澪は手紙を取り出すと、一通一通封を開けていく。……なんでそんなに楽しそうなの?どうせ中身なんか知ってるくせに。

「……おい唯、唯ったら!ラブレターだぞ!一年の頃から、あなたを見てました、だってよ!うわあー…」

偽ラブレターか。唯は口の片方の側を吊り上げて皮肉な笑いを浮かべる。共学の学校でやれっての。

澪がラブレターを見て赤面している。きっと相当に破廉恥な文章が綴られているのだろう。

それより、さっきから本当に演技がうまいね。澪ちゃん、演劇部にでも転向したら?

偽物のラブレターを手に固まってる澪を置いて唯は歩き出す。

「唯ー、ゆーいー、置いてくなよぉー」

「何で着いてくるの?着いてこないでよ」

「私も帰り道こっちだもーん」

唯は思わず歯ぎしりをしてしまい、すぐに止めた。これ以上歯を痛めるのはまずい。

三日前から、唯は何を食べても吐いてばかりいた。実はさっきも、食べたばかりの憂のお弁当を全部トイレにぶちまけた。

きっと私の歯は、胃液でボロボロになっているに違いない。

結局澪は、ゲームセンターまでくっついてきた。唯の隣の椅子に腰掛け、楽しげに話しかけてくる。

……プレイされない方の椅子の使用はおことわりです。唯は台に貼られている店員のメッセージカードを引っ剥がして、澪の顔に貼り付けてやりたかった。

「ゲーセン通いとは、唯も不良だなあ。ところでここ、ちょっと煙草臭すぎないか?」

「帰りたいなら、どうぞ」

「あ、これが唯の好きなおいらんってキャラ?」

「いおりんだよ」

画面にちっとも集中できない。これが新たな「あのヒト達」の作戦なのかな。だとしたらずいぶんとチンケな作戦を練ったもんだ。

「あれ?唯の髪、なんか白いのがついてるよ?」

「あっ……あーあ」

澪に急に髪を触られ、手元が狂ってしまった。あっという間にゲームはおじゃん。唯のお小遣いが無駄になってしまった。

「あ。唯ごめん」

「……謝るくらいなら、100円弁償して」

「ごめん、それ無理。私、今オケラなんだ。それより唯、髪にチョークの粉っぽいのついてるよ」

唯の中で何かがプツンプツンと三本ほど切れた。頭の中に居座っている「うんざり」の四文字を吐き出すように、唯はきつい声を出す。

「何でさっきから、つきまとっては邪魔ばっかするの?だいたい、私が今どんな立場に置かれてるかわからないの?私に関わったらどうなるか想像できないの?」

やった。同情される側でなく、同情する側に回ってやった。ざまあみろ。

「わかるよ。そのくらい」

「え?」

「うん、こういう時は、年寄りが昔話するって決まってるからな。ちょっとつきあってよ」

「……同年代のくせに」

「へへ、バレた?」

澪が愉快そうにカラカラと笑うが、ちっとも面白くない。この人、お笑いには向いてないな。

「さ、そうと決まったらこんな煙草臭い店さっさと出て、どっかでお茶しよう」

「……オケラじゃなかったの?」

「バレた」

お茶しよう。そう言って澪が連れてきたのは、何のことはない、ごくありふれたファーストフード店だった。

唯はむっつりとした顔でカウンターテーブルを人差し指でとんとんと叩く。紙コップの中のコーヒーがカラカラと涼しげな音をたてる。

「本当にいいの?なんかおごるよ?」

隣に座った澪が声をかける。さっきから何度も聞かされたセリフだ。

「いらないって言ってるでしょ」

唯は刺々しい返事を返す。何でこの人はこんなに馴れ馴れしいんだ。普段は生真面目でかっこいい秋山さんを気取ってるくせに。猫かぶり。

猫かぶり。それは私も同じか。今の私、つっけんどんで素っ気なくて本当に嫌な奴。

「で?昔話って何なの」

「おばあさんが川で洗濯をしたところまでは話したっけ?」

相変わらずつまらないジョークを飛ばしてくる。

「真面目に話す気ないなら、帰るよ?正直、迷惑だし」

唯の腹で、冷めた怒りが首を断ち切られた蛇のように暴れている。彼女の中の精悍な澪のイメージは、すでに崩壊していた。律や紬のイメージと同じに。

