*
喫茶店の端の席に座っている学生っぽい男性が、洒落たデザインのパソコンを操って、熱心に何かを打ち込んでいる。
「何見てるのよ」
「ん。いいな〜新しいパソコン欲しいな〜って」
「要らないでしょ。唯にパソコンが使いこなせるとも思えないし」
「…いや使うよ。ネットとかさぁ。するし」
「わたしの家にある古いやつあげようか?」
「要らないよ。古いやつって動くの遅いでしょ」
「唯にはちょうどいいと思うわ」
「失礼だなぁ和ちゃん…ちなみに聞くけどOSは…」
「『2000』よ。弟が去年まで使っていたのが余っているわ」
和ちゃんは眉一つ動かさず、真面目そうな顔をして喋るけれど、確実にわたしのことをバカにしている。そう確信した。
わたしが今使ってるの「7」だし!いくらなんでも古すぎだし!
「…あーでもできればMacがいいな。かっこいいし。澪ちゃん使ってたし」
「澪は関係ないでしょ。使いやすいんだからWindowsにしときなさい。『普通』はそうするわ。その方が使いやすいもの」
ま、そうかもね。
そう思って、アップルティーを一口啜った。
…あんまりおいしくない。
学生時代ムギちゃんの淹れてくれる紅茶を飲み過ぎたせいか、すっかり紅茶の味には厳しくなってしまった。
「ところでアンタ、先のこととか考えてるの」
「…先って?あ、まぁ考えてるよ〜」
「…じゃあ言ってごらんなさいよ」
「えー。働いてお金稼いで、税金納めて、残りのお金でおいしいもの食べたり…休みの日にはギー太弾いたり、憂とお出かけしたり…」
「…今と何が違うのよ」
「一緒だよ。ずっとこのまま、今のままでいられたらいいな、って」
「全然考えてないじゃない」
「そっかなぁ…」
和ちゃんが大きくため息をついて、コーヒーカップをテーブルに置いた。
喫茶店の窓から外を見ると、道行く人の群れにマフラーを巻き、コートを着込んだ人が多いことに気がついた。一週間前はもっと暖かかったのにな。
道沿いに植えられた銀杏並木は、下から真ん中あたりまでが黄色に染まり、上に行くほどまだちょっぴり緑が残っていて、鮮やかなグラデーションを見せている。
街は、季節の移ろいを映し出していた。
「もう一つ聞くわね。今、付き合ってる人はいるの?」
「ん〜……さて、どうでしょう??YesかNoか!?」
「もったいぶってんじゃないわよ。どうなの?いるの?いないの?」
「彼氏はいないよ」
「わかったわ。じゃあ単刀直入に言うわね。お見合いしなさい」
「…………エ?」
「アンタがオッケーしてくれたら、すぐにでも話を進めるわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。なんで?なんで急にお見合い?
まだわたし20台だよ?そんな焦るような歳じゃないよ!」
「だからよ。このままズルズル歳だけ取ったらアンタみたいなの貰ってくれる男なんて誰もいなくなるわよ」
「和ちゃんシドい!これでもモテなくはないんだよ!」
「その歳で彼氏いないのに?」
「うっ、まぁそりゃそうだけどその気にさえなれば…」
心の中で指を折って数える。
最後に付き合った男と別れてから、どれくらいの年月が経っただろう。
「それなら早くその気になりなさい。いつまでも今と同じだと思ってたら痛い目に合うわよ。心配してるの」
和ちゃんが専業主婦になったことはすごく意外だった。
てっきり一流企業に勤めたり、弁護士とか医者とかになったりして、バリバリ働くイメージだったから。
大学院の博士課程在学中に学生結婚。今や二児の母。この少子高齢化社会で実に立派なことです。頭が下がります。
「…ま、とか言いながらわたしは正直唯の好きにすればいいって思ってるんだけどね」
「え、あ、そうなの?」
「そりゃそうよ。唯の人生なんだから、唯の好きなようにした方がいいに決まってるじゃない」
「じゃあなんでさっき、あんなこと言ったの?」
