暑い。

陽射しが肌に突き刺さるような感覚を受け、私は深く帽子を被り直した。

まだ七時過ぎだというのにこの暑さは異常だ、と太陽に文句を吐きながら私は校門につっ立っていた。

通学路には学生の姿が多くなり始め、また1日が始まったんだなぁ、と実感させられる。

「りっちゃん先生、おはようございます」

「おはようー、今日も暑いなー」

桜ヶ丘の制服を来た生徒達が私に声を掛けていく。

先生、か……。

やっぱりそう呼ばれるとついさっきまでこの学校に通っていたと思っていたのに、今はさわちゃんと同じ立場になっちまった。

私、田井中律はここ、桜ヶ丘の教師となった。

さわちゃんに憧れた、とか、何か約束を果たしに来た、とかいう理由なんてはまったく無い。

正直成り行きだ。

大学でそういった資格の勉強をして、免許を取って、学校に配属されて。

そして今、私はここで教壇に立っているのだ。

「……今日は暑くなりそうだな」


日焼け止めクリーム塗っといてよかったと思いながら一人一人生徒達をチェックする。

例えば、スカートを捲っていたり、シャツ出しっぱなしだったり。

そんな事をしていた側が、そんな子を注意する側になってしまった。

いやー、あの時の先生の心中ご察し致します。

いくら注意したって無駄なのに注意しなくちゃならない労力ったらありゃしない。

「りっちゃん先生おはー」

「おはよう、スカート短いよ、シャツはしまう」

「はーい」

「返事だけなら亀でも出来るぜ」

音楽室のトンちゃんはまだ生き延びていて、音楽室を使う人たちの癒しとなっていた。

今やどういった理由でトンちゃんが来たということを知る生徒はいないはず。

知ってるのは私とさわちゃんだけか。

「律先生おはようございますー」

「うっーす、携帯いじりながら歩くなよー」

そう言えばこの時間辺りに私達も登校していたなぁ、と思い、私は一緒に通った親友の顔を思い浮べた。


私達が卒業してから、ムギは有名女子大に、唯はあれから死ぬ気で勉強して和と一緒の大学に、そして澪と私も某、大学へと進路を決めた。

梓はあれからジャズ研の……なんとかちゃんと憂ちゃんを無理矢理けいおん部に加入させ、新一年生と共に部活をしていたらしい。

結構、梓は……なんだっけな……確か専門学校に、憂ちゃんは姉とは違い楽々唯と一緒の大学へ進学した。

あの時は唯と憂ちゃんの学年が一緒にならないかたまにくる連絡に冷や冷やしていた。

そして私達は……。

「さーて、授業始めるぞー。静かにー」

チャイムの音と共に騒つく教室に入り、パンパンと手を叩く。

きりーつ、と生徒が怠そうに立ち上がり、頭を下げるのを見届けたのち、私は自作のノートを開きながら今日の板書を確認する。

「今日は教科書30ページの『羅生門』の3行目からやるぞー」

私は慣れたように黒板の下にある長いチョークを指先で掴み、チョークが削れる音を感じながら文字を連ねてゆく。

もう授業も慣れたものだ。私がこの学校に入って二年が経過し、ようやく生徒からも、学校からも信頼され始めた頃。

おぼつかなかったチョーク使いも上手くなった。

「じゃあ少し音読してもらうか……今日は二日だから……ん、二日?」


七月二日、七月二日……んー、何かあった気がする。

何かの記念日だったかなぁ。えーと……うーんと……


「あっ、ムギの誕生日」

つい口に出してしまった。

生徒達の目が丸くなる。

ムギって誰っていう目だ。全く、ムギの会社系列で学食のパン売っているっていうのに。
いや知らなくて当然だ。

「りっちゃんー、ムギって誰ー?もしかして彼氏とか?」

一人の元気な女学生の一言が連鎖し、うっそー、信じられない~と、とたんに騒つく教室で私に込み上げてきたのは怒りなんかじゃなく、にやけてしまう馬鹿馬鹿しさと懐かしさであった。

