◆飛行機

私は今空の上にいます。
雲の中に入ると上下左右に激しく揺れて、意外と怖いものなのだと知りました。

事情を知っていた唯先輩、律先輩、澪先輩、憂、純の5人が空港まで見送りにきてくれました。
律先輩は「絶対連れ戻してこい。部長命令だ」なんて言ってたけど、
そもそも私はムギ先輩に会うことができるのでしょうか?

ムギ先輩の実家に何度もあたり、ムギ先輩の留学先を調べようと試みましたが、
結局、「フィンランド」という情報以外は何も手に入りませんでした。

仮に会えたとしても……


梓(私はなんて言うんだろう?)

梓(私はなぜムギ先輩に会いに行くんだろう?)

梓(自分の気持ちを伝えたいから?)

梓(好きだって言ったところで、なんになるんだろう?)

梓(そもそも、私はムギ先輩のことを好きなんだろうか?)



◆フィンランド

フィンランドについたのは夜遅くになってからでした。
その日はホテルを探し、チェックインし、そのまま眠りました。
翌日は朝早くから「琴吹家」を探し始めました。

梓「Sorry,I want to......」

通行人1「Sorry,I can't speak English」

梓「Sorry.......」

通行人2「I don't know cotton wiki.」

梓「No,cotton wiki!! KOTOBUKI!」

通行人2「God wiki? I don't know such a.....」

梓「…………・・・・・」

………………・・・・・・・



「琴吹家」探しは前途多難を極めました。
まず、英語の通じない人が意外に多い。

フィンランドはフィンランド語が公用語なのですが、
ガイドブックには英語もある程度通じると書かれていました。

しかし実際現地の人に話しかけてみると、
「英語はしゃべれない」と英語で返されることが多いのです。

そして英語が通じる人が相手でも「琴吹」という名前を伝えるのが意外と難しいのです。

街の人、観光案内所、果ては大使館まで回りましたが、
結局ムギ先輩の手がかりが全く手に入らないまま、
滞在予定7日間のうち6日までも費やしてしまいました。



7日目。夕方。今日の最終便はもう出てしまいました。
ホテルに泊まるお金もありません。

でも、何の収穫もないままでは帰れません。
野宿する覚悟で探索を継続している途中、
何かの役に立つかと思い、空港でレンタルした携帯電話が鳴りました。
表示されていた番号は……。

唯「もしもし、あずにゃん?」

梓「…………唯先輩ですか?」

唯「おー、あずにゃんだ。ムギちゃんにはもう会えたかな?」

梓「それがさっぱり……」

唯「そんなあずにゃんに朗報だよ。実はムギちゃんから暑中見舞いがきたのです」

唯「なんと『送り主』の住所入りだよ! 今から言うからメモしてね」

唯「――――――――」



唯「じゃあ、あずにゃん頑張るんだよ!」

梓「はい。ありがとうございます」



梓「ヘイ、タクシー」







◆琴吹家(inフィンランド)

