それから暫くして、レミリアは図書館を訪れた。
「パチェ・・・いる?」
「レミィ・・・」


「もしかして、咲夜があなたの部屋に来なかった?」

「さっき、殺しかけたよ。本当に危なかった。もう少しで・・・」

「そう・・・」

「もう私は駄目ね・・・」

レミリアは溢れ出す涙を拭った。


「それにしても・・・まさか私の代で紅魔館が終わるなんて・・・」

「せめてフランさえ使いものになれば・・・
 あいつを新当主に立てれば・・・館は続けられたのに」


「そんなの無理だって最初から分かってたじゃないの。
 あいつは生まれた時から頭がおかしいのよ?
 そうでも無ければ、つい最近まで閉じ込めてなんかいなかった。



 でも・・・まさか姉の私まで同じだなんて思わなかった」



「レミィ、あなたはこれからどうなるの?」

「どうもこうも無いわ。
 メイドは全員解雇。紅魔館は解体。
 私は何も分からなくなって、ただの化け物よ。」


「可哀想なのはフランよね」

「そうね。壊すことしか考えられない狂った獣と同居するんだから。

 まあ、でも所詮フランも同類よ。
 そのうちあいつの症状も悪化、毎日姉妹で殺し合い。
 最悪の姉妹として幻想郷中に悪名轟かすんだろうね」


「レミィ・・・」

「ああ、でもそうなったら霊夢に退治して貰えるかも・・・
 私・・・最期はそうやって死にたいよ」


「・・・・・・」


「だからね、パチェ。あなたも早くここを出なさいよ。
 もう私の傍にいて安全な奴なんていないくらい、分かるでしょ?」

「嫌よ。少しでもあなたの理性が残っている限り、私は一緒にいる」


「・・・馬鹿言わないでよ。私の気持ちが分からないの?」


「分かるわよ? 本当は一緒にいて欲しいんでしょ?」


「パチェ・・・?」


「一人じゃ寂しいでしょ? 耐え切れないんじゃない?」


「・・・・・・・・・
 あり・・・が・・・とう・・・パチェ・・・
 グスッ・・・嬉しいよ・・・
 パチェがいてくれて・・・ヒック、本当に良かった・・・」

遂に強がりもレミリアを支えきれなくなり、彼女は泣き崩れてしまった。






「お嬢様・・・」

その時、図書館の奥から人影が現れた。
レミリア達の想像以上にしつこい彼女だ。


「咲夜、聞いていたの!?」


どうしても真相を知りたい彼女は時間を止めて忍び込んでいた。
二人には彼女に気付くような余裕など無かったので、隠れるのは楽だった。
しかし、そのせいで信じられないような現実を聞かされた。


「盗み聞きの無礼は謝ります。ですが一つだけ言わせてください」
不意を突かれ硬直する二人を前に咲夜が話し始めた。


「どうして私に何も言って下さらないのですか?
 ・・・お嬢様が辛いのは分かります。
 ですが、だからこそ私を頼ってください。
 先程も申した通り、私はいつでもお嬢様の味方です」



「・・・頼るって? 思い上がるな。
 たかが人間のお前に何が出来るっていうのよ?」

レミリアは咲夜に詰め寄る。


「根本的な解決にはなりませんが、せめて残された時間にお傍にいることが出来ます」

「だから? お前がいるから何になるのよ?」

「それでお嬢様の寂しさを少しでも紛らわすことが出来るなら・・・」

「・・・」

「それとも私なんかが残っても、嬉しくもなんとも無いでしょうか?」


咲夜のどこまでも粘り強い優しさに、主は折れた。
「・・・分かったよ。正直に話してやるから」


そしてレミリアは咲夜の胸に抱きついた。


「そりゃ寂しいよ。少しずつ私が私で無くなっていくんだから。
 本当は怖くてたまらない。
 だから出来る限りお前と一緒にいたい」

そう言いながらレミリアの手は咲夜の頬を優しく這っていく。


「お嬢様がお望みなら、私はいつまでもお供しますよ」

やっと心を開いてくれた主に、咲夜は再び微笑みを返した。



「・・・それは嬉しいけど、やっぱり駄目よ。
 今の私の傍に人間のお前がいたらどうなると思う?」


「うグッッ!!?」
レミリアがその親指を咲夜の右眼へ突っ込んだ。


「お嬢・・・様・・・?」

「念の為言うけど、私はお前のこと好きよ?
 でも人間と私達の関係、忘れてた?
 私はずっと意識してたんだけど・・・
 ・・・・・・・・・・・・
 実はこう見えても結構前から限界だったのよ?」


