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儚月抄との矛盾があっても気にしないで下さい 「おかえりなさい、イナバ」 「はい、ただいま戻りました」  一礼。鈴仙はそのまま輝夜の脇を通り抜けようとしたが、耳を引っ張られた。  重たい薬箱を背負ったままなので、早く降ろしたいというのに。渋々足を止める。  わざわざ鈴仙を止めたくせに、輝夜はなぜだか空を見上げて太陽を眺めていた。 「何かご用ですか?」 「んーっ、ちょっと帰り、早くないかな、って思ってね」 「きちんと名簿の家は全部回りましたよ」 「いや多少はサボってもいいんだけど。イナバが回っている人里には何か面白い所がたくさんあるじゃない。花屋さんとか。行 ってみたいわ」 「今度、師匠と一緒に行ってみてはいかがですか?」 「違う違う。あー波長には敏感なくせに鈍いわね」  鈴仙の能力は相手の心理状態を読むことに長けたものではあるが、思考まで読めるわけではない。  経験則によって心の波長から考えていることを推測することはできる。主人にはそれが通用しない。常識からぶっ飛んだ思考 を紡いでいることがしょっちゅうだからである。 「せっかく火事場がやってきた消火器なんだから」 「なんですかそりゃ」 「ようするにお使いでしょ? イナバのやってること。なら帰りにこっそり遊んでいくのが普通じゃない? 誰だってそーする。 私だってそーする」 「姫はそりゃ、一人で出歩くなんてしてもらっちゃ困りますから。でもどうせ地上の店なんてちゃっちぃですよ。それよりお仕 事の方が私には大事です」 「わかっちゃないわねぇ。ちょっと永琳呼んできて」 「げっ」  なんか主人の腹に据えかねることを言ってしまったらしい。お仕置きが下るのをわかっていて、なぜ師匠を呼ばねばならぬの か。自分の墓穴を掘り棺を作るような仕事である。  だが嫌だと言ったところで墓穴にぶち込まれる事実は変わりない。暗澹たる気持ちで師匠に声をかけた。  輝夜、永琳、鈴仙と三角形になって座につく。なんだコレ。公開処刑じゃねーか。裁判官は輝夜。検事も輝夜。弁護士いませ ん。処刑執行人は師匠です。もちろん被告は鈴仙です。 「永琳、このコ次いつお薬の補充行くの?」 「今日行ってきたばかりですから、一ヶ月先ですね」 「んー。まあいいわ。それくらいなら待ちましょう。で、本題なんだけど次行く時私もついてくから」 「ええどうぞ。ついでに私が診療して回るのもいいかもしれませんね」 「ああそれはいい案だけど、永琳、あんたはその日留守番。付きの者はこのコだけでいいわ」 「そりゃウドンゲは護衛も案内もできますけれど、他にもっと適任の者もいますよ?」 「適任の者に、このコを仕立てあげるのよ。ペットの躾は主人がするわ」 「…………」 「恨みがましい目でイナバを見ない」 「はい」  今日初めて、輝夜に感謝した。鈴仙の視線は狂気を宿すが、師匠の視線はモノを殺せる。  それから一ヶ月おきに、鈴仙と輝夜の幻想郷巡りが始まった。  はじめの三ヶ月ほどは人里のカフェや本屋、道具屋などを冷やかすだけで輝夜の気は済んでいたのだが、だんだんとその活動 範囲は広がり始めたのである。  神社に行こうが洋館に行こうが雲の上を行こうが別に構いやしないのだが、輝夜はただはしゃぎ回っているだけで、なぜ自分 と二人きりでなければ嫌なのか、さっぱり理解できない。  そして冬。永遠亭もすっかり白化粧が施され――というレベルではなかった。竹林がたわみ、障子も突き破られそうなほどの 吹雪が猛っていた。兎たちは囲炉裏やこたつの傍から離れたがらず、鈴仙はその分いつも以上に働かなければいけなかった。  午後を回り、遅めの昼食を腹に詰め込んでいると、寒い寒いという声が背後から聞こえた。  白い息を吐きながらかまどの前に輝夜は座り込んだ。ざっ、と見事な黒髪が奔流となって放射状に土間へと散る。  鈴仙は箸を置き、主人の手を取って、立たせた。 「せっかくのおぐしが乱れます。何かご所望なら用意しますよ」 「ふふ、イナバだっていい髪持っているじゃない。……お札いっぱい付けたら妹紅みたいに見えるんじゃない?」 「よしてください……」  ため息を胸中に押し殺し、鈴仙は茶を入れた。凍えている主人に何も出さないわけにはいかない。  主人はそのまま黙って湯呑を傾けていた。妙な沈黙が一人と一羽の間に停滞する。  鈴仙は、輝夜に頭を下げた。 「今日はちょっと雪が強すぎるので、残念ですが巡回はお休みです」 「ええ」 「……すみません」 「私は気になんかしてないわよ。雪なんか止むまで待てばいい。それより『残念』ってイナバが思ってくれたことの方が嬉しいわ」 「はぁ」 「少しはサボるの、楽しくなった?」  輝夜が楽しみにしていたから『残念』なのだが。その主人は底の見えない無邪気な笑顔を貼りつかせた。鈴仙は愛想笑いで返す。 「楽しいというか、慣れてはきました」 「まあ無理に急く必要はないわ。イナバが人間嫌いなんなら嫌いなまんまで一向に構わないから」 「嫌いというか……」  怖い。  波長で感情を読み解くことはできる。その気になって睨みつければ思い通りに操ることなど茶を入れるより簡単だ。人間など 鈴仙にとってものの数ではない。  だが、幻想郷の外には六十億もの人間がひしめている。その一人一人を睨みつけることなど、できるはずがない。  勝てるだろうか。危害を加えてこないだろうか。何を考えているのだろうか。  月生まれ月育ちの鈴仙にとって、月を侵略しにやってきた地上の人間という連中は、得体の知れない生物群だ。エイリアンだ。  とても怖い。 「んー、私は運が良かったのかしらね。やっぱり普段の行いね」 「と、いいますと」 「私が地上に送られた時は、親切な人間が育ててくれたの。だから実際に触れた第一印象は悪くなかったわ。地上の生活はとて も楽しい。イナバも、兎角同盟なんかやっているくらいなんだから、別に地上の生活自体は嫌いじゃないでしょ?」 「ええ、まあ」  兎の身分で月の頭脳とも謳われた八意永琳の弟子になれたくらいだし、薬を作るのは兵隊やるよりよほど心と誰かを救う仕事 だ。地上へ降りたこと自体を、決して鈴仙は後悔しない。  ただ、人間が怖いだけだ。  輝夜は鈴仙の真っ赤な瞳を見上げた。 