タクシーに乗って琴吹邸に来ることができました。
まるでお城みたいな大きなお屋敷でした。
インターホンを押すのを躊躇っていると、後ろから声をかけられました。

紬「梓ちゃん…なの?」

そこには半年前と変わらないムギ先輩がいました。
ムギ先輩に逢えた。その事実を認識した瞬間、
私の心に色々な感情が湧き上がり、涙が溢れてしまいました。

梓「ムギ先輩…ムギ先輩…ムギ先輩!」

紬「…梓ちゃん。もう…泣いちゃって…」

梓「…ごめんなさい。もう逢えないかと思っていたから……」

紬「とりあえず私の部屋でお話しましょ」

梓「……はい」

紬「ダージリンで良かったかな?」

梓「はい」

ムギ先輩は手早く私のためにお茶をいれてくれました。
あの頃と全く変わらない手際良さで。

梓「ムギ先輩……」

紬「なぁに?」

梓「私…………」

紬「……」

梓「…」

私は言葉に詰まってしまいました。
何を言うのか考えていなかったから。
何を言えばいいのか分からなかったから。

紬「梓ちゃん。私、賭けをしていたの」

梓「賭け?」

紬「そう。一つの賭け」

紬「私はこれから『琴吹』を継がなければならないの」

梓「琴吹…」

紬「結婚相手も決まっているの」

紬「もう何度も会っているけど……」

紬「気さくで素敵な人よ」

梓「……」

紬「このまま行けば、私はその人と結婚して、家を継ぐことになる」

梓「……」

紬「だけど、私が本気で嫌がれば結婚をなかったことにできる」

梓「……それなら」

紬「梓ちゃん。あなたはどうしてここに来たの?」

紬「同情?」

紬「それとも――」

梓「私は……」

梓「同情がないとは言いません」

梓「でも、決して同情だけじゃありません」

紬「じゃあ友情?」

梓「もちろん友情もあると思います」

梓「でもそれだけでもありません」


紬「それじゃあ……恋?」


梓「恋……なんでしょうか」

紬「梓ちゃんは私が欲しい?」

梓「……わかりません」

紬「じゃあきっと恋じゃないわ」

梓「違います」

紬「なんで違うって言えるの?」

梓「……ムギ先輩のことが頭から離れないからです」

梓「私、駄目なんです。キスしたあの日から」

梓「ごはん食べてても」

梓「憂や純としゃべってても」

梓「軽音部で練習してても」

梓「唯先輩に抱きつかれても」

梓「何をしてたって」

梓「ムギ先輩のことが頭から全然離れてくれません」

梓「後になってから『ごめんなさい』の意味がわかりました」

梓「ムギ先輩は本当に酷い人です。人でなしです」

紬「ごめんなさい」

梓「謝るぐらいなら……私を救ってください!」

紬「救う?」

梓「私に好きだと言って下さい」

梓「私に好きになってくれと言ってください」

梓「そしたら私……」

紬「私の口からそんなこと言えない…」

梓「そんなの嘘です!」

紬「えっ?」

梓「ムギ先輩言ったじゃないですか」

梓「我儘になるって」

梓「この恋にだけは我儘になるって言ってたじゃないですか」

梓「だから、お願いします」

梓「私に好きだって。好きだって言ってくれって、言ってください」

紬「私は……」






紬「梓ちゃんと一緒にいたい」

紬「梓ちゃんに好きだと言って欲しい」

紬「梓ちゃんのことが欲しい」

紬「でもそんな身勝手なこと…」

梓「いいんです。私が許してあげます」

紬「梓ちゃん…?」

梓「その代わり、私を夢中にさせてください」

梓「今以上に、寝ても覚めてもムギ先輩のことしか考えられないように」

紬「……ありがとう」

梓「じゃあ!」

紬「でも、それは無理なの」

梓「どうして?」

紬「梓ちゃんと一緒になるためには御父様や御母様を」

紬「斎藤や家の者を裏切らなければならない」

紬「今の私達が一緒になったとしても、きっと幸せにはなれない」

紬「私はきっと後悔する

紬「そんな私を見て梓ちゃんも辛い想いをする」

梓「それくらい平気です」

紬「私が平気じゃないの」

紬「だから梓ちゃん……」

紬「私、全部終わらせるから」

紬「全部終わらせてから日本に帰るから」

紬「その時は――――」


梓「わかりました。ムギ先輩…私、待ちます」

紬「約束はしないで……」

