19:32:35

それが運命の時間であった。

ポッカリと空いていた北壁の割れ目がZ達の死体で埋め尽くされるほどになって皆に先勝気分が広がり始めていた頃
突如東壁拠点付近から怒号と悲鳴が聞こえてきた。

皆最初は何が起こっているのかすら分からなかった
ようやく驚愕の表情のまま走って逃げてきたと言う女性により、東壁拠点下の巨大避難扉が開放されてZ達が進入したというのだ。

誰もその言葉を信じることが出来なかった、確かに東西南北の拠点下には避難扉がある
入り口兼出口となる扉が一つだけの防壁陣地などなんの意味もないからだ。

しかし、避難扉の前には常に自衛隊員が多数警備に当たっている
いくら暴動が起きてもこうも容易く扉を開放できるはずもない。

だが皆は、いや、日本人はというべきだろうか
避難民全員が善良な市民であると思い込み、外ばかりを警戒し内に警戒心を持たなかった事がこの崩壊の引き金になったのは確かである。

たとえば自衛隊員の中にある国の特殊な思想に『あてられた』人間がいたとしたら?
たとえばその自衛隊員が避難扉の警護という重要位置に配属されていたら?
たとえばその自衛隊員が『最終浄化』の名の下に中の人間全員を道連れにしようとしたら?

その『たとえば』に目が向かないのが日本人の悪い国民性である。

何十年もの平和が産んだ『緩み』のツケを今まさに桜高校防壁陣地は一身に受けた形になった。


19時32分35秒

最悪の状況の中で桜高校防壁陣地廃棄、つまり撤退戦が開始された。


19:25

某所

続けて乾いた音が三発響き、憂の横腹、喉、頬に小指ほどの穴が空き
憂は正座する形で地面に崩れ落ちた。

憂の華奢な体に開けられた穴から赤黒い液体のようなものが流れ出してすぐさま凝固していく。

和「ほら!やっぱりそうじゃない!私は正しいのよ!!」

和はズレた眼鏡を直そうともせず、グロックを構えたまま憂に近づいていく
やはり自分は正しかったのだ、憂を排除すればこの防壁避難所の安全を確保できる
そう考えた自分の決断の正しさを再認識して和は顔を輝かせた。

和のような委員長タイプの人間に有りがちなのだが『自己完結による満足感の増幅』つまり自分勝手な解釈により悦に入る人間が多い傾向にある
もちろん和とて元からそういった人間だったわけではないた普段は他人を思いやれる優しい人間だった
だが今は有事なのだ。

憂「お姉ちゃん…」

倒れている唯の頬に手を近づけた瞬間、憂の中指が銃撃音と共に弾け飛んだ。

和「唯に触るな!化け物!!」

そのまま再度二発憂に向けられて発射された弾丸は、憂の肺と腎臓部分にめり込み憂は正座のまま仰向けにゆっくりと倒れていった。

和「あんたが死ねば!皆も!唯も生き残れるのよ!さっさと死ね!」

和がとどめをさそうと銃口を憂の額に向けた瞬間、東の方角から大量の叫び声とうなり声がここまで響いてきて和はうなり声の方角に目を向けた。

そこに見えた光景はこれまでの皆を守るという大義名分のためにおこなった自分の行動を無に帰す光景だった。


19:35

北壁拠点から南に1kmほどの場所

現代より何百年も昔、金ヶ崎の退き口という戦いがあった
今になっても尚語り継がれ自衛隊の戦術マニュアルにも載っている有名な戦いである。

律「で、私は豊臣秀吉…と、って猿は嫌だ!」

律はピックアップトラックの荷台に乗り込み愚痴をこぼした
一緒に乗り込んださわ子が律の頭をいいこいいこするかのように優しく撫でた。

さわ子「私なんて徳川家康で狸よ?まだマシな方じゃない、腐らない腐らない」

紬「じゃあ織田信長は誰ですか?」

最後に乗り込んだ紬が、可愛らしく首を傾げながらさわ子に問いかけた。

さわ子「そりゃああの人達でしょ」

さわ子が親指で指し示した方向には、自衛隊員に守られながら撤退していく避難民の姿があった。

現代にも語り継がれている金ヶ崎の退き口とは
織田信長を逃がすために殿を務め見事に生き延びる事に成功した豊臣秀吉と徳川家康の撤退戦の事である。

律「よっしゃいこうぜぃ!」

律はピックアップの運転席を叩いて発進を促した
北壁、それから東壁から殺到するZを牽制し、避難民を逃がすために殿を務める
それは生存率などないに等しかった。

ピックアップトラックは後輪をスピンさせ小石を弾き飛ばしながら急発進した。

19:38

一瞬にしてZの頭部は下顎だけを残して吹き飛び、僅かな痙攣だけを残して動きが停止した。

ピックアップトラックの荷台に取り付けられたXM806重機関銃の銃口から出る煙の向こうで律が軽い口笛を鳴らした。

XM806重機関銃は、生産中止になっていたところをどこからか知らないが紬が調達してかたもので
物凄い威力の前に上機嫌な律の隣で弾薬を肩に担いだ弾薬装填者の紬がニコニコしながら流れる風に髪を揺らしていた。