「イナバにはね、人間が決して怖くないことを覚えてほしいのよ。冷静に考えてみたらわかるでしょ? あんたの方がよほど強 いわ。例え数で攻め込まれても、集団の頭をちょっと睨みつけて狂わせたらそれだけで相手は勝手に自滅してくわよ」 「姫って考えることえげつないですね」 「貴方も同じよ。もし怖くて怖くてたまらなくなったら、勝手に人間と争い合って死にかねない」  主人は、むっ、と頬を膨らませた。 「私の可愛いイナバをそんなつまらないことでなくしてたまるもんですか」 「くちゅっ! ……あっ、す、すみません。聞こえませんでした。医者のなんとかですね。ちょっと、風邪引いちゃったかもし れません。姫も、もっと暖かい所へ行った方がよろしいですよ」  一気にまくしたて、鈴仙はちり紙で何度も鼻をかんだ。  あらあらお大事に、と輝夜は言い残し、去ってゆく。  完敗だった。  ちょっと目尻に浮かんできた涙もちり紙で拭き取る。そして恐る恐る振り返り、輝夜の後ろ姿を眺めた。  良かった。もし輝夜が鈴仙に顔を向けていたのなら、我慢の堤防が壊れて泣きついていたかもしれない。  知らなかった。むしろ、今まであの我侭姫を護っているのだとすら鈴仙は思い込んでいた。逆だったのだ。主人は知らない間 に鈴仙を気遣ってくれていた。  明日――それが無理ならば今度晴れた時、輝夜と一緒に出かけた時は地上に降りたばかりの頃の話を聞こう。  あの人もまた、地上にたった一人でやってきて、右も左もわからぬ時があったのだと、鈴仙は初めて実感をもって知った。 「イナバ、診療所を開いてみない?」 「はい?」  せんべいを齧っていた鈴仙は赤い目をまん丸と広げた。  あれから何年か経つが、鈴仙の人間を避ける癖は少しずつ緩和され巡回先の家々でまともに世間話ができる程度には、成長した。  そこで最近、慧音や妹紅からも面白い意見が輝夜に進言されている。 『人里の近くに診療所を作ってみてはどうだろう』  永遠亭の眠る竹林は迷いやすく、妖怪や妖精も出やすい。気楽に行ける場所ではないためどうしても護衛を必要とする。  置き薬だけでは不安、きちんとした診療が受けたい、しかし永遠亭に行くほどではない――そういった顧客を受け入れる場所 があっても良いのではないかと。  つまるところ慧音と妹紅が楽したいだけなのだろうが、輝夜もこの案は気に入っていた。  試験的に鈴仙を一人立ちさせても良いだろう、と永琳も快い返事をくれた。  そこまで話を聞こえた鈴仙は突然降りかかってきた事態についてこれないのか、赤い目を白黒させていた。 「お師匠様も、良いと言ってくださっているんですか?」 「ええ。もちろん、貴方が対処しきれない患者は永琳が担当するって。置き薬の巡回は……まあ永琳にやらせてもいいし、私が やってもいいわけだし。貴方にしかできないこと、ってのがあるのよ」 「そりゃまあ、確かに私はお師匠様には足下に及ばないまでも、薬学についてはそれなりの自負はありますけれど……人里には 既に診療所の一つや二つはありますでしょう?」 「まあそこと顧客争いするわけじゃないんだけど。イナバにしかできないことってのは、この永遠亭の敷居を下げることよ」  輝夜も色々とイベントを起こしているが、やはり宇宙人と地上人の感覚のズレはそうそう補いきれるものではないようで、永 遠亭と人間や妖怪との距離は簡単に縮まらない。  もっともっと普通に、気張らず友人として接し合える環境を、輝夜は目指したい。  鈴仙はその環境作りにおいて切り札にすらなり得るほどの価値を、秘めている。 「……わかりました。がんばってみます」 「ありがとう。でも正直、すぐに答えてもらえるとは思ってなかったわ。珍しいわね」 「姫は本気みたいですし、言い出したらどうせ聞かないでしょう。そのうえ、お師匠様にも姫にも信頼されて任されたことです。 お断りする方が心苦しいというのが本音です」 「まあそれを狙ってお願いしたんだけどね」 「そんなこったろうと思ってました」  鈴仙は苦笑いを漏らしつつも、どこか嬉しそうだ。実際、輝夜としても予想外にいい方向へと転がって少し驚いている。最終 的には承諾させるつもりだったものの、それは何年後かの実現とすら考えていた。  いずれにせよ話は決まった。時間は無限にあるが、善は急げだ。鈴仙の耳を引っ張って立ち上がらせる。 「いたたたたっ。何するんですか!」 「さあ、永琳を呼んできなさい。開業の具体的な計画を打ち立てるわよ!」  それから二ヶ月後、人里と竹林の狭間に診療所は建てられた。  元々置き薬の顧客からの声を形にしたものだけあって、評判自体は決して悪くなかった。  収益は本当のところ赤字なのであるが、そこらへんは輝夜は気にしていないし、鈴仙の責任ではないと言い含めている。まあ 少しずつ儲けていけばいいのよ、と。  輝夜が仕事中に顔を出すと、鈴仙は真剣に患者の病状の訴えを聞き、日々の生活の注意点や病の説明を優しく話すことができ ていた。  以前の人を避けていた彼女からは想像できない姿である。だがこれはひとえに鈴仙自身が意識して歩み寄ろうとした結果なのだ。  少しずつ、ゆっくりゆっくりとだが、永遠亭は幻想郷に馴染んで行くことができていた。  輝夜にとって時間というものは無限にやってくるものだ。全ては上手く行っているように思っていた。  だから。  だから、気づけなかった。  気づいた時には、もう遅かった。  少し疲れているんじゃないのか。診療所は軌道に乗り、どんどん忙しくなるばかりだった。鈴仙のことだから輝夜や永琳には バレないよう、気を遣っているのだろうと考えていた。  輝夜は永琳に相談した。鈴仙への休養と頑張った褒美を含めて、どこかへ遊びに行くのは良いのではないかと。  良い場所はないかと天狗の出版した名所カタログなどを輝夜が眺めていたその時、永遠亭を揺らがさんばかんの怒声が轟いた。 「おい竹藪医者! 今すぐ出てきなさい!」  妹紅である。ここのところようやく人間が丸くなってきたと思っていたのに、あいかわらず血気盛んな奴だ。そこがまた可愛 くて仕方ないのだが。  しかし永琳を呼んでいるあたりから喧嘩を売ってきたわけではなく、急患だということが輝夜にはわかっていた。故に研究室 に閉じこもっていた永琳を輝夜自ら呼びつけてやる。  