幻想郷に来たとき、歯を磨く習慣がないことに度肝を抜かれた。しかし、早苗さんに連れられて古道具屋に行った際、その店内で何故か歯磨きセット一式を見つけて、俺は思いっきり肩をなでおろした。
 既に所有している早苗さん以外の分、三セットを即断で購入し、守矢神社で弾幕ごっこをしていた二柱にプレゼントした。
 この日は神奈子さんが諏訪子さんに惨敗したようで、神奈子さんは相当悔しがっていた。何でも五戦五敗とのことだ。それとは全く対照的に諏訪子さんの方はご機嫌がよく、俺に今日の戦跡について詳細に教えてくるものだから、神奈子さんの神経は余計に逆撫でされてしまっていた。


 満月のよく見える夜。俺が就寝前の歯磨きをしていると、諏訪子さんが洗面所に入ってきた。一人分のスペースを空けてやる。諏訪子さんにとっても歯磨きはすっかり習慣になってきたようだ。
 シャコシャコと歯を磨く土着神の頂点。しかし、その覚束ない手つきは子供が歯磨きをする姿によく似ていた。歯の表側だけをみがいているようだ。歯の裏側や奥歯もしっかりと磨かなくてはいけないのに、これでは歯磨きにはならない。俺が磨き終わらないのに、諏訪子さんはもう歯ブラシを濯いでしまった。
「諏訪子さん、ちょっと待ってくださいよ」
「ん? なに、○○」
 口の端に歯磨き粉の泡をつけて俺を見上げた。その姿、全く神には見えない。
「その磨き方じゃ歯に良くないですし、諏訪子さん舌も磨いてないでしょ。そんなことじゃダメです、俺が磨いてあげますから」
「いいってば! 自分でやるからぁ! 子供じゃないんだからぁ!!」
 去り際の首根っこをつかんでやると、じたばた暴れだす。
 子供じゃねえか、どう見ても。――なんて、口に出して言ってはいけないことぐらい、とっくに学習した。諏訪子さんは自分の風体にコンプレックスがあるのだろうが、子供扱いをとことんまで嫌っている。仕方ない、神奈子さんはしっかりとしたくびれのある体つきだし、早苗さんも背があるぶん後の成長が期待できる。反面、諏訪子さんはどう見てもつるぺた幼女だ。
 そんなこんなで、諏訪子さんはそう言って自分で歯磨き粉を取り、歯ブラシいっぱいに塗りたくる。むすっと頬を膨らませて、子供じゃないってのに、とか呟きながら歯ブラシを口に突っ込んだ。
 ――瞬間。
「うわわわああああ!!!」
 言わんこっちゃ無い。横に自分の歯磨き粉が一本あるのに、調子に乗って俺が使っている『辛さ百倍 スペシャルブラックミント』を使うからだ。これは霖之助さんに頼んで仕入れてもらった品だ。幻想郷の中でもこれをつかって平然としていられるのは俺しか居るまい。
 それにしても、なんというボケ方か。
 そして、涙目で手足をバタつかせている諏訪子さんは、俺の嗜虐心をこの上なく高揚させる。諏訪子さんが持っている歯ブラシを強奪し、そのまま舌を磨いてやる。
「何やってるんですか。またそうやって歯磨きしないつもりなんでしょ?」
「ひ、ひがう! う、うひゃああわあぁ!! ひゃめて、ひゃめて!!」
 痛がってる、痛がってる。以前早苗さんが試しに使ってみたところ、限度を超えた清涼感に『痛かった』との感想を漏らしたほどだから、“おこちゃま・すわこたん”には酷なのだろう。
 奥歯のあたりも磨いてやろうと思ったが、火事場の何某を発揮して俺の腕を振りほどいて、うがいをし始めた。優に湯のみ十杯分の水で口内を濯ぐ。途中鼻を啜る音が聞こえてきた。あまりの辛さに耐えられなかったのか。諸々の事象で、諏訪子さんは見た目どおりだ。
 うがいし終えると、ぐすっ、と鼻水をすすった。やはり泣いていた。
 涙眼のまま諏訪子さんは、落ち着いて専用のメロン味のする歯磨き粉を取った。ちなみに、神奈子さんは赤青白の三色のものを、早苗さんは薄荷の弱いものを使っている。もちろん提供は香霖堂だ。
 しかしそのチューブは完全に平べったくなっていて、もう残量はほとんど無いようだった。
「神奈子~、私の歯磨き粉ある~?」
「はいよ」
 しかし、やたらと手早い。
 何度も濯いだ歯ブラシに緑色の練り粉を乗せて、舌から磨こうとした。よほどミント味が残っているのだろう、甘さで相殺しようと思っているらしい。
 口に含む。諏訪子さんの口の中にメロン味が広がる――
「あ゛~~~~う゛~~~~!!! 辛い、辛いよぅ!!!」
 なんと、辛いといいながら涙を滝のように流し始めた。そして、駆け足で洗面所から出て行った。
 何が起きたのかは全く解からない。とりあえず、諏訪子さんが捨てて行った歯ブラシを見てみる。
 手に取った瞬間、妙な違和感を覚える。何か、鼻にツンと来た。
 腑に落ちないまま、今度は歯磨き粉のチューブを見てみる。

