女A「また?  何度言えばわかるの平沢さん」

女A「カッティングのところは軽くワウ入れろって言ったわよね?
  あと、Bメロのところシャッフル気味になってたわよ!」

唯「ご、ごめんなさい・・・」

唯は一昨年、無事に桜高を卒業して大学に進学した。
推薦で大学が決まった澪に毎日勉強を教わって、唯が合格した
と言うとみんなが驚くレベルの大学に入学した。 

男A「もうよしてやれよ。 そいつ何言ったってすぐ忘れんだぜ。
  ごめんね~唯ちゃん、唯ちゃんはずっとCだけ弾いててくれれば
  いいからね~。 あ! Cってわかるかな~?」

アッハッハッハ~

音楽室の中は笑いがこだました。

唯「わかります・・・」

唯は真っ赤になった顔を隠すようにうつむいて、声を震わせて答えた。


それもそのはず、唯は高校時代からギターを直感で弾いていた。
しかし、大学に入ると音楽理論や機材の使い方など、ミュートやチョーキングも
知らずにやってきた唯にとっては全く別次元の要素が必要とされてきたのだった。
そして、そんな唯は恰好のいじめの標的だった。

サークルに入ってもう一年になるが、いじめは日々エスカレートしていた。

男A「じゃあ唯ちゃん、俺たちそろそろ帰るから機材の片付けと掃除よろしく。
  彼氏のギー太君と協力して頑張ってね~。」

男Aは唯の髪の毛を掴んで皮肉たっぷりに言った。

唯「・・・・・・」

男A「んだよ! 無視かよ!」

男B「おい、そんなのどーでもいいじゃん、早く行こうぜ。」

男Aは舌打ちをして、乱暴に髪の毛から手を離すと足早に仲間を連れて
音楽室を後にした。


片づけを終え、音楽室に一人残る唯。
外の夕日が音楽室を黄昏色に染め、切なさを醸し出している。

唯「ねぇ、ギー太・・。 私・・これでいいのかな?」

唯はしゃがみこむと壁に立てかけてあるギー太に投げかけた。
目からは大粒の涙がこぼれている。

唯「音楽って・・も、もっと楽しいものだったよね?
  いつからだろ、苦しくなったのは・・」グスン

唯「ねぇ、ギー太・・、何とか言ってよぉ・・」

唯はそのままギー太に倒れ掛かるように泣き崩れた。
10分、15分、20分と唯が泣き止むことはなかった。
静かな音楽室の中に唯の泣き声が永遠響いた。

唯が再び起き上がるころには、夕日が水平線まで差し掛かっていた。
沈みかかる夕日は一層切なさを演出した。

唯「グスン、・・グスン・・」


ふと唯は床に一枚の封筒が落ちていることに気づいた。
おそらくさっきギー太に倒れかかったときにギターケースのポケットから
落ちたものだろう。

唯「?・・・あっ!」

それは卒業式の日に澪がHTTのメンバーに配った三年間分の写真だった。

HTTのメンバーとは卒業して以来連絡を取れなくなっていた。
いくら唯から連絡をしても誰にも通じることはなかった。

しかし、唯はおもむろにそれを開くと、中の写真を手に取った。

唯「これは一番最初の写真だ・・。
  みんなが翼をくださいを演奏してくれて、あんまり上手じゃ無かったけど
  それで入部しようと思ったんだ・・」

唯「これは合宿のとき・・。
  ムギちゃんの別荘でみんなでお泊りして・・・」

唯「これは・・・あずにゃんが入ってきたときだ・・
  猫耳とかつけ合って遊んだなあ・・・楽しかったなぁ、あのころ」

唯は遠くを見るような目で呟いた。

唯「また会いたいよぉ・・・澪ちゃん、りっちゃん・・ムギちゃん、あずにゃん・・」

唯は体操座りのまま顔を伏せて、再び泣き出した。




唯(すぐに思い出せる、私が入部したときのこと、ギー太を買ったときのこと、学祭でライブ
  をしたこと、クリスマス会をしたこと、あずにゃんが入ってきたときのこと・・・
  お茶を飲んで、練習して、「また明日!」で別れる、ただそれだけの当たり前の日々が
  あんなに幸せだったんだ・・・。)

