憂以外からメールをもらうなんてどれくらいぶりだろうか、
そんなことを思いながらメールを開く。

メールの内容はこうだった。

『今から桜高の音楽室へ来い   律』

唯 ・・・・?

ただそっけなくそう書かれたメールには唯は疑問をいだいた。

何故今更律は自分を高校の音楽室へ招いたのか。

唯はそんな疑問を抱くと、とりあえず顔を洗おうとトイレへと向かう。


バシャーン!

トイレの洗面台で顔を洗い流すと、鏡にふと自分の顔が映った。

唯はじっとそれを見つめる。

それはあの自分を捨てた日の唯のように顔は痩せて
目の下にはクマがある何ら変わらない唯の姿だった。

だが一つ、大きく異なる点があった。

それは目の輝きだった。

唯の目はあの日のように決してくすんではおらず、
光さえ差していた。

唯(今なら、胸を張ってみんなに会える・・・・・!)

唯はそう思うと、鏡を振り返り、音楽室にあるギー太を
取りに帰ると、急いで桜高へと向かった。


唯 はぁ・・・・はぁ・・・

もう何度目になるか分からないこの道をひたすら全力で唯は走っていた。

ここでの思い出はたくさんある・・・・。

希望で満ち溢れながら、何をすればいいのかわからなかった入学式・・・

自分の場所をようやく見つけられた二年生の文化祭・・・

あの日不安に押しつぶされそうになり楽器屋で律から逃げ出した日・・・

・・・・・

ここを走るときはいつでもいい思い出ばかりではなかった。

でも、ここを走るときはいずれにせよ自分が変わるときだった。


そして今回もまた・・・・・自分を変える!

唯はそんなことを思いながらあの道を全力で走る。
服は乱れていたが、そんなことまるで気にしなかった。

夕日は唯を後押しするかのように、背中を優しく、暖かく照らした。


桜高に着いたのはそれから約十分後だった。

懐かしい桜高の校舎・・・。

校舎の片面は夕日がちょうどよく当たっていて、
橙色に映えていて、とてもきれいだった。

あの自分を捨てた日以来ここに近づくことはもうなかった。

いや、無意識のうちに近づかなかった、・・・近づけなかった。

だって、ここに来ると自分が今から逃げていることにいつも
向き合わさせられそうだったから。

この場所がすごく怖かった・・・・・。

唯は少し震えると、深く息を吐いた。

ふぅーッ・・・・

そうして覚悟を決めた唯は校内へと足を踏み入れた。


校内に入ると中はまるで人の気配がしなかった。

静まり返る校内に唯は不安を感じ始めた。

校内のいたるところに懐かしさを感じていたかったが、
不安がそれらをかき消してしまっていた。

本当に自分はここに来てよかったのだろうか?

あのそっけない文面は自分を騙していることを
あらわしていたのだろうか?

唯はまたも不安に陥る。

確かに唯がこれまで律にしたことを考えると、
ありえなくも無い話ではあった。

今の唯にはそんな気は微塵も無いが、
かつて律に硫酸を浴びせて気持ちを満たそうとしていた自分がいた。

『さぁ・・・りっちゃん・・その苦しむ顔もっと見せてよ!・・・』

今思うと自分のことなのにゾクッと寒気さえ覚える。

だから律たちが例え鉄パイプやその他諸々の凶器を
持って、部室で待っていても全くおかしくない話だった。

・・・・・・

不安に陥る唯の背中を、もう半分まで迫った夜が怪しく照らす。

唯はウサギと亀の置物が在る階段を上ると、
音楽室の前に立ち尽くしていた。

音楽室へ着くまでに唯の気持ちはすっかり不安に支配されていた。

ここ何年かの経験で唯には物事を深く考えすぎて、
心配しすぎる癖がすっかり身にしみこんでいた。

でも、どうしてだかここに来なくてはいけない気はしていた。

唯はまた深く息を吐いて覚悟を決めると、音楽室のドアを開いた。

ガチャ

ブワッ!

音楽室を開けた唯を、突然それまでとは明らかに性質が違う
不思議な空気が突然包み込んだ。

この懐かしくて甘い匂い―――――紅茶の匂いだ・・・・

唯は予想と反する出来事に混乱する。


中ではHTTのメンバーがお茶を囲んでいた。
顧問のさわ子までいる。

私がずっと望んでいた日常・・・・・・

唯は呆然とし、その場から動くことができなくなった。

またこれがいつか見た軽音部の幻ではないかと思い、目をこする。

でも・・・・もう幻じゃない!

