「いくら巫女だからってひどいわ〜……」  ふらふら回りながら、雛は家路を辿っていた。  博麗の巫女は妖怪退治が仕事である。彼女にしばき倒された妖怪は数知れず、人外の存在にとって 博麗の巫女は色んな意味で高名な人物であった。  ただ彼女とて人間には違いないので神々が住まう山中に入れるわけにはいかないと、雛は追い返そ うとした。しかし彼女は聞かず、結果雛はしばき倒されたばかりである。  まあ神とて巫女にしばき倒されることはあるだろう。それはいい。  問題は、その巫女に妖怪扱いされたことである。結構傷ついた。  そりゃあちょっと厄々しい外見はしているが、これでも八百万の一柱である。無理に有り難がれと は言わないが、妖怪と一緒くたにすることはないんじゃなかろうか。 「報われないわぁ〜……ん?」  がっくりとうなだれていると眼下の川がよく見える。  よって川を流れる小枝や配下の流し雛たちも見えるのだが、なんだか見慣れないものが混じってい る。  結構大きい人の形をしたものが流されていた。  というか、人の形をしたものじゃなくて、人そのものじゃなかろうか。  降りてみる。 「もしもーし?」  話しかけてもそいつは反応しなかった。やはり人形か。  つっついてみると、存外柔らかい。  もしかすると、これは生きているかもしれない。  巫女にしばき倒された直後なので体力的にはつらいが、仕方あるまい。  そいつの首根っこをひっつかみ、川の中から引き上げる。  白黒い衣装から大量の水が零れ落ちた。 「んあ〜、よく寝たぜ」 「彼岸参りはいかがでした?」  布団の中でいっぱいに腕を伸ばし、あくびをかました人間に雛はにこやかに話しかけてみた。  女の子なのに男っぽい言葉で喋る、謎の金髪少女は起床早々目前にいた厄神を見て目を白黒させる。  雛はちょっと胸を張り、指先をくるくるさせた。 「あなたはなんでか知らないけど川上の方からこっちまで流されてきたから、私が回収したのよ」 「ほう。厄神ってぇのは厄以外も集めるのかい。それとも私が厄ってとこか」 「まあ黒白いし見るからに魔女だし厄かも知れないわねぇ。何にせよ息を吹き返して僥倖。人工呼吸 なんて初めてだけどやってみた甲斐はあったわぁ〜」  嬉しさのあまりくるくる回ってしまう。  一方、なぜか人間の方は顔を真っ赤にさせていた。涙目になってる。何か悪いことをしただろうか 。 「それにしてもなんで流れてきたのかしら。ここを流れていいのは厄とか落ち葉とかだけよ。あと河 童」 「そう河童だ! ああくそっ、久々だったし新しい魔法の試しがてらだったから、あんなのに負けち まったんだ! それでうっかり魔法使いの川流れだぜ」  どうやら川上の方で弾幕ごっこをやって墜落し、流されてきたらしい。  彼女はいきり立って立ち上がろうとした。雛は止めようと手を伸ばしたが、既に遅い。    「あだぁっ!」  足を抱えて彼女は涙目になり、しばらく震えて何も言わなかった。よほど痛いらしい。 「足の骨が折れてちゃちょっと立てないわねぇ」 「最近背が一気に伸び始めたから骨がスカスカになってたか……ッ」 「参ったわね。帰れる?」 「箒があれば飛べるんだが……」 「残念ながら傍にはなかったわ」 「なんてこった……ん? 待てよ。ちょっと待て。おいあんた、私の服、どうした?」  落ち込んで自分の服装を見た彼女は、雛にさらなる質問を浴びせる。  今彼女は魔女らしい黒白い衣装ではなく、雛の下着を着せられているのだ。 「濡れていたから洗って乾かしたけど」 「その中に八角形の箱みたいなのは?」 「なかったわ」 「うわ八卦炉までどっか行った!? キノコも水に浴びて使いものにならないし……こりゃあ、もし かして……」  雛の顔を見上げた彼女は、やれやれと首を振った。 「仕方ないぜ。煮るなり焼くなり好きにしな」 「……私は人間食べたりしません」 「ちゃんと妖怪の仕事しろよ。どっかの巫女じゃないんだから」 「わーたーしーはーかーみーさーまーでーすー」  頬を引っ張ってみる。