そう言いながら指で咲夜の眼球をくりくりと転がす。
その眼からは涙が止め処なく溢れ出し、早くも赤く充血し始めた。

「うぅぅ・・・くぅ・・・」
咲夜の口からは堪え切れなかった呻き声が微かに漏れてくる。


「・・・ああ、それとも壊して遊ぶ玩具になって楽しませてくれるとか?
 お前はいい子だから、それくらいのことはしてくれるよね?」


「・・・いいえ」
右眼を弄られる異物感に耐えながら咲夜が答える。

「今までみたいにお嬢様にお茶やお食事を出したり、お話したり・・・
 最期までお嬢様を支える為にここに残るので・・・」



 ・・・ぶじゅり!!!
嫌な音がして咲夜の右眼が潰れた。


「あっ!! あぁぁぁぁ!!!」


「眼を逸らすな!!」

「は・・・はい」

思わず仰け反った咲夜であったが、残った左目で再び真っ直ぐ主を見つめた。


「・・・そうよ、そのまま私を見てなさい」


 ・・・ぐちゃ・・・ぐちゃ・・・ぶちゅ・・・
「ぁ・・・ぁぁ・・・・」

レミリアは突っ込んだままの親指で眼球の潰れた眼孔をかき回す。
そのまま中の神経まで爪で削ぎ落としていく。
透明なゼリー状が涙や血と混ざり合って零れ落ちていった。


「咲夜、今の私の気持ちを教えて欲しい?」


「あっ・・・くぅ・・・」
咲夜は必死に痛みに耐えながらも相変わらずレミリアの眼を見続けていた。
彼女を抱きしめる両手にも力が入る。


「・・・凄く楽しいよ。
 こんなに酷いことしてるのに、楽しくてしょうがない。
 もっとお前が苦しむのを見てみたい。

 ねぇ、咲夜? こんな私をどう思う?」



「・・・お慕いしてます。
 迷うこともありましたが・・・
 例えどんなになってもお嬢様はお嬢様です」

既に空っぽになった右の眼孔と、紅く染まった左目がレミリアを見つめていた。


「その私に酷いことされるんだけど・・・いいの?」

「それは嫌ですけど、恨みませんよ。
 お嬢様も望んでこうなったのでないのだから、私も決して恨みません」


「そう・・・馬鹿よ、貴女」



ドンッ!!!!!「うわぁあ!!!」


レミリアは咲夜を投げ飛ばした。
凄まじい勢いで吹き飛ばされた結果、咲夜は頭を本棚にぶつけた。
彼女の意識は一気に遠くなる。


「くぅ・・・」

「・・・言っておくけど、咲夜が悪いのよ?
 私は何度も『出て行け』って言ったじゃない?
 なのにお前はそれを無視して・・・」

そう言ってレミリアはグングニルを手にした。


「全く、私の気も知らないで・・・!

 だから言ったじゃない!!!
 私のことなんてさっさと見捨てればいいのに!!
 お前が私の言うことさえ聞いていれば!!
 こんなことには・・・」



「あ・・・」
そこで咲夜の意識は深い闇に包まれた。




-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




「う・・・ん」

「気が付いたのね」
「え・・・私は・・・?」


実に驚くべきことに、咲夜は再び目を覚ますことが出来た。


「私はまだ・・・死んではいないのですか?」


「かなり危なかったけどね。嬉しいでしょ? 死ななくて」

「パチュリー様が助けてくれたのですか?」

「・・・まさか。私がお前なんかを助けると思う? それも命懸けで」

先程のレミリアと咲夜のやり取りがあった時、パチュリーはどこかへ消えていた。
恐らくはどこか安全なところへ退避したか、防御用の結界を張っていたのだろう。


「この眼はもう駄目ね。神経からやられてるから義眼付けてもどうしようもない」

パチュリーが咲夜の抉られた右眼の穴を覗き込む。
それはかなり念入りに破壊されていて、レミリアの強い悪意が伺えた。

「もう眼のことは諦めます・・・ですがパチュリー様・・・?
 お嬢様に何があったのか、詳しく教えて頂けますか?」

「・・・聞いて後悔してもいいなら教えてあげるけど・・・」







今から500年前、ある年老いた吸血鬼の夫婦に念願の子供が出来た。
長らく子宝に恵まれなかった夫婦は大いに喜んだが、それもつかの間。
子供は決して夫婦に心を開きはしなかった。

