私はこれらの出来事をそれほど大きく捉えていた訳では無いけど、
危機感を感じて一つだけ、こんな生活の中でも自分に制約を課そうと思ったことが、本当に一つだけあった。

それはコカインに関してだ。


梓「私、マリファナの良さが分からないんですよねー」

律「それはそれで良いんじゃね?」

梓「後になれば、その時楽しかったのはそのお蔭かな、って思ったりしますけど」

唯「あー、効く境界がはっきりしないからかな」

梓「そうですね」


でも、コカインは違った。

ストローで鼻から吸い込んだ瞬間、私は飲み込まれてしまったんだ。

目の前がまるでマグネシウムが燃える時みたいに明るくなって…、何と言うか、私に合い過ぎたんだ。


小さい欠片を剃刀でさらに小さく細かくし、粉のようにしていく。

自分の鼻息で吹き飛ばさないように、息を必死で止めて。

その作業を粉雪よりさらに細かい粉末になるまで続けていって…。

さあ、準備OK。

これは、効き過ぎる。

私をあっという間にあの世に連れ去ってしまうことがすぐに理解出来た。

私は、必死の自制心を発揮してコカインを使わない事にした。

律先輩にも、唯先輩にも言い含めた。

律先輩はマリファナ主義なので、あまり心配は無かった。

唯先輩も「あずにゃんの頼みだもんね、気を付けるね?」と言ってくれた。

本当に危険過ぎた。

私達の少々ワイルド過ぎる生活はこう言う感じだった。

そんな中で、私は自分のアルバムを唯先輩に手伝って貰ってリリースした。

手伝って貰ったと書いたけど、唯先輩がエンジニア(それと様々な手助け)を担当してくれる事が無ければ出来なかったものだし、
まさにこれは「ゆいあず2」なんだ。

また一つ私の夢は現実になった。


この頃の唯先輩は神がかっている。

エンジニア、プロデュース、ライブetc、全てが凄かった。


ミキシングに関しては、唯先輩本人に取って基礎理論から勉強してってのは不本意だったのかも知れないが、
曲のクオリティコントロールと言う側面では良かったと思う。


この問題の発端は、エンジニアは職人だから、自分の経験則がアーティストの要望より優先されると思っている人がいたと言う割とつまらないことなんだと思う。

律先輩の話によると、「平沢唯」としての最初の曲の時、とにかくそのやり合いは凄まじかったらしい。


エ「何?キックをもっと前に出してくれって?」

唯「うん。もっと来る様な感じに…」

エ「駄目駄目。それじゃ曲が駄目になるよ」

唯「ならないよ…」

唯「違うの!それじゃベースラインが他のパートに埋もれちゃうよ!」


唯「でっかくミックスして欲しいんだってば!前のめりになって一生懸命に耳を傾けないとベースの音が聞こえて来ないような作りにしたくないの!」


唯「私がそれが良いって言ってるんだから、そうしてよ!」

そして、唯先輩はエンジニアを卓から突き飛ばし、勝手にフェーダーを上げ始める。

大喧嘩。

律先輩が間に入って何とか宥めすかしたのだが、そのスタジオには当然の事ながら出禁になった。

次のスタジオでも似たようなやり取りがあったらしい。


律「唯、少しは抑えて行かないとな?」

唯「だって、あの人の足元の床、擦り減って無かった」

律「は?」

唯「立って、ノリながらやってる訳じゃないって事じゃん。身体で感じながらやらないから、ああ言う事言うんだ」

ヘッドミュージックとボディミュージックの違いって事を言いたいんだろうか?



最初の頃のリリースにやたらリミックスが多いのは、単純に商売上のギミックと言う訳でも無くて、
元のバージョンにあまり満足がいってなかったと言うことも理由として大きかったのだそうだ。


これらの話から分かるのは、その天才性と言う事もだけど、
ネガティブな一面として唯先輩があまり他人の助けを必要としないように見えると言う事で、
この事が私達の行き先に関して大きく舵を切ったと言うのは間違い無い。


