・・・

モチベーションがあれば何でも出来る。

普通の人には難しい治療施設からの退院だって簡単だ。

院内で良く顔を合わせていたティーンの娘の妬ましそうな顔が忘れられない。

両手一杯に抱えたメタドンの助けを借りての事だけどね。


イエー!カムバックトゥージャパーン!

ロックスターの帰還だよ。

肩には長い相棒のギー太。

唯「久し振りの日本だね、ギー太」

あの時お別れしないで本当に良かった。

ほら、ギー太、りっちゃんがカウンターの向こうで手を降っているのが見える。

私はその日常が懐かしくって、思わず駆け出す・・・、



事は出来なかった。

まさか、スニーカーでさえ滑る程に床が磨き上げられてるなんて思わないじゃん!

瓶の割れる音。

それは私の両手から色々な物がこぼれ落ちる音。

唯「あ、え・・・」

私の気持ちとは関係なく、私の手は必死で瓶の中身を掬おうとしている。

唯「あずにゃん?あずにゃーん、なくなっちゃう、なくなっちゃうよぉ!」

あずにゃんが駆け寄って来るのが見える。

私は一瞬安心して、でもその後ろに何人もの空港職員がいるのを見てどうしたら良いのか分からなくなる。

りっちゃんは・・・。

青ざめて、ひきつった様な笑顔を浮かべている。

私は、床にこぼれたメタドンが手ですくえないので、口をつけて吸おうとしていた。

私の気持ちとは関係なく身体が勝手に動いてしまってる。



私の日常への帰還はこうして一瞬の内に終わった。

そう、台無しになるのは一瞬の事だった。




・・・

律「あ、憂ちゃん・・・」

警察署のソファーで、暗い顔をしていた律さんが私の姿を確認して立ち上がり、歩み寄って来る。

私は思い切り手を振りかぶる。

その手はまったく警戒していなかった律さんの頬を直撃して、意外と鈍い音を立てる。

律「痛って・・・」

殴り返してくるかと思ったけど、律さんは頬を押さえて黙り込んでいる。

ふん。

お姉ちゃんを汚しておきながら、被害者面なんだ。

憂「最低・・・」

私が睨み付けると、律さんもこちらを睨み返して来た。

梓「う、憂、ちょっと落ち着いて・・・よ・・・」

ああ、いたんだ、梓ちゃん?

憂「梓ちゃんも知ってたんでしょ?」

梓ちゃんは視線を反らす。

その瞬間、後頭部の辺りをチリチリいっていた種火が一気に大きく燃え上がった。




気付くと私は警官に取り押さえられていた。




自分が何をしたのかは良く覚えていない。

だけど、身内の事で動転していたと大事にせずに済ませて貰えたらしい。

不幸中の幸い。

姉妹揃って逮捕なんて言ったら、喜劇が過ぎるしね。



・・・

ガラス越しの憂の顔。

両親が願いを込めて意味を書き換えた'それ'じゃなくて、本来の字義通りの憂いの表情。

唯「憂・・・、ごめんね、恥かかせちゃって・・・」

憂「う、ううん。そんな事全然無いよ。お姉ちゃんの事だもん。ちゃんと理由があるって分かってるから」

うふふ、ありがとうね、憂。

凄く嬉しい。

でも、そんな大層な理由なんか無いの。

唯「あ、そう言えば」

憂「何?」

唯「あずにゃんが」

あずにゃんの名前を聞いただけで、憂の顔が強張るのが分かる。

仲良くして欲しいんだけどな、昔みたく、さ。

駄目かな?

私が壊しちゃった?

それでも!

今はそんな甘ったれた瞬巡で限られた面会時間を無駄にする事は出来ないから、私は鈍感な振りをして言葉を続ける。

唯「憂に『ごめんなさい』って言ってたよ」

憂「へ、へぇー、そうなんだ。何でだろうね、梓ちゃんが私に謝る事なんて無いと思うけど」

憂も意外と隠し事が出来ないなあ。

唯「私も良く分からないけど、あずにゃんがそう言うんだから受け取っておきなよ」

憂「う、うん、そうしておく」

面会時間の終了が告げられる。

ごめんね、憂。

結局、あずにゃんの話だけで面会が終わっちゃったね。

憂が立ち上がる。

憂「また、時間作って来るから」

唯「うん、待ってるね」

ああ、そうだ!