母親が優しく抱きしめれば牙で噛み付く。
父親が話しかけようとすれば獣のような唸り声を挙げ威嚇する。

そして目に付くものは全て攻撃する。
揺り篭も、授乳瓶も、人形も、夫婦が我が子の為に買い与えたものは全て破壊された。

夫婦が待ち侘び、渇望していた筈の子供は狂っていた。


勿論そんな状況で子育てなど出来る筈が無い。
両親も館の従者も、誰もその子を落ち着かせることは出来ないのだ。

やがてその子は地下室に閉じ込められ、食事だけ与えられるようになった。
一人ぼっちで愛も言葉も教わることなく、誰にも世話されず、汚物にまみれ、眼だけをぎらつかせて。

毎晩の様に聞こえてくる獣の咆哮とも断末魔の叫びとも分からぬ声に、館の誰もが心を痛めた。


もうどうすればいいのか分からぬ両親だったが、しかし希望は捨ててなかった。
長女の誕生からわずか5年、妻は再び妊娠していた。

今度産まれて来る子こそは、自分達が望んでいたものであるはず・・・
夫婦が欲していたのは、我が子との愛のある生活だけ。
悪魔でも親子の愛が欲しい。


だが第二子まで狂っていたので、母親は悲しみで死んだ。



そして残された父親は希望を失った。

しかし、彼は親であると同時に館の当主である。
今この館にいる全ての者と、これまで館を支えて来た者への責任がある。
彼自身の望みは絶たれても館は存続させなければならなかった。

つまりこの理性のない姉妹を何とかして次期当主にしなければならない。


そこで彼は相当な無理をすることにした。

まずは姉妹のどちらが、より改善の可能性が高いかを調べた。
その結果、姉の方には僅かながら望みがあることが分かった。

それは姉の方が症状が軽かったという訳ではない。
姉が生まれながらにして持っていた、運命を操る程度の能力・・・これが大きかった。


もしもこの子が自分の運命まで操れれば、
そして自分から当主になることを選べば、
呪われた未来を強引に変えることが出来るのではないか?


洗脳、調教、記憶操作、父親はあらゆる手を尽くした。
それこそ、他者と全く関わりを持とうとしない魔女の一族にすら頼み込んで。


親の愛と言うには反吐が出るような幾多の行為を経て、果たして彼の願いは成った。

姉の方は自分を保つ為の最低限の理性を得ることが出来たのだ。
まだ少し性格に難はあるものの、周りが支えてくれさえすれば当主は務まらない訳ではない。

更には妹の方も生まれたばかりの頃よりは大分良くなっていた。

これならきっと紅魔館も存続させることが出来るだろう。


 ・・・ただ一つ気掛かりなのは、彼女の理性は所詮は仮のものであること。


彼女が彼女であることを支える柱は、実はやわで、心許なく、か細い。

父親がやってきたことは、結局は彼女に当主でありたいと思わせただけのこと。
そして彼女が成りたいと思う自分に成っただけのこと。

もしもこの次期当主が再び狂気を望めば、それは容易く崩壊するだろう。


その奇跡的なバランスが崩れないことだけを願って、父親は逝った。






「・・・もう運命は変えられないのですか?」

「変わったわよ。あなたが死んでない。
 普通にやって、あの状況でレミィが思い留めれると思う?
 殺してしまう運命を無理やり捻じ曲げたのよ」

話に夢中で気が付かなかったが、図書館は酷い有様だった。
幾つもの本棚が吹き飛び、ぶちまけられた本が山を築いている。
レミリアが行き場の無い衝動をそれらにぶつけたのだろう。


