竹林の中を進んで行くと、背後に何かの気配が感じられた。どうやら何者かに後を付けられているようだ。
 やや立ち止まって気配を探ると、射抜くような視線を感じた。そして後ろを向くと、視界の端に竹の色彩に紛れることのできない、薄桃色の影が一瞬見える。俺が振り向いた一刹那の間だけ、薄桃色の餓鬼臭いデザインの服が見えるのだ。
 どうやらあれが、因幡てゐとかいう、嘘吐きで腹黒い穢れきった兎らしい。道案内に見せかけて時折自製の罠に嵌めてやることもあるという。成程、全身から底意地の悪さが漏れ出しているようだ。
 依頼によれば、俺はこいつの鼻柱をへし折らねばならないようだ。

 竹林を尚も進む。俺が少し速度を速めるとてゐも速足になり、立ち止まるとてゐも止まる。だが、惜しいことに、てゐの足音がこちらに小さくではあるが聞こえてきてしまっている。探偵としては不合格だ。
 延々と藪の中を周回していると、時々ひどくささやかな声で、「ったく、あと少しなのに……」と悔しそうに言った。俺は笑いを抑えるのに苦労していた。
 三十分ほど廻った頃合いを見計らって、俺はてゐの望む方向へと歩を進める。先ほど変な形に蔓が巻いている竹を見つけていた。あれが、てゐが日々仕掛けているという罠なのだろう。その方向に歩いて行くと、何となく背後の足音が愉快そうに聞こえてきた。
「うわぁ」
 罠の下につくや否や、俺はワナの右側の繁みに身体を隠す。悲痛な叫び声を上げておく。ためらいなく罠に突っ込んで行き引っかかった風に見せかけるのだ。
「やった」
 愉しそうな声とともに、ウサササという笑い声を漏らした。
 俺が罠に掛かったとでも思ったのだろうか。俺の方こそ、笑いを堪えられなかった。
 てゐが罠の目の前に着いた。当然だが、あるはずの獲物である俺の姿はない。
「あ、あれ? 何でいないの?」
 罠を確認しようとして、ゆっくりと“ポイント”に近づいてくる。俺はじっと息を潜める。気を抜いた瞬間が勝負なのだ。
 そして、“ポイント”に寸分違わぬ場所にてゐが立った瞬間、俺は胸元に忍ばせておいた、こーりんから譲ってもらい図書館の魔法使いに依頼し改良してもらった特製の装置の起動釦を押した。
「え、きゃあああぁぁぁぁ……!」
 ガシャン、シュルシュル、という音を残し、てゐの幼児体型は少し大きいくらいの石に見えるほどの高さに上がって行った。おそらくは七十尺くらいだろう。
「流石だな。動いたところは見たこと無かったけど、ここまで巧くいくとは」
 上をちらりと見ると、腹黒兎はなにやら喚きながらもがいている。魔法を使って編みこんだ糸を解けるはずが無いのに解こうとしているようだ。縦しんば解けたとしても、家の屋根よりも高い位置からの自由落下が腹黒兎を待っている。無傷でいることはおそらく出来まい。
「ちょっと、そこのアンタ! 何してくれるのよ!!」
 今度はしっかりと言葉が聞こえてきた。文句を言っているらしい。
「何って、根性の腐っている兎が情けなくも罠に引っ掛かったって言うから見に来ただけだぜ?」
「アンタが仕掛けたんでしょう!? 早く解きなさいよ!!」
 てゐはヒステリックに叫び始めた。竹林の中に反響して、非常にうるさい。
「何をいう。お前は自分の日頃の行いを反省してから叫んでみればどうだ」
「初対面のアンタが何を知っているっていうのよ!?」
「おいおい、俺をなめてもらっちゃ困るぜ、因幡てゐ。知ってるんだぜ。妖精、雑魚妖怪の類やら、お前んとこの何某亭だかで薬師の弟子をしている兎を罠に嵌めて放ったらかしにして遊んでいるそうじゃないか」
「なっ」
 絶句した。腹黒という二つ名を持つくせに、一言で黙るとはだらしが無いことだ。
「しかもお前、そこの罠に初対面の俺を嵌めようとしてただろうが」
「な、なんのことかな~」
「とぼけんな、クソ兎。聞こえてたぞ? あと少しなのに、とか、やった、とか」
 てゐは黙り込む。今日は詭弁強弁嘘八百を発揮しないのだろうか。
「まあいい。因幡てゐ、周りの迷惑を顧みなかったお前は少し調子に乗りすぎた。偶には罠に掛けられる気分を味わってみればいいじゃないか。貴重な経験だぞ」
「うるさい! いいから早く解きなさい!!」
「その高さじゃ、ちょっと無理だな」
 ははは、と高笑いをしてみせると、てゐの口調に変化が現れた。
「……は? ちょ、ちょっと。悪い冗談はよしなさいよ」
「いやいや、実はさ。その仕掛けで、お前がそんな高さまで昇っていくとは思わなかったし。周りが木ならいいけど、竹じゃ取っ掛かりがないから登っていくこともできないし、届かないなぁ」
「ふ、ふざけないでよ。届かないなんて無責任すぎでしょ!?」
「そう言われたってなぁ……」
 困惑して何もわからないよ、という風な口調で言ってあげる。
「――最初から、解いてやる気なんか無かったし」
 ひゅう、と息を呑む声が聞こえた。表情を窺い知ることは距離的に無理が生じているが、恐らく顔の血の気は失せ、腹の中の色とは全く逆になっていることだろう。
「まぁ、せいぜい精進するんだね」
「ま、待ってよ。待ってってば! 助けて、お願いだから、謝るから!!」
「お、ここでようやく君の嘘が出てきたねぇ」
 立ち去ろうとした俺に、非常に興味深い言葉がかかったので、丁寧に返答してやることにした。
「嘘? 嘘なんかじゃないってば。助けてよ、ねえ! お願い、ホントに、謝るから助けてよっ!!」
「ぎゃあぎゃあ喚くな、本当に喧しい。だから言っただろう? お前がいつも罠にかけたやつを放置しているから、たまには同じことをされるのもいいんじゃないのかって。大田胃酸よりもいい薬だろ」
「だから、謝るから! ごめんなさいって、みんなに言って回るから!」
「今さら謝るとか、直ぐばれるような嘘はやめたほうがいいんじゃねーのか、この腹黒が!」
 痛烈に吐き捨て、俺は永遠亭の方角へと歩み始めた。
 上空からは、何度も何度も、許しを請う甲高い声が響いていた。
 騙されてはいけない。所詮は白河夜船なのだ。