「ウチの親もとみおばあちゃんも、周りがみんなが心配してたから。一応、ね」
「ああ、なるほど。もしかして憂にも同じこと…」
「ええ、先週ね。あの子、ちょっとふさぎ込んでたみたいだから心配」
「……そっか」
「結婚するとかしないとかっていうよりね…」
メガネをかけていない和ちゃんを見てると、小学生のころを思い出す。
理知的な和ちゃんの表情の中に、幼い頃の面影を探して、懐かしい気持ちに浸る。
それにしても美人だよなー。結婚してからさらに綺麗になった気がする。
旦那さんも心配だろうな。
「聞いてる?」
「聞いてるよー」
「…結婚するかしないか、っていうよりもね。
わたしはこういう人間だから、わたしはこういう風にしか生きられないから、って自分の可能性や選択の幅を無理に狭めるようなことをしないで欲しいのよ。
ほら、憂ってヘンに頑固なところがあるじゃない」
和ちゃんのこれまでの人生はなかなか面白い。少なくとも高校時代の和ちゃんからは想像できない人生だ。
男っ気なんて微塵もなかった(ごめんね和ちゃん)和ちゃんの初めてできた恋人は、留学先で出会った外国の人だった。
けれどその彼とは、帰国後連絡が取れなくなっちゃって、あーもうダメかなーって思ってたら、なんと今度は彼の方が日本に留学生としてやってきちゃった。
その後彼は留学を終えて母国に帰っちゃうんだけど、今度は和ちゃんが彼の国の大学院に進学して…もちろん一緒にいたいって理由だけじゃなくて、そこの大学院でちゃんと勉強したかったって言ってたけれど本音のところはわからない。なにせ恋する乙女だったからね、その頃の和ちゃんは⭐︎
そうして博士課程まで進んだときに子供ができちゃって、安心して出産できる環境の方がいいし、たまたま彼が日本文化の研究者を目指してることもあって帰国しました、というわけ。旦那さんは日本語ペラペラです。
「和ちゃんの言うことはわかるよ。でもさ。最終的には何かを選ばなきゃいけないよ。『選ぶ』ってことは何かを切り捨てることだよ」
「アンタや憂はね、ハナから別の選択肢を考慮せずに切り捨てちゃってる気がして心配なの」
「……」
「遊びに行くような気持ちで行ってみたらいいのよ。人生経験だと思って」
「そっかぁ…どうしよっかなぁ」
「そういえばわたし、今の旦那とどうやって知り合ったか、言ってなかったかしら」
「あ、それ聞いてない。クラスが一緒だったとか、図書館で勉強中に出会ったとか、そんなのかと思ってた」
「違うわ。ハロウィンパーティで出会ったのよ」
「 は ろ う ぃ ん 」
「そんな柄じゃない、って思ったでしょ。わたしもそう思うわ。
付き合いで出たパーティーでね、どんな仮装したらいいかもわかんなくて自分なりに考えたつもりがかなりズレた格好だったみたいで…」
和ちゃんの感性は、万国共通でおかしいことが証明されたんだなぁ…!
「…目立ってたみたいなの。まわりのみんなはわたしを見てクスクス笑うばかりだったわ。パーティーの半ばくらいでやっと自分の格好がおかしいかも、って気がついて恥ずかしくなって衣装を脱ごうとしたら…」
一体どんな衣装だったんだろう?
ゲゲゲの鬼太郎の格好でもしていったのだろうか。
「声をかけてきたのが彼だったの。『それは日本の妖怪だよね』って」
幼馴染みとしての自分の勘の鋭さはなかなかのものだった。
トラ柄のちゃんちゃんこを着るのは嫌だけど、和ちゃんの言うことも一理ある。
「…こほん。まぁわたしの話はいいわ。
アンタ達もなにがキッカケで人生変わるかなんてわからないわよ
とにかく考えておいて、憂にもよろしく」
「うん、わかった。心配してくれてありがとね」
メガネを外した和ちゃんは、小学生のときとも、高校生のときとも違う大人の女性だった。
「ああ、そう唯。ところで長野の親戚からりんごがたくさん送られてきたんだけど、食べる?
