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エントランスの脇に掲げられたスチールのプレート。
あまりきちんと手入れをされていなかったのか、錆で文字は見えにくくなっている。
一人の男がやって来て立ち止まる。
男はそのプレートに気付いて一瞬逡巡して、それからカメラを取り出し撮影する。
プレートには何とか判別出来る“HTT is never end.”の文字。
男は自分の仕事に満足した様に頷くと、エントランスをくぐりインターフォンのボタンを押す。
少しの間。
?「はい、どうぞ」
男はアポイントメントを取っていたらしく、即座に開錠され、ドアは開かれる。
どうやら、地階は後から施工されたものの様で、下るためには階段しかない。
男は回りを一頻りまわりを見回してから、苦笑して階段を下る。
分厚い防音扉。
インターフォンは存在しない。
男は一瞬、迷ってからドアノブに手をかける。
が、部屋の主は来客の事を失念して鍵を掛けっ放しにしていたのか、男がいくらノブを回してもドアを開く事が出来ない。
男は諦めてノックに切り替える。
部屋の主はそのノックによってようやく気付いたのか、バタバタと言う駆け寄る音と共にガチャリとドアは開かれる。
?「あー、鍵閉めてたの忘れてたよー、ごめんね?」
襟が伸びてヨレヨレになった「ディスコ」とプリントされたTシャツ、毛玉のついた着古されたスウェットパンツ、
顔に掛からない様に一箇所ピンで留められただけの髪。
男「初めまして。平沢唯さん?」
唯「こちらこそ。初めましてー」
男は彼女の風体を見て「まるで隠遁者だな」と感じる。
最後のリリースの後、不法薬物所持などで逮捕されたり、所属レーベルのゴタゴタなどで、
そのキャリアは途絶えた様に見えていた伝説的なミュージシャン。
メジャーデビューして、シングル、アルバムのスマッシュヒット。
期待されていた新人アーティストが急にメジャーとの契約を破棄し、
自ら立ち上げたインディーズレーベルから数年に渡りメジャーに負けないヒットを出したと言うのは、
まさにレジェンドと言って良いだろう。
だが、飽きられるのが速い時代においてリリースが途切れれば、
作品はともかくアーティストは時々思い出されるだけのものになる。
彼女もそんなアーティストの中の一人だった。
それは、コアな音楽ファンの為のメディアを自称する雑誌のライターを長年勤める男にとってもそうで、
今回のこのインタビューも編集長の思いつきが無ければ、行われる事はなかったものである事は否定出来なかった。
唯「あ、タバコ吸っても良いですか」
彼女は遠慮がちにライターに尋ねる。
ライター「あ、構いませんよ」
彼女はニッコリと笑うと、スウェットパンツのポケットからタバコとライターを取り出す。
咥えて、二度三度と火を着けようとするが、オイル切れらしく上手く火は着かない。
ライターは、それに気付くと自分のそれを彼女に差し出す。
彼女は少しびっくりしてから、遠慮がちに受け取って今度は何とか火をつける。
唯「ありがとうございます」
違法薬物所持や彼女のレーベルにまつわる話とは、相容れない様な態度。
それはシャイネスとナイーブさ、世馴れない古典的な女学生の様な印象をその年齢にも関わらず記者に与えるものだった。
だが、タバコを持つ手は震えていたし、受け答えの声も若干の上擦っており、何となくのぎこちなさが彼女を支配していた。
唯「あ、ごめんなさい。こう言う形で取材されるのとかって久しぶりだから…。緊張してますね、あははは…、うふふふ…」
平沢唯の不可解な笑い声がスタジオに煙の様に広がり、まずその空気、
それから風景がガラリと変わった様にライターには思えた。
・・・
(私は平沢唯がタバコを吸い終え、落ち着くのを待って質問をする事にした)
