オヤあんたが次のお客さんかい?  ──ははは。  ああいや、すまないね、ちょっと懐かしい顔に似ていたものでね。  幽霊に顔も何もないだろうって? 馬鹿言っちゃあいけないよ、あたいこれでも死神なんだ。あたいから見りゃ同じ幽霊なんてひとつたりともありゃしない。  あたいは小野塚の小町ってんでね、のんびりゆったりが信条の、幻想郷の死神サ。  あくせく働いたって、それで心のゆとりを失っちゃいけねぇよ。ウチの上司はどうもそれを分かってくれないんだね。……怠けてるだけだろって? イヤお客さん手厳しい、あんたもウチの上司と同じよなこと言うんだね。でもちゃんと仕事はこなしてるんだ。勘弁してほしいさね。  さてそれでは三途の川の渡し賃、頂きましょうか。有り金全部って決まりでネ、出し渋っても良いことないよ。  ……ふむふむ、ま、こんなもんかい。お客さん、割と平凡な人生歩いてきたみたいだねェ。ふむ、実際可もなく不可もない人生だったと。もったいないねェ、善の花咲かすにしろ、悪の華散らすにしろ、突き抜けちまった生き方のほうが、面白かっただろうにね。  まぁ、いまさら言っても詮無いことさ。  ときにお客さん、死んだときは何歳で? ──七十と! そりゃ大したもんだ。大往生だったねェ。  さァ乗った乗った。ちぃとばかし長旅になるだろうけれどそこはご勘弁だ。なに、足も腰ももうないんだ、疲れることもないだろう  そうだね、普段はお客さんたちから色んな話を聞くんだが、あんたに限っては、こちらから話をしてやろう。  頭の固いウチの上司の──ちょっとした昔話をね。                - えーきいじめ -  あたいの上司の閻魔様は、四季映姫って名前でね。ナリは若いがもう結構長いこと、幻想郷の裁判長やってんだ。あんたをこの先で裁くのもそのお人さ。なァに、気負うこたないよ。見た目は可愛い女の子さ。  あたいとどっちが可愛いかって?  はっはっは、乳と背丈ならあたいのが上だね。……訊いてないって? あ、そう。  まぁそんな、さても見目麗しき四季様──いや、ここでは映姫様と呼ぼうか。とにかく融通利かないのが難所でね、何かと白黒はっきりつけたがる。もうお説教が趣味みたいなモンで、仕事がないときにはわざわざ幻想郷くんだりまで飛んで行って、道すがら出会った人にお説教していくのさ。そして最後は『善行しないと地獄に落ちますよ』って、一種の脅しじゃないかい、あれ。  ……死ぬ前から気にかけてくれている優しい人じゃないかって? イヤァ違うね、あれは絶対楽しくてやってるね。  実益兼ねてるから何も言えないけど。マァあたいとしても、渡す時間が短くてすむのは楽ではあるし、とやかく言うこともないさね。  確かに、ひたすら真面目な人ではあるのさ。そんな生き方じゃ窮屈だろうに、好き好んでそれやってるんだから始末に負えない。ま、あたいは単なる渡し守だから、閻魔の仕事がどんだけ大変かなんて、そりゃ分からないけれどね、少なくともあたいよりかは大変だろうさね。  映姫様は、お裁きが厳しいことでも有名でね。イヤ閻魔ってのは大体そうだが、映姫様は特にね。  特に生前忠告を与えたやつが、死ぬまでに改善してないようだとそれはもう……おっとお客さんは怯える必要ないだろうに。善いこともしてないが悪いこともしてないだろう? ちょっと滞在する程度ですぐ転生できるんじゃないかね。  まぁ閻魔様って言ったって、モノだって考えるし眠たくもなるし疲れもするし──恋だってするのさ。あんな辛気臭いとこにいたんじゃ出会いにゃ恵まれないがね。  いやまったく、あたいも良い男が欲しいんだけど、同僚の死神達ときたら陰気なやつばっかりでサ。せっかくの死出の旅なんだ。もちょっと明るくお出迎えできないものかって思うんだがね。  ……でもそれも仕方ないのかねェ、外の世界じゃいつだってたくさん人が死ぬらしくてネ、それも不幸な死に方をした人や悪人ばかりが送られてくるとかで、気が滅入っちまうのかもね。  だから、毎日毎日死人の相手しなきゃいけない閻魔様なんて、そりゃあもっと大変なのさ。そいつの人生に本当の終止符を打たなきゃなんないわけだから。感謝されることも恨まれることも、そりゃ三途の河原の小石の数よりずっと多いんだ。  