わたしのところではあんまり食べないから余っちゃって。よかったらまた今度持って行くわ」
ひと口しか飲んでいないアップルティーはすっかり冷めてしまっていた。
*
目の前に果実がなっている。
甘く香り立つその果実を、わたしはじっと見つめていた。
「ただいまー」
「おかえりー」
このところ憂の帰りが遅い。
たぶん年末が近づいているせいだろう。最近退職者が出たとかで急な人事異動があったらしく、慣れない初めての部署での年末を迎えることもあって大変そうだ。
今まで触っていたギー太を横に置くと、お疲れな妹を玄関先まで出迎えにリビングを出る。
「お疲れ〜お風呂沸いてるよん。ご飯も準備できてるけど…どっちにする?」
「……お姉ちゃん、先に帰ってたんだ」
「メールしたじゃん。20時には帰るよって」
「……ごめん見てなかった」
「そっかそっか。そういうこともあるよ〜。わたしもよくやる」
「お姉ちゃんがいてくれてよかった…」
「どうしたの?ヤなことでもあった?」
「ううん。そんなんじゃないけど。ごめんね、大丈夫だから」
「うん…ごはんたべよ。あ、お風呂先入る?どうする?」
「…………ぎゅっ、てして」
「甘えん坊だなぁ、憂は」
「………うん」
憂がこちらに身体を預けてくる。
脱ぎ捨てられたヒールが、乱雑に三和土に散らばった。
いやに身体が冷え切っていた。
全身を憂に密着させる。わたしの体温で憂を温めるために。
「よしよし…」
「…ん、元気でた。ありがとお姉ちゃん」
「そっか。じゃあお風呂に先に入っておいで。最近寒いからね。風邪引かないようにね」
「うん…」
お風呂あがりの憂は、あったまったおかげだろうか、少しリラックスしているように見えた。
「ごめん、待たせちゃって。お腹空いたでしょ」
「大丈夫だよー。実は晩ご飯作ってる最中に我慢できなくてつまみ食いしちゃいまして…」タハハ
「アハハ…ならよかった」
よいしょ、っとちいさく掛け声をかけて、土鍋をテーブルまで運ぶ。
「今夜はキムチ鍋ですよ〜」
「もう、鍋の季節かあ…早いね」
「鍋は年中美味しいけどね〜。でも寒いときの鍋は最高だね」
「そうだね。この間まで、暑い暑いって言ってたような気がするのに」
「今や、コタツなしには過ごせません!」フンス!
昨日と今日は、今日と明日は。大して変わっていないように思える。事実大きく違うことなんてそうそう起きやしない。でも大して変わっていないことと、変わらないことは違うんだ。
少しづつ、ほんのちょっとだけど季節は移ろい変わっていく。今日は暑い、昨日は寒い。それを繰り返し、だんだんと冬になっていく。
木々はほんのりと色づき、落葉する。この前咲いていた道端の花が萎み、また知らない花の蕾が膨らんでいる。
秋は…そんな些細な季節の移ろいに気がついて少しセンチメンタルな気持ちになったりする。歳を重ねたせいかもしれない。いやそうでもないかな。澪ちゃんなんかは昔からこういうことを考えていそうだ。
「そういえばムギちゃんからお酒もらったんだ。りんご酒だって。飲もうよ」
「紬さんから?」
「うん、こないだのお詫びだって。飲みすぎて余計なこと言ってごめんって」
「そんな…それならわたしの方がよっぽど」
「まぁいいじゃん。お酒の席だったんだし。それにわたし達の間で遠慮はいらないよ」
「…うん。じゃあお返ししないとね。結婚祝いも兼ねて」
「そうだねぇ…結婚、かぁ」
未だにムギちゃんが結婚してしまう……ということに実感がない。
結婚してしまえば今より一層会う機会も減るだろう。そのこともだけれど、自分が置いてけぼりにされるようで寂しかった。
喜ばしいことのはずなのにね。ちっともそんな気持ちにならない。
