・・・


モスクワ経由のフライト。

合わせておよそ30時間。

乗り継ぎの飛行機が荒天の為、シェレメーチエヴォ空港で足止めされて半日が過ぎていた。

寒いし、そもそもビザも持っていない為、空港から出る事も出来ない。

要するに、アルコールを摂取する事ぐらいしかやる事がない。

強い火の酒で軽く酩酊したままガラスの外の北の景色を見ていると、
以前来た東欧圏の事をフラッシュバックする様に思い出す。

オーガナイザーがマフィアであったので、私たちの要求に対する応対も完璧だ。

勿論、私たちのパフォーマンスと等価交換で。

私はおもむろに手で髪をアップにしてから、ガラスに写る自分に問い掛ける。

唯「今の私はあの時みたいに上手くやれると思う?」

当然、答は返ってこない。

いくら、髪をアップにしたところでガラスに写っているのは憂じゃない。

そんなつまらない感傷に浸っていると、あずにゃんがベンチでタブレットをいじっているのに飽きたのか、
私の方にやって来る。

猫と一緒で寒がりなのだろう、この暖房の効いた空港内だと言うのにモコモコフワフワのダウンジャケットを着込んで、
ファーフードを被りジップを上げてスタンドカラーに顎を埋める様にしている。

梓「唯先輩・・・」

私は思わず噴き出す。

唯「あずにゃん、雪ダルマみたいだねえー」

梓「な!?」

唯「だって、そんな着膨れてるからぁ」

梓「唯先輩が寒さに強いだけですから」

唯「でも、島に着いたら暖かいし、厚着は不要でしょ?」

梓「そう言う問題じゃないです」

唯「荷物多くなる」

あずにゃんは不本意そうな顔をしながら何かの言い訳を始める。

梓「良いですか。NYではダウンジャケットを着る人が多いんです」

唯「はあ」

梓「何でか分かりますか?」

唯「わからないよ、あずにゃん・・・」

私はあまり面白そうな話では無かったので、気乗りがしない、と言うニュアンスを言葉に込めてみる。

梓「NYって緯度的にかなり寒いんですけど、室内では暖房を効かせるので暖かいんです。
だから、上着一枚で暖かい装備が必要だったんですよ」

あずにゃんは私の意図に全く気付かない様子で得意気だ。

梓「つまり、必要に応じた・・・、あれ、唯先輩?」

ここで、ようやくあずにゃんは気付いたらしい。

遅いよ、あずにゃん・・・。

あずにゃんの言葉を一般化すると、つまりこう言う事だね。

必要は発明の母。

退屈だけど、ためになる。






そしてこの後、私はこの言葉に沿った行動を取ることになる。



・・・

梓ちゃんは何時もお姉ちゃんと一緒で羨ましい。

今も、リゾートアイランドにレコーディングに同行しているらしい。

私も大人なので「独り占めされた」なんて思わないけども。

ここ半年は海外をツアーで回ったりしていたので落ち着いた創作環境が必要なんだろう。

東京は何しろ忙しなさ過ぎる。

ネットの根拠のない侮蔑的な噂と事実が区別がつかない位に。

だから、そんな根拠のない話から遠く離れて鳥の様に空高く飛んで!




・・・

相変わらず、頭の中からは何も出て来ない。

以前だったら、鎮める為に必要だったのに、今では絞り出す為に必要になっている。

でも、そもそも絞ったからと言って出て来るものなのかな。

経験がないからそんな事分からない。

そもそも、私の中にあとどれぐらいの'閃き'が残っているかも検討がつかない。

私たちの財布の中身は検討がつく。

あずにゃんは私よりそれが明確に分かってるみたい。


私の焦りと同期する様に、あずにゃんの眉間の皺も深くなる。

夜中に時々、何処かと電話しては、何かに毒づきながら壁を蹴っている音が聞こえる。

きっと、先行きの見えない私との作業が原因なんだろう。

間に入ってくれるりっちゃんがここにはいないので、感情的なささくれは眉間の皺に直結しちゃうに違いない。

梓「~で、唯先輩?」

唯「あ、うん」

梓「聞いてます?」

あずにゃんは自分でも分かっている様で、ほぐす様に眉間に指を強く押しあてる。

深い眉間の皺はそこに切り込みを入れたら、第三の目が出て来そう。そうしたら私の中の‘閃き'の残量も分かるかな?