さわ子はというと、中折れ式猟銃を肩にし『これで充分よ』といい小回りの効かない重機関銃の代わりに疾走するピックアップトラックに群がるZ達の群を排除していた。

『婆さま、わしも年をとったでばな』と小説の一節を朗読しながら正確にZの頭部を撃ち抜くさわ子に舌を巻きながら
『だからさわちゃんソレなんなの?』と律は重機関銃を北から東から襲いかかってくるZの群れの一点に集中砲火しながら聞いた。

さわ子「だから後で…」

『ソレ』にいち早く気付いたのはさわ子であった
さわ子は素早く律と紬を抱きしめるようにして二人をピックアップトラックの荷台に倒し、二人の上に覆い被さった。

重ねて言うが、このZ戦争は人類とZの戦争だけではない、数限りない人類と人類の紛争と合わせてセットで語られている戦争である。

律と紬の上にさわ子が覆い被さった数瞬後だった
日本人に偽装して桜高校防壁避難所に紛れ込んでいた某国の工作員の放ったRPGからの弾頭がピックアップトラックの荷台を貫通し爆発、横転したのは。


19:41

歯ギターやら、友人の結婚式でやらかしちゃったことやら
思えばあの子達に関わってからあまりロクな目にあった事がない。

いや、それを帳消しに出来るほど楽しいことを経験できたのもあの子達のお陰だろう、とさわ子は思い直した。

やけに眠い、今日は二度寝しよう…その前にパジャマのままゴミを捨ててからにしよう…
いや、やっぱり寝よう!と思った瞬間肩を揺すられて起こされた。

目を開けたさわ子の目の前にいたのは上からこちらをのぞき込んでいる律と紬の二人だった。

ふぅ…やっぱりロクな事じゃないほうが多いかも…
とさわ子が思い直していると、彼方に先程自分達が乗っていたピックアップトラックが荷台部分が半壊した状態で横転しているのが見えた。

よくもまぁあんな状態で生き延びられたものだ
さわ子は自分の強運に感謝した、やはりあの子達に振り回されてた分神様はいざという時に自分の味方になってくれたようだ。

周りでは自分達と共に殿を努めていた自衛隊員達が車から降りて円陣防御を敷いて車から落ちた自分達を回収してくれようとしているところだった。

その時さわ子の頬に水滴が当たった、雨か?と思ったがそれは律と紬が流している涙が頬に当たっていたのだった。

『何で二人とも泣いているの?』と声をだそうとしたら、口から大量の血が出てきた。

律と紬の二人の肩を掴んだ自衛隊員が、首を二三回横に振るのが見えた。
『立ち上がらなきゃ』
だがどうしても足に力が入らず立ち上がれない
不思議に思ったさわ子が首だけを少し持ち上げ自分の体の状態を見てみた

腰から下が無かった。

『ふぅ』
小さく溜め息をついたさわ子が首を地面に下ろした。

『これが死んだ時にみゆる光か…熊ども許せよ』

小さく唇を動かし呟いたさわ子の顔を覗きこむように律と紬の二人が涙を流しながら顔を近づけてきた
さっきの言葉が聞き取れなかったらしい。

律と紬の二人に、もっと耳を近づけるように促すと二人は口に触れるか触れないかの位置まで耳を近づけてきた。

『教えるわね…宮沢賢治の『なめとこ山の熊』よ、いいお話だから二人とも必ず生き延びて呼んでみなさい、さ、いって…』

一心不乱に首を振り続ける二人を自衛隊員が無理矢理に肩から担いだ
さわ子はその自衛隊員達に眼だけで意志を伝えた。

自衛隊員達は敬礼をして二人を抱えたまま別のピックアップトラックに乗り込んだ。

遠ざかる二人の姿を見ながら、さわ子は最後に『最後に先生らしいことしてあげた、よかった…いや、先生というより友達かしらね…』と呟きそっと眼を閉じ永遠の眠りについた。


19:41

さわ子が息を引き取った同時刻。

逞しい体格をしたピットブル・テリアとドーベルマン数匹が興奮のため涎を垂らしながら暗闇を疾走している。
狙いを定めた闘犬と猟犬達は、さらにスピードをあげ跳躍した
何メートルも跳躍した犬達の狙いはZ達の喉元だった、完全な精度で首に食らいついた犬達はZを地面に叩きつけて喉元に食らいついたまま首を食いちぎろうと激しく頭を横に振っていた。