「式や二次会は?お姉ちゃん達は行くんでしょ?」
「ううん。呼ばれてない」
「えっ、そうなの」
「……見られたくないんでしょ。呼べるわけないし。
かといってわたし達だけ呼ばれるのもなんだか気まずいし」
「そっか…そうだよね」
憂はムギちゃんに覚悟がない、って言ったけれど、覚悟がないのはわたしも一緒だ。
友人が変わっていくことを知って、不安でたまらない。
誰にも理解されず、大切なもの全部なくして、一人の味方もなしに、世界中を敵に回しても、それでも守り通すことができるだろうか。
「お姉ちゃん、どうしたの?食べようよ」
「あ、ごめんごめん。いただきま〜す」
「いただきます」
目を瞑り、手と手を合わせて頭を垂れる憂は、まるで神様に祈りを捧げる修道女のように見えた。
憂は何を願うのだろう。何を祈るのだろう。
「おいしいね」
「うん。すっごく」
ちょうどいい感じの豚肉も、ちょっと青っぽくてシャキッとした韮も、ほどよく辛いキムチも、全部おいしかった。
疲れて帰ってきた一日。こうしておいしいものを食べながら、目の前で憂が笑っているのを見ていると、どんなシンドイ一日だったとしてももう帳尻が合うどころかお釣りが出ちゃうくらいハッピーな気分になれちゃう。
でも、ムギちゃんからもらったりんご酒は、なんだかあんまり口に合わなかった。
「憂、こないだの和ちゃんの話なんだけど」
「お姉ちゃん、グラス空いてる。ほら注ぐよ」
「…ありがと。憂、行っておいで」
「行くってどこに?」
「お見合い」
「なんで?」
本当はこんな話はしたくない。
でも胸の内でもやもやしていたくないから。覚悟を決めるなら、こういうことにぶつかっていかなくちゃならない。
「お姉ちゃんはさ」
憂がわたしのグラスにりんご酒を注ぎながら言う。
このりんご酒、憂はおいしいと思っているのだろうか。
「わたしが結婚してもいいの?」
「お見合いするだけでしょ。まだ結婚するって決まったわけじゃないよ」
「でもお見合いって結婚するためにするものでしょ」
「そんな昔みたいな堅苦しいものじゃなくて…パーティーみたいなもんだって和ちゃんが…最近そういうの流行ってるじゃん。婚活パーティー?だっけ」
「知らない。興味ないから」
「…そういうもんらしいよ。ま、人生経験だと思って」
「結婚するつもりがないのに、そういうところに行くのって、失礼じゃない?」
「まぁ…それは…そうかもしれないけど…ほら和ちゃんだって今の旦那さんと知り合ったのがね…」
「聞いたよ。でも和ちゃんが行ったのは婚活パーティーじゃないし、そのとき特に好きな相手がいたわけでもなかったんでしょ。わたしとは違うよ」
「そりゃ全く一緒ってわけじゃないよ。でも憂。自分の可能性を自分で狭めるようなことしちゃ、ダメだよ」
「…意味がわからないよ。本気で言ってるの?お姉ちゃん」
「…本気だよ。姉として妹の将来を心配するのは当然でしょ」
憂の箸は止まったままだ。わたしも。ふたりの真ん中に置かれた鍋だけが温かそうに湯気を出している。
わたしも憂も、りんご酒に口をつけない。
「わたし、行かない。お姉ちゃんはわたしが結婚してもいいの?」
「だからパーティーに行ったからってすぐに結婚するわけじゃ…」
「ごまかさないでよ。わたしはお姉ちゃんの気持ちが知りたいの」
「…うん。
憂にはしあわせになって欲しいと思ってる。
憂が心から大切に思える人と出会って、その人と結婚できたらそれはとてもしあわせなことだって思う。
だからそういう人と出会えるかもしれない機会を自分で潰して欲しくないの」
「いいんだ…わたしがいなくなっても」
「そういう意味じゃないよ」
「お姉ちゃん、一人で大丈夫なの?ちゃんと家のことできる?