そしてなんとなし、小走りで永遠亭の廊下を駆ける永琳について行き、玄関にいた妹紅を――彼女が背負っている者を見た時、 輝夜に衝撃が走った。 「鈴仙!?」 「呼吸が浅い。なんか顔色悪そうだって思っていたら、いきなりぶっ倒れたって……」 「医療室に運んで。診るわ」  妹紅の歩みと平行して永琳は鈴仙の脈や血圧を測り始めていた。苦悶の表情を浮かべる鈴仙の顔色は最早青白さを通り越して 土気色に近い。  ここ三日ほど、永遠亭に帰ってこなかった内にこれほどひどくなっていたとは。医療知識のない輝夜は指をくわえて見ること しかできない。  やがて、鈴仙を運び終えた妹紅が輝夜の元まで戻ってくる。  振り抜かれた拳が頬を直撃し、永遠亭の庭にまで輝夜を吹っ飛ばした。 「聞けばかなり前から調子悪そうに見えたそうじゃない? 輝夜、あんたアレの主人でしょ?」 「……ったく……顔を殴られたのなんて初めてだわ……たぶん」 「人の話聞いてる、輝夜?」 「落ち着きなさい、妹紅。今ウチ燃やすと三年くらいは殺し続けるわよ?」  背に炎を立ち昇らせていることにようやく気づいたのか、妹紅はばつの悪そうな表情で引っつかんでいた輝夜の胸倉を離した。  庭石に尻を置き、あぐらをかく。輝夜にガンをつける。すっかりやさぐれた元貴族の少女は、そこらへんの娘よりよっぽど行 儀が悪くなっていた。  そんな妹紅の頭を、輝夜は撫でてや――ろうとした瞬間、妹紅の白髪が燃えた。 「ハリセンボンみたいなコね……。それよりまあ、妹紅、あんたがそこまで鈴仙のこと心配してくれたっていうのは驚きだわ」 「知らんわあんな兎。でも知り合いのペットを見捨てるほど世を儚んじゃないわよ、まだ」 「そう。ともかく、ご苦労様」 「ふん、ずいぶん落ち着いてきたんじゃない?」 「そりゃそうよ。永琳に任せておけば大丈夫に決まってるんだから」  それを聞いた妹紅は、むっ、と頬を膨らませて庭石から飛び降りた。そしてポケットに手を突っ込んだまま竹林へと向かう。  輝夜は投げやりにその背中へと声をかけた。 「お茶でもどう?」 「聞くのが遅すぎる。ともかく、これからはもっと大事にしなさいよ。私は例外なんだから」 「あんたも健康には気をつけるのよー」 「うるさいっ」  真っ白なその背中を見送ってから、輝夜はため息をついた。  やはり妹紅をいぢっている間は気を紛らわせられていたが、一人になると少し落ち込む。とはいえ何事も後悔をしない主義の 輝夜なので、過ぎたことは仕方ない、今は永琳を信じようとすぐに思考を切り替えるが。  切り替えるが、漠然とした不安だけは取り除けない。永琳の実力を誇張も何もなく知っている輝夜は、彼女の限界もまたわか っているのだ。  そうして悶々と待ち続け日が暮れた頃、永琳はようやく医療室から出てきた。  とてもとても長い付き合いなので、彼女の表情を見ただけで輝夜は大体を察した。  だから、真夜中を過ぎて二人きりになってから、輝夜は永琳に問い詰めたのだ。 「鈴仙は助からないのね」 「ええ」  天才としての自負か、即答はするものの理由は言い難いようで永琳はかなりの間、押し黙っていた。  輝夜は永琳が切り出すまで、じっと待つ。  永琳は一言、零した。 「穢れが」  びくり、とした。輝夜は正直、それの存在を忘れていた。千年以上も地上で生活し続けていたのだ。もはや慣れきってしまっ ていた。  そして永琳も輝夜も、既に蓬莱の薬によって穢れを得てしまっている身分だ。そんじょそこらの箱入り月の民と違って、ちょ っとやそっとの穢れで死んでしまうような柔な生き物ではない。  だが、鈴仙は違う。  妹紅の一言が胸に突き刺さった。『私は例外』……。  いや、待て。 「確かに地上には穢れが満ちてるけど……今まで鈴仙はなんともなかったでしょう?」 「それは姫が、永遠の術でこの永遠亭を守っていたから。ある程度穢れが体内に溜まったところで、初期値にリセットされる。 鈴仙は数十年間、そうして健康を保ってきた」 「じゃあ……私たちが鈴仙を地上に引き止めたから、あのコの死期を早めてしまったの?」 「…………」  永琳は押し黙る。とても珍しいことだった。輝夜の無理難題にずっと即答し、応え続けてきた永琳が答えに渋るなんて、ほと んどない。  しかし、輝夜の性格を誰よりも知っているのは永琳だ。どれほどつらいとて、必ず知らねば気が済まない。それが輝夜なのだ と知っているからこそ、結局、語ってくれた。 「永遠亭はあいかわらず穢れの少ない場所だし、少量の穢れなら私が払える。でも……でも、少しずつ姫は、人間たちに鈴仙を 近づけた」 「――そして、診療所の開業がトドメになった、と?」 「穢れの影響を失念していた私にも、責任はあるわ」 「ええ。まあ、お互い悪かった、っていうことで……さあ、過去の責任の追及はここまでよ。聞かせなさい。なぜ鈴仙は助から ないの?」  大量の穢れは今の永琳には払えない。それが疑問だ。他の者なら納得ができる。しかし永琳には不可能なことの方が少ない。 出来ないということが癪に障る。 「これは単純に、私の能力不足。まず、鈴仙を全く穢れの無い場所に置きたい。けどそんな場所は無いわ」 「作れないの?」 「作るための材料、装置とか、そういうの全部を用意する時間がないの。色々やっている内に、鈴仙は死ぬ」 「ふうん」  なんだ、解決方法自体はあるではないか。永琳がそれを口に出さないのは、気づいてほしくないからだろう。  その永琳の気持ちを汲み取って、輝夜は唯一の方法を即決としなかった。  ともかく、慌ててもどうにもならない。輝夜は立ち上がる。 「何処へ?」 「鈴仙の様子を見てくるわ」  本人の意見を聞かないわけにはいかない。  医療室のベッドに寝かされた鈴仙のそばには、いびきをかいて鈴仙にすがりつくてゐがいた。  苦笑いを漏らし、輝夜は自分の着ていた上着をてゐにかけてやり、鈴仙の顔を覗き込んだ。  酸素供給器をはじめとした生命維持装置をあちこち取り付けられた鈴仙は、輝夜の顔を見たとたん、生き返った。 「姫……夜分遅くに……すみません」 「構わないわ。イナバ、永琳から自分の症状聞いている?」 「はい……」 「寿命がもう長くないことも?」 「……いいえ」  真っ赤な瞳に怯えが走り、その波長が輝夜にも少し、伝染した。  何もかも攻撃したくなるような衝動が走ったが、気持ちで抑えつける。