※文、椛いぢめ

注意
  • 流血、身体欠損の描写あり


取材の帰り。鴉天狗、射命丸文は楓の木を見上げている者を見つけてその隣に降り立った
「自分と同じ名の葉が散るのはやはり寂しいですか?」
その者の目が余りにも哀愁に満ちていたので思わず問いかけた
「まぁ寂しくないと言えば嘘になりますが・・・・・・私はただ来年にまた葉を付けるのを楽しみに待つだけです」
白狼天狗、犬走椛はそう答え小さく笑った。やはり楓には彼女なりの思い入れがあるのだろうか
あれほど鮮やかな朱色を誇示していたモミジの葉はもう枝には無い
秋の豊穣を司る姉妹が憂鬱さを感じ始めた、冬の入り口
妖怪の山も紅葉が終わり、色素を失い枯れ落ちた葉が山道林道問わず平等に敷き詰められていた

射命丸文と犬走椛が始めて言葉を交わしたのは、この山に神が神社ごと越してそれにより麓の巫女が山へ侵入してきた際である
鴉天狗の中でも上位に位置する文と下っ端の哨戒天狗の椛。身分に多少の違いはあるものの二人の関係は非常に良かった
椛の素直で真っ直ぐなところが文は好きだった。生真面目で融通が利かない面もあるが彼女のそんな所も気に入っていた
文の周囲には、隙あらば相手を出し抜こうと常日頃から画策する輩が多い。そんな知り合いばかりの中で裏表の無い椛の存在はちょっとした心のオアシスだった
話して良し、からかって良し、可愛がって良しの三拍子が揃っていた


「しかし最近物騒になったものです」
「そうですね」
枯れ葉をざくりざくりと踏みしめながら二人は歩を進める
軽装の文に対して、椛は腰と背にそれぞれ重量感のある剣と盾を下げていたが、それを感じさせない軽やかな歩きだった
「一体犯人は何者なのでしょうか?」
顎に手を当てて考える文に対して椛は申し訳無さそうに俯いた
「私たちも哨戒の人数を増やしてはいるのですが、面目ありません」
「ああ、いえ。別にそんなつもりで言ったんじゃ・・・」
山の治安を人一倍気にかけている椛に対して失言だったと後悔する
僅かだが気まずい空気が流れる
夕焼けが沈むのも大分早くなり二人の影は徐々に夜の闇に呑まれようとしていた


今月になってから天狗が何者かに襲われるという事件が4件も発生した
一月も満たない間にこれだけの件数起こるのは明らかに異常だった
襲われた者は皆大事には至ってないが、事態を重く見た天狗上層部は最近になり調査隊を立ち上げて捜査を開始した
しかし精鋭揃いの隊にも関わらず、今日までこれといった手がかりは見つかっていない
そのため多くの天狗たちが不安な夜を過ごしていた
「天狗を狙うということは、我々天狗に恨みがあるのでしょうか?」
「わかりません、椛の考え以外にも様々な可能性がありますし」
今。巷では様々な憶測が飛び交っている
『山の外の妖怪の犯行?』
『妖怪の山を奪還するために裏で鬼が暗躍しており、その下準備ではないか?』
『河童の新兵器?』
『過去に追放された天狗が復讐に戻ってきた?』
『人間の企て?』
『結界を抜け出てやってきた正体不明のナニか?』
噂が一人歩きして尾ひれ背ひれを付けていたが、どれもありえない話では無かった



「椛たち哨戒の部隊も何か進展はありませんか?」
メモ帳と万年筆を取り出す文
「あの、もしかして今回の事件を新聞の記事に?」
「当然です。あわよくばこの事件の真相を我が文々。新聞が解明して今年こそ年間売り上げの一位という栄誉をこの手に!」
高揚し高らかに宣言する文と「やっぱり」という苦い顔をする椛
「社会の出来事をありのままに報道してこその新聞!! このような凶悪事件を私のジャーナリスト精神が見過ごせるはずないでしょう!?」
「・・・・」
この状態の文に何を言っても無駄だと知っている椛は深いため息を吐いた
「これは今日見回っていた仲間の話しなのですが」
「んもう♪ はじめからそうしてくれればいいのに♪」
にんまりと笑いメモ帳をめくる
「あくまで情報をまとめて報道するに留めてくださいよ? 独自での捜査は絶対にしないで下さいね」
「重々承知しましたから早く続きを。椛のお仲間がなんと?」
「・・・・はぁ」
二度目に吐いたため息は空中に白く残ってすぐに消えた