怪我人なのでこの程度で済ましているが、健康体ならバイオリズムだ。 「まあ足が治れば下山できるでしょう。それとも誰かに迎えに来てもらう? そちらの方がオススメ だけれど」 「なんでだ?」 「私は厄神。私の傍にいると細かい厄に見舞われるわよ。歩いたら箪笥の角に指ぶつけるとか、夜中 に爪切ると深爪しちゃうとか、親の死に目に会えないとか」 「構わないぜ。それより知り合いに頼る方が嫌だな。じゃ、足が治るまで世話になるぜ。あ、あと私 は和食派だからそこらへんよろしくな」  ふてぶてしい怪我人の姿に、苦笑いしか浮かんでこない。  図々しくふてぶてしく憎まれっ子世にはばかるを体現する魔法使いは魔理沙と名乗った。  初日こそ疲れと怪我の痛みで雛の自宅を歩き回るようなことはなかったものの、 松葉杖をあてがってからは厄をたっぷり吸い込んだ雛のリボンやら配下の雛人形を、 せっせと盗み出している毎日である。  傷の治りが悪くなるし、歩けば足を挫く、ドアを閉めれば指を挟むと、 地味な厄に見舞われ始めているというのに手放さない。 「欲しけりゃあげるけど、怪我人だってことちゃんと自覚しないといけないわよ」 「ああ、厄取るなよ。勿体無い」  リボンを指に絡ませ、染み込んだ厄を抜き取ってから魔理沙に渡そうとしたが、 彼女は慌てて雛の手からリボンを奪い取った。  そうして自慢気に言ってみせる。 「厄神様愛用リボンたぁ中々手に入らないものだぜ。その厄を抜き取っちゃあただのリボンになるだ ろ」 「そんなのを有り難がるなんて、人間って変ねぇ」 「私は普通だぜ。魔法使いなら普通だ。魔法使いは蒐集家と決まっているからな」 「ふぅん」 「あと知り合いに人形遣いがいるからな。いわくつきの人形絡みの品を持っていけば、 奴秘蔵のグリモワールと交換する交渉材料になる」  なんとなく、雛の胸中にわだかまりが生まれた。  魔理沙の手からリボンを奪い返す。  あっ、と言って手を伸ばすが、怪我人と五体満足健康神とが相手になるはずもない。  魔理沙から届かないような位置まで両腕を上げ、雛は膨れてみせた。 「返せよ、私のだぜ」 「どの口がいいますか。ま、別にあげたっていいんだけど、そういう風に使われるのは嫌だわ」 「惜しいなー。ま、これ自体にも価値があるからいいぜ。ちゃんと大事にしときますわ」  にこにこしながら懐にしまう。 「魔理沙は友達がたくさんいるのね」 「あー友達というか酒や茶を飲み合える敵と言った方が正しいな。敵ならたくさんいるぜ」 「むぅ。味方が友達とは限らないなら敵の方が友達になれるのかしら」 「私ゃ盟友盟友言ってくる奴に溺死させられかけたわけだが」  寿命が短い故、良くも悪くも生き意地の汚い人間にしてはさばさばした言い方である。  そういう考えの持ち主だから雛の厄を受けながらも、平気でいられるんだろうか。 「魔理沙の敵って、どんなの?」 「んー。まずは喘息持ちの本の虫。こいつは知識を独り占めにしようと企む悪の枢軸だ。 次にさっきも言った人形遣い。真面目な奴でな。同じ魔法使いなだけに反りが合わん。 で、代表格が巫女」 「巫女……」 「ああ。ああいうのを敵と言うんだ」  確かにあれはロクでもない。  でも類はなんとかというのか、巫女のことを口にする魔理沙の表情は浮かれている。  微笑ましい。 「仲が良いのね。良くできることにびっくりだわ」 「そうか? あいつは誰とでも仲良くするぞ」 「私はいきなり妖怪扱いされてぶっ飛ばされたんですけど。仮にも神さまなのに〜」 「なぁにかえって免疫が付く」 「友達って案外大変なものね」 「つかお前、友達いないのか?」  虚を突かれるとは、こういうことをいうのだろうか。  そんなことはないと口にしようとして、脳裏に浮かぶ知り合いの妖怪や神々たち。  でも彼らは御近所さんとか、上司と部下の関係だとか、そういうものであって、友達とは言い難い 気もする。 「いないわね。