「全く、こっちはいい迷惑よ。レミィもあっさり殺せば良かったのに」

パチュリーは悪態をついたが、咲夜はそんなことは気にも留めなかった。
ただ一つ、想っていたのは己の主のことだけ。

「お嬢様が・・・私を・・・救ってくれた・・・?」


「・・・何を感謝しているのよ? 馬鹿みたい」


咲夜はハッとした。
人が見れば滑稽に思えるだろうが、主が自分を殺さなかったことに感謝していた。
そればかりか、自分を守ってくれたとさえ感じていた。



「言っておくけど・・・」
そんな咲夜に、パチュリーが心底呆れた表情で話し出した。

「あなたは勘違いしているみたいだけどね、レミィは望んでああなったのよ」


「・・・そんな訳がありません」
その意外な言葉を、咲夜は殆ど条件反射で否定した。


「そうよ。
 別にあいつの運命操作が効かなくなったとかじゃない。
 あの能力は問題なく働いている

 ただ、さっき言ったバランスが崩れたのよ」

「バランス・・・?」


「ある日、あいつがちょっとだけ狂ったのよ。
 もう、それで全てが終わり。
 あいつの心の中の狂った部分が、更に狂うことを望んで・・・
 知らぬ間に運命を自分が狂ってしまう方へ曲げてしまう。
 どうしようもない悪循環よね」


それを聞いた咲夜の顔が見る見る内に青ざめて行く。
最早レミリアには手の施しようが無いことを理解したのだろう。


「まあ、言うならあれがあいつの本性ってところね。
 分かったらこんな館からはとっとと出て行きなさいよ」



「・・・いえ、私は残ります」

「あなた、私の話聞いてた?」

パチュリーの顔が引きつった。


「確かに、さっき私を殺そうとしていたのが本当のお嬢様かも知れません。
 でも、同時に私を傷つけないことも望んでいたのではないでしょうか?
 そうで無かったら私は既に死んでます」


「あんなことは今回で最後。次は無いわよ。」

「それは承知しています。
 それでも、お嬢様に少しでも心が残っているのなら・・・
 私にはお嬢様を見捨てられません」


この数ヶ月間、忠誠心と猜疑心の間を彷徨っていた咲夜の心はもう揺るがない。
非情な現実が主を想う気持ちを以前よりも更に強いものにしていた。


しかし、迷わないからこそ恐ろしい。
その愛情が、彼女を暴挙に駆り立てようとしている。
咲夜は勢い余って破滅すら恐れなくなってしまった。


「・・・馬鹿ね」

「馬鹿でいいです。
 それに、そう言うパチュリー様だって同じことをしようとしてるではないですか?」


「あなたには無理ってことよ。
 悪いけど、あいつの最後を診てやれるのは私だけよ」


「何故ですか!? 私にだって出来ることはあります」


「生意気言わないでよ・・・メイド如きが」

相変わらず物静かな口調であったが、明らかに苛立ちが感じられていた。
よく見れば、パチュリーの眉間には皺が寄っていた。


「いえ、私は従者であるからこそ、ここに残ります。
 きっと私の運命はお嬢様と道連れなんです」




パァァッッッン!!!

図書館に乾いた音が響き渡る。
パチュリーが咲夜の頬を打ったのだ。


「・・・いい加減にしなさい」

「パチュリー様・・・?」


「格好いいこと言っても、結局お前がレミィと一緒にいたいだけじゃない!?」
遂にパチュリーはこみ上げてくる怒りを隠せなくなっていた。


「あいつも言ってたでしょ? 今のあいつが人間と一緒にいたらどうなるか分かる?
 お前の存在がどれだけあいつの心を乱すと思ってるの?」


「私が・・・? ですか?」


「あいつに残された短い時間、せめて穏やかに過ごさせたいとは思わないの?」

「ですが・・・私は・・・」


「レミィがお前を殺した後、どんな気持ちになるか分かる?
 いい? お前がいない方があいつにとっては幸せなのよ!
 それも分からないでメイドだなんて、笑わせるわね!!」


そう言い放った後、パチュリーは怒りに任せてどこかへ消えてしまった。
一人残された咲夜は、ただ迷い、泣くしかなかった。




-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




それから数日後の話ではあるが、フランが狂った。

いや、元々狂ってはいたのだが・・・
どうやら理性や知性と言った類のものを完全に無くしてしまったらしい。



「うわぁぁぁぁ!!! がぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!」
ドスッ!!! ゴスッ!!! ガシィッ!!!!