こう言う経験があるのだから、唯先輩が「スタジオ作りたい」と言い出す事には必然性があると思う。


だけど、律先輩の「ビルを買おう」は理解出来なかった。

どうして必要か、と言う事に関してもポジティブな理解は出来なかった。

結局、律先輩のプランニング通りになったのだけど。

「お金儲けするつもりは無いから」と言う言葉に押し切られたようなもので、私は昔から律先輩のそう言うちょっと強引な態度に弱い。

実際はどうか分からないけど「こうしてれば上手くいくから」と思わせるものがあるのも確かなんだ。


私はそう言う財務的な事柄に関しては、意図的に一切触れないようにした。

その分、純やその周辺の人間と一緒になっての新しいパーティの立ち上げや、サウンド面の作業にのめり込んだ。


律先輩の周囲に急激に増えた人たちが、私達の音楽をアクセサリーのように語ったりするのが、ちょっと気に入らなかったりしていたと言う事もある。

Don’t believe the HYPE!で無ければいけない筈なのに、私達自身をハイプとして売るような真似をする人たちと上手くやれる筈が無い。


梓「律先輩もまたドラム叩けば良いのに、そうすればさ…」

純「でも、梓はいつも『あの人は走りすぎだし~』って不満ばっか言ってたじゃん」

梓「そう言ってはいたけど、良いドラムだとも思ってたんだよ?」

純「そう言う問題じゃなくてさ」

梓「純の言いたい事は分かるよ。今は社長業務だってあるし、って事でしょ?」

純「ならさ…」

梓「それは分かってるけど…」

純「梓が戻ってきて以来上手く行ってるじゃん?全部が。それも全てさ…」

…。

分かってる、分かってはいるんだ。

純は大きくため息をつく。

純「梓はさ、律先輩の事『ハッパの事しか~』って言うけどさ、海外のディストリビュート先の最近の増え方とか、やっぱりあの人でなければ出来なかったんじゃない?」

違うんだ。

別に律先輩に不満を抱いてるとかでは無くて。

あの人の凄さは分かってる。

ハッパが云々なんてちょっと偽悪的な冗談じゃないか。

ただ、律先輩が私達に対して(勿論全てに対してもだけど)見栄を張る必要なんか無いんだ、って事を分かって貰いたいだけなんだ。


私達は(律先輩が強調していたように)「共同体」はずだったんだけど、最近少しギクシャクしてる事も否定出来ない。

そんな時、海外のプロモーターからのオファーがあった。

良いチャンスだと思った。

前のツアーの時のように、私達は(悪い遊びも含めて)また一体感を取り戻す良いチャンスだと思ったんだ。


前列に陣取る観客の着ているTシャツはBlack Flag、Bad Brains、7seconds、SOD、etc。
ブーイングで追い出されるんじゃないか、暴力行為がエスカレートして自分達の身も危なくなるんじゃないか。

そんな不安ばかりが私の頭をよぎった。

バックステージの隅でビビっている私を律先輩と唯先輩はからかう。

梓「なんでそんなに余裕なんですか!」

二人は笑うばっかり。


唯先輩は、その存在を良く知られないまま、ただライブに暴れに来ているような観客の前に立つ。

会場はネガティブな雰囲気を漂わせたまま。

1曲目が始まる。

バーン!!

1、2、3曲とライブが進む内に、明らかに雰囲気が変わっているのがわかる。

何時の間にか、観客達は絶叫し、飛び跳ねていた。

律先輩は何時の間にか私の横に立っていて、私にアイコンタクトを送る。

その目は「な、盛り上がっただろ?」と言ってるように見えた。

凄いとしか言い様が無いよね。

後で聞いたら、律先輩は逃走経路を用意したりと結構動きまわってたらしい。


私達がステージの成功ぶりに良い気分のまま会場を出ると、そこには何人かのハードコア・キッズ達が待ち伏せていた。

梓「ひっ!」

私の頭に「邦人ミュージシャン暴行される」と言うニュースが流れる。

だけど、そんな事は無かった。

明らかにフレンドリーな雰囲気で近寄ってくる。

荒れた英語だったので、良く分からなかったけど「最高だぜ」と言っているらしい。

私達は彼らに囲まれるようにして、バスに乗る。

バスがゆっくりと走り出しても彼らは興奮冷めやらぬ様子で手を突き上げている。

私達は顔を見合わせて、爆発する。

本当に最高だった。


勿論、こんな風に幸福な場合ばかりでなく、あまり良くない終わり方をする時もあった。

興奮した観客が割れた酒瓶を持ったままステージによじ登る。

その客は、警備員に即座につまみ出されたが、ライブはお開き。

楽しみを中段された観客は暴動寸前。


ライブ直前、セキュリティを担当していたギャングのメンバーが敵対するギャングに駐車場で殺されたと言う。

ライブは中止。

私達は控え室の壁を手を痛めない程度に叩くぐらいしか、むしゃくしゃを晴らす方法が無い。

ポジティブに考えれば、ライブ中に敵対ギャングが乱入して来るような状況に巻き込まれなくて良かったよね、って話かも知れない。


空港で突然の予定変更を申し渡される。

?「ハイ、君達を招聘したプロモーターはここに来る事は無い。僕らと一緒に来てショーをするか、ここで引き返すか、(あいつらは手を拳銃の形にして!)バン!さあ、どれにする?」

私達を呼んだプロモーターのライバルプロモーターの車に乗せられて(これはもう誘拐と言って良いような感じ)、
競争相手のライブハウスでライブをする。

出来はばっちり。

予定されていた金額の二倍のギャラと丁重な感謝を受け取って、上等なリムジンで送迎されて空港へ。

多くの幸福な経験とタフなトラブル。

それらは私達を成熟させたし、それに再び初期衝動を取り戻す助けにもなった。

それだけで済めば、私達はもう一度HTTを始めた頃のようになって日本に帰れたんだろうと思う。

でも、そうはいかなかった。

ロックンロールにありがちなナイトライフの誘惑が全てをぶち壊した。


律先輩がホテルに着いた途端に吐き出して、一晩中吐き続けた結果病院に運びこまれるなんて事があった。

その日は一滴もアルコールを入れていないのに、突然そうなるんだからその不摂生の程が分かるってものでしょ?

