律「お疲れさまでした」

スタッフ「お疲れしたー」

まったく、唯の奴。

本番でアレンジをいきなりいじって来るか?

今日は必要の無いはずのギターを背負って出て来た時点で気付くべきだったんだが…。

でもでも、あんな遅刻寸前の入りって状況でそんな事にまで気付けってのは無理だろ?

今日はキーボードってのが唯のやるように言われた楽器だった。

キーボード弾き語り。

レコード会社が唯をどう売り出したいか分かるやり方だ。

バックバンド有りでってのが悪い方向に作用した。

スタッフの目を盗んでバンドメンバーと打ち合わせ。

少しでも音楽を齧ってる奴は唯の言い出す事の面白さが分かってしまう。

結果、録音されたものとはまるで別のものになる。

唯「りっちゃん、疲れたー。早く帰ろー。行ってるよー?」

律「ああ、今日は私も直帰だから…、ん?」

スタッフ「田井中さん」

律「あ、はい、何か?あー、唯行ってて?」

唯「ほいほーい」

律「えーっと…?」

スタッフ「あ、あの、今日の唯さん、CDとは全然違う感じでしたけど、凄く良かったです…」

律「あ、ありがとうございます…」

あー、唯?私達は自信を持って良いみたいだぜ?

スタッフ「それで、このバージョンで今度出るアルバムとかに収録されたりするんですか?」

さてと…。

律「あー…、それはですね…、あはは…」

ちょっと気まずいね、色々と。

スタッフ「そうなんですか…。いや、CDのバージョンより全然良かったから、惜しいなって…。あ、CDの方も良いと思いますけど、個人的には今日の方が好みかなって」

律「あはは、良いですよ。アフレコにしときます」

スタッフ「…すいません」

唯「りっちゃん、店側の人と何話してたの?」

タクシーが走りだすまでは、硬い表情。

2人きりと言う事でやっと口を開く。


唯は唯なりに気を使ってんだよな。

だから、外では不満を口に出さない。

レコード会社にも事務所にも、きっとメジャーデビューを勧めたり、マネージャーを買って出た私にも、不満はあるんだろうけど。

今日みたいなのは…。

まあ、耐えられないよな、全てをコントロールされるってのは。

だから、少しぐらいは発散したくなるよな。

律「いや、大した事無いよ」

唯「なら話してよ」

律「あー、そだなー…」

唯「気になるよー」

律「えっとな、今日やったアレンジの方がCDの奴より良かったってよ」

唯「あー…、そっか…」

おーおー、嬉しそうな顔しちゃって。

気持ちは分かるけどな。

唯「何かさ、りっちゃんとデモ作ってた時の方が楽しかったんだよね」

律「今は?」

唯「どうかなー?」

律「冗談はそんぐらいにしとけー?」

唯「冗談なんかじゃないよ」

唯の表情も声も見ない振り聞こえない振り。

だから返事もしない。


律「ほら、着いたぞ」

唯「りっちゃん…」

律「明日からまたアルバムの作業だからな。遅れんなよ…、いや、明日は不安だから迎えに来る。12:00に来るからちゃんと起きて顔洗うぐらいはやっとけよ」

律「ん?どうかしたか?」

唯「りっちゃん…、あのさ…」

律「ん?」

唯「何でも無い…」

律「今日は早く寝つけると良いな。じゃな」



私達はほんの少しだけ夢を見て、その夢が長く続く事を祈ってた。

その夢はいつの間にか悪夢になって、私達の中の一番才能ある一人を浸食しつつある。



律「おはよございまーす!」

スタッフ達「あ、おはようございます!」

唯は昔のような陽気は無くボソリと

唯「おはようございます…」

プロデューサー「唯ちゃんおはよー。今日もよろしくねー」

律「おはようございます」

プロデューサー「りっちゃんもおはよう」

