昼下がりの永遠亭。
庭先に面した廊下を、鈴仙は盆を持って歩んでいた。
盆には茶菓子や湯のみが載っている。
輝夜の部屋の前に着くと、鈴仙は盆を廊下に置き、静かに障子の側に膝を付く。
入室の伺いを立てようとしたその時。


「 仲間見捨てて逃げるなんて、最ッ低な奴ね! 」


突然、障子越しから響いた叫び声に、鈴仙はびくりと身を竦ませた。
どくん、と腹の底が持ち上がり、全身の毛穴が一斉に開く感覚。
開いた毛穴から瞬く間に冷たい汗が吹き出す。
誰もいない廊下に膝をつき、
鈴仙は怯えた目で床の一点を見つめたまま、金縛りにあったかの様に固まる。

「んあーまた負けた! ねぇ姫さま、もう一度やり直してもいいですか?」

再び部屋の中から聞こえた声は、新米の幼い因幡の子のものであった。
電子機械の遊具が大好きで、仕事が非番の日はよく姫の部屋に出入りしている子だ。
他の因幡達は、姫の傍に出るのは恐れ多いと思っているのだが、
幼いこの子はそういった物怖じが無い。
そして輝夜も、変に気を遣わずに接してくれるこの子を快く思っているようだった。

自分の心臓の音を聞きながら、鈴仙は我に帰って顔を上げた。
先程の声は、因幡の子が電子玩具で遊ぶ際に発したものだと、自分自身をなだめる様に心中で確認する。

過剰とも言える“その事”への反応に、鈴仙は未だに慣れる事ができずにいた。
同時に、決して慣れてはいけないのだとも、自らに言い聞かせてきた。

ある程度呼吸を落ち着け、汗で額に張り付いた前髪を正すと、鈴仙は部屋の中へ声を掛けた。

「姫、お茶をお持ち…しました…。」

未だ動揺が治まっていなかったのか、うわずった声が出てしまった事に鈴仙は焦る。

「ああ、有難う。入って頂戴。」

さして気にした様子も無く答える輝夜の声を受けてから、
鈴仙は心を落ち着かせる為に、目を閉じて一つ深い呼吸をする。
そして丁寧に障子を開いて室内に入った。



  - - -



遊具で遊んでいたのは、やはり新米の幼い因幡の子であった。
その子はテレビの画面を睨み、カチカチと音を鳴らしながら熱心に遊具の操作機を動かしている。
輝夜は湯飲みを手にし、その様子を微笑ましいといった風な眼差しで見守っていた。

失礼します、と述べて新しい湯飲みに茶を注ぐ鈴仙の膝元に
「惑星強襲オヴァン・レイ」と書かれた遊具のケースが落ちていた。
視界の端に映るテレビ画面の中では、人型に似た甲冑の様な物が幾つもうごめいている。
人型の甲冑は二種類の色に分かれており、二つの軍が戦争を繰り広げているようであった。
それは所謂、リアルタイム戦略シュミレーションという類の遊戯だった。
将棋のように交互に手を進めるのとは違い、機械と遊び手が同時に駒を動かし合って競うものらしい。

テレビ画面の中で砲火と閃条が飛び交い、爆炎が弾け、噴煙が広がる。
遊具と分かってはいても、“戦争”という響きは鈴仙の心傷に鈍痛を呼び起こした。
鈴仙は目を伏せ、口元を硬く結んだまま茶を淹れる準備を始める。
急須を持つ手が微かに震える。



戦況が劣勢なのか、因幡の子は口をへの字にしながら遮二無二に操作機を動かしていたが、
やがて溜息をつきながら、がっくりと項垂れた。
どうやらまたも機械に負かされてしまった様だ。
そこへ輝夜が優しく助言を与えた。

「闇雲に兵を進めては駄目よ。
  ほら、よく見て。
  兵の耐久力ゲージの下に、もう一本ゲージが在るでしょう?」
「何ですか、これ。」
「その兵の士気を表すゲージよ。
  これが無くなると、兵は指示を受け付けなくなって逃げ出してしまうの。」
「ああ。それでさっきも操作ができなくなったんですね。」
「攻撃を受け過ぎたり、敵に囲まれたりすると低下するから気をつけてね」