「ムギが彼氏……ムギが聞いたらショックだろうなぁ」

「で、りっちゃんその人誰?」

先生と付けろ、先生と、と注意しながら私はチョークを指先でもてあそぶ。

「高校の頃組んでたバンド仲間でさ、すっげーお嬢様だったんだ。毎日お菓子とか持ってきてくれて……」

「先生とは正反対な人?」
「オマエ、テストマイナス10点な……実際は正反対なんかじゃなくて近かったかな、私とムギは」

ほら、音楽室に棚があるだろ?と私は話を続ける。

「あそこにあるティーカップの一部はそのムギが持ってきたんだよ」

「あれ、先生ってここのけいおん部だったんだ」

「けいおん部部長だったんだぜ、これでも……あー懐かしいなぁ」

今、ムギは海外で父親の秘書をやっているらしい。
最後に会った時の事はもう昔の思い出になってしまっていた。

「先生の時のけいおん部は何人くらいいたの?」

「私の同級生が3人、あと後輩が1人、そして私の5人しかいなかったんだ。今じゃ何十人っているんだろ?私達の時は後輩も入ってくれなくてさ」

「じゃあムギさんが同級生で、他の人は?」

確かいま聞いてきた子はけいおん部じゃなかったかな?と教室の後ろに立て掛けてあるギターケースを見る。

「ギターが少し生意気な後輩と、あとわたし達と一緒に入部してきた初心者がいてさ……ライブの時は声は枯らすわ、ギターは忘れるわ……けど天才だったんだろうな」

あの音楽センス、才能だったんだろう。今、唯はギターをまだ弾いているのだろうか。案外、ぎー太も押し入れの中で永眠してそうだが。

梓も今どこにいるんだろうなぁ。まだバンド続けていたりして。

「そして、ベースが私の親友だったんだ。中学の時かな、一緒にライブのDVD見て、バンドっていいな、カッコいいなって思ってさ、あれがきっかけだったんだよな」

一緒にベース選んだり、ドラム値切ったり、毎日毎日二人で練習して、高校でバンドを組むことを夢見て……。

そしてあの素晴らしい青春の日々があって。

「じゃあその親友がいなかったら先生バンドしてなかったんだ」

「そうだな。あいつがいなかったら大学にも行ってないし」

「じゃあ大学まで一緒だったの?」

ラブラブ~、と教室が沸く。確かラブラブだな、私が男だったらよかったのに。

「そう。まぁ、私が進路決められなくて親友が行く学校にしたんだけどな。将来の夢なんてなくてさ、ただ私は離れたくなかっただけだった」

「ふーん……じゃあ」

と、生徒達が私を見た。
ある生徒が口を開く。

「今はその親友はどうしてるんですか、先生?」

「いや、それがな……」

そう言えば今日辺りまた顔を出してみるか。

「今、入院してるんだ。結局大学卒業してもあいつは先生にはならなかったし……さっ、少し無駄話しちまったな、授業飛ばすぞ」

と、わたしはえー、という生徒の発言を聞き流し、チョークを黒板に躍らせていった。


そう、今、秋山澪はとある総合病院に入院している。

これが運命なら受け入れるしかない。

私も、澪も、もう大人になってしまったから。

「先生さよならー」

「おう、じゃあなー」

放課後、どたばたと帰る生徒に手を振り、私も職員室を目指していた。

部活に行くもの、自宅に帰るもの、はたまた見つからないように遊びに行くもの……生徒達は様々だ。

急に騒がしくなる放課後に私はまた昔を思い出しながら歩いていく。

先ほどのギターを持った子が私に手を振りながら横を通り過ぎた。

今からけいおん部に行くのかな?
まだ顧問はさわちゃんがやっているらしい。
お茶会がなくなってからは合唱部に行っているらしいが。実際は引っ張られてるとかなんとか。

もっと自分の部活に責任持てよ、とも言えない私がいる。

私も全然行ってないからな。
なんか行ってしまうと思い出が薄れる気がして。

と言う建前であまりにけいおん部が多くなってなんというかリアクションがとれなかったのもある。

そして、先生は忙しいのだ。

「あら、田井中先生」

「さわちゃ……先生、お疲れ様です」

職員室前、ふと顔を上げるとさわちゃんがニコニコしながらこちらを見ていた。


さわちゃん老けないなぁ……何かまた化粧品でも多用してるんだろうか。
「ちょっと時間いいかしら」

と、手を引かれ、私は職員室から少し離れた廊下へと逆戻りさせられる。
……机のお菓子を盗み食いしたのバレたかな?