プロデューサー「はーい、OK」

唯「はい…、ありがとうございます」

プロデューサー「じゃ、少し休憩しよっか?」

唯はすっかり不機嫌そうなオーラを纏うミュージシャンと言う感じになってしまっている。

だから、その本当の感情に周りが気付かなくても無理は無い。

プロデューサーもミキサーもスタッフの全員に罪は無い。

ここに連れて来てしまった私に、そして一人唯の苦痛に気付いてしまう私には罪はある。


P「りっちゃん、ここ良い?」

律「あ、はい」

プロデューサーは私の横に腰を下ろし、コーヒーを啜る。

唯は休憩だと言うのにブースの中に入ったままギターをいじっている。

最近ではスタジオに入る日に笑顔を見せる事は無い。

差し入れのお菓子を口に頬張る事も無い。

唯らしく無いその姿に私の心は痛む。

P「僕らはさ」

律「あ、はい」

P「僕らはさ、楽で良いし、それにまあクオリティコントロールの面でも問題無いんけどさ…」

律「はい」

P「いや、こんなに楽な子って初めてだなと思ってね」

?!

P「いや、悪い意味じゃなくてさ、何となくね」

そうしてプロデューサーはまたコンソールの方へ戻って行く。


なあ、唯。

お前の衝動が周りを傷つける程に育つのと、お前が擦り切れてしまうのとどっちが早いんだろうな?

ほとんどのバンドが音楽業界に入りたいからステージに立つ。

ロックスターになりたいから、と言い換えても良い。

そう言うバンドは周りを傷つけない。

ただ、私は唯に気付かせてしまった。

平沢唯はアーティストで有ると言う事に。

あるのは表現衝動だ。

だが、その衝動の正しさ、尊大さは時に人々を傷つける。

例えば、それを抑えてしまうとしよう。

だが、それは太平洋を跳ねるマグロの泳ぎを止めるようなもので、窒息してすぐにも死んでしまうだろう。

私はどっちを選ぶべき?

「YUI」のファーストアルバムはそこそこ売れた。

業界全体でパッケージが売れない時代だからと言うのもあるが、初登場オリコン10位以内にも入った。

シングルの時よりは唯のアイデアも生かされたのも事実だ。

でも、やっぱりこれは唯の作品じゃない。

CDが売れた事が、唯にとっても、そして私にとっても思い描いていた喜びを与えてくれるものじゃないってのは、不幸過ぎる話だ。


私達は唯のアパートで2人だけの打ち上げをする。

六本木の創作料理店の個室で?

柄じゃないだろ?

スタッフ全員で?

一生懸命にやってくれている彼らにどんな顔を見せたら良い?

幸い、事務所の契約してくれた唯の部屋は部屋数が多くてさすがの唯も汚しきれないので、居間で飲むには問題ない。

唯・律「乾杯」

律「オリコン7位だってさ」

唯「…うん、良かったよね…」

私達はお互いに次の言葉に詰まる。

2人ともこのアルバムに、と言うか全てに満足してない事が分かり過ぎるほどに分かっているからだ。

それでも、酔いが回ってくればそれなりに本音は出てくる。

唯「だからさぁ、遠まわしに糞だよ、fuckin’だって言ってるのにさぁ…、ホント分かって無いのかなぁ」

律「ばっか、分かっててもそこは見ない振りってのは、やつらの一つのやり方でさ…」

唯「ちょっと待ってて」

スタッフの悪口にも飽きが来た頃、唯が隣の部屋に駆け込む。

唯「じゃーん。な~んだこれ?」

小袋を持って戻って来る。

「芸能界」に足を突っ込んだ中で良かった唯一の事は、こう言うものを比較的自由に使えるようになった事だ。

唯「ねえ、りっちゃん。こう言うのってさ、もしも対処出来るなら素晴らしいものだと思うんだよね。その事を理解して…、信じてさえくれれば、ベローナベラドンナってさ、アハハ…」