「・・・酷いですね。本当にあの結界は大丈夫なんですか?」
フランのなりの果てを見た小悪魔が心配そうに言った。

「安心しなさい。絶対に壊れないように魔法で強化しているから」


フランは絶叫しながら、ただひたすら壁を殴りつけている。
だが、パチュリーの言う通り壁はビクともしない。

かわりにその拳は打ち付ける度に皮膚は破れ、肉が削げ、骨が砕けていった。

両方が使い物にならなくなったあたりでフランはじっと手を見る。
拳側の皮膚と肉と中手骨を失い、皮一枚で繋がった指がぶらりと垂れ下がっている。
しかしそれも暫くすると再生され、完全な姿を取り戻す。

それを確認したフランは再び全力で壁を殴り始めた。


こうなってしまった以上、彼女はもう元には戻らない。


「・・・折角、最近は良くなってきたのにね。
 数百年の苦労がわずか数日でパァよ」

パチュリーは実に残念そうだった。


「でも、どうしていきなりあんなになったんでしょうか?」

「この前、レミィにやられたことがよっぽどショックだったんでしょ?
 それもこの先、何度も同じことされる訳なんだから・・・
 さっさと狂った方が楽だって本人も分かっていたのよ」


「パチュリー様、この事はお嬢様には・・・」

「ええ、内緒よ。言う必要なんて微塵も無い」



「それにしても・・・



 レミィもああなるのね・・・」




-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




「最悪・・・」

言うまでもなく、レミリアはあの日から部屋から出ていないし誰にも会っていない。
自分に残された僅かな時間は惜しかったが、こうするより他に無いことを彼女は知っていた。


ほぼ完全に狂人となった彼女だが、こうして一人きりで過ごしていると不思議と心が落ち着くのだ。
じっと天井だけを見つめていれば、気持ちが穏やかになっていく。
彼女を支配していた制御不可能な黒い感情は嘘の様に消え去っていた。

そうしていると美鈴、フラン、咲夜達のことが心に浮かんでくる。
そして彼女達にやってしまった取り返しの付かないことについて考えた。

「ごめん・・・ごめん・・・」

本人の目の前で言ってやれないのが悔しい。
今となっては彼女達といた日常が愛おしい。

レミリアがこれほどまでに誰かを求めることは未だかつて無かった。


今、この瞬間に限って言えば、間違いなくこの悪魔は優しい。



しかし今頃反省したところで、全ては自分が望んでやった事。
それにあの時は露ほどの罪悪感さえ無かった。


そしてこともあろうに、非常に愉快だった。

美鈴の骨を折るのも、フランの体を引き千切るのも、咲夜の眼を抉り取るのだって。
悲鳴、涙、絶望、命乞い、その全てが感動的。


こんな自分が、彼女達に何て謝ればいいのか?

そもそも、顔を見た瞬間にあの衝動が襲ってくるだろう。
謝るつもりが、再び彼女達を傷つけかねない。



これは悪魔にとっては大いに恥である。
本来、悪魔は人を狂わせる者。欲望に負け、苦悩する人間を嘲笑うのが性だ。
それが理性を失う様ではお話にならない。

なのに、レミリアは心の芯まで暴力に魅了されていた。





「う・・・ん?」
ふと、暖かで優しい匂いがレミリアの鼻腔を突いた。

机の上に目をやれば、そこには美味しそうな食事が置かれている。
勿論、そんなものはついさっきまで無かった。

でもこんな手品には驚かない。
こんなことが出来るのは一人しかいないし、こんなことをするのも一人しかいない。


一瞬で犯人を見破ったレミリアは、ベッドから身を起こして机に近寄った。
よく見ると食事の乗ったトレイの横に一枚のメモ書きが残されていた。

”お嬢様へ。いくら食欲が無いからって、何も食べないのは体に毒ですよ”