マァ言い渡される判決はたいてい自業自得ってヤツなんだから、死んじまった人間が口出しできることでもないし、閻魔様も気に病むこたないんだけども……映姫様は、それができないお人でね。自分の下した判決に、ずっと悩んでるなんてぇことも、よくあるんだよ。  ──ああ、だからわざわざ生きてるうちに忠告なんかに行くのかね。一人でも多くの人に、良い死を迎えてほしいんだろ。なるほど、確かにお優しい。飛び方もおぼつかないよな幽霊にそれ教えられるようじゃ、あたいも死神としてまだまだだ。反省、反省。  さて、そんな映姫様だが、かつては、恋をしたこともあったのさ。ずっと昔のことだがね。  その日も映姫様は説教相手を探し求めて幻想郷を飛んでいたんだ。その結果がどうだったのかは知らないが、帰り道で、映姫様はある人間の男の子を見つけたのさ。  そいつはどうやってだか、今渡ってるこの川のほとりにまで辿りついててな、そう、さっきあんたがこの船に乗り込んだあたりさね。そこでぶっ倒れてたって話さ。十やそこらの餓鬼が辿り着くには、かなり大変な道だってのにね。  生き倒れにしちゃあ身綺麗だったし、自殺志願にしちゃ色々荷物も背負ってたみたいで。捨て置くわけにもいかないから、映姫様はそいつを近くの掘っ立て小屋に連れてって介抱したんだ。  ところがそいつ、何から何まですっぱり忘れてたんだ。記憶喪失ってやつさね。  サテ困ったのは映姫様だ。名前も分からない、どこに住んでたかも知らないじゃ、どこに送ったらいいか分からない。しかも仕事の時間も迫ってて、あまり余裕がないときた。だからといってこのまま放っておこうとも思えなかった。基本的に面倒見のいいお方だしね。  結局、映姫様はそいつを生きたまま彼岸にまで連れて来ちまったのさ。  生きた人間をあの世に連れてっちまうってのはちと問題があるようだが、なに、あたいらも実体持って存在してんだ。変なとこにさえ迷い込まなきゃそれほど危険てわけでもない。  とりあえず、彼の記憶が戻るまで置いとくことになったのさ。何もさせないわけにもいかないから、映姫様の補佐をさせてね。まぁそう長いことにはならないだろってことでね。  記憶がないせいか、そいつは素直で善いヤツでね。物覚えもいいし、洞察も深い。元々そういう素養もあったのかも知れないね。映姫様、映姫様ってついて回って、どこの仔犬だいなんて思っちまったもんだが、どっこい一ヶ月もすりゃあ映姫様の隣で立派に仕事を勤め上げていたさ。  だというのに、記憶は一向に戻んなくてネ。そ、全然。まァ本人不自由してないし、仕事もはかどるしでありがたかったし、あたいがちょいと冗談で言ってみたわけよ。「もうこのままずっと置いときませんか」ってね。  そしたら映姫様ったら、「それもいいかもしれませんね」だと。  ……ほんとは、そういうこと言う人じゃないんだ。そも、生きてる人間がこっち側にいるってこと自体、おかしいんだからね。そいつがいるのだって、記憶が戻るまでの応急処置みたいなもんだったんだし。冗談でも、現状を良しとするようなことを言う人では、なかったんだよ。  そうさ、映姫様は、そいつに恋しちまってた。それが映姫様の初恋だった。  閻魔仲間からは仕事が恋人の堅物だなんて言われちまってるが、そんな訳ァなかったんだ。もちろん彼との関係は秘されてたけど、二人が男女の仲になるまでにそう時間はかからなかった。  まぁでも、そこは映姫様さね。恋にかまけて仕事おろそかにするよな人じゃない。彼は彼で真面目だったしね。むしろこれまで以上に張り切って、あたいも精一杯働いたのにそれでも怠け者扱いされる始末だったのサ。  そんときの映姫様は、とても幸せそうだったねェ。  ああ言っとくが、寝床を共にすることはなかったンだよ。邪推しちゃ駄目だぜお客さん。……してない? あ、そう。  マァ二人とも純情だったしね。イヤ映姫様に限って言えばありゃうぶなだけか。生まれたときから一緒にいたわけじゃないから分かんないけどサ、もしかしたらまだ一度も──っと、流石にこれは言うことじゃないかね。  あたいはどうかって? ははははははは。──次訊いたら叩き落とすからね。  まぁそれはともかく、二人はそれはもう清い交際を続けてたのさね。見てるほうが砂糖吐きたくなるくらいに。