夕日の最後の一光が音楽室を照らす。
目に涙を溜めた唯が顔を上げると、そこに映し出されていたのは、かつての軽音部の姿だった。

律「なんだ唯? 何泣いてんだよ、あ! 澪にいじめられたか?」

澪「私はそんなことしていない!」

律「あ! 澪が怒ったぞ~。 逃げろ~!」

紬「もう、りっちゃんったら・・・」

梓「先輩! ライブも近いので練習しましょうよ!」 

お茶を飲みながら律がふざけて澪を怒らせる、紬は横でニコニコ笑っていて、梓は練習をしようと必死に
みんなを説得する。 ただこれだけだった。 これが唯の望む全てだった。

律「しょうがねぇなぁ、練習するか!    
  ほら、唯も泣いてないで練習しようぜ」

律が手を差し出す。唯はその手に掴まろうと手を伸ばすが、
その手は空しくも空を切り唯は少しよろつく。


律「なぁにやってんだよ! ほら」

唯「えへへ・・」

唯がもう一度律に掴まろうと目をこすると、そこは機材が散らかった退屈な音楽室に戻っていた。

唯が一人ぼっちの音楽室に。 

唯(どうして・・?、あのときみたいにみんなでいたいだけなのに・・・。、
  私がこんなに苦しんでいるのになんで誰も応えてくれないの・・・?)

事実HTTのメンバーはいくら今の唯が助けを求めても決して応えてはくれなかった。

唯「カミサマ・・私欲張ってないよね・・・?」

唯がそう呟いたとき、夕日の最後の一光が闇に飲まれた。

唯はその後そのまま壁にもたれ掛かって寝てしまい、
気づいたのは夜10時頃だった。

唯「ん・・・んん・・」

唯はのびをすると、携帯を開いて時計を確認した。

唯「帰ろうかな・・・」

唯は泣きすぎでかゆくなった目のまわりを掻きながらギー太を連れて音楽室を去った。

唯はとりあえず涙でベトベトになってしまった顔を洗おうと、学校のトイレに入った。
顔を流した後、鏡でふと自分の顔を見た。
自分の顔をこうやって見るのは、サークルの先輩に顔のことをバカにされたことも
あって、ここ一年ぶりくらいだった。

唯(・・・!)

そこには、唯がさっきまで見ていた写真とはまるで別人の平沢唯が映っていた。
丸かった顔は痩せ細り、目の下には大きなクマがあった。
そしてなにより、悲しそうな顔をしていた。

唯はかつての自分を仰いだ。
音楽室でお菓子とお茶を囲んでいた自分。
ギターのコードを必死に覚える自分。
りっちゃんと海でじゃれあう自分。
ステージの上でスポットライトを浴びて演奏する自分。

どれも眩しすぎた。

唯(私はもうHTTの平沢唯じゃないんだ。 全くの別人なんだ。
  今の私にはもうHTTを名乗る資格なんてないんだ。)

唯は自分にこう言い聞かせた。
今の惨めな自分にはこれが過去の平沢唯の続きであってほしくはなかった。
そして何より、HTTのみんなに申し訳ないと思った。

しかし、それと同時に自分を無視する
現在のHTTのメンバーに対する憎悪さえ芽生え始めていた。

唯「さようなら」

唯は目に涙を溜めて鏡に向かってこう呟いた。
唯は鏡を振り返り、千鳥足で夜の街の闇に溶けていった。

こうして唯は自分を捨てた。

第一章 完



自分を捨てたあの日から一年が経った。

男C「おい、奴隷! シールドまだ直ってねぇのかよ」

男がいらいらしながら、怒鳴りつける。

唯「すいません・・・・」

女B「お菓子まだ~?」

唯「すいません・・・、すぐに・・・」

唯はあの日以来先輩たちにもっと従順になった。
いつしかギターも持たせてもらえなくなり、今では「奴隷」として雑用をこなす日々。

でもそれでよかった。
今の唯にとっては今など何の価値も無かった。

過去を望めば望むほど自分が惨めになっていくことに耐えられなかった。

なんどか自殺も考えたが、結局できなかった。
自分一人では何もできないと、余計に惨めになるだけだった。

そして、あの日以来一度も泣いてもいない。

唯「シールド、ギター弦・・・」

今日もまた注文を繰り返しながら街へ向かう。


最寄の楽器店である「10GIA」に着いたのはそれから10分後だった。
店内に入るといつもふと思う。

唯(ここで初めてギー太と出会ったんだけど、すごく高くて、みんなでバイトしたなぁ・・。
  あと、あずにゃんとギー太のメンテにも来たっけ・・・)