椛の話した内容を全て記入し終える
「しかし、どれもこれも犯人を特定する手がかりには弱いですね」
内容の率直な感想を述べる
いろいろな部隊が連携して捜査しているため、ほとんどの内容は他の所から仕入れた話と重複していた
「しかしこれだけ探しても何もでないということは、もしかして天狗内部に犯人が」
「文様、あまりそのようなことは」
椛は顔を伏せた。犬耳も一緒に垂れる
「あ、すみません。また失言でした」
文のように犯人が身内に潜んでいると考えるものは少なくない、口には出さないが皆それは密かに思っていたことだった
椛はそれに心を痛める者の一人である
「暗がりで完全な不意打ちだったとはいえ、犯人を取り逃がすとは、この射命丸文一生の不覚です」
「何を言ってるんですか、怪我が無かったことをまず祝うべきです」
実は文も被害者の一人だった
『事件の取材に行った帰り、突然殺傷能力の高いを撃ち込まれた。幸い弾は文には当たらずに後方の木々を傷つけた飛んできた方角を見た時そこにはもう何も無かった』
と仲間の天狗に説明した


文の家に着く
「では警備があるので私はこれで。いいですね? 間違っても夜道を出歩いての調査など…」
「わかってます。椛も夜道には注意してください。私よりずっと弱いのですから」
「うぐ」
指摘されて小さく唸る椛。そんな椛の首筋を冬の風が撫でた
「今夜はさらに冷えようです、どうか暖かい格好をしてお休みください。それと火の元、戸締りを忘れず、ちょっとでも周囲に不審な点を感じたら使いの鴉を飛ばして最寄の…」
「わかった! わかりましたから!! そんな娘の一人暮らしを心配する母親みたいなこと言わないで下さい」
これではどちらが年上か分らない
「それではお休みなさい」
「はい。お休みなさいませ」
見えなくなるまで椛を見送った後、文は自宅の戸をあけた

自室に戻り今日あった出来事をまとめようと机についた時、今更になってふと思った
(はて? なぜ椛はわざわざ私の家までついて来たのでしょうか?)
椛の自宅は出会った楓の木の所から文の家とは正反対の位置にある
彼女が自分を心配して善意でここまでついて来てくれたのだと、今さらになって理解した
(それなのに「弱い」だなんて酷いことを言ってしまいましたね・・・)
彼女の気遣いを酌み取れない自分を不甲斐無く思う
(これが本当の『送り狼』・・・・ふふっ)
自分があまりにも下らないことを考えていると思いつつも、小さく吹いてしまった
(まあ何もされませんでしたが)
個体寿命が長い故、繁殖という概念が希薄な天狗には同性愛者が多い。鞍馬天狗がそのいい例である
文にはその嗜みは無いが、椛にだけはなんとなく惹かれるものを感じていた
(椛はどうなのでしょうか・・・・・・?)
よく世間話をすることはあるが、そこまで踏み込んだ内容は話したことがなかった
(また今度、一緒に呑みたいものです)
厳戒態勢の今、山の警備を務める白狼天狗に休みは無かった

部屋が火鉢でだいぶ温まり指が滑らかに動くのを確認したあと。この事件の流れを簡単に別紙にまとめてみた

一件目 被害者 白狼天狗 山の神が開いた宴会の帰り倒木による負傷
・・・この時は故意か事故か半信半疑だった
二件目 被害者 鼻高天狗 夜道を散歩中突然頭部に痛みを感じる。その後すぐ頭部に軽い打撲があるのを発見。凶器不明。鈍器? 岩?
・・・この時に一部の天狗が事件性を示唆する
三件目 被害者 鴉天狗(射命丸文) 取材の帰りに弾幕を射ち込まれる。無傷。完全な不意打ちだったため犯人を見逃す
・・・上層部も事件と断定して捜査を開始する
四件目 被害者 山伏天狗 印刷業の夜勤、野外で一服中に突然腕が燃え上がる。幸い軽い火傷。妖術の可能性有?
・・・事件解決を目的とした部隊を設立

事件はいずれも夜に起こっていた
(椛はああ言いましたが、やはりどれもこれも天狗の仕業で説明がつきそうですね)
一件目の倒木は言うまでもなく、ニ件目の打撲は天狗礫、四件目は天狗火の枝技だと仮定したら、文にはそうとしか考えられなかった
どれもこれも多くの天狗が使える簡素な術である
「さて」
メモ帳を開き自分が聞き込みをした人物と、その者が話した内容に軽く目を通すとメモ帳を閉じて机の隅っこに置く
次に引き出しから原稿用紙を取り出してペンを黙々と走らせる。その間、メモ帳を開き内容を確認することは“一切”なかった
文にとって『~~に聞き込みをした』という事実があるだけで十分だった
眠気を忘れて何かに取り憑かれたように書き続けた