そして念のため、永遠の術で今の安定した精神状態を 固定化することにした。 「あなたは、今までよくやってくれたわ。あなたがいなかったら、今もたぶん私たちはずっとこの竹林にこもりっきりだったで しょうから」 「私はただ……厄介事を持ってきただけです……」 「トラブルでもなんでも歓迎よ。ずっとずっとずっとずっとずーーーーーーーーっと退屈だったんだから」 「お役に立てて……ぅ」  鈴仙の表情に、苦悶が翳る。 「永琳を呼んできてあげるわ。それまで我慢しなさい」 「は……い……」  輝夜は立ち上がり、医療室を出て――そのまま扉の前で立ち止まった。  鈴仙の演技くらい見抜ける。どうやら一人にしてほしかったようだ。  誰も聞いていないと思っているのか、鈴仙のか細い声が輝夜の耳に響いた。 「いやだ……怖い……まだ、まだ私なんにもできてない……よォ……  今死んだら……地獄に落とされる……仲間たちにも、顔向けできない……  っくしょう……なんで私だけ……いつでも貧乏籤……  死にたくない……  死にたくない……ッ!」  それはもう、恨み言。  亡者のような、怨念のこもった声。  息を吐く。  輝夜は天の帳を見上げ、そこにある穴を睨みつけた。  鈴仙の寝顔は、あいかわらず苦渋に満ち満ちていた。  間違いなく輝夜は彼女に恨まれている。鈴仙を死の淵に追いやったのは輝夜なのだから、恨むのは正当だ。  妹紅のように恨むことでそれを生きる糧とするのなら良い。けれど、鈴仙はこのまま死ぬ。未練を残して死ぬことでさらに鈴 仙の苦しみは死後も永く続くことであろう。  銀色の髪を撫でた。すっかり髪質は痛み、安物の人形みたいに手触りはごわつき、枝毛だらけだった。  それを尊いと、輝夜は重んじる。この穢れに満ちた鈴仙こそが、鈴仙の努力の結晶だと。  もちろん、代価は重すぎる。 「だから、永琳。私たちがこのコの荷物を少し、持ってあげましょう?」 「っていうか、強奪ね」 「あはは。宝物にさせてもらうわ」  軽口を叩き合い、気分が落ち着いたところで輝夜は鈴仙の頬に手をやり、そっと唇を重ねた。  罅割れ、乾燥し、色を失ったその唇に。  名残惜しむように。  鈴仙・優曇華院・イナバが目覚めると、そこは主人と師匠にあてがわれた自室であった。  ここのところ診療所勤めで、ほとんど帰っていなかったが、間違いなくそこは鈴仙の部屋だった。  ――夢、だったのだろうか。しかしいつから夢なのかすらわからない。もしかしたら師匠の作った変な薬の実験台にでもされ たのかもしれない。  そう思うと、本当に、本当に―― 「あ、あぁ……っ」  なんて、楽しかった日々だっただろう――。  夢なら、どれだけいいだろうか。けれど鈴仙は経験上、熟知している。いつだって都合の良いことは全部幻で、認めたくない ことだけが現実なのだ。  床に膝をつき、鈴仙は泣いた。泣き喚いた。これだけ泣いても全く体力を消耗せず、声も嗄れないことが、健康体を取り戻し たこと――取り返しのつかない現実を、実感させた。  死にたくなかった。  けれど、けれど。 「おかえり、れーせん」 「てゐ……ただいま」  いつのまにかやってきた一番の友達が、心配そうに鈴仙を見下ろしていた。  いつも悪企みに満ちているはずの、うさんくさい笑みに包まれた彼女の表情は、見たことが無いくらいに暗鬱としている。 「でも……でも!」 「あのね、姫様から伝言。私たちとなるたけ喧嘩せず、仲良くやってきなさい。だってさ」  てゐの声もまた、震えていた。  鈴仙は耳を塞ぎたくなる。『伝言』という事実から、逃げ出したくなった。  誰か守って。  姫、師匠。守ってください。  帰ってきてください――。 「お師匠様からは、永遠亭の薬の名を、落とすなって……」  二人は、もう、永遠亭にいない。  月に帰った。  夢現の狭間、鈴仙は懐かしい波長を感じ取っていたのだ。  月人たちの波長。  それも大勢の数。  中には、月兎の波長も混じっている。  まさかと、思っていた。  まさかと、考えたかった。  確かに月の施設なら、鈴仙の穢れを払い、治療することが可能だろう。  だが鈴仙を助けるため、月の使者を呼べば輝夜と永琳はどうなる?  答えがこれだ。  あの二人は、たった一羽の兎を助けるため、かけがえのない生活を、永遠に続くかと思われた幸せを、手放した。  そして、まるで自分たちの意思を継げと言わんばかりに―― 「姫と師匠は、ずっとずっと、本当に、勝手すぎるよ!」  最後の最後まで、我侭で。相手の気持ちなんて考えないで。  怨みの言葉も、礼の言葉も、言わせないで。  さよならまで、奪ってしまった。 ---- - くそっ、途中までいい話だったのに・・・ &br()でも永琳がすぐに用意できないって言うなら &br()輝夜が時間を永遠に延ばせばいいのではないかと思うが &br()材料がないとしても幻想郷なら穢れがほとんどない場所ぐらいありそうだし &br() -- 名無しさん (2009-01-10 14:42:52) - 泣いた…号泣した… -- 名無しさん (2009-04-26 00:08:49) - いい話っぽいな…… -- Aーfd (2010-03-24 14:23:15) - 此の話の輝夜すげえ好きだな… -- 名無しさん (2010-05-16 13:10:05) - ↑だよな &br()姫様と師匠の優しさに泣いた。あと、姫様が居なくなったら妹紅は… -- 名無しさん (2010-05-17 13:02:43) - 他の人物のように達観していないから、 &br()うどんげはいい。 -- 名無しさん (2010-11-05 12:51:43) - 妹紅が原作通り女の子口調なのがすごく嬉しい作品だな -- 名無しさん (2012-04-22 17:21:36) - ↑それ同感だわ、二次創作の妹紅って魔理沙の別バージョン感あるからな -- キング クズ (2016-07-12 02:10:30) - あれ…目から蓬来の薬が… -- 醤油 (2016-07-24 10:11:24) #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)