     ○


「首尾はどうだったの」
「無事成功しましたよ。今は大きな物見櫓ほどの高さで宙ぶらりんになっています」
 永遠亭に着くと、八意永琳と鈴仙・優曇華院・イナバが迎えてくれた。永琳がいきなり興味津津といった様子で聞いてきた。答えると、満足げな表情で頷いた。
「ふう。これでしばらくは、ウドンゲがてゐに邪魔されずに私の補佐ができるようになるわね」
「全くです、師匠。○○さん、本当にありがとうございます」
 鈴仙が俺にお辞儀する。耳がパタンと下に垂れた。
「それにしても、仲の良かった貴方がたが、どうしててゐをこんな目に?」
 昨晩、こーりんと作業をしながらも、気になっていた部分を永琳に訊いてみた。
 すると永琳は表情を全く変えず、穏やかに言った。
「実は最近新薬の研究をしているんだけど、これがどうしてもウドンゲがいた方がやりやすいのよ」
「二人で手分けしたほうが便利ですしね」
「そうなの。ところがてゐがしょっちゅうウドンゲを連れ出して罠に嵌めるし、すぐ外してやるとか何とかするならいいけどそのまま放っておいたりするもんだから実験が進められないのよ」
 ようやく、俺は合点が行った。
「つまり、お灸を据えてやるのと、邪魔な者の処理であったのと」
「そういうことよ。これであの兎も実験が終わるまでは静かにしているでしょ。――尤も」
 永琳は言葉を切ると、横目で鈴仙を見た。
「ウドンゲが罠に引っ掛からなければいい話なんだけど」
「そりゃないですよ、師匠。私だって掛りたくて罠には引っ掛かってるわけじゃありませんて」
「じゃあ、どうして?」
「避けたら避けたで弾幕をぶつけてきて無理やり嵌めてくるんですもん」
 俺はそれを聞いて、三度頷いた。
「やっぱり、放ってきて正解ですね」
「ま、明後日の夕方にでも解きに行きましょうか。研究が終わった後ででもいいでしょ」
「あ、いや。解くのはちょっと難しいかと」
 かなりの高さのところにつるされている状態なので、というと永琳は一瞬きょとんとするが、すぐ元通りの表情に戻ると、
「そこはウドンゲに飛んでもらえば大丈夫よ。恩を売っておけばいいじゃないの。ねぇ、ウドンゲ?」
「そうですね」
 鈴仙は頷いた。うれしそうに。