慣れればそれ程難しくは無いから頑張って、と輝夜が微笑む。
幼い因幡も、今度こそはと気合を入れ直し、遊戯を再スタートする。

一つの甲冑の中には人間が一人、乗っているようだった。
屈強な軍人や男顔負けの面構えの女兵士、そして、年端もいかぬ気の弱そうな少女の顔まであった。
敵を撃破する度に、画面の下隅にその人物の顔が映り、雄叫びを上げたり、すまし顔で口笛を吹いたりといった演出が入る。

「それでは、失礼致します…。」
輝夜の茶を淹れ終えると、鈴仙はやや掠れた声で告げ、立ち上がる。
早く部屋を出たかった。

「あ、ちょっと待って頂戴な。
  この子の分のお茶も、淹れてあげてくれないかしら?」

悪いわね、と微笑んで輝夜が言う。
気が欝いでいて気づかなかったのか、見れば畳の上には空の湯飲みがもう一つあった。
因幡の子が長居を決め込んで持ち込んだのだろうか。

「かしこまりました…。」
ぎこちなく頷き、鈴仙はお湯入れから新しい湯を急須へ注ぐ。

「それにしてもこのゲーム、妙な所が生々しく作ってありますねー。」
因幡の子が画面を見たまま、笑い混じりに言った。

「実際、昔っから居るんですよねー。
  いざ合戦になったら、仲間を見捨てて自分だけ逃げ出す奴っ!」

へぇ、そうなの、とだけ輝夜は返し、ゆったりとした動作で茶をすする。
その一言に、鈴仙は再び身を硬直させた。
お湯入れから急須に移していた湯が少量、盆の上にこぼれた。

因幡の子に悪気が有る訳では無い。
この子は本当に最近永遠亭に来た為、鈴仙の事情は知らないのだ。
確か輝夜は、鈴仙が永遠亭に来た経緯を知っている筈なのだが、
しかし同時に、輝夜はイナバ達自体をあまり区別していないようでもあった。
まして姫君として育った輝夜であるから、特に戦に関しての話は、人伝に聞いた事しかないのかもしれない。

話をする二人の後ろで、鈴仙は正座したまま俯き、唇を噛んで押し黙る。
聞こえてくる一言一言に、何度も胸の内部を鋭く抉られるようであった。
膝上に乗せた両手が、ぐっ、とスカートを握り締める。
急須の中の茶葉が、湯へ味を染み出させるまでのほんの短い時間が、やけに長く感じた。


 - - -



「ああ、姫さまは戦を御存知無かったんですね。」

因幡の子はテレビ画面を見たまま、操作機を動かしつつ続ける。

「昔、私がまだ兎だった頃は、人間達が飽きもせずに山野で戦をしてるのを、よく見物したものですよー。
  戦って不思議なものでしてねぇ。
  一人逃げ出す奴がいたら、そいつ一人のせいで形勢が崩れちゃう事もあるんですよ…って、ああっ!」

口を動かしていて操作が若干疎かになってしまったのか、因幡の子が操る軍の戦列が乱れ始める。
両軍がぶつかり合って形作られた前線の中央付近。
その場所を支える数体の兵達が、大勢の敵による集中砲火を浴びている。
それでも兵達はよく踏み留まっていたのだが、
その内の一体―――あの気の弱そうな幼い少女が乗る甲冑が、急に戦列を離れて後退し始めた。

「うあー。こいつ、また逃げ出しちゃったよ!」
「ああ、その娘は他の兵士より士気ゲージが低いのよ。
 少し撃たれると、すぐに逃げ出してしまうから、大事にしてあげてね。」
苛立った様子の因幡の子を諭す様に、輝夜が穏やかに助言する。

『はぁ…… はあ…… はっ……』

逃げ出した少女の吐く荒い息の音声と共に、その顔が画面の下隅に映る。
怯えきった表情の少女。

「 ぅ……。 」
その演出を目にして、鈴仙の背に冷たい汗が吹き出した。
まるで過去の自分の姿が今、画面の中に映し出されているかのように錯覚する。
これは機械の遊戯…、ただの玩具だと…必死にそう思おうとしても、知らずの内に動悸が早まる。
画面の中の少女同様、鈴仙の呼吸も低く乱れ始めた。