でも、私の中にそれがもう残っていなかったとしたらどうなるだろう。

私を見捨てちゃう?



・・・

昼も夜も関係ない。

スタジオでなければ作れない音楽なんて存在しないから私はホテルの部屋でも創作に励まなきゃいけない。

それが私に課せられた絶対的な運命。

なのにノートPCに向かい合っても何も出て来ない。

気分転換に検索エンジンに平沢唯と打ち込めばネガティブな言葉の洪水。

唯「あはは、エゴサーチはするものじゃないね」

私はぬる目のシャワーに安息を求める。



ぬる目のシャワーは冬以外なら最高。

熱湯や冷水みたいに厳しくない。

創作意欲も・・・。

シャワールームから出ると、肌を撫でる様な温風。

私は相変わらず冷房が苦手で、ホテルであってもつけていない。

その全身を包む様なモワっとした空気に気を取られ、油断していた私は大きめの姿見に写る自分の姿を見てしまう。

目の下にこびりついた隅。

削げた頬。

こんなの!

思わず私は拳を握り締め、力一杯姿見に叩きつける。

鏡は割れて、欠片を四方八方に飛び散らせる。

唯「あ・・・」

私は自分の発作的な行動に茫然となる。

こんなの私じゃないって?

何、いつまでも高校生みたいな事言ってるの?

床に散った欠片に写るのは、先程と何も変わらない私の姿。

そして、あずにゃんと同じ様な眉間の皺。

ふと記憶の奥底から浮かんで来る一つの言葉。

第三の目。

全てを見透す第三の目。

私は震えながら、一際鋭い切っ先を持つ欠片に手を伸ばす。

そして、拾い上げた欠片で・・・。




赤く染まる視界の隅に、私は部屋に飛び込んで来るあずにゃんの姿を捉える。

梓「唯先輩!?」

私は本当の事なんか到底言えず、

唯「えへへ、けつまずいて鏡割っちゃった・・・」

その言葉にあずにゃんはハッと息を飲み、私は怒られるかと思い身をすくませる。

だけど、そんな事はなくて、あずにゃんは崩れ落ちそうになりながら私に抱き付いてくる。

梓「大丈夫・・・、なんですね・・・」

私はあずにゃんを安心させるために頭を撫でてやりながらおどけてみせる。

唯「でへへ、すいやせんねえ・・・」

あずにゃんは身体を震わせながら少しだけ私に抱き付いていたけど、落ち着いたのか私をシャワールームに促して、

梓「ガラスは片付けておきますんで、取り合えず傷口洗って流して来て下さい」

唯「今シャワー浴びたばかりなのにね」

あずにゃんは、私を落ち着けようとして無理に微笑を作りながら

梓「身体を綺麗にするのは良いものですよ、何度したって」

唯「それはそうだね」

身体を綺麗にすることがシャワーを浴びるのと同じ位に簡単だったらどんなに良いだろう。



・・・

最初はあんなに安くしてくれていたのに、今じゃ最初の三倍だ。

こう言う時にりっちゃんの連れて来た‘友達'の有り難さが身に染みる。

それに、あずにゃんに四六時中監視されてたんじゃ、新しい‘インスパイア錠'を買いに行く事も出来やしない。

唯「でも、今日はお節介なあずにゃんもいない事だし」

私はウキウキ気分で夜のリゾートタウンに繰り出す。

そして、光の届かない裏路地へ。

そこに私に力を与えてくれる物があるんだ。

こう言う路地こそがつまらないゲーテッドリゾートタウンに力を与えてくれるのと同様に。

でも、私のワクワクサークルは中々上手く回らなくなっている。

唯「あれ・・・?おかしいな・・・、昨日見た時には・・・」

私はプッシャーのプレッシャーの前で必死で財布の中を漁る。

どんなに見てもお金は足りない。

何で?