次の日
文は事件のネタ集めで飛び回っていると、滝の上、そこから少し離れた場所にあった大きな岩の上に腰掛けている椛を見つけた
気配を消して気付かれないように慎重に背後に回る
椛は体を微動だにせず、愛らしい獣の形をした耳だけが忙しなく動いていた
「おはようございます椛」
「おはようございます文様」
椛は特に驚くことなく振り向く
「その目の下。どうやら昨日は徹夜したようですね」
「そういう文様こそ」
二人の目の下には隈ができていた
椛は夜警で一晩中、文は新聞の原稿執筆で一晩中起きていた
「警備ご苦労様です。どうです今夜? 人里にでも呑みに行きませんか?」
「ええ、夕刻からは非番なので構いません」
「そうですね、日が沈む頃にでも昨日の楓の場所で落ち合うというのは」
「ではその時間に・・・・」
文の背後の遥か向こうに椛の眼は向けられていた
「どうしました椛?」
「いえ、あそこに大勢集まっているのが」
千里先を見通すことのできる椛の目が離れた場所の人だかりを捉えていた
「あちらの方で何かあったみたいです」
その言葉を聞き文は自分の商売道具をさっと取り出す
「よし! 行きましょう!」
「あまり現場を荒らさないでくださいよ・・・・」
呆れ顔の椛を無視して、文はその方角へ飛んでいった。それに椛も渋々ついて行く





「これで5件目ですね」
事件は昨晩に起きたらしく現場にはすでに別の捜査隊が現場検証を進めていた。そのため椛たち白狼天狗が出る幕は無い
鑑識の中に今回河童の姿も混じっていた
二人は少し離れたところで鑑識の動きを眺める
先ほど二人が現場に近づくと、その場にいた者達から何故か睨まれた
文はなんとなくだが自分たちが近づいたことで場の空気が変わったような気がした
「文様、相当嫌われてますね」
「しかたありません。マスコミの宿命というものです。まあいいです、椛、ここからでもあなたなら現場の様子くらい見えるでしょう?」
「ええまぁ…血の飛び散り方や、周囲が荒れてないところから恐らく凶器は刃物の類か金属製の鈍器かと」
椛が現場の様子と自分なりの考察を文に伝えた
「そうですか。しかし不可解ですね」
「不可解?」
文はメモ帳を開きページをめくる
「毎回毎回凶器がバラバラなんですよ」
「そういえば」
一件目から今起きた五件目まで襲われ方が皆違っていた
「犯人は複数いるということでしょうか?」
「もしくはそう見せかけているのか」
文と椛に近づくものが一人
「どうもお二人さん」
現れたのは知り合いの河童だった
「にとり殿、なぜこちらに?」
「今回被害にあったのがさ・・・・・・その、身内なんだよ」
「え?」
驚き目を丸くする椛。五件目の被害者は天狗ではなく河童だった
「そんな、まさか、だって…」
信じられないという顔をする文。椛とはリアクションが若干異なっていた
「幸い数針縫う程度で済んだけど」
文も椛も胸を撫で下ろした
「それは何よりです」
「うん、それはそうなんだけどさ…」
「「 ? 」」
にとりは帽子のつばを掴み顔の前まで下げて、表情を隠した
言いづらそうに口をニ、三度もごもごと動かしてから、ようやく言葉を発した
「怪我した奴が言ったんだ・・・」
「何をですか?」
「いやそれがさ…」
「もったいぶらずに教えてくださいよ♪」
言いづらそうな顔をしてにとりはあたりを見回した