唯「へへっ・・・」

唯は小さく笑うと、シールド置き場へ急いだ。

しばらくして、注文の品々を腕に抱えた唯はレジに向かった。

唯(今日の店員さんはあの時ギー太をメンテしてくれた人だ・・・)

かつての出来事を今に重ねることが唯の毎日のちょっとした楽しみだった。
しかし、それと同時にHTTのメンバーへの憎悪は日々積もっていった。

不意に、

?「もう一声~!! もう一声!」

店員「勘弁してください、お客さん・・。」

唯がちょうどレジに品々を置いたとき、店内の遠方から何かを値切る声がきこえた。

どこかで聞いたあの声・・・・

唯がハッと後ろを振り返るとそこにいたのは、


田井中律 その人だった。


律「いいじゃん! ドラムスティックなんてぇ~。安いもんだろ?」

店員「だからこっちはもう10%も値引いてるじゃないですか~」

律「まだ全然高いの!
  そんなこと言ってると、ムギに言いつけちゃうぞ~」

店員「うっ・・・」

唯は一瞬混乱した。
毎日のように頭の中で会っていた律の実物がそこにいる。
どこか不思議な感覚だった。

すると、

律「・・・・あれ!? 唯だよね!?」

唯 ビクッ!!

律は唯に気づくと近くまでやってきた。
唯は知らないふりをしてレジの方を向きなおした。


律はいつもの調子で馴れ馴れしく話しかけてきた。

律「やっぱり唯だぁ! 久しぶり~!」

唯「・・・・違います。」

唯(あんな奴は知らない知らない知らない知らない知らない
  知らない知らない知らない知らない知らない知らない
  知らない知らない知らない知らない知らない知らない。)

唯はこの上なく嬉しかった。
夢にまで見た律が目の前にいる。 

でも、同時に許せなかった。
私が助けを求めてもまるで反応しなかったくせに憮然として話しかけてくる律が。


律「? 何言ってんだよ! ゆ~い!」

唯「・・・・」

唯は代金を支払うとさっさとその場を去ろうとした。
律はそんな唯の肩を後ろから掴むと一言言った。

律「今度HTT再結成するんだ! もちろん唯も来いよ。」

え?

ぴたりと唯の足が止まった。

その一言を何年間待っていただろうか。
どんな思いで待ち続けただろうか・・・。

唯「もう私に関わらないで・・・」

唯はこぼすように言った。

律「なぁ、どうしたんだよ。なんかあったのか?」

近づいてくる律に唯は恐怖さえ覚えた。

唯「来ないで!!」

律の手を肩から乱暴に払うと、こんな大声何年ぶりだろうか、というくらいの
声で叫び、唯は店から走って出て行ってしまった。

律は呆然としてそのうしろ姿を眺めていた。

ハッ ハッ

入学式といつかの文化祭のときに走った道を息を切らせてまた走る。

唯(本当はすぐにでもりっちゃんの胸に飛び込みたかったよ。
  でもね、こう言わないと今までの自分に落とし前がつかないよ。
  一人で戦ってきた自分に。)