すると、紬が唯にやさしく声をかける。

紬「さぁ、紅茶冷めないうちに唯ちゃんも座って。」

ムギちゃん。

いつものように紬が唯にお菓子とお茶を勧めた。

いつも優しくてぽわぽわしているムギちゃん。
私やりっちゃんがふざけていても、横で笑っていてくれた・・・。

しかし、呆然とする唯にその声はよく届いていなかった。

すると、今度は律が茶化すように声をかける。

律「おい唯! 今日はチーズケーキだぞぉ~
  あっ! いらないなら私がもらってあげようか?」ニカッ

りっちゃん。

いつものように律がボォーッとしてる唯を茶化す。

いつも元気で明るいりっちゃん。
私がりっちゃんに悪乗りして、よく二人でふざけたっけ・・・。


すると、調子に乗る律に澪が鉄建制裁を下す。

澪「調子に乗りすぎだッ!」

ゴツッ!

律「痛ぇ!」

澪ちゃん。

いつもクールだけど本当は恥ずかしがり屋の澪ちゃん。
私やりっちゃんがふざけがすぎると、よく注意してくれたっけ・・・。

すると、ぐだぐだになる先輩を横目に梓が立ち上がり、
唯のもとへ寄ってくると手を引いた。

梓「先輩っ! そこに立ってないで早く座りましょうよ♪」

いつも真面目だけど、ちいさくてかわいいあずにゃん。
後輩なのにいつも積極的に練習をしよう、と呼びかけていた・・・。

梓に手を引かれ、少しよろつきながら唯は梓に身をまかせる。
そうして、唯はようやく席に着いた。


席についてなお気がいまいち戻らない唯に再び紬が
今度は軽く肩を叩きながら言う。

紬「・・・はい、これ唯ちゃんの分。」

紬がケーキと紅茶を唯の前のテーブルに並べた。

肩を叩かれた唯はハッとすると、目の前の光景を
改めて確認した。

そこには、律や澪、梓、紬の四人が楽しそうに笑い合っている姿があった。

ずっとずっと探し続けてきた答えが――――

紬「・・・・・唯ちゃん?」

前の景色に見入ってしまう唯に紬が心配そうに声をかける。

すると、それを見ていた唯の横に座っていた律が唯の前の
テーブルをコンコンと叩きながら少し強めに唯に呼びかける。

律「・・・・おいっ! 唯!」

ハッ!