―――――犯人は、白狼天狗かもしれないって

「はい?」
にとりの言う意味がわからず口が開いたまま静止する椛
「だから被害者が『犯人の容姿が白狼天狗に似てた』って、暗がりだから見間違いかもしれないけど」
文がここに来たときに感じた違和感はそれだった。自分ではなく椛を見て場の雰囲気が変わったのだ
「そんなはず無いじゃないですか!! 山の警備を請け負う私たちが自ら山の治安を侵すなど!!」
にとりの肩をそれぞれの手で掴み揺さぶる
「待って! 待ってって!! あくまでも『かもしれない』って話でまだそうと決まったわけじゃ」
数えきれないほどの回数大将棋を打つ仲であるが、ここまで興奮した椛を見るのは初めてだった
文が周囲を見回すと他の天狗や河童の視線が椛に集中していた
自身は取材で邪険されることはよくあるが、彼女に向けられている目はそんな生易しいものではない
「とりあえずここから離れましょう。いいですね椛」
「はい・・・・・・・にとり殿、怒鳴ったりしてすみませんでした」
深々と頭を下げる
「椛が謝ることなんてないよ。不確定な情報を軽々しく口にした私が悪いんだから」
今度大将棋の続きをしようと約束を交わして、椛はにとりと別れた



「嘘、ですよね」
「椛?」
一休みできそうな場所に着いて早々椛は地面に膝を突きそう呟いた
瞳には生気が宿らず、瞳孔が開き顔はただ無表情だった
「白狼天狗が河童を襲うなど…」
この件で椛を含めた白狼天狗が全て容疑者扱いされるであろうことは容易に予測できた
「まだそうと決まったわけではないじゃ」
信じたわけではないが、その河童の証言は椛の心を大きく揺さぶった
かけるべき気の利いた言葉が見つからない
「すみません。少し一人にさせてください」
「わかりました」
文は椛の言う通りにする他なかった
椛に背を向ける
「いろいろと気にかけて頂きありがとうございます」
「・・・」
その言葉が文の心を締め付けた






自室に戻った文は頭を抱えた
「なぜこんなことに…」
自分は厄神に恨みを買うようなことでもしたのだろうかと疑いたくなる
事件は自分の小さな掌から零れ落ちて、急坂を転がり始めていた

事の発端は一件目の事件が起きた夜
山の神が開いた宴会に文も参加していた
酒に強い自分は普段酔うことは無いが、その時はほろ酔い気味だった
宴会が終わり家への道を進んでいると草むらががさがさと揺れた
イノシシでもいるのだろうと思い、おどかすつもりで団扇で扇ぎ細い木々を複数倒した
次に聞こえたのが叫び声だった。その時ようやく自分が間違いを犯したのだと思った
見たところ相手は軽症らしく、ほっとしたのも束の間
大きな恐怖心が文を襲った。酔っ払って他人を怪我させたとあっては自分の今後の信用に関わる
「“あの”射命丸文の新聞」と呼ばれ。ただでさえ信用されていない新聞の記事が更に信用を失う
自分の新聞が誰からも見向きされないのが嫌だった。それだけは絶対に避けたかった
酔いも手伝い、文の思考はその場から逃げ出すことを選択した
もしかしたら事故で処理されるかもしれないという淡い期待もあった
しかし二件目の事件で事態が一変した
二件目の事件は大方、度の過ぎた悪戯か自分のように誤認して相手を傷つけてしまったのだろうと文は予測したが
「立て続けに天狗が夜道で負傷するなど天文学的確立だ」と提唱する者が出てきた
その提唱をある者は信じて、ある者は鼻で笑った
文も一緒に鼻で笑っておくべきだった。しかし彼女はこの状況を逆に利用してやろうと思ってしまった
この出来事なら新聞の小話程度にはなるだろうと考えついた
そして自身も被害者を装うことで関連性の無い出来事を強引に一本の糸で結びつけてしまった
だが文の意に反して第四、第五件目の事件が起きてしまった
恐らく居もしない通り魔を警戒するあまり、暗闇で出会った相手に過剰反応してしまったのだろう
犯人を恐れて気配を消して行動する者同士が突然出会えば何が起きるかわからない
負の偶然が何度も重なって起きた本来ならまず有り得ない出来事だった
加害者の誰かが名乗り出ればこの一連の事件は解決するのだろうが、文同様に皆居もしない犯人に自分の罪を擦り付ける腹積もりなのだろう
天狗は一部の例外を除き、皆、狡猾だった





文と別れてしばらく考え込んでから椛は一旦自宅へと帰っていた
あれこれ考えながら横になり、夕方になるころには気持ちはほぼ平常心に戻っていた
気分はまだ若干の憂き気味だがこういうときは呑んで気を晴らすのが一番だと知っている
簡単な身支度を済ませた後、今日文と約束した楓の木の下へと向かった