「まあまあ、そう言うな。これでも結構きつい思い出なんだから」

「嫌ならわざわざ思い出さなくてもいいのに」

「じゃあ、お前なら綺麗さっぱり忘れられるか?」

澪は唯の目をじっと見つめて言う。

……忘れられるはずがない。幼稚園からのつき合いの和。親友だと信じていた律と紬。その他たくさんのクラスメート……。

唯の喉に、また氷が刺さる。やっぱりこいつはろくな奴じゃない。他人の気持ちなんかまるで考えちゃいないくせに、わかってるふりをして。偽善者。

慌てて手の甲で目をゴシゴシと拭う。こんな奴に弱みなんか見せてたまるか。

私は同情なんかされない。決して。

「私は忘れられないよ。もうあれから二年もたつのに、未だに夢に見るんだもん。たまに律を絞め殺してやろうか、なんて考えるよ」

「……りっちゃんと何かあったの?」

「だから、それをこれから話すんだよ」

澪はふっと笑みを浮かべる。どこか自虐的な、どこか歪んだ笑み。

「私と律が幼なじみだっていうのは前に話したよな?」

「……うん、聞いたよ」

「小学生時代のエピソードは?」

「ある程度は知ってる」

「よし。ならその後日談だな」

澪はそこで一息入れると、堰を切ったように……というより、放牧場に羊の群れを解放するように……話し始めた。

「まあ、聞いてくれ。中学時代のつまらない話さ」

「見てわかると思うけど、私は昔からあまり友達の多い方じゃなくてさ。いつも律の陰に隠れてばっかの臆病者だったのさ。

だけど成績だけはそこそこによくてさ。おまけに何故か男子からは結構モテる。見るからに気の弱い頭のいい美少女。わかるだろ?そんな奴がどんな目に合うか。

ターゲットにされたのはある日突然、だったよ。数少ない友達だと思ってた奴らが口をきいてくれない。クラスを仕切ってた奴は私のことハブ呼ばわりする。机の中はゴミ箱代わり。

そりゃ、きつかったよ。そのうちみんなどんどんエスカレートしてってさ。最初は鉛筆だった机の落書きがマジックになるわ、美術の授業に描いた絵がビリビリにされるわ、ロッカーがボコボコになるわ。

いろいろ言われもしたなあ。ハブ解除する代わりにお友達料金払え、だの半島に帰れ、だの。半島ってどこだっつーの。

……でも、律だけは違ったんだ。いつも私を庇ってくれた。……あの日までは」

「……ある日、私の体操着がトイレに捨てられててさ。最初に発見したのは律だったよ。

律の奴、涙ボロボロ流しながら先生に言うわけだ。私の親友がこんな目にあわされてる、なんてさ。

それまでは見てみぬふりしてた先生も流石に黙ってられなくなってさ。すごい剣幕だったよ。誰がやったんだ、ってホームルームで怒鳴り散らして。

……でも、いつまで待っても誰も名乗り出ない。とうとう先生、緊急に個人面談までやったんだよ。……律を除いた全員のね。だけどとうとう誰も名乗り出なかった。

……当然だよ。先生、まるっきり見当はずれの人を犯人だと睨んでたんだから。

事件がうやむやになった頃、律が休み時間に突然叫んだんだ。

澪の体操着捨てたのは私だ、って」

「それからは教室が大爆笑の出血大サービスさ。

私、当然聞いたよ。何でそんなでたらめを言うんだ、って。

そしたら律はこう言ったさ。でたらめじゃない。澪、お前あまりにも鈍すぎる……って。私は友達のふりしてお前の反応楽しんでただけだって。……あいつ笑いすぎて涙ボロボロだったな。今思えば。

それからしばらく私、学校通えなくなってさ。おまけにしばらく口がきけなくなった。失語症ってやつだね。

人間が怖くなったんだよ。私は。あの頃は親も先生も怖かった」


「しばらく不毛なカウンセリング受けてさ。それで少しずつ言葉を取り戻して、ある日何十日かぶりに学校行ったんだ。

正直、怖かったよ。またどんな目にあわされるかわからないからね。

でも親が言うんだよ。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ、ってね。全く、何のアニメだっつうの。

