(この話は律たちがMAXバーガーにいるときに平行して起こっています。)

息を切らせた唯が大学の音楽室のドアを開いた。

男B「おせ~よ。 道草でもくってたのか?」

唯「・・・・すいません。」

その日は珍しく全員が楽器を持って練習に臨んでいる日だった。

ジャッ ジャッ ドカドカドカ

唯は他の人たちが練習するのを横目に、先輩に頼まれた
ギターの弦の張替えをしていた。

唯が5弦目を張り替えたそのとき、不意に

男C「そうだ! 今日は唯ちゃんも演奏してみたら?」

唯 ビクッ!

部員の一人が弦の張替えをする唯の後姿に投げかけた。

もうかれこれ一年以上ギターに触っていなかった。
そんな唯にギターなんて弾けるはずがなかった。

そして何より今は律のことで頭がいっぱいだった。

男C「唯ちゃん、久しぶりにギター弾いてよ!」

すると、一人の女がロッカーのようなところから、
ボロボロになったストラトタイプのギターを取り出すと
唯に渡した。

女B「これで弾いてみてよ。」

唯(こんなボロボロのギターみたら、あずにゃん怒るだろうな・・。)

いつの日か、梓と一緒にギターのメンテナンスに行ったことを思い出す。
あの時はギー太買ってまだ一年なのにヴィンテージとか言われたっけ・・・。

唯「ふふっ・・・・」

唯は小さく笑う。

男C「ギター久しぶりに持ててそんなに嬉しい?
  じゃあ早速なんか弾いてみて!」

唯「・・・・・」

唯は突然黙り込んでしまった。

それもそのはずだった。
唯はギー太以外のギターを弾くことができなかった。

ストラトをぶら下げたまま呆然と立ち尽くす唯に、
一人の男が野次を飛ばす。

男D「みんな待ってんだよ! 早く弾けよ!!」

唯「・・・・ギー太じゃないと弾けません・・」

唯が顔を俯かせて悲しげに答えた。

男D「ぷっ! ギー太だってよ!」

アッハッハッハッハ

ギー太は8ヶ月くらい前に先輩に貸したっきりで、
今では先輩のものと化していた。

ギー太にはHTTのころの思い出が詰まっていると思うと、
どうしてもこの場から逃げることはできなかった。

それは、このサークルから逃げ出せない二つの理由
の内のひとつになっていた。


すると、ギー太を貸した先輩が近くに寄ってきた。

男E「ほら唯ちゃん、これ返してあげるから弾いてよ。
  でも、このギターしか弾けないなんてよっぽどこだわりが
  あるんだね。 だから、きっとすごいの弾いてくれるんだよね!?」

男Eはわざとらしくそう言うと
笑みをうかべながら唯に乱暴にギー太を渡した。

ギー太は壊れてさえいなかったものの、ボディはズタズタに痛み、
ネックは反れて、ペグのいくつかは少し欠けていた。

唯は何秒かギー太に悲しそうに目を落とした。

唯「じゃあ弾きます・・・。」

唯はそういってみたものの、今まともに弾ける曲はほぼ一曲もなかった。

先輩にロックの定番と言われて教わった、Deep Purpleの「Black Night」
やLed Zeppelinの「Stairway to Heaven」、Nirvanaの「Smells like teen
sprit」なんかはとっくに忘れてしまった。
弾いてても楽しくもなんともなかったから・・・。


そして、今弾ける曲といえば・・・

ジャラララジャッジャラ

唯が突然弾き出した曲は――――――「ふわふわ時間」
この曲だけはどれだけ経っても忘れることができなかった。

この曲は自分があの三年間をHTTとして過ごした証だから。

この曲を演奏すると思い出す。
最初のライブで声を枯らして、この曲を歌えなくなってしまったこと。
二年生の文化祭でギー太を忘れて取りにいったあと、この曲を歌ったこと。

唯がちょうどワンコーラス分弾き終えたところで、一人の
男が笑い声をあげた。

男B「あっはっは、何だこの曲!
  ソロの作りも、コード進行もまるで初心者じゃねぇかよ。
  こんなダセェ曲じゃなくて、もっとまともな曲いくらでも
  あんじゃねーかよ!」