椛が家を出た頃。文はまだ机に向かっていた
「もういい加減に事態を収拾させないと」
四件目が起きた時は、自分が名探偵よろしく事件の全容を記した記事を発行して一躍注目を浴びてやろうと考えていた
だが今日の出来事でそんな余裕は無くなった
是が非でも今夜中に記事を書き上げて椛たち白狼天狗の無実を知らせたかった
それにこのまま放っておいたら椛たちの負担が増えるだけでなく事件に便乗して、普段うっぷんの溜まっている相手に闇討ちする者も出てくるかもしれない
否、もしかしたら四、五件目のどちらかは既にそうなのかもしれない
昨日書き途中だった原稿を取り出す
「なんとしても今夜中に…」
それが今の自分に出来る唯一のことだと信じ一心不乱に手を動かした





(文様遅いなあ…)
10分、15分遅れることはあっても30分も掛かるのは初めてだった
(あんな風に別れたから、約束そのモノが無くなっているのでしょうか?)
不安になってきたため、一旦文の家に伺おうか考えた
(でも途中で入れ違いになって戻ってきた時に『椛! 遅いですよ!! 罰として今日はあなたのおごりです!!』なんて言われたらちょっと癪だな)
その時。目の前を白いものがちらついた
「あ、降ってきた…」
この年度になってから初めての雪だった
袖についた雪を凝視すると結晶が見えた
(うん綺麗だ)
自然が作り出す芸術を見て頬が緩んだ
しばらくそれを眺めることにした
文の家にはもう少し待ってから向かおうと考えた




「よし、綺麗に撮れてます」
薄暗く酢酸の臭いのする部屋に閉じこもり、文は新聞の一面を飾る写真を現像していた
原稿はほとんど書きあがった。誤字脱字をチェックすれば終わる
後は写真を選びそれが完全に乾けば印刷所に持っていける
「おや?」
玄関で物音がしたような気がした
「誰でしょうね」
手を洗い、あかぎれにならないようにタオルで丁寧に水気を拭き取ってから向かう
戸を開けて初めて雪が降っていることに気付いた
日は完全に落ちていたが、雪の反射で少しだけ外は明るかった
先ほどまで深々と降っていた雪は、何時の間にか強風で吹雪きに変わっていた
(道理で寒いと。風も大分強いですしそれで戸が揺れたのでしょうか? 明日の朝は結構積もってそうですね)
さっさと戸を閉めて現像室に戻った
吹雪のせいで視界が悪く、去っていく椛の後姿を見つけることが出来なかった




(家にもいないということは何かあったのでしょうか?)
椛は待ち合わせの場所に戻ってきた
鼻まですっぽりとマフラーを巻いてその場に座り込み、文の行きそうな場所を考える
約束を忘れているのか? 理由があって遅れているのか?
あれこれ考えて、自分は結局待つことしか出来ないと結論付ける

しかしあれから30分ほど待っても文が来る気配は無かった
足元には雪が積もっていた
首を振って頭に積もった雪を落とす
(帰ろう、これ以上ここにいたら雪だるまになってしまう)
文は来ないと思い立ち去ろうと考えたその時、自分以外の誰かが近くで雪を踏みしめる音を聞いた
寒いのを我慢して耳をピンと逆立てる。音は確かにした
その方に歩くとやはり誰かがいた
吹雪いてよく分らないが、気配からして鴉天狗だろうと思った
声の届く距離まで近づくと、相手もこちらを見た
(文様じゃない・・・?)
それは文ではなく他の鴉天狗だった。しかし様子がおかしかった。椛を見るなり突然、扇を取り出した
(まさかコイツが!?)
嫌な予感がして咄嗟に剣と盾を手に取る

その動作がいけなかった

轟音と共に椛は全身に痛みを感じた、気付いたら視界は真っ赤に染まり空を仰いでいた
寒さで指がかじかみ、自分の手元に剣と盾が握られているのかさえわからない
視界の端で慌てて逃げて行く鴉天狗の姿が見えた
痛みと混乱でぐちゃぐちゃになる思考をなんとか纏め上げる
(あの方はひどく怯えていた)
事件の犯人像と結びつけるにはどうも遠い。最初の動作も戦うというよりも自衛に近かった
(ああ、そうか・・・・・・)
今、白狼天狗には強い疑いがかかっていたことを思い出す
(私が白狼天狗だから・・・私があの方を疑ったように。あの方も私を通り魔だと思ったんだ)
暗闇で面識が無く疑心暗鬼を抱える者同士がかち合えばこうなることは明白だった
椛は一連の騒ぎのカラクリに気付いた
「始めから犯人なんて居なかったんだ」
喜ぶべきか悲しむべきかわからないまま、椛の目蓋は下がった