何で!?


何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で・・・

唯「何で!?」

プッシャーはお金のないジャンキーに有りがちな事を口走る私に見切りをつけたのか、新たな客を探しに去ってゆく。

ポケットを必死で漁るが手持ちのものもない。

キャンディーもチョコレートもない。

ムギちゃんがいなければ、私達にお菓子を用意してくれる人はいない。




必要は発明の母。

切迫詰まれば良いアイデアは湧いてくる。

私の頭の中に浮かぶ高校時代からの相棒の姿。

唯「ね、ギー太、私の為に死んでくれるよね」

私はスタジオに向かって駆け出す。

久し振りの運動で心臓は激しく打ち鳴らされる。

そして酸欠状態に陥った私の頭にはアイデアがドンドン降りてくる。

唯「道連れも用意したげるね」



私は思うに任せない身体に鞭打ってスタジオ所有のドラムキットやPCをワゴン車に積み込む。

本当に必死に作業した。

この島に来てからこんなに集中出来た記憶がない。

うん、後ろから近付く警備員の気配にも気付かない位に集中してた。



警備員の持つ懐中電灯はまるでSF映画のパラライザー。

ヒューンと伸びるその光に照らされたものは誰しもが動けなくなるんだ。

それは私だって例外じゃない。

私は、フロアタムを抱えたまま、言い訳を捻り出す為に、必死で頭を働かせようとする。

唯「こ、これはね、りっちゃんがフロアタムを欲しがってたから、ずっと・・・、だからぁ・・・」

憂の声が頭の中に響く。


憂「だからって、人のもの盗って良いと思ってるの?お姉ちゃん」

駄目かな?

あずにゃんの声が脳裏に響く。

梓「ダメですよ、唯先輩」

駄目に決まってるよね。




何時だって最初に出て来るのは高校時代の事ばかり。

私が、何時だってもう一回あの黄金時代が来る事を祈ってるからなんだと思う。




あずにゃんがどうやって地元の顔役と話をつけてくれたかは分からない。
で、私はこの海外のリゾート地で逮捕される事もなく、病院にいる。

要するに、これ以上放っておいたら危険だと判断された訳だ。

ちなみに財布からお金を抜いておいたのはあずにゃんの仕業らしい。

薬の量の増加を食い止める為の苦肉の策で、今私がいる場所を考えれば、最初の想定とはちょっと違ったかも知れないけど、あずにゃんの危惧は全くもって正しかった。


梓「唯先輩?」

唯「あ、うん大丈夫だよ、禁断症状も出てないもん」

それは元々だけどねー?

あずにゃんは、私の言葉にホッとした様な顔をする。

唯「あずにゃん、分かりやす~い」

梓「な!?」

私はちょっと言い過ぎてしまったかと思い、内心ドキドキする。

でも、あずにゃんは怒った様子もなく、クールだ。

梓「余裕のある証拠だと受け取っておきます。その調子で許可されてる量を使い切らない様にして行きましょうね」

前言撤回。目が笑ってない。

唯「あずにゃん、怖いよ・・・」

あずにゃんは一頻り私を脅かした事に満足したのか、クスリと笑うと時計を見てから立ち上がる。

梓「また、明日も来ますね」

唯「あ、もうこんな時間なんだ…」

梓「ええ、私ももうちょっと一緒にいたいですけど」

大切な人達と一緒にいる為のコストは年を経て、またトラブルがある毎に増加する。

こんなとこに一秒だっていたくない。

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