男の罵声に戸惑った唯は思わず演奏を止めてしまった。

男B「俺が前に教えてやった曲はどーしたんだよ。 
  例えばパープルの・・・」

唯「・・・やめてください!」

唯は男の発言を遮って言った。


男B「あ?」

唯「この曲を馬鹿にするのだけはやめてください・・」

唯にとってこの曲を馬鹿にされるのだけは許せなかった。

唯にとっては先輩に教わった難しい曲や、音楽理論、機材の
使い方よりずっとずっと大切な曲。

唯(この曲はあの時の平沢唯が生きた証拠だからっ・・・!)

唯は震えながら反論した。

唯「こ、この曲は私にとって世界でいちばん大切な曲なんです!・・・・」

男B「てめー、奴隷のくせによ・・・・・」 

バン!
音楽室のドアが勢いよく開いた。
怒っていた男も思わず手を止めた。

女A「みんな、さっきそこのMAXバーガーで面白い話聞いちゃったんだよ!」

女はわくわくした様子で音楽室に入ってきたかと思うと、さっきMAXバーガー
で澪たちがしていた話をみんなの前でし始めた。


唯「・・・・・・!」

話を聞いた唯は驚きを隠すことができなかった。

でも、またあのメンバーでバンドができるならそれに越した幸せはない。

いや、あの人たちは自分のことを無視し続けたんだ。
きっと自分がこんな立場にあることを知って、自分をもっと
もっと苦しめてやろうとしているんじゃないか。

唯の頭の中でさまざまな憶測が飛び交った。

男A「そうだ!」

突然一人の男がひらめいた様に言った。

男A「唯ちゃん奴隷のくせにさっきあんな偉そうなこと言ったんだから、
  当然罰を受けてもらわないといけないよね・・・。」

唯 ビクッ!

そうすると男はみんなを集めて唯への罰の内容を発表した。

唯「・・・・・・!」

唯「そんなの・・・・無理です!」

その内容は自分にとってあまりに辛過ぎたから・・・・。

すると、罰を提案した男は怒るように近くの机を蹴飛ばした。

男A「お前さぁ、さっきから奴隷のくせになんなんだよ。
  体に教え込んでやらねーとわかんねーのか? あぁ?」

男が合図をすると、唯の周りにいた男たちが一斉に唯を囲んだ。



その数十分後、唯は近くの壁にもたれ掛り、廃人の様に俯いていた。
ズタズタにされた衣服と体についた傷が痛々しい。

男は笑みを浮かべながらボロボロになった唯の髪の毛を
乱暴に掴むと再び唯に尋ねる。

男A「唯ちゃん、できるよね?」

唯「・・・・・・はい。」

男A「唯ちゃんいい子だねぇ・・・」

男は唯の頭をぐしゃぐしゃと撫でると、早速罰の決行に向けて立ち上がった。

男A「そういえば、そいつらどこにいるのかわかんのか?」

女A「あ! 言うの忘れてたけど、そいつら今からこいつの家に行くって。」

女はそう言うと俯く唯のほうを指差した。

男A「もちろん道案内してくれるよね?」

唯「・・・・!」

唯は驚きを隠すことができなかった。

唯は自分がこのような境遇に置かれるようになってから、
なるべく家に帰らないようにするどころか、その近所さえ
なるべく避けて生活していた。

それは、かつての輝かしい自分と時間をともにした和をはじめとする
同級生にここまで堕ちた自分を見られたくなかったからだった。

増してや、家に帰れば憂がいた。

幼いころから家を空けがちだった両親に代わって、面倒を見て、自分を
一番心配してくれたのは憂だった。

高校での軽音部の活動も憂の助けがなければ成り立たない場面が多々あった。

そんな憂が今のこの自分を見たらどう思うだろう?