 ――それはチューブ型練りワサビ。
「辛いわ、そりゃ」
 どうしてそんなものが、と思いながら部屋のほうを見ると神奈子さんが腹を抱えて笑っていた。どうやら昼間の仕返しをしたようだ。
 しかし、ここまで泣きっ面を蜂に刺されてしまう神はいないだろう。人間でもなかなか起きないミラクルを目の当たりにできて、今日は健やかに眠れそうだ。



「うわぁ~ん! さなえ~、○○と神奈子がいぢめるぅ~……」
「よしよし。すわこたん、痛いの痛いの飛んでけ~」
「あーうー!! 早苗までいぢめるなんてひどいよ~~!! わ~~~~ん……!!」



      ○



 翌日。夜中に雨が降っていたようで、地面はぐちゃぐちゃになっていた。
 諏訪子さんは当然のごとく機嫌が悪かった。というか、拗ねている。
 挨拶をすればぷくりと頬を膨らませてそっぽを向き、“歯磨き”という単語をいった瞬間に涙目で睨まれた。全く怖くはないが。
 しかも、メロン味の歯磨き粉は本当に切れていた。今朝は仕方なしに早苗さんのを使ったらしい。ミントは苦手らしく、諏訪子さんはヒーヒー言いながらブラッシングをしていた。間違っても神奈子さんのものは使いたくなかったようだ。無理もないが。
 そして、朝食を食べ終えても諏訪子さんは拗ねたままで、俺に顔すら見せようとしなかった。

 午前中の内に早苗さんと買い物兼信仰集めを手伝った。勿論買い物というのは、諏訪子さん愛用の、“幼児用歯磨き粉・メロン味”である。ついでに、新作だよと勧められた“ハイパワーミント・○○推奨”という、訳のわからないものもあったので、しっかりと頂いてきた。霖之助さんと永遠亭の共同開発らしい。
 帰り道、早苗さんは俺が買った歯磨き粉を一度使わせてくれと言ってきた。怖いもの見たさ、と言った様子であった。俺がまず使って様子を見てからのほうがいい、と言うと、納得したように頷いた。たぶん舌が使い物にならなくなると思うから、止めておいたほうがいいと思うのだが。
 神社に帰ってくると、相も変わらず、今日も二柱は弾幕ごっこに明け暮れていた。
 ところが昨日の状況はうって変わって、神奈子さんが圧倒していた。既に諏訪子さんはボロボロの状態で、笑顔の神奈子さんの攻撃を凌ぐのに精いっぱいだ。
 耐えられず、諏訪子さんは距離を取ろうとした。
 しかし、背中を見せるのは良くなかった。好機を逃すまいとした神奈子さんは、集中砲火を浴びせかけた。弾幕は諏訪子さんの後頭部に当たり、足にも絡みつくように飛んだ。
 目のついた変な帽子は吹き飛び、足にも当たったせいで転びかける。
 その体勢にダメ押しが入った。
 腰に弾幕が直撃する。吹き飛ばされた身体は、沼のように濁っている大きな水たまりに突っ込んでいった。
『ぐちゃ』
 いや、水たまりではなかった。泥沼だった。
 諏訪子さんはうつ伏せのまま肩を震わせ始めた。間もなくすすり泣く声が聞こえてきたと思ったら、終いには『うえ~~ん……』と声を上げ始めた。
 バツの悪そうな顔をしている神奈子さんを余所に、俺と早苗さんで諏訪子さんの許に走った。
 見るも無残である。顔を上げさせてみると、早苗さんも俺も言葉をつなげることができなかった。顔から足の先まで泥に塗れた姿は、まったく神様には見えない。夕暮まで遊んで帰ってきた幼稚園児でもここまで泥だらけになることはできないだろう。それほどまでにひどい姿だった。
「洩矢様、とりあえずお風呂に入りましょ。ね?」
「そうですね、そのほうがいいですよ」
 必死に慰めようとしたが、それでも土着神の頂点は泣き止まない。逆に悪化したような気がするほどだ。顔面を強打し、泥の上をスライディングしたとしても、神が前後不覚に泣きわめくのもどうかと思ったが、ここにいる神はどうみてもつるぺた幼女なので、問題はないように感じてしまうから面白いものだ。
 結局早苗さんに右手を引かれ、泥だらけの左手で同じく泥だらけの顔を拭いながら風呂場のほうへ歩いて行った。
「神奈子さん、昨日の腹いせは練りワサビ味の歯磨き粉で済んだんじゃなかったんですか?」
「ううーん、なんか、弾幕打ってる間に腹が立って来ちゃってねぇ。一発巧く決めたぐらいでニヤニヤしたもんだから、本気出しちゃったわ。でも、泥に顔から突っ込んでいくとは思わなかったわ。あれは事故よ」
 俺の目には、巧いこと諏訪子さんが泥溜まりを背にするように陣取ったからではないかと思ったが、それを言っては俺も泥まみれになりそうだったので止めておいた。
「ところで、あの服どうしましょうね。帽子も」
 諏訪子さんの服のストックなどのことは知らないため、非常に気になる。帽子はズタズタに割かれてしまっている。これこそ控えがあるのか分らない。
「安心しな、○○。その辺、抜かりはないから」
 ついて来なよ、と言って神奈子さんは俺を引きずって神社の社に入った。