ライター「正直な話、音楽ビジネスの表に出なくなってから時間が経っていますが、いつからここを拠点に」
唯「りっちゃんがここを作ってくれた頃からだよ、それは。○○年前からずっと」
ライター「レーベル名からHTTスタジオと言う名を取ったのですか」
唯「それはそう。あ、でも微妙に違うかも。私達がいるとこには必ずそう言う風に付けてるの」
(最初の質問もそうだが、平沢唯は事細かに説明するタイプではないらしく、
私は記憶して来た彼女のキャリアを思い出しながら話を続ける。つまり、彼女のいる場所=HTTと言う事だろうか。
私にはそれはわからないが、きっと彼女にとっては大切な何かの符牒なのだろう)
ライター「最近はどの様な活動をされていますか」
(ここで平沢唯は突然笑いだし、それは暫く続く)
唯「あははは…、そうだよね。最近ちゃんと出来てなかったからね。
でも、来年からは色々なことやる予定。ムギちゃんの会社のCM音楽やったり、詳しくはまだ内緒だけど、
アイドルに曲を提供したりもするかも。
これは澪ちゃん絡みかな。あと、DJも少しだけやらせて貰ってるよ、えへへ」
(また、ここで平沢唯は笑いだす)
唯「うふふ…、うん、びっくりした。こう言うのって、なんて言うんでしたっけ。シンクロ…、うふふ…」
ライター「シンクロニシティ、ですか」
唯「そう、きっとそれ。りっちゃんからこの話を聞いた時、驚いちゃったよー」
ライター「ところで、新作を出すのであれば、それに合わせて旧作のリマスター版などは考えられていますか?
過去の作品が若いアーティストに影響を与えている訳ですが」
唯「それはとても嬉しいです。この前もリミックス依頼が来たんだよ。本当に驚いた。
最近はあんまり…、そう!ちゃんと活動してなかったかも知れないし」
(私の不勉強への謝罪と、それに恐縮する平沢唯と言うやりとりは中略)
ライター「そう言えば、その・・・、逮捕される直前には海外のレーベルとの仕事をされていた訳ですよね」
(私は逮捕と言う言葉を持ち出す事に躊躇いを覚えたが思い切って口に出してみた。
だが、その事は平沢唯に取って既にクリアされた問題らしく余り気にしていない様だった)
唯「うん、あの時は海外でのライブが成功したからか、結構向こうからの引きがあったのかなあ、って。
ただ、丁度あの時は私は曲が作れなくなっちゃってて。
スランプだったのか、ただ単に遊びが過ぎてたのか分からないけど、
とにかく凄くロウになってて、色んな事が上手くいかなかったの。
だから、仕事してたって言うほどじゃないよ。色々ダメにしちゃったものも多いし…、うん」
ライター「海外との事で契約が上手くいかなかったとか?」
唯「あー、そう言うのはない…、と思う。
りっちゃんもあずにゃんも凄く頑張ってくれてたし、曲が完成までいかなかったのも事実で。
最後は演奏も上手く出来てなかった気がするし、ねー…?うふふ…」
(また、平沢唯は何かを誤魔化す様にクスクスと笑う。
この時に限らず、彼女の照れ笑いが印象に残るインタビューだった。
そう言うところがまた「隠遁者」めいた印象を強めているのかも知れない)
ライター「ライブパフォーマンスに関しては、色々な逸話を聞きます」
唯「あれはー、海外のプロモーターさんがクレイジーだったからぁ…、舞い上がっちゃったんだよね、私たちみんなが。
まるでお祭りみたいな日々で…」
ライター「いえ、ネガティブな意味ではなくて、ステージがと言う事です」
(平沢唯は、あっ、と言う顔をしてペロっと舌をだす。
年齢に似つかわしくない少女めいた仕草だが、それが不自然に思えないのは彼女の醸し出す雰囲気ゆえだろうか)
唯「そっかー、それは嬉しいです、えへへ…」
ライター「音楽的なキャリアは世に知られている様に高校生からですか?」
唯「うん、それまで全然音楽なんて知らなかった。