主にあたいだけど。  お互いがお互いを思いやってね、まさに恋人のお手本みたいなモンだったのさ。  でも──だからこそ、それは長続きしなかったンだ。  映姫様は、思い始めたんだね。本当にこれでいいのかと。自分はいたずらに彼の命を浪費しているのではないのかと。  あたいらにも寿命ってもんはあるが、人間のそれとは比べ物になんないくらい長いものさ。いや、ともすると寿命ってものの意味すら違ってるのかもしんないね。  ま、ともかく、映姫様は全くお姿が変わらないのに、彼だけが年老いていくんだ。映姫様は、それを目の当たりにしたんだね。彼はもう、十年もそこにいたから。  それで悩んだ末、映姫様は一つの決断をしたんだ。  彼を此岸に帰すってね。  勿論記憶は戻っちゃいなかったんだけどね、人には人の生ってものがある。それを曲げることは、人生の後始末をする映姫様には、できなかったんだね。  そりゃあ彼も悲しんだし、嫌がったさ。思い返せば、それがあいつの唯一の我が儘だったんだよねェ。記憶のないあいつにとって、それこそ映姫様は自分の全てだったからネ。無理もないことさ。  最終的には彼も納得して、向こうに帰されたんだ。彼岸での記憶を消し、代わりに新しい記憶を与えられてね。マァ正しくは記憶じゃなくて歴史なんだが……そうそう上白沢の。彼女の協力でネ。堅物同士映姫様と気が合うみたいでね、無理言って、やってもらったんだ。  そのあとそいつがどうなったか、そりゃあ知らない知るわけない。もうそいつは、あたいと映姫様の知ってるそいつじゃないんだ。顔が同じだけの別人さ。  彼と別れたあとの映姫様は、傍目にはきちんと仕事してたけど、しばらくはかなり落ち込んでてね。痛々しいったりゃありゃしなかったよ。  それでこの話はお終いさね。お涙頂戴のよくある悲恋譚さ。  ……いつごろの話かって? さぁ、随分前だったとは思うがねェ。彼ももう、生きてはいないだろうさ。  さて、そんなことをしてるうちに着いちまったよ。降りてくんな。  この扉の先に映姫様がいるから、粗相のないように。心証悪いとそれだけで地獄に行きに── 「それならあなたが真っ先に地獄行きですね、小町」  っととぉ、ありゃりゃ、聞こえちまってたみたいさね。  まぁいいや。映──あぁいや、四季様、今日最後の死人を連れてきました。 「入りなさい」  はいよ。ほら、行った行った。 「よく来ました。それではこれより裁判を──」  …………。 「────」  ……四季様、裁判を。 「──! ……ええ、そうですね、失礼しました」  …………。 「あなたは、良い人生を送ってきたようですね。生活は慎ましやかながら勤勉に日々を生き、少ないながらも友に恵まれまたそれを大切にし、──娶った妻を愛し、子を育て、天寿を全うしました。  人として欲が少なすぎるのは問題ですが、あなたはあなたが愛した者に愛されて死んだその結果は誇るべきものです」  …………。 「しかし──しかしあなたは、あなた自身が及びもつかないところに、置き忘れてきたものがあります」  ──四季様。 「そうなってしまったことは、あなたの罪ではありません。……戸惑うことはありません。あなたはこれよりしばらくののち、再び人の命として転生することになるでしょう。  それまでの間、あなたが記憶と共に置いてきてしまったものに思いを馳せること。それが、今のあなたにできることです」  …………。 「これにて閉廷です。お行きなさい」  ──だってさ。ほら、お帰りはあちらだよ。お客さん、次も善い人生を送んなよ。 「…………」  …………。 「…………」  …………。 「……小町」  あい、なんでしょ。 「分かっていて、彼をここに連れてきたのですか」  イーエ、そりゃ見かけたときはあたいも驚きやしたがね、彼が今日ここに来たのは単なる偶然ですよ。それにさ、分かりきってたことじゃないですか。  彼は人間なんだから、そりゃあ、いつか死んじまいますよ。 「そう、ですね」  未練がおありで? 「未練などとうの昔に断ち切りました」  ふーんそうですかい。ならいいんですか。  まぁ、幸せそうだったじゃないですか。七十年生きりゃ大往生でしょうよ、こっちで過ごした十年を差し引いてもね。 