言われてみれば」 「ひどい奴だな。私は友達じゃないのか?」 「人間とは友達にはなれないわ」  心配させないよう、にこりと笑ってみせた。  雛は人間が嫌いではない。  回収した厄から元の持ち主がどのような人間だったか、推測するのはささやかな娯楽の一つだ。  花に当たりやすいという厄があった。  花がどうして厄になるのかわからないが、持ち主にとって花は不吉なものだったのだろう。  もしかしたら花粉症なのかもしれない。それなら杉に当たりやすい、かもしれないけれど。  貝を食べたら当たる、という厄があった。  元の持ち主は貝が好物だったかもしれない。嫌いだったかもしれない。  どちらにせよ食べ物に一つ困らなくなるというのは、良いことだ。  そんな風に、遠くから人間と接するのが、雛と人間の距離。  現状は、異常なだけだ。 「ああそうかい。じゃあ、敵ということにしといてやるぜ」  魔理沙はそう言うと、ぽんぽんと机を叩いた。 「そういうわけだから、お茶でも入れてもらおうか」  苦笑いを浮かべる。  それから三週間、魔理沙の治療はあまり順調に進んでいない。  階段でこけて骨を折り直したというのもあるけれど、 食事をすればお皿を割って怪我をする、魔法の練習をすれば暴発する、 ちょっと家事を手伝おうと針仕事を始めてくれたら爪の間に針を突き刺すと、 こまめに怪我を増やしていくせいだ。  雛としては安静にして早く元気になってほしい。  信頼できる他の神様や妖怪に預けることも考えた。  けれど魔理沙は意地っ張りな女の子なので、怪我を作るたびに「平気だぜ」「普通だぜ」と笑うの だ。  そうして雛が魔理沙を他の場所にやろうという話の素振りを見せると、 それとなく話題を変えてはぐらかしてしまう。  もちろん、相手は怪我人なのだから無理矢理連れて行くことはできる。  それをしないのは魔理沙が嫌がっているから――では、ないのだろう。  雛が、魔理沙に甘えているだけだ。  怪我人に甘えるなんて、とても情けない神様だ。  わかっている。けれど、今はとても居心地が良い。  今まで抱えていた悩みを魔理沙に打ち明けたら、何事もないかのように吹き飛ばしてくれた。  魔理沙のたくさんの友達との話を聞いているだけで、雛もその中にいるような気がした。 「……しっかりしなくちゃ。うん、私がしっかりしなくちゃね」  頷いて、蒸らしていたティーポットの中身を見る。良い感じだ。  トレイに入れて魔理沙の所へ持っていこうとした瞬間、家全体が傾いた。  ポットが手の中から飛び出し、トレイが吹っ飛び、食器棚の皿が六割は粉々に砕け散る。 「な、なに!?」  地震ではない。一回こっきり、ものすごい衝撃が来ただけだ。  ただ、断続的に家のあちこちから壁をぶち破るような破壊音が響き渡る。  なんの妖怪だ。礼儀知らずにも程がある。  怪我人もいるというのに、少しお灸を据えてやらねばならないだろう。 「いい加減にやめないと、いくら私でも怒――」 「そこね!」  針が飛んできた。避ける余裕も暇もなく、雛の眉間に直撃。人間だったら即死である。 「こ、この容赦のない先制攻撃は……」 「コラッ、働かない神様なんて無職より価値ないんだから」 「出たぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」  紅白の化け物だ。  一も二もなく背中を見せて逃げ出そうとしたが、その先に無数の針が先行して突き刺さった。  と、唐突に何もない空間に雛はぶち当たり、倒れた。見えない壁――結界か。 「今回の騒動の異変はアンタね」 「な、何がなんだか……」 「とぼけたって無駄なんだから。山から降りてきた厄が流れて、どうして私が出なくちゃならないん だか」 「え……そんな……あっ!」  そういえば最近、魔理沙の看病につきっきりで仕事をいつもよりサボっていたかもしれない。  巫女が出てくるというくらいなのだから、結構な騒動になっているのだろう。  