 ・・・そう言えば、もう何日も水一滴さえ口にしていない。
自分が今、酷く空腹であることに気が付いた。


「・・・いただきます」

取り合えず全てを忘れ、貪るようにして夕飯をかきこんだ。






「美味しかったー。」

お腹が空いている時に美味しい料理、殆ど強制的に幸せな気持ちにしてくれる。
体も心もポカポカと温かくなっていく。


「本当に・・・私のこと、まだ嫌いになってないんだな・・・」



―嘘では無かった。
 あいつは何があっても自分の味方だ。

 許して貰えた、ような気がした。
 今なら全てやり直せる、そんな気さえした。

 ・・・そうだ、この部屋を出よう。
 咲夜やフラン、パチェ、迷惑掛けた全ての人に謝ろう。

 そして最後にまた、あの暮らしを。
 少しの間でいい。戻ろう、幸せだった紅魔館に。


 咲夜が淹れた紅茶を、パチェやフランと一緒に飲む。
 みんなとの何気ない会話が延々と続く。

 晴れか雨の日は、図書館にでも行って暇を潰す。
 曇りの日なら咲夜を引き連れて人里に行ったり、神社に行ったり。
 月の綺麗な夜には中庭で月見したい。


 咲夜と一緒なら、見頃の花でも見に行くのもいいかも知れない。

 花は綺麗なものなら何だっていい。
 二人でその下を歩けば、どんな色だって素敵な筈だ。

 この際、雨でも晴れでも構わない。
 咲夜が傘を差して付いて来てくれる。

 出来れば酒も持って行きたい。
 酒があれば肴になるものもあるに越したことは無い。

 酔って眠くなってしまっても、それはそれでいい。
 咲夜の膝でも借りて寝ればいい。

 そしたら、あの太股に思い切り噛み付こう。
 柔らかい肉を口いっぱいに頬張って、顎にしっかりと力を込めて食いちぎろう。

 そうすれば咲夜の暖かい血が噴水の様に飛び出す筈だ。
 それを思いっきり飲み干したい。
 咲夜は叫ぶかな? 出来れば泣いて欲しい。

 そしてもし逃げるようなら、わざとゆっくりと追い回す。
 足を庇いつつ必死に逃げまとう咲夜の顔は、きっと恐怖に引き攣っているに違いない。

 そして遂に追い詰め・・・捕まえた後は、咲夜が滅茶苦茶になるまで引き裂いてやる。
 人の原形など留めないくらいまで。
 さぞかし可愛らしい断末魔を挙げてくれることだろう。


 最後にそれを肴にもう一杯、花見ならぬ咲夜見だ。
 きっと花の中に散らばる咲夜は間違いなく美し―





「私・・・何考えているのよ・・・?」

 ・・・レミリアは自分の頭の中が黒い妄想で埋め尽くされているのに気が付いた。



この部屋から出てはいけない。
ドアノブから手を離すと、ベッドに潜り込み布団を頭から被った。

そのまま気絶するように眠ってしまうまで、何千もの呪いの言葉を自分へ投げ掛けた。


もう、あの紅魔館の日々には戻れない。彼女はあらためてそれを自覚した。




-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




紅魔館、最後の日。
それはレミリアが咲夜の眼を潰してからちょうど2週間後のことだった。



「今までお世話になりました。これからもどうかお元気で」
「ええ。今まで有難うね」

今日、この館の玄関先には使用人達による長蛇の列が出来ていた。
先頭のメイドがパチュリーへ別れの挨拶をしている。


今主人とこの館に何が起きているのか、咲夜以外の使用人達にも説明してある。
レミリアには言うなと釘を刺されていたが。

誰もが混乱し、狼狽していたが、最早ここで働けないことは理解してくれたらしい。
あれだけ反対していた全従業員解雇にも納得してくれた。


「これ・・・持って行きなさい」
「あ・・・ありがとうございます」

パチュリーが手渡したもの、それは金貨や宝石類が幾つも入った皮袋だった。
勿論、一介のメイドの退職金としては余りに破格のものである。

更にこのメイドに限ったことではない。
玄関ホールに集まった幾多のメイド達全員が多額の金を受け取ることになっていた。


これらは館の、つまりレミリアの財産から来ている。
紅魔館の莫大な資産、それらはもうすぐ主にとって必要が無い物になる。

廃墟で朽ち果てるよりはマシ、ということで使用人達に配ってしまうことにしたのだ。



「あなたで最後ね」

「はい。私で最後です」


ついに列の最後尾、最も館に尽くしていたメイドの番が来た。
最近になって付け始めた眼帯の似合わない彼女だ。

そして互いの疲労に満ちた顔を確認しあった。


この2週間、二人は紅魔館閉鎖の準備を進めていた。
咲夜は館の資産を計上し、可能な限り換金した。
パチュリーは倉庫でスカーレット家に関する記録をかき集めていた。

紅魔館数千年の歴史の幕をたった2週間で降ろさなければならないのは幸運だった。
気の狂いそうな忙しさのおかげで、悲しんでいる暇もあまり無かった。
そうでもなければ作業は少しも進められなかったに違いない。