紬「待たなくても…私は全部終わらせるから」






その日の晩はムギ先輩の家に泊めてもらい、
次の日、私は日本に帰りました。


先輩たちにフィンランドでのことを話すと、
「良かったね」
といってくれました。






秋がきて、草花が色づき。
冬がきて、世界が白く覆われ、
春が来て、桜が乱れ、
唯先輩も、律先輩も、澪先輩も、卒業してしまいました。

私は部長に就任し、
憂と純、そして直と菫を加えて新生軽音楽部は動き出しました。

ムギ先輩とはもちろん会っていません。
メールもしていません。
手紙ひとつもありません。

桜が散り、
紫陽花の季節も終わり、
夏が来ました。
あの日、ムギ先輩と別れてから一年が経ちます。

新生軽音部の活動は楽しいです。
憂と純という気のいい気の合う友達。
菫と直という頑張り屋さんなかわいい後輩たち。

実は寂しいという気持ちはありません。
その感情は既に失くしてしまいました。

今の私はただただ、待っているだけです。
帰ってくるのを。
ムギ先輩がすべてを終わらせ帰ってくるのを。
ただただ、待っているのです。

ただただ――



また夏が終わり、また木々が鮮やかに移ろい、秋になりました。
最後のライブが終わり、
私達三年生は軽音楽部を卒業しました。

草葉が落ち、冬がきました。
もうすぐ私達も高校を卒業します。
そして2月の14日になりました。
あの日。
私がムギ先輩に告白されてからちょうど二年――

菫から一通のメールがきました

『軽音楽部の部室に来て欲しい』

私には、そのメールの意味がわかりました。

だって――



◆部室


梓「ムギ先輩!」

紬「あら、梓ちゃん」
紬「いらっしゃい」

梓「ムギ先輩!」


予想通りムギ先輩は部室に独りでいました。
机の上にはカップが2つ並んでいます。



梓「ムギ先輩、なにをしてるんですか?」

紬「梓ちゃんを待ってたの」

紬「……あ、これのこと? これはカップにお湯を入れて温めてるの」

紬「やらない日も多いんだけど、今日はバレンタインデーだから、ね」

少し芝居がかったムギ先輩がここにいます。
今の私には全部わかります。
菫からメールがきて、
もしかしたらと思って部室に来たらムギ先輩がいて、
ムギ先輩は、お茶をいれる用意をしていて……。
これはきっと―――


紬「梓ちゃん。ふたりっきりでお茶会してもらえませんか?」



紬「今お茶をいれるからちょっと待ってね」

梓「全部終わったんですね」

紬「梓ちゃんはどうしてそう思うの?」

梓「ムギ先輩がこうして帰ってきましたから」

梓「そうじゃないなら、ムギ先輩がこうしてかえってくるわけありませんから」

紬「約束なんて、してないのに?」

梓「それでもです」

紬「はい、お茶がはいったわ」

ムギ先輩がいれてくれたお茶からはいい匂いが漂ってきます。
この懐かしくも、上品さの漂う匂いは……。

紬「あずさちゃん、このお茶の名前がわかる?」

梓「名前なんて、どうでもいいです。そこにムギ先輩がいてくれるなら」

梓「でも、あえていうなら、これは――玉露です」

紬「正解」

紬「ねぇ、梓ちゃん、やっと全部終わったの」

紬「あれから二回季節は巡り」

紬「私の周りではいろんなことが起きたわ」

梓「はい。私にもいろんなことがありました」

紬「外国に移住することが決まって」

紬「焦った私は梓ちゃんに告白して」

紬「そのまま何も告げずに、私は去っていって」

紬「婚約者ができて」

紬「私は一つの賭けをした」

紬「梓ちゃんが私のもとに来なかったら、『琴吹』のために生きよう」

梓「来たら戦おう、ですね」

紬「ええ」

紬「そして、梓ちゃんは来てくれた」

紬「身勝手にも去っていった私のもとに来てくれたの」


紬「だから私は、すべてを終わらせた」

紬「家を捨て、琴吹を捨てた」

紬「幾つもの人間関係を切り捨てた」

梓「それで良かったんですか?」

紬「いいの」

紬「だって、今の私は梓ちゃんのために生まれたきたのだから」



今、
ほんとうにたった今わかりました。

私はムギ先輩を求めていると。

私はムギ先輩に恋してるんだと。

だから……

「ムギ先輩。私と恋、してください」


終劇!