律「わるいわるい、店長との話が長引いちゃってさ」

私は、ライブハウスのブッキングを終え、いつもの気分でスタジオに脚を踏み入れる。
ちょっとした違和感。

唯はソファーでだらだらしながらギターをいじっている。
ああ、口の周りにチョコが…。

袖口で拭って…。

あーあー…。

唯はびっくりするぐらいいつも通り。

澪は、ベースをケースから出しもせず椅子にすわっている。

いつもと同じように見えるけど、ちょっと緊張した面持ち。

他の奴なら見逃しちゃうかも知れないけど、私は見逃さない。

長い付き合いだしね。

律「あれぇ?澪ちゃん、なんか心配ごとかーい?」

わざとおどけて。

2人きりの時を選んでって、感じでも無いだろ。

だって、こっちから話かけて欲しいって顔してたし。

良く分かってるさ。

これも長い友情の賜物。

ふふ、緊張してる。

澪は緊張しいだからなあ。

澪「な、なぁ、律、唯」

唯「なぁにぃ?」

律「んー?」


私はちょっとだけ嫌な予感。

澪「バンドミーティングしないか?」

唯「えぇぇっ!!バンドミーティング?!」

私も唯と同じぐらいに驚いている。

まあ、唯ほどは表に出ないけど。

バンドミーティングって言葉ほど、ロックンロールの世界で恐れられている言葉があるか?

私は「バンドミーティングしたい」ほどロックンロールの世界で恐れられている言葉は無いと思う。

唯「んで、バンドミーティングって何?りっちゃん?」

律「って、知らないで言ってたのかよ?!」

私は、まさかそう言うバンドミーティングでは無いだろう、と言う期待もこめて、おどけてみせる。
勿論ショックを隠すためってのもある。

律「バンドミーティングってのはロックンロールの世界で最もシットな言葉だよ、なぁ澪?」

澪からは返事が帰って来ない。

唯「シット?嫉妬に狂うって事?んー?」

律、よしよし唯はそう言う次元だよな。

もっと悩むと良い。

その間に私は澪と話をしなきゃいけない。

律「ミーティングってどう言う事だよ」

澪「こ、言葉通りの意味だよ」

律「なんだよ、それ」

澪「だから、お祭りもそろそろお終いにする時期じゃないかと思って」

律「最近は、ライブだってやっと埋められるようになって来たじゃん。物販のCDだって、それなりに出るようになったしさ。今がその時期ってのはおかしい。大事な時期の間違いだろ」

澪は私が強調したライブの下りを鼻で笑う。

澪「そんなバンドが全国にどれだけいると思ってるんだよ」

そう言う言い方に理屈で反論出来る言葉は無いよ?

でもさ…。

律「はぁ?約束したじゃん。2人で約束したじゃん。目指せ武道館って」

澪「どうやって武道館でやるクラスのバンドになんの?そのためのタイムスケジュールはきっちり出来てんの?デモテープ送っても無しのつぶて。オーディション番組も一次審査で落選。恥ずかしいの堪えて動画サイトにアップしたのだって…」

あれは失敗だった。

叩かれて炎上するならまだましで、閲覧数が三桁ってのは悲しすぎた。

澪「まさか、今度のライブにいきなり大物プロデューサーがお忍びで来てて、それでデビュー決定とか?あり得ないよね」

律「要するに、HTT捨てたいって事かよ」

澪「捨てる?何で私にだけそう言う言い方するんだよ?ムギの時は何も言わなかっただろ。梓の時は?」

律「あ、あれは…。だって、ムギは留学だし、梓は東京の大学に進学するから…」

澪「それと同じ。私はただ、それが就職って言うだけで」

律「だ、だったら、別に辞めなくても…」

澪「律はプロになりたいんじゃないのか?プロって本業持ちが趣味でやっててなれるようなもんなの?」

私は今度こそ、言葉が出ない。

唯「澪ちゃん…?」

唯はようやく、言葉の意味が分かったらしくおろおろしている。

澪「それに…、私なんかいなくても…」

律「澪?」

澪「そう言うことだから」

律「あ、おい待てよ!澪!」

足が出ない。

追いついても澪にかける言葉が無い事を私の気持より身体の方がずっと理解してるからだ。

扉がゆっくりしまる。

くそ、防音扉ってなんであんなにゆっくり閉まるんだよ。

ガチャンって勢い良く閉まってくれれば、私の気持ちだって軽く断ち切ってくれる感じがするのにさ。

何で、こんな時に限って三時間パックで取っちゃったんだろな。

つーか、澪の奴、三時間パックの時に言い出さなくったって良いだろうにさ。

律「さて…、っと。こうしてても練習する訳じゃないし、取り合えず出ようぜ、唯」

唯「あ、うん…」

放心状態の唯に声かける。

泣く余裕も無いって感じだな。

律「あ…」

澪の座ってた椅子を見ると、足元にベースのケースが置きっぱなしになっている。

律「ははは、ベース置きっぱじゃん。冷静に見えたけど澪も随分テンパってたんだろうなー…」

これ、どうしたもんかね?