     ※



 日はとっぷりと暮れて、竹林は夜の闇が舞い降りた。光を発しているものは、因幡てゐの視界に入るものに限定すれば、遙かに見える永遠亭の灯りだけである。
 てゐは必死に叫んだ。辛辣に一刀両断していった人間が見えなくなっても叫んだ。もしかしたら、声を聞いて鈴仙あたりが助けに来てくれるかもしれないとも思った。だから叫び続けた。
 だが、それは徒労だった。
 そもそもあんなことを言った者が義理堅く罠を解くわけがないし、あの人間が言っていたことを反芻すれば鈴仙はとてもじゃないが来てくれはしない。ひょっとすると、永琳が一枚噛んでいるのかもしれない。そうだとしたら、人のいい(兎のいい、のほうが正しいのか)鈴仙が助けに来ようにも来れるはずが無いのだ。姫ははなから計算外だ。
 それにしても、叫びすぎたせいで喉がヒリヒリと痛む。せめて水があればよかったのだが。
「あれ……?」
 知らず知らずの内に俯いていた顔をあげると、そこに居たのは夜雀のミスティア・ローレライと妖蟲のリグル・ナイトバグ。両方ともきょとんとした表情だ。
「どうしてこんなとこにぶら下がってるの? 新しいベッド?」
 間抜けな質問はリグルである。
「……んなわけなでしょ」
 てゐの口を割って出てきたのは、ひどく枯れた声だった。
「ふーん……」
 何か納得したように頷くミスティア。馬鹿にされているような気がして、てゐは痛めた喉を庇いもせずに声を張った。
「何よ、言いたいことがあるんじゃないの!?」
 言って、後悔する。ここは強気に攻めるべきではないのに。――ほら、ミスティアの顔があっというまに歪んだ笑みで埋め尽くされる。
「罠にかかったんだ。いつも自分で作って私たちをはめてるくせに、情けないのね」
 嘲笑まじりにてゐの耳を弄る。
「あ、もしかして外してほしいとか?」
 ミスティアは表情を崩さずにてゐの正面に回って言った。
 何と素晴らしき提案だろうか。てゐの目が、本人の意識に縁らないところで光り輝いた。
 それを見たミスティアは、にたぁと笑って兎耳を目一杯の力で掴んだ。
「い、痛い!」
「馬鹿じゃないの? 何の義理があって、今までいろいろしてくれた張本人をどうして助けてやらきゃいけないの? 五面中ボスだからって何でも許されると思ってるわけ? 冗談じゃないわよ」
 掴んだ耳を高々と持ち上げ、さらに耳許で囁いた。
「……いい機会よね。宵闇の小歌謡祭の幕開けに、一曲聴いてもらいましょうか」
「ついでに、私も虫たちを呼んでおこうかしら」
 やめて、とも言えず、直後てゐは視界を失い、気持ちの悪い感触の虫に全身を包まれた。

     ●~~

 目が見えなくなると、視覚に虐げられるように勢力を志位作していたその他の機関が研ぎ澄まされる。
 今は聴覚と触覚だった。
 だんだんと何かが近づいてきているのだ。夜であることを考えると、あの黒い人食い妖怪らしいのだが。
「わはー」
 決定である。間違いなく、近くに居るのはルーミアだ。
 しかし、どこまで近づいてきているのかが分らない。妖怪が――ルーミアがもっと声を発してくれれば助かるのだ。
「あれー? あなたは食べてもいいうさぎ?」
 来た。正面、目と鼻の先だ。こんなに近くにいるとは思わなかった。
 喉の枯渇と驚愕で何も言えない。口がパクパクと開くだけだ。
「だ……、め……」
「そーなのかー、じゃあいただきまーす」
 必死の弁解も虚しく右耳に激痛が走った。



     ※


「さて、そろそろ助けに行きますかね」
 永琳が椅子から立ち上がる。二日間てゐが騒がないだけでこんなにも平和なのだと思うと、このままでもいいのかもしれないと感じる。さすがにそれは可哀そうだと思ってあげた方が心象がいいのだろうが。
「○○さん、行きましょう」
 鈴仙が俺を呼ぶ。俺は二人の研究の間、縁側でのんびりしていた。輝夜は一度も姿を見せなかった。