そう思うと家に行くことは唯にとっては絶対にできないことであった。

男A「おい! 無視してんじゃねぇぞ!
  それともさっきのじゃ、まだわかんねぇのか!?」

男は唯に怒鳴りつける。

でも唯はこの場で逃げるわけには行かなかった。

ここで逃げたらあれはきっともう自分の手元に帰ることは永遠にないだろう。
このサークルをやめられないギー太以外のもうひとつの理由が・・・。

それを思うと、唯は「はい。」と答えるしかなかった。



四人は唯の家に向かっていた。

律もだいぶ調子を取り戻したらしく、いつもの饒舌っぷりを発揮していた。

律「でも唯どうしたんだろうな・・? あ! 彼氏ができたとか!」

澪「バカ。彼氏ができただけでそこまでなるか・・?」

律「きっと、すげぇ悪そーな彼氏なんじゃない?
  どこみて歩いてんだよ? みたいな。」

律はチンピラのようなジェスチャーを見せる。

律「こんな風にポケットに手入れて・・・

ゴツッ!

律は歩いていた大学生の集団のうちの一人にぶつかった。
その集団はさっきまさに律が説明したかった悪そうな集団そのものだった。

男C「どこみて歩いてんだよ?」

律「す、すいません・・・」

律(激しくデジャヴ!)

律はたちまち小さくなった。

大学生の集団は何事もなかったかのようにその場を去ろうとした。


不意に、

梓「ゆ、唯先輩!」

梓が驚いたようにその集団に向かって叫んだ。
確かにそこには平沢唯の姿があった。

澪「唯、こんなところで何やってんだよ!」

澪が唯に強く尋ねる。
その澪の顔を見て、集団の中の一人の女が言う。

女A「あ、こいつらだ!」

女Aは思い出したかのように言った。

男A「こんなところで見つかるなんてラッキーだな・・・
  唯ちゃん、さっき言ったとおりにあいつらに言ってくるんだよ。
  奴隷なんだからできるよね?」

男Aは笑みを浮かべながら、唯に耳打ちをした。

唯「やっぱり・・無理です!」

男A「へぇ~、アレがどうなってもいいんだ?
  それともまたさっきみたいな目に遭いたいの?」

男が脅すように唯に言う。

唯「・・・・わかりました。」

集団の中から押し出されるように唯が出てきた。

その唯の姿はかつての唯の姿からは想像もつかなかった。
顔は痩せ細り、目の下には大きなクマがあり、髪はひどく痛んでいた。
そして衣服はボロボロで、腕や脚にはたくさんの傷がついていた。

律「なぁ、唯。さっきはどうしたんだよ。 ちゃんと教えて・・」

唯「あんたらのこと、大嫌いなの。」

唯は律の質問を遮ると、無表情のまま吐き捨てた。
大学生の集団は必死に笑いをこらえていた。

梓「え・・・?」


唯「高校のときからずっとずっとウザくて仕方なかったの。
  あんな恥ずかしい歌詞歌わせさせられて、毎日毎日だらだらして、
  本当にくだらないと・・・」

唯の言葉を遮って紬が言う。

紬「そんな!唯ちゃん酷いわ! わたしたちの三年間はなんだったの?」

いつもの温厚さを失って叫ぶ紬に、唯は止めを刺すように吐き捨てた。

唯「・・・・お遊び。」

あっはっはっはっは!

大学生の集団は一斉に笑い出した。
そして、そのうちの一人が出てきて、唯の肩に手を置きながら四人に言う。

男A「今のこいつにとってお前らはどうでもいい存在なの。
  今のこいつにとっては俺らといるほうが幸せなんだよ、なぁ?」

唯「・・・はい。」


男A「じゃあそういうことだからもう唯ちゃんには近づかないでくれるかな?」

そう言うと男は唯を連れてさっさとその場を去ろうとした。

澪「待てよ、唯!」

澪が勢いよく憮然とする唯の肩につかみかかった。

澪(・・・え?)