「あ、あ、やばい、負けちゃう。」
少女が離脱した場所から、戦列が崩れ始めた。
その場所から敵軍が深く切り込み、残っていた他の味方の兵達は瞬く間に分断されていった。
分断された味方は散り散りになって包囲され、次々と撃破されていく。
そんな味方の惨状を遥か背後に、少女は尚も、遠くへ、遠くへと逃げていく。
自分の居るべき場所に居ないで、一体どこへ行こうというのか。
少女は、どこまでもどこまでも逃げていった。

こんなものは見たくないのに。
しかし何故か、鈴仙は見開いた目を画面から逸らす事ができないでいた。

「あ、あ、あ~~~…。 みんな死んじゃったぁ…。」

死、という一言に、鈴仙はびくりと反応し、喉奥に息を飲み込んだ。
目元に滲み出していた涙が、こぼれそうになる。

因幡の子の軍は総崩れとなり、勝敗は決した。
戦場の端に、たった一体、あの少女が残っているだけで、
それ以外の兵は全て討たれ、姿を消していた。

「もー ほんっと、こいつ最悪! 味方見殺しにするくらいならその場で死ねっての!」
苦い顔で吐き捨てる因幡の子。

「人間には多いんですよねぇー、こういう最低なのが!
  それでですね、こーゆー奴に限って
  “次はもう逃げない~”だとか“死んだみんなの分まで幸せに~”とかって
  随ッ分とふざけた事を抜かしながら、のうのうと生きてたりするんですよ!」

人間を小馬鹿にした口調の中に、その人間が作った機械に負けた腹いせも若干含めながら、
因幡の子は苦笑混じりにまくし立てた。
輝夜も思い出したように、あぁ、そういえば…と言って口を開く。

「私も遠い昔に、こんな言葉を聞いた事があるわ。
  最前線の兵士が1人逃げ出せば、
  同じ戦場の兵士10人の命が危険に陥る。
  それは近接する戦線の友軍100人の命の危険に繋がり、
  さらに後方の民1000人の命が危険に晒される事になる…、だったかしら。」

まぁ、そうならないように上手く指揮するのが腕の見せ所なのよね、と笑って、輝夜は茶を口に含む。
因幡の子も先程からよく喋っていた為に、喉の渇きを覚えた様だった。
自分の湯のみを掴もうと、身を捻って背後へ振り向く。
そこで因幡の子は初めて、鈴仙が部屋に来ていた事に気づいた。

「あっ、鈴仙さま、いらしてたのですね。
  すみませんね、私のお茶まで淹れていただ







  ………どうしたんですか?」

鈴仙は尻を畳につけて座り込んだまま、背を丸め、顔を両手で覆って震えていた。

「ひぅ……っ! ひっ、うくっ…ぐっ……うぅ!」

顔を隠すように垂れた長い髪の中から畳の上に、
ぽつ、ぽつ、と音を立てて幾粒かの水滴が落ちていた。

「あの、鈴仙さま? どうしちゃったんですか、鈴仙さま?」
うろたえて側に駆け寄った因幡の子の声にも、鈴仙は答えない。
ただ俯いたまま、しゃくりあげている。
輝夜も、何事かと驚いた様子で、鈴仙の方を振りっ返って見る。

「だ、大丈夫ですか? どこか痛いんですか?」
因幡の子が再度問いかけながら、嗚咽に小さく跳ねる鈴仙の背中をさする。
だが鈴仙は首を弱々しく左右に振るだけだった。
長い薄紫色の髪が揺れ、涙の粒が散る。

鈴仙は因幡の子の問いかけに応えて首を振ったのではなかった。
己の中に沸き起こる自責の念に堪えかねての行動だった。
そうする事で、全身を掻き毟りたくなる程の、やり場の無い苦しみをどうにかしたかった。
鈴仙は涙で濡れた顔を両手で覆ったまま、髪を振り乱し、何かを否定する様に何度も頭を振り続けた。
因幡の子は、かける言葉も無く、ただ呆然と見ている事しかできない。

輝夜が永琳に知らせるように指示を出し、それを受けて因幡の子が部屋を飛び出していった。
支える者が居なくなった鈴仙の身体が、嗚咽にひくつきながらゆっくりと前屈していく。
まるで何かに土下座をして謝るかの様に、
額を畳にこすり付ける姿勢になったまま、
鈴仙はいつまでも哭き続けた。