 永遠亭を出て暫し歩いて、昨日の場所に向かう。
 しかし、いくらその近辺をみても、浮かんでいるはずの腹黒兎の姿はない。
「あれ、おかしいな……。この辺りだったはずなんだけど」
「いないじゃないの」
 よもや、妖怪に食い殺されたか、と妄想してみるが、そんな妖怪はこの近辺にはいないはずだと自己解決した。
「い、居ました! 師匠、○○さん、てゐ居ました!!」
 途端鈴仙が騒ぎ出す。俺と永琳が立っている場所から、左側に少し歩いたあたりの地面が陥没している。そこに鈴仙はしゃがみこんでいた。
 思い出せば、そこは昨日てゐが罠を仕掛けていた場所だった。俺と永琳がそろって駆け寄る。そして、落とし穴のように陥没している中を覗き込んだ。
 そこに、確かに、てゐは居た。そして、辛うじて息はある。
 片耳を完全に食われ、片方の脚を膝下から失い、薄桃色の服と魔法糸を鮮血に染め、蓑虫のような状態で虫の息になっている小さな体が横たわっていた。
「てゐ! てゐ! しっかりして!」
 鈴仙がてゐの体を支える。
 幸い頭部の強打は免れていたようで、頭部からの出血は見られなかった。
 しかし、下肢と胴体の損傷度合は中々に凄惨である。かなりの個所を骨折しているようで、呼吸が細い。恐らく肺に穴が開いているのだろう。
「この噛み口はルーミアね。大方全部食べようと思ったけど、魔法糸に触れて驚いて逃げたみたいね」
「その拍子で中枢の糸も切れて落下したと」
 永琳はひどく冷静な分析をした。
「大丈夫よ、これくらいなら。どれくらいの間こうしてたかは解からないけど、最長二日もこうしてたのなら問題ないわ。完全に息をしていないのなら危ないところだけど、息があるからね。私の手術で十分元気になるわ」
 それを聞いて鈴仙はほっと肩をなでおろした。
「ごめん、なさ、い……」
 てゐはうわ言のように呟いた。
 俺達は永遠亭に戻った。



     ▼



 永遠亭の縁側。俺と永琳はのんびりと竹林の方を眺めている。
「手術、無事終わってよかったですね」
「ホントにね。まさかあんなことになるとは思わなかったけど……。まぁ、結果的には良かったんじゃないかしら」
「ええ……。耳を失くして、しかも義足になってしまったのは本人も残念そうでしたけど、しっかり反省できたようで」
「まさか麻酔が醒めた直後に、ウドンゲに抱きついて泣いて謝るなんて思わなかったわ」
「あの兎の性格からして、本当に反省したとは思えませんけど」
「まぁ、また痺れを切らしたらまた依頼するわ。その時は、もっときっつーいのでいいわよ。それこそ、一歩間違えば寝たきりになるような」
 縁側とは反対側の廊下から、てゐと鈴仙が仲良さそうに話す声が聞こえてきた。
 俺は、次に会うときのことを楽しみにしながら、てゐに見つからないように永遠亭を後にした。


















  • 素晴らしい!! -- 名無しさん (2009-05-04 16:36:53)
  • 約21mからの自由落下か……肝が冷えるな
    しかし、嘘つき相手になら溜飲も下がるわ -- 名無しさん (2009-05-09 11:39:33)
  • 俺なら完全に息の根を止めますけどね
    処刑方法は下記
    1,魔法糸の属性をルーミアの属性に変換して完全にルーミアの餌にする
    2,脊髄毎頭部を引き抜くフェイタリティお見舞いする(後に首を人里に展示する)
    3,人間界に無理矢理連行して存在自体を消す
    4,ルーミアに食われる前に散々陵辱する(人里の人間集めて)
    5,ナイトウルフのフェイタリティを放つ
    -- 名無しさん (2009-09-04 18:36:02)
  • てゐは空を飛べるだろと一応突っ込んでおく -- 名無しさん (2009-09-04 19:54:51)
  • ひゅう、と息を呑む声が聞こえた。表情を窺い知ることは距離的に無理が生じているが、恐らく顔の血の気は失せ、腹の中の色とは全く逆になっていることだろう。
    「まぁ、せいぜい精進するんだね」


    って精進の使い方間違ってない?
    精進って『鍛える』とかそう言う意味の筈だから変ですよ。
    -- 名無しさん (2010-12-01 18:32:20)
  • 4,ルーミアに食われる前に散々陵辱する(人里の人間集めて)
    2,脊髄毎頭部を引き抜くフェイタリティお見舞いする(後に首を人里に展示する)
    それプラス子宮引きずり出しOr舌抜き -- 名無しさん (2013-11-05 23:48:58)
  • だめって言ってるのに「そーなのかーいただきまーす」じゃないですよルーミアさん…
    -- 梨さん (2013-12-16 23:03:39)
  • 嫌よ嫌よも好きのうち -- 名無しさん (2014-05-30 17:31:29)
  • もっと人力ないじめでいいんじゃない!? -- 名無しさん (2015-02-02 19:04:05)
  • 凌辱要素があっても良かったかも -- 名無しさん (2017-05-24 13:40:42)
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最終更新:2017年05月24日 13:40