お掃除して洗濯して…お料理だって今日みたいな鍋ばっかりじゃダメだよ。しっかり栄養のバランスを考えて…」
「できるよ。だってわたし、大人だよ?高校生の頃とは違うよ」
「できないよ。無理だよお姉ちゃんは。わたしがいなくなったらきっとめちゃくちゃになっちゃう」
「大丈夫だよ。だってわたし、お姉ちゃんなんだから」
「…できないよ」
「…確かに憂ほどちゃんとはできないだろうね」
「だったら…」
「でもね。そんなことで憂を縛り付けたくないの。
わたしのせいで憂の可能性を縛りたくない」
「ありもしないものを可能性だなんて耳障りのいい言葉でごまかさないで。
お姉ちゃんはわたしがいなくなってもさみしくないの?
ひとりで嫌じゃないの?」
「さみしいよ。でもね、憂。姉妹ってそういうことなんじゃないかな」
「お姉ちゃん…わたし、ずっとお姉ちゃんと二人でいたい。
他の人と結婚してもきっと今以上しあわせになんてなれないと思うの。
お姉ちゃんとこうして二人でいることが何よりいちばんのしあわせなの」
「ちがう…それはちがうんだよ、憂」
両親が留守がちだった子供時代。わたし達はいつだって一緒だった。
どこに行くにも二人一緒。両親よりも誰よりもお互いが側にいた。
学校に入学してからは年齢が一つ上だった分、わたしがいつも一歩だけ憂の先を歩いていたけれど、家に帰れば憂の笑顔が待っていた。
大学に入って…働き始めて…寮で暮らしたり一人暮らししたり、外国に行ったり…離れ離れのときはあったけれど、それでも帰るべきところとしてお互いがお互いの拠り所だったのだと思う。現に今、わたし達は昔のように一緒に暮らしている。
まわりは変わっていくし、わたし達も変わった。けれど肝心なものは変わってない、子供の頃から何にも。そう思ってた。
でも、どんなに仲が良くたって、一生ずっと共に暮らし続ける姉妹や兄弟は、世の中にどれくらいいるのだろう。
同じ家庭に生まれ、歳も近い存在。
お互いがお互いを大切な存在として、どんなに愛おしく想い合ったとしても、血のつながりを理由に別れなくちゃならないなんて、理不尽だ。
でも、理不尽であることと、世の中の『普通』とは別の話。
論理も理屈も、当人同士の想いも何もかも踏み潰してしまうのだ、ソイツは。
…自分の勝手な思い込みかもしれない。自分も思ったより『普通』なのかもしれない。和ちゃんの言うと通り、自分の可能性に蓋をしているだけなのかも。わたしも憂も。
わたしはもうわからなかった。
わからないまま自分の気持ちを優先させることで憂を不幸にしてしまうことが怖かった。だからもう、考えるのをやめて『普通』に身を委ねてしまおう、そう思った。
わたしは目の前で揺れる果実から、目を逸らす。
「姉妹だからなの?」
「そうだよ。姉妹はね、そういうものなんだよ。それが『普通』なんだよ」
「なにそれ、『普通』って。わたしにはわかんない」
「ねぇ、憂。わたしも結婚しようと思う」
「うそ」
「うそじゃないよ。本気で婚活するよ。いつまでも今のままじゃいられないからね」
「…それがしあわせなの?お姉ちゃんにとって」
「…うん。きっとそうだよ。それがわたし達にとっての『普通』のしあわせなんだよ」
「…じゃあもう、わたしがいなくても大丈夫なんだね……?」
「……………大丈夫」
憂は黙ったまま箸を置くと席を立った。
わたしはひとりでも黙々と残った鍋を平らげた。
お腹がいっぱいで苦しかったけれど、なんとか頑張った。
おかげで食後のアイスは食べられなかった。
冷凍庫には憂の買ってきてくれたアイスがたくさん詰まっていた。
大丈夫に、ならなきゃなあ…。
台所に転がったりんごを一つ手にとって、耳元に寄せると人差し指でコンコンと鳴らした。
やっぱり憂の、音がする。
お腹がいっぱいで、りんごは食べられない。
ムギちゃんにもらったりんご酒は、グラスに残ったまま、テーブルに置かれていた。
最終更新:2014年11月27日 21:25