文が椛を見つけたのは日付の変わる直前だった
新聞を完成させたのでそれを持って印刷所に行く途中
椛の体は雪に覆われており、雪原が血で赤くなっていなければ目に付かなかった
掻き出した椛の体はまるでおろし金で撫でられたように削られ、唇は寒さで変色し、額もぱっくりと割れていた
楓の木も無残に倒れていたことから、風を操る同じ鴉天狗の犯行だとわかった

椛は天狗が開業している医者に担ぎこまれた


―――――あやさま、わたしわかりました。いちれんのじけんに“はんにん”はいないんです

抱きかかえられた椛が震える声で文にそう告げた
「そんなのとっくにわかっています・・・・私がそうなるようにしてしまったんですから」
気合を入れて書いた新聞の原稿と写真は途中でどこかに飛んでいってしまった。誰かが拾っても雪でインクが溶けてもう読めないだろう
文は治療を受けている部屋の椅子に手を組んで座りひたすら待った
その待つ姿は祈る形に似ていた
椛が一命を取り留めたと知らせを聞いて、文は全身の力が抜けるのを感じてそのまま椅子の上で眠りについた




気がつくと朝になっていた。雪が止み窓からの強い照り返しで目を覚ます
二日徹夜した疲れが溜まっていたことを思い出す
椛が居る部屋を教わり早足で向かう
「失礼します」
ノックもせず部屋に入る
病人用の着物を纏い、頭と両腕に包帯、左目に眼帯をした状態で椛が布団から体を半分出して外を眺めていた
慌てて歩み寄る
「椛、その目…」
椛にとって目を失うのは大きな痛手である
「大丈夫です。ニ、三日休めば眼帯は取れます。視力も落ちてないそうです」
「もう! 本当に心配かけないで下さい!!」
「わふっ」
惜しげもなく喜び、椛の頭を胸に抱え込む
「い、痛いです! 痛いです文様っ!!」
「当然です。これは罰です、椛が私を心配させるなんて千年はやいですから」
もがく頭を完全にロックする
「しかし無事で本当に良かったです」
「・・・あはは」
突然椛の声のトーンが下がったのを感じた
「どうしました?」
「それが、その・・・・・無事というわけでは・・・・」
「 ? 」
抱擁から解放して視線を下に落とす
「 ッ!!? 」
椛の両の手に本来あるべき指が消えていた
残ったのは右手の小指と薬指。左手の中指と薬指だった。凍傷による壊死で完全に皮膚が死滅したため戻る気配はないという
「困りました。もうにとり殿と将棋が指せそうにありません・・・・・」
彼女なりに精一杯おどけだったのだろうが。文にはそれが逆に痛ましかった
「   」
口を開いたが文は言葉が出てこなかった
「私の、せい・・・・・?」
喉の奥から搾り出してようやく出た声がそれだった
「いいえ。私の不手際です」
「ち、がう」
文は首を左右に振った。それが今できる最大の意思表示だった
もし最初に自分がやりましたと名乗りでていれば。もし襲われたと狂言を言わなければ。もし椛と呑みに行く約束をしなければ。もし自分が約束を忘れなければ
避けるための選択肢はいくらでも転がっていたことに気付く
「ごめん、ごめんね、椛・・・・本当に・・・・」
気付いたら泣いていた
「こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛、こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛、こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛、こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛、こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛、こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛」
膝を突き、涙も鼻水も拭くことを忘れて謝る
「文様は何も悪くありません」
軽くなった椛の手が文の頭に置かれた
「私は巡り合わせが少しだけ悪かっただけです」
そのまま頭を撫でる
「うぅ・・・」
指を失うとうことは戦力外通告されたのに等しい
本当に泣きたいのは自分ではなく椛のはずなのに、涙を止めることが出来なかった
いっそ全て白状してしまいたかった
怒るだろうか、許してくれるだろうか
椛は他人に優しいから許してくれるかもしれない
でもどうせなら怒って欲しかった。怒りに任せて蹴り殴って「お前のせいで私は剣を握れなくなった」と罵って欲しかった
「ですが、私がこうなることで事件が解決して良かったです」
指を失う悲しみは当然あったが、貢献できた嬉しさも椛は感じていた
そう思っている彼女に真実を告げることがどれだけ残酷なことか、想像に固くない

病室を出ると他の白狼天狗が数人集まっていた
「あなたのお陰で椛が助かった」と文に感謝の眼差しを送ってきた
(やめてください)
そんな目で見られるのがこの上なく苦痛だった
(全部私のせいなんですから・・・)
おぼつかない足取りで診療所を出た



