を満たすことができず、のび太の、ジャイ子への恋は報われることなく、終わり……  そして、実際の物語にも登場する、大人ののび太の物語が始まる……のでした。 ちゃんちゃん。 ☆感想は、こちらにどうぞ~^^ #comment(,nsize=20,vsize=3)
#right(){[[【W.I.Za.R.D.履歴へ】>W.I.Za.R.D.履歴]]} &sizex(6){&bgcolor(orange){☆「ドラえもん」の最終回}}  ようやく、マージョリーを副官ページに加えたと思ったら、すでに時は、Gran Atras へと移っており……  ごめんなさい。  しばらく、待ってください。  一応、アプデはしてるけど、ワールドアトラスには、今だ、手をつけてないし、サンクトペテルブルクには、全く興味がわかないww  追加された副官って、サンクトにいるんだよね。 はぁ……  さて。  「ドラえもん」の最終回、というと、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか? 第6巻にあった、かりそめの最終回? それとも、のび太、植物人間説?  最近では、某サイトで公開された、ドラえもんの電池切れ……からの、のび太奮起説ってのが話題になってましたね。  でも、正直、私は、この最終話には、違和感を感じています。  確かに、よくできてはいるんだけど……  「ドラえもん」のストーリーの中で、何度か、大人になったのび太が登場してくるじゃないですか。 そこと、この最終話が、全く繋がらない……それが、気になってしょうがないんですよね……  確かに、全編を通して、のび太の現在が変われば、未来も変わってくる……みたいな流れはあるんだけど、この最終話でみる限り、とりあえず、ドラえもんの電池切れ、は、どんな時間軸の流れであっても、必ず起きると思われるのですが。  で、実際の物語で登場した未来ののび太の傍に、ドラえもんはいなかったわけで。  電池切れを起こしたけど、バッテリー交換ができない……という創作最終話の流れだと、のび太は研究者を目指してるはずなんだけど、実際の物語で登場した未来ののび太が研究者であるようには、到底見えないし。  まあ、未来は常に変化する、ということで、こののび太のもとでは、妨害されることなくバッテリーの交換は出来たのかもしれませんが。 でも、その場合、逆に、何故、のび太の傍に、ドラえもんはいないのでしょうか?  実は、そんな疑問を解消してくれたのが、トヨタのCMに出てきた、前田敦子のジャイ子!!!  実は、大人になって、ジャイ子は、もの凄く可愛くなっていた……という展開!!!  「ドラえもん」の第1話から、一貫して、セワシが貧乏なのは、のび太がジャイ子と結婚する未来に起因する……みたいなストーリーが展開していましたが。  でも、セワシにとっては不幸の始まりであったにしても、肝心ののび太にとっては、ジャイ子との結婚が、本当に不幸であったのか、という部分には、一度も物語りは触れていないのです!  のび太の奥さんとなったジャイ子の写真は、公開されていないし。  一応、沢山の子供に囲まれて、貧乏で苦労をしている、ということは伝わるのだけども、苦労している=不幸である、とは、限らないんじゃあ……  逆に、まあ、「ドラえもん」の連載開始当初は、貧乏人の子沢山、という言葉があり、また、貧乏である、ということが不幸の代名詞でもあったわけですが……  現在の感覚でいくと、好きでもない相手との間に、あんなに沢山、子供をつくるでしょうか、という……  そこで、私の考える「ドラえもん」の最終回。  成長したのび太は、同じく成長したジャイ子に出会い、その変貌(可愛くなった)ぶりに仰天する。  そして、のび太はジャイ子に恋をし……そして、気づくのだ。  確かに、セワシにとっては、のび太がジャイ子と結婚するのは、自らの不幸の始まりとして認識されていたのかも知れない。 でも、のび太自身は、心から望んで、ジャイ子と結婚したのではないのか? たとえ貧乏で苦労を重ねていたとしても、愛する妻と、沢山の子供たちに囲まれて、のび太自身は、幸せだったのではないか……と。  その疑問をドラえもんにぶつけると、彼は血相を変える。  そう、ドラえもんは、知っていたのだ。 全てを知っていた上で、のび太がジャイ子と結婚する未来を、妨害しようとしていたのだ。 「帰れよ、帰れよ……うわああああああん!」  そして、それが、のび太とドラえもんの永遠の別れとなった。  しかし、すでに、駄目人間ではなくなっていたのび太は、ジャイ子の母性本能を満たすことができず、のび太の、ジャイ子への恋は報われることなく、終わり……  そして、実際の物語にも登場する、大人ののび太の物語が始まる……のでした。 ちゃんちゃん。  結構、気にいっているのですが、反論のある人もいるだろうなぁ…… ☆感想は、こちらにどうぞ~^^ #comment(,nsize=20,vsize=3)

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