恐る恐る、たずねてみる。 「……どのくらいに、なってるの?」 「永遠亭の薬師が目ぇ回すほどいっぱい人が病気で倒れこんでんのよ〜!  弱い人から倒れていくし、どうしてか私にまで泣きつかれるし、散々よ!」 「――わかった。すぐ仕事にかかるわ。でも、ちょっと待ってて」 「まあここで痛めつけると仕事に支障が出るからね。少しなら待つわよ」  この巫女の場合、本当に少しと言ったからには少しだろう。  急ぎ足で魔理沙の元に向かう。  今まで雛は魔理沙に甘えてきた。けれど、もうここまでだ。  友達ごっこは、ここまでだ。  部屋を開けるまでもなく、松葉杖を突いて魔理沙は雛のそばにやってきた。 「いったいこりゃなんの祭りだ?」 「あなたを追い返す祭りよ」 「んあ?」  魔理沙はきょとんとする。  上手く呼吸ができない。それを隠すためにうつむいて、雛を声を出した。 「あなたの世話は……もう飽き飽きよ」 「文句があるなら聞くぜ」 「たくさんあるわ。  今まで我慢してきたけれど、あなたが無理して動くたび怪我は増えるし言っても聞かない。  どこかへやろうと話を出そうとすればはぐらかす。  いつのまにか盗みを働く。  それで怪我をする。  いつまでたっても傷は治らない。  食事をさせたらさせたで……今まで何枚お皿割ってきたか覚えてる?」 「お前は今まで割ってきた割り箸の数を憶えているか? 『おっと 会話が成り立たないアホがひとり登場〜〜。 質問文に対し質問文で答えるとテスト0点なの知ってたか? マヌケ』 とお前は次に言う」 「出ていって」  魔理沙は肩をすくめた。  雛の膝は震えて、今にも折れそうだった。スカートが隠してくれていることを祈る。 「……迎えにあなたの『敵』が、来ているわ。あの娘に連れられて、さっさと行きなさい」 「わかったぜ。じゃ、元気でな」  帽子の鍔を指先で上げて、魔理沙は手を振る。  何も言わず彼女に背を向けた。  今声を出すと、上ずってしまいそうで、誰かに縋りつきそうで、怖かったから。 「……ただいま」  誰も返事はしてくれない。わかりきっていることだ。  家の中に入った瞬間、緊張の糸が切れて雛は床に膝をついた。  丸三日に渡る大仕事だった。  里から里へと厄の回収に赴くのは、体力的には疲れるけれど仕事だからまだいい。  けれど人間たちに厄を引き連れている妖怪扱いされて石を投げられるのはたまったものじゃない。  弁解すれば弁解したで、今の疫病騒ぎの主犯として、やっぱり石を投げられる。  そこで弾幕ごっこと受け取って相手をしれやれば、追い返せたのもかもしれないけれど、 全ては雛自身の身から出た錆だった。  それでも、我が家に帰ってきて、一言でも『ごくろうさま』と誰かに言ってもらえたら。 「……甘えちゃだめだってば」  目元を袖でこすり、立ち上がる。  とりあえず、温かいお茶でも飲んで落ち着こう。  そう決めて、台所に向かった。 「……あれ?」  台所は妙に綺麗だった。  巫女の襲撃のせいで食器が割れて飛び散り、それを片付ける間もなく仕事に出かけたというのに。  全て片付けられているうえ、テーブルの上にざるが引っくり返して置かれていた。  ざるを取ってみる。 『ごくろうさん』  そう書かれた紙きれと一緒に、魔法瓶とサンドイッチが置かれていた。 「――魔理沙ッ!」  疲労も忘れ、雛はすぐに立ち上がり駆け出した。  サンドイッチはまだカビても腐ってもいなかった。  少し指が触れた魔法瓶は温かかった。  魔理沙はまだ帰っていない。  そう、まだ帰っていないのだ。  丸三日、雛の看病無しで無理を通したのだ。  雛の制御がなされていない、厄にまみれた家で。   彼女を休ませていた寝室の前に辿り着く。  そこには、薄汚れた黒い衣装を纏った少女が、倒れていた。  とっさに、抱き――上げ―― 「……あ、ぁ……」  冷たくなった身体に、雛は思いきり縋りついた。  そうするのが余りにも遅かったと、気付いたことすら、遅かった。