またも唯は誰かによって気を取り戻させられる。


そして、唯はふと自分の下にあるお菓子と紅茶に目がいく。


チーズケーキと紅茶・・・・

いつもお菓子と紅茶をみんなで囲んだ日々。

唯「ふふっ・・・・」

そんなことを思うと、思わず笑顔がこぼれた。

小さく笑う唯に律が嬉しそうに言う。

律「どうした? 食べないのか?」

唯は律にすすめられると、静かに横に並べられたフォークを手に取ると、
チーズケーキを一口大に切る。

パクッ・・・・

唯が恐る恐るケーキを口に運ぶ。

そのケーキはとても甘くて、本当に美味しかった。

でも、なんだろう・・・・
この美味しさは味とかの次元ではないように思える・・・。

唯は体中が熱くなるのを感じた。

なんだろう、このこみ上げてくる感じは・・・・



ポタッ



唯の目から――――――――涙が落ちる。

その涙は紅茶のティーカップの中にきれいに落ちた。


唯の二年分の思いが溢れ出す。


また一口


ポタッ


また一口


ポタッ

何口食べても、涙は止まることはなかった。


律「・・・・うまいか?」

律が包み込むように優しくたずねる。

唯「・・・・おいしいよぉ・・・りっぢゃん・・・」グスン

あの日からずっと一人で戦い続けたきた。

もう泣かないって決めた日から、ずっとずっと一人だった。
本当に苦しかった。 ずっと出口の無いトンネルを彷徨っているみたいで・・・。

私・・・やっと・・・・・ここに帰って来れたんだ。

唯の今までの緊張の糸がプツリと切れた。

唯の目からは大粒の涙が流れていた。

そんな唯を一同は優しく見守る。

唯は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、必死に話した。

唯「わっ・・・私・・ずっと・・・ずっと辛かった・・・
  誰も助けてくれなくて・・・・、それで・・・それで・・」グスン


ギュッ

隣に座っていた律が唯を強く抱きしめる。
いつか澪に自分がしてもらったかのように・・・・。

律「もう・・・いいんだよ、唯・・
  お前は本当によく・・・・頑張ったよ・・」

律は唯の耳元で優しく囁いた。

律の肩は唯の涙でいっぱいだった。

唯「うぅ・・・う、うあぁぁぁぁ~ん!!」グスン

唯は律の肩の上で思いっきり泣く。

まるでこの二年間の思いをぶつけるかのように。
この退屈で、さびしくて、苦しくて、辛かった全てを吐き出すように。


唯の泣く声はそのあと何時間も止むことはなかった。

みんなはそれをただずっと暖かく見守った。



何時間か経つと、唯の涙はようやく引いていった。

唯は場所を移して、部室の窓際に一人すわっていた。
それでもまだ、立ち上がることはできなかった。

すると不意に、

律「なんだ唯? 何泣いてんだよ、あ! 澪にいじめられたか?」

澪「私はそんなことしていない!」

律「あ! 澪が怒ったぞ~。 逃げろ~!」

紬「もう、りっちゃんったら・・・」

梓「先輩! ライブも近いので練習しましょうよ!」

 ―――――あの自分を捨てた日に見た、あの軽音部の幻・・・・

律「しょうがねぇなぁ、練習するか!    
  ほら、唯も泣いてないで練習しようぜ」

律はあのときと同じようにまた優しく手を差し伸べる。

唯はおそるおそる、涙を拭き続けた右手を律の方にのばす。



ガチッ!

 ――――――――今度はしっかり・・・掴めた!

唯の右手はあの幻のように空回りすることなく、
しっかりと律の右手に掴まる。

まるであのころの自分を払拭するように。

そして唯は立ち上がる前に、律の右手に掴まりながら
俯いて律にたずねる。


唯「ねぇ・・りっちゃん・・・・私のこと、怒ってない?」

すると律はキョンとした顔をする。

律「・・・・なに言ってんだよ? 
  私は唯のこと・・・ずっと大好きだよッ♪」ニコッ

律は満面の笑みを浮かべてそう言った。

唯はそんな律の答えに、泣いてしまっては
何も伝わらないと思い、

唯 えへへっ

―――――目にまだ涙を浮かべながら、満面の笑みで応えた。


律は唯を引っ張って立たせると、みんなが楽器を持って待っている
ところへ行き、ドラムの準備を整えた。

唯は急いでギー太を取り出すと、みんなが待つところへ急ぐ。

唯が持ち場に着くと、しばしの沈黙が続く。

・・・・・・

律「1、2!」

特に何の曲を演奏するか決めたわけでもないのに、
律が突然ドラムカウントを始める。



・・・でももちろんみんな何の曲を演奏するかはわかっていた。

曲目は―――――――ふわふわ時間

こうして四人の奏でる楽曲は夜の桜高に響き渡る。

ジャーン!

数分後、全身全霊を込めた演奏が終わり、決めていたかのように
みんなが真ん中を向く。

 ふふっ・・・

みんながそれぞれの顔を見て笑い出す。

何がおかしいのかはわからなかったが、笑いがこみ上げてきた。

すると律がドラムの椅子から立ち上がると張り切るように
両手を掲げて言う。

律「おっしゃー! このまま武道館に一直線だぁ!!」

梓「・・・まずは練習ですよ!」

澪「そうだぞ律! まだまだ道は長いぞ~」

紬「ゆっくり私たちらしくいきましょう!」ニコッ

こんな日常がずっと、ずっと続くといいな・・・

ずっと・・・ずっと・・



数ヵ月後、再び桜高音楽室。

律「おぉ~い! 唯、みんな待ってるんだから早く!」

唯「待ってよぉ~、りっちゃぁ~ん!」

あの日以来、唯たちはバンドとして本格的に動き始めて、
それぞれが大学に通いながら、今や月に一度ライブを行う程に発展していた。

ちなみに、あの後唯が和と憂ともうまく和解したことは言うまでもない。

そして数ヶ月に一度、さわ子先生の許可を得てこの音楽室を
借りては、お菓子を囲みながら練習する日を設けていた。

今日は練習の終わりに律が突然それぞれの楽器を持って
みんなで写真を撮ろうと持ちかけてきたのだった。

唯「なんか・・ギー太がケースから出なくってぇ~・・・」

唯がギー太を出すのに苦戦していると、ふとギターケースの
隙間から一枚の写真が落ちてきた。

それは、退部した大学の軽音サークルで撮った一枚だった。

その中の唯の目はどことなく悲しそうだった。


・・・・・ビリッ

唯は少しそれに目を落とすと静かに,写真を破り捨てた。

唯「さようなら」

唯が小さくこぼすと、また律が冗談交じりに怒る声がする。

律「もう! 写真撮っちゃうからな!」

唯「あぁ! 待ってよっ!」

唯はギー太を素早く取り出すと、律たちの待つ場所へと走った。

カシャ


軽音部は今日も幸せです。


              END