家に届けてやるって?

私だってそんな図太い訳じゃない。

せめて3日は間を置きたい。

唯「あ、それ私届けるよ…」

気が利くな。

唯、やっぱお前、最高だぜ。

律「そっか…」

唯「澪ちゃんもそっちの方が良いと思うし…」

律「ありがとな」

唯「うん」

律「じゃ、替わりといっちゃなんだけど、片付けとかは私がやっとくよ」

唯、その笑顔は苦笑なのか、作り笑いなのか?

唯「お言葉に甘えましてー」

律「おう、任せとけ」

いつもなら、唯が食べ散らかしたスナックの食べかす紙くずやらが結構あるんだけどな。

今日はほとんど無くて楽勝だ。

毎回今日みたいだったら、澪も片付け楽だったろうな…、ふふ…。

澪、どうして…。

どうして?

数時間前まではそんな事考える必要無かった。

十数年に及ぶ友人関係によって、そう言う自信を育んで来ていたから。

澪はこう考えてるだろう、こうしたらこう反応するよな、だから私に任せておけば大丈夫だって…。

ただ、どうやらその自信は脆い地盤の上に立っているものでしか無かったみたいだ。

律「うぅ…、澪ぉ…、どうしてだよぉ…」

希望や夢も時には眠りに就く。

私の希望と夢は眠りに就いた。

その時初めて知ったのだが、人生は常にこう言う危険と隣り合わせらしい。


引き籠ってから何時の間にか一週間がたっていた。

一日の終わりにバイト先のレコード屋と唯からの電話が何回あったかと言う着信履歴を数えるだけの生活。

どれだけ着信があったかと言うのを知っているのに、電話に出ないでいると言うのは時にとても疲れる。

分かりやすく言うと、ある種の精神力を要求される。

そう言うときは我慢するべきでない。

すぐ、唯からの電話に出るべきだ。

律「唯か?」

唯「あ、りっちゃん?やっと出た…」

律「何か用…」

唯「あ、あのさ!その…、スタジオ取ったんだけど…」

正気?

3ピースバンドでメンバーが一人抜けて、デユオになっちまって?そんでバンドを続けてくかどうかって言う状況なのに?

練習?

何のために?

唯「ライブハウス予約入れちゃったでしょ?今からじゃキャンセル料発生するでしょ…?だから、それ用の練習を一応、ね?」

律「あ…」

すっかり忘れてた。

律「で、でも…」

唯「とにかく、来てね!」

律「あ、唯、待てよ!」

唯の奴、なに考えてんだ…。

良いさ、どうせキャンセル料を払うんなら、唯の考えってのを聞かせて貰ってからでも一緒だ。

スタジオレンタル料が余計に増えるのは気にしないでおけ。

膝の抜けたスキニーデニムと毛玉だらけのパーカー。

髪は寝癖も直さずヘアバンドで上げただけ。

私はまだロックスターなどではないのだから、身なりよりも友の元へ駆けつける方を優先するのさ。

律「おぃーっす」

唯「あ、りっちゃん!」

律「一週間振り」

唯「うん」

律「ベース届けた時、澪、なんか言ってた…?」

唯「いや、あ…、うん…」

唯は言い淀む。

ん?

律「まぁ、良いや。少ししたらどうか分からないけど、すぐ意見を覆すような奴でも無いし…」

あれ?唯、ギター変えたのか…?

違う、ベースだ。

律「唯?」

唯「ああ、これ?リズムセクションの方を固めた方が良いでしょ?だから」

唯はちょっと拙いながらも私達の曲のベースラインをちょっとだけ弾いてみせる。

唯「どう?ちょっとは弾けてるかなあ…」

律「ちょっとって…。凄ぇじゃん!!」

唯「えへへ…、あ、あれ…、涙…」

唯、照れるのか泣くのかどっちかにしろよ。

唯「あれ…、りっちゃん…」

なんだよ。

唯「りっちゃんも涙…」

うるせー。


澪がいなくたって、The show must go on。

人生は続いていくんだぜ、ベイベー。



唯「ギターソロのところはオミットしちゃって…、いや、今思いついた!そこだけキーボードを私が弾いて代替させるの。ギターとベースを持ち替えるのは難しいけど、ベース首に掛けながらでも、キーボード押さえるぐらいは出来るし」