いまもって原因は不明だが、Z達は人間以外、とりわけ犬には興味を示さない。

それを利用して犬達をZ用の闘犬として調教したものが現在にまでに至って使用されている『対Z用闘犬』である。

闘犬達がZの首を胴体から引き離している光景を和は愕然とした表情で見ていた。

『何で?何でZが壁内に?』『いや、それよりも憂を…』
和が思考の迷路に陥って動きを止めている間にも、Z達はうなり声をあげ疾走してくる。

体に致命傷になるほどの弾丸を受けた憂は、地面に仰向けになったまま瞳孔を開いたままピクリともしない。

澪「和ぁぁあ!」

涙と鼻水をダラダラ流した澪が、惚けている和の背中にしがみついてきて和はハッと正気に戻った。

澪「逃げなきゃぁあ!!」

和「…」

澪「和ぁぁあ!!」

和「そうね…逃げましょう…でも」

澪「?」

澪は体に焼け箸を当てられたかのような熱さを覚えて後ろに二三歩よろめきながら下がった
脇腹から熱さを感じ不思議に思った澪が自分の脇腹を見てみた澪は、脇腹から失血しているのを見た。

和「あなたは足手まといよ」

和の手に握られたグロックから煙があがっていた。

澪「…の…どか?」

澪は、憂の横にそのまま倒れ込んだ。

そのまま和は、いまだ気を失っている唯を肩に乗せて引きずりながら脱出用シーホークが多数待機しているはずの桜高校付近に向けて歩き出した。


19:43


澪「…かぁ…ふっ」

脇腹から大量の失血をし、必死にそこの傷口を両手で押さえながら止血を試みるが血は止まらない。

『これは罰だ』
と澪は思った、和は明らかにおかしかった
だが、自分は憂が撃たれた時、唯が殴られ倒れた時自分は何もしなかった、これは罰なんだ…

倒れている憂と澪の横を、大量の避難民が通過していった
脱出に必死な人間達は、誰も澪や憂を助けることなどに気が向かない。

『助けて』の一言が出ない澪の横でうつ伏せに倒れていた憂の手がピクリと動き、一息『ブフッ』と息をし砂煙をあげた。

避難民を追ってきたZが、地面に倒れている澪に気付き、口を裂けるぐらいにあけ襲いかかってきた。

身をねじって逃げようとする澪の喉元目掛けてZが食らいつこうとした瞬間、澪の後ろから伸びた憂の右手がZの頭をつかみ
親指をZの目の中に突っ込むと、そのまま物凄い力でZの首を90度ひねりあげた。

そのままZを地面に倒し、立ち上がった憂は澪に右手を差し出し起こしてあげながら
こちらに向かってくる殿の車のライトを指さし、止まってもらえるよう手を振るように告げると
憂は和と唯が向かった先に向けて走り出した。


19:43

律「このやろう!このやろう!このやろうがぁあ!!!」

涙と、鼻水で顔全体をくしゃくしゃにした律と紬が、ピックアップトラックの荷台で迫り来るZの大軍に向けて大量の銃弾を撃ち込んでいく。

恩師の死を目の当たりにした二人にとって、いや、梓や聡の死も経験した二人にとって
目の前のZの大軍は恨むべき敵に他ならなかった、いままでは命をつなぐための戦いだった
だが、いまはもう違う、この戦いは散っていった人たちへ贈る鎮魂歌、いやそんな綺麗事ではない、『復讐』であった。

『死者だけが戦争の終わりを見た』とはプラトンの言葉であるが、死者が戦争の火種になっている今になっては虚しい言葉である。

律「なぁムギ!笑うなよ!」

荷台にしがみついて来たZの頭部をハイマー君で叩き潰した律が、体中に黒い液体を浴びながら紬に叫んだ。

紬「なぁに!?」

同じく荷台にしがみついてきたZの頭部をモシンナガンの銃底で砕きながら聞いた。

律「私先生になろうと思うんだよ!なれるかな!?」

紬「なれるよ!りっちゃんならきっとね!」

二人は荷台の中央でハイタッチした。

その時急にピックアップトラックが止まって、不思議に思った律と紬が前方を見てみると
脇腹を押さえながら苦痛に歪んだ顔のままこちらに向かって手を振る澪の姿がライトに照らされていた。