儚月抄との矛盾があっても気にしないで下さい 「おかえりなさい、イナバ」 「はい、ただいま戻りました」  一礼。鈴仙はそのまま輝夜の脇を通り抜けようとしたが、耳を引っ張られた。  重たい薬箱を背負ったままなので、早く降ろしたいというのに。渋々足を止める。  わざわざ鈴仙を止めたくせに、輝夜はなぜだか空を見上げて太陽を眺めていた。 「何かご用ですか?」 「んーっ、ちょっと帰り、早くないかな、って思ってね」 「きちんと名簿の家は全部回りましたよ」 「いや多少はサボってもいいんだけど。イナバが回っている人里には何か面白い所がたくさんあるじゃない。花屋さんとか。行 ってみたいわ」 「今度、師匠と一緒に行ってみてはいかがですか?」 「違う違う。あー波長には敏感なくせに鈍いわね」  鈴仙の能力は相手の心理状態を読むことに長けたものではあるが、思考まで読めるわけではない。  経験則によって心の波長から考えていることを推測することはできる。主人にはそれが通用しない。常識からぶっ飛んだ思考 を紡いでいることがしょっちゅうだからである。 「せっかく火事場がやってきた消火器なんだから」 「なんですかそりゃ」 「ようするにお使いでしょ? イナバのやってること。なら帰りにこっそり遊んでいくのが普通じゃない? 誰だってそーする。 私だってそーする」 「姫はそりゃ、一人で出歩くなんてしてもらっちゃ困りますから。でもどうせ地上の店なんてちゃっちぃですよ。それよりお仕 事の方が私には大事です」 「わかっちゃないわねぇ。ちょっと永琳呼んできて」 「げっ」  なんか主人の腹に据えかねることを言ってしまったらしい。お仕置きが下るのをわかっていて、なぜ師匠を呼ばねばならぬの か。自分の墓穴を掘り棺を作るような仕事である。  だが嫌だと言ったところで墓穴にぶち込まれる事実は変わりない。暗澹たる気持ちで師匠に声をかけた。  輝夜、永琳、鈴仙と三角形になって座につく。なんだコレ。公開処刑じゃねーか。裁判官は輝夜。検事も輝夜。弁護士いませ ん。処刑執行人は師匠です。もちろん被告は鈴仙です。 「永琳、このコ次いつお薬の補充行くの?」 「今日行ってきたばかりですから、一ヶ月先ですね」 「んー。まあいいわ。それくらいなら待ちましょう。で、本題なんだけど次行く時私もついてくから」 「ええどうぞ。ついでに私が診療して回るのもいいかもしれませんね」 「ああそれはいい案だけど、永琳、あんたはその日留守番。付きの者はこのコだけでいいわ」 「そりゃウドンゲは護衛も案内もできますけれど、他にもっと適任の者もいますよ?」 「適任の者に、このコを仕立てあげるのよ。ペットの躾は主人がするわ」 「…………」 「恨みがましい目でイナバを見ない」 「はい」  今日初めて、輝夜に感謝した。鈴仙の視線は狂気を宿すが、師匠の視線はモノを殺せる。  それから一ヶ月おきに、鈴仙と輝夜の幻想郷巡りが始まった。  はじめの三ヶ月ほどは人里のカフェや本屋、道具屋などを冷やかすだけで輝夜の気は済んでいたのだが、だんだんとその活動 範囲は広がり始めたのである。  神社に行こうが洋館に行こうが雲の上を行こうが別に構いやしないのだが、輝夜はただはしゃぎ回っているだけで、なぜ自分 と二人きりでなければ嫌なのか、さっぱり理解できない。  そして冬。永遠亭もすっかり白化粧が施され――というレベルではなかった。竹林がたわみ、障子も突き破られそうなほどの 吹雪が猛っていた。兎たちは囲炉裏やこたつの傍から離れたがらず、鈴仙はその分いつも以上に働かなければいけなかった。  午後を回り、遅めの昼食を腹に詰め込んでいると、寒い寒いという声が背後から聞こえた。  白い息を吐きながらかまどの前に輝夜は座り込んだ。ざっ、と見事な黒髪が奔流となって放射状に土間へと散る。  鈴仙は箸を置き、主人の手を取って、立たせた。 「せっかくのおぐしが乱れます。何かご所望なら用意しますよ」 「ふふ、イナバだっていい髪持っているじゃない。……お札いっぱい付けたら妹紅みたいに見えるんじゃない?」 「よしてください……」  ため息を胸中に押し殺し、鈴仙は茶を入れた。凍えている主人に何も出さないわけにはいかない。  主人はそのまま黙って湯呑を傾けていた。妙な沈黙が一人と一羽の間に停滞する。  鈴仙は、輝夜に頭を下げた。 「今日はちょっと雪が強すぎるので、残念ですが巡回はお休みです」 「ええ」 「……すみません」 「私は気になんかしてないわよ。雪なんか止むまで待てばいい。それより『残念』ってイナバが思ってくれたことの方が嬉しいわ」 「はぁ」 「少しはサボるの、楽しくなった?」  輝夜が楽しみにしていたから『残念』なのだが。その主人は底の見えない無邪気な笑顔を貼りつかせた。鈴仙は愛想笑いで返す。 「楽しいというか、慣れてはきました」 「まあ無理に急く必要はないわ。イナバが人間嫌いなんなら嫌いなまんまで一向に構わないから」 「嫌いというか……」  怖い。  波長で感情を読み解くことはできる。その気になって睨みつければ思い通りに操ることなど茶を入れるより簡単だ。人間など 鈴仙にとってものの数ではない。  だが、幻想郷の外には六十億もの人間がひしめている。その一人一人を睨みつけることなど、できるはずがない。  勝てるだろうか。危害を加えてこないだろうか。何を考えているのだろうか。  月生まれ月育ちの鈴仙にとって、月を侵略しにやってきた地上の人間という連中は、得体の知れない生物群だ。エイリアンだ。  とても怖い。 「んー、私は運が良かったのかしらね。やっぱり普段の行いね」 「と、いいますと」 「私が地上に送られた時は、親切な人間が育ててくれたの。だから実際に触れた第一印象は悪くなかったわ。地上の生活はとて も楽しい。イナバも、兎角同盟なんかやっているくらいなんだから、別に地上の生活自体は嫌いじゃないでしょ?」 「ええ、まあ」  兎の身分で月の頭脳とも謳われた八意永琳の弟子になれたくらいだし、薬を作るのは兵隊やるよりよほど心と誰かを救う仕事 だ。地上へ降りたこと自体を、決して鈴仙は後悔しない。  ただ、人間が怖いだけだ。  輝夜は鈴仙の真っ赤な瞳を見上げた。 「イナバにはね、人間が決して怖くないことを覚えてほしいのよ。冷静に考えてみたらわかるでしょ? あんたの方がよほど強 いわ。