「……今日、今から澪ちゃんの病院いくんでしょ?」

「えっ、あー、まぁそうしようかなって思ってたけど」

「じゃあこれ私からの気持ち。あとの事は他の先生に言っておいてあげたから今日はお見舞いに行ってきてあげなさい」

と、私は封筒みたいなものを無理矢理手渡される。

「なんだよ、さわちゃん直接渡せばいいのに」

「私も忙しいのよ。本当は顔見せてやりたいんだけど、合唱部と吹奏楽の大会近いし」

「あー、そうだよぁ。さわちゃん人気あるから引っ張りだこだからな」

やっぱりカリスマなのかねぇ、そういうのって。
私達の時、けいおん部でだらけていたさわちゃんは本当に疲れていたんだろうなぁ。
先生になってから痛いほど実感する。

「じゃ、そういうことだから澪ちゃんによろしくね」

じゃ!、とさわちゃんは私に手を振りながら音楽室側の階段へと向かっていった。

……まぁ、そういう事なら存分にさぼらせてもらいますか。
私はさわ子、と無造作に書かれた封筒をしまい、職員室へと歩いていった。


本当にさわちゃんの言った通り、職員室の先生方には話が通っていて、私はそそくさと帰らされてしまった。

なんだか美味しそうな差し入れがあったんだけどなぁ、残念。

私は職員の昇降口からひょい、とスニーカーを取り出し、踵をつぶさないように履きながら駐車場へと向かった。

落ち着いた黄色の車が私のだ。みんなからは派手と言われるがトレードマークだからしょうがない。

むわっ、という熱を身体中に浴びながら乗り込み、エンジンを掛ける。

4時過ぎか……と、エアコンの冷たい空気を浴びながら呟く。

まぁ、ギリギリ。

ラジオを付け、よしっ、と掛け声と共に私は車を走らせた。

――――――――

『こんにちは、いやー今日も暑いですね、さすがの私も今日は家から出たくなかったです、さて今日のテーマはずばり青春!薄着!』

ラジオから聞こえるパーソナリティーの声に耳を傾けながら病院へと向かう。

道路にはちらほらと学生がいて、それをいちいちチェックしているところを思うと、職業病らしい。

『私も最近は皆さんとこうやって番組を楽しくやらしてもらってますが、私にだって学生時代、とかそういった淡い青春があってですねー』

赤信号、とブレーキを掛ける。
淡い青春ねぇ……私のは濃かったな、うん。

『私、見えてもっていうかラジオじゃ見えないんですけど学生時代はジャズなんて洒落たものやってまして……今だってギター弾けるといえばもてますからねーヒューヒュー』

ん、そういえばこの声、いつも思うんだけどどこかで聞いた声だよなぁ。

『本当は私にも憧れた先輩なんかがいちゃったわけですよ、あっ、ウチ女子校だから私のファンの人は安心してね。けど、その先輩は違う音楽サークルで……まぁ、同級生はそこにいましたけど羨ましかったなぁ』

ん、あいつまた服装乱してるな。明日注意してやろ。

『まぁ、結局はその憧れの先輩も卒業しちゃって私は晴れて人数の足りなくなったその部活に晴れて入部させられましたとさ、めでたくない、めでたくない!……はぁ。さっ、きを取り直して今日の一曲目、放課後ティーブレイクの新曲、いきますよー』


と、ラジオから軽快な音楽が流れ始める。
放課後ティーブレイク…だって。
略せばHTBかな?