「指の元通りになる薬?」
「はい。ありとあらゆる薬を作れるあなたなら可能だと思い」
文は永遠亭に足を運び、薬師の永琳を頼った
「無理よ」
しかし返ってきたのは文の最も聞きたくないものだった
「なぜです!? 永遠さえ自由にするあなたなら」
「失われた機能を“復元”するというのは薬の範疇を超えているわ。残念だけど、私は力になれない」
「なら…」
文は手を開いて永琳の前にかざす
「この指を椛に差し上げてください」
自分のを移植するよう頼んだ
「嫌よ」
「今度は何故!? 人間と違い妖怪なら多少の無理は通るはずです!!」
自然と声を荒げる
「そう睨まないで、別にいじわるで言ってるんじゃないわ。最初から足りないものを右から左に移し変えるだけの不毛なゼロサムゲームに付き合いたくないと言ってるの」
文はその言葉の意味を読み取る
「つまり“死体”からなら良いと?」
永琳は無言で頷いた
「私が言って説得力は無いかもしれないけど殺人の肯定はできないわ。これでも医師の端くれよ」
「医師の端くれなら、目の前に死体があってそれを必要としている患者がいれば嫌でも手術するということですよね?」
呆れた顔をした後、文の手を握りその上からナプキンを被せた。文の手のひらに数字をなぞる
「お値段はざっとこんなものかしら?」
「構いません。それでお願いします」
「結構な額よ? あなたが入れ込むなんて相当なベッピンさんなのね」
何故かその言葉は文にとって誇らしく感じられた



それから数日が過ぎた
椛が退院したと聞いて椛に合いにいった
だが庭で鍛錬を積む椛の姿を見て文は絶句した
無い指を補うように手に布を巻いて無理矢理素振りをしていた
溜まらず声をかけた
「なにやってるんですか椛!!?」
「あ、どうも文様。見ての通り鍛錬です」
さも当然だといわんばかりに返事をする
椛の剣は日本刀に比べて重量がある。刃物の付いたバーベルだと表現すればわかりやすい
そんなものを不安定な手元で扱えば大事故に繋がりかねない
「見てください! 盾も持ち手の部分を腕に巻きつければ今まで通り…」
文の手が椛の手を軽く叩いた。それだけで剣と盾は簡単に雪の上に落ちて、その重さで小さな窪みを作った
「なにするんですかッ!!」
椛はこれまでにない剣幕で文を怒鳴る
病室にいる時からそうだったが、文には椛が気丈に振舞っているのを見るのが辛かった
このまま頑張り続けたら壊れてしまうのが文にはわかる
「もうやめてください」
だから椛の両手を握った
「離してください!! こうでもしないと私は、私はっ!!」
俯き、震えだす。握った手に涙が滴る。どちらの涙なのか説明するまでもない
「無理しないで下さい。誰もあなたを要らないだなんて思ってませんから」
諭すように出来るだけ優しく言った
「それでも、私は、自分を…」
使命に厚い椛にとって今の自分は何よりも許せなかった
文は好きな人をここまで追い詰めてしまった自分を呪う
少女の嗚咽が一つ、二人しかいない庭に木霊した



「落ち着きましたか?」
「はい」
二人は縁側に腰掛けていた
椛の目はまだ赤く腫れていた
二人の間にはお茶と菓子が置かれていた。どちらも椛が用意したものである
「器用ですね」
「よしてください」
茶を啜り、文は切り出した
「私もう新聞書くのやめようと思うんです」
自分なりのケジメのつもりだった
「どうせ誰も読んでませんし」
言って自嘲気味に笑った
「そんな、それは駄目ですよ!!」
「 ? 」
椛がこれに反対するのを意外に感じた
「ちょっと待っててください」
突然立ち上がり、靴を脱いで部屋の奥に消えて。両手首を器用に使い紙の束を持って戻ってきた
「私、ずっと読んでたんですよ。山の神社の一件で知り合うずっとずっと前から」
それは文々。新聞の束だった
「あまり山から出ない私に毎回記事の内容は新鮮で、文章も読み手にわかりやすいように配慮されてて。子供に文字を教えるときに参考にさせてもらったりとかして、その、ええっと…」
聞いていると涙が溢れてきた。こんな間近に読者がいた
「椛」
「はい」
袖で目元を拭う
「結婚しましょう」
「はいぃぃぃ!!?」
素っ頓狂な声を上げる椛
「冗談ですから真に受けないでください、だからそんなに驚かないで」
「だってあんな真顔で言うんですもん。誰だって驚きますよ」
「(まぁ半分冗談ですが)・・・もしよろしければ哨戒をやめて私と新聞を作りませんか?」
椛に向けて手を差し出した
「なんかプロポーズしてるみたいで照れますね」
「あははははは」
その笑顔が普段どおりで文は安心した
「すみませんが…」
躊躇いがちに椛は首を振った
「私は白狼天狗。山を守ることが私の生きる道であり、たった一つの誇りです」
毅然とした態度でそう言い放った
「そうか、そうですよね」
「折角の申し出なのですが」
「構いません、それでこそあなたです」
もうこの子は大丈夫だと文はわかった
「そんな椛に私からプレゼントです。といっても今すぐには渡せませんが」
「なんですか?」
「明日か明後日にでもわかります」
文は立ち上がると椛に背を向ける
「あの、文様」
「はい」
「新聞、やめませんよね?」
「ええ。こんな熱心な購読者がいるんです。やめるわけないじゃないですか」
そう答え、一度も振り返ることなく文は飛び立った
その後姿に椛は小さな不安を感じた