唯は注文された品々を抱えて力の限り走った。
途中で弦がいくつか落ちたけど気にかけていられなかった。
すぐに律の元を離れないと頭がおかしくなりそうだったから。

でも涙は出なかった。もう枯れていた。



MAXバーガー
いつもHTTのみんなで集まったハンバーガー屋だ。

そこの窓際の四人がけの席に秋山澪と中野梓は
座っていた。

澪「律の奴遅いな~。」

澪が店内の時計を眺めながら言う。

梓「律先輩のことだからどこかで道草でもくっているんじゃないですか?」

澪「そうかな~。」

紬「遅れちゃって、ごめんなさい。」

梓「あっ!ムギ先輩お疲れ様です。」

琴吹紬は高校二年の冬からここで働き始めて今でも働いていた。
今では前のように失敗することも無く、何でも卒なくこなすようになっていた。
今でバイト上がりらしい。

紬「りっちゃん来た?」

梓「いえ。まだ来ないんです。」

澪「あっ! 来た!」

澪が指差すほうに確かに律はいた。
だがしかし、どこか明らかに様子がおかしかった。

澪「どうしたんだよ律。 遅いぞ。」

いつものように澪が律に注意を促す。
律は千鳥足で店内に流れるように入ってきた。

律「わりぃ。」

明らかに声のトーンも低く、普段の律のものとはまるで違っていた。

紬「どうしたの、りっちゃん? 何かあったの?」

律「・・・・・」

律は黙り込み、しばしの静寂が続いた。


しばらくすると、律が不意に切り出した。

律「・・・さっきそこで唯に会ったんだ。」

梓「え!? じゃあ今日集まりこれで済んじゃうじゃないですか!」

どうやら今日の集まりはこの四人で唯のところにHTT再結成の話を
持って行くというものだったらしい。

梓「先輩喜んでましたか?」

梓が嬉しそうにたずねると、律はそのうなだれた首を横に振った。

律「もう私に関わるな、だってさ・・・・。」

紬「そんな・・・。」

澪「嘘だろ? 律!
  唯がそんなこと言うはずないだろ。
  あいつは誰よりもこのバンドが好きだったじゃないか。」

律「嘘じゃねぇよ!!」

突然大声を出した律に店内の客も驚いて律のほうを見た。
声を張った律の声は今にも泣き出しそうなほど震えていた。

律「唯、すげぇ怖かった・・・。
  雰囲気もまるで違ったし、近くで見るまで本当に唯かもわからないくらい
  変わっていた・・・・。」グスン

律は吐息混じりに言うと、とうとう泣き出してしまった。
三人は泣き続ける律をただ見ていることしかできなかった。



律「・・・・ごめん。」

律が泣き止んだのはそれから暫らくしてからだった。
梓が切り出す。

梓「誰か唯先輩と頻繁に連絡をとっていた人はいないんですか?」

紬「私はバイトに来るときたまに見かけたけど、いつも話しかけるほど時間に余裕が
  なくて・・・、でも近頃は丸っきり見なくなったわ・・・」

他は誰も反応は無かった。みんな下を向いて黙り込んでしまった。

確かに唯の大学は四人の大学のエリアと全くの間逆だった。
同じ街に住んでいるとはいえ、誰もここ何年かはまるで会っていなかった。


梓「そんな、じゃあ何もわからないじゃないですか・・・」

みんな頭を抱えてしまった。
その後もしばらくみんなで話し合ったが、打開策は無かった。

紬が切り出す。

紬「そうだ! 唯ちゃん家に行ってみるのはどうかしら?
  唯ちゃんに直接は厳しくても、憂ちゃんになら話をきけるし。
  あの二人すごく仲が良かったから、唯ちゃんも憂ちゃんになら
  何か相談しているかもしれないし!」

澪「名案だな。」

梓「早速憂に連絡とってみますね。」

  梓はかばんから携帯電話を取り出すと、憂の携帯の番号を押した。

梓「・・・・もしもし?憂?・・・いまから憂の家に行っても大丈夫?
  え?あ、ちょっと訊きたいことがあるの。
  ・・・うん・・わかった・・・ありがとう・・・また後で。」

梓「大丈夫だそうです!」

紬「じゃあ行きましょう。」


律「澪、もう行くの?」

うなだれていた律が澪に尋ねた。

澪「行くぞ、立てるか?」

よろよろになりながらも立ち上がろうとする律を澪が支えた。

澪(あの律がこんなにショック受けてるなんて・・、どうしたんだ、唯は・・・)

こうして四人は唯の家に向かった。

四人が店を出たあと四人と背中合わせに座っていた大学生がこぼした。

女A「聞いちゃった。」


2