私は踵を返す憂に声を掛ける。

唯「りっちゃんが一回会って話をしたいって!」

憂はそれには答えず、部屋を出ていく。




  • ・・・

立会人に促され、お姉ちゃんが部屋に入ってくる。

私はガリガリに痩せこけて、落ち窪んだ眼球ばかりがギラギラしている病み切った姿を想像していたが、
そんな事もなく昔みたいに薔薇色の頬とはいかなかったけど、まあまあ元気そうに見えた。

私はそれだけで、足から崩れそうな位安心をする。

でも、私がそんな姿を見せたら、お姉ちゃんに心労をかけてしまうので、私は平静を装う。

憂「不便とかない?」

お姉ちゃんは、自嘲気味に笑いながら

唯「ここ、刑務所だよ?それは仕方ないよー」

それはそうだけど・・・、さ・・・。

唯「憂・・・、ごめんね、恥かかせちゃって・・・」

自分の事より、まずは他の人の事。

実はお姉ちゃんはずっとこうなんだ。

憂「う、ううん。そんな事全然無いよ。お姉ちゃんの事だもん。ちゃんと理由があるって分かってるから」

どんな理由?

自分で言ってみたけど、思い付かない。

私だって、梓ちゃんや律さんがやらせた、なんて思ってる訳じゃない。

話は弾まないままに、面会時間の終了が告げられる。

私はお姉ちゃんを勇気づけられなかった事に絶望しながら立ち上がる。

唯「りっちゃんが一回会って話をしたいって!」

そう言えばあれ以降、律さんからの電話、メールをその大量の着信履歴と受信にも関わらず、
通話することも読む事もしていない。



律さんの事はまだ許していないけど、お姉ちゃんの裁判の事なら協力せざるを得ない。


・・・

言い渡される判決。

最初、法廷の被告人席から、憂の姿を見た時は泣いてしまったが、今では慣れたものだ。
泣いてしまった事も裁判官の心証を良くしている筈で(これは後から弁護士さんから聞いた)、
チューバッカっぽい話をしなくても実刑は無いだろう、と弁護士さんは胸を撫で下ろしていた。

「懲役10ヶ月、執行猶予2年」

傍聴席でりっちゃんがガッツポーズしているのが見える。

憂は目を押さえて、それをあずにゃんが支える。

実刑がつかなかった事より、その図の方が私には大切なものだった。




でも、全てが遅すぎた。



・・・

その判決が耳を通って、脳に届いて、脳がその内容を認識した瞬間に涙が目からこぼれ、足から力が抜ける。

非社会的な行動にはペナルティが課せられるべき。

それはきっと正しい。

でも、それでもやっぱり私はお姉ちゃんに実刑が付かなかった事に安心してる。

「…、じょうぶ…、だいじょうぶ…」

え?


梓「憂!大丈夫!?」

憂「梓ちゃん?」

梓ちゃんは、私が倒れこまない様に支えてくれていた。

私は梓ちゃんの肩に身を預ける。

梓「憂?」

憂「うん、大丈夫、安心しただけ」

梓「うん、取りあえずは良かった…よね…」

梓ちゃんがいてくれてよかった。

そうしなければ、私は倒れた時に頭を打って病院に運ばれていたかもしれない。

やっぱり、そこに支えてくれる人がいるって言うのはとても大事な事。

梓ちゃんはお姉ちゃんを支える重要な柱だったし、だからお姉ちゃんも梓ちゃんを支えてあげようとしたんだね。

私はそっと呟く。

誰にも聞えない様に。

でも、この広い世界の長い歴史に自分の気付いたこの言葉がちゃんとあったと言う事実を残すために。

憂「ソロデビューなんてけしかけるんじゃなかったな」

梓「憂?」

憂「なんでもない。もう大丈夫」

梓「そ、そう…」

私はしっかりと立って被告人席のお姉ちゃんを見つめる。

そして胸を張ってこう言うの。

お帰りなさい、お姉ちゃん。



でも、私の気付きもちょっと遅過ぎたみたい。

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