律「そ、それで?」

私は音楽を始めたばかりの頃みたいに少しドキドキする。

唯「一応、うわモノは打ち込みを入れれば厚みが出せると思うんだ。ただ、それだけだと弱いから…」

唯は高音部を押さえて、ベースでメロディラインを奏でる。

唯「ね?ね?ちょっと、良いでしょ?」

律「ああ、うん」

私は唯のアイデアにうっとりとする。

私の夢はもう一度蘇る。

この場合は三日後じゃなくて、七日後だったけど。

ここで言いたいのは宗教が生まれた時の話じゃない。

単純に禍福は糾える縄の如しで、つまりは物事は流転するという話。

私は楽天的な方だけど、でもああ言う事が有ったあとで手放しで喜んでいたらただの馬鹿だ。

そう、もっと重要な事があった。

律「そこまでして私達バンド続けていくべきなのか?」

梓もムギもいない、澪もいなくなって…

唯「当たり前だよ!」

律「だ、だって、もう2人しかいないんだぞ?みんないなくなっちゃって…」

唯「そうしないと、皆が戻って来る場所が無いじゃん!ここでライブしなかったら、本当にHTT無くなっちゃうよ!」

唯、凄いな、お前…。

律「あ…、あぁ、そうだな…。もしかしたら、澪も戻って来るかも知れない…しな」

唯「うん…、澪ちゃんも…ね」

ん?

まあな、澪だって何時かは戻って来るかも知れないよな。

律「今回は色々唯に教えられたなー?」

唯「あはは…、あ、バイトの時間だ!じゃあまた次の練習日にね!」

律「お、おう」

ははは、慌ただしいね。

また、戻って来る。

そう、あの夢を追いかける日々が戻って来るのだ。

律「唯の奴すげーな…。いきなりあれだけ弾けるなんて。絶対音感のたまものってやつか?」

いや、違う。そんな事じゃないんだ。

音に新鮮さを与えるのはテクニックじゃない。

アイデアと衝動。

ノせられるなら何でも良い。

ベースでメロディーラインを弾くなんて見渡せばそこそこあるスタイルだ。

でも、澪が中心を取っていた今までは出て来なかったスタイルでもある事も事実だ。

まだ私達が軽音部だった頃、今よりも皆稚拙で、特に唯なんか、3コードを押さえる事すら怪しかったころ、あいつが掻き鳴らしただけで風景が大きく変化したのは何故だ?

私は、ちょっと怖い想像に辿り着く。

律「澪は…、この事に気付いてた…?」

私の意気込みとは反対にと言うか、残念ながらライブの入りは散々だった。

澪の手売り分が丸々無くなったのが痛いし、ましてそれがVoもやるメンバーの分なのだから尚更だ。

フロントメンバーが脱退しました!残り2人で活動していきます!

これには数少ない固定ファンもがっかりしてしまう。

唯「良いライブだったよね?人、少なかったけど…」

律「でも、最高だったろ?」

唯「うん、良かった」

律「歴史に残るよ、きっと」


さて、こう言うポジティビイティはどうだろう?

伝説のライブはしばしば観客が少なくて、観客もまた後々担い手として共犯関係になるなんて話。

つまり、こう言う事だ。

人数が少なければ少ないほど、歴史的な意味が増す。

最後の晩餐は12人。

私たちの方が勝っている。

大事な事だから、もう一回言うね。

律「歴史に残るよ、きっと」

唯「ね、りっちゃん、ドリンクバー取って来るけど、何が良い?」

律「そだなー、コーラかなー」


さて、これからだ。

どうしたら、良いんだろう。

澪に指摘されたように、私は漠然とし過ぎていた。

そんな怠惰な楽園がずっと続くと思い込んでいた。

私はライブの打ち上げだと言うのに、今日の事よりも次の事ばかりを見ている。

ここにいない澪との過去よりも未来ばかりを考えている。

どうしたら良いか。

澪が出て行ってしまった事で気付かされた。

そう、もう気付いている。

気付いて…。

律「おい、唯…。人が考え事してる時にジュースブクブクするのは止めろよ」

唯「だってぇ、りっちゃん、ドリンク持って来たのに全然反応してくれないからさ」

そりゃーなー…。

律「なぁ、唯。これからどうやって活動していく?」

唯「え、なに、急に…」

律「だからさ、今までみたいに漠然としてたんじゃ駄目かなって…」

唯「まあねー」

律「おい、そこはちょっと否定しろよ。私のリーダーとしての資質がって話になっちゃうだろ?」

いや、五人が二人になってる時点で資質はもう疑問符どころでは無いのも事実だけどさ。

唯「えへへ…」

律「でさ、ちょっと考えたのは、ライブを休止してデモテープ作りに本格的にシフトして見ようと思うんだよ」

唯「デモテープ?」

律「あからさまにがっかりした顔するなよ…」

唯「え、私、そんな顔してた?」

分かりやすい奴。

ま、それが唯の良いとこなんだ。

律「そりゃあ、ライブは楽しいよ。客と私達。気の合ったメンバー。そこにケミストリーが生まれて、バーンっと…。でもさ、今のままじゃ次に繋がらないって言うか…」


そうだ。

今までは、今が続く事ばかり願っていた。

でも、何時の間にか次の事ばかり考えるようになっている。

夢が続くとはそう言う事だ。


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