律「なんだよ、アイスじゃなくて良いのか?アハハ…」

唯「私の好きなアイスはアイスだけだよぉ、ウフフ…。りっちゃんはマリファナ派なんでしょ?私は俄然ハイブリッドだね。何でもありっでって…」

律「ばっか、その決めつけだと、私がヤリマンみたいだろ?パンツの中のコンドーム詰めにされたものが、太平洋を渡ってくるのを待ちわびてましたって?ハハ…」

ただひたすらに酩酊感に酔う。

唯も私も。

取り合えず、バッドトリップのような日々とさようなら。


窓から光が差し込んでいる。

目が覚めると、日が昇る所だった。

私は目を細めて太陽を見る。

ここにいたら喉がつまりそうなる。

そうだ、どっか別の場所に行く事にしよう。

ファーストアルバムの売上を考えれば会社は契約の延長を提示してくるだろう。

だが、そんなものは糞喰らえだ。

マーケティング?パッケージ?クオリティ?そんなものはくれてやる。

良く分かってる連中がやれば良い。

お前らの仕事だ。

でも、素晴らしい曲を書いて、人々を魅了するアートはミュージシャンのものだ。

それはお前らの仕事じゃない。

唯が眠そうに目を擦りながら、起きて来る。

唯「もう、朝?」

律「あぁ」

唯「朝だね、りっちゃん」


律「朝だな、唯」

唯「新しい朝かなぁ?」

そうさ、新しい日々の始まりだぜ。

律「なぁ、唯?」

唯「ん?」

律「止めちまうか?」

唯「りっちゃんに任せるよ」

らしく無かったってことだ。

私は唯の才能を皆に届ける手伝いをしてやるんだ、と粋がっていたけど、
実際には何の力も無い雇われ監督で、ただ唯を間違った方向へ進ませる事に協力して来ただけだった。


独立騒動?芸能界を干される?

勝手にすれば良い。

最後までやる事に決めたんだ。

くたばれショウビズ。

中指でも喰らえ。



「『YUI』と言う名称は使わせないぞ」

どうぞ、それはあんた達のものだ。

私達と、少し大袈裟な言い方をすると時代に必要なのはアートであって。

その貴方がたが作り上げた名前は、貴方がたにお返ししよう。



律「他のとこのA&Rを待つか?それとも…」

唯はあからさまに嫌悪の表情を示す。

唯「上手くしてくれるなら良いけどなぁ…」

律「ですよね~」

これは高校時代からの口癖だ。

別に唯がアーティストだからへりくだってる訳じゃない。

私は、あのスタジオでの事や高校時代の出会いの事を思い返す。

その選択の基準はどこから来たか。

有りがちな話なのだけど、きっと言葉よりもっと深いところ。

言語化は出来ない。

だが、それでも自信がある。

それに続く言葉はこうだ。

なるほど、それならやって見たまえ。

そうしよう。

パンクが世界にもたらしたもっとも素晴らしい発明品は何だったか?

DIY精神。

つまり、手前でやってみろって事なのだ。


律「自分達で出そう!」

唯「うん、私もそう思ったところだよ!」



その夢がもう少しだけ長く続くように。

いや、終わらないようにとしておこう


律「唯が曲を作る」

唯「私がアーティスト」

律「そして私がそれを売る」

律、唯「ギャラは?」

律「5:5で」

七三じゃないよな。

唯「レーベル名はどうするの?」

唯がニヤニヤする。

きっと、同じ事を考えてる。

律「いっせーのせで言おうぜ」

律、唯「HTTレコード!」

爆発!

良い感じじゃないか?

私たちはこうでないといけない。

レコード会社との取り決め通り、「YUI」の名前は出さない。

まったくの別人だから。

彼女は死んだ。

そして平沢唯は蘇る。


良い音楽ほど売れない。

こう言う決まり事は時に覆される。

売れたのだ。

「YUI」程では無いが、ちょっとした話題になるような売れ方をした。



マキシシングル。

一枚につき、ワンアイデアツーアイデアスリー…、無数のバージョン違い。

こう言うやり方も一役買った。


何枚プレスしますか?

唯「2万枚で!」

それは素晴らしすぎるアイデアだ。

凡人の頭からは出て来ない。

よし、やってみよう。

唯が自信があるのなら、私は反対しない。

それがHTTレコードのやり方だからだ。


レーベル立ち上げ、レコーディング、プレス、プロモーションその他諸々。

唯がメジャーで稼いだ金は全て注ぎ込まれた。

私の稼ぎも注ぎ込まれた。

家族に頭を下げて借金した。

そして、その結実として目の前に積まれた2万枚のCDケース。

唯「冒険し過ぎだったかも知れないねー」

今更?!

馬鹿ヤロー!!


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