その日、私は初めて里の外へ出ました。
普段なら、危ないから絶対に出てはいけない里の外。
でも、その日だけは特別でした。


七歳になった私は、帯解き(オビトキ)の御祝いを。
五歳になった弟は、袴着(ハカマギ)の御祝いを。
今までは、里の中で簡単な儀式を執り行って、歳の節目を祝っていました。
でも、今年は近くの山に新しい神社ができたから、
そこできちんと御祝いをしてもらおうって、お父さんが言ったんです。
末の弟が三歳まで生きられなかったから、だからお父さんは、
わざわざ里の外へ出掛けてまで、神社の神様に御祝いを賜りに行きたかったんだと思います。


朝、家に若い女の人が迎えに来ました。
すごく綺麗な人でした。
髪の色が緑色でした。
不思議な服を着て、静かに玄関に佇んでいました。
その人は、今日、私達が出掛ける事になっていた神社の巫女様でした。
お父さんが挨拶をすると、女の人は柔らかく微笑んで、丁寧に御辞儀を返していました。

「この巫女様と一緒なら、神社まで安全に行けるからね」
道中で絶対にはぐれてはいけないよと、お父さんが弟に念入りに言っていました。
私と、お父さんと、弟は、守矢神社の巫女様―――早苗様に連れられて里を出ました。





  - - - 





弟はお父さんに手を引かれながら。
私は早苗様に手を引いてもらいながら。
神社へ続く緩やかな山道を歩いていきました。
初めて目にする里の外の光景。
弟は嬉しくて、はしゃいでいました。
でも私は、外の世界よりも、早苗様の事ばかりが気になっていました。
伏目がちで、ちょっと憂いの篭った早苗様の横顔を、ついジッと見つめてしまいました。
あまりにも綺麗だったから。
そんな私の視線に感付いた早苗様が、私を見つめ返して、微笑んでくれました。
私は照れて、恥ずかしくなって、下を向いてしまいました。
きっと耳たぶまで真っ赤になっていたと思います。

弟があんまり騒ぐので、お父さんが少し弟を叱りました。

「いや、すみません。 私の躾が至らないばかりに…」
そう言って、恥ずかしそうに早苗様に詫びていました。
早苗様は、何も言わないで、微笑んでいました。

「やんちゃな盛りで、本当に手が焼けますよ。
 まあ、そこが可愛い所でもあるんですけれどもね。
 守矢神社の御利益を賜って、これからも元気に
 育ってもらいたいと思っておりますよ。
 そういえば早苗様は、子供はお好きですか?」

お父さんが頬を赤くしながら、いつもよりもちょっと高い声で、早苗様に沢山話かけていました。

でも早苗様は、やっぱり何も言わないまま、少し困ったような微笑みを返しただけでした。
それから、先程から見えてきていた、大きな太い柱が何本も立っている石畳道の方を見ました。

「ん…ああ、もう神社が近いようですね。 失礼、神妙にしなければいけませんね」
お父さんは、わざとらしい咳払いをしていました。





  - - - 




私が悪いんです。
私が弟を、ちゃんと見ていなかったから。
お父さんが初穂料を納めに、早苗様と一緒に社務所へ行った後の事でした。

私は、見惚れていました。
神社の中の不思議な空気に。
包まれて、飲み込まれて、ただ茫と立っていました。
こういう空気を、神聖な雰囲気って言うんだろうと思いました。

だから、弟から目を離してしまったんです。

小さな子供は、信じられない程とんでもない事をするって、大人が言っていた意味がわかりました。
弟がふざけて、拝殿から垂れている鈴緒にぶら下って……鈴緒を切ってしまったんです。
背中に冷や水を流し込まれたような感触がありました。
ほぼ同時に、そんな私の後方から、息を呑んだ様子の気配を感じました。

早苗様が、怯えたような、強張った表情をして立っていました。
綺麗な白い肌が、病気みたいに、もっと白くなっていたように、私には見えました。


まだ分別の意識が薄い弟にも、私と早苗様の堅い様子は、なんとなくは理解できていたようでした。
弟は涙目のまま、黙って俯いていました。
私は咄嗟に口を開いていました。

「…ごめ、んなさい」
私は、どもりながら早苗様に謝りました。
早苗様は深刻な表情をしていたけれど、それでも何も言わないまま、小さく首を左右に振っただけでした。
そして、俯いたまま立っていた弟に小走りに駆け寄り、左手をそっと握りました。
弟の体が、びくりと強張ったのがわかりました。
早苗様は、弟の手を少し見ると、自分の服の袖を口で噛み千切り、それを弟の左手に巻きつけました。
弟は、鈴緒から落ちた際に、手の甲に怪我をしていたのでした。


それから早苗様は、膝を曲げて弟と目線を同じにしました。
弟は今にも泣き出しそうな顔で、俯いたままでした。
早苗様は、弟が神社の物を壊した無礼を咎める事もせず
弟を落ち着かせる為に、頭を撫でようと手を伸ばし―――

「どうしたんだい、早苗」

すごく怖い声が、境内に響きました。
伸ばしかけた早苗様の手が止まって、微かに震えていました。

「これはどういうことだい」

怖い声は、拝殿の屋根の上から響いてきていました。
これは人の声じゃないんだってことが、不思議と私にもわかりました。
私は金縛りにあったように動けなくなりました。
弟は竦み上がり、私の腰にしがみついてきました。
早苗様は、膝を折った姿勢のままでした。
目を大きく開いたまま、地面を見つめていました。
早苗様は小さく震えていました。
こめかみに、汗が一筋伝っているのが見えました。