しかし、そんな忙しさもこれで終わりだ。
もう館が無くなってしまうのだから。



「あなたの分はこれよ。取っといて」
「こんなに・・・いいのですか?」

彼女の取り分は他の者と比べて一回りも二回りも多かった。

「『人間如きに勿体無い』って私も反対したけど、レミィがどうしてもって」

「・・・有難うございますと・・・お嬢様に伝えてください」



そして咲夜はレミリアへの短い託を頼んだ。
自分はこの館で働けて、確かに幸せであったこと。
いつまでも主のことは忘れないことを。



「それで、最後に何か言いたいことあるかしら?」


「はい。パチュリー様・・・どうかお嬢様を宜しくお願いします。
 せめて最後だけはお嬢様を幸せにして下さい」



この一言に至るまで、彼女の心はどれだけ長い距離を彷徨ってきたのだろう?
一度はここに残ることを決心した身だ。
どこかに自分に出来ることがあるのではないかと、ずっと模索し続けていた。


もう何も出来ないとは知りつつも、諦めきれず考え、結局妙案など思いつかず。
それでもレミリアを諦められず、迷い、無謀なことも思い付いたが、それも止めた。

しかし咲夜はまだまだ考え続ける。決して諦めない。
そんな彼女に、天は幾つもの非現実的で実現不可能なアイデアを授けてくれた。


そして最後まで諦めず粘った果てに、彼女は決断した。

もう、諦めるしかない。
自らの心を断ち切った。




-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




「パチェ・・・ここにいると危ないよ?」

レミリアはテラスにいた。
館の最後の日を遠巻きに眺めていたのだ。


「私は大丈夫。いざとなったら魔法で逃げられる。
 小悪魔にも暇を出しておいたから」

「・・・あまり無理しないでよ」


そう言ってレミリアは中庭へと視線を落とす。
そこはたった今、解雇されたばかりのメイド達で溢れかえっていた。

名残惜しそうに去っていく者もいれば、逆に清々しい様子で飛び出していく者もいる。
ただ彼女達に共通して言えることは、二度と会うことは無いであろうこと。
そして一言も言葉を交わすこともなく、レミリアにとっては実に寂しい別れであったことだ。


「私さえしっかりしていれば・・・あいつ等もずっとここで働けたのになぁ」

かつてのレミリアなら絶対に口にしないような言葉が飛び出した。
それも消え入りそうな弱い口調で、あの強気で傲慢な態度が消えている。

日に当たらず元から青白かった肌は、まるで凍死体のようになった。
幼い顔立ちはそのままでも、眼だけは未来を憂う老人のそれである。

今の彼女は見るのが可哀想なくらい弱りきっていた。




メイド達があらかた出て行った頃、とりわけ足取りに力の無い者が現れた。
咲夜である。

彼女は中庭の真ん中あたりで振り向くと、館に向かって一礼した。
レミリアの胸が刺すように痛くなった。


「結局、あいつに謝れなかったね・・・」






「ねぇ、レミィ。この際だから言うけど・・・
 ・・・・・・・・・・・・私はあいつが許せない」


「パチェ・・・」


「何が『お嬢様を宜しくお願いします』よ?
 散々格好いいこと言って、やっぱり何も出来ないじゃない。
 絶対に許せない・・・
 レミィをこんなにしておいて・・・」


そう、一致する。
咲夜が紅魔館にとって無くてはならない存在になった時期と、
それまで巧みにコントロールされていたレミリアの心のバランスが崩れだした時期が。

レミリアと紅魔館の運命を大きく狂わせた犯人が咲夜であることに、疑いの余地は無い。
勿論、そんなことはとても咲夜本人に言えることでは無いが。


元々、主がレミリアでなくても二人は人間と吸血鬼。
実に危うい関係だ。
そんなアンバランスなものがいつまでも継続できる訳が無い。
やがて崩壊してしまうのは明らかだった。

