元来、その月兎はふっかふかでかわいらしい耳を持っていた。
その月兎は自分の耳に絶対の自信を持っており、手入れにもこだわり、なによりも大事にしていた。
周りもこぞってその耳を褒め称え、誰もその耳にケチをつけるものなどいなかった。
とある日までは。
「お前のその使えない耳、捨ててしまったらどうだ!?」
「…え?」
そこは軍の宿舎、反省室。
今日のキツイ訓練を終え、お風呂に入ってご飯も食べた、さあ耳の手入れをしてゆっくり寝よう、
と思っていたところで、上官から呼び出されたのだった。
「いままでどういった生活をしてきたのかは知らんが、索敵すれば精度が悪い!通信すればノイズ交じりで聴こえない!
こんな使えない月兎は軍始まって以来だ!おまえにはいったい何の価値があるというんだ!」
ふかふか耳の月兎はガッと耳をつかまれ、思いっきり握られる。
「じょ、上官、痛いです、やめて、離してください!」
「いいか!明日また弛んだ訓練をしてみろ!そのときはこの腐れ耳引っこ抜いて、お前をここから追い出してやる!」
バタンと扉が閉められ、反省室には月兎一人が残された。
大抵の新入り隊員で多少成績の悪いものは、こうしたお叱りを受けるのが慣例である。
いままで先輩隊員の何人もが、同じセリフを聴かされて育っていった。
上官も心が痛まないわけではないが、いざという時に命そのものが係わってくるとなると、頑張ってもらうしかないのだ。
これで少しでも発奮して、訓練に身を入れてもらおうとするのが狙いであり、これまではそれがうまいこといっていたのである。
ただ、この月兎にはそれがうまくいかなかった。
(耳にあとが残っちゃう!早く、早くクシでとかして、クリームを塗って…!)
上官の思いとは裏腹に、強く握られた耳のことだけが心配だった。
結局、夜遅くまで耳の手入れをし、そんな状態で翌日の訓練などまともに出来るわけでもなく…、
そんなこんなで2ヶ月ほど反省室に通うこととなったのである…。
もうふかふか耳の月兎は、ふかふか耳ではなくなっていた。
寝ずに手入れしてももう美しさが戻ることはなく、くしゃくしゃで、ひょろひょろ長い、まるで上官のような、みんなのような、硬い耳…。
それでも、毎晩、クシでとかして、クリームを塗って、クシでとかして、クリームを塗って…。
ふかふか耳だった月兎の心は、もうボロボロだった。
気がつけば、二年間の兵役を終え、退役することとなった。
退役する隊員に上官から言葉が贈られる。二言、三言、その言葉に涙ぐむ隊員もいた。
そして私の番だ。
「よく頑張ったな。まあお疲れ様。」
…それだけだった。
自分の家に帰ってきた。
二年ぶりに会う家族、その引きつった作り笑いがたまらない。
御馳走が用意してあるというが、疲れたから明日ね、といって自分の部屋に入った。
ああ、結局、私には何も残らなかった。
通信も、索敵も、最後までまともに出来なかった。
自慢の耳も、もうなくなってしまった。
ふと、立ち鏡に写る自分を見た。
…残らなかった?あるじゃないか、残ったものが。
赤く充血した眼、くしゃくしゃの耳、色が抜けて白髪のようになってしまった髪の毛、
ああ、笑ってしまう、このみすぼらしい月兎はなんだ。
「あ、あは…ははは」
もう思い出せない、自分はどんな姿だった?
「はははは、アハハハハハハ」
この耳、くしゃくしゃの耳、ゴミみたいなこの耳、もういらない、いらない!、いらない!!!!
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!!」
バチン!バチン!
薄れる意識のなか、もう一つ残ったモノがあったことに気がついた。
軍の新人教育担当官、死亡
○月×日16時1分配信 月売通信社
本日未明、軍所属の○○さんが自室にて死亡していることが分かりました。
○○さんは軍にて新人の教育を担当する月兎で、人望も高く仕事も優秀であったとのこと。
死因は心臓麻痺であるものの、死体からは耳が切り取られており、意図的な犯行であることも視野に入れて捜査を行う模様。
また同日、自ら耳をはさみで切り落として入院している月兎が失踪していることも、何らかの関係性があると見て調べている。
××氏一家、全員死亡
○月×日18時15分配信 月売通信社
本日未明、△△地区の××氏一家が全員死んでいることが分かりました。
死因はいずれも心臓麻痺で、また耳が全員切り取られていることから、軍の○○さんが死亡した事件と類似性があるとみて
当時家にいなかった××氏の娘である▼▼××を重要参考人とする考えだ。
▼▼××は自室にて自らの耳をはさみで切り落として入院していたが、現在失踪中。警察による捜索が続けられている。
切り落とされていた耳はいまでも病院内に保管されている。
通り魔的反抗?軍内部にて傷害事件
○月×日21時15分配信 月売通信社
本日未明、軍内部にて傷害事件が発生していることが分かりました。
軍の食堂にて遅番で食事をしていた数十名が、何者かの襲撃を受け、耳が切り取られてるのを
他の隊員が発見したとの事。
幸い命に別状はなかったものの、今後は隊員としてはやっていけないだろうとのこと。
また犯人について聴取したところ、「急に景色がぐにゃぐにゃになって、よく分からないうちにやられた」という返答しかえられなかったとの事。
また、耳が切り取られるという犯行の手口から、○○さん死亡事件、××氏一家死亡事件と同一線上で捜査を進めるとの事だが、
警視総監は、「殺害まではされていないことから、これまでの事件と違う。より慎重な捜査が重要である」との認識を示した。
関連して、重要参考人として捜索していた▼▼××を指名手配し、捜索をより強める方針である。
ねえ、鈴仙はさ、月に帰りたいとか、そういうこと思ったりする?
うーん、前はときどき思ってた。今だから言えるけど、仲間を見捨ててここにいるようなものだから…。
でも平気かな、師匠や姫やてゐもいるし、それに、月にいる仲間との絆もあるから、だから大丈夫!
ふーん、なに?その絆って。
それはナイショ。でもはっきり、今の私と繋がってる。まあ、いずれね。
- なにこのうどんげ
怖い -- 名無しさん (2009-09-28 21:55:18)
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最終更新:2010年01月31日 00:53