「……そうですね」  …………。 「…………」  ところで、『善行』だとは言いませんでしたね。 「死んだ者に、善行も何もあるものですか。それに──あれはただ、私の我儘みたいなものですから」  ──ははは。 「何がおかしいんです」  いやね、映姫様も、少しは我儘言うもんだなァと、ちょい感動してました。 「…………」  感動ついでに訊きますが、やっぱり今でも、好きなんですかい? 「しつこいですね、あなたも」  はいはいしつこくて結構ですよ。で、どうなんです? 「──、はい」  あのですね、そんな辛気臭い顔して言うことじゃあねぇでしょうよ。一途に想い続けるってのは、悪いモンじゃないでしょう? 「ええ、分かっています。分かって──いるんです」  それでも、ですか。 「それでも、ですね。  辛い。ただひたすらに辛い。自分で選んだこととはいえ、彼が私のことを覚えていないことも──他の女と契ったことも」  あー、そりゃまァ、女としちゃ当たり前の感情でしょうよ。四季様が気にするこたぁない。 「ありがとう、小町。……フフ、こんな風に部下に心情を吐露するなんて、私も随分と弱くなったものですね」  そうですかね。 「ですよ」  ですか。 「……ねぇ、小町。ちょっとここ、任せてもおいてもいいですか?」  エエ構いませんが、どちらへ? 「ええ……私も、忘れてしまおうかと」  半獣のところに、ですか。四季様は、それでいいんですかい? 「そうしなければいけないのですよ。私と彼は、本来出会うべきではなかったのだから。  ならば、彼だけが記憶を喪わねばならないのはおかしい。平等と言うなら、私もまた、彼のことを忘れなくては」  まぁ、四季様がそれでいいってンならあたいがとやかく言うことじゃないですからね。あたいは忘れませんが。 「ああ、それならば安心できます。私も彼も忘れても、私と彼の想いが間違いなく真実だったことを、あなたが覚えていてくれるなら」  そんな大層なモンじゃあないですよ。ただめんどくさいだけですから。  ま、あたい頭良くないですから、一晩寝ればすっかり忘れて、明日からは話題の端にものぼんなくなるでしょうよ。 「あなたのそういうところ、嫌いではないですよ。──では、行ってきます」  あい、行ってらっしゃいませ。  ……………………。  …………。  本人を前にしちゃ言えないから、こんなこと言うんだけどサ。  四季様、あんたは逃げたがってるだけだろう? 未だ燻る自分の情から、既に喪われた彼の愛から。  そりゃマァ、初恋は実らないなんてェ言いますがね、自分から手放しちゃってんじゃあ、世話ない話でしょうに。  それにねェ、四季様。  ──その初恋が一体何度目かなんて、覚えちゃいないんでしょう?  出会うたびに恋に落ちて、別れるたびに涙を流し、裁くたびに歴史を消して。  それを何回繰り返したかなんて、覚えちゃいないんでしょう?  彼が死んで、魂が転生しても、その魂のカタチに、あんたはどうしても惹かれちまうンだ。そうさ、何度でも何度でも。  それは彼とて同じさ。何度生まれ変わっても、魂の奥底で燻る想いに突き動かされて、彼岸と此岸の境目まで辿りついちまうんだ。そのために、色んなものを喪っちまっても。  そしてやっぱり四季様と出会って──恋に落ちちまうんですよ。  同じ恋を、無限永久繰り返してる。いつ終わるとも知れない恋の迷路を、四季様は彷徨ってるんですよ。  気づかぬままずっとずっと同じ道を行き続けて──それでも、四季様、あたいはそれでもいいと思うんだ。  愛しさも苦しさも忘れちまってもさ、いつか何かの間違いで、恋を成就させるかもしれねぇんですから。  それは二十年後かもしれないし、何百年と先のことかもしれないけれど。もしかしたら、未来永劫成就されないかもしれないけれど。  それでも、あたいはずっと覚えてますよ。  四季様が忘れちまった苦しみは、全部あたいが背負っていきますよ。  だからいつの日か、幸せになってくれりゃそれでいい。例え彼が寿命で死んじまっても、忘れたくなくなるような確かな気持ちを得てくれりゃ、それでいい。  それまで、あたいはずっと、四季様のお側にいますから── #えーきいじめのつもりがいつのまにかこまちいじめになってた。反省はしていない。