別に律先輩を責めてるんじゃない。

だって、私達全員はいつもへべれけになっていたし、いつも笑顔が貼り付いていたんだから。


唯「うい~、あいす~」

唯先輩は特に山のようにスピードをやっていた。

量が少なすぎると病気になるとでも言わんばかりに。

まさか、アイスがスピードを意味するスラングだからって言う理由じゃないよね?

ははは。

いくら、唯先輩だからって、まさかね?

久し振りに日本に帰ってきた時、唯先輩は酷い事になっていた。

何とかしなければいけなかった。

まず、律先輩に相談した。

表面的には共犯者のように。

では、心の中は?

信頼出来ない。

律先輩の「知り合い」が良くない。

私達の周りにはそう言うものを容易く手に入れるルートがあった。

それは二人がメジャーでやっていた時に出来た繋がりで…。

ああ、もうはっきり言おう。

律先輩のセレブ気取りでフレンドリー(ここは通常なら美点なんだろうけど)な態度は、そう言う人間を呼び寄せ過ぎていた。

そんな人たちのいるところでは止めさせることなんて出来やしない。


私はレコーディングを口実に唯先輩を引き離す事にした。

律「ああ、良いんじゃないか?海外レコーディングなんて唯も楽しめるだろうし」

簡単に了承。

拍子抜け。

でも、これが律先輩の良いところだ。

律「あ、そうだ」

梓「何です?」

律「唯にハードドラッグは控えめにさせるようにしないとな」

…。

律先輩も少しは危機感を共有してくれているらしい。


次は唯先輩に。

梓「向こうのエンジニアスタッフと作業してみたくありません?」

唯「楽しいかも」

梓「でしょう?それに、ほら前メールくれた人いたじゃないですか。インディーレーベルやってるって言う」

唯「あ、うん、あそこのレーベル良いよねー」

梓「あそこからミックスCD出してる人を純のパーティに呼んだ事があるんで…」

唯「一緒にやりたい!」

唯先輩はちょろい。


私達は意気揚々と旅立った。

だが、そのテンションは長続きしなかった。


唯先輩はスタジオに入ったが、何の作業もしなかった。

私や何人かの人間がアイデアを出したものの、頷かなかった。

唯「うーん…、そうだなあ…。あー、でも、ちょっと違うんだよねー…」




気晴らしにと連れだしたプールやビーチでも、唯先輩の気が晴れる事は無く、その眉間に皺を寄せ続けていた。


唯先輩はついにはスタジオにも入らず、ホテルの部屋に閉じこもるようになる。

私はどうしたら良いか分からず、ただ隣の部屋で待つだけの時間を過ごした。

こんな時、律先輩ならどうしただろうか。

メジャーでやっていた時、唯先輩は塞ぎ込む事も多かったと言っていた。

今みたいな感じだったんだろうか。

不安ばかりが募り、今回の海外行は失敗だったんじゃないか、と言う思いが首を擡げて来る。

馬鹿な事!

…?!。

そんな時、隣の部屋から破砕音がした。

梓「どうしたんですか!?」

私が部屋に飛び込むと、唯先輩は額から血を流して立っていた。

唯「あずにゃん…?えへへ、ガラス割っちった…」

梓「唯先輩?!」

唯先輩の部屋の姿身にひびが入っていた。

唯「ごめんね、びっくりさせちゃったよね…?」

梓「そ、それより手当てしないと!ガラスは散らばって無いですよね?!」

唯「そんな慌てなくても、だいじょぶだよぉ…」

梓「大丈夫じゃないですよ。ほら私が片付けますから、まず傷口洗って来て下さい」

唯「でへへ、すいやせんねえ…」

唯先輩はバスルームにのそのそと入っていく。

私は三日振りに見る唯先輩の姿に愕然としていた。

その憔悴振りは一目で分かるものだった。

私は、むずがる唯先輩を無理矢理ベッドに寝かしつけた。

梓「取り合えず、今日は休んで下さい」

唯「でも、曲書かないと…」

梓「今日一日ぐらい休んでも罰は当たりませんから。どうせ、律先輩はハッパパーティでもやってるんですから」

唯「ふふ、そうかもね…」

梓「そうですよ」

唯「でも、りっちゃんはきっとHTTのために頑張ってるよ…」

梓「ええ、きっと頑張ってるでしょうね…」

唯「そうだよ、私達のリーダーだもん…」

…。

梓「じゃあ、電気消しますね?」

唯「あ、あずにゃん、ちょっと…」

梓「何です?」

唯「眠るまで手繋いで貰ってて良い?」

…。

梓「ええ、構いませんよ。手ぐらい幾らでも」

唯「ありがとうね…」



私の誤算は二つあった。

一つ目は、唯先輩にスランプが来るなんて事は有り得ないと考えていた事。

何時だって、唯先輩は私を導いてくれていた。

そんな事考えもしなかった。


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