だがレミリアは、そんな運命など容易く避けられると高を括っていた。


そして嵌った。
想像以上に巧妙に仕組まれた、悪魔さえ欺く運命の罠に。




「全く、大したものよね、人間の癖にスカーレット家を断絶させるなんて。
 どっちが悪魔よ? どっちが魔女よ?」

最大級の皮肉を込め、パチュリーが言った。



「ねぇ・・・そんなにあいつを責めないで」


「だけどね・・・」



「悪いのは全部、私。
 吸血鬼なのに人間を愛した私のせいよ」


「・・・」

咲夜さえ来なければ、レミリアはいつまでも幸せだったのに。
自我を失うことも無く、当主としての一生を全う出来たのに。
そうすれば紅魔館だって解体されずに済んだのに。
咲夜さえ来なければ・・・

パチュリーは変わってしまった彼女の運命を、ただただ悲しく思った。



その咲夜は今、門の前にいる。
そこで咲夜はもう一度振り返り、再び深々と頭を下げた。


そのせいで、また悪魔の胸がチクリと痛んだ。



  • 最高だな -- 名無しさん (2009-08-26 01:45:32)
  • これは良作! -- 名無しさん (2009-08-26 02:58:23)
  • 素晴らしい。
    誰も幸せになってないところが -- 名無しさん (2009-08-26 21:24:10)
  • 美鈴に渡ったメモの話がないな。
    結構重要な伏線そうだったのに。 -- 名無しさん (2009-08-26 23:20:29)
  • 素晴らしい!
    ただ案の定レミリアいじめになったわけだが -- 名無しさん (2009-08-27 00:19:43)
  • めーりんに渡ったメモはパチュリーが咲夜に説明した内容が書かれているだけじゃないのか? -- 名無しさん (2009-08-27 02:00:36)
  • オンドゥルルラギッタンディスカー!? -- 名無しさん (2009-08-28 14:43:42)
  • そしてこのあとパチュリーが紅魔館ごとスカーレット姉妹をぶっ潰して一件落着といくわけですね、わかります。 -- 名無しさん (2009-10-06 05:03:28)
  • なんかもう、涙が異常ー  いじめダケドさ でも怖面白かったな。 咲夜さんは頑張った!パチュリーがキレ気味で恐怖を感じたぞ!紅魔館崩壊したけどなんとかなるといいな。 -- 壊れかけてる生き物 (2010-03-09 21:16:14)
  • 結局パチュリー「あなたレミィの幸せを願ってるの?」てきなこといってたけど最後「あいつのせいでレミィが」て言っている。で、咲夜を屋敷に迎えたのはレミリア本人つまり咲夜を迎えたのは間違いだったと言ってる様なことになって結局レミリアの運命操作は間違っていた、レミリアの人生はbestではなかったと言ってるのと同じようなものでパチェ自身そんなにレミリアを幸せのまま死なせてやれないよ -- 名無しさん (2010-03-10 03:02:02)
  • ↑ごめん何語だよ文法ぐちゃぐちゃですまそ
    最後にやれないにてを加えてあとは頑張って読んでくれ -- 名無しさん (2010-03-10 03:04:52)
  • きっちりいじめになっているのに感動作。最高すぎる! -- 名無しさん (2012-08-03 12:28:29)
  • 子供の私には
    難しいかな……… -- 名無しさん (2012-08-07 11:08:27)
  • パチェが咲夜に終始冷たいのはこのためだったのね・・・。仕方ないとはいえむかつく。 -- 名無しさん (2013-10-29 04:23:50)
  • 眼帯つけた咲夜さん可愛いよハァハァ -- 名無しさん (2014-08-24 23:11:26)
  • はっきり言って咲夜は要らないもんだし
    咲夜自信も馬鹿だったなて事だ -- 名無しさん (2016-06-25 22:10:36)
  • ↑ざけんなクズ。
    咲夜は紅魔館にとってかなり重要な人材だろうが。 -- キング クズ (2016-06-26 01:52:45)
  • 素晴らしい良作 -- 斬美 (2016-12-23 15:51:34)
  • うへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ
    こう言うの欲しかったw貴方は神か!? -- カッスやなw (2016-12-26 00:48:55)
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