なんとなくボーカルが梓の声色に似ている気がする。

あいつもこうやってメジャーになってたりしてな。

と、私は暫く、梓に似た歌声を聞きながらアクセルをぐいっ、と押し込んだ。


―――――――。

『はいっ、と言う訳で放課後ティーブレイクの新曲、『桜ヶ丘ティーブレイク』でした~。最近売れてきたこのバンド、みんなチェックしてるかな?
いやー、私も今までギター練習してたらこのバンドにいたかもしれないよ~たぶん無理だよ~!じゃあ次お便り紹介します~ラジオネームええっと……』

私は病院の駐車場に車を停め、キーを抜く。

さすが総合病院だけあって駐車場は広いが混雑しているのを見ると世界には怪我人病人が溢れているらしい。

助手席に置いてあるカバンを取り、混雑している駐車場を抜ける。


んー、いつ来たって慣れないな、ここ。

「あれ、あなた……」

ん、と声を掛けられた私は大きな自動ドアの前で振りかえる。
そこには赤い眼鏡がトレードマークの懐かしい顔があった。

「おう、和。久しぶり」

「やっぱり律だったのね。こうやって現場の格好をしてお互い会うの初めてだから一瞬誰かと思ったわ、律先生」

「スーツがそんなに珍しいかよ。それより私は白衣姿の方が新鮮だな、和先生」

と、私は白衣を纏う『先生』に笑い掛けた。

和はこの病院で医師として働いている。まぁ、まだ研修医らしいが。

「どうだ、やっぱり研修医は大変か?」

「ううん、そうね。色々と覚えなくちゃいけないし……けどやりがいはあるわ」

「言うと思った。和はいつだって頑張ってるイメージあるしな」

「そういわれると何かアレだけどありがとう。今日は澪のお見舞い?」

よく見ればまだ白衣に『着られている』和に尋ねられ、ああ、と頷く。

「さわちゃんにも行けって言われてさ。何か手渡されたし」

「さわ子先生が……まだ学校にいるのね」

「ああ、今だに人気者で恨めしいぜ」

「律だって人気あるんじゃない?カチューシャ取ったあなたも素敵よ」

そうか?と長くなり始めた前髪を照れ隠しで弄りながら、小さく笑う。
もうさすがにカチューシャの年でもないからなぁ、私達。

「じゃ、私仕事に戻るから澪とさわ子先生によろしくね」

「ああ、和も頑張れよ」

と、和は私に手を振り、別病棟へと歩いていった。

和も医者の卵か……あ、あれちなみに唯は今いずこに……?

多分、どこかでのほほんとやってるんだろう、と思いつつ、手続きを取りに病院内へと入っていった。



「はい、306号室の秋山澪さんですね、ではここにサインお願いします」

「たいなか…りつ、と」

「はい、ありがとうございます。そこのエレベーターから3階になりますね」

どうも、とペンを返し、慣れない病院の匂いを肺一杯に吸いながら、私はエレベーターへと向かった。

エレベーターの近くにはよくあるテレビを見るためのカードが売っていたり、灰色の公衆電話があったりとああ、病院だなぁと思えるアイテムを見つめながら私はエレベーターが下ってくるのを待つ。

あっ、何かメロンとか持ってくるべきだったかな?と今更に思いながら私は降りてきたエレベーターに乗り、三階を押した。

……………。

『三階でございます』

そうでございますか、と小さく呟きながらエレベーターから出、澪の病室を探す。

おっ、あった。306室、しかも個室か澪のヤツ。

「……律?」

病室内から親友の声がする。
「なんで分かるんだよ、澪」

と、私は病室の横にスライドさせる形のドアを開け、パジャマ姿の親友を見た。

「わかるさ、律の足音はがさつだからな」

「ふふん、これでもおしとやかになったんだぜ」

「嘘ばっかり」

まぁ、座れよと澪に言われ私は病室に入ると、近くにあったパイプ椅子に腰掛けた。

「お腹、大きくなったな」

「そうか?まだ5ヶ月だけどな」

秋山澪が先生にならなかったわけ。

それは結婚したからだ。


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