19:48

誰かに引きずられている感覚を覚え、唯はうっすらと目を開けた
頭が割れるように痛い、それに鼻の中で血が固まってしまっていて呼吸が苦しかった。

一体自分はどうしたんだろう?覚束ない頭で思い出してみた
校舎から和ちゃんが飛び出してきて…それから頭に凄い衝撃を受けて…先はあまり覚えていない。

荒い呼吸を口でしながら、唯は自分を引きずっている人間の正体を探ろうと首をわずかに曲げてその人物の顔を見た。

そこには和が『はっはっ』と息を切らせながら額に汗を流しながら唯を引きずっている姿があった。

『ヤだっ!』という言葉と共に、和を両手で突き飛ばした唯は、覚束ない足の感触のためその場に尻餅をついた。

和「唯、起きたの?大丈夫?立てる?」

昔と同じ柔らかな優しい笑顔で和が唯に右手を差し出した。

唯は、その右手を無言のまま平手打ちで払った。

和「どうしたの唯?なんで怒ってるの?」

和は困惑した表情で平手打ちを受けた自分の右手を見ていた
もう和は、善悪の彼岸に達した存在と化していた。

唯「来ないで!!」

唯の喉から全力を振り絞った声を出した瞬間
和は一瞬ポカンとした表情をしたが、すぐに元の優しい笑顔のまま唯のそばにかがみ込み、笑顔のまま唯の頬に渾身の力を込めた平手打ちぶつけた。

和「駄目でしょ唯、ちゃんと学校の校則は守らなきゃ」

不意に受けた平手打ちを頬に受けて、鼻水に詰まった血が砕けて新たな鼻血が唯の鼻下を流れ
唯の口に鉄の味が広がっていく。

和「ね?」

今度は反対側の頬を手の甲で渾身の力を込めて打った。

和「ね?ね?ね?」

唯の胸をつかみながら唯の首が右に左にと激しく揺れるくらいの往復ビンタを食らわせる和。

上空を桜高校付近に待機させていた何十機もの搬出用シーホークの第一陣が、避難民を乗せて飛び立っていった。
最終脱出時間までもうあまり残されてはいなかった。


桜高校防壁避難所から飛び立ったHH-60H 5機が、避難民を大量に乗せ、避難民達が生まれ育った街の上空を飛行していく。

平時なら夜には光のイルミネーションに彩られたこの街も、いまや死に支配され暗闇に満ち満ちた街に変貌していた。

そんな暗闇の中を、HH-60Hは『その場所』に向かって飛翔していく。


『メガフロート』

数限りない浮体ブロックによって構成された海上に浮かぶ簡易島である
元々の使用目的は海上油田の採掘の際作業員の居住区として利用されるが
もちろん軍事利用として活用もされる側面も併せ持ち
日本では長らく本格制作の口火が切られなかったが
今回の戦争を受けて、国と琴吹家が全面協力のうえ完成させた10km×10kmの超大型メガフロートが海上に完成していた。

話は変わるが、戦争が始まってからの国の対応の早さが国の官僚達が予めこの事態を予測していたのではないか
という陰謀説がいまだに根強くあるのだが、わたしは強ち間違ってはいないのではないかと思っている。

話が脱線したようだ、『彼女達』の話に戻そう。


19:50

抗原不連続変異という言葉を知っているだろうか。

抗原不連続変異とは2つ以上の異なるウイルス株あるいはウイルスに由来する表面抗原が組み合わさり
新しいサブタイプのウイルスが形成される一連の過程であり、インフルエンザウイルスにおいてよく認められる。

抗原不連続変異という用語は特にインフルエンザに関する文献において用いられ、最も知られた事例である。

憂のZウイルスとキラーTが組み合わさり変異した結果、憂は自我を持ったままZウイルスの特性を持つ人間へと変化した。

いや、変化とはいえないのかもしれない、憂は憂のままだった
大好きな姉を心配する優しい少女、いくら人並みはずれた力を手に入れたとしても憂の心が偏旁しなければそれは憂なのだ。

ヒトをヒトたらしめているのは心、とは誰が言った言葉だろうか。

暗闇の中を疾走する憂の目の前に、いままさにZに襲われようとしている母子が見えて憂は地面を滑りながら急ブレーキをかけながら足を大きく開き地面に落ちているこぶし大の石を拾った。

そのまま、憂は頭を地面につけるぐらいに体を反り
左足を上げ思いっきり地面に叩きつけ石を握ってる右手を半円に物凄いスピードで回転させた。

そして母子を襲おうとしていたZの頭が弾け飛んでそのままZが手を痙攣させたまま横に倒れた。

憂が地面に倒れている子供を助け起こそうとした瞬間、頭に軽い衝撃を受けた。

子供が投げた石が額にぶつかったのだ
『母ちゃんに触るな!化け物!』気を失ってる母親を庇うように覆い被さった子供が、憂に向けて拒絶の言葉を吐いた。

『あぁ…そうか…そうなんだ…』
憂は自分の頬を触ってみる、先程の銃撃により唇まで裂けた自分の頬に触りながら憂は悲しい笑顔になった。

『そうだよね…私は…きっと…』
憂は泣いているのか悲しんでいるのか笑顔なのか分からない顔のまま母子に背中を向けて
『早くヘリに向かって』
とだけ呟いて暗闇の中に消えていった。


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