 神奈子さんの部屋の前に立たされて二分程経った。中からはごそごそと何かをあさる音が聞こえてくる。
 どうせ神奈子さんのことだから、昨日の続きのようなことを考えているのだろうけど、何が出てくるかは見当もつかない。だが、昨日の一件以来、俺の中に潜んでいた嗜虐心が完全に芽生えてきた。神奈子さんがどうやって諏訪子さんをいじるのか、そして、俺はそうやって諏訪子さんをいぢめるか考えるのが面白くなってしまっていた。
「開けていいよ」
 許可が出たので襖を開く。
「ね? これならいいじゃない」
「ははは、参りましたよ、神奈子さん。これならいいですね、脱衣所のところに置いておきましょう」

 早苗さんが脱衣所の様子を盗み見して戻ってきた。笑いを堪えているのか、諏訪子さんの恰好に興奮しているのか定かではないが、顔を真っ赤にしている。耳まで赤かった。
「どう?」
「八坂さま、一体あれをどこで手に入れたのですか?」
「香霖堂。機会があったら諏訪子に着せようと思って」
「いつのまに行ってたんですか、神奈子さん」
「ひっそりと、ね」
 愉快そうに笑った。
「あー、うー……」
 聞き慣れた呟きがひっそりと聞こえた。そして、居間の襖がゆっくりと開かれた。
「あーっはははは!!」
 二人と一柱の大爆笑が守矢神社に響き――。
「あ~~~~う~~~~!!!」
 そして、一柱が外へ飛び出して行き――。
「あうっ!!」
 先ほどの泥沼に、また顔から飛び込み――。
「うわあああああああああああああああああん!!!!」
 泥に顔を擦り付けるようにしながら、大泣きし始めた。

「しかし、幼稚園の制服とはねぇ」
「私の見立てに間違いはないでしょ?」
「黄色い帽子なんて、失礼ですけどすごくお似合いでしたよね。○○さん、今度写真を撮っておきましょうね」
「そうですね~」


「あ~う~……。もう、こんなの、やだよぉ……」





















  • なんといういぢめ
    萌えた -- 名無しさん (2009-03-27 08:18:16)
  • これは反則
    俺は○○になったぞぉぉぉお!!!! -- 名無し妖怪 (2009-03-27 15:13:48)
  • いぢめだけど、どこかほのぼのとしている。
    これは是非とも続きが読んでみたいなぁ。 -- 名無しさん (2009-04-08 05:41:09)
  • 諏訪子を愛でるために、私は神になる!!(ぇ -- 名無しさん (2009-04-08 22:32:19)
  • 素晴らしい…実に素晴らしい!
    諏訪子本人にとってはたまったもんじゃないけどね -- 名無しさん (2009-04-10 12:37:57)
  • 最高だ! -- 名無しさん (2009-04-14 15:15:29)
  • こんな名作があったのか…いやはや、素晴らしいの一言に尽きる -- 名無しさん (2009-12-16 21:54:16)
  • 素晴らしい 萌えた -- 名前が無い程度の能力 (2012-02-25 19:53:37)
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最終更新:2012年02月25日 19:53