でも実際、行ってみたら何事もなかった。ハブが解除されてたんだ。ターゲットはすでに別の奴に移ってた。

みんな言うんだよ。律も他の奴らも。私らはあのハブ……新しいターゲット……に命令されてやってただけだってね。嘘八百もいいとこだよ。信じろってのが無理な話さ。

……でも私は信じたんだ。というより無理矢理真実だと思い込んだ。私はね、怖かったんだ。またターゲットにされるのが。また幼なじみが敵に回るのが」

……窓から太陽の断末魔の悲鳴のような西日が流れ込む。アイスコーヒーの氷はすでに水となり、ただでさえ不味いコーヒーの味をさらに酷いものにしている。

「それからずっと戦々恐々の毎日さ。もしかしたら、また律が敵に回るんじゃないか、ってね。でも今日まで、そんなことは一度もなかった。……そしたら今度はお前だろ?」

……この人は、私に共感しようとしている。私は、同情されかけてる。

同情なんかいらない。同情を求めたら……私はすべてを失う。

「話は終わり?ならもう帰るよ。憂が待ってるから」

プラスチック製の椅子から立ち上がり、鞄とギターを手に取る。階段を降りかけた時、澪が声をかけてきた。

「なあ。さっきの手紙、もらっていいか?詞を書くいいヒントになりそうなんだよ」

「……お好きに」



一応ここから第二章


うんざりするほど淑やかに降る雨をやり過ごし、昇降口にたどり着く。例によって下駄箱には偽物のラブレターがぎっしり詰まっている。

唯は可愛らしい便箋を見ながら、たまには決闘状でも書いてみなよ、なんて考える。

ゴミ箱に便箋を放り込んでから、教室に入る。今日は机の上に花瓶が置かれていた。花瓶には白い花が生けられている。

へえ、素敵なご趣味。ユリだなんて。でも私はハマナスの方が好きだよ。

花瓶を机の端に寄せ、唯は腕を枕に眠りにつく。

最近は夜中に突然目を覚ますことが多い。汗びっしょりで目が覚めた晩は、決まって悪夢の残骸に悩まされる。

今朝、髪を撫でつけるついでに自分の顔をよく観察してみた。なんだか目が大きくなった気がする。頬もどこか削げて見えた。

机の上で浅い眠りに落ちる前、唯は机の落書きの臭いを胸いっぱいに吸い込んだ。

鉛筆やシャープペンシルで殴るように書かれたたくさんの落書き。商店街のシャッターに描かれた落書きのミニチュア版。

頼むから、マジックには変えないでね。唯は靄の立ち込める頭でそう思う。芯のにおいって、結構好きだから。

ユリの花は、帰ってから憂にあげた。女子高生の澱に満ちた教室に置いておくよりも、その方がいいと思ったから。

「素敵な花だね。これ、どうしたの?」

「友達からもらったんだ」

友達、に変に力を込めて唯は返事を返す。

憂はまだ唯が部活に出ていないことを知らない。


自分の部屋に入ってすぐに、制服に霧吹きタイプの消臭剤をかける。喫煙でもしているのかと憂に疑われないように。

それから、最近は家に置きっぱなしの携帯電話を開ける。新着メール9通。

送信ボックス0件。受信ボックス9件。最近の女子高生の携帯電話にあるまじきメール数だ。

一応、メールの送り主を確かめる。律からが5件、紬から3件。それに、澪から1件。

律と紬のメールを読みもせずに消してから、唯は澪のメールを開ける。

[お久しぶりー。今度の日曜空いてる?お弁当でも持って近所の公園でも行かない?]

ご丁寧に顔文字まで添えられている、呑気な文面。唯はそっけない返事を返す。

[別にいいけど]