「どうやらここで間違いないようですね」
ある家の前で文は止まる
(仲間の証言や、アリバイを組み合わせればここ意外に考えられません)
そこは椛を襲った鴉天狗の家だった
(落とし前はキチッとつけて頂かないと・・・)
永琳と交わした約束『殺しは禁止』を破ることにした
相手にも情状酌量の余地はある。順当にいけば自分が椛に指を提供するのが正当ではある
始めは自殺なんでもして椛に指を返そうと思った。しかし今日の出来事で自分は椛に必要とされているとわかった
ひどいエゴだとは思うが自分も椛との日常に戻りたかった
だからズルを承知で相手に泣いてもらうことにした
(天狗が天狗に神隠しされるなんて笑えない冗談ですね)
これは記事にはならない。事件にもならない
一匹の天狗が行方不明になった。ただそれだけ。きっと組織を離れて気ままに暮らすことにでもしたのだろう
(凶器は何がいいでしょうか。新鮮さは保たないと…)


この夜。妖怪の山から一匹の天狗が消えた


fin















  • 文が死ぬのかと思った -- 名無しさん (2009-06-11 15:30:56)
  • 消えた天狗は果たしてどちらか -- 名無しさん (2009-06-11 18:33:37)
  • その犯人の天狗が消えたと思っていたけど…。
    なるほど、そういう考えもあったのか。 -- 名無しさん (2009-06-13 07:43:14)
  • 文が指の奪取に成功したとしても椛がそれを受け入れるかどうか……
    受け入れたら受け入れたで周りから「その指どうした」って疑われそうだし
    結局事実関係を厳しく追及されて文には破滅しか待ってないような気がする -- 名無しさん (2009-06-13 19:05:18)
  • 文と椛をもっと虐めたい -- 名無しさん (2009-06-14 16:35:40)
  • 結局文が返り討ちに -- 名無しさん (2009-06-16 05:29:15)
  • 文と結婚するのは俺さ!!

    そして俺は病気さ -- 名無しさん (2009-06-23 20:14:16)
  • 他の天狗達も文と椛と同じような感じになっているなら永琳がぼろ儲け。
    そして、山は誰もいなくなった。
    なんて妄想をしてみる。 -- 名無しさん (2009-07-04 23:30:44)
  • 文は大天狗に次の事件があればそいつの指くれ。とでも言えば良いんじゃないか?
    そうすれば文も黒じゃなくなる。
    ……脳内の文は黒だがな(下着的な意味で) -- 名無しさん (2010-03-20 20:17:11)
  • 一応、事件の真相を知ったのは文と椛だけで、真相を書いた新聞も無くしたから他に知っているやつはいない。だから事件は解決していないので次の事件が起きても誰も不審には思わない。 -- 名無しさん (2010-03-20 22:30:58)
  • ちゃんと物語として面白く、素晴しい作品です。
    剣士の指とか、アイデンティティーを失う系のは「良い」ですねやはり。 -- 名無しさん (2010-04-11 23:50:38)
  • こういうのが読みたかった!!! -- 名無しさん (2011-01-14 02:11:23)
  • これいいな -- 名無しさん (2011-05-22 19:49:54)
  • 自分の取り柄が無くなるのは本当に辛い -- 名無しさん (2011-05-22 20:56:48)
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最終更新:2011年05月22日 20:56