軽音楽って、カスタネット叩いて“うんたんうんたん”言うものだと思ってたし…。
うふふ、あはは…。
高校大学ってバンドやってて…、卒業してからもやろうと思ってて・・・。この辺は良いでしょ?みんなが知ってる通りです」
ライター「今、振り返るとキャリア全体はどんなものだったと思いますか」
唯「わずかな間に色々な事が起きて、私もみんなもそれに上手く対処出来るだけの経験がなかったな、って。
老成した今なら上手くやれるかなと思う。
最初は何の経歴もなくて、ただ集まって演奏するのが好きなだけで、それから創作意欲の時代があって、
義務感の時代があって、それから開放されて今はまた創作意欲の時代だなって。老成したなーって」
(ここでは一言で語った様になっているが、実際には一語一語を考えながら搾り出すような形で、
この項だけで一時間を要している)
ライター「新作の話に戻しますね。老成したと言う事は以前の様な激しさを求めた曲は少なめになっているのですか?」
唯「老成と感情的な起伏は別だよ。なんて言うか、安心があるって事なの。みんながいるのといないのとでは大きく違う」
ライター「やっぱり平沢唯の音楽も感情によって左右される事はありますか?」
唯「それは当然だよ。いつだってそう。だから、プロデューサーをつけないこと。
締め切りよりもティータイムが優先って言うのは凄く重要なんです、うふふ・・・」
(「ティータイム」の意味を確認したかったが、そう言う雰囲気ではなかった。
「気分がのる」かどうかとかそう言う事だろうか)
ライター「音楽をやる中で、新しさの追求や、メッセージ、コンセプトと言ったものの追求はありましたか?」
唯「んー、それは分からないなあ。私のやった事は単なる音楽で…、勿論…、
人によってはそう言う事を考える人もいたかも知れないけど…。以前はただ、必死だった部分もあるし」
(平沢唯は時間を気にしだしたので、私は予定を変更して幾つかの質問をカットする事にした)
ライター「過去の作品で一番好きなものはどれですか」
唯「高校生の頃に録音したものですね」
ライター「それは…、リリースされていないものですね?」
唯「宝物ですから」
(宝物は人に見せない、と言う事だろうか)
ライター「いつか発表される可能性は?」
唯「あはは…」
(また、照れ隠しの様な笑い。話題を変えるべきだろう)
ライター「一回だけ何か望みが適うとしたらどうしますか?」
唯「高校生からの望みは結局のところ全て叶っていますし、そもそも私は魔法も使えますから」
ライター「魔法?」
唯「ええ、例えばタイムトラベル」
(ここで、私はポンと膝を打つ)
ライター「なるほど。これであなたの音楽とそのルーツに関する質問は全てなのですが、最後に一つ良いでしょうか」
唯「うん?」
ライター「そのミキサー卓の写真は…」
(私は平沢唯がしばしば、答えに迷った時など、しきりに触っていた写真立てが気になっていたので、
パーソナルな質問をするのはあまり趣味ではなかったが、最後という事で聞く事にした)
唯「えへへ、そう、これはね…」
君がいないとなにもできないよもし君がかえってきたらとびっきりのえがおでだきつくよ君の声がききたいよ君の笑顔がみれればそれだけでいいんだよ君がそばにいるだけでいつも勇気もらってたいつまででも一緒にいたいこの気持ちを伝えたいよ晴れの日にも雨の日も君はそばにいてくれた目を閉じれば君の笑顔輝いてる君がいないと何もわからないよ君にもらってばかりで何もあげられてないよ君がそばにいることを当たり前に思っていたこんな日々がずっとずっと続くんだと思ってたよごめん今は気付いたよ当たり前じゃないことに笑わないでどうか聞いて歌にのせて届けたいこの気持ちはずっとずっと忘れないよ思いよ届け
《“End” of their youth let her be.》
最終更新:2013年05月25日 22:47