紫の髪の女の人が、屋根の上から、浮いたまま降りてきました。
ああ、この人は、人じゃないんだって、わかりました。
神様なんだって、わかりました。
神様は、屈んでいる早苗様の前に立ちました。
神様は、怖い顔をしていました。
屈んだまま震えている早苗様を睨んでいました。

「私の神社を傷物にしたのは、そこの人間の子達かい?」

その怖い顔が、横手に立っていた私達の方へ向きました。
ひっ、という小さな悲鳴が、私の喉から鳴りました。
弟の手が強い力で、私の着物を握りしめたのがわかりました。

途端に、早苗様が立ち上がり、首を左右に振りました。
泣きそうな、必死の表情でした。
早苗様は自分の胸元に手を当て、何かを訴えるように首を左右に振り続けました。

「へぇ…そこの子らじゃなくて、お前がやったていうのかい、早苗」

早苗様が、何度も首をうなずかせました。
そんな必死な様子の早苗様を睨んでいた神様の顔が、急に気味の悪い笑い顔に変わりました。
いきなり片腕を伸ばして、早苗様の喉を掴みました。

うぐっ

という早苗様の呻き声が聞こえました。
早苗様は唇を固く噛んでいました。

「…人間の子供達、よく見ておきな」

神様は、掴んだ早苗様の首ごと、早苗様の体を引き寄せました。
早苗様の背後から首を掴むような姿勢になりました。
立ち竦んでいる私達に、早苗様の苦しそうな顔が、よく見えました。
神様の片手に掴まれている早苗様の首が、真っ白になっていました。
そんなに強い力で首を掴んだら、早苗様、息が
どうして、そんな事を

くっ

ぐ…


首を掴んでいる神様の手を、早苗様は外そうとして両手で掴んでいました。
でも、外れませんでした。
すごい力だったんだと思います。
赤くなっていた早苗様の顔が、白くなってきました。

が、ぶっ…

固く結んだ早苗様の口の両端から、少しずつ唾の泡が漏れ出てきました。
このままじゃ、早苗様が
私達のせいで、私達が悪いのに、早苗様が

「そろそろ、かねぇ」

早苗様の目の焦点が、揺れてきました。
すると急に、すっ、と神様の手が、早苗様の喉から外れました。

「かはっ…がっ」

早苗様が、その場に膝をつきました。
早苗様の意思とは無関係に、早苗様の肺が空気を求めました。
それで、固く閉じられていた早苗様の口が、大きく開かれました。

私の目には、はっきりと見えてしまいました。

前のめりに倒れてゆく

早苗様の口の中には

舌が、ありませんでした。



悲鳴が聞こえてきました。
少ししてから、それが私自身の悲鳴だということに気付きました。
私は叫びながら、手遅れと思いつつも、弟の顔を胸に抱き寄せて無理やり弟の視界を塞ぎました。

「覚えておくことだね。 嘘を吐いたら、然るべき仕置きがあるんだよ。」

この神様は、狂ってると思いました。
いくら巫女様が、厳正な規律を求められる神職だからって、だからって、こんな
こんな狂った神様を、信仰するなんてできるはずない
信仰が無くなったら、神様だって死んじゃうはずなのに、どうしてこんなひどいことするの
こんなおかしな神様に仕えなきゃいけない早苗様が、かわいそう


目の前の神様への恐怖で錯乱する意識の中で覚えているのは

そんな幾つかの考えと、 腕の中で震え続ける弟と、 

うつ伏せに倒れたままの早苗様の慟哭だけでした。










  • こういう作品を見るたびに、神奈子は幻想郷で一番悪役が似合うキャラだと思う。
    天子や紫とは違って、なんかこうトップに立つ人間としての威圧感を感じる。 -- 名無しさん (2009-02-12 03:13:58)
  • やっぱ舌抜かれたんだ・・・ -- 名無しさん (2009-02-15 22:29:35)
  • この神奈子は消えた方が良かったなぁ
    こんな了見の狭い自己中のどこに神性があるんだよ -- 名無しさん (2009-02-17 00:45:11)
  • これで早苗が子供を庇わず正直に首を縦に振っていたらどうなっていたのやら
    それで尚早苗に理不尽に当たるのならこの神奈子は本当に狂っているのだろうよ -- 名無しさん (2009-02-19 07:26:23)
  • 本当に非道い残酷な話だ。早苗が可哀想・・・で、続きマダー? -- 名無しさん (2009-02-19 20:25:02)
  • リョナ分はあるが、やっぱり、守矢の一家には家族愛溢れた情景のが似合う…… -- 名無しさん (2009-06-15 00:45:52)
  • >>2009-02-17 00:45:11)
    まあたぶんこの世界の神奈子は近いうちに信仰を無くして消えると思う
    …にしても、この性格で今まで残ってこれたのには何か秘策があったのだろうか -- 名無しさん (2009-06-15 08:17:07)
  • 恐怖による信仰もある。祟り神のケロちゃんとか -- 名無しさん (2009-09-21 13:45:05)
  • 早苗さん… -- 名無しさん (2009-11-07 12:43:24)
  • 恐怖で慕われるか、やさしさで慕われるかの違いなんだろうな。
    厳しい神様というのは一杯居るが、優しい神様というのは案外少ない。
    神というのは子供も自分に使える巫女にも厳格に当たることで人を導いていたのかも -- 名無しさん (2009-11-07 17:40:25)
  • 少女の主観による話だから、わからないよね。


    神奈子の行動は、神としては妥当なんじゃないか?
    早苗の意思を汲んで、幼い兄弟には手を出していないようだし。


    少なくとも、前作の閻魔さまの行動よりは、幾分もやさしい。 -- 名無しさん (2010-11-02 03:54:49)
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