例え数で攻め込まれても、集団の頭をちょっと睨みつけて狂わせたらそれだけで相手は勝手に自滅してくわよ」 「姫って考えることえげつないですね」 「貴方も同じよ。もし怖くて怖くてたまらなくなったら、勝手に人間と争い合って死にかねない」  主人は、むっ、と頬を膨らませた。 「私の可愛いイナバをそんなつまらないことでなくしてたまるもんですか」 「くちゅっ! ……あっ、す、すみません。聞こえませんでした。医者のなんとかですね。ちょっと、風邪引いちゃったかもし れません。姫も、もっと暖かい所へ行った方がよろしいですよ」  一気にまくしたて、鈴仙はちり紙で何度も鼻をかんだ。  あらあらお大事に、と輝夜は言い残し、去ってゆく。  完敗だった。  ちょっと目尻に浮かんできた涙もちり紙で拭き取る。そして恐る恐る振り返り、輝夜の後ろ姿を眺めた。  良かった。もし輝夜が鈴仙に顔を向けていたのなら、我慢の堤防が壊れて泣きついていたかもしれない。  知らなかった。むしろ、今まであの我侭姫を護っているのだとすら鈴仙は思い込んでいた。逆だったのだ。主人は知らない間 に鈴仙を気遣ってくれていた。  明日――それが無理ならば今度晴れた時、輝夜と一緒に出かけた時は地上に降りたばかりの頃の話を聞こう。  あの人もまた、地上にたった一人でやってきて、右も左もわからぬ時があったのだと、鈴仙は初めて実感をもって知った。 「イナバ、診療所を開いてみない?」 「はい?」  せんべいを齧っていた鈴仙は赤い目をまん丸と広げた。  あれから何年か経つが、鈴仙の人間を避ける癖は少しずつ緩和され巡回先の家々でまともに世間話ができる程度には、成長した。  そこで最近、慧音や妹紅からも面白い意見が輝夜に進言されている。 『人里の近くに診療所を作ってみてはどうだろう』  永遠亭の眠る竹林は迷いやすく、妖怪や妖精も出やすい。気楽に行ける場所ではないためどうしても護衛を必要とする。  置き薬だけでは不安、きちんとした診療が受けたい、しかし永遠亭に行くほどではない――そういった顧客を受け入れる場所 があっても良いのではないかと。  つまるところ慧音と妹紅が楽したいだけなのだろうが、輝夜もこの案は気に入っていた。  試験的に鈴仙を一人立ちさせても良いだろう、と永琳も快い返事をくれた。  そこまで話を聞こえた鈴仙は突然降りかかってきた事態についてこれないのか、赤い目を白黒させていた。 「お師匠様も、良いと言ってくださっているんですか?」 「ええ。もちろん、貴方が対処しきれない患者は永琳が担当するって。置き薬の巡回は……まあ永琳にやらせてもいいし、私が やってもいいわけだし。貴方にしかできないこと、ってのがあるのよ」 「そりゃまあ、確かに私はお師匠様には足下に及ばないまでも、薬学についてはそれなりの自負はありますけれど……人里には 既に診療所の一つや二つはありますでしょう?」 「まあそこと顧客争いするわけじゃないんだけど。イナバにしかできないことってのは、この永遠亭の敷居を下げることよ」  輝夜も色々とイベントを起こしているが、やはり宇宙人と地上人の感覚のズレはそうそう補いきれるものではないようで、永 遠亭と人間や妖怪との距離は簡単に縮まらない。  もっともっと普通に、気張らず友人として接し合える環境を、輝夜は目指したい。  鈴仙はその環境作りにおいて切り札にすらなり得るほどの価値を、秘めている。 「……わかりました。がんばってみます」 「ありがとう。でも正直、すぐに答えてもらえるとは思ってなかったわ。珍しいわね」 「姫は本気みたいですし、言い出したらどうせ聞かないでしょう。そのうえ、お師匠様にも姫にも信頼されて任されたことです。 お断りする方が心苦しいというのが本音です」 「まあそれを狙ってお願いしたんだけどね」 「そんなこったろうと思ってました」  鈴仙は苦笑いを漏らしつつも、どこか嬉しそうだ。実際、輝夜としても予想外にいい方向へと転がって少し驚いている。最終 的には承諾させるつもりだったものの、それは何年後かの実現とすら考えていた。  いずれにせよ話は決まった。時間は無限にあるが、善は急げだ。鈴仙の耳を引っ張って立ち上がらせる。 「いたたたたっ。何するんですか!」 「さあ、永琳を呼んできなさい。開業の具体的な計画を打ち立てるわよ!」  それから二ヶ月後、人里と竹林の狭間に診療所は建てられた。  元々置き薬の顧客からの声を形にしたものだけあって、評判自体は決して悪くなかった。  収益は本当のところ赤字なのであるが、そこらへんは輝夜は気にしていないし、鈴仙の責任ではないと言い含めている。まあ 少しずつ儲けていけばいいのよ、と。  輝夜が仕事中に顔を出すと、鈴仙は真剣に患者の病状の訴えを聞き、日々の生活の注意点や病の説明を優しく話すことができ ていた。  以前の人を避けていた彼女からは想像できない姿である。だがこれはひとえに鈴仙自身が意識して歩み寄ろうとした結果なのだ。  少しずつ、ゆっくりゆっくりとだが、永遠亭は幻想郷に馴染んで行くことができていた。  輝夜にとって時間というものは無限にやってくるものだ。全ては上手く行っているように思っていた。  だから。  だから、気づけなかった。  気づいた時には、もう遅かった。  少し疲れているんじゃないのか。診療所は軌道に乗り、どんどん忙しくなるばかりだった。鈴仙のことだから輝夜や永琳には バレないよう、気を遣っているのだろうと考えていた。  輝夜は永琳に相談した。鈴仙への休養と頑張った褒美を含めて、どこかへ遊びに行くのは良いのではないかと。  良い場所はないかと天狗の出版した名所カタログなどを輝夜が眺めていたその時、永遠亭を揺らがさんばかんの怒声が轟いた。 「おい竹藪医者! 今すぐ出てきなさい!」  妹紅である。ここのところようやく人間が丸くなってきたと思っていたのに、あいかわらず血気盛んな奴だ。そこがまた可愛 くて仕方ないのだが。  しかし永琳を呼んでいるあたりから喧嘩を売ってきたわけではなく、急患だということが輝夜にはわかっていた。故に研究室 に閉じこもっていた永琳を輝夜自ら呼びつけてやる。  そしてなんとなし、小走りで永遠亭の廊下を駆ける永琳について行き、玄関にいた妹紅を――彼女が背負っている者を見た時、 輝夜に衝撃が走った。 「鈴仙!?」 「呼吸が浅い。