最初の希望
Noover
2015年9月11日
小高い丘の上から、自分が生まれ育った村を見渡す。村の周囲では牧草地と森林が穏やかなエメラルドの海を広げている。村の中心部を貫く街道は丘のふもとを沿い、南方に位置する王都へと繋がっている。彼はこの光景が好きだった。王城に仕える侍女であった母と、王立騎士団の副団長を務めていた父が始めてみた村の風景も、この風景だったに違いない。
ジェラルド・ファランクス。武家の名門でもあるファランクス家の血筋に生まれた彼は、幼少の折から類まれな剣の才能を見せていた。齢四歳にして藁案山子を相手に見事な袈裟を切り込む彼の姿に、父は彼の将来を確信した。
それから十三年の月日が経った今、その将来が外れているということはあり得なかった。たしかに、彼の剣の腕前は間違いなく村一番であった。間違いなく、剣の腕前では。
「ジェラルド!やっぱここに居たんだな!ほら、また見つけたんだよ、これ!」丘の下から、声が近づいてくる。背中に槍を背負ったジェラルドと同年代の少年が、何かを手に持って興奮気味にジェラルドに駆け寄ってきた。
「見ろよ、また森の中で見つけたんだ。これ、王都に持っていったら高くで売れるんじゃねえのかな」少年の手の中には、まるで周囲の光を全て吸ってしまうかのような、硝子色の夜をたたえた結晶があった。ずっと見ていると自分を忘れ、胡蝶の世界に迷い込んでしまうかのような、そんな危うささえ感じられる。
「ティム、お前は何かあったらすぐに金だ金だと言うが、お前には金より大切なものはないのか?」ジェラルドは少年を少し軽蔑したような目でみて、言った。
「そりゃあ、金より大切なもんなんてねえだろ。ま、強いて言うなら俺の槍の腕なら金と同じくらい大事かもな」ティムと呼ばれたその少年は、かぶりを振ってそう答えた。
「ま、そんなことよりさ、この結晶見つけたところの近くで面白れえもんを見つけたんだ。お前も一緒に来いよ!」ティムは言った。
「面白いもの?まあ、お前の言うことだからまた金目当ての何かなんだろうが……。仕方ない、付き合ってやるよ」ジェラルドは少しだけ微笑んだ。
「そんなこと言ってられるのも今のうちだけだぜ?ほら、こっちだぜ。ついて来いよ!」ティムは森に向かって勢いよく丘を駆け下りていく。
普段は軽薄でも、いざ模擬戦をすれば自分の剣に勝るとも劣らない槍の腕前を持つティムに、ジェラルドは少なからず友情の念を抱いていた。少なくとも、今の自分が天狗にならずに済んでいるのは、幼いころから村で共に切磋琢磨してきた彼のおかげなのだから。
森の中に入ってしばらく歩くと、ティムが自分でつけた木の棒の目印を見つけた。
「このあたりに有ったんだが……お、あれだ!」ティムは興奮していた。ティムが指差した先には人為的に掘られたような洞穴があった。二人は洞穴の中へと入っていった。それほど深い洞穴ではなかった。太陽の光は洞穴の光源になり得た。
「俺とお前は昔からこの森を遊び場にしてたけどよ。こんな洞穴今までなかっただろ?もしかしたら、最近よく見つかるこれはこの洞穴と関係してるんじゃねえかなって思ってさ」 ティムは手の中の結晶をリズムよく跳ねさせながら、ジェラルドに予想を語った。ティムが言葉を失ったのは、その直後だった。
「おいおい……マジかよ……」二人の目の前に、人を二人は飲み込もうかと言う夜が広がっていた。ティムは背中の槍を抜くと、夜を砕こうと身構えた。ジェラルドを言いようのない不安が襲った。それはファランクスの血がささやいたのかもしれなかった。
「おい、ティム、やめとけ」ジェラルドは強張った顔で言った。
「あ?なんでだ?こんな量の結晶があれば、俺たちが王都に移って武者修行する費用も捻出できるだろ?」ティムが疑問をぶつけた。
「嫌な予感がするんだ。自分でもわからない。でも、これを傷つけるのはだめだ。よしたほうがいい」ジェラルドは警告した。
「はあ?わけわかんねえこと言ってんじゃねえよ、ジェラルド。お前らしくもねえ。びびってんなら家にでも帰ってろよ。……そらよッ!」ティムの槍が夜に突き立てられるのと、「やめろ!」とジェラルドが叫んだのは、ほぼ同時だった。
次の瞬間、洞穴を夜が包み込んだ。入り口から差し込んでいた太陽の光は、もうなかった。二人の目の前の空間が歪んだ。あの世の入り口から這い出た棘のような尻尾が、この世を侵した。ティムとジェラルドは槍と剣を構えた。夜の闇に薔薇の華が咲いた。
「ティム!」ジェラルドは叫んだ。ティムの腹腔を、尻尾が突き破っていた。
「嘘……だろ……」空間の歪みから這い出た尻尾は、その持ち主を先導していた。ジェラルドの目の前に、邪悪な笑みを浮かべた悪魔が現れた。ティムの腹腔から尻尾が引き抜かれると、その勢いのままにティムの小腸がひきずりだされた。ティムは力なく膝をつくと、絶命した。
ジェラルドは逃げるしかなかった。一刻もはやく、村にその危険を伝えるために。
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