唯は後ろを振り向こうともせず、その手は男に払われてしまった。

しかし、唯の肩に一瞬触れた澪が感じたのは尋常では無い肩の震えだった。


四人はまるで別人のような唯が去っていくのを
ただただ見ていることしかできなかった。


男A「あー面白かった。 唯ちゃんの演技はアカデミー賞もんだね。」

男が笑いながら唯の肩をポンポンと叩く。

唯「・・・・・」

これで完全に終わりだ、と唯は思った。
バンドのことはもちろん、あの四人とのつながりも

でもこれでよかったんじゃないか・・・?
これ以上自分があの四人に関わってももう何もないだろう。
だからここで一思いに関係を断ち切ることができたのは・・・。

でも、もしも許されるなら・・・

唯「・・・もう一回みんなで演奏したかったなぁ・・・」

男A「あ? なんか言ったか?」

唯は遠くを見るような目で小さくこぼした。

そして唯たちは夜の闇の中へと姿を消していった。



四人が唯の家に着いたころには外はもう真っ暗だった。

澪律紬梓「おじゃまします。」

憂「こんばんわ。みなさんお久しぶりです。」

憂が軽く頭を下げる。

紬「憂ちゃん久しぶりね、でもこんな時間に大丈夫なのかしら?」

憂「はい。両親はいつものように旅行に行っていて、
  お姉ちゃんは大学に入ってからは帰って来ない日のほうが多いので・・・」

憂はさみしそうに言うと、四人分のスリッパを並べた。
その横顔からは強い孤独感がうかがえる。

澪(憂ちゃんまで・・。これはやっぱりただごとじゃない・・)

四人がスリッパを履くと、憂が四人を居間へ通した。

居間はとてもきれいに片付いていた。
唯がほとんどいないから散らかることもないのだろうと思うと一層悲しい。

憂「買い置きのお菓子で申し訳ありませんが・・・」

そう言って、憂はお茶とお菓子をテーブルに並べ始めた。
慣れた手つきは、やはりできる妹そのものだった。

作業をしながら憂が梓に何気なく尋ねた。

憂「梓ちゃん、訊きたい事ってお姉ちゃんのこと・・・だよね?」

梓「え・・・あ、うん・・」

澪(流石憂ちゃん、鋭い。)

梓「あのね・・・・」

梓は今日あった出来事を全て憂に説明した。
律が楽器屋で唯に会ったこと。
唯が悪そうな大学生とつるんで、自分たちに暴言を吐いていったこと。



話し終えた後、暫らくの静寂が続く。

憂「・・・・お姉ちゃん、大学に入った夏くらいから軽音のサークル
  に参加したんです。」

憂が切り出した。

律「だから楽器屋にいたのか・・」

憂「でもお姉ちゃん、ぜんぜん楽しそうじゃなかった。
  なんていうか、苦しそうだった・・・。」

憂「それで、秋ごろからはサークル内でいじめもあったみたいで・・」

澪「そんなことがあったんなら、私たちに相談してくれればよかったのに・・」

憂「え? お姉ちゃんは軽音部のみなさんには相談したって・・・」

律「・・・・そういえば」

律は何か思い出したのかポケットから携帯を取り出すと、
過去のメールを見始めた。


ちょうどその内容が一年前のものに差し掛かったとき、
確かにそこには唯からのメールが一件ぽつりとあった。 
一言     助けて  と

他の三人も確認すると何人かはメール保存の容量の関係で消えて
しまっていたが、律のものと同じメールがあった。 

場はしばし唖然としていたが、こぼすように律が切り出す。

律「たしか、私はちょうどそのころ、大学が本当に楽しくなってきて・・・
  唯のことは気にかけてられない・・みたいな・・・
  そういうのって一度相談に乗っちゃうとキリないし・・
  誰かが何とかしてくれるって、思ったと思う・・・
  それで、面倒臭い・・・と思って
  本当は唯からメールが届かないようにしてた・・・・・・

澪「私も唯のことだから、いつかの冬の日みたいにまた
  どんな鍋がいい? みたいなくだらないことかと思って・・・・
  だって、唯には・・和がいるだろ?
  だから私はいいかな・・・・・って・・」

他の面々も結局は誰も相談に乗ってはいなかった。


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