なんか顔色悪そうだって思っていたら、いきなりぶっ倒れたって……」 「医療室に運んで。診るわ」  妹紅の歩みと平行して永琳は鈴仙の脈や血圧を測り始めていた。苦悶の表情を浮かべる鈴仙の顔色は最早青白さを通り越して 土気色に近い。  ここ三日ほど、永遠亭に帰ってこなかった内にこれほどひどくなっていたとは。医療知識のない輝夜は指をくわえて見ること しかできない。  やがて、鈴仙を運び終えた妹紅が輝夜の元まで戻ってくる。  振り抜かれた拳が頬を直撃し、永遠亭の庭にまで輝夜を吹っ飛ばした。 「聞けばかなり前から調子悪そうに見えたそうじゃない? 輝夜、あんたアレの主人でしょ?」 「……ったく……顔を殴られたのなんて初めてだわ……たぶん」 「人の話聞いてる、輝夜?」 「落ち着きなさい、妹紅。今ウチ燃やすと三年くらいは殺し続けるわよ?」  背に炎を立ち昇らせていることにようやく気づいたのか、妹紅はばつの悪そうな表情で引っつかんでいた輝夜の胸倉を離した。  庭石に尻を置き、あぐらをかく。輝夜にガンをつける。すっかりやさぐれた元貴族の少女は、そこらへんの娘よりよっぽど行 儀が悪くなっていた。  そんな妹紅の頭を、輝夜は撫でてや――ろうとした瞬間、妹紅の白髪が燃えた。 「ハリセンボンみたいなコね……。それよりまあ、妹紅、あんたがそこまで鈴仙のこと心配してくれたっていうのは驚きだわ」 「知らんわあんな兎。でも知り合いのペットを見捨てるほど世を儚んじゃないわよ、まだ」 「そう。ともかく、ご苦労様」 「ふん、ずいぶん落ち着いてきたんじゃない?」 「そりゃそうよ。永琳に任せておけば大丈夫に決まってるんだから」  それを聞いた妹紅は、むっ、と頬を膨らませて庭石から飛び降りた。そしてポケットに手を突っ込んだまま竹林へと向かう。  輝夜は投げやりにその背中へと声をかけた。 「お茶でもどう?」 「聞くのが遅すぎる。ともかく、これからはもっと大事にしなさいよ。私は例外なんだから」 「あんたも健康には気をつけるのよー」 「うるさいっ」  真っ白なその背中を見送ってから、輝夜はため息をついた。  やはり妹紅をいぢっている間は気を紛らわせられていたが、一人になると少し落ち込む。とはいえ何事も後悔をしない主義の 輝夜なので、過ぎたことは仕方ない、今は永琳を信じようとすぐに思考を切り替えるが。  切り替えるが、漠然とした不安だけは取り除けない。永琳の実力を誇張も何もなく知っている輝夜は、彼女の限界もまたわか っているのだ。  そうして悶々と待ち続け日が暮れた頃、永琳はようやく医療室から出てきた。  とてもとても長い付き合いなので、彼女の表情を見ただけで輝夜は大体を察した。  だから、真夜中を過ぎて二人きりになってから、輝夜は永琳に問い詰めたのだ。 「鈴仙は助からないのね」 「ええ」  天才としての自負か、即答はするものの理由は言い難いようで永琳はかなりの間、押し黙っていた。  輝夜は永琳が切り出すまで、じっと待つ。  永琳は一言、零した。 「穢れが」  びくり、とした。輝夜は正直、それの存在を忘れていた。千年以上も地上で生活し続けていたのだ。もはや慣れきってしまっ ていた。  そして永琳も輝夜も、既に蓬莱の薬によって穢れを得てしまっている身分だ。そんじょそこらの箱入り月の民と違って、ちょ っとやそっとの穢れで死んでしまうような柔な生き物ではない。  だが、鈴仙は違う。  妹紅の一言が胸に突き刺さった。『私は例外』……。  いや、待て。 「確かに地上には穢れが満ちてるけど……今まで鈴仙はなんともなかったでしょう?」 「それは姫が、永遠の術でこの永遠亭を守っていたから。ある程度穢れが体内に溜まったところで、初期値にリセットされる。 鈴仙は数十年間、そうして健康を保ってきた」 「じゃあ……私たちが鈴仙を地上に引き止めたから、あのコの死期を早めてしまったの?」 「…………」  永琳は押し黙る。とても珍しいことだった。輝夜の無理難題にずっと即答し、応え続けてきた永琳が答えに渋るなんて、ほと んどない。  しかし、輝夜の性格を誰よりも知っているのは永琳だ。どれほどつらいとて、必ず知らねば気が済まない。それが輝夜なのだ と知っているからこそ、結局、語ってくれた。 「永遠亭はあいかわらず穢れの少ない場所だし、少量の穢れなら私が払える。でも……でも、少しずつ姫は、人間たちに鈴仙を 近づけた」 「――そして、診療所の開業がトドメになった、と?」 「穢れの影響を失念していた私にも、責任はあるわ」 「ええ。まあ、お互い悪かった、っていうことで……さあ、過去の責任の追及はここまでよ。聞かせなさい。なぜ鈴仙は助から ないの?」  大量の穢れは今の永琳には払えない。それが疑問だ。他の者なら納得ができる。しかし永琳には不可能なことの方が少ない。 出来ないということが癪に障る。 「これは単純に、私の能力不足。まず、鈴仙を全く穢れの無い場所に置きたい。けどそんな場所は無いわ」 「作れないの?」 「作るための材料、装置とか、そういうの全部を用意する時間がないの。色々やっている内に、鈴仙は死ぬ」 「ふうん」  なんだ、解決方法自体はあるではないか。永琳がそれを口に出さないのは、気づいてほしくないからだろう。  その永琳の気持ちを汲み取って、輝夜は唯一の方法を即決としなかった。  ともかく、慌ててもどうにもならない。輝夜は立ち上がる。 「何処へ?」 「鈴仙の様子を見てくるわ」  本人の意見を聞かないわけにはいかない。  医療室のベッドに寝かされた鈴仙のそばには、いびきをかいて鈴仙にすがりつくてゐがいた。  苦笑いを漏らし、輝夜は自分の着ていた上着をてゐにかけてやり、鈴仙の顔を覗き込んだ。  酸素供給器をはじめとした生命維持装置をあちこち取り付けられた鈴仙は、輝夜の顔を見たとたん、生き返った。 「姫……夜分遅くに……すみません」 「構わないわ。イナバ、永琳から自分の症状聞いている?」 「はい……」 「寿命がもう長くないことも?」 「……いいえ」  真っ赤な瞳に怯えが走り、その波長が輝夜にも少し、伝染した。  何もかも攻撃したくなるような衝動が走ったが、気持ちで抑えつける。そして念のため、永遠の術で今の安定した精神状態を 固定化することにした。 「あなたは、今までよくやってくれたわ。