少女が逃げずに踏み止まれば、戦況は悪化しなかったかもしれない。
だが少女が踏み止まったとしても、やはり戦況は悪化したかもしれない。
未来を予見する事など誰にもできず、
過ぎ去った時は決して戻る事は無い。
そこにはただ、ひとつの事実だけが残った。

少女は仲間を見捨て、自分一人だけで逃げ延びた。













  • 鈴仙… -- 名無しさん (2009-02-01 18:16:02)
  • 他人事に思えん…。俺も同じ状況になったら逃げ出しそう。 -- 名無しさん (2009-04-25 23:56:11)
  • 逃げ出したキョシヌケ兵がァァァーー!! -- 名無しさん (2009-05-01 00:10:25)
  • サバゲだけど同じことをやったことがある・・・。
    怖いものは怖い。 -- 名無しさん (2009-07-27 23:53:15)
  • 戦わずに逃げた鈴仙も悪いが、戦ったことの無い奴が戦えない奴を非難するのはもっと悪い。

    よって今夜は兎鍋!! -- 名無しさん (2009-07-28 05:20:45)
  • 悪いのは新人の因幡
    つーか口悪ッ -- 名無しさん (2009-07-28 05:25:46)
  • 幼因幡の分のお茶を気にかけられるぐらいの常識があるのに鈴仙の様子に気づけないわけない。

    テルヨは最初に入っていた頃に察してわざとやったんじゃね。
    -- 名無しさん (2009-07-28 10:15:02)
  • 逃げるのはあくまで個人の戦法。
    仲間?知ったこっちゃない。
    武士道?クソくらえ。
    死して咲け?巫山戯んな。
    死ぬことが正義?ちゃんちゃらおかしい。


    これくらい鈴仙も割りきれたらいいのに -- 名無しさん (2010-04-02 23:19:25)
  • 鈴仙ざまぁw -- 名無しさん (2010-04-04 03:14:01)
  • 集団で行う戦闘に於いて、個人の戦法を引っ張り出すなんて愚の骨頂
    だから戦場では脱走兵は見せしめに銃殺される
    それを見た他の兵が、恐怖で逃げ出せないように


    戦争ってやだねぇ -- 名無しさん (2010-11-04 06:33:41)
  • 俺は、サバゲまがいのことやってて、俺以外全員裏切って、俺だけフルボッッコ
    されたことがあるぞ?
    -- 名無しさん (2011-01-08 03:39:18)
  • 確かに、過去の過ちをほじくり出されるのはつらいな。
    俺は、それでいじめられたし・・・
    -- 名無しさん (2011-01-08 03:41:18)
  • ↑つらいよね。どんなに反省しても「なかったこと」にはできないし…
    -- 名無しさん (2011-01-08 04:21:05)
  • 俺は、逃げたっていいと思う。
    生きているやつが勝ちなんだから、逃げたって一つの戦法だと俺は思う。 -- 名無しさん (2011-01-08 19:46:17)
  • ↑だけど逃げた自分を非難する自分からは逃げられない -- 名無しさん (2011-04-10 14:22:26)
  • 命あっての物だね -- 名無しさん (2011-04-24 10:13:51)
  • •逃げるのはあくまで個人の戦法。
    仲間?知ったこっちゃない。
    武士道?クソくらえ。
    死して咲け?巫山戯んな。
    死ぬことが正義?ちゃんちゃらおかしい。


    ↑気持ち悪い -- 名無しさん (2011-07-28 02:26:13)
  • ↑x2こういう馬鹿は真っ先に死ぬ -- 名無しさん (2012-12-30 00:20:51)
  • 逃げて泥まみれになってもいいじゃないか。生きるための命なのだから。 -- 名無しさん (2013-03-18 01:20:56)
  • 命はいきる為に有る!戦場で逃げなかったらおかしい!鈴仙は正しいよね? -- 七氏 (2013-05-04 18:23:10)
  • 死なないように戦えばいいじゃん。 -- 名無しさん (2013-05-07 23:04:18)
  • 最悪だ -- 名無しさん (2013-05-20 19:28:00)
  • そもそも何でやりたくない戦争に巻き込まれなきゃならないってゆう
    -- 名無しさん (2013-08-12 23:17:55)
  • 戦略的撤退って知ってる?


    でもまあこの場合その言葉は当てはまらないか -- カールグスタフ (2013-08-16 22:27:15)
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