それから、いつものように削除ボタンを押そうとする。だがちょっと迷ってから、結局何もせずに携帯電話を閉じる。

送信ボックス1件、受信ボックス1件。唯の空っぽだった携帯電話に、久々に彩りができた。


……休日におめかし、なんて実に久しぶりだ。さらに言うなら休日に友達と外出なんて前世のことに思える。

唯はどこか落ち着かない気分だった。胸の中で誰かが肋骨をノックしている。

……楽しみなわけじゃない。あの脳天気な猫かぶり女に付き合ってやるだけだ。

結局、鞄に詰めたのはパサパサのクッキーみたいな栄養食とゼリー飲料だけだ。

憂に休日にまでお弁当を作ってもらいたくなかったし、どうせ食べても吐いてしまうだけだから。

待ち合わせ場所。唯の姿を見つけると、澪は無邪気に手を振って合図する。

……まったく、あんなに人が多い場所であんなに子供っぽく振る舞って。恥ずかしいなぁ。

「遅いぞっ!」

「ごめん。……頼むから、もう少しいつも通りに振る舞ってよ」

「いつもの私の方が好き?」

何それ。唯はこれからの苦難の予感を、ため息と一緒に吐き出した。


二人は公園を連れ立って歩く。空は六月にそぐわない清々しい青空だ。

唯は左の頬と額にできた小さなニキビを鬱陶しげにこする。あの頃、……律からハブに任命され、ご飯が食べられなくなった頃……にできたニキビ。今日までに治っていてほしかったんだけど。

……何で私、こんなに気にしてるんだろ。馬鹿みたい。

「やっぱり休日だな。家族連れとかカップルとか多いよな。シート敷けるかなあ」

「……だったら別な日にすればよかったのに」

空はどこまでも青い。それが唯の胸に広がる暗雲にそぐわなくて腹が立つ。

ようやくシートを敷けるだけのスペースを発見する。澪は嬉々としてビニールシートを広げる。

……私、本当は昔から遠足とかピクニックの類って嫌いなんだけどなあ。パリパリのシートも、いつの間にか鞄にくっついてる草の切れ端も、周りでざわめく人々も、大嫌い。

「じゃあ早速だけど、お昼にしようか」

「……でも、まだ午前中だよ」

「私、唯と一緒にお昼食べるの夢だったの」

澪が紬の口調を真似て言う。かつての親友、そして今は憎いクラスメートの真似。途端に唯の中で怒りのヤマアラシが針を逆立てる。

「帰る」

「……ごめんごめん。怒るなよ、唯ー。」

仏頂面のまま、唯は澪がお弁当を広げてゆく様を見つめる。……見てるだけでげんなりする量だ。おにぎりにおかずの山。お菓子まで用意されている。

……これ、絶対私にも食べさせる気だよね。

澪は唯が持ってきた栄養食とゼリー飲料を見て、小馬鹿にしたような声を出す。

「なんだよ、唯。それしか持ってきてないのか」

「……食欲ないから」

「私の持ってきた昼飯見たら、食欲ガンガン湧いてきただろ?」

……大した自信だよ、まったく。

澪が次から次へと「昼食」を胃に収めてゆく傍らで、唯はもそもそと栄養食をかじる。

「私、昔はさ、弁当はいつもサンドイッチにしてもらってたんだ。何でだと思う?」

「一応聞いておくけど、何で?」

「おにぎりだと、具はキムチなんだろう、なんてからかわれたから。意味わからないだろ?」

「うん、意味わからない」

何でそんな話を今するのか、意味がわからない。

「でも、結構合うんじゃない?おにぎりとキムチ」

「合うかな?今度試してみようか」

澪が無邪気な笑みを顔中に咲かせる。唯も思わず顔が緩みそうになり、慌てて唇をキュッと結ぶ。履いている靴のひもよりもずっときつく。

「唯、ご飯交換しよ。唯のそれと私のおにぎり」

澪が食べかけのおにぎりを差し出す。……何で食べかけなんだ。唯は栄養食を差し出すと、澪の弁当箱から勝手におにぎりを一つ手に取る。

嫌々ながらも、やたらと大きいおにぎりにかぶりつき、咀嚼する。

「どう?いけるだろ?絶品だろ?三ツ星級だろ?」

「……悪くないんじゃない?」

悪くない。……というより相当に美味い。何かをこんなに美味いと思ったのは本当に久々だ。他のおかずにも手を伸ばす。

勝手に自分の弁当をついばむ唯を見て、澪は誇らしげな顔をする。……どうせ母親に作ってもらったんでしょ。唯の嫌みは口いっぱいのお弁当に阻まれて引っ込まざるを得なかった。

「なあ唯、それ一口ちょうだい」

唯が口の中のものを流し込むために飲んでいたゼリー飲料に、澪が手を伸ばす。唯は黙って差し出す。

……何だか胸にくすぐったいような違和感を感じる。学校で何度も感じた違和感とは、まったく別のそれ。

澪ちゃん、少しだけ、ほんの少しだけ見直したよ。ただの猫かぶりじゃないんだね。

「やった、唯と間接チューした!唯と間接チュー!間接チュー!」

前言撤回。


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