あなたがいなかったら、今もたぶん私たちはずっとこの竹林にこもりっきりだったで しょうから」 「私はただ……厄介事を持ってきただけです……」 「トラブルでもなんでも歓迎よ。ずっとずっとずっとずっとずーーーーーーーーっと退屈だったんだから」 「お役に立てて……ぅ」  鈴仙の表情に、苦悶が翳る。 「永琳を呼んできてあげるわ。それまで我慢しなさい」 「は……い……」  輝夜は立ち上がり、医療室を出て――そのまま扉の前で立ち止まった。  鈴仙の演技くらい見抜ける。どうやら一人にしてほしかったようだ。  誰も聞いていないと思っているのか、鈴仙のか細い声が輝夜の耳に響いた。 「いやだ……怖い……まだ、まだ私なんにもできてない……よォ……  今死んだら……地獄に落とされる……仲間たちにも、顔向けできない……  っくしょう……なんで私だけ……いつでも貧乏籤……  死にたくない……  死にたくない……ッ!」  それはもう、恨み言。  亡者のような、怨念のこもった声。  息を吐く。  輝夜は天の帳を見上げ、そこにある穴を睨みつけた。  鈴仙の寝顔は、あいかわらず苦渋に満ち満ちていた。  間違いなく輝夜は彼女に恨まれている。鈴仙を死の淵に追いやったのは輝夜なのだから、恨むのは正当だ。  妹紅のように恨むことでそれを生きる糧とするのなら良い。けれど、鈴仙はこのまま死ぬ。未練を残して死ぬことでさらに鈴 仙の苦しみは死後も永く続くことであろう。  銀色の髪を撫でた。すっかり髪質は痛み、安物の人形みたいに手触りはごわつき、枝毛だらけだった。  それを尊いと、輝夜は重んじる。この穢れに満ちた鈴仙こそが、鈴仙の努力の結晶だと。  もちろん、代価は重すぎる。 「だから、永琳。私たちがこのコの荷物を少し、持ってあげましょう?」 「っていうか、強奪ね」 「あはは。宝物にさせてもらうわ」  軽口を叩き合い、気分が落ち着いたところで輝夜は鈴仙の頬に手をやり、そっと唇を重ねた。  罅割れ、乾燥し、色を失ったその唇に。  名残惜しむように。  鈴仙・優曇華院・イナバが目覚めると、そこは主人と師匠にあてがわれた自室であった。  ここのところ診療所勤めで、ほとんど帰っていなかったが、間違いなくそこは鈴仙の部屋だった。  ――夢、だったのだろうか。しかしいつから夢なのかすらわからない。もしかしたら師匠の作った変な薬の実験台にでもされ たのかもしれない。  そう思うと、本当に、本当に―― 「あ、あぁ……っ」  なんて、楽しかった日々だっただろう――。  夢なら、どれだけいいだろうか。けれど鈴仙は経験上、熟知している。いつだって都合の良いことは全部幻で、認めたくない ことだけが現実なのだ。  床に膝をつき、鈴仙は泣いた。泣き喚いた。これだけ泣いても全く体力を消耗せず、声も嗄れないことが、健康体を取り戻し たこと――取り返しのつかない現実を、実感させた。  死にたくなかった。  けれど、けれど。 「おかえり、れーせん」 「てゐ……ただいま」  いつのまにかやってきた一番の友達が、心配そうに鈴仙を見下ろしていた。  いつも悪企みに満ちているはずの、うさんくさい笑みに包まれた彼女の表情は、見たことが無いくらいに暗鬱としている。 「でも……でも!」 「あのね、姫様から伝言。私たちとなるたけ喧嘩せず、仲良くやってきなさい。だってさ」  てゐの声もまた、震えていた。  鈴仙は耳を塞ぎたくなる。『伝言』という事実から、逃げ出したくなった。  誰か守って。  姫、師匠。守ってください。  帰ってきてください――。 「お師匠様からは、永遠亭の薬の名を、落とすなって……」  二人は、もう、永遠亭にいない。  月に帰った。  夢現の狭間、鈴仙は懐かしい波長を感じ取っていたのだ。  月人たちの波長。  それも大勢の数。  中には、月兎の波長も混じっている。  まさかと、思っていた。  まさかと、考えたかった。  確かに月の施設なら、鈴仙の穢れを払い、治療することが可能だろう。  だが鈴仙を助けるため、月の使者を呼べば輝夜と永琳はどうなる?  答えがこれだ。  あの二人は、たった一羽の兎を助けるため、かけがえのない生活を、永遠に続くかと思われた幸せを、手放した。  そして、まるで自分たちの意思を継げと言わんばかりに―― 「姫と師匠は、ずっとずっと、本当に、勝手すぎるよ!」  最後の最後まで、我侭で。相手の気持ちなんて考えないで。  怨みの言葉も、礼の言葉も、言わせないで。  さよならまで、奪ってしまった。 ---- - くそっ、途中までいい話だったのに・・・ &br()でも永琳がすぐに用意できないって言うなら &br()輝夜が時間を永遠に延ばせばいいのではないかと思うが &br()材料がないとしても幻想郷なら穢れがほとんどない場所ぐらいありそうだし &br() -- 名無しさん (2009-01-10 14:42:52) - 泣いた…号泣した… -- 名無しさん (2009-04-26 00:08:49) - いい話っぽいな…… -- Aーfd (2010-03-24 14:23:15) - 此の話の輝夜すげえ好きだな… -- 名無しさん (2010-05-16 13:10:05) - ↑だよな &br()姫様と師匠の優しさに泣いた。あと、姫様が居なくなったら妹紅は… -- 名無しさん (2010-05-17 13:02:43) - 他の人物のように達観していないから、 &br()うどんげはいい。 -- 名無しさん (2010-11-05 12:51:43) - 妹紅が原作通り女の子口調なのがすごく嬉しい作品だな -- 名無しさん (2012-04-22 17:21:36) - ↑それ同感だわ、二次創作の妹紅って魔理沙の別バージョン感あるからな -- キング クズ (2016-07-12 02:10:30) - あれ…目から蓬来の薬が… -- 醤油 (2016-07-24 10:11:24) - 穢れがない白玉楼に行けばいいのに -- 名無しさん (2016-11-19 00:37:33) #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)

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